【完結】光を失った少年の話   作:野口さん

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もし、最終裁判で――


Ifルート 月代ユキ

 

 大魔女とメルルが、消滅していく。

 

 淡い光が二人を包んでゆっくりと、消えていく。

 

(あぁ……)

 

 それに呼応するように、彼の視界が狭まっていく。

 

 ゆっくりと、消えていく。

 

(よかった……)

 

 彼は安堵していた。

 

 魔法が消えた。魔女因子が消えた。

 皆、魔女から解放された。

 

 消えていく。

 

 消えていく。

 

 光が、消えていく。

 

(あぁ、そうだ)

 

 言わなければいけないことがあった。

 最後に、大魔女さんに。

 

 光を失った俺に、魔法を、奇跡を、

 

「光をくれてありがとう」

 

 彼は大魔女へと――

 

 

手を伸ばす

 

手を伸ばさない

 

》両手をめちゃくちゃ伸ばす《

 

 

 

 ◇

 

 

 大魔女とメルルが消滅してから数日がたった。

 魔女因子から解放された少女たちは、殺人事件が起こることもない平和な日常を楽しんでいる。

 それはもちろん彼も。

 

「おや?今日はもう寝てしまうんですか?」

「早寝早起きは大事なんで」

 

 規則正しく、平穏な日常を生きていた。

 魔法を失って一度は折れかけた彼の心だが、大魔女のおかげで視力が復活し、普通に生活できるようになった。

 

 だが、彼のトラウマが消えたわけではない。暗いところはまだ怖いままだ。

 眠るときは、誰かと手を握っていないと不安で悪夢を見てしまう。

 医務室でみんなと眠る必要があった。

 

 しかし、ここ最近の彼は地下室でひとりで寝ていた。

 当然そこには手を握ってくれる相手はいないし、明かりもない。

 こんなところで寝泊まりしては、彼はまぶたの裏の暗闇に怯え、碌な生活は送れないことだろう。

 

 そんな不安とは裏腹に、彼は普通通りの生活ができていた。

 朝目覚めても元気そうだし、寝不足なわけでもなさそうだ。

 なぜか、彼はひとりで眠ることができていた。

 

 その理由は、彼がトラウマを克服し始めているから、というのもひとつではあるが、最も大きい理由は、

 

「今日もまた、ひとりで寝てしまうのですね」

 

 彼の耳元でささやく、魔女の存在だ。

 

 彼女は大魔女、月代ユキ。

 かつては人間を滅ぼすことを計画していたがなんかやんやあって完全に消滅した魔女だ。

 しかし、今は少年の隣でふわふわと浮かびながら彼に話しかけている。

 

 今の彼女の姿は半透明であり、彼女の向こう側の景色が透けて見えている。下半身は完全に消えているようで、体のみがふわふわと浮いていた。幽霊、と称するのがもっとも彼女の姿を形容するのに簡単な言葉だろう。

 

 少年は自分にしか見えない、聞こえない幽霊に対して少しげんなりとした様子だった。

 

「……やっぱりまだいるんですね」

「あぁ、何てひどいことを言うのでしょう。私に消えて欲しいと思っているのですね」

「そこまでは言ってないんすけど」

「もうすでに実体もなく、あなただけにしか存在を感知できないただの幽霊である私に向かって、更に消えろと?悲しいですね、ひどいですね」

 

 およよ、と泣いたふりをする彼女の姿は、とても人類滅亡を企んだ魔女とは思えなかった。

 少年はじっと彼女を見つめる。

 

()()を治してくれたことはそりゃあもうめちゃくちゃにありがたく思ってはいますけど、なんかそのまま消える雰囲気だったじゃん」

 

 かつて、ノアの絵が見れなくて地下で絶望していた少年に、ユキの残滓が魔法を使用し、彼に()()を与えた。

 その言葉を最後に、ユキは消滅したかのように思われていた。

 

「確かに、本来であれば私は魔女因子と共に跡形もなく消え去っていたことでしょう」

 

 ユキは小さく首を振りながら微笑を浮かべる。

 

「しかし、あなたが私に向かって両手をのばしてくれたおかげで、私の残滓があなたに強く染み付いたんです」

 

 あの最後の裁判で、ユキがすべての魔女因子を回収して消えようとした時。彼は消えゆく彼女に対して両手を伸ばしたのだ。結果、多くの残滓が彼に触れた。

 

 そのおかげで、ユキは魔法を用いて片目だけではなく両目を彼に渡すことができたし、こうして幽霊のように彼に話しかけることができている。

 

「あなたが私のことを少なからず思ってくれたことも、関係していると思いますよ。私のこと、好きなんですよね?」

「魔法くれたから恩義を感じてるってだけね?好きってほどじゃないんだけど」

「私のことを性的な目で見ているのでしょう?」

「話聞いてます?」

「大丈夫ですよ。あなたが人間の雄らしい欲を持っていたとしても、私はあなたから離れたりしませんから」

 

 ユキは少年に憑りついている状態だ。

 彼からそう遠く離れることはできないらしい。

 

「毎晩毎晩、地下でひとりで眠っているのはその欲望を解放するためでしょう?」

「大魔女さんと話してると独り言言ってるようにしか見えなくてみんなびっくりしちゃうから、それを隠すためなんですけど」

「安心してください。私はあなたがひとりでナニかしていても、見ないふりをしてあげます」

「なんか大魔女さん裁判の時とキャラ違くない?」

 

 以前よりかなり気安く話しかけてくるし、こういった話題にも乗っかってくる。

 少年が困った表情で聞くと、ユキはすこし考える素振りを見せながら口を開いた。

 

「人間にもわかりやすい価値観で例えてあげますね。今の私は、とても長い時間苦労して進めていた夏休みの宿題が突然提出しなくてもよくなった、という感覚です。肩の荷が下りて、解放感に包まれています」

 

 人類を滅ぼすという計画のため、気が遠くなるような時間を掛けてきた。

 その計画から解放され、どうやらはっちゃけているらしい。

 

 本当にそんな例えでいいのか、と少年が若干困惑するも、元々彼女はそう言った性格なのだろう。

 つかみどころがない、とヒロが言っていたことを思い出す。

 

 同時に、ユキの幽霊が自分に憑りついている、と話した時のヒロとエマの反応を思い出した。

 

 それはそれは大騒ぎになり、少年はしばらくの間、ユキの言葉が聞こえないふたりに対してユキに変わって言葉を伝える通訳の役割をしていた。

 連日アゴが痛くなるほど喋っていたなと遠い目をする。

 

「大魔女さんは、俺相手より桜羽さんや二階堂さんと話すべきなんじゃないですか?」

「あのふたりとは、もう十分に話し終えました」

「……」

「今の私は、いつか消えてしまいます。これ以上話していると、名残惜しくなってしまいますから」

 

 ユキはすこし悲しそうにそう話す。

 エマとヒロも、似たようなことを言っていた。

 

 少年は少女たちの悲しそうな顔を思い出し、悔しそうな表情でユキの方を見る。

 

「……大魔女さんの魔法なら、どうにか幽霊としてだけでも残ることとかできないんですか?俺、また通訳やりますから、たくさん桜羽さんたちと話せますよ」

「私を思う魔女達の残滓があるこの牢屋敷の中でなら、私はかろうじて存在を保てます。しかし、それも永遠ではありません。わかるんです、日に日にその力が弱まっていくことが」

 

 ユキが魔女因子をすべて吸収してしまった影響だろう。

 屋敷にかかっていた魔法の効力もじきに消えてなくなる。

 それは魔女達の意思も、消えていくことを意味していた。

 

「あなたの幽霊として存在している私は、いつか消えてしまうでしょう。でも、それでいいんです」

 

 ユキは儚げな笑顔を浮かべていた。

 

「エマとヒロが笑って生きている。それだけで、私はとても嬉しいですから」

 

 それはまるで雪の結晶のように、ふとした時に消えてしまいそうな綺麗な笑顔だった。

 

 自分にしか見えないその笑顔を記憶に焼き付けながら、少年はグッと拳を握る。

 

「……それでも、あのふたりは大魔女さんに消えてほしくないって思ってると思います」

「そうかもしれませんね。でも、エマとヒロは私のことを忘れるべきです。死んだ魔女のことなんて忘れて、幸せになってほしい」

「桜羽さんも二階堂さんも、ぜったい忘れないです」

「おや、あなたがエマとヒロの何を知っているのですか?」

「知ってますよ。ふたりともめちゃくちゃ優しくて友達思いの女の子です」

「なるほど、あの二人を性的な目で見ているんですね」

「見てないです」

「あの二人を性的な目で見ていない……?あなた、本当に人間の雄なんですか?」

「どうしろと」

 

 ユキはたじろぐ彼の手にそっと触れる。

 幽霊の手だったが、そこには間違いなく人肌の体温があった。

 

「あなたが寝てしまうと、私は会話の相手がいなくて暇ですからね。一緒に眠ってあげます」

「……ありがとうございます」

 

 これが、彼が牢屋敷で安らかに過ごせる理由だった。

 ふたりで何てことない会話をして、静かに眠る。

 ユキの存在が発覚して以来、彼が悪夢を見たことはなかった。

 

「おやすみなさい」

 

 これが、少年と大魔女の奇妙な日常だ。

 といっても、特別何かが変わるわけでもない。

 

 彼からすれば、話し相手がひとり増えた程度の変化しかなかった。

 彼の日常が、すこしだけにぎやかになっただけの話。

 

 

 例えばそれは、食事の時。

 

「おや、おいしそうな料理ですね」

「ん、黒部さん姉妹が作ったお菓子だよ」

「『味覚共有』……なるほど、甘くておいしいですね」

「え何今の」

「そのままですよ。味覚共有の魔法です。あなたの味覚と私の味覚を繋げました」

「そんなことできんの!?」

「『共有』の魔法の応用です。伝えていませんでしたが、私はあなたの感じた様々な感覚を共有しています」

「スゴイっすね」

「独り言を繰り返しているせいで周りの少女から奇異の視線で見られることによって生じたあなたの羞恥心も、私は共有しています」

「わかってんならみんながいるときはあんま話しかけないでくださる??」

「律儀に返事をするあなたにも落ち度はあるのではないですか?私の言葉なんて無視すればいいのです」

「それはできないですね。俺も大魔女さんとたくさんお話したいので」

「……そうですか」

 

 

 

 例えばそれは、シャワーの時。

 

「あの、大魔女さん」

「どうしました?」

「大魔女さんって俺のことを見ているって認識でいいですよね?」

「……?はい。霊体となってから、あなたから目を離したことはありませんよ」

「うーんそっかぁ……」

「どうされましたか?何か私に見られて不都合なコトでもありましたか?」

「あります。俺今からお風呂入りたいんですよ」

「あぁ、お構いなく」

「いやお構いなくじゃなくて!裸見られたくないって言いたいんですけど!!」

「自分だけ裸なのは不公平だからお前も脱げ、という主張でしょうか?仕方がないですね……」

「!?いやあなたは脱がなくていいですから!いや待っ……」

「残念ながら、私は幽霊です。服の下にはあなたの想像する肉体は何もありません。『何もない』があるだけですよ」

「……」

「どうしました?私の裸が見られるかもなんて、期待していましたか?人間の雄らしい、欲望にまみれた思考ですね」

「……」

「フフッ、そんな顔しないでください。あぁそういえば、こうして服を脱いで頭だけで浮かんでいると、あなたの記憶の中にいるアレを思い出しますね」

「……アレって?」

「コホン……ゆっくり大魔女です」

「!?」

「今日は人間について解説していきます」

「大魔女さんストップ!モノマネ魔法ストップ!」

「【チャンネル登録と高評価をしてください】」

「洗脳もしないで!」

 

 

 

 例えばそれは、彼がラウンジでくつろいでいる時。

 

「目の調子はいかがですか?」

「両目ともすごく見えてますよ。たまに見えすぎちゃうくらい」

「それは良かったですね。大魔女(わたし)の瞳ですから、当然かもしれませんが」

「そういえば、俺の目を治してくれたのって入れ替わりの魔法を使ったんですよね?ってことはもしかして、今の大魔女さんの目は……」

「はい。この瞳はかつてのあなたの物です。黒いでしょう?」

「っじゃぁ今の大魔女さんはっ!」

「……何か、勘違いをしているようですね。今の私は、何も見えていないわけではありませんよ。以前言ったことを忘れてしまいましたか?あなたから目を離したことはない、と」

「でも、俺の目を持っているんですよね?」

「そうですね。ただ、持っているのはあなたの目だけではありません」

「……そうだっ、魔法!」

「はい。あなたの【視覚強化】の魔法も私は所有しています。それを使って私はあなたを見ています」

「……なら安心、とはなりませんよ。それでも目が全く見えてないことには変わらないじゃないですか」

「まぁ、そうですね。魔法が無くては、私は何も見えないわけですから」

「……そうだっ!大魔女さん、自分自身に治療の魔法をかけてみたらいいんじゃないでしょうか!そうすれば大魔女さん本来の瞳が治って戻ってくる!」

「そうなると、あなたのこの黒い瞳を一度取り出さなくていけませんよ?」

「そう、ですね。痛そうです。けれど、そうすれば視覚が取り戻せるのでは?」

「……」

「何も見えない俺の目なんていらないでしょう。どっか適当に捨ててしまえば……」

「それは私が決めることです」

「えっ……?」

「あなたの思いつく策を、私が考えなかったと思いますか?すでにその策は棄却済みです」

「……」

「あなたの瞳を捨てる?そんなこと私にさせないでください」

「……」

「……」

「……すいません」

「いえ、お構いなく……」

 

 

 

 例えばそれは、娯楽室で遊ぶ時。

 

「かつて私たち魔女が暮らしていた時代では、電気設備などありませんでした」

「……」

「もちろんテレビやスマホなんてものは存在していません」

「……あの」

「なので当時の遊戯と言えば、ボードゲームが主流でした。チェスやビリヤードでみんなとよく遊んでいました」

「……はやくトドメ指してくれます?」

「あぁ失礼、あまりにも気持ちよく策にはまってくれるものですから、つい勝ち誇ってしまいました。これでチェックメイトです」

「強すぎでしょ大魔女さん……ここまでチェスでボコボコにされたことなかった……」

「そう気を落とさないでください。年季が違いますから、人間が魔女に勝とうなんて不可能な話です」

「もっかい、もっかいやろう。次は勝てる気がする」

「ハンデをあげましょう。わたしはクイーンを動かしません」

「……俺が先行で。まずはナイトを上げます」

「では私はポーンを。私の駒を動かしてください」

「はいはい、んじゃ俺次コレ」

「私はこの駒を……」

「なら俺は……」

「私は……」

「……」

「……」

「……」

「どうしました?駒を動かしてください」

「俺一歩でも動かしたらチェックメイトなんすけど……」

「はい、なので動かしてください」

「あああ!!またボコボコに負けた!!なんで!?」

「魔法は使っていませんよ。ただの実力の差です」

「チクショウ!!もう一回!!」

「ふふっ、楽しいですね」

「俺は楽しくないよぉ!!!」

 

 

 

 

 賑やかな日常が続いていた。

 

 

 

 そんなときだった。

 

「お別れの時が近いようです」

 

 それは突然のことだった。

 いつものように地下で眠ろうとした少年に、彼女はいつものように話しかけた。

 しかし、その言葉は彼の日常を終わらせる言葉だった。

 

「えっ……」

「幽霊としていられる時間にも限りはある、私はそう言いましたね。それが今日です」

「な、んでそんな急に、突然」

「私も、予想外でした。本来なら、私はもう少し長くここに残れるはずだったのですが」

 

 そこまで言うと、彼女は珍しく恥ずかしそうな表情を見せた。

 

「すこし、はしゃぎすぎてしまいました。あなたとお話をしすぎてしまって力の消費が想定より多くなっていたようです」

「……」

「あなたとの日々、とても楽しかった。そのすべてを、私は鮮明に思いだせます」

 

 まだ事態を受け入れられず呆然としている彼の前で、ユキは静かに目を瞑りながら、ひとつひとつ思い出を数えていく。

 

「あなたと同じ風景を、音を、味を、感じてきました」

「……」

「あなたとチェスで一日中戦ったこともありましたね」

「……」

「あなたの肉欲を受け止めたこともありました」

「記憶を捏造しないでくださる?」

「決して忘れることはないでしょう」

「間違った記憶は早急に忘れてくださいね??」

「決して忘れません」

「忘れて?」

 

 彼女は冗談を言っている。

 しかしそれは後半の部分だけだ。もうじき消滅する、というのは冗談ではないのだろう。

 

 少年は必死に頭を回す。

 どうにか消えないで済む方法はないだろうか。

 

「なにか……何かないんですか?消えないで済む方法、とか」

「無理、ですね。私はもうすぐ消えていきます」

「そんな……」

 

 少年が信じたくないと首を振る。

 

「まだ……もうすこしだけでもっ、そう、そうだ!桜羽さんたちに会いに行かないと」

「エマとヒロとは、もう十分話せました。あなたのおかげです」

「だからって、お別れもちゃんとしてないじゃないですか……」

 

 あまりにも必死な彼の目元からは、涙が溢れていた。

 ユキは少し驚いたような顔をしたあと、優しく微笑む。

 

「あなたも、泣いてくれるんですね。私がいなくて寂しいですか?」

「……当たり前、じゃないですか」

 

 ユキが冗談めかして揶揄うも、彼は静かにうなづくことしかできなかった。

 そうしないと、涙が溢れてしまいそうだった。

 

 もうすっかり、少年の日常には彼女がいたのだ。

 同じ風景を、音を、味を共有できる大切な存在として彼女は彼の心に残っていた。

 

「ありがとうございます。ふふっ、やはり私は、あなたたちが大好きみたいです」

 

 ユキはそっと少年の頬を撫でた。

 涙を拭おうとするが、もう物理的干渉ができないほど存在が消え掛かっているようで、その手は虚しく少年の顔をさするのみだ。

 

「もう、限界ですね」

「どうにか、できないんですか」

「できません。それに、あまりメルルを待たせてしまうのも、心苦しいですので……」

「そう、ですか」

 

 メルルの名前を出され、少年は顔を見上げる。

 今もメルルは、大魔女のことを死後の世界で待っているのだろうか。だとしたら、自分はそれを遮りたくはない。

 

 彼女の体がゆっくりと消えていく。

 

「エマとヒロのこと、よろしくお願いします」

 

 ユキは静かに微笑んだ。

 それはいつか見た、雪の結晶のように儚く美しい笑顔だった。

 

 

「さようなら、笑顔の素敵なあなた」

 

「今まで、とても楽しかったです」

 

 

 その言葉を最後に、彼女の姿は見えなくなった。

 いくら手を伸ばそうが、彼の手に触れるものはない。

 

 大魔女ユキは、完全に消滅したのだ。

 

「ぁ……」

 

 毎日聞こえてきたあの声が、もう聞こえなくなった。

 毎日握っていた手が、もう消えてしまった。

 毎日見ていた彼女の姿が、もういなくなってしまった。

 

 もう彼女とは会えないのだ。

 ようやくその事実を理解した彼は、がくりと膝をついた。

 

 

「俺も……とても、楽しかったです」

 

 

 地下は、誰かのすすり泣く音が響いていた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「おはようございます。今日もいい朝ですね」

 

 次の日の朝、彼女は普通に彼の枕元に立っていた。

 昨晩の別れなんてなかったかのように、とても自然に立っていた。

 

 少年は幽霊でも見たかのように凄い勢いで飛び上がる。

 

「なんでいるの??????」

 

 ユキはおよよ、と泣いたふりをしながら答える。

 

「あぁ、なんてひどいことを言うのでしょう。もうすでに実体もなく、あなただけにしか……」

「それはもう冒頭で聞いたんで。氷上さんを待たせてしまうのは心苦しいんじゃなかったんですか?」

「はい、心苦しかったです。なので、会いに行ってきました。魔法でちょちょいと」

 

 彼女があまりにも簡単に言うものだから、少年は空いた口が塞がらないようだった。

 

 彼女は昨晩、魔法で死後の世界に行き、そしてまた魔法で少年に憑りつく幽霊として戻ってきた、ということなのだろう。

 あまりに人間の常識とは異なるその行いに、少年は驚きを超えて呆然とすることしかできない。

 

「魔法ってそんなことできるんです?」

「普通ならできないでしょうね。ですが私は、大魔女、ですから」

「生き物の範疇を超えてないですかそれ……」

「私たちの魔法を、人間の価値観で読み解こうとすることは愚かです。魔法を使えないあなたたちは、私たちの魔法を理解することはできません」

「……ヘイトスピーチ?」

「ただの事実です。あなたは魚に陸の歩き方を教えることができますか?」

 

 彼女の自信満々な物言いに、彼は無理やり納得させられる。

 

 実際、どう説明されても自分は理解できないだろう。

 少年は諦めてどうにか彼女が戻ってきたという事実を呑み込もうとしていた。

 

「次はメルルも連れて来ましょうか。私と同じように幽霊として、ですが」

「氷上さんも来れるんです?すごいっすね魔法って」

「あの子もたまには娯楽を覚えてもいいでしょう。どうすればあなたの睡眠を効率的に邪魔できるか、教えてあげなくてはいけませんね」

「俺の睡眠妨害を娯楽だと思ってらっしゃる?」

「はい」

「はい??」

 

 ユキはとても楽しそうに笑っていた。

 自分の家族とまた共に過ごせる日々を楽しみにしている。

 

「たまに寝ぐせがエグい日があったんですけど、あれって……」

「私ですね。眠っているあなたを見ていて、つい」

「ついじゃないが。あれめっちゃ笑われたんすよ?」

「でも、実は迷惑ではなかったんでしょう?」

「普通に迷惑ですけど」

「私に構ってもらえて、嬉しかったんですよね?」

「好きな子に構ってもらえて嬉しい子供じゃないんですから」

「私のこと、好きなんですよね?」

「ですから大魔女さんには恩を感じてるってだけで……」

「いいえ、あなたは私のことが好きです」

 

「さもないと、私がこうしてあなたに会えているわけがありません」

 

 少年が首を傾げるも、ユキはニマニマと笑っていた。

 

「以前お伝えしましたね。私を思う魔女たちの残滓があるから、まだ存在を保てると」

「あぁ、覚えてますよ。それがあったから大魔女さんは幽霊になれたんですよね」

 

 詳しい原理は彼もいまいち理解できていない。

 ただ、思いの強さが力となるというわかりやすい部分は理解していた。

 

 彼女はコクリとうなづく。

 

「はい、そしてその残滓はもう消えてしまいました。()()()私を思っていたみんなの魔力は、消えてしまいました」

 

「しかし、私はいま、こうして再び幽霊として存在しています。さぁ、これはどう言う意味でしょうね?」

 

 少年は顎に手を当てて考える。

 

 強い思いのおかげで、大魔女さんは幽霊として存在できた。

 その強い思いってのは大魔女さんのお友達の思い。

 でもそれが無くなった今も、大魔女さんはまだ存在できている……

 つまり、まだ大魔女さんを思っている誰かがいる?

 その誰かとは……

 

 少年の顔がみるみるうちに赤くなっていく。

 

 まさか、そんな、いやいやそんなわけないじゃん

 好きじゃないしマジで

 

「いや、全然別に好きとかじゃないし!ありがとうっていう感謝の気持ちがあるってだけだし!あとホラ、俺じゃなくて桜羽さんや二階堂さんが大魔女さんを想ってるってだけかもしれないじゃん!」

 

 彼の目は泳ぎまくっていた。

 いつの間にか、彼の心は彼女に奪われていたのだ。

 こうして彼女が幽霊として顕現できていることが何よりの証拠である。

 

「ユキ、と名前で呼んでいただいて構いませんよ。堅苦しい敬語も必要ありません」

 

 必死な少年をニヤニヤとしながら揶揄うユキは、とても楽しそうに笑っていた。

 

「あなたが私を思ってくれている限り、私はあなたのそばにいられます」

 

「本当に、よくできましたね」

 

「おかげでこれからも、あなたの隣で笑って過ごせます」

 

「どうか、末永く、よろしくお願いしますね」

 

 そう言って差し伸ばされた手に、少年は顔を赤くしながら手を重ねた。

 

 こうして、彼の新たな日常が始まったのだった。

 





 誕生日的に今日メルルのお話を投稿すべきでした、反省。

 次話で恋愛ルートはひと区切りです。
 
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