世界で一番幸せな女の子と犬(成人男性国家公務員)   作:mimi11111111

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 車は、崖沿いの細い山道を登っていた。

 舗装の剥がれた路面をタイヤが軋ませるたび、車体が微かに揺れる。

 運転席には無言の部下、後部座席には二人の人影が並んでいた。

 

 沈黙を破ったのは、男の低い声だった。

 

 『随分と成長したな、玉環(ユィファン)

 

 窓の外には闇の底に沈む森が広がっている。男はその景色にほかの人影を捉えつつも、淡々と続けた。

 

 『お前にそこまでの胆力があるとは驚かされたものだ。』

 

 男は皮肉を隠そうともせずに、愉快そうにそういった。

 

 『だが、玉環(ユィファン)。お前は私に負けた。今後お前が何をしようとも、お前のなすこと全てをねじ伏せ、何度でも躾直そうじゃないか。

 

  誰が貴様の飼い主か、理解できるまでな』

 

 男はそう続け、娘に顔を向けた。娘が己にどれほど恐怖を向けているか、これから行われる”教育”に怯えているかを観察するために。

 

 『父上』

 

 しかし、顔を上げた娘は存外に、父をまっすぐ見つめた。娘の大きく、美しい黒曜石のような瞳は今まで見たことがない光を帯びていた。その瞳に、不快そうな男自身の顔がぽっかりと写る。

 

 娘は凛とした声で続ける。かつて自身が教え込んだ、何人たりとも聞き漏らすことを赦さない声。

 

 『今までこんなことはありえませんでしたね』

 

 男は目を細める。

 

 『何が言いたい』

 

 『あなたは、警察の接近を目と鼻の先までに許した。私の計画に気づくのに一年もかかった。』

 

 男は自身の眉間により一層皺を寄せた。徐々に血が脈打つのを感じる。娘は一方で、瞳をぎらつかせた。暗い車内で、彼女の瞳だけが星を瞬かせていた。

 

 『今までのあなたであれば、ここまでの失態を侵さなかったはずです。

 

 __あなたの完璧は崩れ落ち始めている。』

 

 その一言に男は、全身の血が沸騰するような感覚を覚えた。男がここまでの激しい怒りに駆られたのは何年振りであろうか。

 

 『なんだと?』

 

 男は表面上は冷静に、しかし明らかに息を荒げている。娘の視界に映りこむ自身の動揺にさらに苛立つ。

 

 『口が過ぎるぞ、玉環(ユィファン)。あの下僕に負け惜しみでも教わったのか?』

 

 男の怒りを感じ取った運転手が震えあがり、ハンドルを握る手が鈍る。しかし、娘は口元に微笑すら讃えていた。

 

 『父上、あなたは今宵、運命に見放されたのです。』

 

 娘_玉環(ユィファン)が女神のような笑みを浮かべてそう告げた瞬間、後方からサイレンの音が鳴り響く。何台もの警察車両が男の車に追いつき、やかましく警告を繰り返す。けたたましいほどの警告音と赤い光が男の神経をさらに逆なでする。

 

 『玉環(ユィファン)、貴様っ!!!』

 

 男はついに怒声を上げた。警告が無駄だと悟った警察は狙撃に切り替え、銃弾が飛び交う音が聞こえる。運転手は狙撃に焦り怯えた声を挙げ、ハンドルを乱暴に切る。

 

 一気に混沌とした車内で、玉環(ユィファン)だけは静かだった。フロントガラスにあたる銃弾、父の獣のような咆哮、激しく揺れる車内、響く金属音。そのどれもが彼女を動揺させるには及ばなかった。彼女の瞳は、深く、冷たく、それでいて不思議な光を秘めていた。

 

 玉環(ユィファン)の瞳にはただひとつ、あの運命の瞬間のみが映っていた。無慈悲にも撃ち抜かれ、力なく地面に伏した彼。それを無力にも見下ろすしかできなかった自分。しかし、連れ去られる直前、彼の瞳と目が合った。

 

 彼の灰色の瞳の奥に、なおも消えぬ正義の光が煌々としていた。撃ち抜かれた痛みなどものともしていない、燃えるような輝き。その光はまっすぐに玉環(ユィファン)の心に焼き付いた。

 

 あの時、彼の瞳は星屑を砕いたような光に満ちていた。その星屑はいま、かつて闇に覆われていた玉環(ユィファン)の瞳に星空のように浮かんでいる。撃ち抜かれてもなお、彼は不屈であった。その瞳に宿した正義が、長年支配に怯えていた玉環(ユィファン)に、勇気と力を与えた。

 

 男が気づかぬままに犯した一発の過ちは、支配の均衡を壊した。

 

 『さて、次なる運命がどんなものになるか――楽しみですね。』

 

 男の瞳に、残酷に美しく微笑む女が映り、玉環(ユィファン)の瞳に、無様に顔を歪ませた男が映りこんだその瞬間、警察の狙撃によりコントロールが効かなくなった車は崖から転落していった。

 

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