世界で一番幸せな女の子と犬(成人男性国家公務員)   作:mimi11111111

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 新幹線に乗ること一時間半。車窓の外に見えた風景に、息をのんだ。

 

 「長野……?」

 『ぼーっとするな。行くぞ』

 

 玉環(ユィファン)様はそれだけ言って、慌てる俺をよそにすたすた降りて行った。玉環(ユィファン)様の後姿は、どこか落ち着きがないように見えた。

 

 新幹線を降りると、公安の車が待っていて、俺らは今度はそれに乗り込んだ。車は静かに走り出し、やがて街並みを抜け、山道に差しかかる。鬱蒼とした木々が淡々と通り過ぎていく。

 

 車に乗り込んでから玉環(ユィファン)様はまた黙ってしまった。窓の外の景色を眺める横顔は、さっきと同じく美しく、そしてどこか遠くを見ているようだった。

 

 やがて、木々の間に石垣が見えた。緩やかな坂を上ると、小さな集落の外れに出る。 

 

 そこに、ひっそりとした墓地があった。

 

 車が止まり、エンジンが静かに沈黙する。平日の昼間だからか、人影はひとつもない。ただ風が梢を渡り、木漏れ日が白い墓石の上をやわらかく撫でていく。

 

 「……ここは」

 『降りるぞ』

 

 玉環(ユィファン)様は無言で車を降り、黒いワンピースの裾を整える。

 

 その背を見つめながら、俺は胸の奥に小さなざわめきを感じていた。

 

__

 

 玉環(ユィファン)様は墓地の中を迷いなく進み、やがて一つの墓石の前で立ち止まった。

 

 「私の祖母だ。」

 

 玉環(ユィファン)様は、墓石に刻まれた”天城家”の文字を指でなぞる。初めて聞いた玉環(ユィファン)様の日本語は、柔らかく穏やかだった。あの強く、美しい支配者の声ではなく、懐かしさと、ほんのわずかな寂しさを帯びた少女の声だった。

 

 「私は、祖母と、日本で、 天城環(あましろたまき)として生きていた。」

 

 彼女が、ゆっくり紡ぐ言葉に俺はただ耳を傾ける。その発音は少したどたどしく、しかし一音一音を確かめるように丁寧で、まるで遠い昔に置いてきた自分を呼び戻すような響きがあった。

 

 「父に攫われてから、私は、ずっと一人だった。__一年前、お前がくるまではな。」

 

 玉環(ユィファン)様__天城環は、俺に静かに向き直る。

 

 「お前が、いて…くれた、から…あー、そうじゃなくて…!」

 

 環様は途中で言葉をつまらせ、視線をきょろきょろさせる。足元の石をつついたり、髪をかき上げたり、落ち着かない。何度も口を開いては閉じを繰り返していた。

 

 「~っ!どうして私は…!」

 

 そこまで言って、うつむく。歯を食いしばり、唇を結ぶ。目の奥に、悔しさと照れと、ほんの少しの涙がにじんでいた。

 

 それが、なんかもう……かわいくて、俺まで泣けてきた。

 

 環様が感謝を言葉にできない理由を、俺は知っている。

 幼い頃から、感情を抑え、誰よりも上に立てと教え込まれた彼女。喜びも、悲しみも、彼女の世界では“弱さ”の証だったのだ。

 

 でも、今の彼女は違う。その呪いを破って、自分の声で何かを伝えようとしている。

 

 ――その姿を見られるだけで、俺はもう、十分幸せだった。

 

 「いい、いいんですよ、環様。何が言いたいのか、俺わかりますから」

 

 芽吹きの時は今すぐじゃなくていい、だから無理しないで。

 俺は環様にそっと寄り添うものの、環様は首を左右にぶんぶんふる。

 

 「う、うるさい!ちょ、ちょっと黙れ……!」

 

 大きく息を吸い、俺をまっすぐ見つめる。星が輝いた、美しい瞳。

 

 「ありがとう。…私のそばにいてくれて」

 

 その一言で、すべてが報われた気がした。

 今、俺の眼前にいるのは、長い闇を抜け、自分の声で想いを伝える――ただの一人の少女、天城環だった。

 

  あの日、組織の闇の中で“ 玉環(ユィファン)様”と呼んでいた少女が、いま、光の中で“環”として立っている。

 

 それだけで、これまでの痛みも、撃たれた傷の疼きも、全部報われた気がした。

 

 環様は気恥ずかしさからか、すぐに俺に背をむけてしまった。さぞかわいい顔をしてるに違いないと、見せてほしくて、俺は環様に近寄る。

 

 「環様、俺は…」

 「私はただの天城環に戻る。…だから、お前もそうしろ。」

 「えっ?」

 

 後ろを向いたままの環様の発言に俺は理解が追い付かず聞き返す。声の調子はさっきと打って変わって、強く、でもどこか震えていた。

 

 「一般人の私に、犬を飼う余裕はないからな。お前はどこへでも好きなところに戻ればいい。」

 「それは、どういう__」

 

 俺が聞き返そうとすると、背後に誰かの気配。本国にいたときの癖で、環様を背中に庇いながら、パッと振り返ると、そこには懐かしい姿があった。

 

 向こうも目を見開き、硬直している。

 

 「景光……なのか……?」

 

 もう何年も聞いていなかったその声。相手は俺の姿を確信するとすぐさま駆け寄ってくる。

 

 「景光!お前今までどこに…!」

 「兄さんこそどうしてここに…!」

 

 混乱のまま呟いた自分の声にハッと気づく。

 

 _まさか

 

 俺は主人の方へ目を向ける。

 

 けれど、そこにはもう誰の姿もなかった。墓石に差し込むあたたかい陽光だけが、少女がいたはずの場所に注ぎ込まれていた。

 

 

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