世界で一番幸せな女の子と犬(成人男性国家公務員)   作:mimi11111111

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 俺は主人の部屋からおとなしく退出し、お利口に扉の前でおよびがかかるのを待つ。この生活にも慣れたものだ。たった一年前は日本で公安として潜入捜査をしていた俺が、今は中国のマフィアで女の子に首輪をつけられているのを幼馴染のあいつが知ったら驚くだろうなと、今は遠い故郷を思う。あの運命の夜、俺は潜入捜査していたのが組織にバレ、もう死ぬしかないと思っていた。必死で逃れた先で運がいいのか悪いのか、俺は別の死神の前に躍り出てしまった。死神の車に引かれた俺はそのまま中国へ輸送。その先で死神の娘のお土産へと変貌した。

 

 初めは何がなんだかわからないまま、無様に床に転がっていた俺は、眼前にいる人間すべてに警戒していた。気づけば目の前に少女が歩み寄っていて、俺の首輪の鎖を勢いよく引きつけた。少女の手を、振りほどこうと思えば振りほどけた。しかし、少女の瞳と目が合った瞬間、息をのんで動けなくなってしまった。彼女の瞳は黒曜石の結晶のようで、しなやかな睫毛の隙間から星々が煌めいていた。少女はその美しい瞳を三日月形にゆがめ、蜂蜜のようにとろけた声で告げた。

 

『ご主人様になんだその目つきは?』

 

 その瞬間、俺たちの主従関係は始まった。というか俺はこの人の犬になることが決定した。俺自身がそう思った。この人ならざる美しさを持つご主人様は、『小汚い野良犬を部屋に入れる趣味はない』と命令し、俺を風呂に入れ、『早々に壊れてしまってはつまらん』と俺を組織の医者に診せ、治療した。口調こそ可愛げがないが、存外優しいお方だ。犬として一緒に過ごすうちに、その美しさとオーラの奥に秘められたものが見えてきた。犯罪組織の中で生き延びるために彼女が身に着けた生存戦略がこの姿なのだ。俺は構成員ではなく犬のため、この家からいまだに出られたことはないが、それはこの少女も一緒だった。見た目こそ煌びやかにしているが、彼女は至極不自由な生き方をしている。

 

 下僕としての生活が始まったばかりのある日、俺は、冷たいコンクリートの地下室で主人である玉環様をお待ちしていた。地下では玉環(ユィファン)様が父親直々から射撃訓練を受けていた。訓練場の空気は重苦しく、硝煙の匂いに肌がひりついた。

 

 『もう一度』

 

 ボスの低く、無感情な声が響く。この閉鎖空間では外界の様子は全く感じられないが、少なくともこの訓練は12時間に及んでいた。玉環(ユィファン)様も初めの数時間は惚れ惚れするほど正確な射撃をしていたが、疲労により、徐々に命中率が下がっていった。

 

 それでも玉環(ユィファン)様は疲労を顔には出さず、即座に銃を構えなおした。しかし、狙いがなかなか定まらない。ご主人様の美しく華奢な指先は真っ赤に変色し、右手の関節は不自然に膨らんでいた。彼女の痛ましい手と、銃身に刻まれた美しい金銀の彫刻はひどく不釣り合いだった。

 

 ボスは浅くため息をつき、ゆっくりと娘のこめかみに自身の銃を当てた。俺は思わず駆け寄りそうになったが、ボスの纏う殺気が何者も動くことを赦さなかった。動けばすぐさま弾丸が発射される。玉環(ユィファン)様も、疲労による体の震えさえ、止めていた。

 

 『外すな。お前は、俺の娘だ__失敗は、許さない。』

 

 ボスは安全装置を外す。

 

 『撃て。』

 

 玉環(ユィファン)様の弾丸は発射された。そのまま的の中心に、寸分のズレもなく吸い込まれていった。ボスは撃ち抜かれた的を一瞥し、自身の銃を降ろした。

 

 『それでいい。』

 

 そう告げたボスの声にはひとかけらの感情もなかった。しかし、玉環(ユィファン)様はどうやら許されたらしい。彼はそのまま部下に目配せをしたのち、足音を響かせ去っていった。玉環(ユィファン)様が震える指で銃を降ろし、地下室には俺と玉環(ユィファン)様だけが残った。玉環(ユィファン)様の荒い呼吸だけがむなしく響く。しかし、すぐに息を落ち着け、俺の方へ顔を向けた。

 

 『…戻るぞ、駄犬。』

 

 しばらくして俺と玉環(ユィファン)様も自室に戻った。

 

 『玉環(ユィファン)様、お手を…』

 『犬風情が気安く私に触るなっ!!』

 

 俺はすぐさま玉環様の手当てをしようとしたが、玉環(ユィファン)様に鋭く叱責されてしまう。俺を跳ねのけようと払った手が俺の頬に当たり、鈍い破裂音が鳴る。

 

 『…っ!…出ていけ…』

 

 玉環(ユィファン)様はそう吐き捨ててふらふらと寝室へ向かっていった。玉環(ユィファン)様の小さい手でたとえ本気で叩かれても俺は痛くも痒くもない。ただ、俺の頬に当たった拍子に玉環(ユィファン)様の右手の傷がさらに開いた様子だった。普段は自分の本心をまったく出さない玉環(ユィファン)様が、俺を叩いてしまった直後、その黒い瞳を揺らしていた。俺の幼く、小さい主人が疲弊している姿が、ひどく痛ましく、俺はつらかった。

 

 俺が元居た国の子どもたちとは全く異なる俺の主人。マフィアの次期首領である俺の主人は聡明で、裕福だ。日本にいる同年代の子どもたちよりも多くのことを知り、高価な貴金属や財産を持っている。しかし、日本にいる少女たちが当たり前に享受するものを、ご主人様は何一つ得られない。もし玉環(ユィファン)様が日本に…

 そこまで考えたとき、俺はあることを思い出した。せめて、俺の小さな主人の慰めになれば、と俺は調理室へ向かった。

 

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