世界で一番幸せな女の子と犬(成人男性国家公務員)   作:mimi11111111

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 俺は盆に”それ”を載せて、玉環(ユィファン)様の扉に呼びかけた。

 

 『ご主人様、入ってもよろしいですか?』

 『…。』

 

 返事は全くなかったものの、俺は遠慮なく入る。本当に入ってほしくなければ、『耳障りだ。消えろ』くらい言ってくるはずだ。つまりこの無言は実質、『入ってこい』の意である。

 

 奥の寝室まで進むと、広いベッドの上にうずくまる影を見つけた。いやに広いベッドに対して、丸まった主人はひどく小さく、儚かった。ベッド近くにある机に盆を置き、シーツに包まる玉環(ユィファン)様に声をかける。

 

 『玉環(ユィファン)様、お怪我の調子はいかがですか』

 『…いつからここが貴様の犬小屋になった。』

 『まさか、ここは玉環(ユィファン)様の私室にお間違いないですよ』

 『なんだ?犬には人間のいうことがわからんようだな?』

 

 普段通り俺を罵倒できるくらいには落ち着いたらしい。まだ疲労の残る玉環(ユィファン)様の体に手を添えてそっと上半身を起こす。シーツからでた玉環(ユィファン)様の手には包帯が綺麗に巻かれていた。自身で巻いたのだろう。この組織で、頼まれてもいないのに玉環(ユィファン)様を手当てするような命知らずはいない。そして玉環(ユィファン)様の性質上、誰かを呼びつけることもできず、自身の傷は自身で治療することが当たり前だったのだろう。神経質に巻かれた包帯から主人の生きづらさを感じ取った。

 

 『玉環(ユィファン)様のために、スープをお持ちしました。』

 『お前がか?…犬の作ったスープなんぞは見ものだな。出してみよ』

 『こちらでございます』

 

 玉環(ユィファン)様が飲みやすいように近くに机を寄せる。スープをのぞき込んだ主人は目を丸くする。

 

 『!これは…』

 『味噌汁です。体が温まりますよ。どうぞ。』

 『…フン』

 

 玉環(ユィファン)様は表情を変えずに、そっとお椀を持ち上げて味噌汁を一口飲んだ。玉環(ユィファン)様の黒く澄んだ瞳に淡い光がかすかに滲んだ。しかしそれには気づいていないふりをして、俺は話し続ける。

 

 『俺は日本生まれで、久しぶりに飲んでみたくなったんです。知ってますか、玉環(ユィファン)様?俺を治療したあの医者も、もとは日本人らしくてですね、日本の味噌をこの前分けてもらったんですよ。』

 

 俺が話している最中にも玉環(ユィファン)様はゆっくりゆっくり、味噌汁を飲む。大事そうに、そっと。玉環(ユィファン)様の瞳がまた少し濡れていくのを見て、俺はそっと立ち上がる。

 

 『あっ!俺、箸を持ってくるのを忘れていました!すぐお持ちしますね。』

 『…早く持ってこい。』

 『かしこまりました。』

 

 そしてさっさと部屋を出た。実際は盆の上に箸をおいてあるので、すぐに玉環(ユィファン)様も気づいてお使いになるだろう。

 

 玉環(ユィファン)様はもとは日本で育ったという情報を構成員から盗み聞きしたことがある。愛人が隠れて日本で産んだ子で、4歳の時に見つかり、この地獄へ連れてこられた。もしかしたらと思い、ここでも作れる和食を作ってみたが、成功だったらしい。

 

 …いや成功だったのかはわからない。あのわずかに潤んだ瞳に映ったのは、過去の幸せな思い出だったのか、それとも今に対する絶望か。もしかすれば、玉環(ユィファン)様は過去を忘れることで、辛い現状を耐え忍んでいたかもしれない。

 

 厨房へ向かう最中、窓の外に広がるきらびやかな夜景を見つめる。祖国とは異なる景色、煌めく灯りの下には無数の人々が行き交い、当たり前の日常を送っている。一方で玉環(ユィファン)様は豪奢な牢獄の中で生きている。

 

 (玉環様は四歳で家族から引き離された。それからずっと……)

 

 日本で過ごした幼い記憶—母親の手料理の匂い、家族との穏やかな時間—それらすべてを奪われた玉環(ユィファン)様。俺自身、公安として潜入任務に就く際に、過去をすべて捨てた。だが、それは俺自身の意思で捨て去った記憶だ。祖国の平和を守るために、大切な人々を守るために。でも俺の主人はそうじゃない。一方的に奪われ、捨てさせられた。俺はなんのために、警察官になったのか。俺はなぜ、この地獄に犬として連れてこられたのか。

 

 俺は鍋に残った味噌汁を温めなおしながら自問自答する。温かい味噌の香りが遠い故郷の記憶を呼び起こす。あの頃あった、平穏と温もりとこどもたちの笑い声。いつか、ここから抜け出し、日本へ戻る。そして、必ず連れ出す、この牢獄から、あの人を。俺はその夜、決意を固め、味噌汁を椀にもって、飲み干した。熱さと塩辛さでひりついた喉が、俺の決意の表れだった。

 

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