俺は部屋に戻り顔を水桶で顔を洗った。
服は盛大にワインを溢した様で、アルコール臭かった。
全ての服を脱いで、鏡の前に立った。
右頬が真っ赤に腫れていた。
改めてみると自分の身体が締まっていた。
ボクシングをまだ真面目にやっていた時の身体だった。
あの時は熱心に減量もトレーニングもしていた。
いつからこんな風になってしまったのか。
俺は鏡から離れ、男から貰った杖を手に取り見た。
杖には名前が入っていた。
『ミラー・スティールへ カミラより』
と書かれていた。
受け取った状況からして、かなりのワケアリの一品であることは確かだった。
カミラに渡すのはやめておいた方が良さそうだった。返してもロクな事にはならないだろう。
こんなセキリュティもクソも無さそうな所に宿屋に置いておくのも良くないし、処分を誰かに託したい気持ちもある。
俺は水を飲んで少し休んだ後、訳も知っていて処分も任せられそうな、アリア・スティルウェルの元に行くことにした。困ったときは飛龍の爪、アリア・スティルウェルの元へ。今度は天国に行ける様に融通して貰おうか?
俺はギルド長の部屋の本棚を指で撫でた。この部屋はどこも埃一つなく掃除されている。窓からは上ったばかりの朝日が見え、アリアの背中を照らしていた。
アリアは何かの素材を虫眼鏡で拡大して見ていた。
「朝早いな」
「やることが多いのよギルド長は。あなたも二日酔いの割には早起きね…」
今は受付の女とアリアしかこの建物にはいないだろう。
「この杖知ってるか?カミラがらみの物であることは確かなんだが」
「知らないわね。どこで?」
「酒を飲んだ帰りに男から『カミラに返してくれって』、顔のいい男だだったよ」
俺はカミラが作業をしている机の上に置き、刻印の部分を指差した。
「カミラの元婚約者ね。ミラー・スティール、うちで薬師をやってたわ」
「結婚するつもりだったのか?意外過ぎるな」
「残念な事になったけどね…」
「刑務所にいる間に別の女と結婚…と」
良くある話だった。結婚するのに3〜5年も待ってられる人間は少ない。
アリアは座るように促したが、俺は早く杖を押し付けて帰りたかったので座らなかった。
「今どこに?」
「知らないわよ。辞めて2年も立つし」
「ま、少し調べてみるよ」
「なぜ?」
「一回殴られてる」
「なんでよ。そんな人じゃなかったわ」
「自分で返せ玉無し野郎って言ったんだよ」
「逆恨み?」
「半分はね」
何か引っかかったという事もあった。自分で元婚約者とケリをつけられない男は往々にしてトラブルを持ち込むモンだ。居場所を調べておいても損は無いだろう。
「それじゃ、杖はここに置いてくよ」
「駄目よ、彼女に返してあげて。過去に向き合わないと前には進めない」
俺は黙り込んでアリアを見つめた。
「言いたいことは分かってるわ。今の彼女にそれを渡しても何もいい事は無い」
「だったらアンタが返してくれ」
アリアもまた黙り込んで俺を見つめた。俺は話を続けた。
「あんたがこの厄介ごとに俺を巻き込んだんだぞ。俺はこの国に来て2,3週間もたってない移民だ」
「それは分かってる」
俺は首を傾げた。俺は「それでは」と言って立ち去ろうとした。彼女は声を荒立てた。
「そんな事すでに言ったのよ!!私のミスで彼女は手と足を失い、婚約者と別れたのよ!?意味あると思う!?」
思わず「ほぉ」と言いそうになった。見ず知らずの移民に面倒そうな事を押し付ける割には良心の呵責を感じる様だった。
ふと、天使に「良く生きろ」と言われた事を思い出した。
少し話を聞いてやろうじゃないか。俺が仕事を受ける時のルールは一つ。依頼人が正直に全て話す事。少なくとも…そう見える事。
「俺はこの国に来て改心しようとしている。色々あってな。今まで…助けられる人間を助けず、見捨てるべきではない人間を見捨てて来たんだと思うよ。だから今ここにいる」
俺は彼女を見つめ椅子に座った。彼女もまた真剣そうな顔をしていた。
「あんたが正直に全て話す。俺は快くその厄介事を引き受ける」
彼女はぽつりぽつりと語り始めた。
「彼女はマシュ村から来た農民の子供だった」
彼女は声を小さくしながら語り続けた。
「退屈な生活に飽きて冒険者になりたいと…剣も魔法も私が教えた…物分かりも良かったから、面倒な仕事もお願いしてきた」
前世でもよくある話だった。田舎から出てきた田舎娘が、訳わからん女衒やら、マルチの詐欺師に引っかかる様なものだろう。同情しないわけでは無かった。誰かがもう少し世渡りを教えてやれば良かった物をとその様な人間を見るたびに思っていた。
俺は同情したが、彼女がそれで罪悪感に駆られる様にも思えなかった。
「それだけか?違法な仕事をやらせたのか?詳細は聞きたくない」
彼女は何も言わずに頷き言った。
「馬鹿で純粋な扱いやすい農民を良い様に扱った」
「罪悪感か?同情を引こうとしてないか?」
彼女が軽く持っていた虫眼鏡の柄にヒビが入った。
「人並みには頭に血が上るみたいだな」
俺は続けて聞いた。
「ミラー・スティールはどんな男だ」
「商家の2男、カミラとは釣り合わなかった」
「元農家の冒険者よ、高い教育を受けた薬師とは釣り合わないでしょ。ま、彼は家の反対を押し切って無理やり結婚しようとしたみたいだけど、牢獄に入ったことで婚約破棄に」
カミラが不憫な様な気もしたし、話を聞く限りますます杖を返さない方が良い様な気もした
「右腕と右足を無くしてから、荒れたのか」
「そう思うけど…分からないわ。ついでに婚約破棄に」
「事情はなんとなく分かった。この杖は返さない方が平穏だと思うが」
アリアは何も言わずに首を振った。過去を清算しないと前に進めないとでも言いたいのだろうか。少なくともカミラはそのタイプかもしれない。
「もし彼女が荒れたら俺はなんて声をかければ良いんだ?」
「申し訳なかったと伝えて」
「あんたの口から」
「伝えたわ」
「分かった。善処しよう」
状況を整理すると…
カミラはミラーという人間と婚約をしていた。それは社会地位的に釣り合うものでは無かった。彼女は冒険で失敗し、生活が荒れて牢屋に入った。その間に婚約破棄になり、ミラーは別の人間と結婚。
アリアは何故かカミラの人生の立て直しに俺を巻き込もうとしている。彼女が何をしても効果が無く、見ず知らずの移民に頼らないと行けないほど切羽詰まったのかも知れん。
単純な話だな。俺が知らない情報がゾロゾロ出てきたら話は別だが。
ドアの取っ手を掴んだ。俺はふと疑問に思ったことを聞いた。
「大事な人間を何故見ず知らずの移民に?」
「冒険者は信用出来ない」
俺がドアを開いた瞬間にアリアは続けた。
「マトモそうで、弱みを握られても『制圧できる』人間は少なくてね」
俺は中指を立てて出て行った。
ま、念のため杖を返す前に、ミラー・スティールに会っておきたかった。話さないにしても居所は知っておきたい。