俺は鼻歌を歌いながらシチューを混ぜているカミラに声をかけた。カミラは振り返ると俺の右手にある杖を見て、歯をきつく噛みしめた。俺はそれに気が付かないふりをして言った。
「名前は教えて貰えなかったが、男がさっきここに来て君に渡してくれと…」
カミラは一瞬だけ目を細め、唇をかみしめた。
それから小さく震える声で言った。
「捨てといてくれ」
「そうか…売って何処かに寄付する形でいいか?」
「…好きにしてよ」
カミラはそれ以上は何も言わず、俺から目をそらし、静かに厨房へと戻っていった。
そりゃそうか、まぁ、受け取るわけが無いよな。ここで売って金の足しにしている様な精神をしている人間ではないか。
自室に戻り、天井の板を外し杖をそこに置いた。俺は返せと言われている。後はアリアにでも相談するか。本心を言ってしまえば、勝手に売って酒代の足ししたい。
俺は厨房に戻り、カミラの背中に向けて言った。鼻歌はもう聞こえなくなっていた。
「事情は良く分からんが、何か思う事があるなら相談…いや、教えてくれないか?こういう事は何かのトラブルに繋がる」
嘘だ。俺は大抵の事情を把握している筈だ。こう言った方が話を聞き出しやすい。
カミラは生返事だった。
「まだ投げ出すには早い年だし、きっとやり直せる」
彼女は「アンタに何が」と言って俺を押した。その力は優しかった。
「前みたいにか弱い俺を突き飛ばさなかった。君はここに来て変わってる…と思う」
「……ありがとな」
カミラはそう言い俺の右胸を軽くたたくと作業に戻って行った。その日の彼女は黙って仕事をしていた。イシュメルが元気を出す様に声をかけてはいるが、効果は無さそうだった。
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その日の夜、俺はワインを飲みながらカミラが酒を飲みに行こうとしないか監視した。案の定というか、カミラはどこかに行こうとした。
「どこに行くんだ?」
カミラは俺に気が付いてなかった様で、驚いて振り向いた。
「何って…あんたに関係ないでしょ」
カミラは吐き捨てる様に言った。その表情はどこか虚ろだった。
「こういう時に出かけるといい事にはならない。良く知ってるからな」
俺はワインの瓶を掲げ言った。
「今日は俺と飲もう」
そう言うと、カミラの表情が戻った様な気がした。
「…分かったよ」
俺はカミラを机に座らせ、彼女のグラスにワインを注いだ。
「アンタはアタシが酒を飲んで帰ってこないと思ってるんだろ」
俺は何も言わずに頷きワインを飲んだ。正直、カミラが自分が周りからどう思われてるか理解している事に驚いてもいた。
「アタシの中でカタはついてる」
俺は「なら良かった」と言ったが、そんなわけが無かった。
俺は「30歳を越えてるんだから、様々な辛い事をやり過ごす術を学んでくれ」と言いそうになった。代わりに、全ての言いたいことを飲み込み頭を掻いた。
他愛のない話をした後に、カミラは俺に聞いた。
「で、アンタは?衛兵だったんだろ?」
「元な…やめて探偵っていう仕事をしてた」
「どんなのよ?」
「金を貰って人のトラブルを解決したり、人物調査をするんだ」
「冒険者みたい」
「いや、腕っぷしは無い」
「トラブったら?」
「口先を使って何とかする。基本はな」
俺は「腕っぷしがありゃ良かったんだが」と付け加えワインをすすった。
「何でこの国に?」
「最近事故で死にかけ、財産を全て失った。ある『人間』に助けて貰いここにいる」
概ね嘘ではない。俺は財産だけでなく命も失っている。ソイツは人間ではなく天使だ。俺はセラフィーの顔を思い浮かべた。
「たまたま、その『人間』はここに住んでてな。力を借りてここに住むことにした」
「それだけで?」
「俺が助かったのは神様のお陰だから、コレを機に『善く生きろ、別の場所で人生をやり直せ』と…」
カミラは珍妙な物を観るような目をして俺を見た。お望みならばもっと珍妙な話もしてやりたい気分だった。
「何ソレ?」
「 奇縁って奴だな。セラフィーっていう奴だ。会えば言うこと聞いて真面目に生きようって思うさ」
彼女が合うのは死んだ後だろうが…
「ま、俺にとっての転機はソイツで君の場合はギルド長のアリアさんだって事だな」
「確かにそうかも…あの人には良くしてもらった」
カミラが感慨深そうに言った。
「いつからの付き合いになるんだ?」
「15の時村を出てから」
確か生まれ故郷のマシュ村を飛び出して来たんだったか。
「アタシの師匠とも言っても良い」
つまみのナッツを口に放り込み俺はさりげなく言った。
「それで、今朝の杖の男はどんな人間だ?反社会的な…人物じゃないよな?」
「そんなんじゃない」
「金銭的な貸し借りもなし?」
「…昔婚約してた」
知っている。
「悪い事を…聞いたな」
「アイツは薬師の家の長男で、アタシはド田舎から来た冒険者…釣り合うわけも無いだろ?」
カミラはため息をついて、身体を強張らせた後言った。
「反対したアイツの家族が…、衛兵を使ってアタシを牢屋にブチ込んだ」
「どうやって知った?」
「本人から聞いたよ」
どの本人だ?衛兵か?ミラーか?それともミラーの家族か?これ以上触れない方が良いだろう、どうせミラー本人か、罪の自責に駆られた衛兵だ。
牢屋にブチ込むまではした事は無いが、他人のスキャンダルを暴いて、婚約破棄に追い込んだ事はあった。同情の余地もない奴だったが…。
因果が巡ってきた様な気分だった。神様は俺の事をよく見ていらっしゃる。
下を向いて長いため息をついた。
「正直に言おう」
カミラが不思議そうな顔をした。一瞬言うのを辞めようかと思ったが、話し始めた。
「大まかな詳細は知っていた。君へ言う前に調べた。衛兵の事は初耳だ」
俺はカミラの表情を観ながらゆっくり話を続けた。
「ギルド長のアリアさんに相談した時、あの杖は捨てようと思ってた…少なくとも昔の俺ならそうしたね」
俺は厄介事を避ける術を学んできた。人の内心をある程度推察する事もできる。そして今、一銭の得にもならない事をしている事も理解している。
「アリアに渡す様にと言われた。過去に向き合わないと前には進めないと」
カミラは唇を軽く噛み締めた。何も言わなかったが、何かを言いかけてそれを飲み込んだ。
「アリアは君の事を気にかけてる様だ…君は過去に向き合う必要があると彼女は思った。彼女との付き合いは長いんだろう?」
カミラは何も言わずに頷いた。
「30歳を越えた人間に金と時間を使って、人生を何とかしてやりたいと思う人は滅多にいない」
カミラは「何が…」と言いかけて口を閉じた。この後には「アンタに何が分かる」か「もう手遅れ」のどちらかだろう。
俺は自分とカミラのグラスにワインを注ぐと瓶が空になった。
「思ってる事を思ったまま口に出した事はあるか?」
「…当たり前だろ」
「俺は今までそんな事はしなかった。一銭の得にもならない。そして、それが美徳だとも思わない…が、俺を助けた人間は俺の事を『生きるのがお上手なだけのカス』だと…今だけ思った事をそのまま話そう」
カミラは「はぁ…」というと俺の話を聞く姿勢を見せた。
「君は…人の言うことを聞いて真面目に仕事が出来る人間だ。そして、アリアさんは君に恩を感じていて、君を助けようとしている。見事に歯車が噛み合っている、滅多に無い事だ」
「世の中、助けて貰えずに沈んでいくだけの人生を送る人間が殆どだ。せっかくのチャンスを無駄にするべきでは無いと思う」
カミラは言った。
「アタシが全部投げ出してどっかに行くと思ってる?」
「思ってるよ」
俺はカミラを見つめた。カミラは顔をそらした。
「どこかで君は酒で身を持ち崩す…君と同じ様な状況になった金持ちの男を探した事がある」
「アタシはソイツとは違う」
「そうかもな。そうなったら見つけてやるさ。得意だからなこういう事は」
予想に反して、カミラはその後も真面目に仕事を続け酒も飲まなかった。
そして俺は律儀にも杖を捨てる事も売ることもせず部屋に保管していた。