誰も居ない食堂で帳簿を付けていると、勢い良くドアが開いた。こういう扉の開き方をする奴はだいたい気狂いだ。
開いた扉の方に目をやると女がいた。銀髪の長い髪の毛に、二重の青い目、高い鼻にスレンダーな身体が強調された鎧。
その美しい女は、イシュメルの姉、カリーナだった。1日で俺を見つけたのは感心だ。社会性を失っている人間の割には。
「イシュメルがいますよね。ここに」
イシュメルは宿屋ではなく裏の納屋に隠していた。
俺は「今は帰ってきてません。また今度にしてはいかがでしょうか」と言うと彼女は帳簿をつけている俺の目の前に座った。
誰が挨拶も出来ない人間にイシュメルを引き渡すか。良識のある人間ならそうしないハズだ。
「それじゃあ、ここで待ってますね」
カリーナの目を見た。しっかりとこちらを見つめていた。
ここで引き下がるのも癪に障るし、なんとかカリーナにいったん帰る様、説得する必要があった。
無理そうな気もする。かなり頭のおかしそうな目をしているし。
「何も頼まないんじゃ、アンタをここに座らせてる必要も無いな…ワインやエールの1杯くらいは頼みな」
俺は嫌味ったらしく食堂に入ったのに何も頼まない事に対する皮肉を言った。イシュメルについて何か口をしたら、首が飛ぶような気もした。
「それじゃあ、俺はエールを」
「カリーナさん。あなたは?」
「私は必要ありません」
頼めよバカ。クソがよ。と言いたくなる気持ちを抑え俺は言った。
「リズボン!この綺麗なお嬢さんにワインを一杯、俺にはエールを!」
宿屋の主人のリズボンは『はいよ』と叫ぶとワイングラスとエールを持ってきた。
リズボンにはイシュメルが仕事中に怪我をした為、療養していると説明はした。最も彼女は信じていないだろうが。
リズボンはカリーナを見ると挨拶をした。カリーナは軽く会釈をした。
「ここにはよく来たんですか?貴族様が来るような店じゃないでしょう?」
俺はエールを受け取ると飲みながら言った。その問いは無視された。
「俺はジョン・リードだ。会うのは2回目ですかね?」
カリーナは何も言わなかった。出されたワインにも手を付けなかった。イシュメルと違い社交的では無い様だ。気が狂っているのも理由の一つなのかもしれない。
カリーナは何も言わなかった。段々と腹が立ってきた。
「ここを知る為に何をした?」
「街の人に聞きました」
脅迫まがいの事をしたんじゃないのかと言おうとしたが辞めた。
「普通の人間なら、消えてから1時間でここを見つけられる」
俺はエールに口を付ける。味がしない。俺はこの狂人を説得しようとしている。
「まず、イシュメルと仲が良い人間を聞けば一瞬だろ?つまり君は誰にも何も教えて貰えなかった。こんな簡単な事もな」
俺はエールを飲み干した。
「イシュメルだったら簡単に人に聞いて見つけたさ」
俺はカリーナが飲まなかったワインを手に取り一気飲みをした。酒よ俺に力を貸してくれ。
「こんな簡単な事も出来ない社会性が終わってる人間にイシュメルは任せられないな」
カリーナが体を乗り出し、俺の胸倉をつかみナイフを突きつけた。ゆっくりと俺を立たせた。大丈夫だ。ヤクザに日本刀を突きつけられた事もある。そのヤクザの方が正気だったが。
「人に刃物を突き付けるのはマトモな人間のする事じゃないな」
カリーナは機械の様に淡々と言った。
「イシュメルを呼んで下さい」
「刃物を出すような人間は合わせたくないね、アンタみたいなイカれ野郎だと特に」
カリーナはナイフを鞘に戻すと、背負い投げの様な要領で俺を投げ飛ばす体勢に入った。
馬鹿なのかこの女?
俺はそんな事を考えながら宙に舞い、机に思い切り背中から叩きつけられた。木が割れる音が聞こえる。肺から空気が一気に抜けた。痛みはそれ程では無かった。
カミラよりキツイ一撃だ。
---
俺は兄を見ながら言った。兄は深酒をしていた。
「だいぶ飲んでるな。よく一人でここまで飲めるな」
兄は曖昧な声で「黙れ」と言った。
親父も母親も高卒だった。そして俺も高卒だった。家族3人そろって勉強が出来ず、スロットが好きだった。
兄はキックボクシングで人をぶん殴って、スロットで遊ぶ俺をバカにしていた。仲が悪いワケでは無かったので、特に反抗心も無かった。
兄が一人だけ読書が好きで、勉強も出来た。バカ家族を軽蔑してるようでも、恥じている様でもあった。
兄が東京の大学に行こうとした時、両親は反対しなかった。学費も出したし、一人暮らしの金も出した。
反対されなかったという事も、気に食わなかった様だった。バカは大学に反対すると思ってたのかも知れない。
両親に変なこだわりは無かった。かなりフラットな人間で、俺もその血を継いでると思う。
家族の中で兄だけが何かにこだわっていた。
兄は大学を卒業し、あるIT企業に入った。パソコンの事はよく分からないので、どんな仕事かは想像出来ない。
その日から兄は病的な酒の飲み方をするようになった。
仕事がかなりストレスになっていて、性格的に向いてない事は明らかだった。
俺は東京で会う度に、何度か仕事を変えたらどうかと言ったが聞かなかった。
何かのプライドがそうさせたのだろう。正直言ってその固執する意味が理解できなかったから、諦めた。
兄は酔いながら呟いた。
「俺はお前みたいな出来損ないとは違うんだよ」
俺は「はいはい」と言ってハイボールに口をつけた。