冒険者ギルドを出るとすぐに「サマンサ宿」があった。
宿は10部屋くらいありそうな木造建築だった。
宿の従業員がまともな人間であることを祈りながら宿の扉を引いた。今日はもう殴られたく無かった。
宿は受付と食堂が同じ部屋にあった。席は20席くらいあった。カウンター奥の厨房で細身の男がシチューのような物を盛り付けていた。
食堂では冒険者がひとり食事をとっていた。食べ方が結構汚かった。イヌ食いというやつだろうか。
恰幅の良い中年の女が受付にいた。まぁ、おそらくこの女がこの宿の所有者だろう。
女は俺が入ってきたのを見つけると声を張り上げた。女の手は太く、手の皮は分厚くなっていた。
「はいはい、新しい冒険者の方?」
「いや、ただの移民です」
「じゃ、今日来たばかり?」
「ええ、今日移民管理局に行ったばかりで」
女は同情的な目で俺の顔を見ながら言った。
「色々災難があったみたいだね」
「2人に殴られたんだ、一人は知り合いに、一人は冒険者に」
「ま、そのうち良いことあるわよ。そんで何でよりにもよってこの街に?」
『よりにもよってこの街に』ってこの街はそんなにヤバいのか?自虐できるだけ分、マシではありそうだが…
「知り合いがこの街にしかいなくて、手続きして初めて領地の外に出れないことを知りました。まるで罠だ」
女はカラッとした感じで笑った。
「移民あるあるね。移民はあの女領主に騙されてここに来るのよ」
人を騙す行政機関。最悪な世界だ。とりあえず笑っとくか。
「ハハ、移民管理官のミカエルさんの紹介でここに来ました。ジョン・リードです。家が見つかるまでここに泊まろうかと」
「あぁ、あの愛想の無い人。たまにあなたみたいな移民を紹介してくれるのよ。私はリズボンよ。よろしくね」
ミカエルはどうやら誰にも愛想が無いらしい。たまに他にも移民を紹介してくれるという事は、俺みたいな救済対象者がその中に混ざっていると考えていいだろう。会えるといいのだが。いや、別に会いたくは無いな。
「それで、その女領主はそんなに人手が欲しいのか?」
「頭が良くて気もきく人を、領地の管理官としてほぼ無理やり連れていく程度には」
管理官って事は恐らく公務員だろう。公務員の人気が無く誘拐して人を補充するってのはどういう事だ?公務員が人気ないってことがあるのか?この世界の公務員はかなりブラックなのだろう。
「それって、断れないのか」
「ま、断れば領主に対する反逆罪として監獄に行くか、魔法も使えて腕っぷしも強い衛兵にボコボコにされるかね」
公権力を持ったヤクザと言った所だろうか。息苦しく、暴力による支配が行われている場所か。一般市民が徒党を組む理由も分かる。俺も早いトコ『友達』を見つけないとな。
思わずため息が漏れる。でもまぁ、何とかなるだろう、今までの人生も何とかなってきたんだ。
「まぁ、ここにしばらく泊まるよ」
「1泊3000レーニよ」
俺は鍵を受け取り、店主に聞いた。
「移民組合のヴィトーさんはどんな人たちなんだ?昼飯をごちそうになった」
「普通の移民組合ね」
「こんなこと言うのもアレだが、違法な活動な従事しているか?」
リズボンは笑って言った。
「まぁ、あの二人は風体も悪いし喧嘩早いからね…別に犯罪はしていないわ、移民組合に入ってもソンは無いと思うわ。それと、ヴィトー兄弟に通されたって事は、あなた文字を書けるの?これ書いてみてよ、適当で良いからさ」
リズボンは「リズボン・ホスビス氏、冒険者ギルド『飛龍の爪』に関する素行調査書、自由記載欄」と書かれた紙を出した。俺は羽ペンを手に取って『飛龍の爪のメンバーの素行の悪さは特に無い様に思える。食べ方汚い事は気に入らないが』と書いた。
リズボンはそれを見てカラカラと笑った。
「なら、せっかくだしウチで働く?下宿も空いてるわよ」
文字を書ける人間はこの世界では思ったより少ないのかも知れない。渡りに船とはこの事だが、労働条件等を聞いていなかった。給料の相場も分からない。
「給料はどのくらいだ?」
「ひと月5万レーニね、食事下宿代はタダよ」
ひと月が30日で宿泊費は3000レーニだと考えると恐らくかなり安い金額だろう。かなり足元を見られている。ただよく知らない世界で仕事を探して家を探す。身近にこの世界の事を知っている人間が近くに居ると考えると良い条件かもしれない。
「実を言うとその給料はかなり安いんじゃないですか?」
「そりゃそうよ、うちは余裕ないんだから」
リズボンのあまりの正直さも気に入ったので、暫くここで働く事にしよう。
「よし、ここで働かせて貰っても良いですか?」
「よしきた。うちの宿屋で働いたっていう証明はいるかい?」
「えぇ、もちろん」
リズボンは淡く光るハンコを取り出した。
「手を出しな」
自分の移民情報を刻み込んだのを思い出した。なるほど、職歴も魔法で体に刻み込むことのできる世界か。夢がない。もっと華やかな魔法をかけてもらいたい。
リズボンは俺の顔にある青痣を見て言った。
「それでどんな冒険者に殴られたんだい?」
「銀髪の子供です。鎧は革と銀で出来てた。衛兵と取っ組み合いになったのを止めようとして、顔面に打撃が飛んできた」
以前に警官をやっていた割には、子供一人止められなかったと言うのは情けない話ではあったが、まぁ、ここでは何かの能力が前にいた世界と違うのだろう。そもそも、俺が善人だったらイケイケの能力を神から授かってよろしくやれていただろう。
「あ〜、そりゃイシュメルだね」
「分かるのか?」
「まぁたまに来るからね。昔は行儀良かったんだけどね。今じゃダメダメ、反抗期って奴かしら」
「反抗期でも見知らぬ人間には刃物は向けませんよ。つるむ人間がダメなんでしょう」
俺がそう吐き捨てるとリズボンは若干悲しそうな顔をした。その中には諦めの気持ちも混じっている事が読み取れた。この宿屋のカウンター越しに、ままならない人生の中で、どうにもならなくなっていく人間を山程見て来たのだろう。
「ま、そうでしょうね…やっぱり、あの歳で冒険者ってのは勿体ないね」
俺はこの世界の事情を知らないから何も言わなかった。
「アンタ元衛兵か何かだろう?今度あの子に会ったら何か言ってやりなよ。ロクデナシはたくさん見てるだろうし」
「まぁ、ここに来る前はそれに近い職業をやってましたよ。良く分かりましたね」
「顔に衛兵だって書いてあるよ」
俺は軽く笑った。衛兵では無く警察官であると言っても彼女はピンとこないだろう。
「別の仕事で人のトラブルを解決して小銭を稼いでましたが…経験上、人は人の言うことなんて聞きません。強い意思があるなら別ですが」
「トラブルでモミクチャになり、にっちもさっちも行かなくなった後、泣きながら助けを求める様になり、ようやく言う事を聞くようになります」
俺は探偵事務所に来た様々な泣きっ面を顔に張り付けた依頼人たちの表情を思い浮かべた。そのイシュメルとか言う子供が泣き面を浮かべて依頼人になる様な事があれば、何かの忠告をしてやらんでもない。
「そうなる前にあの子は死んじまうよ…いつも一人だし、あんな貴族の家で育った子供じゃギルドには馴染めないだろうし」
貴族という言葉に疑問を覚えたが、俺は気にしないことにした。「分かった今度あったら考えておくよ」と社交的な言葉を言って、リズボンとの話を打ち切った。
リズボンに移民組合へ加入するための書類を書いてもらった。
リズボンが書類を書いているのを眺めながら警官時代に補導した不良少年たちの事を思い浮かべた。沈み込んでいくだけの人生を送る彼らに気の利いた熱い言葉を送ってやっていれば、俺は天国に行けていただろうか。
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異世界に来て一日で仕事と住む場所が決まったんだから上出来と言える。
ケチという噂のある宿屋で働くことになった事実には目を瞑ることにしよう。
なんの背景もない移民の初仕事にしては上出来だ。
そう思いながら、移民組合事務所の天井を眺めた。サマンサ宿で仕事を決めた後に、俺は移民組合加入の為に移民組合長のビスの所に戻った。
ビスは書類に不備が無い事を確認した後、白いシャツにインクが付いていない事を確認し、俺に言った。
「今日の昼前に一緒にご飯を食べたばかりなのに、夕方には顔面に二つもアザを作ってるとはね」
「一人は知人の逆鱗に触れて、一つは冒険者と衛兵の喧嘩を止めようとして」
ビスは合点がいった様な顔をした。
「なるほどね、君が通りを担がれて運ばれていたのはそういう事か」
「恥ずかしい限りです。一応、そういった事に対処する訓練をしていたのですが」
「へぇ、衛兵でもしてたのかい?」
「ま、似たような仕事です。統治者の治安維持機関に加わっている点では同じですが」
これ以上殴られたことに関して言及されたく無かったので俺は話を変えた。のされて誰かに運ばれたのならば、なおの事だった。
「それで、移民組合の活動は?」
「週に一回は移民地区の見回りに参加してもらうよ。あとは、頼みごとをするかもししれない」
「頼み事って?」
「犬が逃げ出した。とか子供が家出したとか。かな」
「前の仕事とそんな変わりませんね」
俺がつまらなそうに言った事が気に障ったのか、ビスは一瞬眉間に皺を寄せ、右手の爪を眺めた後言った。
「それで、冒険者ってのは誰なんだい?」
「イシュメルっていう子供らしいです、歳は15にもなっていないでしょう」
「子供の冒険者?どこのギルドだ?」
ビスはポカンと口を開けて俺を見ていた。何かおかしいと言った表情だ。確かに冒険者という職業がドラゴンやゴブリンと戦う業種なら、彼は児童労働と言うよりは少年兵と言った扱いに近いのかもしれない。
「飛龍の爪という冒険者ギルドです」
「アリアの所か?彼女が子供を冒険者にするとは思えない」
「それは、ポリシーとして?法律としてですか?」
「ポリシーとして、だね」
アリアという人間については知らないが、ポリシーなんてものは1万円札5枚で売り払えてしまうという事は、俺は良く知っていた。
「ま、抜き差しならない事情があったんでしょう、彼は貴族とやらの子供らしいですし」
「貴族の子供か…口減らしの5男か、妊娠させたメイドの子供かのどちらかだろうね」
ビスは勢いよく息を吐き、忌々しそうに吐き捨てた。
「貴族や騎士ってのは嫌になるよ。好き放題子供を作っては出来損ないを庶民の組織に押し付ける。最低な連中だ」
俺はその発言に何も言わず、首も動かしはせず、微笑を浮かべた。学んだ処世術の一つだった。
移民事務所下の食堂の店主であるモスがワインと煮た豆を持ってきた。相変わらず入るときにはノックはしなかった。
豆はやたらしょっぱく、ワインは酸味が利きすぎていた。