学園艦のある場所。怒気を含んだ足音があたりに響き渡った。
誰も彼女に近づこうとしない。
それが余計に彼女の気にさわった。
「カチューシャ様、怒ってるだ…。今は近づがねぇ方がいいだ…」
「んだんだ」
──全部丸聞こえよ!
「ちょっとあんたたち! T-34/85を見なかった!?」
「ひっ…そ、それは車庫にたくさんあるでねぇですか?」
「ちっがうわよ! 私のT-34/85のことよ!」
T-34/85。
T-34の車台に大きな砲塔と強力な85mm砲を搭載した、強化型中戦車。
従来のものとは異なり、主武装の85mm砲はティーガーⅠやパンターなんかの装甲は軽く貫けられるほどの火力を保有。
T-34シリーズの特徴である「傾斜装甲」を継承しており、敵弾を剃らすような防御力と軽量化を果たしている。
雪原だろうが泥濘だろうが、ところ構わず突っ走る走破性もあり、機動力も申し分ない。
私も搭乗している、我がプラウダ高校の誇る主力戦車である。
だけど今は
「まだ直らないの!? 整備部の奴らはなにをしているの!?」
サンダースとの親善試合で損傷したので、修理に出していた。私の乗っている、愛戦車がだ。
そして修理からはもう既に一週間。まだ私の元に戻ってきていなかった。
そのことに私は苛立ちを隠せなかったのだ。
「もうっ!!」
「──どうしました?」
すると騒ぎを聞き付けたのか、背の高い女の子が現れる。
この娘はノンナ。
私の大事な同級生。見た目通りクールな性格をしていて、周りからは「ブリザードのノンナ」という異名で恐れられている。
戦車道では、副隊長を務めていて、チームをよく支えてくれている。私が信頼を寄せる人物の一人だ。
「聞いてよ、ノンナ!」
「聞いてますよ、同志カチューシャ」
「私のT-34/85が帰ってこないの! これじゃあ訓練もできやしない!」
「この前、修理に出したやつですか?」
「そうよ!」
なんでこんなにかかるの。
理由次第では、シベリア送りにしてやるんだから!
「確か……調整用の工具とパーツが足りないから直せないと、整備部からは聞いていますよ」
ならどうすればいいのよ!
──カチューシャがそう言おうとした時
「だから呼んでおきました」
え。
「誰を…呼んだの?」
私が聞き返すと、ノンナはにこりと微笑んだ。
嫌な予感がする。
「網走から整備士さんをです」
その言葉を聞くやいなや、私は戦車庫まで駆けだしていた。
網走は、私の故郷…。
まさか…。あいつが来たの?
すると、だんだんと油と鉄の混じった匂いが強くなってくる。戦車庫はもうすぐそこだった。
そして戦車庫に足を踏み入れると、プラウダを支える大事な子たちの中に、私の乗っているT-34/85があった。
そしてその近く、工具箱を持ったツナギ姿の青年が静かに佇んでいた。油で黒く汚れているグレーのツナギを着ており、見るからに整備士といった風貌をしていた。
その姿は、嫌というほど見覚えがあった。
「トロイカ!」
私がそう呼ぶと
「ん…?」
此方を向いて、男は白い歯をこぼした。
一見すると、キラキラとした爽やかな好青年に思えるのだが
こいつは違う。
「あっら~!? カチューシャちゃん!! 久しぶり~!」
なんで、こいつがこんなところに…。
「あらー、まーた大きくなって~! ん? いや。大きく…ん? 遠近法か?」
最悪だ。最悪すぎる。
「うっさいわね…」
「まあー、相変わらずちっちゃいままなのねー!」
「その、親戚のおばちゃんみたいなノリやめなさいよ!! うっとおしい!」
「どしたん、話きこか?」
「…目線を合わせるなー!」
こいつはしゃがみ込み、私と同じ目線になって喋り始めた。
子供扱いされているようで腹が立ち、私は地団駄を踏んだ。
「そのままの君でいて」
「なんであんたがここにいるのよ!」
こいつはトロイカ。
悔しいが、認めたくないのだが、私の幼馴染である。
地元の網走で、小さな頃からの(誰が小さいよ!)知り合いだ。家も近くだったから、この私が、よく遊んであげていたのよね。
今は地元の専門学校に通っていて、さまざまな機械技術のことを学んでいる。子供の頃から、男のくせに機械いじりが好きな、少し変な奴だ。
そんな男が、会いたくもないのに、プラウダ高校に来ていた。
「修理を頼まれたからな」
「げっ。来なくていいわよ」
「もー、そんな照れちゃって~。かわいい」
「照れてないわ!」
「ばぶばぶー!」
「こいつっ! しゅくせーっ! こいつ、しゅくせいしてやる! 絶対に!」
戦車庫の中で、私の叫び声が響き渡った。
「…ここでしたか」
するとノンナがこちらへやってくる。
丁度いいところに来たわ。
「ノンナ! こいつをしゅくせいよ! シベリア送り25ルーブルよっ!!」
「いえ…それは」
ノンナは少し困ったように眉を下げた。
いつもなら私が命令すれば、すぐにでも動いてくれるのに…。
なんだか今日は違った。
「相変わらず舌足らずな感じだな。文字起こしすると、粛清がひらがなで書かれてそう。しゅくせーしゅくせー、ははは!」
トロイカは両手の指でこちらを指し、げらげらと笑っていた。
「ほらっ!! こいつ!! 本当に!! カチューシャを馬鹿にして!!」
私はノンナの服を引っ張りながら、まだ笑い続けるトロイカのことを指差した。
こいつ、本当にむかつく。腹が立つ。
「いえ…」
「ノンナ!?」
だがノンナは静かに首を振るだけだった。
またしても私の言うことを聞かなかった。いつもは私を馬鹿にする奴なんて、命令ひとつですぐに粛清祭りだというのに。
私の幼馴染だから遠慮しているのだろうか。
──それとも
「お久しぶりですね。トロイカさん」
ノンナは一歩前に出て、落ち着いた声で言った。
「おー、ノンナさん。連絡ありがと」
笑うのを止めたトロイカは、いつもの調子で軽く手を振る。
「整備の方は?」
「インジェクションポンプやノズルの調整。その他もろもろのパーツを取り替えて、まあ、今すぐ自走できるくらいにはなったんじゃねぇかな」
「ありがとうございます。費用の方は後日、振り込ませて頂きます…」
「いいって。こんくらい」
ノンナとトロイカは私を差し置いて、ペチャクチャと喋っていた。
その光景を横から眺めていると、何かは分からないが、どこか胸の奥がチクリとした。
「ど、どうしてこいつを呼んだのよ!?」
そんな胸の痛みを振り払うように、私は二人の間に入った。
「すぐに駆け付けられて、腕も良く、我がプラウダの戦車事情に明るい彼を呼んだまでです。それにカチューシャも会いたかったですよね?」
「は!?」
「そうなんだー。カチューシャちゃんも素直じゃねぇな」
「そんな訳ないでしょ!」
こいつの顔など一ミリも見たくない。
「~っ。もう部屋へ戻る!!」
我慢の限界が来ていた私は、ついに戦車庫を後にした。
「行っちゃった」
「そうですね」
カチューシャの後ろ姿が見えなくなると、二人は呟いた。
「ではノンナさん、行きましょうか。約束通り」
「はい。トロイカさん…。ずっと会いたくて、仕方がありませんでした」
「俺もですよ」
二人は意味深なことを呟きながら、戦車庫から出ていき、吹雪の奥へと消えていった。
───
部屋に向かう。
イライラが胸の奥で燃え上がり、踏みしめる足に力が入る。
──どうしてあいつがいるのよ!
地元にいた頃と同じだ。小さな時からトロイカは私をからかい、けらけらと笑っていた。それはずいぶんと楽しそうにね。
どんな時も、どんな場所でも、あいつはそうだった。
最近は網走にも帰れておらず、ふと郷愁を覚えることもあった。トロイカの、あの絡みも少し恋しいなとも思っていた。
でもやっぱり駄目だ。
トロイカは天敵だ。カチューシャを舐めている。
──えぇ? 本当だか?
──んだ。ちゃんとこの目で見たべ
──ああ、私も見たよそれ
廊下を歩いていると、周りがざわついていた。何かは分からないが、噂話で盛り上がっている様子だった。
気になった私は、強い口調で生徒に問いかける。
「ねえ!」
「ひっ。な、なんですか? カチューシャ様」
何を喋っているの、と問い返すと、彼女たちはばつがわるそうに視線を逸らした。
声に含まれた秘密めいた空気が、いっそう私の苛立ちを加速させた。
「…このカチューシャにも言えないこと?」
「あー…」
「はっきりしなさいよ! 言わないと、シベリア送り決定よ!」
「ひー! い、言いますっ!」
生徒は怯えきった表情をしながら、ため息を吐いた。どうやら観念したみたいだ。
さあて、噂話は何かしら。
「知ってますか? ノンナさんのこと」
ノンナ?
意外な名前に、虚をつかれた思いがした。
「…ノンナさんに彼氏ができたらしいんです」
えぇっ!?
──と、普通は驚くのでしょうけど。
この噂話の真相が、私には分かっている。
「…それは勘違いよ」
「え?」
「ノンナの隣にいるのは私の幼馴染。トロイカっていうの。戦車の修理に来てくれただけ。ノンナといたのはただ、戦車について話してただけじゃないかしら」
みんな勘違いしていると思った。
「そうなんですか?」
「そうよ」
「…でも、すごく仲良さそうでしたよ」
「んだ。ノンナさんの笑った顔なんて、初めて見ただべ」
二人の生徒が顔を見合わせながら、そう言った。
「え…? ほ、本当?」
「んだ!」
「──あと、他の子が見たらしいですけど、ノンナさんの部屋にも入っていったみたいですよ。二人っきりで」
──それは
「違う!」
私は動揺のあまり、拳を勝手に振り上げていた。
硬い壁を叩いた音が、部屋の静寂に響く。
「ひっ…!」というような声を上げた女子生徒は、私を怯えた顔で見つめていた。
「違うわよ……」
自分に言い聞かせるように呟く。胸の奥が熱くなる。息が乱れる。
気づけば、私はノンナの部屋へと足を向けていた。
──
部屋の前に立つと、心臓の音がうるさいほどに鳴り響いていた。
そんなはず、ない。
二人に限って、そんなことあるわけがない。
というか、そんなに接点があったかしら、あの二人。
だから絶対に違う。
必死にそう思いながら、震える手でドアノブを掴む。
しかし、その瞬間。
中から楽しげな笑い声が聞こえてきた。若い男女の声。たぶん、聞き間違いだ。聞き違いに決まっている。
そう思いながら、いや、思い込もうとしながら、私はドアノブを強く捻った。
「……」
息を呑み、力が抜ける。
中では、テーブルを挟んで向かい合う二人がいた。
微笑みながら、何かを語り合っている。
その光景が、胸の奥をぶすりと貫く。
私は一歩、二歩と後ずさりし、音を立てないよう部屋を後にした。
───二人のあんな顔、初めて見た。
───
「Что случилось?(どうしました?)」
廊下をとぼとぼ歩いていると、突然ロシア語で話しかけられた。見上げると、金髪碧眼の綺麗な女の子が立っていた。
彼女はクラーラ。
ロシアからの留学生であり、私の戦車道チームに属している同じ仲間だ。
「だから日本語で……話しなさいよ」
「どうしました、カチューシャ様?」
「なんでもない」
私が冷たく返すと、小首を傾げるクラーラ。
「そんなことないですよね? カチューシャ様」
優しく語りかけてくる彼女に、私はなんだか安心して、目尻が熱くなった。視界がにじむ。
「誰かになにか言われましたか?」
クラーラがそっと膝をついて、私の顔をのぞきこむ。彼女の瞳に、私の小さな姿が映っていた。
私は腕で乱暴に目をぬぐう。
「なにもないわ」
「……もしもカチューシャ様を傷つける人がいるなら、私、どうなるかわかりません」
怖。
「ど、どうなるの…?」
「Утоплю в Байкале(バイカル湖に沈めます)」
意味は分からなかった。けれど、彼女にしては珍しい、とても冷たい声色で、背筋がゾゾっと寒くなった。
恐ろしかったので、それ以上は何も聞かないことにした。
「…ありがとね。クラーラ。カチューシャの味方は、あなただけよ」
そして、私は自分の部屋に戻ることにした。
以前書いたやつを、読みやすいようにまとめました。
読んでくださりありがとうございましt