戦神騎士物語   作:神父三号

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第12話 ローランの道・川渡り

 若頭と杯を交わした、翌朝。

 

「昨日はだいぶ深酒したもんだなぁ、レオンさん。うちの若頭、まだイビキかいてて全然起きやしないって、ビアンカの姐さんが笑ってた」

「そりゃ悪いな。魔物が来て人死にがあった日だったってのに、歓待をさせちまった」

「構わねえさ。怪我人の治療も屍の弔いも、きっちり済ませた上でのことだったんだ。村の恩人をもてなすのは、村長代理として当然のことだよ」

 

 村から離れた森へと向かう、なだらかな斜面を上がりながら、ローランは案内役の若者と話す。

 縄と食糧の入った大袋を担いでいるその男は、自分より少し年下の、二十歳前後に見えた。

 肌がよく日に焼けており、背格好も中々逞しい。

 ナツメはフードを目深に被り、ビアンカに貰った剣を腰に携えて、ちょっと小走りでついてきている。

 先頭を行く若者の歩幅が大きく、歩みも若干速いためだ。

 

 結局、酔い潰れたままの若頭の代わりに妻のビアンカが面倒見よく仕切って村人達を集め、ローラン達に村として助太刀の礼をすることを話してくれた。

 その内容に関して特に異論は出ず、その上でこの若者が、森への案内役を自ら買って出たのだ。

 

「レオンさんは、酒残ってねえのか?」

「まあ、少しだけ残ってるかな」

「少しだけかー、すげえな。若頭が潰れるまで呑んだんだろ? あの人、結構酒強いのに」

「宴の酒ががっつり後に残るようじゃ、やっていけない生業だからな。少なくとも、頭はちゃんと動いてる」

 

 ローランは若者の背中をじっと見据えて、かけるべき言葉をかけた。

 

 

「あんたの武の気配も、同朋の気配も、しっかり分かるぞ」

 

 

 若者が立ち止まって、くるりと振り返った。

 笑って見送ってくれた他の村人達と特に変わらない、どこにでもいる平凡な顔立ちの男だ。

 

「昨日の弓、見事だったぜ。上手く一匹数を減らしてくれたおかげで、面倒な芝居がだいぶ楽になった」

「なんだ、全部気づかれてたか。流石だなぁ、やっぱり」

「?」

「……ナツメ、ちょっとだけこいつと二人で話させてくれ。出来れば、背を向けててほしい」

「え? あ、はい」

 

 状況が全く呑み込めてなさそうなまま、ナツメは素直にローランと若者からそれなりの距離を取った。

 

「大砂漠の下の……だな?」

「ああ、そうだ。"砂粒"だよ、レオンさん……いいや、戦神騎士ローラン殿」

 

 その場に跪こうとした若者を、ローランは手で制した。

 

「俺は直接あんたらとやりとりするのは初めてだが……まさか"砂粒"が、川の民にまで上手く潜り込んでるなんてな。生き方が全然違うだろ? よくバレないな」

「爺ちゃんの代から、あの村に混じってんだ。婆ちゃんだって母ちゃんだって、普通の村人でさ。半分は川の民なんだよ、俺は」

「そうか、道理で」

 

 昨日、三匹の魔物と戦っていた時、ほんの一瞬だけ強い武の気配が発せられたことに、ローランは気づいていた。

 その気配を発した者が、他の弱い矢に混じって非常に狙いが正確で強い矢を放って、さりげなく魔物を仕留めたことにも。

 しかし、それがどの村人なのかまでは、ローランにすら特定できなかった。

 はっきりと分かったのは、目の前の若者がローラン達の案内役に手を挙げ、村を出て森への道中を歩き始めてからだ。

 それまで隠していた武の気配と、同朋たる戦神の民の気配を、若干ながら醸し出したのである。

 それでこの若者があの矢を放った者で、かつフォルラザの旧き同盟者である諜報集団"砂粒"の者だと分かった。

 

「ヴァルゲンで待ってた"砂粒"の同朋がさ、中々あんたが来ないって心配してた。イオ様はもうヴァルゲン抜けたのにって」

「イオに追い抜かれちまったか。まあ、仕方ねえな」

「それで俺も、父ちゃんに言われてちょっと動こうとしてたところに昨日、急にうちの村へ助太刀にやって来るんだもんな。しかも、ヴァルゲンの傭兵だなんて大ウソこいて」

「戦神の加護はちゃんと消してるし、人目も欺いてるのに、よく分かったな」

「俺は半分川の民っつったけど、当然もう半分は戦神の民だ。爺ちゃんや父ちゃんに、こっそりこってり鍛えられてる。諸々の誤魔化しが入ってても、同朋の気配くらいはちゃんと分かるよ。それにちゃんと、"砂粒"の自覚も誇りもある。戦神騎士の生き残りの情報については、とっくに共有されてるしね。大剣使いの戦神騎士の男、しかも戦神の加護をあえて消してるってなれば、それはローラン殿だけだろ?」

「……ああ、そうだな。大当たりだ」

 

 "砂粒"の若者は自慢げに、鼻を擦った。

 

「へへ……だからさ、明らかに戦神騎士なお人が死ぬほど手加減して戦ってたから、逆に見ててハラハラしたよ」

「昨日のあれは、仕方なかったんだ。大剣であのデカさの魔物三匹をまとめて吹き飛ばしたら、ただの傭兵じゃないことは一発でバレちまう。悔しいが、大陸南方はもうほぼオズワルドのものだ。だから南方の村に、戦神騎士との関わりを迂闊に持たせたくなかった。もしもオズワルドがあの村に来た時に、若頭が口を噤んでも、他の奴らが同じように出来るとは限らないからな。あんただって村に死人が出てたのに、ギリギリまで弓の腕を隠してたろ」

「……まあね。死んじまった村の仲間達には悪いけど、川の民の有り様と戦神の民の有り様はしっかり分けてんだ。だからああいう時は、川の民相応なことしか出来ねえんだよな……攻め込んできたのが夜とかなら、こっそり始末もしたんだけど。俺別に、村一番の弓使いみたいな立ち位置やってねえからさ。でもこれ以上村の仲間がやられるのは、流石に見てられないなって……」

 

 若者は若干俯き、自嘲の笑みを浮かべた。

 

「なーんて、そんなギリギリでローラン殿がすっ飛んできてくれて、ホント助かったよ。どさくさの中で上手いことやれた。ありがとな」

「ん。まあ、持ちつ持たれつだな」

「はは……にしてもあんた何で素直にヴァルゲンへ行かないで、わざわざこんな東まで来てるんだ? 目的地は、探究の国ラガニアだって聞いてるよ?」

「……あの連れを、ヴァルゲンを通らずに、ヴァルゲンの北の山へ連れていく。そういう約束をしてる」

「へぇー、あの子を? そりゃまた何で。なんかすげえ可愛いっぽいのは、何となく分かるけど」

 

 若者がローランの肩越しに、フードを被って背を向けているナツメをじろじろと眺めた。

 

「……個人的に、大きな貸しがある。それだけだ。それとあの連れの容姿については、他の"砂粒"にも戦神騎士にも共有しないでほしい」

「なるほど、了解。まあ、深くは詮索しないよ。"砂粒"はあくまで、戦神騎士の同盟者だからね」

「そうしてくれると助かる」

「ん……おっ、来た来た。ごめん、ローラン殿。ちょっと背を向けててくれるかな」

 

 ローランは言われた通りに、坂道を上がっていく若者に背を向けた。

 何かが来たらしいが、それらしい気配は一切感じない。

 視線の先でナツメがこちらを振り返っていて、不安そうな表情を浮かべていた。

 気にしないようにと仕草を送ると、ナツメはそわそわしつつもまた背を向けた。

 

「お待たせ。はいよ、これ。旗持ちのノーラ様からの手紙」

「ノーラからの? いきなりだな……」

「そりゃまあ、昨日のうちにヴァルゲンの"砂粒"へ一報入れといたからね。本当はヴァルゲンで渡すつもりだったんだ」

 

 ヴァルゲンは、ここから西に徒歩で数日以上かかる距離だ。

 ローランが全力で駆けても、質の良い馬を走らせても、到底一日では往復のやりとりなどできない。

 どうやって昨日のうちに連絡して、今日の朝この手紙を持って来させたのだろう。

 そんな疑問を抱きつつも、ローランはノーラからの手紙を広げた。

 力強く丁寧な文字で、伝達すべき事項が簡潔に書き上げられている。

 

 

 生き残った戦神騎士で唯一の旗持ちである赤髪のノーラが、グリムロ副長の了承の元、今後は正式に生き残りの先頭に立つこと。

 その上で、戦神の軍の再起と竜神の国オズワルドへの復讐を目指すこと。

 ノーラ自身はニコルと合流し、大山脈を抜けて大陸西方のマーブリス領に入ること。

 各自の動向は逐一、"砂粒"を通じてこちらに共有すること。

 何か連携が必要な場合、危機に陥った場合はすぐに伝達すること。

 

 

 伝達事項はそれで終わりのようだが、その後ろに何やら長文が書かれていた。

 

 

『ローランへ。戦神の託宣によって選ばれた私とお前が、共に陛下の御前で戦神騎士に叙任され、直々に武具を賜り、どれだけの歳月が過ぎたことだろうか。あの時、私とお前は共に十七歳で、お前ときたら、賜った白銀の大剣の重さに格好悪くよろめいていたな。あれから多くの戦を重ね、山岳国家ビードを討ち滅ぼし、さらに小国を潰して回り、ついにフォルラザは長年の宿願だった大陸南方の覇者となった。そして』

 

 

 長い。あまりにも。

 ローランは眉間を軽く揉み、途中で真面目に読むのをやめた。

 最初は力強かった文字が、手紙の余白が狭くなっていくにつれて蟻のような小ささになっていって、はっきり言うと読むに堪えない。

 あの同期が一体何をこんなに舞い上がって、回りくどい長文を垂れ流しているのか、よく分からなかった。

 赤髪のノーラという、怜悧で颯爽とした女らしくない。

 後で暇な時にでもしっかり読み直そうと考え、とりあえず最後の方だけを、今は読んだ。

 

 

『離れていても同じ空の下で同じ戦いを、同じ道のりを歩んでいると、私は思っている。互いに頑張ろう。戦い抜こう。生き抜こう』

 

 

 ノーラはとにかく、ローランに対して激励がしたかったらしい。

 それはよく分かったし、心にも染み渡った。

 

「ローラン殿、ノーラ様に返事書くかい?」

「いや……しっかりとした文章を送るのは、連れの件がひと段落して、ラガニアに入ってからにしたい。そもそも俺の当面の目的地は、探究の国ラガニアだからな。伝言だけ頼む。『戦神騎士ローランはヴァルゲンを通らずに大河川を渡って、大陸東方へ入る。野暮用を済ませた後に、ラガニアへ向かう』……今はそれだけでいい」

「あいよ」

「とりあえず旗頭のノーラはニコルと一緒に大陸西方、月の国マーブリス入りだな。……他の戦神騎士の動向はどうなってる? 分かってる範囲で教えてくれ」

 

 若者は頷いて、"砂粒"が把握していることを教えてくれた。

 

「……グリムロ副長のオズワルド潜伏をやめさせるべきってのは、俺も同意見だ。あの人、目の前の戦に強いだけだからな……ウィルさんみたく上手く立ち回れないだろうし。あとはケイトさんとノアの居場所が不明、か」

「それなんだけど、少し前に大山脈中央部の入り口付近で、事件が起きてる」

「事件?」

「オズワルドが自分ところのドワーフ連れて、三百人くらいの部隊で鉱物の在処を探しに山に入ったみたいだけど、伝令が途絶えて……偵察が見に行ったら全滅してたってさ。奴らがフォルラザの都跡に置いた、南方総督府へも入った確かな情報だ」

「三百人……屍の状況は?」

「全部その場に打ち捨て。上半身が吹き飛んでたのや、原型留めてない屍も多数あり。闇の魔物が大量に沸いて、怨念を啜ってたってよ」

「じゃあ確実に山の民の仕業じゃないな。闇の魔物が沸けばそのまま"闇の吹き溜まり"を作って、山が腐っちまう。山の民なら、屍はきっちり燃やす。それにオズワルドの兵三百を全滅させられる魔物なんてのも、大山脈にはいないはずだ。人間に害を為す魔物は、山の民がとっくの昔に駆逐したと聞いてる」

「俺ら"砂粒"も同意見だ。十中八九、ケイト殿とノア殿がやっただろうってことで探してる」

「……あんたらも、捜索する時は気をつけろよ。大山脈の上を、複数の飛竜が飛び交うようになるだろう。多分ケイトさん主導だろうけど、いくら何でも派手にやりすぎだ。ウィルさんかノーラかが、早めにケイトさん達の手綱を握った方がいい」

 

 真剣そうに頷く若者の前で、ローランは小さく息を吐いた。

 

 

 ケイトはウィルフレッドと同期の、ローランにとっては年上の弓兵だ。

 グリムロ副長ほどではないにしろ、かなり気性の荒い女傑である。

 戦神騎士の叙任を受けて日が浅い頃、まだ騎士としては未熟だったローランを、副長の次によく怒鳴って殴って鍛えてくれたのが、ケイトだった。

 戦場における動きや読みの鋭さは抜群だったが、それは積み上げた経験や研ぎ澄ませた感覚によるものである。

 ローランから見てもあまり思慮深くはなかったし、大局を見る目は自分と同様に皆無だろう。

 だから放っておけばおそらく、あの年長は同じようなことを繰り返し続ける。

 気づいた時にはもう、取り返しのつかないことになっているかもしれない。

 

 ノアはケイトと真逆で、非常に無口で表情の乏しい戦神騎士だ。

 ローランにとっては同じ大剣使いの騎兵であり、直接一対一で鍛えて面倒を見た後輩でもある。

 そんなノアの一番の特徴は、自分の意見や感情をほぼ表に出さず、目上の命令に愚直なまでに全力で従うことだ。

 誇りも情けも恥も無いかのように、ただ命じられるままにひたすら戦って殺し、ただ命じられるままにひたすら逃げ隠れする。

 そして命令がなければ、指示を与えてやらなければ、滅多に自らの意思で行動しない。

 そういう極端な戦士なのだ。

 戦の外でのやり取りにしたって、「今思っていることを言ってみろ」と促してやってようやく、本来の甘えたがりな自己を少しだけ曝け出す娘だった。

 実は同期のノーラよりも好みの顔立ちで、その珍しい金髪碧眼を密かに目の保養にしていたことは、誰にも内緒である。

 とはいえ今のノアは間違いなく、ケイトに絶対服従の態度を取っていることだろう。

 

 つまり、早々に誰かが制御しなければ、危険な組み合わせの二人組ということだ。

 

 

「……俺の勘だが、ケイトさんがノーラの指示に素直に従うとは思えない。手綱を握るなら、同期のウィルさんの方が適任だ。ウィルさんとノーラに、それを伝えてくれるとありがたい」

「ああ、分かった」

「あとは……さっき話題に上がったオズワルドの南方総督府ってのは、今どんな感じだ?」

「俺ら"砂粒"の中での見立てだけど正直言って……今の総督も、南方に残された将も連れてこられた文官も、大半が無能かな。ウィルフレッド殿とアレクシス殿の攪乱に、全部後手後手でやられっぱなしだよ。各地の鎮撫にしたって、とにかく飛竜兵の威圧頼りって感じらしい。使ってる諜報も、相変わらず滅茶苦茶雑な奴らばっか。……ただ、オズワルドの第四王子が新たに総督として赴任してくるかも、って噂がある。妾腹の、十六歳の王子だ。特に才覚の有無の話は聞こえてこない」

「十六歳の第四王子……妾腹、ね。厄介払いされたかな、そいつは。……いや、傑物の可能性もあるか。その辺は、ちゃんと見ておいてくれると助かる」

「そこは大丈夫。大砂漠から大陸中に吹き散らばる"砂粒"は当然、南方が一番多いからね」

 

 若者が、日焼けした笑顔をにっかりと見せた。

 これでおおよそ、生き残った戦神騎士十人の動向はあらかた知れたと言っていいだろう。

 あとは各々が、どれだけ有効に立ち回れるかだ。

 

「……とりあえず今はこのくらいにしておこう。川の魔物が嫌うっていう、森の木を教えてくれ」

「おっしゃ。じゃ、ささっと行きましょうかね」

 

 ローランはずっと遠ざけていたナツメを呼びに行った。

 

「悪い、ナツメ。時間取らせたな」

「いえ、ウチは大丈夫です。あの人、ローランさんのお知り合いだったんですか?」

「まあ、そんなところだ」

「さっき……なんだか一瞬、変な魔物の気配がしました。魔力がぼんやりかすれてて、でもすごい速さで近づいてきて、すぐに離れていって」

「……そうか」

「ほんとは昨日、ローランさんと一緒に若頭さんを屋敷で待ってる時にも、同じ感じがしたんですけど……あまりに薄いし速いから、気のせいかなと思ったんです。だけど、やっぱりあれは……」

 

 ナツメが不安そうに視線を西の方角へとやった。

 おそらくは"砂粒"が情報共有に使うための魔物なのだろう。

 とはいえ、その実態を自分達戦神騎士が知っている必要はない。

 "砂粒"はあくまで同盟者であり、彼らには彼らのやり方があるのだ。

 別に気にしなくていい、とローランは告げて、ナツメと一緒に若者の元へ行った。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

「ほい、こいつが十本目ね」

 

 若者が指差した木を、ローランは低い位置で斬り倒した。

 

「どうだい? ちょっとは違いが分かってきたかな?」

「……いいや、やっぱり普通の木にしか見えない。匂いも普通に思える。本当にこれが川の魔物の嫌う、特別な木なのか?」

「へへへっ。まあそんな簡単に見分けられちゃあ、川の民はやってられないからね~」

 

 若者は得意そうに笑った。

 ナツメが少し離れた場所で、ローランが先ほど斬り倒した七本目の木の匂いを熱心に嗅いでは、首を傾げている。

 

「でも、ホントにいいの? イカダ作る手伝いしなくて」

「構わない。若頭ともそう話してるからな。それに、万が一を考えておきたい。大陸南方はもう、オズワルドがいつどこに飛竜を飛ばしてきてもおかしくないんだ。村には充分な礼をしてもらった。迷惑は絶対にかけたくない」

「律儀だなぁ、ローラン殿は。……まあ、そういうお人の手助けが出来てると思うと、俺も嬉しいけどね。じゃあ、二人乗りのイカダにちょうどいい木の大きさだけでも教えとくよ。あと縄のくくり方ね」

 

 若者はそう言って微笑みながら、斬り倒した木の前であれこれをローランに教えてくれた。

 その笑顔は、昨日若頭やビアンカが形作っていた人の良い笑みと雰囲気がよく似ていた。

 川の民とはこういう人種なのかもしれないと、ローランは改めて思った。

 そしてその笑みを見て、一つの決心をした。

 

「……最後にいいか? さっきジェラルド殿が今、大山脈の東の端くらいにいらっしゃるだろうって言ってたな」

「へ? あー……前回"砂粒"が接触した場所と今までの移動速度から考えて、多分その辺だとは思うけど」

「大山脈から抜けて大陸の東方に入るには、やっぱり大河川の……河口近くを渡らないといけない。そうだよな?」

「まあ、そうだけど……それがどうしたんだ?」

「ジェラルド殿に手紙を出したい。大山脈伝いで動いてるってことは、おそらくあの方はお得意の氷の魔術で大河川を渡るだろう。俺とは違って、それくらいは楽に出来る御仁だ。だから大陸東方に渡る前に、河口の傍の森を調べていただくように……それで昨日の魔物の巣があったら、殲滅しておいてほしいと依頼する」

「ぃぃっ!? えっ……でも……ローラン殿はともかく、ジェラルド様は村に何の関わりも」

「俺はオズワルドとの長い戦の中で、あの方に命の貸しを一つ作ってある。助け合うのが当然の同朋とはいえ、御本人もしっかりと認めてくださってる、確かな貸しだ。それを、返していただく」

「……通りすがった村一つのために、そこまでします?」

「ああ、する。別に、どんな村にでもするわけじゃない。若頭とビアンカさんとあんたがいるあの村だから、してあげたい。……だがこのことは絶対に、村の誰にも話さないでくれ。俺が勝手にやってるだけの、お節介だ」

「そう、なんすかね……いや、だけどさすがにそんな……」

「心配するな。ジェラルド殿は武力も知力も、戦神騎士の中では上澄みも上澄みだ。村に何らかの迷惑や疑いがかかるような始末のつけ方はなさらない」

 

 若者は半ば呆れたように大きく息を吐き、肩に担いでいた大袋を置いて十数歩遠ざかり、やがて戻ってきた時には何故か筆と紙とインクを持っていた。

 ふと振り返ると、ナツメは先ほどより距離を取って、こちらに背を向けている。

 再び大事な話をしていることを、察してくれているらしい。

 

 ローランは切り株を机代わりにして、生き残った戦神騎士の同朋、魔術剣士ジェラルド宛てに手紙を書いた。

 ジェラルドは、ローランが生まれるより前から戦神騎士をやっている、騎士団の古参である。

 魔術士らしく普段は各地を放浪して、大事な戦の時しか戻ってこない老騎士。

 だがそれでもオズワルドとの戦では、何度も同じ戦場に立っていた。

 言葉を交わした回数は両手の指の数で足りるほどだが、それでも尊敬と信頼に値する人物であることは分かっている。

 命の貸しをしっかりと返してくれることに、疑いを挟む余地はない。

 

「よし、できた。これをジェラルド殿へ」

「分かった……けど。あんたそんな生き方してると、早死にしちゃうぜ? あのお連れさんのための寄り道にしたって……」

「何言ってんだ、死ぬわけないだろ。戦神の軍の再起と、竜神の国への復讐……それを果たすまでは、絶対に死なない。俺だけじゃないぞ。生き残った戦神騎士は、皆そうだ」

「……へへっ、そうか。そうだよな」

 

 若者は小さな木笛を一つ、取り出した。

 

「"砂粒"を呼ぶ、特別な笛だ。音は鳴らない。だけどその鳴らない音が、遥か遠くまで響きに響いて、"砂粒"の誰かの耳には入る。当然それで、あんたの位置も分かる。何かあれば、いつでも俺らを呼んでくれ」

「いいのか?」

「いやいや……いいのかも何も、これをお渡しするところまでが俺に任されたお仕事なの! というかこれ渡しとかないと、今後の情報共有大変だろ!? 他の生き残りの騎士さん達にも渡してるし!」

「お、おう」

「はあ……なんか朝からすっげー疲れた気がする。じゃあ、そういうことで……ごほん」

 

 川の民であり、戦神の民であり、同盟者"砂粒"である若者は、その場に恭しく跪いた。

 

「レオンさん! 村への助太刀ありがとう! ……ローラン殿! ご武運を心よりお祈りしております!」

「ああ。ありがとう、川の民。ありがとう、戦神の同朋よ」

 

 若者は跪いたまま満面の笑みを見せ、そして立ち上がって、駆け足で村へ戻っていった。

 入れ替わりに、フードを目深に被った少女がローランへと寄ってくる。

 

「ナツメ。何度も悪いな」

「いえ、いいんです。ローランさんの旅に何か大きな目的があるのは、最初に教えてもらってますから」

「……ああ。じゃ、イカダ作るぞ」

「はい!」

 

 若者が置いていった大袋を少し重たそうに肩に担ぎ、ナツメは明るく笑った。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 ローランは十本の木を、若者に教えてもらった通りの大きさに斬り揃え、それらを村からだいぶ離れた川岸まで運んでいった。

 まず二本の木を並べてその片側だけを教えられた通りに隙間が出来ないよう縄でくくり、その様子をナツメに見せる。

 ナツメはすぐにそれを学習し、もう片側を手際よく結んだ。

 

「案外器用だな、お前」

「えへへ……動物を狩るための罠とか、近くの村やヴァルゲンで売る小物とか、お父さんの作業を手伝ってましたから……お父さんの……」

 

 ナツメは自分の発した言葉で、厳しい現実を思い出したように唇を噛んだ。

 この大河川を渡れば、あとは故郷の山を一直線に目指すだけなのだ。

 そして山に帰り着けば父親の生死も含めて、そこからどうやって生きていかねばならないかという、大きな問題にぶち当たる。

 ローランはあえて何も言わずに、くくった木の前で俯くナツメの傍らに寄り添った。

 気休めの慰めをかけてやることは容易い。

 だがそんなことは、今この少女が噛みしめている現実の前には何の意味もないことだった。

 

 ぎゅっと握り拳を作っていたナツメの両手がほどけ、ローランの外套を軽くつまんできた。

 ローランはその小さな手を、自分の手で優しく包み込んだ。

 

「……ローランさんの手、岩みたいに硬いです。お父さんの手は、もっと柔らかかったです」

「初めて出会った時に言っただろ? 物心ついた時からずっと、戦う術を教え込まれてきたって。ずっと、剣を握ってきた手だ。そしてずっと、人を殺してきた手だ。……悪いな。こんな血まみれの手なんかに、握られたくはないだろう」

「いえっ、そんなこと……! っ……その、なんというか。ウチ、全然剣が上手くなりませんね。ごめんなさい」

「急に何言ってんだ。数日木の枝振っただけで強くなれるなら、誰も苦労なんてしねえよ。ガキの頃から剣振ってる俺の立場考えろ」

「あはは……そうですよね。すいません」

 

 ナツメは乾いた声で笑った。

 

「……この川を渡ったら、あとはもう」

「それでも、ヴァルゲンの北の山まではまだ時間がかかる。だいぶ東に迂回してきてるからな。山に着くまでに、俺が教えられるだけのことは教えてやる。……せっかくビアンカさんに、良い剣を貰ったんだ。最低限の護身が出来るようにはしてやる。まあ、お前は正直言って剣の才能は全然ないけど、何も知らないよりはマシだ」

「……ありがとうございます、ローランさん」

 

 ナツメの手が動き、か細い指がローランの指に絡んできた。

 互いの両手がしっかりと指を絡め合い、二人を肌の温もりが繋ぎ合わせる。

 

「少しだけ、こうしててもいいですか?」

「ああ。いいぞ」

 

 フードの下から、涙に潤んだ真紅の瞳が見つめてくる。

 ローランはそれを、見つめ返した。

 極めて端正な容貌が、じっとりと赤らんでいる。

 本当に泣き虫で、繊細な娘だ。

 悪意の風に少しでも煽られたら簡単に散ってしまいそうな、儚い花だ。

 手放して立ち去る瞬間がもうじきやってくるのを、考えたくないほどに。

 

「…………」

 

 ナツメの形の良い唇が僅かに開き、しかし何も言わずに閉じられる。

 何度かそれが、繰り返された。

 

 どれだけそうしていただろうか。

 やがてナツメはそっと手を離し、何事もなかったかのように明るく笑った。

 無理をしているのが、はっきり分かる笑顔。

 それでもローランはその笑顔に、精一杯の笑顔で応じた。

 

 その後、イカダはナツメの器用さもあって、すぐに完成した。

 九本の木を並べて作ったイカダで、あとの一本は漕ぐための櫂になるよう、適当な形に斬った。

 

「よっしゃ、浮かべるぞ」

「はい! んしょっ、んんっ!」

 

 イカダを二人で押し出し、大河川の水面へと落とす。

 上手く浮いた。

 まずはローランが乗る。

 少し沈み込んだが、問題なく浮いている。

 

「ナツメ、来い」

 

 差し出した手を握った少女が、恐る恐る乗ってくる。

 イカダは、やはりしっかりと浮いたままだ。

 

「すごいっ、やりましたね!」

「ああ。お前の器用さのおかげだな。俺よりよっぽど上手く縄を結んでたじゃねえか」

「えへへ……ローランさんは、思ったより下手っぴでしたね」

「うるせえ」

 

 軽口を叩いて笑い合った後、ローランは両手で櫂を漕いだ。

 やはり大河川の流れは大したことなく、戦神騎士の膂力で漕がれたイカダはぐんと大きく前に進んだ。

 

「ナツメ、周囲の魔物の気配は?」

「……大丈夫です。近くにいた魔物は皆、離れていってます。そんなにこの木が嫌なのかな……」

「さすがは川の民の知恵だな。あの村に恩が売れてなかったらと思うと、ぞっとするぜ」

「すごいですよね。ウチ、あの案内役さんが教えてくれた木の匂いをいくつ嗅いでも、全然何も分かりませんでした」

「俺もだ。見た目もごく普通の木だしな。一体何がどう違うんだか」

 

 あえて太めに作った櫂がローランの膂力をそのまま進む力に変え、イカダをどんどん前へ前へと進めていく。

 風も水の流れも穏やかで、天気も良い。

 

「ん……大河川の上の風は、陸地と匂いが違うんですね」

「そうだな。なんとも言えない、変な匂いだ」

「そういえば、ローランさんは"海"って聞いたことありますか?」

「あー、"海"ね……昨日、若頭が呑みながら何回か言ってたな。知り合いの魔術士も昔どうの言ってた気がするけど、よく覚えてねえ。結局何なんだそれ?」

 

 俺は"海"が嫌いだ、あっちの方向に漁に行く奴らの気が知れないと、若頭は酔っぱらって何度も言っていた。

 "海"なんて知らねえよと思いながら、ローランは適当に相槌を打っていた。

 ローランの頭の中の大陸の地図には、南方一帯とこの大河川しか存在しないのである。

 

「ウチ、家にあった本で読んだことがあります。大陸の外を、ぐるーっと大きく水が囲んでるらしいです。それを"海"って呼ぶんですって」

「大陸の外を、水が囲んで……? はぁ……この大河川や他の川から流れ込んだ水とか雨水が、外に大量に溜まってるってことか?」

 

 ナツメの話を聞いても、ローランには"海"の有り様が想像もつかなかった。

 そもそも自分は、大陸の全体像すら知らないのである。

 その上でさらにその外側を水が囲んでいると言われても、まるで理解できない。

 ただそれが本当ならば、途方もない水量になるはずだ。

 

「"海"が出来る仕組みは本に書かれてなかったので、ウチも分かりませんけど……でも昨日の若頭さんのお話だと、この大河川を東の端まで行けば"海"に繋がってる感じでしたね。だからやっぱり大河川の水が溜まっていって、"海"ができるのかな……あっ、あと"海"の水はなぜか塩辛いらしいですよ」

「塩辛い……? 全然意味分かんねえな……よっと」

 

 ローランは一旦櫂を止め、大河川の水に人差し指を浸して、舐めてみた。

 

「……普通の川の水の味だ。これが何で、"海"に出たらしょっぱくなるんだ?」

「さあ……不思議ですね、"海"って」

 

 ローランとナツメは揃って、大河川の東へ視線を向けた。

 悠然とした巨大な流れはやはり、先が霞んでいる。

 若頭の話が本当ならば、その辿り着く先が"海"だという。

 大陸の外に何があるかなんて、生まれて一度も考えたことがなかった。

 フォルラザの北には大砂漠、南には大山脈。

 それがローランの見知っていた全てだったのだ。

 この大河川だって知識としては知っていても、自分の目で見たのは今回の旅が初めてだった。

 ナツメの見知っているものは、おそらくもっと狭いだろう。

 

「……何も知らないんだな、俺は。本を読むの好きじゃなかったし。まあ、仮に本で"海"を知っても、俺の頭じゃ想像できなかったろうけどよ」

「ウチも、家にあった本以外のことは何も知りません。あとは、故郷の山だけです。だから、若頭さんのお話をずっとワクワクして聞いてました……世の中は広いんですね、本当に」

「広いな。大陸があって、大陸の外に"海"があって。……じゃあ」

「じゃあ、その"海"の外には?」

 

 こちらを見上げたナツメの真紅の瞳が、うきうきと輝いている。

 

「きっとどこまでも"海"だな、多分」

「えー? それじゃ面白くないですよ。他にも大陸があるとか」

「んな馬鹿な。他に大陸があるなら、"海"を渡ってこの大陸にやってくる奴らがいるはずだろ? そんなの聞いたことないぞ」

「ですよね……あ、遠すぎるから渡ってこれないとか。実はもう来てるけど、ただ気づかれてないだけとか」

「ははは。お前、本の読み過ぎだろ」

「でもでも"海"があるから、その"海"に対してここを"大陸"って言うんじゃないんですか? 外側から見た時に大きな陸地だから、そう呼ばれ始めたんじゃないかって気がします」

「??? 何言ってんだか、ははは……」

 

 何だかよく分からない話になってきて、ローランはとりあえず適当に笑い飛ばした。

 ナツメの頭の回転に、ついていけない。

 自分の頭は、昨日の若頭の謎の名前連呼で爆発しそうになる程度なのだ。

 あまり難しい話は、受け付けられない頭なのだ。

 だからローランはそれ以上考えるのをやめて、また櫂を漕ぎ始めた。

 ナツメはじっと、大河川の東に視線を送っている。

 

 やがてローラン達を乗せたイカダは、大河川の真ん中までやってきた。

 向こう岸が、しっかりと見える。

 

「……あっ。魔物が一匹近づいてきました。小さいです」

「どの方角からだ」

「あっちです」

 

 ローランはナツメの指差した方向を見据えて、背負った大剣の柄に片手をやった。

 櫂は止めず、片手で漕ぎ続ける。

 ちゃぽんと水音が立った。

 何やら黄色い蛙のような魔物が水面から顔の上半分だけを出して、大きな二つの目でこちらを見ている。

 殺気はない。ただイカダが大河川の上を滑るのを、観察しているだけだ。

 

「あはは」

 

 ナツメが笑って、魔物に手を振った。

 魔物は何を思ったのか、手を振り返してきた。

 八本もある指は魔力を帯びているのか、青白く輝いている。やはり殺気はない。

 

「なんだ、ナツメの知り合いか?」

「まさか。初対面ですよ。でも、なんだか仲良くなれそうな気がします」

「魔物と仲良く、か」

 

 オズワルドの飛竜兵、ビードの山騎士。

 知性ある魔物を飼い馴らして利用する国は、確かに存在している。

 ならば、魔物と友達になることも不可能ではないだろう。

 ナツメは楽しそうに身振り手振りで、黄色い魔物とやり取りしている。

 魔物もそれに、しっかりと応じてくれていた。

 それも、ただナツメの真似をしているだけの動きではない。

 まるで酒で舞い上がったかのようにくねくねと、水面から突き出した両手を揺らしている。

 

「……ふふっ、可愛い」

 

 ナツメが剽軽な魔物の仕草に、クスクスと笑う。

 ローランも笑みをこぼしつつ、だが片手は大剣の柄に添えたままにしていた。

 どれだけ面白おかしくても、魔物は魔物だ。

 そしてここは、底の深い大河川の上。

 近づけば、どんな危険があるかも分からない。

 相手の魔物が突如、隠していた殺気を剥き出しにする可能性だってある。

 だからローランはナツメに構わず、櫂を漕ぎ続けた。

 ナツメも、あの魔物に近づいてみたいとは言わなかった。

 その上で、束の間の交流を楽しんでいた。

 

「ローランさん」

「ん?」

「ウチ、この大河川を一生忘れません。ローランさんと一緒に渡った、この大河川のことを」

 

 フードを取って、純白の短髪と真紅の瞳を露わにした少女。

 

 

「ローランさんも、覚えていてくれますか?」

 

 

 咲き誇った大輪の花。

 当然だろ、と一言だけ返して、ローランはイカダを進ませ続けた。

 

 無性にむず痒くなって見上げた空は、大河川の水面よりも青かった。

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