戦神騎士物語   作:神父三号

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第15話 ローランの道・緑賢のルルシェ

「……なるほどのう。やはりな。いや……平凡な人間の身でここまでよく耐えた、と言うべきか」

 

 エルフの老婆はナツメの父親の手記を最後の頁までパラパラとめくり、ため息と共にそっと机に置いた。

 

 ローランとナツメは父親の部屋から出て、広間の机を挟んでエルフと向かい合っていた。

 こんな場所では落ち着いて話もできん、とエルフの老婆が場所替えを促したためだ。

 二人暮らしだったこの家に、椅子は二つしかない。

 ナツメとエルフを座らせ、ローランは立ったままとなった。

 

「……婆さん」

「ルルシェじゃ。そういやあの時名乗っておらんかったな、戦神の使徒よ」

「ルルシェ、さん。俺はローランだ。フォルラザの戦神騎士ローラン。……あんたがナツメの父親の手記にあった、ナツメが赤子の頃に訪ねてきたエルフなのか?」

「そうじゃ。その話を知っておるということは、ナツメがどういう存在で、父親がどうわしに応じたかも、当然知っておるな?」

 

 ローランは頷いた。

 ナツメはずっと机の木目を見つめ、何ごとかを小さくぶつぶつと呟いている。

 まるで、心が壊れてしまったかのように。

 

 そんな少女の様子を見て、ルルシェはぱちんと指を鳴らした。

 一瞬の内に、机に立てかけてあったナツメの護身用の剣と、ナツメが部屋から出る時に拾って握りしめていた小刀が、ルルシェの後ろにどさりと落ちた。

 

「悪いが、取り上げさせてもらうぞ。今のナツメは、何をしでかすか分かったもんでないからの」

 

 ローランに異論はなかった。

 自分の大剣も念のため、ルルシェの後ろへと置いた。

 ナツメは茫洋とした眼差しで、掌を見つめている。

 地図の魔術を使う時に小刀でつけた切り傷はもう、消え失せていた。

 本当に、自分でつけた傷はすぐに治るらしい。

 

「『夢の中で地母神と交わった』……父親の手記にはそうあった。そんなことが、本当にありえるのか?」

「ある。……わしらエルフの中ではな。エルフは男女が普通に交わって子を為す他に、ごく稀に……地母神様が夢の中で交わり、自らの子を下賜することがある」

「っ……」

「地母神様は戦神や竜神のように今や姿形を失った神ではあるが、それでも全てのエルフの祖じゃ。だから地母神様の胎から誕生した者はエルフの中でも強大な力を生まれ持ち、一際特別な存在として扱われる。ちょうど、このわしがそうであるようにな」

 

 ルルシェはそう言うと、広間の炉を指差した。

 薪も焚べていないというのに火が熾り、部屋をじんわりと心地よい程度に暖める。

 

「……エルフの中に特別な地母神の子が生まれることは分かった。だけど、何でエルフの祖がナツメの父親に? ナツメの父親はヴァルゲンで暮らしていた、普通の人間じゃないのか?」

「『エルフは奔放、気まぐれ、からかい癖あり』……わしらエルフに対する人間の風評じゃ」

「何だよ急に。それが何だって……」

 

 申し訳なさそうに眉をひそめ、目を閉じたルルシェ。

 その表情を見つめている内に、ローランは背筋に怖気が走った。

 俯いて座っているナツメが、細い体を震わせ始める。

 次いでローランの中に沸き上がったのは、怒りだった。

 

「……気まぐれで、やったってのか?」

「…………」

「そいつは、地母神はまさかただの気まぐれで……! 遊びで人間と交わって、ナツメを産んだってのか!? おいっ!!!」

 

 戦神騎士の膂力で叩きつけられた拳が、机を木っ端微塵に粉砕した。

 木片が部屋中に勢い良く飛び散り、もうもうと土埃が舞い上がる。

 

「はぁ、はぁ……! くそっ……っ、すまない。あんたに当たっても、意味の無いことだった」

「いや、良い。お主の怒りは、もっともなことじゃ」

 

 エルフの老婆は眼前で行われた暴挙に動じず、両手を二度叩いた。

 それだけのことで、粉砕された机があっという間に修復され、土埃も消え去った。

 

「地母神様との夢の中での交わりは、エルフの男ですら長く惑乱されるほどに甘美なもの。その交わりを忘れられずに自らへ魔術をかけて、永遠に眠り続けようとする者すらいるほどじゃ。市井に生まれた平凡な人間の男が、到底耐えうるものではない。……何とむごいことをしでかしたものよ。奔放、気まぐれと言っても限度があろうに」

 

 ルルシェの憐れむような青い瞳が、ナツメの父親の部屋へと通じる扉に向けられた。

 

「地母神様が人間と交わって子を為すなど、わしらエルフですら誰も聞いたことのない事件じゃった。エルフは同族の気配を広く感じ取ることができ、中でも地母神様の子であるわしは特にその力が強いが……いつものように大陸を巡る中で、奇妙な気配を感じた。エルフではない、しかしとても近しい気配を」

「……それが、ナツメだった?」

「そう。わしがその気配の元に向かうと、この山の中で人間の男が赤子を抱き、家をこしらえようとしておった。純白の髪と、真紅の瞳を生まれ持った赤子。……エルフは例外なく金髪碧眼じゃ。じゃからその子は当然、エルフではない。しかし紛れもなく地母神様の子であることは、見ればすぐに分かった」

「…………っ」

「『その子は地母神様の子で、エルフの輪に属するべき子だ』と、『人間の身に背負える命ではない』と……『いつか必ず、お主を狂わせる存在だ』と、わしは男に言った」

 

 俯いていたナツメが、顔を上げた。

 真紅の瞳が、まるで仇を睨みつけるようにエルフの老婆を見つめている。

 

「男は激昂し、わしに斧で斬りかかってきた。『ナツメは私の子だ、私だけの子だ』と叫びながらな。わしは……その男を憐れんだ。地母神様に魅入られ、憑りつかれてしまったその人間を。無理にナツメを引き離すことは容易かった。しかしそうすればもう、男は狂い死ぬしかなかったであろう。わしらの祖が気まぐれで弄び、踏みにじって滅茶苦茶にした人生じゃ。その上で無理にナツメを取り上げるなど……エルフの身勝手にもほどがあると思った。じゃからその男の好きにさせて、せめて時折様子だけでも見に来ようと考えた」

「ウ、ウチのお父さんが、あの部屋を作っていたことは……!」

「知っておったとも。妄執のままに、たった一度の夢を延々と描き続けておったことも。あの部屋の鍵と錠を作ったのは、わしじゃ。せめてあの憐れな姿を、ナツメには決して晒さぬようにとな」

「だったら何で……何で父親が死んだ時に、ナツメが入れるようにしたんだよ!! 何でずっと閉じたままで、ナツメが入れないようにしておかなかったんだ!? あんたほどのエルフなら、それが出来たはずだろ!?」

 

 ローランは唾を飛ばし、ルルシェに食ってかかった。

 ナツメに晒さないように作ったはずの部屋は結局、ナツメの侵入を許し、あの穢らわしい秘密を少女に目の当たりにさせたのだ。

 何故そんな失敗を、エルフの中でも特別な存在だと自称するルルシェがしたのか。

 

「ローランよ……エルフは"闇の吹き溜まり"と闇の魔物が大の苦手だ、という話を以前したのを、覚えておるか?」

「……覚えてる。地母神の血を持つナツメがここを覆っていた"吹き溜まり"に近づいただけで気を失ったから、それが嘘じゃなかったのも……分かる」

「うむ。ただ、わしやナツメのような地母神様の子は、それこそ並の"吹き溜まり"ならば普通のエルフよりもよっぽど平気なはずじゃが……恐ろしいことにこの山にはまだ闇の残滓が、ごく僅かに漂っておる。夕暮れ時にはもう完全に消え去るじゃろうが。……それほどにとんでもない暗さと深さの闇を、ナツメの父親の怨念は生み出したのじゃな。そしてその闇によってわしの作った鍵と錠は、魔力を失ってしもうた」

「そんなことが……」

「普通はありえん。そもそも、わしは他のエルフとは違って、並大抵の闇ならば自力で対処出来るのじゃ。もしも闇の魔物に酷く傷つけられても、時間と魔力を費やせば癒せる。ローランよ、以前お主は『今まで森に発生した"闇の吹き溜まり"はどうしていたか?』と問うてきたな?……答えを明かすと、大概はわしともう一人の地母神様の子が始末しとった。あの時お主にわざわざ闇の始末を依頼したのは、竜神の末裔に敗れた後の戦神の使徒の動きに、興味があったからじゃ」

「…………」

「しかしナツメの父親が生んだ闇は、そんなわしの力すら遥かに超えておった。わしの魔力を打ち消し、ナツメを気絶させるほどの闇。人間一人の屍の怨念がそこまでの絶大な闇を発生させるなど、わしですら見聞きしたことがない。じゃが……」

 

 ローランが机を殴り壊した時に、部屋の隅に飛んでいった手記。

 それをルルシェは魔術で手繰り寄せ、机の上に開いた。

 開いている頁にはローランがズタズタに破り捨てたはずの、白髪の人影が何かに跨る絵が描かれていた。

 あの一頁だけに描かれたものではなかったのだ。

 

「あの部屋に貼られた無数の絵と、この手記。あの男がどれほど苦しんでおったことか。美しく育っていくナツメを、どのような目で見ておったことか」

「……っ」

「そしてもし何事もなくナツメが成長していけば、その時はいずれ……」

「やめろ、それ以上言うなっ!!!」

 

 ローランは手記を奪い取り、力任せに引き裂いた。

 粉々になるまで、引き裂きに引き裂いた。

 ナツメが青ざめた顔で呆然と、虚空を見上げている。

 

「……すまん。配慮の足りぬ物言いをしてしもうた」

「はぁっ、はぁっ……! 時折様子を見に来てたって、あんたはそう言ったな? だったら何でナツメがヴァルゲンに攫われるのを、黙って見てた? ナツメの父親が殺されるのを、黙って見てた? "闇の吹き溜まり"があんなに膨れ上がるのを、黙って見てた!? ……何で俺がナツメをここへ連れ戻すまで、姿を見せなかった!?」

「わしらエルフは、決して万能ではない。ましてや、人間とは時間に対する感覚がまるで違う。……ナツメとその父親に起こった異変にわしが気づいたのは、今しがたのことじゃ」

 

 そう言うとルルシェは、机に手を添えて頭を下げた。

 言われてみれば、当然の話だ。

 エルフは、人間ではない。

 文字通り桁外れの長命を持つ、亜人なのだ。

 時折、という言葉の感覚それ自体が、人間とはまるで違っていても何らおかしくはない。

 広大な大陸の内の、こんな山地の一部の異変に、常に気を配れるわけもない。

 ローランは理不尽な詰問を謝罪し、ルルシェに頭を上げさせた。

 

「……もう、ナツメの父親の話はやめよう。これからの話を、させてくれないか」

「うむ」

「ナツメの特別な力を、あんたはどこまで知ってる?」

「いいや、何も知らん。わしは最初の出会いと、鍵と錠を渡した時以外、あの男とは言葉を交わさなんだ。大きくなったナツメと顔を合わせたのも、今日が初めてじゃ。そうじゃな、ナツメ」

「…………はい。ウチは今日、ルルシェ様と初めて出会いました」

「……分かった。ナツメの力は"地母神の瞳"……父親がそう名付けた魔術だ。流した血で広範囲の大地の形を浮かび上がらせ、あらゆる生命の動向や敵意を把握する魔術だ」

「っ! 何と、まあ……」

 

 ルルシェは額に手をやり、嘆くように呻き声をあげた。

 この老婆は叡智で知られるエルフの中でも、一際特別な存在である。

 ローランの簡単な説明だけで、ナツメの力が如何に凄まじいものかをすぐに理解したのだろう。

 そして、人間の世では、どうあってもナツメを不幸にしてしまう魔術であるということも。

 

 ローランはルルシェの苦悶と憐憫に満ちた表情を見て、改めて悟った。

 もう、どうしようもないのだ。

 もう、人間の世ではどうあっても、ナツメは幸せになれないのだ。

 

「ルルシェさん……いえ、ルルシェ様。ナツメは、エルフの輪に属するべきだってあなたはそうおっしゃいましたよね? ……ならばナツメを、エルフの集落で保護していただくことはできませんか?」

「っ……!」

 

 ナツメが目を見開き、ローランを見上げてくる。

 

「あなたがここに現れる直前……ナツメは、俺に死を乞いました。俺も、もはやそうするしかないと思いました。だけどもし、もしもエルフの輪に混ざって、それで穏やかに生を全うできるならば……!!」

 

 ローランは心を決めて膝を折り、頭を垂れて、ひれ伏した。

 これしかない。

 ナツメを、死なせたくない。絶対に。

 幸せに、生きてほしい。絶対に。

 だからこれしかもう、してやれない。

 

 

「お願い申し上げます、ルルシェ様。どうかナツメを、保護していただけないでしょうか。ナツメを幸せに、生かしてあげられないでしょうか。戦神騎士である俺では……人殺しを生業とする私では、到底ナツメを幸せになどできません。血まみれの道を、歩ませたくない。戦争の道具として扱われるような辛い生を、歩ませたくない。ナツメには、いつも笑っていてほしい。幸せに笑って、生きてほしい。だから、どうか……!」

 

 

 身じろぐ気配はない。

 エルフの老婆が今、どういう表情で自分を見下ろしているかも分からない。

 応答されることも、なかった。

 ローランは、言葉を続けた。

 

 

「何か代価を差し出せとおっしゃるならば、何でもいたします。森の番人をして一生を過ごせと言われれば、そうします。エルフの奴隷になれと言われれば、そうします! ……『今ここで死んでみせろ』とおっしゃるならば、喜んでそうします!! だからっ……だからどうか、ナツメをお救いくださいっ!!!」

「待って、待ってください!! 違います! 違うんです!! ウチなんかのためにローランさんにそんなこと、絶対にさせられませんっ!!」

 

 

 ひれ伏したローランの傍にナツメが跪き、同じようにひれ伏した。

 

「ローランさんは、優しい人です! 何のお返しもできないウチなんかを守って、この山まで送り届けてくれました! 自分で身を守れるように、っ、剣を教えてくれました! ひぐっ……心細い時には、優しく手を握ってくれました! お父さんの遺体を、闇の魔物から取り戻してくれました! ぐすっ、っ、そんな命の恩人なローランさんをウチが、ぅぅっ、ウチがっ……ウチが追い詰めたんです!!」

「ナツメ、それは違うっ! 俺はお前に!!」

「ぅぐっ、ひぅ、お父さんのお墓を作ってすぐにお別れして……ぐす、あとはウチが自分一人で勝手に死ぬべきでした!! なのに足止めして、地図の魔術なんかを見せびらかしてすがりついたから……ぐす、ひぐっ、それでローランさんを苦しめて……だから全部ウチが悪いんです!! ウチは本当はもう、ぐすっ、ただ死ぬべきで……!!」

「黙ってろナツメっ!! 俺はそんなこと……!!」

「黙りません!! ローランさんには、何の罪もないじゃないですか! どうしてウチなんかのために、そこまで苦しまないといけないんですか!? ウチみたいな穢れた……間違って生まれた命のために!!」

「穢れてなんかないっ!! 間違ってない!! お前がそんな存在じゃないのは、俺が一番分かってる!!」

「でもお父さんはっ!」

「うるせえっ!! お前の父親がどうだの、地母神がどうだの、そんなの俺には何の関係もないんだよ!! 俺にとっては、お前のこれからだけが大事なんだよっ!!!」

 

 ローランは顔を上げ、ナツメの胸倉を掴んだ。

 溢れる涙で視界が滲みに滲んで、相手の表情もよく分からない。

 

「俺が苦しんでるように見えるってんならそれは全部、俺の自業自得なんだっ!! 元はと言えば、俺があの雨の中でお前に無責任に選択を迫ったからだ!! だから俺はそんな自分が憎くて、情けなくて、最低で……!! だから、お前が今そんなに苦しんでるのも、全部が全部俺のせいなんだよっ!!」

「違う、違いますっ、それは絶対に違います!!」

「違わねえっ!! あの雨の中で俺は、外套をやった時のお前の笑顔を見て……それで、身勝手なお節介を焼いたんだよ!! ここまで旅をしてきた間だって、ずっとそうだった!! 俺はお前の……お前が笑っているのがただ見たくて、悲しそうな顔が見たくなくて……ただそれだけで……!!」

「っ、うぅ、ろーらん、さん……!! うち、うち……ひぐ……ぐすっ、あぁ、ぅぁあ、ああぁあぁ…………!!」

「泣くなよ、ナツメ……! もう泣かないでくれ……俺は、俺はお前にっ、っ、泣いてほしくない、から、いつだって、笑っててほしいから……ぐぅっ、ぅ、ぅぁぁっ……!!」

 

 泣きじゃくるナツメを、強く抱きしめた。

 ナツメも、強く抱きしめ返してくる。

 涙が止まらない。溢れに溢れて、止まらない。

 もう何を言っているのか、何を考えているのか、自分でもよく分からない。

 ただ、泣き叫ぶしかなかった。

 もういっそ、このまま死ねればとさえ、思った。

 そして。

 

 

 

 

 

 ペシ。ペシ。

 

 

「何を二人で勝手に、どこまでも盛り上がっとる。わしを置いてけぼりにするでない」

 

 エルフの軽い手刀が、ローランとナツメの頭を叩いた。

 そして差し出された掌から、淡い緑の光球が浮かび上がった。

 よく分からず見惚れている内に、滅茶苦茶に荒れ狂っていた感情が、穏やかに和らいでいく。

 

「……はぁ。それで? お主ら、いつまでいちゃいちゃ抱き合っておるつもりじゃ?」

「ぐすっ、ずずっ。あ、ぅ、えと……」

「えっ、い、いや、それは……」

 

 今さら気まずくなり、ローランとナツメは抱擁を解いた。

 顔が、妙に熱い。

 いや、さっきまで泣いていたのだから、当然といえば当然だ。

 

「二つ、語ろう。ほれ、とりあえず座るがよい」

 

 横に並べられた椅子に、ローラン達は素直に座った。

 ルルシェは何やら家の外に出ると、どこから調達したのか、すぐにしっかりとした造りの椅子を持って戻ってきた。

 そして、それに腰かける。

 三つの椅子の中央には、先ほどエルフの掌から生み出された、淡く優しい緑の光が浮かんだままだ。

 

「まずは一つ目。ローラン、お主の願いについてじゃ。ナツメをエルフの集落で育て、そこで生を全うさせること。そんなことは容易いし、そのためにわざわざお主に代価を求めることなどせん。そもそも、初めてこの山に来てあの男と話したのは、そうするためだったのじゃからな」

「そ、そうですか! では……」

「じゃが、ナツメや。お主はそれで、本当に幸せか?」

 

 ルルシェの優しい青い瞳が、まだ顔が赤いままの少女を見つめる。

 

「……それは」

「一旦"地母神の瞳"どうこう、他人への迷惑どうこうは何も気にせんで構わん。素直な気持ちで、思うがままの、わがままな本心を語りなさい」

 

 ナツメの真紅の瞳が左右に揺れ、しかし顔が上がると共に、真っ直ぐにエルフへと向けられた。

 

「ウ、ウチは……エルフの皆さんとじゃなくて……許されるなら……ローランさんと一緒に生きていきたい、です」

「っっ!!」

「わはは、そうかそうか」

 

 ルルシェはそれを聞き、手を叩いて笑った。

 

「だ、そうじゃ。ローラン、お主はどうじゃ?」

「っ……ナツメの気持ちは嬉しいです。しかしルルシェ様、私は」

「『しかし』は要らん。あと様付けも敬語も要らん。わしは出会った頃の、ふてぶてしいお主の方が好みじゃ」

「……俺は」

 

 ローランは膝の上で拳を硬く握り、ルルシェの眼差しに向き合った。

 

「俺だって、ナツメをここに残していきたくない。できることなら、一緒に旅を続けたい。その上で、出来るだけ幸せにしてやりたい。だけど……」

「お主の苦悩はよく分かる。凄惨な旅路の中で、ナツメの優しい心を傷つけてしまうことが躊躇われるのじゃな? そして何よりも……ナツメの力を、"地母神の瞳"を抱え込むこと。それを使わずに、ひた隠しにすること。戦神の使徒として、そんなことは出来ない。再起と復讐に心血を注ぐ同朋らへの裏切りじゃと、そう言いたいのであろう?」

 

 ルルシェは、全てを見透かしていた。

 ローランの旅の目的を語ったことなど、一切なかったはずなのに。

 廃砦に沸いた"闇の吹き溜まり"を取引で追い払っただけの、浅い間柄だったのに。

 ローランが目指す道のりの全てを見透かした上で、その目的とナツメの力や心の狭間に生じる苦悩を深く理解している。

 これが地母神の子として生まれて年月を積み重ね続けた、老エルフの叡智なのか。

 

「……そうだ。あんたの言う通りだ、婆さん。ナツメがあの魔術を使える限り、俺は……」

「なら、二度と使えんようにしてやる」

「…………ぇえっ!?」

 

 ローランとナツメは、同時に声を上げた。

 

 

「二つ目。これが本題であり、わしからの提案じゃ。以前ローランに戦神の加護を隠して人目を欺く首飾りをやったように、ナツメにもその容貌を欺いて地母神様の気配を隠し、"地母神の瞳"の使用を固く封じ込める物をやる。使いたくても、わし以外では決して封印が解けぬような物をな。これならば戦神の使徒ローランは、ただの従者ナツメを連れ歩くだけになる。絶対に使えぬ力になど、誘惑のされようもあるまい。別にそれで、同朋への裏切りになることもあるまい。……どうじゃ? 妙案であろう? わはは」

 

 

 得意げに笑うエルフの老婆に、ローラン達は口をぽかんと開いたまま、互いの顔を見合わせた。

 そんな都合の良いことが、本当に出来るというのか。

 あまりにも、都合が良すぎないか。

 いくらなんでも。

 

「……婆さん、俺達をからかってるのか?」

「むっ! 何じゃ、その言い草は。繰り返し言うがわしは地母神様の子、エルフの中でも一際特別なエルフじゃぞ? 人間の中にはわしを"緑賢"などと呼んで、神様のように敬う者もおるというに。その程度の小細工が出来んとでも?」

「え、でも……そんなのお話が出来すぎてませんか?」

「かぁーっ、何じゃ何じゃ、ナツメや! 同じ胎から生まれたお主まで、そんな疑わしげな目でわしを見るのか? いいのか? 『エルフは奔放、気まぐれ、からかい癖あり』……」

「あー! 分かった分かった! 頼む、それをやってくれ! 頼む、お願いだ、ルルシェさん!」

 

 ローランは何度も頭を下げた。

 隣のナツメもそれに倣って、急いで頭を下げた。

 

「まったく素直にそう言えばええものを。これだから最近の若いもんは」

「そんなこと言われたってよ……話が急すぎるだろ……」

「わはは、まあそうじゃろうな。……さて、ナツメや」

 

 ルルシェの青い瞳が再び、ナツメを見据えた。

 

「お主の人生はある意味、これから始まる。楽しいことも、辛いことも、これからいくらでもあろう。もしかしたら、今日この日よりも辛い体験をすることもあるかもしれん。ローランの歩まんとする道のりはまさしく、血塗られた凄惨な道のりだからの。ローランが悩んでおったのも、お主にそういう道のりを共に歩ませたくなかったというのも大きかろう」

「……はい、分かります。ルルシェ様のおっしゃることも、ローランさんの気遣いも」

「ナツメ……」

「でも……それでもウチは、ローランさんと生きていきたいです」

「うむ、それでよい。決して挫けてはならぬぞ。それは、地母神様の子供としてではない。あの男の子供としてでもない。ナツメという一人の人間として、挫けてはならぬのじゃ。約束できるか?」

「約束します。ウチはローランさんと一緒に、頑張って生きていきます」

 

 ナツメの真紅の瞳が、決意の色に輝いた。

 

「……ところで婆さん。さっき言ってたような大それたことをしてもらう、取引の代価はいいのか?」

「んんー? そうじゃなぁ……ま、先ほどの熱いやり取りを見物させてもらったのを、代価ということにしようかの」

「なっ!!」

 

 何とか冷め始めていたローランとナツメの顔が、再び朱に染まった。

 

「くふふ……しかしローランや。お主、二十半ばくらいじゃろ? よく十二、三の小娘にそこまで入れ込めるのう? わはは、そういう趣味か?」

「ななな、なわけねえだろ!? 別に十二歳だから好きだとか、可愛い子なら誰でもいいとか、そんなんじゃねえっ!!」

「ほぉーーん。では、どういう娘が好みなんじゃ?」

「え……それはそのっ……! な、何か関係があるのかよ、それが今っ!?」

「あー決めたわい。お主の女の好みを聞くのも、取引の代価に加えようかのぉ~!」

「はぐ、このっ、長耳クソババァ……!!」

「わはは! ほれほれ、早く言え。言わんと取引はやめにするぞ」

 

 にやつくババア。興味津々で見つめてくる少女。

 ローランは進退窮まった。

 

「…………と、年上は苦手だ。同い年くらいか、年下。それで、その……え、笑顔が可愛い子」

「だ、そうじゃぞ、ナツメや」

「えぇっ!? そ、そそ、そんなこと急に言われても……あ、でもウチは嬉しいです……えへへ、ローランさん……ウチはローランさんの好みに……」

「……っ!! ああもう、婆さん! なんか準備に必要なもんとかねえのか!? 探してくるからよぉ!」

 

 ナツメが久しぶりに、笑ってくれた。

 それにローランは居ても立っても居られなくなり、取り上げられていた大剣を手に取り、大袋を担いで、家の外に飛び出した。

 

「……ほい、これじゃ。ここに描いてある木の枝や実を、日没までにあるだけ集めてきとくれ。……この山は"闇の吹き溜まり"に侵されておった。ちゃんと別の山から取ってくるんじゃぞ」

「分かったよ! じゃあな!」

 

 ローランは渡された紙切れを握りしめ、山の斜面を駆け出した。

 

「くふふ、何とまあ扱いやすくて、からかいがいのある男よ。わしがもうちょいピチピチだった頃に出会うておったらのう……」

「……ルルシェ様?」

「わはは、冗談じゃ冗談。そう妬くでない」

「や、妬いてません!」

「ぷっ。さてと、あの慌ただしい使いっ走りが帰ってくるまでに、飯の用意でもしてやるかの」

「えっ? でもこの家の中の保存食は闇で腐っちゃってて……持ち歩いてた残りも全部昨日……」

「まあ、ちっとついてこい。こっそりと別の山に跳んで、食えるものを採りにいこうぞ」

「……はい! ウチ、お伴しますルルシェ様!」

「わはは、よしよし! じゃあちゃっちゃと行こうかの、わははっ!!」

 

 山地の中に、三つの命が強く輝いた。

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