第12話で少しだけ触れた、南方の総督として赴任してきた人物です。
ただし、あくまでこの物語の中心は戦神騎士達で、特にローランとノーラが主軸なのは今後も変わりません。
こんなものか。
ディーンが己の飛竜から下り、城壁に囲まれた南方総督府を初めて正面から眺めた時、心に浮かんだのはそれだけだった。
かつての大戦で崩れたまま、修復されていない城壁。
開かれた城門から覗いている市街地は、どうやらほとんどが廃墟のままだ。
その廃墟の中央に、焼け焦げて半壊した無骨な城が建っている。
これも、なんら手をつけられていない。
仕方がないことかもしれない。
オズワルドの南方総督府は、攻め滅ぼしたフォルラザの都跡をそのまま利用しているのだから。
あの大戦が終結し、戦神の国の王の首を晒してからまだ、さほど経っていないのだから。
それに戦神騎士達の生き残りが、まだ南方に隠れ潜んでいるとも聞かされている。
だから歓喜でもなく、昂りでもなく、失望でもなく、憤慨でもない。
ただ漠然と、「こんなものか」と感じただけだった。
大陸中央に長く君臨する、竜神の国オズワルド。
その第四王子直々の大陸南方下向と、新たな総督への着任である。
第四王子ディーンは十六歳にして、オズワルドがフォルラザを滅ぼして獲得した、大陸南方の総督となった。
それはつまり、「大いに失敗しろ」ということである。
妾腹なのだ。
妃腹の第一王子は病弱で先が短いとされ、同じ妃腹の第二王子と第三王子がそれぞれ派閥を作って後継を争っている。
第四王子は邪魔だから、南方で大いに失敗して、そのまま消えてなくなれということだ。
まだオズワルドの王は、健在であるというのにも関わらず。
戦神の国フォルラザとの二度の大戦で、国が大いに疲弊しているにも関わらず。
裕福な都の外の暮らしが如何に貧しいかを、ディーンは幼少の頃より飛竜の背中の上からずっと見てきたし、それは下向の直前でもやっていた。
南方を統治するために戦後残されていた約一万の兵士と、十騎の飛竜兵。
その先頭に立つ前総督が深々と拝礼したのに合わせて、予め打ち合わせてあったかのように、整列していた軍勢が歓声を上げた。
そして何本ものオズワルドの国旗が盛んに振られている。
力強く羽ばたきながら吼える、飛竜の青旗だ。
第四王子の総督着任を迎えるために、南方のほぼ全軍をわざわざかき集めて準備したらしい。
つまりこれで、南方の鎮撫は一からやり直しのようなものだ。
嫌がらせか。
下向の道中でそれを聞かされたディーンはそう思ったが、「馬鹿な真似はやめろ」とは言い出せなかった。
父である王に餞別として賜った麾下の兵一千は、ディーンが立っている荒れ地の後方を、砂埃を巻き上げながら必死に追いかけてきている。
これで大陸南方のオズワルド軍は、一万一千の兵士と、ディーン自身を含めて十一騎の飛竜兵となる。
大陸東方に散らばるような小国ならば、容易く呑み込んでいけるほどの軍勢だ。
それでも。
「おお、殿下! よくぞあの大砂漠を越えて遠路遥々、このような地へお越しいただきまして……!」
軍の先頭で出迎えてきた前総督は、肥え太って脂ぎった男だった。
それが気色悪いことに満面の作り笑いを浮かべて、ディーンに対して歯の浮くような中身のない言葉を投げてきている。
フォルラザの残党に翻弄され続け、役目も満足に成し遂げられない、無能が。
「このような地」だと。誰のせいで、俺はその「このような地」へ。
ディーンは思わず口から吐き出しかけた言葉を、拳を硬く握って、ぐっと呑み込んだ。
こんな男でも、一時は南方の占領統治を委ねられた、国の重臣である。
高貴な家の血筋である。
ディーンは前総督に形ばかりの労いと称賛の言葉を笑顔と共に送り、帰国の道中を軍に護衛させることを約束した。
太った男はようやく肩の荷が下りたとばかりに破顔し、嬉しそうに軍勢の中へと消えていった。
「殿下、遅れて申し訳ございませぬ」
麾下一千の将であるゲイリーが一騎のみで先に追いついてきて、馬から下りて片膝をついた。
まさに実直な軍人といった風情を醸している、中年で隻眼の将だ。
片目は、フォルラザとの戦で失ったという。
文官のオルソンはまだ、後方の砂埃の中である。
「主だった将と文官を、城へ呼び集めろ。兵はそのまま待機だ」
「はっ」
ディーンはゲイリーが轡を取った馬に跨り、オズワルドの南方総督府へと入った。
道を空けた軍勢の中央を通っている途中で、大きな欠伸をかいている飛竜が目に留まった。
騎手はそんな飛竜の行動に慌てもせず、ただ漫然と跨ったままである。
やはり、こんなものか。
ディーンは改めて思った。
………
……
…
「つまり南方の兵一万というのは当初の数で、本当はもう九千しかいないのだな?」
「そのようです」
半ば焼け崩れた王城の大広間で、主な将と文官を引見し終えた後。
ディーンは少しの休憩を挟み、自分の居室と定めた部屋の中で、改めて腹心達から報告を受けていた。
前総督は、火攻めを受けて陥落したフォルラザの王城をそのままにして、豪奢な館を構えてそこを総督府としていた。
ディーンは、それを使う気にならなかった。
ろくに後片付けもされていない廃都の中に、贅を尽くした場違いな館が、ぽつりと建っているのである。
不愉快で、仕方がなかった。
だからそれは、前総督が帰国すればさっさと壊そうと考えて、自分はあえてこの城に入った。
オズワルドの白塗りの絢爛な王城とは違う、半壊した無骨な城である。
そびえ立つような高さはない。
芸術的な装飾の類もほとんどない。
吼える獅子の意匠が、所々に刻み込まれているだけだ。
先ほどの大広間すら満足に飾り立てられておらず、王族のものと思しき居室はどれも質素なものだった。
武一辺倒に生きて、不器用ながらに大身となった将軍の屋敷。
そんな印象を受けた。
もっとも、そのような人物は今のオズワルドには存在しないのだが。
その中で比較的損傷が少なかった部屋だから、ディーンはここを自分の居室に選んだ。
府の兵によればどうやらここはフォルラザの、戦死したという世継ぎの王子が使っていた居室であったらしい。
質素な寝台、机、椅子、本棚、姿見。そして何故か、一本の箒と雑巾に水桶。
それがあるだけで、他には何の飾り気もない。
これが、数多の国々を蹂躙して大陸南方の覇者となった、戦神の国フォルラザの世継ぎの部屋だという。
自分を含めたオズワルドの王子達とは、大違いだ。
「……我が国がこのフォルラザを攻め滅ぼして、まだ少ししか経っていない。それで南方に残された一万の兵が、もう一千も死んだと?」
「ええ、残念ながら」
連れてきた文官のオルソンは、特に残念そうでもなく言った。
三十歳にも達していないほどの男で、まだまだ若い。
しかし容貌が涼やかで、泰然とした雰囲気がある。
隣で麾下の将である隻眼のゲイリーが、憤懣やるかたないという表情で、鼻を鳴らした。
将のゲイリー。文官のオルソン。
居室に入れる臣下は当分、自分が見出したこの二人だけにしようと、ディーンは赴任する前から決めていた。
ゲイリーもオルソンも、出世のための派閥争いや人脈作りや贈賄といったものが性に合わずにオズワルドの都で不遇だった、不器用な類の人間である。
それでいて、表面的な人付き合い自体はしっかりと出来る。
だからディーンはこの二人を抜擢して、南方への下向に伴った。
少なからず優秀であることは、オズワルドの城内で数度話して、感じていたからだ。
大広間では、ディーン自らが他の臣下達に二人のことを紹介した。
よほど鈍い者でなければ、それである程度は察するはずだ。
反発は少なからずあるだろうが、それは時間をかけて何とかしていくしかない。
「フォルラザの戦神騎士……噂通りの、百人力か」
「大陸南端、大山脈の鉱物調査に向かった兵三百が、伝令を出す暇もなく全滅させられたそうですぞ。大量の屍が打ち捨てられた状態で発見され、再度の襲撃が恐ろしく、焼却すらままならなかったとか」
「そうやってちまちまと削られて、既にもう一千も兵が死んだというのか?」
「戦神騎士の生き残りは、実際には百人力以上でしょうな。あの熾烈な大戦を、飛竜相手に最後まで生き残った猛者達なのですから。だから飛竜兵もつけずに兵士を百人、二百人、三百人と考えもなく動かせば当然そうなります。何故あの大戦を経てそんな愚行を前総督が繰り返し、それを将も文官も諫めなかったのか、歯痒く思います」
ゲイリーは苛立ちを隠しきれずに、早口で捲し立てた。
前総督の稚拙な用兵でオズワルドの兵が無駄死にしたのが、腹立たしいのだろう。
ディーンは将や文官を引見する中で、彼らが戦神騎士の残党に酷く怯えていることを感じた。
飛竜兵なしでは総督府から離れて動くことなどできないと、遠回しに言う者達すらいた。
そこまで怯えているならば、戦神騎士達の力を分かっているならば、前総督のやり方をしっかりと諫めるべきだったのだと、ゲイリーは言っているのだ。
とはいえ、この南方を任された者達がそれを出来なかったのも、ディーンには理解できる。
前総督は無能でも国の重臣であり、極めて高貴な家柄の男なのだ。
南方を任された者達は皆、軽々しく諫められる身分ではない。
竜神の国オズワルドとは、そういう国だ。
今ディーンの前にいる二人でさえ、抜擢の際に直言の許可を第四王子の名の下に与えていなければ、今のようなやりとりは出来ていないだろう。
「……ゲイリー。何人の戦神騎士が、まだ生き残っていると思う?」
「十人ほどか、それ以下。そのくらいかと」
「何故そう思う? 軍人の勘か?」
「いえ。そもそも全盛期の戦神騎士団は、百人ほどの精鋭だったはずです。あれだけの長い激戦で常に前線に投入され、それを繰り返し飛竜兵に打ち破られて、数十人も生き残ったとは思えませぬ。この城を攻め落とした最後の戦の最中に、夜目が利く飛竜の隙をついて離脱が出来る……その程度の少数でしょう。ですから、おそらく十人以下だと考えました」
「……オルソン、お前の意見は?」
「私もゲイリー様と同意見です。追加で申し上げるならば、大広間での殿下の引見を拝聴していた限りでは、この大陸南方ではおそらく二組が動いていると感じました。大山脈を根城にしている組と、南方一帯を絶えず動き回ってかき乱している組です。あとは……あくまで私の勘ですが、東方や西方にも散って動いているかと」
「うむ……オルソン、奴らが未だに南方をかき回している目的をどう読む? オズワルドへの計画的な復讐か? それともただ意固地になって、やけくその嫌がらせを仕掛けてきているだけか?」
「計画的な復讐でしょう。それも最終的には……オズワルドそのものを討ち滅ぼすような。大陸中央のオズワルド本国ですら、戦神騎士によるものと思しき被害が出ていましたから。感情任せのやけくそで動いているならば、それこそ小細工などせずにまだ南方に残存する戦神の民を片っ端から糾合し、この南方総督府かオズワルド本国に全力で攻め込んできて、華々しく散っただろうと思います」
オルソンの言葉に、軍人のゲイリーも頷いた。
復讐か、とディーンは呟いた。
フォルラザという国はもう滅んだ。
戦神騎士の生き残りだって、二人の読みでは十人以下であるはずだという。
それで最終的には、竜神の国オズワルドを討ち滅ぼして復讐を果たすだと。
出来るはずがない。不可能だ。
しかし、戦神騎士達がもし本当にそのつもりならば、来たるべき時には大陸全土を大きく巻き込むような、とんでもない規模の戦が起こるのではないか。
ディーンには、そんな予感がした。
「オルソン。南方に散らばっている"竜鱗"達の報告は今後お前に入れるようにと、父上にお願いしてあった。お前は南方のことを今どこまで細かく把握している?」
「いいえ、特に何も」
「特に何も?」
首を横に振ったオルソンの返答を、ディーンは眉をひそめてそのまま復唱した。
「南方に寄越されていた"竜鱗"のまとめ役とは対面しましたが、有益な情報は特に何も聞かされていません。しかし……殿下の居室に参る前に、数人の文官から聞きました。どこにでもいるような旅人や村人の屍がいくつか、早朝にこの総督府の城壁に吊るされている……そんなことが頻繁にあるそうです。城壁の上の見張りも気づかぬ内に、そうされているのだと。おそらくは、戦神の諜報集団によるものかと」
「まとめ役はそのことを?」
「私には言いませんでしたが、当然知ってはいるでしょう。自ら恥をさらけ出すようなものですから、黙っていたくなるのも分かります。……許されざることですが」
ディーンはつい舌打ちした。
"竜鱗"は、竜神の末裔たる飛竜の鱗を特別に授けて任命した、オズワルドの諜報集団である。
僻地の賤民をそうやって有効に使っているのだと父である王からは聞かされていたが、どうやらその質は、戦神騎士の残党がまだ保持している諜報集団の足元にも及ばないらしい。
とはいえ、それは当然のことのようにも思う。
鱗一枚の名誉をくれてやっただけで、僻地で虐げられてきた者達が国家への忠誠を深めて、諜報の技を磨き上げるはずがないのだ。
自分ならば鱗一枚でひたすら修練を積んで熱心に奉仕するなど、絶対に御免だ。
それに飛竜の鱗などを肌身離さず持っていれば、捕まって改めを受けると、すぐに竜神の国の者だと知れてしまって言い逃れもできまい。
組織の組み立て方からして間違っている、という気さえする。
「ゲイリー。お前はフォルラザ相手の迎撃や侵攻に参加していたな。あの二度の大戦中も、"竜鱗"は機能していなかったのか?」
「ある程度は有効に働いていたはずです。上司の将軍が、それで部隊の動きを細かく変えていたようでしたので。ただ……そうやって臨んだ戦はほとんどが飛竜兵を伴わない小競り合いで、敗け戦でしたが」
「……つまり、"竜鱗"は戦神の諜報にわざと見逃されていただけだったと?」
「でしょうな。消そうと思えばすぐに消せるのだと、今まさに見せつけてきているのです。小競り合いのための情報くらいは、あえて渡していたのでしょう」
「あえて情報を……それは誤った情報を掴ませていたということか?」
「いえ……私は上司の将軍が"竜鱗"の誤報による騙し討ちを受けて、怒っていたところを見たことがありませんな。そもそもオズワルドは戦争の経験に関しては、ずっと南方諸国を蹂躙してきた戦神の国に到底及びません。どうせこちらが生半可な策を練ってもフォルラザは真っ向から叩き潰して勝つ自信があったのでしょうし、実際に飛竜兵抜きの小競り合いではほぼそうなっています。……重要な情報を掴んだ"竜鱗"だけは、知らず知らずのうちに消されていたのかもしれませんが」
ディーンはゲイリーの話を聞いていて、ある疑問が浮かんだ。
「ゲイリー。私は大戦に従軍していなかったし、詳しい経緯を聞かされていないから疑問なのだが……それほどに隔絶した諜報の差があって、何故我が国は戦神の国に勝てたのだ? 流言を流して攪乱する、戦後の地位を約束して寝返らせる、あるいは将軍を……いや、都の王族すら片っ端から暗殺する。それが戦神の諜報には、やろうと思えば出来たのではないか? 軍の練度にしても、戦神の国の方が上だったというではないか。どうやって我々は、このフォルラザに勝った?」
ゲイリーは隻眼を閉じ、しばし沈黙して、やがて眼を開いた。
「まず戦神の諜報の運用についてですが……あの大戦を経て、そして今日殿下の将や文官への引見をお傍でお聞きしていて、私なりに感じたことがあります」
「何だ?」
「前総督の各地への散発的で無計画な派兵は確かにかなりの数が叩き潰され、それで南方総督府は軍を既に一千も失っていますが、誤報によって仕留めやすい場所によって誘導された……という事例がないように思えたのです。例えば、『あの村に戦神騎士が潜伏しているらしい』と聞いて出撃して、殲滅された。これこれこういう噂を聞いたから、それに対して兵士をこう動かしたら、やられてしまった。あるいは竜神の国に対して敵意を強く煽るような、根も葉もない噂が方々で立っている。引見の場でそういうことを申す者はいませんでした。そしてかの大戦中も流言が蔓延し、それによって将兵が惑わされて疑心暗鬼に陥り、戦に支障をきたす……などとといったことはありませんでした」
「……つまり?」
「おそらく戦神の民は強力無比な諜報を抱えていても、それを使った卑劣な画策は行わないのでしょう。攪乱するというならば、自ら武力を振るって奇襲し、敵兵を大いに怯えさせ、惑わせばいい。そして戦場においてはあくまで戦神の名の下に堂々と敵軍を粉砕し、将の首を取って、勝利とする。まさしく覇者のような、そういう戦い方を尊ぶのが戦神の民なのではないかと、私は感じるのです」
「流言による攪乱だけではなく、寝返りや暗殺を狙うのだって、奴らにとっては邪道だからあえてやらなかっただけだ、と?」
「然様です。……あくまで私の所感では、ですが」
「……手段を選ばなければ勝てるはずだった戦争を奴らはあえて手加減して戦って、それで我々は勝ちを譲ってもらった、ということか? っ……いや、すまぬ。あの大戦の当事者に対する物言いではなかったな。配慮がなかった」
「構いません、殿下。上手くは言えませぬが……『手段を選ばずに勝つ』という選択肢が、そもそも戦神の国には存在しなかったのではないでしょうか。戦神への信仰故なのかもしれませんが、戦い方に、勝ち方にこだわる。フォルラザがあった頃の戦神の民は、特にそういう存在だったように思います」
戦神の民。
ゲイリーが語るその言葉には、どこか敬意のような、あるいは憧憬のようなものが微かに漂っていた。
「うむ……だが、戦神の諜報が搦め手を使わずに単純な連絡や情報収集に専念していたとしても、それでも諜報の質も軍の練度も、我が方は圧倒されていたのだろう? となればやはり竜神の国の勝因は……どこまでいっても飛竜兵の存在か」
「殿下のおっしゃる通りです。『何故オズワルドはあの大戦に勝てたのか?』と問われれば、それは飛竜兵……いえ、飛竜の力があったから、の一言に尽きますな。繰り返し申し上げますが、少数の歩兵騎兵同士が純粋にぶつかる小競り合いのような戦は……飛竜兵の関与しない戦は、ほとんどが敗け戦でした。フォルラザの軍は最精鋭の戦神騎士団のみならず、一兵士ですらその武力は凄まじいものがありましたから。それでもオズワルドがフォルラザを攻め滅ぼせたのは、ひとえに飛竜が戦神の軍を圧倒し続けたからです」
「……確かに夥しい数の将兵が死に、物資や兵士の徴発を幾度となく繰り返して国が大いに荒れたのは、都にいた私もよく知っている」
「はい。竜神の軍は小さな戦では、数えきれぬほどの敗北を積み重ねたのです。しかしながら……その小さな戦で散っていった将兵には無情なことを申しますが、そうやって積み重ねた敗北は大局を見れば、どうでもいいものばかりでした」
どうでもいい敗北。
ゲイリーはそう語りつつも、大きく顔をしかめていた。
この将は、あの大戦に実際に参加していたのだ。
王子である自分に対して畏まって説明しているから、こうやって冷徹に大戦を振り返って分析できているのだろうが、当事者の軍人としては多くの同朋を失い、腸が煮えくり返るような屈辱や劣等感を何度も味わったことだろう。
「軍の練度と諜報の質で大いに差をつけられていても……それでも大戦の趨勢を左右するような重要な局面の戦では、オズワルドは飛竜の力で常に勝ち続けたのです。……いえ、正確には"敗けなかった"というべきですな」
「"敗けなかった"……」
「そうです。個々が百人力以上である戦神騎士団に蹂躙されて甚大な損害を出しつつも、オズワルドはここぞという所では決して敗けなかった。……畏れながら殿下、あの大戦を経て私が感じたことを、率直に述べさせていただきたく思うのですが」
隻眼の将は一際畏まり、真剣な表情でディーンを見つめてきた。
「構わん。そもそもオズワルドの第四王子として、お前達二人には直言を許しているのだ。私の居室では特に、言いたいことを好きに言ってくれてよい」
「ありがとうございます。では申し上げますが……竜神の国の戦争において"敗ける"とは、数多の将兵を失って退くことではありません」
「……? どういうことだ?」
「"敗ける"とは飛竜を討ち取られることなのです。たとえ一万人の将兵が鏖殺されても、将軍が戦場から逃げ出しても戦死しても、飛竜が敵を散々に打ち破れば、その戦は"敗けなかった"ことになるのです。『多数の犠牲は出たが飛竜が大いに敵を打ち破った』という報告を受ければ、少なくともあの都の連中は『竜神の国は勝ったのだ』と誇らしげに笑います。実際に大戦を経験して都に戻って……私はそれをつくづく痛感しました」
「……そうだな。当時都にいた私はいつも、『我々は戦神の国に勝ち続けている』とばかり聞かされていた」
「はい。確かに飛竜は大戦で一度も、討ち取られませんでした。人間の兵士達が戦神の軍の猛威に圧倒され、怯え竦んで蹴散らされても……飛竜だけは敵陣で暴れ続けて、時には深く攻め入られた味方の陣中ですら暴れて、騎手を失おうが味方を巻き込もうが関係なく、多くの戦神騎士や敵兵を討ちました。……飛竜だけは、正真正銘の無敵でした」
ゲイリーは飛竜兵が無敵だった、とは決して言わなかった。
飛竜だけが無敵だった、と言った。
軍人としての無念と羞恥が、その言葉には滲んでいる。
「飛竜はとにかく暴れに暴れ尽くして、戦神の軍勢を大いに混乱させ、疲弊させました。その隙をついて我々人間も勇気を振り絞って攻めかかり、何とか重要な戦でフォルラザを打ち破り続けたのです。……竜神の末裔の絶大な戦果のおこぼれを、こそこそと拾うようにして。決着のついた戦場には無敵を証明した飛竜の咆哮が響き渡り、"生き残った将兵"がそれに"便乗"して、勝鬨をあげました。……私も、その一人でした」
「…………」
「特にオズワルドがこの南方へ攻め入った大戦の終盤、戦神の国の世継ぎの王子が出陣してきた一戦は……酷かった。戦神騎士団以下全ての戦神の軍が王子の鼓舞によってこの上なく吼え猛り、大きく散開したような陣形を組んで、全身全霊で攻めかかってきたと聞きます。オズワルドも、侵攻に駆り出していた飛竜兵全てを投入しました。……終わってみれば、あの戦で生き残ったオズワルドの兵士は、ごく僅かでした。前衛は一人残らず全滅、本陣もズタズタに引き裂かれ、複数の飛竜に守られて下がろうとした将軍も熟練者の"治癒"の魔術ですら治せないような大きな深手を負って、戦の翌日に苦しみながら死にました。それでも世継ぎの王子といくらかの戦神騎士を何とか討ち取って、竜神の軍は"敗けなかった"」
「っ……!」
「そして、こんな偉そうなことを語っている私はその時……直前の小競り合いで敗走して、部下達と森に隠れて震えておりました。後で味方に合流して戦の後始末を命じられ、現場を見て戦慄しました。戦神の軍の底力にも……無数の屍の上で欠伸をかいていた、飛竜達にも」
「……飛竜達が戦場で終始暴れ続けていても、そこまでの被害を受けたのか」
「ええ。ですからその後で我々のした戦はもう、飛竜をひたすら前に出すだけになりました。小競り合いですら、とにかく飛竜です。とにかくひたすら無敵の飛竜にすがる。そういう戦をし続けました。それだけでフォルラザを打ち破れるのだと、そうしなければ無駄な犠牲が増えるだけだと……ここまで同朋を失って痛み分けで終わるなど決して許されぬと、私を含む将達の多くは悟ったのです。……あまりにも遅い悟りでした。この都に攻め入った時だって、オズワルドの将兵は都に住む民草から反撃される可能性に怯えておりました。まずは飛竜を、とにかく飛竜を先に、と誰もが喚いた。そうして何とか都を破壊し、戦神の王が籠るこの城を炎の魔術で火攻めにした終戦の時でさえ……多数の飛竜が空を舞っていなければ、魔術士達は動こうとしなかったでしょう。それでも、竜神の国は戦神の国を攻め滅ぼしました。オズワルドは……"敗けなかった"」
隻眼が再び閉じられ、一筋の大粒の涙をこぼした。
隣で黙って聞いていたオルソンも、沈痛な表情を浮かべて俯いている。
勝ったのではない、敗けなかったのだと、大戦に参加した一人の将は断言した。
都を攻め滅ぼして王の首を取ったのに、それでも勝ったのではなく、敗けなかったのだ、と。
今、ディーンの目の前にいるゲイリーという男は竜神の民であると同時に、軍人なのだ。
だから無敵の飛竜の陰で軍人として、幾度となく苦杯をなめたことだろう。
「……ありがとう、よく分かった。辛いことを語らせてしまったな、ゲイリー」
「いいえ。オズワルドの将として、恥じ入るばかりです。殿下のお心遣いに、感謝申し上げます」
「よい、頭を上げてくれ。……話を戻そう。フォルラザという国は既に滅んだ。それは確かなことだ。……ゲイリー。それなのに何故まだ、亡国の諜報集団が強く機能していると思う?」
「大砂漠の下に戦神の民に類する者達が潜んでいるのではないだろうかと、大戦中に軍内で聞いたことがあります。そうでなければ南方の覇者となったフォルラザはまず、まだ覇者のいない東方に攻め入ったでしょうから。あの開けた大砂漠に何らかの協力者が潜んでいるから、真っ先に砂漠を越えてオズワルドへ攻め入ったのではないかと。戦後も飛竜兵にわざわざ王命を与え、砂漠の上を代わる代わる飛ばせ続けているのを、殿下も下向の道中でご覧になったでしょう? おそらくは大砂漠に潜むその者達が、戦神の諜報なのでしょう」
「……そうか」
「しかし、殿下。その正体が何にせよ、まだ健在する戦神の諜報は私がご報告したようにあの大戦後、南方の"竜鱗"をあからさまに消し始めております。戦神騎士達も武力にものを言わせて奇襲を繰り返し、南方の占領統治をひたすら煩わしく攪乱しています。今の攪乱が、いつまでもただ攪乱しているだけに終わるとは、私には思えません。最終的に再び戦神の軍として決起してオズワルドへの復讐を狙うのが彼らの最終目的ならば……あの大戦時のような正々堂々とした戦い方ではまた敗れるのではと考え、今後戦い方を大きく改めてくる可能性も考慮されるべきです」
「…………そうか。そうか」
ディーンはオルソンの言葉に頭を抱えそうになって、咄嗟にそれをこらえた。
部下が見ているのである。自分は王子で、南方の総督なのだ。
毅然としていなければならない。
しかし、苦境にもほどがあった。
一万の兵は前総督の無思慮な用兵によって早々に一千も削られ、"竜鱗"は戦神の諜報集団の前にまるで歯が立たずに次々に消されていく。
そして歴戦のゲイリーから見ても、百人力以上の戦神騎士達の奇襲を耐えうるように軍を動かすには、飛竜兵が必須という有様だ。
その上、戦神騎士達は大戦の結果を顧みて、今後戦い方を変えてくる可能性だってある、だと。
これでは南方を統治して、オズワルドの糧とするどころではないか。
何という厳しいところに、自分は総督などという地位を与えられて寄越されたのか。
僻地で賤民の面倒でも見ていろと言われた方が、遥かにマシなほどの苦境だ。
「……ゲイリー、オルソン」
「はっ」
「何でしょうか?」
「夕陽が沈む頃だ。その頃に、また私の居室に戻ってこい。そして、お前達が現状から大陸南方の統治をしっかりと進めていく上で必要だと思うことを、一つか二つ挙げよ。……あくまで現状ですぐに実行可能なことを、だ」
行け、とディーンは手を振って、二人の腹心を部屋の外にやった。
寝台にどさっと寝そべり、大きなため息を吐く。
埃が舞って、せき込んだ。
下女を呼んでとりあえず掃除をさせようかと思ったが、やめた。
起き上がり、部屋の隅にある掃除用具を見た。
フォルラザの世継ぎは、まさか自分で部屋を掃除していたのか。
なぜ大国の世継ぎの王子が、そのようなことをしないといけないのか。
戦神の国は、下女を使うのすら惜しんで兵士に仕立て上げていたのか。
それともオズワルドで育った自分が異常なだけで、他所の国の王族は皆自分で部屋を掃除するものなのか。
「……はぁ」
手持ち無沙汰なディーンは箒を握って、床を掃いてみた。
妾腹で、城では立場が良くなかった自分ですら、こんなことは生まれて初めてした。
落城から手入れされていなかったせいか、軽く掃いて回るだけで細かな塵が大量に集まった。
戦神の国の、世継ぎの王子か。
劣勢の中で戦場にのこのこ出てきて、案の定飛竜に潰されて死んだ馬鹿な王子だと、オズワルドの都では嘲られていた。
だが、本当にただの馬鹿だったのだろうか。
国の存亡がかかった戦に、世継ぎの王子が自ら出陣してくれれば、将兵は大いに昂っただろう。
やらねばならぬ、敗けてはならぬと、奮起したことだろう。
だからそのために王子は死を覚悟して、国のために、将兵のために、民のために、果敢に戦場へ出たはずだ。
そしてその結果、王子の出陣した戦でオズワルドは将軍すら失う絶大な被害を受けて、それでも何とか"敗けなかった"。
今の自分だって、都で嘲られていたその王子と似たようなものではないのか。
南方の"竜鱗"がろくに役に立たないことが分かった以上、戦神騎士達が戦い方を変えて諜報集団を使って暗殺を狙ってくれば、それだけで自分は容易く死ぬ。
前総督がさっさと暗殺されなかったのは、その無能さが彼らにとっては都合が良かったからだとすら思える。
大戦時、戦神の諜報を用いた卑劣な画策は、ゲイリーの知る限りでは為されなかったらしい。
しかし、自分が南方の占領統治を積極的に立て直そうとして、それを今の戦神騎士達が危ぶめば、その時は──
そうでなくても、こんな劣悪な状況から南方一帯を整備しろなどというのは、半ば国外に追放されたようなものだ。
ただ、自分はそれをある程度は理解して、覚悟の上で、悲しみ泣きすがる母に精一杯の笑顔を見せて、歯を食いしばってここにやってきた。
母にも打ち明けていない、秘めた想いを心に抱えて。
ふと、本棚に並ぶ本がどんなものか気になった。
見てみるとやはりほとんどが、戦争に関わる本だった。
しかしその中に一冊だけ、物語の本が混ざっていた。
オズワルドの都の本屋ならば容易く手に入るであろう、安っぽい恋物語だった。
幼い頃から繰り返し読んでいたのだろうか、その本はボロボロだった。
「……ははは、子供だなぁ。貴方は」
ディーンの目から、涙が零れた。
こんな部屋に住むような大国の王子と、一度話をしてみたかったと、強く思った。
だがそれはもう、決して叶うことのない望みだ。