戦神騎士物語   作:神父三号

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第21話 ノーラの道・強く脆き月

「先ほどは申し訳なかったな。南方の覇者の最精鋭らを、試すようなことをしてしまった」

 

 第三王子ヴェントは脇腹をさすりながら、対面に座るノーラとニコルへ詫びた。

 月の国マーブリス最南端、"海"に面した大きな街ノックス。

 その中心に構えられた王子の屋敷の、品の良い客間である。

 

「いえ……こちらこそ西方へ入ってすぐに、大変な無礼をいたしました。それに何より、殿下の大切な兵士達を模擬戦で多く死なせてしまって、申し訳ございません」

「俺が自ら『殺す気で来い』と言い放ったのだ。初めに戦神騎士ニコルが兵百人を下した時には、誰も死ななかった。だからその後の兵の死は、俺の責任だ。……実戦経験が無かった軍とはいえ、十倍もの兵力差があったというのにな。マーブリスの王子として、恥じ入るばかりだ」

 

 ヴェントはそう言って杯を傾け、窓の外へと沈痛な視線をやった。

 外はもう暗く、月の光と街の微かな灯りだけが見えていた。

 ノーラの連れていた二十人の兵士達は、専用の宿を与えてもらって、そちらで休んでいる。

 

 月の国の王子は杯を机に起き、しばし瞑目した。

 長い沈黙が、客間に流れた。

 

「……特別な魔物や多人数での大がかりな魔術を使った百人力、一騎当千は理解できても、生身の人間一人の百人力など俺には到底信じられなかった。世界の広さを見せつけられたように思う。特に、ニコルの戦いぶりだ。小柄な少年が馬すらなく、ただの木の棒で真っ向から百人を叩き伏せた。戦神騎士は、皆あの程度はこなせるものなのか?」

「ええ。あのくらいならば、戦神騎士は誰もが出来ます。魔術士であっても木の棒の模擬戦で殿下の兵百人を蹴散らせと言われれば、時間をかけて上手く立ち回りつつこなしたでしょう。戦神の加護を受けた武具を携えて戦えば当然、もっと容易に。……ただ、木の棒でも殺さぬように加減して、かつ百人を短時間で打ち倒すとなれば、出来る者はかなり限られます」

「ほう……つまりニコルの武技は天賦の才か」

「そうですね。このニコルは戦神騎士に叙任されるより前の初陣で、オズワルドの飛竜兵の猛攻をかい潜りながら、百人斬りを為した剣士です」

「何っ!? 初陣で百人斬りを!?」

 

 ヴェントは目を輝かせて、椅子から大きく身を乗り出した。

 握っていた杯から酒が衣服に零れて濡れて、慌てふためく。

 それを見たニコルが思わず吹き出し、ノーラは無礼な少年の頬をつねった。

 

「ニコルの才はフォルラザにあっても特別なものでしたが、そもそも我々戦神の民は物心ついた頃から人を殺す武器を握らされ、厳しく鍛えられます。そして成人して軍に入れば、死者すら出る苛烈な調練を受ける。ですから戦神騎士でなくとも、武に秀でた者は大勢いるのです。私だけでなく部下の兵士達の力も、殿下はご覧になったでしょう?」

「うむ……確かに。迎撃に特化した陣形を組んで待ち構えたというのに、たった二十人の兵士らの突撃を押し留めるどころか、一人すら倒せなかった。物心ついた頃から武器を……そして死者すら出る調練、か。この月の国マーブリスでは、到底考えられぬことだ」

「でも、それは仕方ないんじゃないですか? 僕達は戦神の信奉者で、戦の勝利を捧げることが信仰の在り方なんだと教わるので。月の民は、また違った生き方をしてるんでしょう?」

「信仰、生き方か。ニコルはまだ少年なのに、難しいことを語るものだな」

 

 月の国の第三王子が眉をひそめて、頭をかく。

 

「ガキんちょは別に言うほど難しいこと言ってないよ、ヴェントくん。きみの頭が軽いだけだね」

「……うるさいぞ、ナギッサ」

 

 王子の隣の席で茶を飲みながらやりとりを見ていたエルフがため息を吐き、王子の服を撫でた。

 そのひと撫でで、酒の染みは消え失せる。

 杖もスクロールも使っていない、エルフの叡智の為せる業だ。

 

 月影騎士ナギッサ。

 

 馬の尾のように束ねられた輝く長い金髪と、鮮やかな碧眼を持つ、長耳のエルフの少女だ。

 人間で言えば十七、八歳に見える若さだが、同じ女性であるノーラから見ても噂通りの、絶世の美貌である。

 同じ金髪碧眼である同朋のノアよりもなお美しく、その上でまだ年頃の少女らしさを感じさせる愛嬌が、魅力をさらに底上げしている。

 しかしニコルはそんなエルフを前にしても、別に見惚れたり鼻を伸ばしたりはしていない。

 相変わらず、年齢不相応な少年である。

 ──ローランならば、呆けたようになっているだろうに。

 

「まったく……他の国の情報なんていくらでもあたしが運んできてあげてたのに。ヴェントくんは『俺はこの目で見なければ信じない!』とか言うんだから。超大変でしんどい上に生き物に失礼な監視の術まであたしに一晩中張らせて、わざわざ挑発してさ。そんなだから子供の頃、しょっちゅう王さまに叱られてたんだよ?」

「エルフが杖無しで色々やるのと、人間が武器や魔術を振るうのは全く違うだろ、ナギッサ」

「それはそう。でも人間一人が持つ力については、ヴェントくんがこの国で生まれ育ったから、過少に考えてるだけだよ。それこそ、ノーラやガキんちょの言うように環境や生き方の問題でしかないね。少なくとも戦神の使徒が"本物"なのは、まぎれもない事実だよ。戦神は姿形こそもう無くなってても確かに大陸に実在する本物の神さまで、この子らはその神さまに選ばれた人間なんだから」

「戦神騎士の力は昼間のやりとりで充分痛感したし、お前の姿隠しだって見抜いたからもう決して疑わないさ。だが、飛竜の騎手が単なる木偶なのは事実なんだろ? シンガの太陽騎士は? ラガニアの探究者は? フォルラザの戦神騎士だけが、例外も例外なんじゃないのか?」

「あーもう、ああ言えばこう言う。散々止めてあげたのに、自分から戦神の使徒に突っかかってあんなにボコられて、まだこれだもん。だいたいついこの前北方から……ていうかそもそも『世界の広さを見せつけられた』って自分で吐いた言葉を、もう忘れたんですかね。ちょっとお二人さんも、何とか言ってやってくれるかな?」

 

 月影騎士ナギッサが、ノーラ達に話を振ってきた。

 ノーラは苦笑し、隣に座るニコルに視線をやった。

 ニコルも同じように、困ったような半笑いを浮かべている。

 

 目の前で繰り広げられた光景は、おおよそ大国の王子とそれに仕える騎士のやりとりではない。

 少なくともこのナギッサというエルフは、国家や王族に対して絶対的な忠誠を誓って頭を垂れるような服従をしているわけではないらしい。

 やはりマーブリスの最精鋭"月影騎士"はおそらく、こういう人を食った態度を取るエルフ達で構成されているのだろう。

 だから必然的に王子のヴェントは、人間一人の発揮できる力を小さく見て、他国における最精鋭の実力を疑ってしまうのだ。

 

「私達は竜神の国オズワルドの、飛竜兵の強さはよく知っています。……実際に戦って、敗れたのですから。飛竜はまさしく一騎当千です。ですが、太陽の国シンガや探求の国ラガニアの最精鋭達のことは、よく知りません」

「ほら見ろ」

「何が『ほら見ろ』じゃ。あたしがヤバさをたんまりと教えてやったでしょうが」

「知るか。どうせ大陸の反対側、遥か彼方の話だ。それに太陽騎士とやらは片手の指で足りる数なんだろ? 探究者だって、お前らエルフには遠く及ばないんだろ? そもそもオズワルドが大陸中央に居座っている限り、関わることなんて無い。実力が本物だろうが偽物だろうが、どうでもいいな」

「はあ!? 子供みたいに拗ねないでよ。ヴェントくん今いくつでちゅかね~? まだあたしがおてて繋いであげないと夜おしっこにも行けないでちゅか~?」

「ナギッサお前ぇ!!」

「何よ! このクソガキ!!」

 

 第三王子と月影騎士が同時に立ち上がった。

 そして互いの頬をつねり、耳を引っ張り、鼻の穴に指を突っ込み、子供のような喧嘩を始める。

 ノーラは呆れ果ててものも言えず、ニコルは無礼にもけらけらと腹を抱えて笑った。

 やがてナギッサが指を鳴らすとヴェントがべしゃりと潰れた蛙のように床に這いつくばって、それで喧嘩の決着はついた。

 

「……あー、ごほん。すまぬ。我が国の騎士が、とんだ無様を晒した」

「無様を晒したのは王子のきみね」

「僕は面白かったからいいですけどね。ヴェント様とナギッサさんは、幼馴染なんですか?」

「そ。今は図体も態度もデカくなったけど、昔はイタズラっ子だった割に、ほんとは泣き虫の怖がりだったんだよねー。あたしが闇の魔物の話してあげた夜なんて、ぷぷぷ……」

「ええい、もう黙ってろこの年増!」

 

 王子の拳骨を座ったまますっと躱し、エルフは舌を出してころころ笑う。

 

 幼馴染、か。

 ノーラは二人のやり取りを眺めながら、その言葉に想いを馳せた。

 ノーラには、そんな相手はもういない。

 かつては何人かいたが、戦の中で皆果敢に戦い抜き、死んでいった。

 強いて言うなら、今は同期のローランが、そういう相手か。

 それでもこんな、子供のように素直にじゃれ合える関係ではない。

 どこか羨ましさを感じる、距離の近さだった。

 

「……ヴェント殿下」

「ん? どうした、ノーラ」

「あれだけの無礼不作法を働いた私達をこの屋敷にお招きいただき、兵士達にも宿をくださったこと、改めて心より感謝申し上げます」

 

 ノーラとニコルは立ち上がり、ヴェント王子に拝礼した。

 

「……礼など、何度も言わずともよい。無礼不作法というが、まず俺は貴公らに大山脈の中で早々とナギッサをつけて、山の麓では大規模な監視まで張らせていたのだ。昼間は『腹の探り合いは御免だ』などと言ったが、その実一方的に探っていたことを、俺は貴公らに詫びねばならない」

「大陸南方を制覇した国の残党が、大山脈を抜けて自分達の国へやってくる。警戒なされるのは当然のことです。非があるとすれば、山中での諜報に気づけなかった私達の方でしょう」

「それを非って言われると、あたしの立場がないじゃんか。まず夜の監視に即気づいたのも信じられないけど、ちょっとした模擬戦で温まったらあたしの姿隠しまで途端に分かるようになるって。……戦神が選ぶだけのことはあるよ、あんたら。とても人間とは思えない」

「ナギッサさんはエルフと言ってもまだかなり若いんでしょ? そんなものですよ」

「『そんなもの』とか言うなガキんちょ! はぁ……ごくっ、それで?」

 

 ナギッサは茶を一気に飲み干し、ノーラをじっと見つめてきた。

 

 

「そろそろ本題入ろうよ。あんたらはマーブリスに入ってきて、今後どうするつもり? ……今この国の北で何が起きてるかくらい、もう自前の諜報で掴んでるでしょ?」

 

 

 ノーラはエルフの碧眼が送ってくる眼差しを正面から受け止めた。

 エルフは奔放、気まぐれ、からかい癖あり。

 そう聞いていた。

 だがしかし、目の前のエルフは確かに月の国マーブリスに仕える月影騎士として、ノーラへ真摯に問いかけてきている。

 

「……ナギッサ、控えろ。それは俺が彼らに問いかけて、俺が聞くべき話だ」

 

 ノーラが口を開く前に、ヴェントが真剣な声音でナギッサを制した。

 月影騎士たるエルフは素直に従い、居住まいを正して黙り込む。

 月の国の第三王子が大きく息を吸い込み、ノーラとニコルにしかと向き合った。

 

「貴公らの目的は、再起と復讐。そしてそれを為すための人材や物資、繋がりを得たい。昼間にそう言ったな?」

「はい。申し上げました」

「竜神の国オズワルドの状況は、月影騎士らを通して王家の耳にも入っている。二度の大戦で国内は大きく疲弊し、獲得した大陸南方は無能な総督府のせいで、まともな占領統治すら進んでいないという。確かに、現実的に復讐を果たそうとするならば、この混乱期に大きく動くほかないだろうな。……最近マーブリス国内の戦神の諜報の動きが活発化したのも、それが理由だろう? 今の情勢をマーブリスがどう受け止めているか、そしてどう動くのか。それを知りたいがため。違うか?」

「……その通りです、殿下。そこまでお気づきとは、ご慧眼に恐れ入ります」

「いや、俺はあまり頭を使うのは得意ではない。ほぼ父上や兄上、そして重臣ら……あとこいつの受け売りだ」

 

 ヴェントはそう言って、隣のナギッサを指差した。

 ナギッサはふふんと、腕を組んで胸を張った。

 

「貴公らはこの国にいる戦神の諜報から、フォルラザとオズワルドの大戦中に俺がこのノックスへ下向してきたことを既に聞き知っているはずだ。だからはっきり言うが……オズワルドが反撃にフォルラザへ侵攻した時点で、マーブリス王家と月影騎士はオズワルドの勝ちを読んでいた。だから俺はノックスに下りて、いずれ落ち延びてくるだろうフォルラザの残党を待ち受け……そして案の定、全てが予想通りになった」

「……我々の敗北と滅亡を」

「そうだ。戦神騎士が噂通りの百人力であろうとも、戦神騎士団がそんな強者の集まりであろうとも、飛竜は大陸最強の魔物……竜神の末裔である竜族の一種。人間に飛竜の首は取れないと、月影騎士らは皆主張した」

「合ってますね。結局、僕達は飛竜の騎手は殺せても、飛竜自体は殺せませんでしたから。……とても賢いんですね、月影騎士の皆さんは」

 

 若干皮肉っぽくマーブリスの最精鋭を称賛したニコルに対して、ヴェントは後ろめたそうに頭をかいた。

 

「まだ少年だというのに随分と才気走るな、ニコルは……まあ、今さら隠す必要もなかろう。そうだ。月の国マーブリスの最精鋭たる"月影騎士"とは、エルフの協力者らのことだ。ナギッサだけが特別なわけではない。ナギッサのようなエルフの協力者を、月の国はそれなりの数抱えている。……王家とごく一握りの重臣しか知らぬ、国家機密だがな。まあ、普通の魔術士ならば軍には大勢いるからな。一部の魔術士達が遊軍として動いている……という体になっている」

 

 第三王子の告白に戦神騎士達は特に動じずに頷いた。

 もう分かりきっていた疑問の、答え合わせをしたというだけの話である。

 

「……マーブリス王家と月影騎士の予想は、大戦の勝敗から私達が西方に落ち延びてくるところまで、全て的中しました。流石は大陸西方の覇者と言わざるをえません」

「うむ。だが、問題はここからだ。貴公ら戦神騎士の生き残りが、こちらの予想通りマーブリス内にやってきた。俺がマーブリス第三王子として、貴公らと接触した。まさにここから、どうするかなのだ」

 

 ヴェントは杯の酒を、全て呑み干した。

 だが、微塵も酔った様子は無い。

 

 

「……復讐とは言うが実際のところ、オズワルドの飛竜に打ち勝つ算段はついているのか?」

 

 

 ノーラは目を閉じた。当然の問いかけである。

 同朋であるニコルにも兵士達にも問われたことだ。

 そして、現状の答えは決まっていた。

 

 

「今のところは、何の対抗策もありません。ただ、かつてのフォルラザの堂々とした戦の仕方では決して勝てない。それだけは噛みしめております」

 

 

 ノーラは目を開き、一切の誤魔化しをせずに、率直に言った。

 月の国の第三王子も月影騎士も、それを決して笑わなかった。

 ただ真剣な表情で、頷いただけだ。

 

「我ら月の国マーブリスは」

 

 王子が語る。

 国の代表として。

 

「現在、オズワルドとは同盟も敵対もしていない。国境となる大河川支流に跨る大商業都市トレットで、商人や集落同士がやりとりをしているだけの間柄だ。国家としては長らくの間、公的な交流を持っていない。大陸中央を獲得したいという領土欲も、今の王家には無い。……そして何より今は、我らにはオズワルドの動向よりも遥かに優先すべき、大きな問題がある。それも、貴公らならばもう掴んでいるのではないか?」

「……マーブリス領最北で起きた二つの戦、ですね。"蛮地"と"謎の勢力"による、同時侵攻」

 

 目配せしたヴェントに応じるようにナギッサが部屋を出て、大きな紙を持って戻ってきた。

 机の上に広げられたのは、地図だ。

 大陸全土の地図。

 ノーラはそれをまじまじと見つめて、驚愕した。

 大陸の形状は当然のこと、南端の大山脈、地方の境界となる大河川とその支流、その他の大規模な森林や山地、そして大陸中の主要な都市の位置までもが描かれた、極めて詳細な地図である。

 かつてフォルラザが軍議で用いていた地図とは、精度がまるで違う。

 これもまた、エルフ達を最精鋭の騎士として抱えているが故の産物なのだろうか。

 しかし。

 

「……よろしいのですか? こんな極めて重要な物を、余所者である私達にお見せになって」

「いずれ落ち延びてくる貴公らの扱いをどうするかについて、我が国の中枢でも大揉めに揉めた。オズワルドとの火種になりかねないから、始末すべきだ。懐柔してマーブリスの軍として、吸収すべきだ。国内を荒らさない限りは、無視すべきだ。……本当に様々な意見が出た」

「なるほど。僕にはどの意見も道理にかなってるように思えます。でもそれを今明かすってことは……現状の結論は違う。あるいは保留ってことですね?」

「やれやれ……貴公は俺より賢いな、ニコル。そうだ。結局確固とした結論は出ずに、とりあえずは月影騎士を張りつけて様子見する、という消極的な方針だけが決まった。……しかし数日前に起きた一件で、貴公らに対する結論を急がざるをえなくなった」

 

 ヴェントの太い指が地図上をノックスから北上し、月の都を越えて遥か北、大陸北方との境界線となる大河川へと置かれた。

 

 

「ノーラが先ほど言った通りだ。"蛮地"、そして"神聖国家オラトリア"。大陸北方の二つの勢力が、大河川を越えてマーブリス領へ同時に侵攻してきたのだ」

 

 

 神聖国家オラトリア。

 それを聞いてノーラは、首をかしげた。

 

「"蛮地"は存じています。秘儀によって魔物を使役する、蛮族の住む土地。しかし、オラトリアという国名は……」

「知らぬだろうな。神聖国家オラトリアは大陸北西部の国……南方のフォルラザから見れば、大陸の果ても果てだ。その上、ごく最近まで極めて閉じた国だった。月影騎士の諜報すら寄せ付けずに実態を探れない、そういう国だった」

「エルフの諜報すら寄せ付けない……それはやっぱり、オラトリアが"闇の吹き溜まり"に囲まれてるせいですか?」

「ガキんちょ、ご名答。このオラトリアって国の周辺は本当に隙間なく、"闇の吹き溜まり"まみれなの。ずーっと昔からそうだった。少なくとも、マーブリス王家とあたしらエルフがしっかりと関わり合う前からそう。マーブリスが建国される前……森のババさま達が若い頃は小さな集落がいくつかある程度だったらしいんだけど、それがいつの間にか"闇の吹き溜まり"まみれになってたんだって」

「いつの間にか……って。そんな国を丸ごと覆うような"吹き溜まり"の発生に気づかなかったんです? エルフなのに」

「あのね……エルフだってそんな万能じゃないの。時間の感覚だって、人間と関わってないと超のんびりしてる同朋の方が多いんだから。ばら撒かれた屍に闇の魔物が沸いて、"吹き溜まり"を作るまでなんて、人間と付き合ってないようなエルフからしたら一瞬みたいなもんなわけ」

「へぇー、勉強になりますね」

「なんか軽いわね、ガキんちょ……まあともかく。そんでもって、エルフは闇が大の苦手なの。闇の濃さ次第では、近づくだけで吐いて動けなくなっちゃうくらいに無理。だからこんなふざけた有り様の国の内情を探るのは無理なの。ごく一部の特別なエルフなら、結構平気なんだけどね。でもそんな超大物は月影騎士にはいないし。この最北端の森林にはあたしも行ったことがあるけど、木が皆酷く怖がってて、まともに情報もくれなかった。……ったく、あんな国の在り方の何が"神聖"なんだか」

「まあ、尋問した捕虜が『我々は神聖国家オラトリアの兵だ』と吐いたから、俺らマーブリスもそう呼んでるだけだ。俺からすれば、"闇の国オラトリア"の方が相応しく感じるがな」

 

 ヴェントがそう吐き捨て、忌々しそうに大陸の北西部を人差し指でほじった。

 確かに地図には、オラトリアの都は書き込まれていない。

 都の所在すら分からないほどに、"闇の吹き溜まり"で囲まれているということか。

 ノーラは考え込む。

 大河川を越えての、大陸北方の二つの勢力の同時侵攻。

 "砂粒"が事前に報せてきたそれはやはり、マーブリスにとっては南方を得たオズワルドの動向よりも遥かに逼迫した問題であるらしい。

 

「……緒戦はマーブリスが制し、侵略者を西方から駆逐したという情報は私達も得ています。それでも"蛮地"とオラトリアは、月影騎士のエルフ達を擁する西方の覇者マーブリスですら手を焼くほどの、難敵であると?」

「月影騎士らは、国家の戦争には駆り出さない。最精鋭として遇し、様々な助力はして貰っても、それを国の内外には喧伝せず、また直接的な戦の尖兵には決してしない。人間の争いごとは、あくまで人間同士がやる。マーブリス王家は代々そういう約束の元で、都の東の大きく深い森にあるエルフの集落の一部の者達に、騎士として協力してもらっている」

「人間の争いごとは、人間同士で……そうですか。苦しいですね、それは。うぅーん」

 

 ニコルが額に手をやって、唸る。

 ノーラには聡い少年騎士の苦悩が、よく理解できた。

 

 協力してくれたエルフ達の助力もあって、月の国マーブリスは大陸西方の覇者となった。

 それは確かだろう。

 しかし、覇者に登り詰められたのは、あくまで月の民の血の滲むような努力が主体なのだ。

 

 ノーラは、月の国の歴史の長さを知らない。いつ大陸西方を統べたのかも、知らない。

 おそらくかつて、軍を巧みに統率できる偉大な英雄がいたのだろう。

 それは王家の誰かだったのかもしれないし、忠義の将だったのかもしれない。

 だが、西方統一の過程で、戦神騎士や飛竜兵のような突出した戦力が育ったわけではなかった。

 西方の覇者となった今でさえも、最精鋭と呼べるのは協力者であるエルフ達のみなのだ。

 それ故に王子であるヴェントですら、人間の持つ力の強さを信じきれていなかった。

 人間一人は、どこまでいっても人間一人でしかないと思っていた。

 

 こうして机の上に広げられた地図で見ると、マーブリスの領土は広大だ。

 抱えている軍だって、先の模擬戦でオズワルドの正規兵と練度の差がほぼ無いほどに良く鍛えられていることが分かった。

 だがそれでも、戦神の民である自分達から見れば大したことのないものだ。

 その大したことのない軍をエルフの助力で補強して、この広大な領土を維持してきた。

 本当に素晴らしいことだ。

 しかし、明確な敵意を持って攻め込まれれば、脆さが露呈してしまう。

 最精鋭を直接戦場に駆り出せないという、大国としてあまりにも致命的な脆さが。

 

「……畏れながら殿下。"蛮地"とオラトリアの軍勢は、どういう性質のものだったのでしょうか?」

「月影騎士らの情報伝達は極めて迅速だ。ノックスにいる俺の耳にも、もう戦の詳細が入っている。どちらの軍勢もおよそ一千程度。ただ、あくまで様子見の軍勢だったようだ。野戦にはあまり応じずに、横槍を受けながらも城塞都市への攻撃を執拗に試みる……そんな軍の動かし方を、両勢力共にやってきたようだ」

「横槍を受けながらも、城塞都市への攻撃に専念……うーん。じゃあ、たった一千の様子見程度の緒戦でもう、全滅覚悟の特攻ですか」

「ああ。ニコルの言う通り、どちらも全滅前提のような無理のある攻勢を仕掛けてきた。"蛮地"の連中はやはり低俗な魔物を大量に引き連れて操っており、兵士の武具も何やら独特でかなり手強かったらしい。……一方でオラトリアの兵士は練度こそさほどだが士気が異様に高く、不死身かと思えるような尋常ではない生命力を誇っていたという」

「あたしの同朋がオラトリアの捕虜を何人か見たけど、多分"治癒"の魔術が常時かけられてる感じかなって読んでた。いくら何でも人間の魔術士にそんなこと、出来るとは思えないんだけどね。"治癒"は一度の使用でもかなり魔力を使っちゃうし、人間じゃ希少な素質がないと使えないのはあんたらも知ってるでしょ? ただ、エルフやドワーフやノームみたいな、いわゆる亜人の業の形跡もなかったんだって。……何かヤバいものを抱えてるね、このオラトリアって国は。"神聖国家"なんて名乗ってるのもクサいし、"蛮地"と示し合わせたように同時に動いたってのも怪しい」

「北方への備えである大河川近くの二つの城塞都市は、攻め寄せてきた一千の軍をそれぞれ打ち倒すのにも、かなりの犠牲を払った。今は、都の守備兵を回して防備を固め始めているところだ。月影騎士らも、北方への注意を強めさせている。だがそれでも、奴らが本格的に数を揃えてかかってくれば、どうなるか……」

 

 四人で地図へ視線を落としながらの、重たい沈黙が流れた。

 そして最初に顔を上げたのは、ニコルだった。

 

「すいませんヴェント様、ナギッサさん……ノーラ先輩。とりあえず僕の思ってること、話してもいいですか?」

 

 ヴェントとナギッサはニコルの顔を見つめた。

 ノーラも横目で、同朋の少年騎士を見る。

 本来ならばマーブリス側の情勢説明に対して、戦神騎士の旗頭であるノーラが口火を切るべき場面だ。

 だがあえて、ニコルがそれをやろうとしている。

 その意図が、ノーラにはすぐに理解できた。

 年齢不相応な賢さを持つ少年である。

 だから少年故の素直さや率直さを、武器にするつもりだ。

 ノーラが代表として、意見を述べる前に。

 

 

「まず、別に抜けようと思えばすぐに抜けられた"監視"の魔術。あくまで僕達への牽制のつもりだったとしても、それをエルフのナギッサさんがさっき『超大変でしんどい』って言ったこと。こっちに接触を図ってきた時の、月影騎士の概要説明。そして今夜の、このすごく詳しい大陸全体の地図。僕達フォルラザ残党への対応について、マーブリス王家で挙がった意見。北方で起きた戦の詳細とその事後対応のお話。……何よりも、最精鋭の月影騎士がエルフの協力者達で、実は戦に直接参加できないっていう、すごく重大な秘密。これってどれも、ここにやってきたばかりの僕達にあっさり出していい情報じゃないですよね?」

 

 

 マーブリスの第三王子と月影騎士が、目を細めた。

 

「僕達はこのノックスの前でヴェント様と初めてお会いした時、あくまで再起と復讐が目的で、マーブリスと敵対するつもりは無いと確かに言いました。でも『マーブリスと同盟したい』とは言ってません。当然、『傘下に加えてほしい』とも言ってません。『人材や物資、そして繋がりを得たい』とぼんやり言っただけです」

「……ああ。その通りだな、戦神騎士ニコル」

「だけど、ヴェント様はこうして僕達を屋敷に招いて、兵士達には宿をくれて、その上でこの国の色々な事情や秘密を明かしてくださいました。そして、『結論を急がざるをえなくなった』ともおっしゃいました。……僕ってまだ子供だから、難しいことよく分かんないんですけど」

 

 幼い戦神騎士は、貼り付けたような笑みを浮かべて、言い放つ。

 

 

「『協力します』と言わなかったら、消すぞってことですか?」

 




大陸地図に、北方の勢力である神聖国家「オラトリア」及び、マーブリスとオズワルドを繋ぐ大商業都市「トレット」を追加しました。

【挿絵表示】

本編中ではオラトリアの周辺は"闇の吹き溜まり"で包まれていて、正確な都の位置は分からないと説明がありましたが、地図上のオラトリアはあくまで「この辺一帯の勢力であることを示している」と思っていただければ幸いです。
正確な都の位置がここである、というものではありません。
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