「『協力します』と言わなかったら、消すぞってことですか?」
はっきり言ったな、こいつ。
ノーラはそう思いながら、あえてニコルの直言を咎めなかった。
ヴェントとナギッサの表情の変化を見逃さぬよう、しっかりと二人の様子を見つめる。
しかし二人は、まったく表情を動かさなかった。
ニコルの問いかけに対して、何ら応答もしない。
「今、椅子に座ってても机一つ分の間合いですよ。戦神騎士二人がかりなら、ナギッサさんがまばたきしてる間に、人間一人くらいは素手で簡単に殺せます。いや、本気になれば二人でも余裕かなぁ」
「っ……は? 脅迫のつもり?」
「さあ? ナギッサさんは昼間の模擬戦で"防護"の魔術使ってましたけど、この距離なら僕達とどっちが速いでしょうね。競争してみますか?」
「クソガキが。いくら戦神の使徒だからって」
ピシッ。
ナギッサの言葉を遮るように、彼女の後ろの壁がひび割れた。
ニコルが隠し持っていた、小さな鉛玉が撃ち込まれたのだ。
マーブリスの二人の目が大きく見開かれ、瞳が揺れた。
フォルラザで天賦の才を称された戦神騎士の少年が、口の端をつり上げる。
「僕が鉛玉持ってたのはちゃんと気づいてたみたいですけど、今の見えましたか? まあちょっと手加減して撃ったから、エルフのナギッサさんなら流石に見えましたよね? あと一個持ってるのも気づいてるでしょ?」
「……っ!」
「もっと言いますけど、戦慣れしてない上に昼間あんなに怯えてた兵士が千人いても二千人いても、夜の市街地で僕達戦神の軍を相手するなんて出来ないですよ。人間の争いごとは、あくまで人間同士がやる……でしたっけ? この街、滅茶苦茶になっちゃいますね。ただでさえ北が大変なのに」
「……それ以上はやめろ、ニコル。殿下とナギッサの話に割り込んで、勝手に邪推して威圧までして。あまりにも無礼だぞ」
第三王子と月影騎士の顔がはっきりと強張ったのを確認して、ノーラは役目をしっかり果たした同朋に声をかけた。
それでニコルは剥き出しにしていた鋭い殺気を、すぐに消した。
だが、表情は冷酷な笑みを浮かべたままだ。
「第三王子ヴェント殿下、月影騎士ナギッサ。同朋の浅はかな勘繰りと無礼極まる言動を、深くお詫び申し上げます」
「いや、構わぬ。どうにも、その場の流れで先に喋るべきでないことまでべらべら喋ってしまっていたな、俺は。何度も打ち合わせをしたというのに……というかナギッサ。お前が良い具合に止めてくれよ」
「だって『腹の探り合いは御免だ』って、ヴェントくん自分で言ってたし。どうせ遅かれ早かれだったろうし、いいんじゃないの?」
「……まったく。父上も何故俺をノックスに寄越したのだか。親なのだから俺がこの手の交渉が得意じゃないことくらい、当然知ってるだろうに」
「だからでしょ? きみじゃないと多分、もっとトゲトゲした回りくどいお話になってたよ」
「はぁ……ニコルの言ったことは全て正解だ。月の国マーブリスは北方からの難敵に対して、戦神騎士の確かな助力を得られるかどうか。得られるならば、それで良し。得られなければ、始末すべし。結論はこのどちらかだと、王家と月影騎士はもう意見を統一している。そして必ずどちらかに決めなければならないのは、昼間の模擬戦で貴公らの強さを見せつけられて、俺自身確信した」
「…………」
「その上で、俺の意見を言わせてほしい。これはマーブリスの第三王子としての意見であり、同時に一人の月の民としての意見でもある」
ヴェントが席を立った。
ナギッサもである。
「戦神騎士ノーラよ。戦神騎士ニコルよ。俺の祖国マーブリスの国難に、貴方達の大いなる力を貸してほしい」
ヴェントという一人の男が頭を下げる。
幼馴染のナギッサも、それに続いた。
「……どうか頭をお上げください、殿下。そうまでしていただいた以上、私達も腹を割って話させていただきます。……確かな見返りを得るために協力する、という前提でのお話です」
「やりますか、先輩」
「ああ、やるぞニコル。竜神の国への復讐が、戦神の軍の到達すべき場所だ。その道のりは長く険しい。遠回りだって、せざるをえない時はいくらでも出てくる。ここで何もせずに立ち去っても、それは何の進歩にもならない。月の国と争うのだって、無駄な血を流すだけだ。分かりきっていたことだ」
王子と月影騎士が椅子に座り直した後で、ノーラは懐から小さな木笛を取り出し、音もなく吹き鳴らした。
そしてニコルに客間を出て、屋敷の外で待つように告げた。
王子が首をかしげる中でしばらく待っていると、ニコルが一人の平凡な身なりの老婆を連れて戻ってきた。
扉が閉じられると同時に、老婆が跪き、頭を下げる。
「その者は……ナギッサが接触したという、戦神の諜報か?」
「はい。"砂粒"と私達は呼んでおります。フォルラザの旧き同盟者であり、今もなお戦神の軍に協力してくれている心強い同朋です。……ナギッサ。あなたはノックスに転がるこの"砂粒"を見事に探し当てて、私達に接触してきた。だから聞くが、月影騎士達はもう大陸西方における"砂粒"の所在を、あらかた掴んでいるのではないか?」
「……ご名答。そのお婆さんは特に滅茶苦茶上手く隠れてたから、あたしらでも見つけるのにだいぶ時間かかっちゃったけどね。ただまあ、人の集まりの中に紛れて暮らしてるような戦神の諜報については、ほぼ掴めてるつもりだよ」
「ならば、他国の諜報に関してはどうだ? 特に、竜神の国の諜報については」
「竜神の国の諜報は全員バレバレ。律儀に飛竜の鱗持ってるんだもん。鱗にちょびっと残った魔力で動きは手に取るように分かるし、仮に鱗を手放しても残滓のせいで余裕で追えるね。探究の国は、たまにそれっぽい魔術士達が旅してきて情報収集をやってるって感じ。でも、そこまで深くは見てないよ。……あの国はあたしら月影騎士の存在に、何となく気づいてる感じあるしね。あと、太陽の国は一切諜報とか入れて来ない。まあ、昔から月と太陽は相互不干渉って話だから当然なんだけど」
「……"蛮地"と"神聖国家オラトリア"の諜報は?」
「色々気を配ってるけど、今のところそれらしき奴らはいない。今後入ってくるかもだから、大河川沿いの偵察は強化してるけどね。向こう岸も、頻繁に見て回るようにしてるし」
ノーラはそれを聞くと老婆の前に片膝を付き、視線を合わせて、小さな声で相談した。
西方の"砂粒"のまとめ役である老婆は、戦神騎士の旗頭の赤い瞳を真っ直ぐに見つめ、何度も頷き、問いかけに答え、そして、了承してくれた。
王子のはからいで椅子がもう一つ用意され、老婆は客間の片隅に座って、息を殺した。
ノーラは話を中断したことを謝罪した上で、自分の考えを述べ始めた。
「まず、戦神の軍の助力の有効性について話しましょう。私達の武力の一端は昼間にお見せしましたが、実際の戦場では戦神に加護された武器を振るって戦います。ニコルが全力で白銀の双剣を振るえばそれだけで鋭い剣圧が乱れ飛び、私が旗槍を薙ぎ払えば衝撃波が前方を全て吹き飛ばします。漆黒の胴鎧も、生半可な武器や魔術は寄せ付けません。敵兵の練度にもよりますが、私とニコル、そして二十人の兵士達だけで野戦をしても、兵四百人から六百人は片づけられると思っていただいて構いません」
「ろ、六百っ……!」
「ヤバ、何それ。戦神の民って……」
「まあ、それでも飛竜には敵わなかったんですけどね。あいつらの鱗の硬さときたら……」
「大陸南方にはまだ戦神騎士を筆頭とする同朋の者達が潜伏していますが、南方の攪乱に限界が来れば、こちらに合流させる方針です。ですから、もっと戦神の軍の数は増えるかもしれません。ただ、あくまで戦神騎士一人あたり数百人分。私達の直接的な助力とは、その程度の力なのです。小国が搾り出した一千の軟弱な軍ならば、戦神の軍が力を見せつければ士気と統制を失い、総崩れになってそのまま終わりでしょう。ですが、仮に"蛮地"とオラトリアがそれぞれ一万以上の精強な軍を出してきたら」
「焼け石に水をかけるようなもの、か……」
「おっしゃる通りです。……ところで、マーブリスは大河川を越えて兵を出し、北方の敵地に攻め込むようなことはできますか?」
「……どうだ、ナギッサ」
あたしに振るんかい、と愚痴りながらナギッサはうんうんと唸った。
「出来なくはない、かな。川の民が水中の魔物を避けられる船を作るのに使う、特別な木があるんだけど、それがエルフにも分かるから。いや、でも……あたしらの森でもそんなにまとまった本数が確保できないくらい珍しい木だから、数千とか一万とかの兵を北方に渡すほどに大量の船を作るなんてのは、やっぱ無理だね」
「じゃあ逆に何で、"蛮地"とオラトリアは一千の軍で大河川を渡って、こっちに攻めてこれたんです?」
「"蛮地"の連中は、水中でも陸地でも動けるような奇妙な魔物に乗ってきたらしい。オラトリアは、普通に船だ。……いや、普通じゃないな。奴らが使っていたと思しき船をあらためたが、船底に幼い闇の魔物がびっしりへばり付いていたと報告されている。闇の魔物は人間やエルフのみならず、多くの魔物にすら忌避される存在だからな。その性質を利用したのだろう」
「頭おかしいよ、神聖国家ってのは。闇の魔物は人間の屍の怨念を啜る、最低の存在なのに。よりによって人間がそれを戦に利用するなんてさ。そもそもどうやって闇の魔物を集めてこき使ってるのか、あたしらエルフですら分かんないし」
ナギッサは不愉快そうに呟き、自身の長耳を弄った。
ノーラは話を聞きながら、頭の中を整理する。
マーブリス側が大河川を越えて攻め入るのは、不可能。
"蛮地"とオラトリア側は、それが出来る。
マーブリスはエルフを戦争に駆り出せず、諜報などの間接的な助力しか受けられない。
"蛮地"は低俗な魔物が主力だが、兵士も独特な武器を用いていて手強い。
オラトリアは兵士の練度は大したことないが士気が異様に高く、"治癒"が常時かけられていて凄まじい生命力を発揮する。
となれば、やはり。
「……殿下。畏れながら、提案がございます。戦神の諜報である"砂粒"達に、国中の人材を掘り起こさせていただきたいのです」
「何? どういうことだ?」
「マーブリス側から相手に攻めかかれない以上、"蛮地"とオラトリアは悠々と大軍を組織する準備が出来ます。そして、いずれ必ず大戦を仕掛けてくる。さらに、一度の大戦で敗れても、こちらからは攻め滅ぼせないのですから、今後しつこく攻め続けてくることが考えられます。長い目で見れば、マーブリスという国が抱える人材の質そのものを底上げするべきなのです。特に軍においては単純に全体の練度を引き上げるだけでなく、それこそ百人力……いえ、十人力でもいい。鍛え上げられた人間で構成された精鋭集団を、伝統的に根付かせるような底上げをすべきです。そしてそれを維持、あるいは拡張していくための、機構の整備も」
「おー、壮大でかっこいいこと言いますな。戦神の使徒さまは」
「私は本気で言っているぞ、月影騎士ナギッサ。エルフと結ぶこの月の国とて建国から西方の覇者となるまでに、文武で覇業に大きく貢献したような人間の英雄はいたはずだ。……違うか?」
「……いたらしいね。あたしも、すごい人間は何人か見知ってる。残念ながら、今はもう図抜けた人間は都にもいないけど」
「だから、今を生きる英雄達を見つけ出す。そして英雄達が生きている間に軍を大きく鍛え上げ、大国の象徴となる精鋭集団も組織して、それらをしっかりと保てるように国の在り方を整える。そのために国中の人材を掘り起こす。現状のマーブリスのあらゆる人脈にエルフの諜報……そして"砂粒"の諜報を用いて」
「戦神の諜報を、マーブリスの国力の増強に使うだと? しかし、エルフよりも質が劣る諜報ではないのか?」
「ヴェント様、等身大の人間の目線で見ないと分からないような才能って、僕はあると思います。それこそちょっとした村の『あいつ結構凄いよ』みたいな人だったりとか。そういった人間達を見つけるのは、同じ人間の諜報の方がやりやすいんじゃないですか?」
「むぅ……しかし"砂粒"は貴公らの部下ではなく、あくまで同盟者なのだろう? そこに座る者とて、相当な手練れだろうが"砂粒"全体の長というわけではあるまい。勝手にそのようなことを約して、構わぬのか?」
「今座っている"砂粒"はナギッサが発見に苦労したように、西方に散らばる中でも上澄みも上澄みの年長者であり、まとめ役です。長とも極めて近く、"砂粒"の何たるかを知り尽くしております。西方の砂の一粒ずつを月影騎士達に既に把握されていることが分かった以上、敵対よりは協力した方がいい。それが巡り廻って戦神の軍への助力と"砂粒"自身の信仰のためにもなると、そう言ってくれました」
ヴェント王子は腕を組み、考え込む。
やがて、額から汗が垂れ、顔が真っ赤になり始めた。
ナギッサが客間の棚に向けて手招きすると、一枚の布がすっ飛んできて、何故か湿り気を帯びて王子の顔を覆った。
王子が慌てて、もがもがと呻き出す。布は中々に取れなかった。
「っ……っぶはぁっ! はぁ、はぁ……殺す気か年増!」
「いや、足りない頭無理して使って、暑そうだったし」
「ふぅ……まあ、助かった。頭が冷えた。……要は、だ。要はこの機会にマーブリスをより強い国にしてしまおう、その協力までも貴公らは同盟者と共にしてくれる、ということだな?」
「その通りです、殿下。そして協力する以上、"蛮地"やオラトリアが大きく攻め寄せれば当然、私達戦神の軍も共に戦います。たとえそれが数万対数万のぶつかり合いになったとしても、戦神の名に恥じぬ比類無き活躍をしてみせます。……ただ、いつまでもそうするわけには参りません。我々の目的はあくまで、竜神の国への復讐なのですから。一度の大戦を私達の加勢で切り抜けても、いつしか二度目三度目がやがて起きることでしょう。ですから私達がいなくなった後も、マーブリスは侵略を寄せつけないような、さらなる国力をつけるべきなのです」
「……なんとも凄まじいことを考えるものだな、戦神騎士というものは」
「だからあたし言ったでしょ? この子らは、神さまに選ばれた人間なんだって。飛竜に敗けて国が滅んで、それでも諦めずに前を向いて動き続けてるんだもん」
「これがまさに百人にも勝る人間一人の力……か」
「私達は、個人の武力でそれを為します。ですが、他の方法でそれを為せる人間だって、この広大な大陸西方にはまだ埋まっているのではないでしょうか?」
「……分かった。貴公らの話を、俺から父上に伝えてみよう。まるで国を作り直すような作業だ。しかも、北方の奴らの動きに目を配りながらそれをやらなければならない。……一気に忙しくなるな、これは」
「ええ。とはいえ、やりがいのあることです。やるべきことです」
「うむ……ただ、しかし」
ヴェントは一際真剣な表情で身を乗り出して、机上の地図の一点に人差し指を置いた。
竜神の国オズワルドの都だ。
「貴公らがそこまで手厚く協力してくれるからには、国家として当然相応に報いなければならない。貴公ら戦神の軍とその同盟者"砂粒"は月の国マーブリスに、一体何を望む?」
ノーラは当然の問いかけに、再び目を閉じた。
久しぶりに、舌が回った。
舌が勝手に回って、他国の繁栄のための壮大な計画をぶち上げ、同盟者達まで巻き込むような提案をしてしまった。
再起と復讐を、同期のローランの前で戦神に誓った時。
山騎士レオンを挑発し、無益な決闘をした時。
あれらの時と同じだ。
自分はあの滅亡の夜から何故だか、こういう人間になってしまった。
制御が利かずに勝手に回る己の舌に振り回されて、しかしそれを果たすために同朋まで巻き込んで、奔走する。
自業自得に自業自得を重ね続けて生きていく人間に、なってしまった。
だが、今さら「先ほどの話は冗談です」などと取り消せはしない。
やり遂げる。長く、険しく、惨めな道のりの果てに、辿り着くために。
何故なら自分はあの時、かけがえのない同朋で唯一の同期のローランに、「戦い続けよう」「生き続けよう」と言ったのだから。
ノーラはしばし沈黙し、考えをまとめ上げ、目を開いて再び舌を回し始めた。
「まず大前提としたいのは、戦神の軍及び"砂粒"がマーブリスに協力することを、オズワルドに可能な限り知られないようにしたい、ということです。……殿下。この街に竜神の国の諜報は何人いるか、把握されておりますか?」
「確か三人だったはずだ……そうだな、ナギッサ?」
「うん。この街には結構前から下手っぴなのが三人いたよ。んー……げっ。二人は街の中だけど、街から離れて北に走っていってるのが一人いる。ヴェントくん、どうする?」
「外の一人は今すぐ始末した方がいいか……? 夜間の行動だ。魔物に偶然襲われたように偽装できれば……」
「いえ、残りの二人が街にいる以上、下手に消すべきではありません。消すならば三人をまとめて今夜中に……ですが、それはかえって怪しまれるでしょう。私達が今日この街を訪れて王子と模擬戦をやって、こうして屋敷に招かれたという報告自体は、竜神の国に届いても構わないと思います」
「うむ……うむ? まあ、貴公がそう言うならば。……ならば話の続きだ、ノーラ。協力の見返りとして、何を望む?」
ノーラは頷き、自身の赤髪を耳にかけた。
「戦神の軍の望みは四つです。……一つ目。先ほどの大前提にも関連しますが、エルフの業で戦神の加護の気配を隠して人目を欺く道具を作り、我々戦神の軍に提供していただきたい。竜神の国の諜報はこの街だけではなく、西方中にいるでしょう。本格的な協力を始めれば当然、彼らの耳目を通してオズワルドはこちらの動きに気づきかねません。最悪、戦神騎士と連携するマーブリスを危険視したオズワルドが、攻め入ってくる可能性もあります。それを防止するためです。そしてそういう道具を提供いただけるのならば、『月の国から去れ』と国の代表である第三王子殿下に正式に言われたという体で一度ノックスの街を出て大山脈へと引き返します。出来れば、ノックスの軍勢に背中を追われるような形が望ましいですね。そして人目を欺く道具を身に着けた後で別の場所から密かに下りてきて、行動を開始します」
「そ、そこまで回りくどいことをするのか?」
「あたしはすべきだと思うね。竜神の国を下手に刺激しちゃダメってのは確かだよ。国内の飛竜の鱗持ちを今から消していっちゃう、なんて露骨なこともやめといた方がいいしね。だからこの望みについては、国として戦神の軍に助力をさせるなら絶対に呑むべきかな。あくまで北方の難敵に備えて慌ただしく動き始めたらしいし、竜神の諜報にも全然気づいてない、って感じにあちらさんには思っててほしいからね。……北の城塞都市にいる諜報は、今後どさくさ紛れに片づけていいかもだけど」
「む、ぅ……」
ヴェントが汗を拭って頷き、視線でノーラに続きを促す。
「……二つ目。掘り起こした人材の内、戦神の軍に同調する者達がいればその者達は復讐を遂げるまでの間だけ、私達の同朋として迎え入れさせていただきたい。そしてそういった人材を見極めるために、我々にマーブリス領内での自由行動を、可能な範囲で許していただきたい。ただし、何十人も何百人も優れた人材をお借りすることは、決していたしません。また、略奪や徴発の類も絶対にいたしませんし、賊徒を見つければ積極的に討伐もさせていただきます」
「領内の自由行動、か。人材発掘は"砂粒"に任せて、戦神の軍本体は大河川近くの城塞都市に張り付けておいた方が良いという意見が、都では挙がりそうに思うが……」
「でもさ、ヴェントくん。この子らが昼間の出会い頭に言ったように、戦神の軍の西方入りはそもそも人材や繋がりを得るためだよ。協力にしたって、あくまで見返りのため。月影騎士一人つけるくらいの条件で、自由行動は許してあげるべきだとあたしは思うけどね。まあ、戦神の軍は今二十二人でしょ? もう少し増えたとしても、北方が攻めてきたら、あたしらでさくっと北に跳ばしちゃえる数だよ」
「そうか……ノーラ、残る二つの望みを」
ノーラは一旦深呼吸して胸の中の空気を入れ替え、また口を開いた。
「……三つ目。来たるべき決戦の時に、大陸中央のオズワルドを牽制するように軍を動かしていただきたい。実際に戦に加勢してほしいとは申し上げません。あくまで牽制となるような動きを、お願いいたします。……四つ目。月影騎士の諜報の力を、時折お貸しいただきたい。"砂粒"でも為せぬようなエルフの叡智を活かした業で、道のりを歩む手助けをしていただきたく存じます。……以上が、戦神の軍の望みです」
望みを言い終えたノーラを、ヴェントの瞳がじっと見つめてきた。
よく澄んだ瞳だ。
安定した大国の王子として生まれ、環境に恵まれ、人の営みの汚さや醜さにもさほど深く触れずに、だがそのおかげで真っ直ぐに育った、そんな男の瞳だった。
「……ご老体。そなたら"砂粒"の望みは?」
「同朋が戦神に捧げる戦の手助けをすること。"砂粒"にとってはそれを為すことが即ち戦であり、何よりの名誉と誇りにござります。……第三王子殿下。あえて望みを申し上げるならば、西方の我々を目立たぬ砂の一粒のままとして、平穏無事に散らばらせていただくことでござりますな」
「なるほど。それもニコルの言っていた信仰や生き方というものか」
王子は深く頷き、隣の騎士を見やる。
「……ナギッサ」
「ヴェントくん、どうせ明日は兵の家を回りたいんでしょ? だからそれ含めて……五日かな。ヴェントくんにはメリッサ姉さまと一緒に跳んでもらうよ。遠くに跳ぶのもお話するのも、あたしより姉さまの方がずっと巧いし。あたしの意見と今日見聞きしたことは全部、姉さまに託しておくから。……頑張ってね」
「ああ、いつもありがとな。……戦神騎士ノーラよ。明日から五日、時間を貰いたい。その間に俺が月の国の都に戻り、父上と……いや、国王陛下と話をつけてくる。ただ、国家として正式にどういう結論を出すのかは保証できない。だから、覚悟はしておいてくれ」
「承知しております。しかし結論がどうであれ、私達の側から先に月の国へ牙を剥くことはいたしません。戦神に、誓います」
「すまぬな……だがそれでも俺の、精一杯の誠意の証を、貴公らには示しておきたい。まず、ノックスに出入りする"砂粒"の動きには、一切関与しない。そして明日から五日間は貴公ら及びその兵士達の、ノックスの街中や周辺での自由行動を日中の間のみ、第三王子ヴェントの名のもとに許可する。ある程度の金も渡しておこう。そして、ノックスの民が貴公らを害することも差別することも、禁止する。……ただそれはノーラが言ったように、亡国の最精鋭に国外退去を促す前提としての礼儀、という形の上でのことだ。国家としての結論がどうなってもどの道、貴公らには一度マーブリス領を出てもらわねばならないからな。俺が自筆の触れを出して、明日中に街に知らしめる。……ということでナギッサ、すぐにメリッサを呼んでくれ。触れ書きの添削も頼みたい」
「はい、お任せあれ」
ナギッサはどこからともなく取り出した葉っぱで、草笛を一度吹いた。
「……殿下。寛大なお気遣いをいただき、誠にありがとうございます」
「まだ礼は早いぞ、戦神騎士の旗頭よ。五日だ。五日は、何も期待せずに辛抱してくれ」
幼馴染のエルフの金髪を優しく撫でながら、第三王子は力強い笑みを見せた。
ノーラとニコルと"砂粒"の老婆は席を立ち、深く拝礼した。
「申し訳ないが五日間の寝泊りは、兵士達と同じ宿でしてほしい。流石にこの屋敷にいさせるのはまずいだろうからな。案内役の使用人を呼ぶから、少し待っていろ」
そう言ってヴェントは席を立ち、部屋から出ていった。
部屋の外にナギッサと似た気配が現れたのを、ノーラは感じた。
おそらくその人物が、先ほど名前が挙がっていた月影騎士メリッサなのだろう。
気づかぬ内に、"砂粒"も姿を消している。
流石に上澄みも上澄みな、手練れである。
そうして客間に残されたのは、大国の最精鋭三人だけだ。
「……ねえ、あんたらってさ」
「何だ?」
「たったあれだけの見返りのために、この国にがっつり協力する気なの? あの程度の見返りのために、蛮地とオラトリア相手の戦に加勢して、同盟者と一緒にこの国の底上げにまで手を貸して……その上で今の状況から本当に竜神の国に、飛竜に勝てると思ってるわけ?」
「いいや、今のところは全然勝てる気がしませんね。多分マーブリスの問題がひと段落して見返りを得られても、まだまだ道のりは長いです」
「ああ、ニコルの言う通りだ。だが、私は別にあれらの望みがちっぽけなどとは思っていない。充分に、これからの道のりを歩む手助けになるさ」
「再起と復讐……本気なんだね。何かの建前とかじゃなくて、あんたら本気でやる気なんだね」
「本気も本気ですよ。当然じゃないですか。ねえ、ノーラ先輩」
「そうだな。私はあのフォルラザ滅亡の夜、戦神に確かに誓ったからな。それに他の戦神騎士達だって、各地方で動いているんだ。皆で必ず、成し遂げてみせるさ」
絶世の美貌を持つエルフが呆れたように頬杖を突き、しかし穏やかに目を細める。
そして少しだけ何かを躊躇ったかのように碧眼を揺らして、口を開いた。
「……そう。まあ、頑張りなよ。無理してカラダ壊さないように、ね」
エルフの少女の声音は、清らかで、あたたかくて、とても優しいものだった。