戦神騎士物語   作:神父三号

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今回はこの大陸における神や信仰についての、かなりセンシティブなお話が出てきます。
あくまで各登場人物個人の意見であることをご理解いただいた上で、お読みくだされば幸いです。


第23話 ノーラの道・エルフの少女ナギッサ

 翌日。

 

 ノーラは宿屋の食堂で提供された朝食を取った後、宿の主人に頼んで、しばらく席を外してもらった。

 そして兵士達と座を囲み、昨夜の"砂粒"の老婆を呼んだ上で、ヴェント王子及び月影騎士ナギッサと話した内容を説明した。

 

 月の国マーブリスの最精鋭"月影騎士"の正体が、エルフであること。

 大陸西方に散らばる戦神の諜報"砂粒"の所在が、そのエルフ達によって既にほぼ把握されていること。

 竜神の諜報が"砂粒"同様にこの街を含めて、大陸西方中にいること。

 月の国マーブリスの領土を同時に脅かした北方の二つの勢力、"蛮地"と"神聖国家オラトリア"のこと。

 そして、月影騎士のエルフ達が人間の戦争には参加しないこと。

 

「我々戦神の軍とその同盟者"砂粒"は、竜神の国への復讐に必要な見返りを得るために、マーブリスの国難に助力を申し出た」

 

 ノーラは戦神騎士の旗頭として、得られる見返りについての説明も交え、皆の前でそう言った。

 さらに、単に北方との戦争へ加勢するだけでなく、マーブリスの国力を高める手伝いをすることについても、言及した。

 

 異論は、特に出なかった。

 ただ、二つ質問が出た。

 

 

 一つ目。北方との戦争に戦神騎士が参戦した場合、竜神の諜報が流石に気づくのではないか? 

 二つ目。北方からの攻勢が思ったより素早く、なおかつ苛烈であった場合はどうするのか? 

 

 

 である。

 

「えーと……一つ目については、竜神の諜報は月影騎士にバレバレらしいので、予めどいつがそうなのかを教えてもらっておいて、戦のどさくさで適当に消せばいいと思います。偽装くらいはどうにでもなりますからね。それこそマーブリスが防衛戦でピリピリしてて、偶然見つけたので始末しました、でも全然通りますし。まあ、そうしてもある程度は人伝に知れちゃうかもですけど。二つ目については……」

「マーブリスの北方への備えである、二つの城塞都市。これらは今、都の守備兵も回して強化を図っているという。それと月影騎士ナギッサと話したが、エルフは人間二人か三人くらいならば、引き連れて遠方まで跳べるらしい。……途中で休憩を挟みつつにはなるようだが。それで有事には、私達全員を城塞都市へ跳ばしてもらうつもりだ」

「しかしノーラ様。城塞都市の守備兵達とは、連携を密にするような訓練をしておいた方がよろしいのでは? この国には人間の最精鋭がいないのでしょう? 戦神騎士の戦ぶりは、味方の将兵も動揺しかねませんぞ」

 

 兵士達を統率する部隊長の提案にノーラは少し考え込んだ。

 

「確かに、一理ある。……だが、一度実戦を経て体感してもらわねば、連携の訓練をしようにも上手くいかないと思う。城塞都市まで行って、また昨日のように木の棒での模擬戦をやってもな……」

「ですよね。"蛮地"とオラトリアが再び攻め込んできた時に跳んで戦って、それをあちらさんに見てもらった上で打ち合わせた方がいいと思います。……まあ、二回目でもういきなり全力でこられたらまずいですけど。あとの気がかりは……やっぱりあちら側にも最精鋭と言えるような手強い連中がいるかどうかですね」

「うむ……」

 

 二つの質問とニコルの疑問については、ノーラも昨夜から考えていたことだった。

 竜神の諜報については月影騎士だけでなく"砂粒"からもその低劣さを聞かされているし、ニコルが言うようにどうにでもなると思っているので、別に心配していない。

 やはり問題は、北方の二つの勢力の動きがどれほどの規模と俊敏さ、そして軍の中核となる最精鋭を有しているかである。

 

 ナギッサの話によれば、"蛮地"もオラトリアも諜報をマーブリスには入れてきていない。

 それがまだ本格的に動く気が無いからなのか、あるいはもう侵攻の準備があらかた整っているからなのか、判断が出来ないのだ。

 ニコルの言う通り二度目の南下が早速、本命の大攻勢という可能性だってある。

 ただ、月影騎士達は大河川の北岸にも頻繁に足を運んでいるらしい。

 黄金の叡智を誇るエルフ達が大戦の予兆に一切気づけない、ということはあるまい。

 

 二十人の兵士達を二つの城塞都市に張り付けて、戦神騎士二人だけで西方を動き回るということも、ノーラは考えた。

 しかし考えはしたが、そうしたくはなかった。

 同朋の兵士達は出来るだけ確かな心の拠り所──戦神の旗の下で行動させてやりたいのだ。

 いずれ分かれて行動するべき時が来たとしても、ウィルフレッドのようなしっかりとした年長の戦神騎士の下につかせてやりたい。

 ニコルは能力こそ申し分無いが、それでもまだ少年であり、兵士達の心の拠り所にはなれないだろう。

 

 ただそれらの懸念も、この月の国マーブリスがノーラの提示した要求をどの程度呑んでくれるか次第だ。

 それ次第で、戦神の軍の動き方は大きく変わってくる。

「国内では"砂粒"だけを動かし、戦神の軍はずっと城塞都市に張り付いていてほしい」と言われることもありえるし、「要求は一切呑めないから出ていけ」とばっさり切り捨てられる可能性だって充分にあるのだ。

 しかし、昨夜のヴェント王子の力強い笑顔と精一杯の誠意を踏まえて、ノーラは今考えられることをしっかり考えておこうと思った。

 

「……まあ、奴らがいきなり大戦を仕掛けてきたら、その時はもう腹をくくるしかないな。第一、北方には月影騎士と"砂粒"の目が光っているのだ。私達までもがあちらを常に気にしていたら、その分動きが鈍る」

「僕も先輩と同意見です。僕達としては、"砂粒"の人達が見つけた良さげな人材に素早く接触して、直接話をしてみたいですしね。そのために自由行動の許可を求めてるわけですから」

 

 話が落ち着くと、ノーラはずっと黙っていた"砂粒"の老婆へ語りかけた。

 西方の"砂粒"達が個別に望むことがあれば、気兼ねなく言ってきてほしい、と。

 

「ノーラ様のお優しいご配慮につきましては、既に同朋から聞き及んでおりますとも。……王子殿下のお触れがノックス中に行き渡るまで、まだ少し時間がございますな。よろしければ、皆様方の戦に関するお話でも聞きたく存じます」

「だ、そうだ。ニコル、まずはお前からだな」

「えー、僕が一番槍ですか? じゃあ締めはノーラ先輩ですね。こういうのは、最後に締めるのが一番大変ですよ?」

 

 戦神の民がそれぞれ、自分の経験した戦での話を語っていく。

 武勇伝。笑い話。初陣の話。強敵の話。そして、今は亡き戦友達の話。

 座は大いに盛り上がり、宿屋の主人が昼食を持ってきてくれた後も、皆でスープを啜って焼き魚をかじりながら語り合った。

 

 締めを担ったノーラは、同期のローランと共に山岳国家ビードを相手取った時の話をした。

 ローランが大事な緒戦でビードの最精鋭"山騎士"の猛威に怯え、歩兵ばかりを誤魔化すように斬って、副長に殴り殺されそうになったこと。

 汚名を雪ぐために戦神の武具まで持ち出してノーラと打ち合い、性根と実力を大いに鍛え直したこと。

 そして、ビードの要衝に攻め入る戦において、見事に敵の精兵二百人を斬り捨て、一番乗りを果たしたこと。

 しかし、二番乗りの自分はその要衝の中で百人力の山騎士を三人も討ち取ったこと。

 

「ローラン先輩ってそれ知って悔しがったんですか?」

「いいや、褒美として団長から貰った馬に夢中だったな」

「なーんだ。じゃあ、ほぼ単なるノーラ先輩の惚気じゃないですか」

「んななっ、何を言うかこのクソガキー!!」

「ひゃがががっ、オヒがよわいれふよオヒが」

 

 兵士達も"砂粒"の老婆も戦神騎士二人のじゃれ合いに大笑いして、話は終わった。

 

 その後、ノーラは少し時間を置いてからニコルや兵士達に外出を許可した。

 日が沈むまでには宿へ戻ること、兵士達は常に複数人で行動することを命じ、ヴェント王子に貰った金を山分けして渡した。

 月の国マーブリスからの正式な回答があるまで、五日。

 王子の厚意に甘え、この五日間は皆にノックスの街中や周辺での行動の自由を与えた。

 

 しかし、携えてきた武具一式を宿には置いてある。

 だから念のために兵士達のうち、特に用事が思いつかない者は宿に残るように命じた。

 "砂粒"の老婆も、今日だけは残って守り番をしてくれるという。

 明日以降は、ノーラとニコルが交代で宿に残ることも決めた。

 

「結構なお金くれましたね。流石は大国の王子」

「今後のことも考えてある程度は残しておけよ、ニコル」

「分かってますって。さてと、じゃあそろそろ僕も行ってきます。……うわぎゃー!!」

 

 ニコルが宿を出ていった途端、野太い声や黄色い声がノーラに聞こえてきた。

 大量の人だかりがいる気配はしっかりあったというのに、ニコルは何の警戒もせず出ていって、まんまと揉みくちゃにされたようだ。

 どうやら昨日の百人斬りを少年が容易くやってのけた話が、既に街中に広まっているらしい。

 人間の最精鋭を持たない月の民にとっては、ニコルはそれこそ亜人以上に物珍しい存在だろう。

 

 自分はまだニコルより反応はマシだろうが、それでも囲まれてあれやこれやと騒がれるのは面倒くさい。

 ノーラは宿屋の主人に断って、二階の窓から隣の家の屋根に跳んだ。

 

「ん。中々良い街だ」

 

 屋根の下での和気藹々とした多くの喧噪が、ノーラの耳に入ってくる。

 月の国マーブリス最南端の街、ノックス。

 華やかさはさほどではないが、活気のある、賑やかな良い街だった。

 

 しかし、ノーラの目と足は街から少し離れた場所に向かっていた。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 "海"。

 

 加工した木で作られた船着き場から眺めるそれは、ノーラが大山脈の上から見た光景とはまた違っていた。

 まだ夕暮れ時ではないせいもあってか、水面は輝いておらず、覗き込んでも底が見えない程度には濁っている。

 ふと山騎士レオンが言っていたことを思い出し、ノーラは水に指先を浸して、舐めてみた。

 本当に塩辛い。何故塩辛いのかは、全く予想もできない。

 少なくとも、飲み水には適さないだろう。

 吹く風だって、どこか塩気を帯びているように感じられた。

 

 ノーラは"海"の彼方に、じっと目を凝らす。

 何も見えない。穏やかに揺れる水面が、どこまでも続いているだけだ。

 山の頂きから見たように、やはり見渡す限り、"海"は"海"だった。

 

「……はぁ」

 

 あまりの壮大さに、ノーラは思わず感嘆のため息を吐いた。

 そうしてじっと船着き場に佇んでいると、やがて一隻の大きな船が戻ってきて、船乗り達が大量の魚を下ろし始めた。

 ノーラが昨日街の前で大暴れした戦神騎士であることに、彼らは気づいていないようだった。

 数日かけて、"海"で魚を獲っていたのだろうか。

 川ではまず見られないような、とても大きな魚も多数いる。

 大河川には水中を住処とする魔物達がいると聞くが、"海"にはいないのだろうか。

 それとも、魔物を避けるための何か特別な仕掛けが、船に施されているのか。

 

 一人の船乗りが見物しているノーラに気づき、声をかけてきた。

 気になることをいくつか聞こうと思ったが、口説こうとするような下心ある口ぶりがどうにも苦手で、途中で適当にあしらった。

 船乗り達が大量の魚を突っ込んだ木箱を抱えて、船着き場から離れていく。

 ノーラはまた静かに、"海"を眺める時間を過ごした。

 

 太陽が西に傾き始めた。

 夕暮れ時がやってくる。

 もうじき、宿に戻らなければならない。

 

 

「いいのか? 殿下の傍についていなくて」

 

 

 ノーラは黄昏色に輝き始めた"海"の彼方を眺めながら、呟いた。

 

「……はぁ~、これでもダメか。しかも、こっちを見もせずに気づくなんて」

「昨日よりは上手く隠れられていたぞ」

「そうでしょうとも。本気も本気で隠れてたよ。それでも気づくんだね、戦神の使徒は」

「一度覚えた強者の気配を、忘れるものか」

「はいはい、恐れ入りました。あーあ、あたしがルルシェさまやミイメさまくらい力があったらなぁ……」

 

 僅かに感じ取っていた気配が、はっきりと現れる。

 ノーラが振り返ると、フードを目深に被った外套姿の月影騎士ナギッサが立っていた。

 

「"海"なんて見て、楽しい?」

「私が生まれ育った大陸南方は、ぐるりと大山脈に囲まれている。だから私は西方に入る直前になって初めて、実際の"海"を見た」

「そう。それなら物珍しいかもね」

 

 ナギッサが船着き場の端に腰を下ろして、脚をぷらぷらと投げ出した。

 ノーラも同じようにして、隣に座り込む。

 

「殿下は? 昨日の口ぶりだと、まだノックスにいらっしゃるのだろう? 兵士達の家を回るとおっしゃっていたな」

「うん。模擬戦で死んじゃったり、大怪我しちゃった人達の家を回ってるの」

「……そうか。熱くなり過ぎた私達のせいだな。申し訳が無い」

「『殺す気で来い』なんて啖呵を吐いたのはヴェントくんだもん。昨夜も言ってたでしょ? 『俺の責任だ』って。その責任って奴を、自分で取って回ってるだけ」

「律儀な方だな、ヴェント殿下は」

「そうだね。……だけどこれから先、そういう律儀さは自分を追い詰めるだけだよ」

 

 ナギッサが寂しげにそう語る。

 ノーラには彼女の気持ちが、よく理解できた。

 

 かつての戦神の国フォルラザでも、戦で英雄的な活躍を果たした者の家を、王や王子が特別に訪うということはやっていた。

 だがそれは本当に一握りの、至上の名誉だった。

 死んでいった者や怪我人の家を全て訪ねて回るなんてことは、していなかった。

 一度それをやり始めたら、キリがないからだ。

 そして途中でやめれば、同じ境遇でも王族に慮られた者とそうでない者とで、差異が生まれてしまう。

 余計な嫉妬や怨恨が生まれることだってあるだろう。

 

 特にこれから先はそうなのだ。

 マーブリスの領土は、外敵に侵略されようとしている。

 多くの戦死者が出ることだろう。

 模擬戦での虚しい死だったからなどと理由をつけても、大国の王子が軽々しく兵士の家を訪ねて回るべきではない。

 

 このエルフの少女は亜人ながらに人間というものをよく知っていると、ノーラには思えた。

 それもまた、叡智ある種族だからかもしれない。

 あるいは長命の中で、悲劇を見てきたからかもしれない。

 

「分かっていたのにあなたは、殿下の行動を止めなかったのか?」

「止めたよ。昨日あんたらが帰った後で。ちゃんと理屈だって説いてあげた。……それでもヴェントくんは、やるって聞かなかった。『俺の責任は、俺が取る』って言ってね。……馬鹿なんだよね。子供の頃から、ずっとそう。ずーっと、馬鹿のまま」

「…………」

「でもそういう馬鹿だから、王さまはヴェントくんをノックスに寄越したんだろうね。それで、あんたらと出会わせたんだろうね」

「第三王子殿下は戦時中ずっと、このノックスに張り付けか」

「多分ね。あたしはそうすべきだと思ってるし、一緒に都へ跳ぶメリッサ姉さまにもその意見を伝えてある。人の上に立てる器はあっても、自分で勝手にその器をいっぱいいっぱいにしちゃう子なんだよね、ヴェントくんは。まあ、この南の外れの街で王子様やって慕われて生きていくくらいが、ちょうど良いんだよ」

 

 ナギッサは夕陽に輝く"海"をぼんやりと見ながら、大きくため息を吐いた。

 横目で見る絶世の美貌は寂しげで、しかしどこか優しい笑みを浮かべていた。

 

「外敵に侵略され始めたという国難の最中にあって、あえて戦に関わらないという生き方をする……か。それはそれで、殿下のようなお方には辛いことだろう」

「そうかも。そういう生き方が全然気にならない王族だって、そりゃいるとは思うよ? 特にあたしが嫌いな子なんかは、自分が殺し合いの場に関わるのなんて絶対に御免だって態度だしね。でも、ヴェントくんは気にしちゃう。他の国の最精鋭の力を疑ったり、急に自分で軍を鍛え出したりなんていうのも、あの子なりのもどかしさがあるんだと思う。まだここに来て短いけど……それでも今までノックスでは、あの子はずっと鬱屈としてた。あんたらの動きをあたしが詳しく探るようになってようやく、少し元気になったくらい」

「ならば、都へはあなたが殿下と一緒に跳ぶべきではないのか? それほどに責任感の強いお方だ。『ノックスへは戻らずに最前線の城塞都市で、兵士達と共に戦いたい』と国王に願い出したらどうする? 幼馴染のあなたが御した方が良いのではないか?」

「……ダメだね。もしもヴェントくんがそんなことを王さまに言い出したら、あたしは多分彼の肩を持っちゃうから。理屈なんか道理なんか関係無く、多分そうしちゃう。そうしたら、月の王家とあたしらエルフとの間に、無駄な諍いを生んじゃうかもしれない」

 

 ナギッサは両手で膝を抱えて、顔を伏せた。

 エルフという亜人は、人間の十倍以上の寿命を持ち、千年を超えて生きるという。

 十七、八歳に見えるこの少女も、おそらく百年以上は生きていることだろう。

 それでも、ヴェントという三十年も生きていないような人間一人に強く入れ込んでいる。

 そしてそれはおそらく、月の国の王子だから、月影騎士だから、などという理由ではあるまい。

 

 ノーラは俯いたままのナギッサを見つめながら、考える。

 

 自分の知る限り、大陸は今まで大きく乱れてはいなかった。

 東方で太陽の国シンガが五枝水軍と長く小競り合いしているのと、南方一帯で戦神の国フォルラザが周辺諸国にひたすら戦争を仕掛け続けていたくらいである。

 シンガと水軍は同朋の魔術士達に聞いた話では、五枝川と太陽平野の恵みをずっと取り合っているらしい。

 一方でフォルラザは何故ひたすら戦争をやっていたかと言えば、それは戦神の民だからだ。

 そうすることが信仰であり、生き方だったからだ。

 そうしてやがてフォルラザは大陸南方の覇者となり、その果てに大陸中央の竜神の国オズワルドに攻め入り、敗れて滅んだ。

「北方が動き始めたのは、戦神の国が大戦を起こしたせいではないのか」とマーブリス王家に言われれば、ノーラとしては「無関係です」などと軽はずみには否定できない。

 大陸における二つの大国が激しくぶつかり合い、片方が滅んでもう片方が大きく疲弊すれば当然、その混乱の隙に乗じてことを起こそうという者達が出てくるだろうからだ。

 

 

 ひと様の国を手前勝手な信仰のために滅ぼし続けて、挙句の果てに滅ぼされた、迷惑な負け犬。

 

 

 山岳国家ビードの山騎士レオンはかつてノーラの面前で、フォルラザをそう評した。

 客観的に見れば、まさしくその通りだ。

 フォルラザが大戦を起こさなければ、北方の蛮地も神聖国家オラトリアも、マーブリスへは攻め込んでこなかったかもしれない。

 昨夜マーブリスに助力すると自分の舌が回ったのは、そんな後ろめたさもあったのではないか。

 

「ねえ、ノーラ。あんた今、北方のあれこれは自分達戦神の民のせいじゃないか、とか考えてるでしょ?」

「……まあな。『お前達のせいだ』と言われたら、否定できないようなことを国としてやってきたのは確かだ」

「後悔してる? 『謝れ』って言われたら、謝る?」

「『後悔など一切していない』と自信を持って言えるかと言えば、無理だな。……ただ、謝罪はしない。出来ようはずも無い。それは戦神への裏切りであり、何より戦神の民全ての生き方の否定だ。唯一残った戦神の旗を掲げる者として、そんなことは決して出来ない」

「だよね。あたしも、それでいいと思う。それが戦神に選ばれた特別な人間の……生き方だよ」

 

 生き方。

 昨夜ニコルがその言葉を口にした時、ヴェントが難しい顔をしていたのをノーラは思い出した。

 

「ナギッサ。月の民は、どういう生き方をするんだ?」

「難しいこと聞くね。昨日のヴェントくんの反応で、何となく分かったんじゃないの?」

「ああ。ただ、月の国の最精鋭からそれを聞いてみたい。人間より遥かに長く生きてきて、この国の有り様を見てきたあなたの意見を」

「……耕し、商って、芸事を楽しみ、夜には月を肴にお酒を呑み、眠るまで語らう。あえて言うなら、そういう生き方かな」

 

 ノーラの口元が、勝手に綻んだ。

 

「穏やかで、素晴らしい生き方だ」

「あえて言うなら、だよ? はっきり言って月の民は、傍から見てて何か芯の通った生き方をしてるようには思えない。建国当初は何かしっかりとしたものがあったかもしれないけど、大国になった今は皆漫然と生きてるだけに見える。……あ、でも一応、"月の女神"っていう神さまをやんわりと信仰してるね。月の都では数年に一度、その神さまのための盛大なお祭りをやってるんだ」

「"月の女神"……」

「ノックスの外壁の上の国旗を見たでしょ? 三日月につがえられた、三本の矢。夜空の上で弓矢を使って狩りをする、女神さまなんだって。夜空の星がたまに一直線に流れるのは、月の女神さまが放った矢なんだって」

「夜空の上で狩りを、か。そんなこと、考えたこともなかった」

「まあ、特別な加護も託宣もなーんもくれない、あたしらエルフですら本当にいるかどうかも分からないような神さまなんだけどね」

「そうなのか?」

「そうだよ? だって考えてもみなよ。月って雲よりずっとずっと、ずーっと高いところにあるんだよ? そんなすっごい遠くからこの大陸をじっと見守ってる神さまがいるなんて……特にこの国だけを見守ってるなんて、都合良すぎでしょ? もしいたとしても、月からずっと遠い大陸のことなんて何も気にかけないでしょうよ」

「どうかな……まあ、あなたのような叡智あるエルフが言うなら、そうなのかもな」

「うん、あたしはそう思うね。少なくとも、"月の女神"はこの大陸には実在してない」

「……そういえば昨日あなたは、戦神は姿形こそ失くしていても、確かに大陸に実在する神だと言っていたな。竜神もそうか?」

「そ。戦神、竜神、あたしらエルフの祖である地母神さま。……それと"霊狼"っていう、今でも続いてる最も旧き魔物の長のガドさま。この大陸にきちんと実在する、神さまって呼べる崇高で偉大な存在は、エルフの知る限りではそれだけだね。ガドさま以外はもう形を失っちゃってるけど」

 

 ナギッサの言葉を聞いて、ノーラは目を閉じた。

 戦神の存在を疑ったことは、一度たりとて無い。

 加護をこの身で感じていたからだ。

 昨日の模擬戦の時だって、昂る己の中に、戦神の加護を確かに感じられた。

 

 だが、フォルラザが滅ぼしてきた国々では、多種多様な神が信仰されていた。

 それらは、エルフに言わせれば大陸に実在しないというのか。

 このマーブリスで信仰されている"月の女神"とて、そうだというのか。

 

「……だから殿下は昨日、ニコルの語る"信仰"という言葉に頭をかいたのか。代々、あなた達エルフが傍にいる王家だ。月の女神を信仰しつつも、心の中では実在を疑っているのかもな」

「少なくともヴェントくんは、全然信じてないね。ていうか今の王族は多分、全員そうかな。でも皆、月の女神さまのためにする都でのお祭りは大好きなんだよね。お祭りの一番の盛り上がり所で、王女さま含めて都の女達が城壁から夜空に浮かぶ三日月へ一斉に、杖やスクロールで"魔力の矢"を撃つんだけど。王族の人達はそれが本当に大好きで、風邪引いてようが仕事が溜まってようが絶対に特等席で見たがるの。……変なの。月の女神さまなんて本当は信じてないくせに。ただ騒ぎたいだけなんでしょーかね」

「ふふっ、そうかもな。だが、そういう生き方だってあっていいのかもしれない。ただ自分達が一晩楽しむためだけ。ただ月を見て楽しく酒を呑むためだけ。それだけのためにひと時の間、実在するか定かではない神を祭る。それもきっと、人間の生き方の一つだ」

 

 ナギッサは、"海"の彼方へ下りていく太陽に目を細めた。

 

「ふーん、そういうもんかね。あたしにはやっぱり、上手く理解できないや。少なくともこの大陸には実在してないような神さまを信仰して、拝んだり祭ったり騒いだりして、それで特に神さまは何もしてくれなくて、応えてくれなくて。……そんなの、虚しくなったりしないのかな?」

「月の民は、女神のための祭りを毎回楽しんでいるんだろう? たとえ祭りの後で虚しくなったとしても、その時皆で盛り上がって楽しんだという気持ちは本物だ。だったらそれで、いいんじゃないだろうか」

「んーまあ、そう言われてみればそうかもしれない。……いやでも、それはあんたが戦神っていうきちんと実在する神さまに選ばれた特別な人間だから、自分は確かに加護をもらってるから、心の余裕があるから言えることなんじゃないの? 信じても見返りをくれない神さまを祭って大騒ぎして、一瞬だけ楽しんで……それで本当にいいの? マーブリスは今、北から攻められ出してる。それなのに"月の女神"なんていう奴は、何もしてくれない。加護も託宣も何にもくれない。そんな奴を祭って騒いだって、虚しいだけじゃない?」

 

 ナギッサはどこか苛立ちながら、捲したてるように言った。

 こういう話をあまり、月の国の人間とはしたことがないのだろうか。

 長く生きていても、ヴェントのように思い入れのある人間や親しいエルフの同朋がいても、それでも中々に聞けないような秘めた想いがあるのだろうか。

 営みの中でしがらみに縛られ、悩みを抱えて生きているのは、エルフとて同じなのだろうか。

 

「……つまり実在する神に見返りを求めることが人間の信仰として本来あるべき姿で、月の民の実在しない神に対する姿勢は単なる虚無ではないのか、と?」

「だって……だってそうでしょ? あんたは戦神を信仰して勝利を捧げて、その見返りに強力な加護を得てる。それは自分より年上の連中が見返りを確かに貰ってるのを見てきたから、同じように戦神を信仰してるんじゃないの? 竜神の国だってそうでしょ? 飛竜が協力してくれるっていう最高の見返りがあるから、竜神を信仰してる。竜神の末裔の飛竜にめちゃくちゃ豪華な寝床と餌を献上して、ひたすらすがりついてる。そりゃ、そんなデッカい見返りがあるような実在する神さまなら、篤く信仰するでしょうよ。……だけど、この月の国は違う。"月の女神"なんて、この大陸にはいない。王族すら信じてない。なのに、都合の良い時だけ拝んでる。祭って騒いでる。一番大事な時に、何もしてくれないのに」

「人間の信仰や生き方……それはあなたのような叡智あるエルフでも、分かりかねるか?」

「……分からないね。あたしらエルフは、れっきとした地母神さまの末裔だもん。神さまを信じて生きるも何も、地母神さまが形を失っても実在してて、それで今でもたまに気まぐれであたしらにちょっかい出してくることくらい知ってるもん。一応きちんと敬ってはいるけど、でもそれは人間にとっての信仰とは全然違うものだよ」

「…………」

「竜族だって、竜神の末裔。それであんたとガキんちょは、戦神の使徒。全部特別な存在でしょ? ……でも、この国の人間は王家も含めて何も特別じゃない。建国者だって、ただのすごく優秀な人間の男だったってババさま達には聞いてる。それがいつしかあたしら気まぐれなエルフと仲良くして国を大きくして、それで西方の覇者なんて気取って。だけど、攻められたらすぐに脆さが出ちゃう。北方の奴らの意味不明な力が怖くて、それでヴェントくんが月の国の王子として、一人の月の民として、あんたらみたいな特別な余所者に頭を下げて、助力を頼もうなんて考えちゃう」

 

 ダサいよねそんなの、とナギッサは荒く息を吐いた。

 

「ナギッサは、ずっと月の国の中で生きてきたのか?」

「……まあね。あたし、他の国とか他の亜人とかそんな興味無いし。ま、月影騎士としてちゃんと諜報のお仕事しに色々な国は見て回ってきてるよ? あとお仕事以外でもたまに国外へ遊びに行ったりはするけど……ただ騒がれないように姿変えて、知らない人間に話合わせてやるのめんどくさくてさ。ちょっと良い景色見たり、立派な森の木と話して、すぐ帰ってくるくらいかな。……なんだかんだ王家の気に入った子をからかって遊んでるのが、あたしは一番楽しいんだよね」

「そうか。そうして色々な国を見て回っても、大陸に実在しない神を信仰したり祭って騒ぐことは理解できない、か」

「うん。こいつら何やってるんだろうなーって気分になる。シンガの"太陽神"とかってのもそう。それに、その……えと、あの……実在してる戦神や竜神を信仰してる人間も、どうせこいつら……って。だから……だから、っ、なんていうか……」

 

 ナギッサが急にそわそわし始める。

 躊躇しているかのように、あるいは怯えているかのように、フード越しにノーラに視線を寄越しては逸らし、逸らしては寄越しを繰り返した。

 

「? どうした?」

「っ……あ、あのさ、ノーラ。もし、もしもあたしが昨日……っ。ごめん、やっぱナシにして。今までの神さまどうこうの話は全部ナシ。あっヤバ、もう日が沈むよ! あはは、さあさあ宿に帰った帰ったー!」

「月影騎士ナギッサ。……いや、エルフのナギッサ。座ってくれ」

 

 誤魔化すように笑って立ち上がったエルフの少女を、ノーラは声で押し留めた。

 

「私は人間だ。どれだけの武力があろうとも、戦神に選ばれようとも、戦神の旗持ちだろうとも、ただの一人の人間だ。一人の人間に、一人のエルフが聞きたいことを聞く。それの何が悪い? 何を躊躇している?」

「っ……!」

「今日を入れて、五日だ。それだけで終わる関係かもしれない。だから別に、聞きたいことは好きに聞いてくれていい。あなたが長く抱えてきた想いがあるならば、他に吐き出す相手がいないのならば、全て私に吐き出してくれていい。私はそれを決して、他者に漏らしたりはしない」

 

 ナギッサは立ったまま形の良い眉をひそめ、口をもごつかせた。

 夕陽が、海の彼方に隠れ始める。

 やがて、エルフの少女は何かを決意したような真剣な表情でノーラの隣に座り直して、フードを脱いだ。

 

「あ、あのさ。あたしって、人間の神さまへの信仰とか考え方のこと……っ、正直よく分かってないっていうか。いや、一応形の上では分かってるんだよ? これまで色々見てきたから。だけど、根っこの部分が理解できないっていうか、納得できないっていうか……う、疑ってるっていうか」

「疑っている、か」

「うん。だから、あの……せ、戦神の使徒に対して、すごく無礼なの分かってて聞くんだけど」

「何だ?」

「あくまでもしもの話、だよ? も、もしもあたしが昨日の夜あの屋敷で……『戦神なんて大陸には実在しないよ。全部フォルラザの建国者がでっち上げたデタラメだよ。加護なんてただの気のせいだよ』って言ってたら、あんたはどうした? お、怒った? あたしに襲いかかった? ……再起と復讐なんて、諦めた?」

「…………」

「もも、もしも本当は戦神なんて実在しないって断言されたとして、それでも、それでもあんたは……せ、戦神騎士ノーラとして、戦っていける? その、あの……戦神騎士ノーラとして、答えてほしい……」

 

 大いなる何かに怯えるように揺れながら向けられる碧眼。

 何に怯えているのかは、明白だ。

 そんな碧眼を真っ向から見つめ返しながら、ノーラは口を開いた。

 

 舌が、回り始める。

 

「エルフのナギッサよ。あなたの真摯な問いかけに対して、一人の人間……戦神騎士ノーラとして、戦神に誓って嘘偽りなく本心を答えよう。……ただ少しばかり、遠回りな話をさせてくれ」

「……う、うん。どうぞ」

「かつて戦神の国フォルラザは、大陸南方の大小多くの国々を尽く蹂躙してきた。あなたが言うように『本当にいるかも分からないような神さま』を信仰していた国だって多くあったと聞くし、私もそのいくつかを実際にこの目で見てきた。彼らの信仰の在り方や神に対する姿勢は本当に様々だった。そして、信じる神を持たない国もあった。『人間が自分の足で立って生きているこの大陸に、神など存在しない』と最期に断言した王も、私は知っている」

「うん……うん」

「様々な人間の生き方を、信仰の在り方を、あるいは神に対する考え方を、私は戦の中で見てきた。だから、何かしらの見返りをくれる実在の神を熱心に信仰して、それに全身全霊を捧げて生きることが、人間の世の絶対的な道理というわけではないと思っている」

「うーん、まあそれは……そうなんだろうね。だって、この国が実際にそうなんだし。じゃ、じゃあ……戦神の使徒のあんたから見たら、この国の神さまへの姿勢はありってこと? ……く、くだらないとか、無駄だとか、馬鹿げてるとか思わないってこと?」

「一切思わない。特に、あの大戦で祖国を失って、僅かばかりの同朋と旗のみが手元に残った、今の私は……な。信仰の篤さ故に苦しんだ同朋を、己の弱さ故に苦しんだ同朋を、私は敗け戦の中でも戦後の逃亡の中でも数多く見てきた。私自身だって、あの大戦の勝利を戦神に捧げられなかったのだから。戦神の国の滅亡は即ち、戦神への裏切りだとも、戦神に恥をかかせたとも……我々戦神の民の信仰の敗北だとすら言えるだろう。……それでも私は生きている。へし折れそうになっても、生きている。同朋も生きている。だから、これまで勝ち戦ばかりの中で踏みつけにしてきた人間達の信仰の在り方も、それが無駄や滑稽でなかったことも、今となってはよく理解できる」

「……そっか」

「そうとも。人間は自分の生き方を、考え方を、心の拠り所を、自分の意思で選ぶべきだ。だから見返りをくれない神を、応えてくれない神を……大陸に実在しない神を、心の拠り所として信じたっていい」

「まあ、あんたからすれば……そうなのかな。でも……」

「そして、自分の意思で選んだ道をしっかりと生きていけるならば、あるいは自分にとってもっと大切な何かを守るためならば……神を一切信じなくても、神への信仰を人生の途中で投げ捨てても、別の神に信仰を変えても、都合のいい時だけの信仰があってもいいと、私は思う。私に言わせればそれは、戦神の民ですら例外ではない」

「は? ……は!? えちょっ、なな、何それ……! あんた戦神の使徒なのに、何急にそんなっ……そんな不敬なこと本気で、神さまに選ばれた人間として本気で言ってるの!?」

「ああ、本気だ」

 

 ナギッサが大きく仰け反って、先ほどより酷く動揺し始める。

 

「ここ、これ、さっきみたいな雑談じゃないんだよ!? 『戦神に誓って嘘偽りなく本心を』って言っといてあんたはそんな……あ、あんた戦神の怒りが怖くないのっ!?」

 

 碧眼がノーラから逸れて、何故か右斜め上に向いた。

 

「あ、あぁぁっ……!! ヤバ、やめてよっ……! あんた、あたしを戦神の裁きに巻き込むつもりっっ!!?」

 

 狼狽えて叫ぶナギッサの視線をノーラも追ったが、特に何もいなかった。

 気配も一切感じない。

 

「そんなつもりなどない。落ち着け、ナギッサ」

「お、落ち着けるわけないでしょっ!? 『あくまでもしもの話だ』って言ったじゃん!! 『戦っていけるか』って聞いただけなのに、何であんたはそんな無関係で不敬なことをべらべらっ……っ、あぁっ……!! ひ、ぃぃっ、ごめんっ! あたしもう帰っ……あれ……? ──、──っ!! え……──っ、ウソ、あれ、あれっっ!!?」

 

 どこかから何かを取り出そうとするナギッサ。

 人間の言葉ではない、何ごとかを唱えるナギッサ。

 指を何度もパチン、パチンと鳴らすナギッサ。

 だが、何も起きない。

 ただでさえ真っ白な肌から血の気が引いて、蒼白になった。

 

「落ち着いてくれ。一人のエルフから真摯に問われたことに一人の人間、戦神騎士ノーラとして本心を語っているだけだ。……そもそも私は、戦神に裁かれた同朋を知らないのでな。それでも不敬だ不信心だと戦神が怒り、今すぐ私を裁くのならば、甘んじて受け入れよう。その裁きとやらに巻き込まれたくないなら、離れて聞いてくれればいい。……すまないな。問いかけ一つに答えるために、随分と遠回りな話をしてしまって。だが、舌が勝手に回るんだ。あの滅亡の夜から、私はこういう人間になってしまった」

「ごめんなさい、ホントにもういいからっ!! せせ、戦神の使徒よ! 私が悪かったですっ!! 貴方を試みて申し訳ござ」

「エルフのナギッサよ、怯えなくてよい。我はこれ以上、そなたに何もしない」

「っっっ!!!」

 

 ノーラがそう言っても、ナギッサの見開かれた目はノーラを凝視し、美貌が愕然として震えた。

 逆にノーラの心は、束の間の安らぎに背を丸める獅子のように、落ち着いていた。

 

 それでも舌は、回り続ける。

 

「かつて、大戦後にニコルと再会した時にも私は言った。再起と復讐の道のりを歩むことが、全てではない。生きる道など、いくらでもある。そして生きていく上で戦神の武具が重荷になるのならば、捨てて別の心の拠り所を探せばいい、と」

「ぅ、ぁぁ……!!」

「そして、今の私はそういう様々な信仰や生き方や考え方があるのを充分に見聞きして、理解した上で、それでもなお再起と復讐の道のりを歩んでいる」

「……っ」

「とはいえもしも昨夜、叡智に富むエルフであるあなたによって戦神の実在が否定されたならば、私は大きな衝撃を受けただろう。自分が感じてきた加護は全て錯覚で、単なる気のせいだと言われれば、大いに失望したことだろう」

 

 だが。

 だが、しかし。

 だが、それでも。

 今まさに"海"の彼方に沈もうとする太陽が、一際眩しく輝く。

 

 

 

「それでも、戦っていく。何故なら私は再起と復讐を、あのフォルラザ滅亡の夜に誓ったのだから。独りで戦神に対して密かに誓ったのではない。かけがえのない同朋の前で、旗を掲げて誓ったのだ。たとえ戦神が実在していなかったとしても、加護が錯覚だったとしても、国と信仰の全てが嘘偽りで塗り固められていたのだとしても、それでもあの誓いだけは私の中では確かな本物だ。……まあ、実を言うとやけくそで回った舌だが、それでも同朋と交わした、本物の誓いだ。だから仮に、神や国や信仰の全てが嘘だったとしても……私は再起も復讐も決して諦めずに、戦っていく。決して、諦めない」

 

 

 

 ノーラは微笑んだ。

 微笑もうと思ったわけではなく、自然と微笑んでいた。

 ナギッサはそんなノーラを呆然と見つめ、しかし一瞬視線を上に逸らし、やがて安堵の笑みをこぼした。

 

「あは……ははは、あはは……ぅっ! はぁっ、はぁっ……はぁ、はぁ……!!」

「!? おい、ナギッサ! 大丈夫か!? 一体どうしたというんだ?」

 

 エルフの少女は、何かの束縛が解かれたかのようにぐったりと船着き場へ横たわり、苦しそうに息を荒げ続ける。

 ノーラがその額に手をやると、掌を汗がぐっしょりと濡らした。

 

「ナギッサ、同朋を呼べるか? 一度状態を見てもらえ。私ではどうにも……」

「はぁ、はぁ……う、ううん。大丈夫。大丈夫ですから。私は全然……ちょっと、あてられちゃっただけですから……っ」

「?」

 

 ナギッサは大きく肩を上下させながら、フラフラと立ち上がった。

 そしてノーラを複雑な表情でしばし見下ろした後、深く恥じ入ったように唇を噛んで、その場にひれ伏した。

 

「……戦神の使徒ノーラよ。軽率に貴方を試みたことを、心よりお詫び申し上げます。貴方という人間を私は、見くびっておりました」

「頭を上げてくれ、ナギッサ。試みられたなどと、私はまったく思っていない」

「しかし私は……」

「畏まる必要なんて無い。あなたの疑問はきっと、誰もが抱くものだ。エルフだけではなく、人間だって」

 

 頭を上げたナギッサの碧眼には、畏れの色があった。

 おそらく戦神に対する畏れだろう。

 エルフは大陸に実在するという地母神の末裔で、長命の亜人なのだ。

 大陸の神々が怒ったり矮小な存在を裁いたところを、実際に見聞きしてきたのかもしれない。

 だがノーラが自身の配慮の足りなさを謝罪しようとした寸前に、ナギッサは美貌を強張らせたまま深くフードを被った。

 それ以上の会話を、拒絶するかのように。

 

「月が輝き始めました。自由行動は日中の間のみというお約束でしたね。……宿までお送りいたします」

 

 その後、ナギッサはノーラを連れて宿まで跳んでくれた。

 エルフの跳ぶ魔術は、まるで寝台から大きく横にすっ飛んで転げ落ちたかのような、不思議な感覚を覚えるものだった。

 ノーラは日が沈むまでと自分で言いながら遅く帰ったことを同朋の皆に謝罪し、それでもにやにやしながら詰ってくるニコルと適当に軽口を叩き合って、さっさと自分の寝室へ戻った。

 

 

「……はぁぁ~~」

 

 

 寝台に腰かけると、口から久しぶりに深いため息が漏れた。

 

 昨日に続き今日もまた、舌が大いに回ってしまった。

 ナギッサの問いかけは単純なものだった。

「それでも戦っていく」の一言で答えは済んだはずだったのだ。

 それなのにだらだらと迂遠な自分語りをして、あのエルフの少女を苦しめた。

 一歩間違えば、「戦神の裁き」というものに彼女を巻き込んだかもしれない。

 大国の最精鋭を、いや、一人のエルフを、手前勝手な自分語りで大いなる危険に晒したのだ。

 だからナギッサもそれまで親しげな口調で話してくれていたのに、急に畏まって拒絶するような態度を取ったのだろう。

 この五日の間に出来るだけ早く、何とかして謝らなければならない。

 

「……はぁ」

 

 自分の軽率さに再び、ため息が漏れる。

 

 そういえばあの時ナギッサは、何度かあらぬ方向に視線を送っていた。

 彼女はもしや戦神の気配を、感じ取っていたのだろうか。

 自分は何も感じなかったが、あの視線の先には姿無き戦神が確かにいたのだろうか。

 流石は黄金の叡智で知られた種族だ。

 あるいは地母神の末裔だから、感じられるのだろうか。

 

 いずれにせよ戦神の気配が分かるのは、とても羨ましいことだ。

 しかし、だとしたら。

 

 

「ふふふ……戦神の御前で、心の中を全部吐いてしまったな」

 

 

 ナギッサが大いに慌てた通り、戦神に託宣で選ばれた人間として、とんだ不敬な物言いをした。

 だが、あれは全て間違いなく、自分の本心だった。

 今までの人生の中で、戦争と鍛錬に明け暮れた日々の中で、多くの同朋と武を競い、多くの敵兵を殺し、多くの国々を蹂躙し、そして竜神の国に敗れ去り。

 そうしていく内に得た、確かな自分の価値観だ。

 その上で、それでも自分は戦神を信仰し、いずれは戦神の軍の再起を果たし、竜神の国への復讐を遂げ、勝利を捧げてみせる。

 

 だから吐き出した言葉を、撤回しようとは思わない。

 戦神に対して、懺悔も謝罪もしない。

 赤髪のノーラとはこういう人間なのだと、戦神に知っていただければそれでいい。

 それで加護を失おうとも、再起と復讐は必ず、やり遂げてみせる。

 

「ふわぁぁぁぁ~~」

 

 ノーラは大欠伸をかまして、目を擦り、そのまま寝台に転がろうとして。

 ただ何となくそれをやめて、立ち上がった。

 

 そして部屋の隅に立てかけていた戦神の旗槍を、握りしめた。

 

 旗槍は、確かな熱を帯びていた。

 雄々しく、猛々しく、勇気づけてくれるような、あたたかさだった。

 

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