「……何か御用ですか、戦神の使徒よ」
船着き場の端に腰を下ろして足を投げ出したノーラ。
そのすぐ隣で、透明な垂れ幕が落ちたかのように、一人の少女が姿を現した。
少女は外套に身を包んでフードを深く被り、両膝を抱えて俯いている。
ノーラの探し人、エルフの少女ナギッサだった。
「謝罪をしようと思って、探していた」
「……何の謝罪ですか?」
「前にこの船着き場であなたにされた問いかけ……『それでも戦っていく』の一言で済ませればいいものを、私は不要な長話をした。そして、戦神の裁きとやらにあなたを巻き込みそうになった」
「…………」
「人間より神に近しい存在である、地母神の末裔たるエルフ。そんなあなたの心情を何も慮らずに、自分の言いたいことを言ってしまった。確かに不敬な物言いで、一歩間違えば戦神の怒りを買ったかもしれない。……あなたへの配慮が足りなかったことを、心より申し訳なく思う」
ノーラは畏まって頭を下げた。
しかし、ナギッサは膝を抱えて俯いたまま、顔を上げなかった。
「どうして私がここにいると、分かったのですか?」
「何となくだ。太陽を見て、眩しくて目を逸らした先が、船着き場の方角だった。だから、ここにやってきた」
「……流石は戦神の使徒。神さまに選ばれた特別な人間ですね。私なんかじゃ、全然敵わない」
「別に、何か勝負をしていたわけではないだろう」
「勝負をしていたわけではなくても、敵わないと感じることはあります」
「……あの時、あなたは何度か視線をあらぬ方向へとやっていた。姿無き戦神が、そこにはいらっしゃったのか?」
ナギッサは少し間をおいて、「いらっしゃいました」と微かな声で呟いた。
「そして、いらっしゃっただけではありません。……お気づきにならなかったのですか?」
「何を?」
「……いいえ、何でもありません」
ノーラは俯き続ける少女から視線を逸らし、"海"の彼方を見つめた。
まだ、太陽は夕暮れ時のあたたかな色を帯びてはいない。
しかし、水面は輝き始めている。
もうすぐ、あの美しい色になる。
「今も、戦神の気配を感じているか?」
「……いえ」
「そうか。神の御前でないならば、敬語など使う必要は無いだろう。以前も言ったはずだ。私は一人の人間で、あなたは一人のエルフだ、と。畏まらなくてもいい。あなたはあなたらしく、私に接してくれればいい」
「出来ません」
「何故だ?」
「私は戦神の使徒である貴方を軽率に試みて……そして、裏切りました」
ノーラが目を向けると、エルフの少女は震えながらさらに強く膝を抱え込んだ。
「貴方は私が長く抱えてきた人間の信仰に関する疑問に、戦神に誓いを立てた上で、本心を答えてくださいました。『他に吐き出す相手がいないのならば、全て私に吐き出してくれていい。私はそれを決して、他者に漏らしたりはしない』とまで言ってくださった上で」
「答えた時も言ったが、私はあの問いかけを、試みられたなどと思っていない。実在する神を知る者が、実在しない神への信仰に疑問を持つ。そして、実在する神への信仰に対しても、それは見返りを得るためのものではないのかと疑問を持つ。あるいは、信じていた神の実在を否定されて、それでも前を向いていられるのかと考える。これも繰り返しだな……そんなことは人間もエルフも関係無く、おそらく誰もが当たり前に抱く疑問だ」
「……そうかもしれません。ですが、私は戦神への不敬を恐れずに話してくださった貴方の本心を……あの夕暮れ時のことを、夜に月の国の王子と同朋のエルフに話してしまったのです」
「それが私への裏切りだと?」
「だってそうでしょう? 一人の人間と、一人のエルフ。貴方のおっしゃる通り、そういう間柄の上での問答だったはずです。なのに私は貴方が真摯に答えてくださった本心を、貴方がどういう存在なのかを、"月影騎士ナギッサ"として勝手に、月の国の政の場に持ち込んでしまいました。それは……一人の人間として接してくださった貴方への、明確な裏切りです」
船着き場に風が吹く。
野原や山とは違う、どこかぬるく塩気を帯びた風だ。
ノーラは僅かに靡く自身の赤髪を撫でつけ、口を開いた。
「確かに私は、一人の人間としてあなたの問いかけに答えた。だが、こうも言ったはずだぞ。『戦神騎士ノーラとして、戦神に誓って、嘘偽りなく本心を答える』と。それはつまり、戦神の軍の旗頭ノーラとして答えたということでもある。『二人だけの秘密にしてほしい』とも言わなかった。私の答えを、私がどういう人間なのかを、王子や同朋に報告する。それは何ら、裏切りではない」
「ですが、それを為した私は月影騎士としての私で、一人のエルフとしての私ではありませんでした。"一人のエルフであるナギッサ"が、"月影騎士ナギッサ"にあの夕暮れ時のやりとりを、密告したのです」
「『エルフは奔放、気まぐれ、からかい癖あり』……人の世で語られるエルフの風評だ。なのにあなたというエルフは、とても律儀なのだな。これまでのやりとりの限りでは、別に月の国マーブリスに騎士として絶対の忠誠を誓っているわけではあるまい。確かな契約なども存在しないだろう。口約束のようなもので、暇潰しがてらやっている。失礼だが、そんな印象があった」
「……そうですね。気に入った人間達がいるから、長命の暇潰しがてらに、気まぐれで手を貸している。マーブリス王家と私達エルフを一言で言えば、そういう関係性になると思います。……それでも」
そう呟いてナギッサは初めて顔を上げてフードを脱いだ。
少女の美貌は涙で濡れそぼり、今なお潤んでいる碧眼が一瞬ノーラを見つめ、気まずそうに視線を逸らした。
「奔放や気まぐれと言われようとも、実際にそうであっても、他者と関わっていく中で越えてはならない一線は、エルフにだってあります。私はそれを、踏み越えてしまった。あの夜、畏れで震えるままに舌を滑らせ続け、姉のメリッサに……同朋に頬を叩かれて、それで自分の過ちの重さにようやく気が付きました。……本当はあの夜の内に、貴方の元へ参って謝罪するべきでした。でも、自分が情けなくて、貴方が畏れ多くて……出来ませんでした。貴方がここに来てくださらなかったら、こうしてお話も出来ませんでした」
ナギッサはその場に畏まり、ひれ伏した。
「私はあの夜、一人のエルフとして、一人の人間の真摯な想いを裏切ったのです。それも、戦神の使徒たる御方の想いを。戦神の裁きは、ありませんでした。怒りも、ありませんでした。それどころか……っ、だというのに私は、私はそれを……!」
「ナギッサ」
ノーラは優しく相手の名を呼んで震える肩を叩き、頭を上げさせた。
「もう心の中を見せ合った間柄だ。だから言おう。私は気づけば、舌が勝手に回る人間になってしまった。あの夕暮れ時の問答も、まあそれが原因だ。……ただ、今はだいぶ疲れていてな。一昨日の晩はクソガキと殴り合って、昨日は一日中クソガキの相手をして、"砂粒"の小難しい情勢報告を聞いて、今日は今日で見知らぬ人に何度も声をかけられて、ちやほやされて……」
「……ぐすっ」
「はぁぁ~~……もう本当に疲れた。とうとうクソガキに白状させられたが、本来の私は……そんな溌剌とした人間じゃない。だから、もう全部はっきり言ってやる」
「え……?」
バシッ。
ぐしょ濡れの真っ白な頬を、ノーラは勢い良く両手で挟み込んだ。
そして、もみくちゃに捏ね回す。
「ひょぼぼぼぉっ!?」
「『ごめんね』『いいよ』でさっさと終わらせたいんだよ私は……! 初対面は舐め腐ってた癖に、今さらぐちぐちウダウダべらべら後ろ向きなこと喋って、畏まるんじゃない!! 私の話を王子に報告しようが国に報告しようが、お前が姉貴にひっぱたかれようが知ったことか! そんなことでいちいちひれ伏して泣くな!! めんどくさいだろうがっ!!」
「めっ……はぁっ!? ひょぼぼ、ぼぼっ、あぼぼぼっ!!」
「まったく、何が『神さまに選ばれた特別な人間』だ。戦神騎士団は全盛期、百人以上いたんだぞ? 百人以上もいて、その中には私が大嫌いだったあいつやこいつや、都合良く鈍感になるローランやそれにくっつき回るノアや、いちいち鼻につく天才生意気クソガキ野郎のニコルや、呑んだくれで頭空っぽな副長やらがいたんだぞ? お前は部外者だからはっきり言うが、素直に尊敬できるまともな人間の方が少なかった!! いくら戦神の託宣で選ばれたと言っても、そんなしょうもない連中でひしめいてた戦神騎士団が、お前のような年増のエルフに畏まられるほど特別なわけがあるか!!」
「とし、としまっ……ひょ、あぼぼぼっ!!」
「旗槍を賜ったのだって、私だけではない! そして、戦で死んでった兵士の中には戦神の武具を授かってないだけで、戦神騎士にも見劣りしない武技の持ち主など大勢いた!! それでも託宣で戦神騎士に選ばれることは、確かに名誉なことだ! だがその程度の名誉で同朋や部外者に特別扱いされて、跪かれてひれ伏されて調子こくほど、私達は驕ってない!!」
「ぶはっ! ちょっ、やめ……あははははっ!!」
後ろから抱きすくめた細身の脇腹を、両手で雑にくすぐった。
エルフの少女は悶えながら、けらけらと笑う。
少し腕を上にずらすと、何やら大きな柔らかさに触れた。
「ほぉー? 私のこと散々持ち上げといて、お前も中々"特別"じゃないか。ちっ、何だどいつもこいつも……ケイトさんといい、ノアといい、お前といいっ! 少しは私やイオさんの慎ましさを見習えっ、この、この、このっ!!」
「んひゃぁっ!? だめ、どこ触って、あんっ、ん、こ、こらぁ!! あちょ、ちょっとま、落ち……あぁあぁ~~!!」
ボシャン。
夕暮れの色に輝き始めた水面に、影が二つ落ちた。
「あわっ、わ、私泳げなっ……! うぁ、たすけ……がぼぼっ!」
「ははは! 本当にしょっぱいな、"海"の水は。しょっぱすぎる。川で水浴びした方がマシだな、これでは」
ノーラは溺れるナギッサを掴んで、戦神騎士の膂力で船着き場の板敷きの上へ投げ飛ばす。
そして、自分もさっさと船着き場へ上がった。
「げほっ、げほげほっ……! あ、あんたねぇ……!」
「ふん、何だ。黄金の叡智を謳われるエルフの癖に、泳げもしないのか? 年増が。今まで何やって生きてきたんだ? 毎日鼻くそでもほじってたか?」
「ここ、このっ……クソガキィ!!」
ナギッサが美貌をひくつかせながら、ずぶ濡れのまま跳びかかってくる。
ノーラは真っ向から迎え撃った。
頬をつねられ、長耳をひっぱり、鼻の穴に指を突っ込まれ、細身に不釣り合いな膨らみを鷲掴み、バタバタともつれ合う。
「さっきから年増年増言いやがってからに!! あたしはエルフの中じゃまだピチピチの超絶美少女だっつーの! この誰もが羨む傾国の美貌を見ろバーカ!」
「エルフなんて超絶美人で当たり前だろうが!! 人間が息を吸って吐ける自慢してるようなもんだバカ!! 年増!!!」
「はぁ~~? その年増の美貌に人間の男がどれだけうじゃうじゃ寄ってくると思ってんの!? あたしがその辺の街のど真ん中でフード脱いだら、そりゃもう大騒ぎよ!! 大ナギッサちゃん祭り開始よ!!!」
「ツラだけが目当てのくだらないバカ男がわんさか釣れるのがそんなに誇らしいか!? 随分と低俗で下品な遊びをするんだなぁ、エルフってのは!! 色ボケのバカばっかりか!!」
「ツラだけじゃないです~!! 胸だってあたしの方があんたよりずっと大きいもん! ほれほれ、あんたってば態度はデカい癖にここはちっちゃいんでちゅね~! ぷぷぷのぷー!!」
「はっ、お前の方こそ老けたらこんな大きさに価値はない!! ババァの垂れた胸がデカくて喜ぶ男などおらん!! 叡智がどうのと言われる癖にそんなことも分からんのか! だから色ボケだと言ってるんだバカが! バカっ!! すげえバカっっ!!!」
「あんただっていずれババァになるでしょ! 垂れるでしょ!! 恥ずかしい難癖つけて論破した気になるなバカ! バカ!! 超バカーー!!!」
長きに渡って繰り広げられた死闘に競り勝ったのは、ノーラの方だった。
相手の両腕を拘束してのしかかったノーラの顔面のすぐ下、鼻先がこすれ合うほどの距離で、ナギッサの真っ白な頬が紅潮し、僅かに笑んで、息を荒げている。
「はぁ、はぁ、はぁ……前言撤回。あんたは特別なんかじゃない、神さまがどうだのなんて関係無い、ただの人間だよ。ただの、一人の人間。……少なくとも、あたしにとっては」
「お前だってそうだ。月の国も月影騎士も関係無い、ただの一人のエルフだ。私にとっては」
「うん……もうそれでいいや。あたしらの間で、色々めんどくさいことはやめよ。だって……」
「ああ。だって……」
「めんどくさいから」
ノーラはナギッサの隣に仰向けになり、一緒に大口を開けて笑った。
「……で?」
「ん?」
「何でやり合う前からズタボロだったの? 一昨日の晩、ガキんちょと殴り合ったからって奴?」
「……そうだ。こういうやりとりを、ニコルともやった」
「そ。そりゃ仲がよろしいことで。バーカ」
「ああ。私はやっぱりバカなんだな。こんなことをして無理やり腹を割らないと、素の自分すら曝け出せない」
「…………」
「だから、ニコルやお前のような素直にバカをやれる相手がいてほしい。……本当にこういうバカをやりたかった相手は、今はもう大陸の反対側にいるがな」
「あはは、甘酸っぱい青春してますなぁ」
「そうだな。年増のバカエルフにはもう味わえない青春だな」
「バーカ、あたしだって青春真っ盛りだから」
「バカって言う方がバカなんだぞ。バーカ」
二人して胡坐をかき、"海"の彼方に沈んでいく太陽を、輝く水面を、目を細めて眺める。
ナギッサが指をパチンと一回打ち鳴らすと、"海"の塩水でずぶ濡れだったお互いの衣服や身体や髪が乾いた。
そしてしなやかな指先がノーラの頬から首、胴体までをなぞれば、それだけでニコルとの殴り合いで負った怪我が治癒された。
長命と叡智を誇るエルフの、黄金の魔術だ。
「人間の魔術士が使う"治癒"とは少し感触が違うんだな、エルフの"治癒"は。人間に治されると何故か少し痒くなるんだが、お前のはあたたかいだけだ」
「魔力の質が段違いですからなぁ。その段違いの質の魔力で張った"防護"に木の棒でヒビ入れるんだから、戦場のあんたヤバすぎ」
「ん? ……ああ、ヴェント殿下との模擬戦の時の話か。そういえば、『人間の争いごとは、あくまで人間同士がやる』だったはずだな。お前がっつり約束破ったな、あの時」
「えー、そうだったっけ? まあ、それはアレよアレ」
「『エルフは奔放、気まぐれ、からかい癖あり』……か?」
「そゆこと。あはは」
誤魔化すように笑うナギッサにつられて、ノーラもクスクスと笑った。
「明日だね。約束の日」
「そうだな」
「ヴェントくん、上手く王さまとお話できたかな」
「さあな。まあ、明日になれば分かることだ」
「どうする? 『要求は一切聞けないから出てけ』って全面拒否されたら」
「んー、今日はもう疲れたからな。考えるのはめんどくさい。明日言われた時に考えるさ」
「あはは、こやつめ」
ナギッサが、優しく頬をつねってくる。
ノーラも、優しく長耳を引っ張って反撃した。
じゃれ合っている間に、辺りが一気に暗くなり始めた。
夜がやってくる。
月の光に照らされる、マーブリスの夜が。
「……ねえ、ノーラ。一つだけ、約束するよ」
「約束?」
「もし月の国があんたら戦神の軍を拒絶して追い出しても、それでもあたしは……あたしだけは、あんたの味方をしてあげる。月影騎士としてじゃなく、あんたの友達として。……ま、気まぐれでたまーにね?」
エルフの少女が赤い舌をちろっと出して、ころころと笑った。
白く細い手が、差し出される。
ノーラはその手を、優しく握りしめた。
「長生きしてると、こういう出会いがたまにあるんだって。それがエルフやってて、一番楽しいことなんだって。ババさま達が言ってた。あたしも今、そう思ってる。それは人間だってきっと、そうなんじゃないかな。……だからあんたも、絶対に長生きしなよ」
「ああ。ありがとう、ナギッサ」
そうしてナギッサは再びフードを被り、ノーラを宿まで送り届けてくれた。
相変わらずにやにやと詰ってきたニコルの前にナギッサを突き出して適当に言い合いさせておいて、ノーラは自分の寝室へ戻った。
部屋の隅に立てかけておいた戦神の旗槍。
その白銀の穂先が、月の光を受けて輝いている。
窓から夜空を見上げていると、不意に星が一つ、一直線に流れた。
ナギッサが言っていた、月の女神の放った矢だ。
「……月の女神よ。このノックスで貴重な出会いを賜ったことを、心より感謝いたします」
ノーラは独り呟き、そして大きな欠伸をかまして、寝台に寝転がった。
………
……
…
五日目の朝。
戦神の軍は宿の一階の食堂に集結し、朝食も取らず、武装を整えて、じっと待っていた。
大陸西方の"砂粒"達のまとめ役である、老婆も同席している。
椅子に浅く座り、机の上で手を組み、目を閉じて黙りこくるノーラ。
ニコルもその横で俯き、机の木目を見つめている。
そして、宿の固く閉じられた扉の前に、逆立つ短い黒髪の男性とフードを目深に被った外套姿の女性が、不意に現れた。
ノーラが席を立つのと同時にニコル以下兵士達も"砂粒"の老婆も皆起立し、深く拝礼する。
「戦神の軍よ。この五日間、待たせてしまって申し訳ない」
月の国マーブリスの第三王子ヴェントがそう言うと、横の女性がフードをそっと脱いだ。
ノーラはちらと、そちらに目をやる。
やはり、ナギッサではなかった。
彼女よりも年上、人間で言えば二十代半ばほどに見える、輝く長い金髪を低い位置で一つ結びにしたエルフだ。
当然、その容貌は抜群。
口元は穏やかな微笑を浮かべているが、目は笑っておらず、しっとりと落ち着いた、それでいてどこか妖艶な風情を醸している。
おそらくこのエルフが、ナギッサが何度か名前を出していた、姉の月影騎士メリッサだろう。
ヴェントがそのエルフに目配せすると、彼女はどこからともなく一本の巻物を取り出した。
第三王子が差し出された巻物を広げ、厳かに読み上げる。
「戦神騎士の旗頭ノーラよ。戦神の軍よ、そして戦神の諜報よ。月の国マーブリスの第三王子ヴェントが、ここに王の名代として、我が国への助力を正式に、そなたらへ願い出る。……一つ。北方より大河川を越えて迫り来たる大敵、"蛮地"及び"神聖国家オラトリア"を退けるため、戦への加勢を願う。……一つ。マーブリスをさらに強固な国と為すべく、その礎となるべき人材の発掘において、協力を願う」
ヴェントがそこで精悍な顔を上げ、ノーラ達戦神の軍を広く見渡した。
マーブリス側の願いはやはり、北方の二つの勢力を相手取る戦への加勢と、人材発掘への協力である。
ノーラが提案した通り、国力の底上げについてもマーブリス王家はその気になってくれている。
「出ていけ」という無情な回答ではなかったことに、ノーラは小さく息を吐いた。
ならば、あとはノーラ達の助力に対して、マーブリスがどれだけの見返りをくれるかである。
「そして、そなたらの厚き助力に対して、月の王の名において、以下を約す。……一つ。戦への加勢、人材発掘を円滑に行うためにも、我が国の最精鋭たる月影騎士の業により、人目を欺き、戦神の加護を覆い隠す装飾具を、望む数だけ授ける。……一つ。人材発掘のため、マーブリス領内における戦神の軍及び戦神の諜報の自由行動を、王城周辺と王家の禁足地、そして竜神の国オズワルドとの国境たる大河川支流周辺を除き、全面的に許可する。また、発掘した人材の内、そなたらの志に同調する者あらば、その者については大願成就の間まで、戦神の軍への同行を妨げぬ。同行の数については、不問とする」
王子はそこで一度、息を継いだ。
「……一つ。来たるべきそなたらと竜神の国オズワルドの決戦の折には、マーブリスは一万の将兵をもってかの国を牽制し、そなたらの戦いを支える。ただし、この約は北方の脅威が沈静した後とする。……以上、これらは全て国家としての正式な確約である。戦神の民よ、どうか我ら月の民と共にあれ。月の国マーブリスは、そなたらの助力に必ず報いる。……なお、もう一つの望みであった、月影騎士による諜報支援については、王家も彼らエルフはあくまで協力者として遇している。故にこの件に関しては、そなたら戦神の軍が、彼らと直接交渉されたし」
第三王子ヴェントは巻物から顔を上げて、真剣な表情のまま、戦神騎士ノーラを見つめてきた。
ノーラ達はそれに対して、再び深く拝礼した。
「……畏れながら、殿下。私どもの過大な要求の数々を国王陛下に奏上いただき、心より感謝申し上げます」
「すまぬな、ノーラ。四つの望みの内、三つが限界だった。しかも二つは、色々と小難しい条件付きだ」
「いえ、ありがたい限りです。装飾具についても人材についても、破格のご配慮をいただきました。殿下のご厚意と陛下のご期待に、我ら戦神の民一同、必ずや応えてご覧に入れます」
「うむ……はぁ。『お前はノックスにいろ』だとよ。『兵士達を率いて戦神の軍と共に戦いたい』と、父上にはそう申し上げたんだがな」
表情を崩したヴェントが、どこか後ろめたそうに、寂しそうに笑う。
「ふふふ……ヴェント君。君は君にしか出来ないとても重要なことを、もうしっかりとやり遂げたわ。あのイタズラっ子な泣き虫が、気づけば随分と立派になって……」
「言うなメリッサ。一応、公の問答をした場だぞ? まったく、ナギッサといいお前といい本当に……」
「ヴェント様。ノックスの街は、とても大きくて活気がありました。ここに埋もれてる凄い人だって、多分いると僕は思います」
「ニコル……俺にこの街を全力で掘り起こせと?」
「ヴェント様みたいな優しくて親しみやすい王子様だからこそ見つけられる……そんな人を見つけて、陛下を見返してあげればいいんですよ」
「やれやれ。ガキんちょに励まされるようじゃ、俺もまだガキだな」
「あら、自覚なかったの?」
「うるさいぞ」
ヴェントに長耳を優しく引っ張られたメリッサが、童のようにころころと笑った。
そうやって笑うと、妹のナギッサによく似た人懐っこさが出てくる。
ノーラはそう感じて、思わず微笑んだ。
「さて……戦神の軍よ。ひとまずは国外退去の時間だ。ゆったりと出立されよ。ノックスの軍勢で、その背を追いかけさせてもらう」
「はい。ではヴェント殿下、しばしのお別れでございます。フォルラザの残党は大人しく、大山脈へと戻ります」
「ああ。ふっ……全ての決着がついたその時には貴公ら皆で、月の国へ帰ってきてくれると嬉しいな。そして都で一緒に、月の女神のための祭りを見よう。大陸西方の覇者がやる、数年に一度の祭りだ。きっと貴公らも大いに驚き、楽しんでくれることだろう」
「殿下のお言葉、胸にしかと刻んでおきます」
「いいですね、そういうの。長く険しい道のりの果てには楽しみがあって、待ってくれてる人がいる。……頑張らなきゃって気持ちになれます」
そうして三度拝礼し、ヴェントとメリッサが姿を消して少しの時間を置いてから、ノーラは旗槍を担いで颯爽と宿を出た。
宿の周囲を、ノックスに住む月の民達が大勢、遠巻きに囲んでいる。
「月の民よ! この五日間、あなた方にあたたかく歓待していただいたことを、私達戦神の軍は決して忘れない! しかし、第三王子殿下のお触れ書きの通りだ! 私達は、この国を去る! もう二度と、西方の大地を踏むことはないだろう! ……さらば!!」
戦神の旗を畳んだまま、ノーラ達戦神の軍はノックスの街を、門へ向けて行進した。
月の民は、それを静かに、真剣に見守ってくれている。
やがて門前で、先回りして馬に乗った第三王子ヴェントが、麾下の軍勢と共に待ち構えていた。
王子は腰の剣を抜き、冷徹な視線と共に切っ先をノーラの顔面へと突きつけた。
「亡国の最精鋭に、出来る限りの礼は尽くしたつもりだ。しかし、これ以上はならぬ。……月の国より去れ、戦神の軍よ」
鼻を鳴らして前に出ようとしたニコルを制し、ノーラは一切の応答をせずに第三王子から視線を切って、そのまま門を出た。
兵士達はこちらへ槍の穂先を突きつけたまま一定の距離を保ち、戦神の軍の後ろをついてきている。
「ノーラ先輩……忙しくなりますね、これから」
「ああ。当分は表面上マーブリスの遊軍として振る舞い、駆け回ることになる。しっかりと演技しろよ、ニコル」
「先輩こそ。何ですか、さっきの演説。形の上では追い出されるだけなのに格好つけすぎですよ。やっぱり将来は吟遊詩人ですね」
「しつこいな、お前も。ふふっ……まあ、少しくらいは考えておくか」
ノーラもニコルも二十人の兵士達も、誰も後ろを振り返らなかった。
振り返らずにノックスの軍勢に追われて、大山脈へと戻っていった。
そして、ゆっくりと時間をかけて、山を二つほど越えた先。
月光が照らす開けた場所で、エルフのナギッサがフードも被らずに待っていた。
「ふふん。戦神の軍のお目付役はこのあたし、月影騎士ナギッサだよ。今後ともヨロシク」
「殿下のお守はいいのか?」
「それは大丈夫。あんた達が出てった後も、しっかりと胸を張ってたもん。大役を果たして壁を一つ、乗り越えたのかも。……もう立派になったよ、ヴェントくんは。ま、『寂しいでちゅ~』って泣いて連絡してきたら、その時はちょろっと戻りますけどね?」
皆して、声をあげて笑った。
「よーし、気を引き締めろ戦神の軍よ! ここからは長い前哨戦が始まるぞ! やるべきことは無数にある! 耐え忍ぶ時間が続く! しかし、全ては戦神に勝利を捧げる……その時のためだ!」
ノーラは旗槍を掲げた。
吼える獅子の赤旗が、山間を吹く夜風によってはためき、じんわりと神々しい輝きを放つ。
「戦神に、勝利を!!」
獅子達が勇ましく咆哮した。
ただ前へ進む、そのために。
次回から視点が変わります。
なお、戦神騎士十人の簡単な概要と現在の動向をまとめておきます。
大陸地図と合わせてご確認いただければ幸いです。
・ローラン:騎兵、大剣使い → 従者のナツメと探究の国ラガニアへ
・ノーラ:指揮官、旗槍使い → 月の国マーブリスへ協力
・ニコル:双剣使い → ノーラ指揮下
・グリムロ:副長、大斧使い → 大砂漠の下の隠れ里で待機
・ジェラルド:古参、魔術剣士 → 大河川を渡って大陸東方へ(目的地は北方)
・イオ:魔術士 → 大陸東方で人材集め
・ウィルフレッド:騎兵、槍使い → 大陸南方で竜神の国オズワルドの総督府の妨害
・アレクシス:魔術士 → ウィルフレッド指揮下
・ケイト:弓兵 → ウィルフレッド指揮下
・ノア:騎兵、大剣使い → ウィルフレッド指揮下、西方のノーラへ合流予定
お話がかなり広い範囲で展開されるので、時折こういうまとめをする予定です。
まだ名前と概要しか出てきていない騎士がいてすいません。
その内きちんとお話に出てきます。