戦神騎士物語   作:神父三号

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大陸南方の戦神騎士達のまとめ役である、槍使いのウィルフレッドへと視点が移ります。
第28話までの短い間です。


第2章 歩む者たち 
第26話 ウィルフレッドの道・変わったもの


 南方総督府が、変わった。

 

 同盟者である"砂粒"達からそれは予め聞かされていたが、ウィルフレッドが近くの山から眺めてみると、より明白だった。

 攻め滅ぼされた戦神の国フォルラザの都跡。今は竜神の国オズワルドの南方総督府。

 その周囲の荒れ地はかつて戦神の軍を鍛え上げるための調練の場だったのだが、それを総督府の兵士達が組織的に、大規模に開墾していっている。

 

 雑多に建てられていた兵士達の営舎も、取り壊しが進んでいる。

 また、瓦礫と木片の山だった都の内部も、片付けと整備をおこなっているようだ。

 

 

「新生した総督府……厄介そうだぞ、ノーラ」

 

 

 ウィルフレッドは独り呟き、軽く自身の茶髪をかいた。

 そして、木々が鬱蒼と立ち並ぶ山の斜面、その中の巨木の陰に座り込み、得物の槍を木の幹に立てかけて見物を続けた。

 都の傍にあった小高い山とその麓の森の木々が、丸ごと伐採されている。

 その山や森も昔はフォルラザの調練の場だったし、あの滅亡の夜には戦神騎士達の脱出を大いに手助けしてくれたものだ。

 だが、今やそれらは片っ端から加工されて農具や家屋の材料に使用されているようだ。

 

「えいっ!! おー!! えいっ!! おー!!」

 

 結構な距離があるにも関わらず、地ならしの掛け声がウィルフレッドの耳に聞こえてくる。

 きっと調練も兼ねているのだろう、将らしき者が十数人、馬を走らせては指揮を執っている。

 当然のことかもしれない。数千人規模による開墾だ。

 物言わぬ固い荒れ地を相手に、大規模な戦をしているようなものである。

 

 山と森を丸ごと潰しても道具は色々と不足しているようで、素手で石を拾っている兵士も、遠目に見て大勢いた。

 開墾に当たる者全員が、整然と同じ作業を出来ているわけではない。

 それでも、掛け声はしっかりと揃えるようにして張り上げていた。

 胸に響く、良い声だ。

 ともすれば大戦中、こちらの軍と対峙していた時よりも張りがあるようにすら感じる。

 

 開墾の集団の周囲にはぐるりと飛竜兵が配置され、飛竜達は手持ち無沙汰に欠伸をかいたり、丸まって寝ている。

 七騎。

 ウィルフレッドがこの山から抜け出して、一撃加えて素早く離脱するというのも、非現実的な数である。

 もっとも、総督府の歩哨はこちらに気づいていない。飛竜達だってそうだ。

 

 ノーラから"砂粒"を通して贈られてきた、木の葉の形をした首飾りの効果もあるだろう。

 身に着けていれば容姿を平凡にして戦神の加護の気配を覆い隠し、戦神の武具の見た目も使い古した安物に見せてくれる。

 仮に歩哨に見つかって近づいてこられても戦神騎士だとは分からないだろうし、悟られてもそれはそれで別にどうにでもなる。

 今ウィルフレッドが身に着けているこの首飾りは何でも、月の国マーブリスの最精鋭であるエルフ達"月影騎士"のうち、年長の熟練者が作ったものだという。

 それはつまり、ノーラ達が本格的に大陸西方の覇者に協力するということでもあった。

 

 

『戦神騎士の旗頭ノーラより、戦神騎士及び戦神の全軍へ』

 

 

 "砂粒"が二十個の首飾りと共に運んできた、同朋であり後輩であり、唯一の旗持ちとなった戦神騎士ノーラの手紙。

 それには、今後戦神の軍が目指していく方針が書かれていた。

 

 

 

 曰く。

 

 月の国マーブリスに侵略してきた大陸北方の二勢力、"蛮地"と"神聖国家オラトリア"。

 マーブリスの国難に対して、ノーラ達戦神の軍及び同盟者"砂粒"は、確かな見返りを得るために多くの助力をする。

 

 大陸東方でも、大国である太陽の国シンガが"五枝水軍"と大いに争い始めている。

 五枝水軍の背後には、大河川の都"ク・アリエ"の影もあると思われる。

 同じ東方の強国である探究の国ラガニアも、何らかの動きを見せるだろう。

 

 これらの情勢を上手く利用し、大陸の東西の勢力を味方につけて、中央を挟み撃ちするような姿勢を取らせる。

 そうして竜神の国オズワルドを大きく揺さぶり、再起した戦神の軍がその隙に、北方か南方より一気に都を攻め落とす。

 

 そういう大きな動きを念頭に置いて、各自行動するように。

 

 道のりがどれだけ険しくとも、進み方がどれだけ惨めでも、耐えて歩み続けよう。

 いずれ戦神の旗の下に集って、再び共に戦うために。

 戦神に、勝利を。

 

 以上。

 

 

 

 それは現状、宴の場で酔っ払って語るような大げさな夢の類である。

 "砂粒"によればノーラ達は単なる防衛への一度や二度の助太刀だけでなく、国力を底上げするような人材発掘までやるというのだ。

 西方のマーブリスはかなり好意的にノーラ達を歓迎してくれたようだが、東方のシンガやラガニアが入り込んできた戦神騎士をどう扱うかは分からないし、助力しても確かな見返りを得られる保証も無い。

 さらに、北方か南方より竜神の都を攻め落とすというが、大砂漠を越えての北上は都に辿り着くまでに飛竜相手の野戦を幾度となく繰り返さなければならないし、全盛の時を迎えていた戦神の国フォルラザですらそれは成し得なかった。

 だから、おそらくは北方から大河川を渡る方法を見つけることになるだろう。

 それでも大河川を渡る間に敵に攻撃されれば多大な犠牲が出るから、可能な限り素早く安全に渡れる術が必須だ。

 

 そして何よりも、飛竜への対抗策が現時点ではまだ見つかっていない。

 

 飛竜を完全に無視し、とりあえず都を叩いて竜神の国の王の首一つを取ればそれで良しとは、ノーラも思っていないだろう。

 本質的なことを言えば戦神の民は竜神の民に敗れたのではなく、飛竜に敗れたのだから。

 戦神騎士として、飛竜には勝つ。勝って、首を取る。

 それは何が何でも、成し遂げなければならないのだ。

 

 とはいえ、当面の方針はこれで良いと、ウィルフレッドも感じていた。

 少なくとも、ノーラが西方でやろうとしていることを諫める理由は何も無い。

 エルフの集団に繋がりが持てて、こうして有用な首飾りを手に入れられているというだけでも、既に充分に大きな利を得ているのだ。

 それに加えて西方の覇者である月の国が来たるべき決戦の時に牽制を担ってくれれば、復讐は相当にやりやすくなる。

 また、ノーラの手紙には「頃合いを見てノアを西方に寄越してほしい」とも書かれていた。

 その判断も正しい。総督府が方針を大きく転換した以上、南方の情勢は膠着するだろう。

 動きづらくなった南方に、戦神騎士が十人のうち四人も留まっているのは多過ぎる。

 

 あと差し当たっての問題は大砂漠の下に戻ったというグリムロ副長をどう動かすかだが、エルフの助力があればそれも何か良い案を思いつくことだろう。

 少なくともノーラならば、この南方に押し付けてきたりはしないはずだ。

 

 ノーラ達のそうした西方での動きに加えて、東方の大勢力も味方に出来るように立ち回れば、復讐を遂げられる可能性は確かに大きく増す。

 東方には顔が広くて頭も回るイオが入っていて、古参のジェラルドも北方へ抜けるために通りがかる。

 あとは、ローランが流石にそろそろラガニアへ入る頃合いではないだろうか。

 シンガやラガニアと繋がりを作る好機だって、あるかもしれない。

 

 しかし。

 

「それでも、やはり遠いな」

「なにブツブツ言ってんのさ、ウィル」

 

 ウィルフレッドの背中が、軽く蹴られた。

 振り返ると、白銀の弓を携えた猛々しい面構えの女性が立っている。

 幼い頃からもう見飽きるほどに顔を合わせ、ひたすらに武を競ってきた、同期の弓兵。

 

 戦神騎士ケイト。

 

 自分と同じようにエルフの首飾りを身に着けているが、容姿や戦神の武具は元のままだ。

 "砂粒"の説明によると、月影騎士や首飾りを着けている者同士ならば、元の姿と気配が分かるように細工してあるらしい。

 年長のエルフが作ったものらしいが、黄金の叡智を謳われる亜人の業の偉大さには、ただただ感服させられるばかりである。

 

 ケイトの後ろには、二十歳にも満たない金髪碧眼の戦神騎士ノアが、白銀の大剣を背負って佇んでいる。

 素晴らしく端正な容貌をしているというのに、いつも通りの無表情だ。

 その眼差しは、総督府の開墾の軍勢へと向けられていた。

 

「しゃがんでくれ、二人とも。僕達は一応、隠れて偵察に来ているんだ。見つかったらどうする」

 

 ウィルフレッドが言うと、ノアは素直に片膝をついた。

 だが、ケイトは腕を組んでどっしりと立ったままだ。

 

「はっ、アホくさい。竜神の軍の歩哨がこの距離であたしらに気づけないことなんざ、あの大戦でこちとらとっくに分かってんだよ。……たとえこんな首飾りが無くてもね」

「人間の歩哨は気づかなくても、飛竜が気づく可能性はある」

「あの飛びトカゲどもは何かに気づいても、それを親切に人間に教える連中じゃない。大戦の時、潜んでる最中に目が合ったのにわざとらしく無視されたことは、何度だってあるんだ。あたし並に目が良い癖に、どこまでもふざけた奴らさ。あれだけあからさまに人間を舐め腐ってる魔物に、よくもまあすがりつけるもんだね。野良の低俗な魔物の方が百倍可愛げがある」

「それでもしゃがめ、ケイト。南方の指揮役は僕だ」

 

 はいはい、と背中の上部くらいまで伸びたボサボサの茶髪をかきながら、ケイトはその場に胡坐をかいた。

 

「……それで? 南方における指揮官殿は、総督府の様子を直に見て何か分かったのかい?」

「"砂粒"の皆が教えてくれた通りさ。……動きが変わった。南方の占領統治を長い目で見て、まずは基礎を整えることからやろうとしている」

「そんなのあたしみたいなバカでも見りゃ分かるよ、バカ。それがあんたからしたら良いのか悪いのかって聞いてんの」

「……前総督殿は、あまりにも隙だらけの御仁だった。まるであえて僕達にオズワルドの将兵を生贄として献上してくれているかのような、そういう動きをしていた」

「ありゃあただの間抜けだろ? 大戦の終盤で手前らの将が、どれだけ飛竜を前提にして兵を動かしてたのかも分かってなかった。……雑魚を三百なんて半端な数で大山脈にそのまま寄越してきた時は、流石のあたしでも罠を疑ったよ。逆にキレ者なのかと思っちまった」

「かもしれないな。ああやって兵士を無駄死にさせ続ければ、いずれオズワルドは大陸南方の統治を『割に合わない』として、早々と諦めたかもしれない。それを狙ってやっていたのだとしたら」

「狙ってやってたわけないだろ。その結論を出すのが目的なら、土地を調べて残った集落を調べて、それで『割に合わないからやめましょう』ってオズワルドの都に報告すれば済んだ話だよ」

「……フォルラザは滅んで将兵の殆どを失ったが、オズワルドだって無敵の飛竜達の陰に築かれた、大量の屍の山に戦慄したはずさ。凄まじい数の同朋を犠牲にして国を大いに疲弊させて、冷徹な報告だけ受けて、『割に合わないなら手に入れた南方は捨てよう』なんて王家も重臣達も言えるはずがない」

「へぇー。つまり賢明なる前総督殿は、さらなる痛みを以てそれを言外に大陸中央へ伝えようとしてらっしゃったって?」

「そういう風に考えると、中々に味のある御仁だったように思う」

「はんっ、バカが。この大バカ」

 

 ケイトが呆れたように笑って、ウィルフレッドの頭をバシバシとはたいてきた。

 もう慣れ親しんだ暴力だ。

 くだらない戯言はやめて、さっさと本音を言えと促すだけの優しい暴力だ。

 幼馴染なのだから、当然に分かる。

 ノアは二人のじゃれ合いになどまるで興味が無いように、じっと総督府の開墾を見つめている。

 

「……冗談さ。今まで攪乱があまりにも上手くいき過ぎていて、逆にこれからどうしようか躊躇し始めていたところだった。良い時期に、まともな総督府に生まれ変わってくれた」

「妾腹の第四王子……十六歳だっけ? そいつが出来る奴なのかね。それとも連れてきた二人の腹心って奴らが優秀なのか。もしくは今まで縮こまってた情けない連中が、少しは意見を言えるようになったか」

「あるいは、その全てか。僕からしたら現時点では、第四王子の存在について良いとも悪いとも言えない。無能が過ぎて無茶な行動を連発してさっさと南方から撤退されるよりは、大砂漠を往復する絶え間ない物資輸送で本国に負担がかかり続ける現状の方が、確実にありがたい。……ただ、しっかりと腰を据えた適切な統治をされれば自然と総督府は潤うだろうし、結果的に目論見通りオズワルド全体の国力を上げることにもなる。そうなれば日和見の民草はオズワルドに靡くだろうから南方の戦神の軍は完全に厄介者だし、残存する戦神の民の村もいずれ駆逐されるだろう」

「要はあいつらが適度に失敗して苦労し続けるように、あたしらは邪魔していくってことだね」

「ああ。ここから遠巻きに見ている限りでは、僕達の方針は結局そうなる」

「……とりあえずあたしが今ここから見ててもめんどそうな将が、一人いるよ。あそこ、石拾いしてる兵士達に声をかけてる奴。噂の隻眼だ。片目潰れてるせいでどうしても支障が出てるけど、それでも他と比べてだいぶ動きが良い。竜神の民にしては、相当なもんだよ。多分大戦を前線で生き延びた奴だろうから、色々と出来る奴だろうさ」

 

 ケイトは目を細めて、開墾作業をしている総督府の軍勢の一点を指差した。

 とりわけ忙しなく駆け回っている、馬上の将の一人。

 ウィルフレッドも先ほどから注目していた男だ。

 ただ、件の隻眼の将だという確信は持てていなかった。

 遠目に見た身のこなしからは判別できないほどに、隻眼故の労苦を巧く隠しているためである。

 目立つような眼帯だってしていない。

 それなのにケイトはこの離れた山上から、彼の僅かなぎこちなさを見抜いている。

 長い付き合いだが、未だに感心してしまうほどの目の鋭さである。

 戦神騎士の弓兵として、彼女の抜群の眼力は大いに戦場で役に立ってきた。

 

 総督府に入っている"砂粒"達からも、しっかりと報告を受けている。

 隻眼の将のゲイリーと、若い文官のオルソン。

 この二人が、第四王子が下向に伴ってきた腹心達だ。

 初日の引見で王子が直々に二人を紹介したというのだから、間違いなく今後の総督府の中心になっていく者達だろう。

 

「どうする? アレクシスさんも呼んで、戦神騎士四人がかりで強引に夜襲かまして、あの隻眼だけでもとっとと消しとくかい?」

「……いいや。さっきも言ったが、南方統治に早々と見切りをつけられるのは避けたい。僕達が現時点で中心人物を消せば、第四王子だって大いに難儀されることだろう。……だから今は駄目だな。今は失敗も苦労もあくまで適度に、取り返しがつく範囲でしてもらう」

「あっそう、イヤな奴。……大戦の頃よりだいぶ目に見えてイヤな奴になったよ、あんた」

「それはどうも。こんなはっきりイヤな奴になってしまった僕を、ケイトは嫌いか?」

「うるさいねバカが。まあいいんじゃないの? 拾い集めた亡国の雑魚どもを、作り笑いで使い潰してた頃よりはマシだし。……それに変わっちまったのは、ノーラの格好つけもそうだ。いくら格好つけでも、あたしらの先頭に立って指揮を取るなんてガラじゃなかっただろうに。ローランの間抜けと遠慮がちに馴れ合ってる方が、よっぽど気楽だったろうさ」

 

 後輩を罵りながらも慮るケイトに、ウィルフレッドは微笑んだ。

 本人達の前でそういう態度をとって接してやればいいものを、あくまで気性の荒い先輩としてだけ振る舞う女なのだ。

 ノーラを格好つけというのならば、ケイトだって格好つけの類だろう。

 ノアはローランの名前にだけ反応し、こちらへ一瞬視線を送ってきた。

 

「まあ……とはいえ第四王子は南方の現状を見て、すぐさま腰を据える方針に切り替えた御仁だ。おそらく軍の動かし方もきちんと整えるだろうし、本格的な鎮撫にしたってだいぶ後回しになると思う。今までの無茶苦茶な用兵は、前総督殿の独断だろうからね。大戦を生き延びた将の意見をきちんと王子が聞き入れば、自然と飛竜兵を中心にした大規模な軍事行動をしていくはずだ。そうなれば今まで上手くやれてた攪乱も、一筋縄ではいかなくなる」

「……めんどくさいね」

「そうだな、面倒くさい。そして二人の腹心も、簡単に仕留められるような場所には出てこないだろう。ケイトだって、この山から馬で動き回るあの隻眼を必中で射貫くなんてのは無理だろう? さっきから見ていたが、絶対に開墾の軍勢の端までは来ない。彼がしっかりと大戦の経験を活かした上で動いている証拠さ。この山も、それとなく意識していることだろう。どうしても外で行動する時だって、絶対に複数の飛竜兵を傍につけるように思う」

「ちっ、飛竜飛竜飛竜。馬鹿の一つ覚えだね、ホント。ビードの山騎士どもは、まだだいぶ骨があった。強力な怪鳥に跨っていても、心身を立派に鍛え上げた猛者達だった。あたしの矢を巧く凌ぐ奴だって、それなりにいた。……だけどオズワルドの飛竜に跨ってるのはあたしの見てきた限り、ただの騎兵ごっこしてる間抜けばっか。将も兵士もそんな間抜けを乗せた飛竜の陰に隠れて、戦場ではおこぼれをコソコソとさらうだけ。気に入らないね、そういうのは」

「一人の戦士の目線で見れば、僕も同感だ。だけど将として見れば、とにかく無敵の飛竜を常に前に出す選択は正しい。……オズワルドはそれに気づくのが遅すぎたくらいさ。まあ、あの国は大戦の経験なんて長いこと無かっただろうし、将兵だって手柄を欲しがるから、それは仕方無い」

 

 鼻を鳴らしたケイトが、いつの間にか握っていた小石を頭上に放り投げた。

 数拍置いて、小さく赤い木の実が一つ落ちてきた。

 山岳国家ビードを相手取る前に山岳戦の調練で学んだ、しっかりと腹に溜まる実だ。

 投石で潰れることもなく、綺麗な状態でケイトの膝に落ちてきている。

 弓兵だが、投石の技量も騎士団では上澄みなのだ。別に今さら驚くことではない。

 

「『ここから遠巻きに見ている限りでは』っつったね、ウィル」

「…………」

「あむっ。んぐ……行く気かい? 総督府」

「そうだね、行きたいな。君やノアもついてくるか?」

「冗談。あたしの喧嘩っ早さは知ってるだろ? 飛竜が欠伸かいてるのを間近で見たら、尻尾を蹴飛ばしちまうかもしれない。……ノアも無理だ。この首飾りがあっても、無愛想や口下手は欺けないからね。だろ?」

「はい」

 

 ノアはケイトに同意を求められ、まさしく無愛想に最低限の応答をした。

 ウィルフレッドはこの年少の同朋の扱いに、まだ慣れていなかった。

 叙任された時から後輩のローランがよく面倒を見て付き従えていたのは知っているが、ノアはこう見えて人の好き嫌いが激しいのか、こちらが親身に接しても腹を割って話そうとしても、冷たい態度を決して崩さないのである。

 しかし、与えられた命令は確実にこなす戦士だ。

 「戦え」と言えば全力で戦い、「逃げろ」と言えば全力で逃げる。

 一方で、命令を与えなければ何もしようとしない極端さを持っている。

 ノーラがこの娘を西方に寄越すように言ってきているが、上手く接することが出来るか少し気がかりだった。

 

「……分かった。じゃあ、二人はこの山で待っててくれ。危なくなったら、逃げてくるよ」

「はあ? 相変わらず気が早い時はホント早いねぇ……。"砂粒"に報告もらうだけじゃダメなの?」

「自分の目で、しっかりと内側から見ておきたい。よいしょっと……だいぶ遠回りして、街道に出てから総督府へ入る。商業都市から来たように見せかけてね。槍と鎧は君に預けておく。心配しなくても、生きて帰るさ」

「あいよ、行ってら。ったく、それが南方の指揮官殿のすることかね……」

 

 そうボヤきながらも、ケイトの眼差しはあたたかいものだった。

 物心ついた頃から武を競い続け、初陣も戦神騎士の叙任も全て肩を並べて経験してきた、幼馴染なのだ。

 互いの力量を疑ったことは無い。「生きて帰る」という約束もだ。

 そして仮にもし約束を違えたとしても、ケイトは自分に代わって、「ウィルフレッドならこうしただろう」というような指揮をしっかり取ってくれるだろう。

 周囲からは猛々しいだけの思慮が浅い女傑だと思われがちな上、本人もそういう言動ばかりしているが、本質的には心優しくて理解力のある女性だ。

 そういう本質をケイトは簡単に見せる人間ではないが、それでもあの大戦を経て戦神騎士が残り十人となったことを考慮すれば、動くべき時には動いてくれると信じられる。

 だから安心して、自分は無茶が出来る。

 もっとも、これで死ぬ気など一切無いのだが。

 

「変な目で見てるんじゃないよ、バカウィル」

「これは淑女に失礼をした。では」

 

 後頭部へ投げつけられたかじりかけの木の実を軽く躱し、ウィルフレッドはひらひらと手を振って、山の斜面を上っていった。

 山の裏手の麓に待っていた"砂粒"の男から、予め頼んであった旅商人の装束一式と荷馬を譲り受けて、街道へ迂回するために駆け出した。

 

 戦とはまた別種の高揚が、不思議とウィルフレッドの胸にはあった。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 ウィルフレッドが訪れた南方総督府の中には、もう何人かの商人がいた。

 しかし、どの商人も自分のように荷馬を一頭連れているだけだったり、大きめの荷を背負っているだけの小粒である。

 まだ大陸南方においてオズワルドの総督府が、そこまで信用されていないためだろう。

 今訪れてきているのは、早めに顔を覚えてもらって出来る限り先行利益を得ておこうという、駆け出しや根無し草の類のようだ。

 

 ウィルフレッドも許可を貰って総督府に入った後、兵士達の住居の近くの道端で馬から荷を下ろし、布を敷いて商品を並べた。

 並べるのはナイフや食器類、それに装飾品である。

 休憩中の兵士が何人か寄ってきて、商品を眺めたり世間話を振ってきたり、いくつかの品を買ってくれた。

 金ではなく物々交換にも気軽に応じて、ウィルフレッドは持ち前の人当たりと要領の良さでよどみなく商売をこなした。

 あからさまに武力をちらつかせてくるような、横柄な態度を取る者はいない。

 検問を受けた時にも聞いたが、どうやら訪問者に対しては丁重に接するように、南方総督の名において命じられているらしい。

 今後この総督府をしっかりと人が集まる場所にしていこうという、意思の表れだろう。

 

「ありがとうございました。どうぞまた、ご贔屓に」

 

 ある程度の品を売った後、ウィルフレッドは一息ついて立ち上がり、身体を大きく伸ばしながら、周囲を見渡した。

 戦神の都跡の片づけは、ウィルフレッドが商売をしている間にも兵士達が適宜進めていた。

 瓦礫や木片をとりあえずかき集めた上で、都の内に残すものと外に運び出すものとを年配者達が判断して、分別の指示を出している。

 ウィルフレッドの知る限りではオズワルドは長いこと大きな市街地を得るような戦争はしていなかったはずだが、それにしては中々に手際が良い。

 やはり潜り込んだ"砂粒"の話通り、都の正規兵ではなく村や街から徴兵された者だからだろうか。

 

 都跡は片づけが進んだ場所には順次兵士達の住居が建てられていっており、その奥には大商人や貴族の屋敷よりも絢爛な飛竜の厩がある。

 ただ、前総督が住んでいたという贅沢な屋敷は半ば取り壊されていた。

 今の総督である第四王子はやはり、フォルラザの王城跡を総督府の本営にしているらしい。

 

「……変わった御仁だ。あえてボロボロの戦神の城に入るとは」

 

 かつて慣れ親しんだ、しかし今や無惨に焼け焦げて半ば崩れた、無骨なフォルラザの王城。

 それを遠目に眺めながら、ウィルフレッドは呟いた。

 

 在りし日の戦神の国フォルラザは、攻め滅ぼした国々の都を本格的に再建するというようなことはしなかった。

 南方の覇者として数万の兵士を得た全盛期も、吸収した他国の兵士を戦神の民として信仰や生き方を改めさせ、積極的に馴染ませようとはしなかった。

 彼らにはあくまで彼らの信仰や生き方があり、それを全否定して別の価値観を強制することは不可能だと、自分を含めて誰もが思っていたからだ。

 南方一帯には多様な信仰があった。生き方があった。

 フォルラザは数多の戦の過程でそれらと向き合い、その上で攻め滅ぼして、残骸や屍の山から拾い集められるものだけを拾い集めていった。

 広大な領土を得てからの数十年先、数百年先を見据えれば、戦神の信仰や戦神の民の生き方をしっかりと広めていくことは、どこかしらの段階で実行すべきだったかもしれない。

 

「…………」

 

 燃やされ、破壊し尽くされた都を改めて内側から見ていると、ウィルフレッドの胸には様々な想いが沸き上がってきた。

 国として、いや戦神を信仰して戦いに生きる戦神の民として、どうにも勢い任せに生き急いでいたように思う。

 王が託宣を授かるままに戦に明け暮れ、諸国を蹂躙して、南方を形だけ征服し、地盤をしっかりと固める余裕もなく、大砂漠を越えて竜神の国に挑み、そして敗れて滅んだ。

 あの二度の大戦で役に立ったといえるのはやはり、生粋の戦神の民達なのだ。

 

 ウィルフレッドは大戦中、まだ若手の部類ながらも年長者達と共に吸収した南方諸国の兵士達の指揮を主に任されていたが、彼らは数合わせ以上のものにはついぞならなかった。

 そもそも、祖国を滅ぼした敵国に服従させられて軍に組み込まれ、それで懸命に戦うわけが無いのだ。

 自分としては彼らには精一杯人当たり良く接して待遇にも気を配ってはいたが、それでもやはり士気は上がらず練度も酷い有り様だったし、戦の前に逃亡する者やオズワルドに寝返る者だって多数いた。

 夜営の最中に戦神騎士の寝首をかこうとした者すらも、一人や二人ではなかった。

 そんなことがあまりにも頻発したためにウィルフレッド自身も途中からは考えを改め、吸収した兵士達へ表面的には親しく接しながらも要所では冷徹に、酷薄に、粗末な道具を使い潰すかのように運用した。

 だから、戦神の民以外で大戦の終盤までフォルラザの軍に残っている者など、ほぼいなかった。

 

 同朋の皆は飛竜ありきの竜神の軍の練度を見下していたし、ウィルフレッドも実際に対峙していて大した実力ではないと確かに感じていたが、数万の軍勢の内情を細かく見つめれば、かつてのフォルラザも相手を一方的に笑えたものではなかったように思う。

 大量の数を揃えればどうしても軍の要になる者達とそれ以外とで、士気でも練度でも大きな差がついてしまうのである。

 もっと時間があればと、南方一帯で信仰や生き方をやんわりと広めたりしっかりと融和したりして国としての地力を上げていく余裕があればと、今さらながらに口惜しく感じてしまう。

 

 そして戦後、これまで総督府の鎮撫の軍勢として南方の各地に寄越されてきたオズワルドの兵士達もまた、はっきり言って話にならない、軍の要ではなかった者達だった。

 ウィルフレッドが単騎で漆黒の胴鎧を見せつけ、白銀の槍を振り回して駆け寄ればそれだけで恐慌して潰走し、何の抵抗も出来ずに殲滅される程度の質。

 とはいえ、それは当然である。

 今南方にいる一万の将兵は竜神の民とはいえ、都の正規兵ではないのだ。

 国のためと言われても、王子が直々に下向してきても、それだけで大いに昂ったりはしない。

 占領統治を邪魔しながら見てきた限り、彼らはどこか投げやりでひねくれたところがあった。

 自分達は南方に投げ捨てられたのだという、後ろ向きなものを漂わせていた。

 大戦の最中に自分が使い潰していた者達と、大差無い存在。

 

 だが。

 

「隊長、この板どうですか? 結構焦げてますけど」

「んー、まだ全然使えるだろこんなの。臨時の倉庫にでも使えばいい。俺のいた村じゃ、こんなのまで捨ててたらやっていけねえよ」

「そりゃそうだ。じゃあこっちもいけますよね?」

「いいや、それはダメだな。貸してみろ……っと。ほら、見た目は大丈夫そうでも簡単に折れちまう奴だ。灰にして使おう。あと、そこに散らばってるのも全部灰にするぞ」

「了解。すいません、俺まだ見分けつかなくて……」

「若い内はそんなもんだろ。まあこれだけの量を片付けてりゃ、何となく分かってくる」

 

 並べた商品の前へ座り直したウィルフレッドの耳に、兵士達のそんなやりとりが聞こえてきた。

 視線だけをそちらに向けてみると、皆意外なほどに明るい顔で作業をこなしている。

 

 戦神の民は物心ついた頃から武を磨き、そして戦い、殺し、屍の山を築くことが即ち信仰であり、生き方であると教わる民だ。

 しかし、竜神の民は違うらしい。兵士達はどこか、気性が穏やかで頼りない顔つきをしている。

 大戦で分かってはいたが、これが竜神の民らしさだとはっきり言えるような、独特の気配も有していない。

 ただ、少なくとも武器を携えて強張った顔でひりついているよりは、瓦礫や木片の山を選り分けている方が、ずっと生き生きとしているように見えた。

 

「兵士達の様子が気になりますか?」

「うわっ。ああ、これはどうも」

 

 ウィルフレッドが驚きながら視線を戻すと、目の前に涼やかな容貌の男が立っていた。

 身なりが良く、軍装をしていない。総督府で働く文官だろう。

 自分やケイトより少し下で、まだ三十歳にもならぬほどに見える。

 観察されているのにも、近づいてくるのにも、当然とっくに気がついていた。

 相手から声をかけてくるのを、待っていただけだ。

 

「ようこそ、南方総督府へ。どちらからお越しで?」

「商業都市パルチャーです。旅商人のウォルターと申します。また様子を見てきてくれと、知り合いの商家に頼まれましてね」

「なるほど、ありがたいことです。まだこんな有り様で、申し訳ありませんね。……以前にも総督府へ?」

「はい。ただその時は、商売の許可がいただけずに追い返されてしまいました。最近第四王子殿下が新たに総督に着任したと、パルチャーに一報がございましたからね。……あなたはもしや、府の役人様でいらっしゃいますか?」

「ええ、まあ。ご覧の通り若輩者ですがね。……どうですか、パルチャーでの総督府の評判は」

「ははは……まあ、なんというか。その、大変申し上げづらいのですが……前総督閣下のなさったことをまだ根に持っている者が、かなり多いですね」

 

 ウィルフレッドはしゃがんで視線を合わせてくる文官に対して、申し訳無さそうに応じた。

 南方一帯の商業都市へ、少し前に飛竜兵を使った伝達が届いたのは、確かな話である。

 

 

『オズワルドの南方総督府は新生した。商人の来訪を手厚く歓迎する』と。

 

 

 しかし、その一報が届いても主だった商人達がほぼ動かなかったことを、ウィルフレッドは"砂粒"から聞き及んでいた。

 前総督が各商業都市へ、軍を差し向けて威圧していたためだ。

 総督府に最も近いパルチャーだけでなく、ここから二番目に近いサレにも百人単位での派兵があって、強引に駐屯して揉めごとを幾つか起こしたというし、同朋の戦神騎士イオがその辺の混乱には一枚噛んでいるらしい。

 流石に大陸有数の大商業都市ヴァルゲンに対してはそこまで強気に出られなかったようだが、それでも門前での検問の最中に飛竜兵を近くに降下させるような、愚かな威嚇をしたと聞いている。

 総督の交代によって各商業都市へ駐屯していた部隊は全て引き上げたようだが、そもそも大陸南方における商業都市は、あくまで中立地帯の独立した都市であることが原則である。

 その原則を捻じ曲げて強引に抑えつけようとした前総督のやり方が、商人達には強く嫌悪されたようだ。

 結果、新たな総督の元で方針が変わったと聞かされても、現状は木っ端の商人しかやってこないのである。

 

「これがオズワルド流のやり方かと、あの時は皆憤慨しておりました」

「そうですか……その節は前総督が大変な横暴を致しました。失った信用は、中々に取り戻しづらいですね」

 

 若い文官は深くため息を吐き、ウィルフレッドが並べてある品々を眺め始めた。

 そして一つの腕輪を手に取って、目を細めた。

 

「この装飾品は、あなたの手作りですか?」

「いえ、パルチャーの細工師から仕入れております。ヴァルゲンほどではないにしろ、歴史ある街ですからね。この手の品が作れる職人は、いくらでもいますよ」

「ふむ……今の総督府にはその場しのぎの木工作業が出来る者はそれなりにいるのですが、しっかりとした職人があまりいません。何とかならないでしょうか?」

「職人が? しかし、オズワルドは南方を脅かしていたフォルラザを討ち滅ぼしたほどの大国でしょう? ドワーフや人間の職人達を、本国からお連れになっていないので?」

「ドワーフは両手の指の数ほどにはいました。飛竜の褥や前総督の屋敷を拵えたのも、そのドワーフ達が中心です。ただ色々あって、機嫌を損ねてしまいましてね。気づいたら、一人を除いていなくなっておりました。本国の腕利きの人間達も、多くが早々に取り上げられてしまって」

「それはまあ……」

 

 ウィルフレッドは口を開けながら、文官の発言を吟味した。

 

 色々とはおそらく、ケイトが大山脈でやった兵三百人の殲滅のことだろう。

 鉱物の在処を探りに、ドワーフを伴ってやってきていたと聞いている。

 それで交流のあったドワーフが複数死んだ上に、残りの者達も殆どが総督府を見限ったのだ。

 

 元々ドワーフは、人間とは違う亜人である。

 その違いは、信仰や生き方といったものよりもなお隔絶した、種族そのものの違いだ。

 よほど人間の営みに理解ある者か、個人的に気が合って繋がりを持つか、何らかの確かな見返りを誓う契約を結ぶかしなければ、素直に従う連中ではない。

 フォルラザが繋がりのあったドワーフも、中々に気難しい者が多かった。

 

 人間の職人の多くが撤収したのは、あの豪華絢爛な飛竜の厩の整備が終わったためだろうか。

 しかし、第四王子が使う城の改修すらまともにしないままに職人を撤収させるとは。

 もしかするとオズワルド本国は、妾腹の第四王子に必要以上の支援をするつもりが無いのかもしれない。

 それはつまり、王子が南方の統治に失敗しても構わないということだ。

 むしろ上手くいき過ぎれば第四王子の声望の高まりを危険視されて、さっさと本国に召還される可能性だってある。

 適度な按配を見極めなければならないのは、自分達戦神の軍も今の南方総督府も、お互い様というわけか。

 

 ウィルフレッドの中で何かが閃きそうになって、しかしすぐにかき消えた。

 

「……私も、日用品の簡単な修理くらいなら出来ます。とはいえ、パルチャーから腕の立つ職人を連れてくるのは難しいかと。ご存知かもしれませんが、パルチャーに限らず商業都市の職人は、代々の家の生業としてやっている者がほとんどです。そういう者達は当然、有力な商家との繋がりも深い。厚遇を約束して招いても、中々腰を上げないでしょう。……失礼ながら、まだ設備や資材も色々と足りていないようですしね」

「そうですね。私もそう思います。やるべきことや足りないものが多い。多過ぎる。ただ、いつまでも本国の援助頼みでいるわけにはいかない。出来るだけ早く、手立てを考えていかねば……」

 

 文官は涼やかな容貌に真剣な表情を浮かべ、手に取った腕輪を見つめながらブツブツと呟いて考え込み始めた。

 品物を買うでもなく、しゃがみ込んでじっと思案しているだけの男だ。

 こういう者は、客とは呼べない。

 やんわりと追い払ってもよかったが、ウィルフレッドはあえてそれをしなかった。

 

 どこか、自分達に近しいものを感じたからだ。

 長く険しい道のりを、自分の足でしっかりと歩もうとしている。

 そういう目つきを、この若い文官はしていた。

 そしてそれはおそらく、彼の上にいる第四王子もそうなのだろう。

 そう思わせる何か熱いものを、この男は醸し出している。

 

「ああ、失礼。つい考えごとに耽ってしまいました。せっかくなので、この腕輪をいただきましょうか」

「はい。ありがとうございます」

「……ちなみに、あなたに様子を見てきてほしいと頼んだ商家というのは、どなたですか?」

「レーン様ですね。それなりに繁盛されていて、パルチャーでも一定の地位や伝手を有してはいますが、まだあまり代を重ねていらっしゃいません。ですから私のような一介の旅商人にも援助をくださって方々で耳目になさっている方でして……いかがでしょう、よろしければお繋ぎしましょうか?」

「よろしいので?」

「ええ、私はそのためにここへ寄越されたようなものですので。拾える好機は、何が何でも拾い集める。レーン様は、そういう商人でいらっしゃいます。……ただ率直に申し上げると、これは望んだ好機ではないと判断されれば、その時は拾い物を冷たく捨て去る御仁でもあります。そういう厳しい方でも構わないとおっしゃるのでしたら」

「レーン殿という方は、とりあえず今の総督府を品定めしてみたい、と?」

「おそらくはそうでしょう。パルチャーとヴァルゲンの間には、同じ商業都市のサレがあります。南方一帯からフォルラザという大勢力が消え去った以上、今後あの街の商家ならではの強みを発揮していこうとすれば、オズワルドの総督府と繋がりを持った方が良い。……まあ、パルチャーの誰もが思いつくことです。しかし、総督府の方針が変わったからと言ってすぐさま取り入るのは、前総督の横暴もあって躊躇われる。商業都市はあくまで中立地帯で、そこを拠点にするような商人達は、武力で脅して取引しようとするような相手を嫌いますからね。だからこそ、レーン様は皆が及び腰になっている、今が好機だと思っていらっしゃるのかと」

 

 文官はじっと、ウィルフレッドの瞳を見つめてきた。

 ありふれた、灰色の瞳だ。

 澄んでいるというわけではない。だが、深く穢れてもいない。

 清濁が上手く入り混じったような、ウィルフレッドにとっては好ましい色である。

 

「……頂いたご提案について、総督閣下と話をして参ります。まだ旅人のための宿は整備できておりませんが、どこか寝床の手配をいたしましょう。……他にも何人かの旅商人の皆様と、込み入った交渉をしております。その方々と相部屋となってしまいますが」

「それはむしろ、ありがたいことです。私のような半端な旅商人はとにかく、噂や伝手を集めるのが重要ですので。……差し支えなければ、役人様のお名前もお伺いしたいのですが」

「オルソンと申します。ウォルター殿」

 

 ウィルフレッドは礼を言って、深く頭を下げた。

 オルソンといえば"砂粒"の報告にあった、第四王子が下向に伴ってきた二人の腹心の片割れだ。

 先ほどまで醸し出していた熱さは消え、今度は端正な容貌に浮かべた微笑で、巧みに感情や真意を覆い隠している。

 こちらの正体を察して接触してきたか、めぼしい商人に片っ端から話を持ち掛けているのか、あるいはその両方か、見極めがつかない。

 しかしいずれにしても、総督府の中心人物がまともな護衛もつけずに得体の定かでない旅商人に接するとは、相当な肝の据わり方である。

 それなのにこのオルソンという文官は、オズワルドの都に潜伏している"砂粒"でさえ評判を知らなかったような、本国では不遇な人物であったらしい。

 

 新たな総督となった第四王子は中々に、人を見る目がありそうだ。

 

 頭を下げて立ち去る文官の背中がしっかりと伸びているのを眺めながら、ウィルフレッドは笑みをこぼしていた。

 また少し客の相手をした後、一人の兵士が品物を見ようと品物の前に腰を下ろしてきた。

 

「……各自へ伝達してくれ。僕は今日総督府に泊まって、その後商業都市パルチャーまで行って用事を済ませる。ケイトとノアは僕の総督府出立まで待機……その後は南方に潜伏している兵士達を、出来る限り迅速に見回ってほしい。アレクシスさんも今の場所で待機。それと、パルチャーの商人レーン殿へも連絡を。『馬一頭。相手は竜。金の卵一つ。ウォルターが、少しお節介をいたします』とね」

「はい。……お兄さん、このナイフくれるかな。あっ、あんま金無いから物々交換で頼んます。へへへ……」

「どうも」

 

 兵士に扮した"砂粒"は、適当に取引を終えると離れていった。

 

「やれやれ……」

 

 ウィルフレッドは、自分のしたことに頭をかいた。

 旅商人の素性とウォルターという名前は偽りだが、自分がパルチャーの商人レーンとしっかりとした繋がりがあるのは、確かな事実だ。

 そのレーンが常に新しい商機を探していることも、見る目が厳しい人物であることも。

 ともすれば仇敵であるオズワルドの総督府に、手助けをしてしまったかもしれない。

 それでも、何故か言い出さずにはいられなかった。

 そしてそれは、素性を騙ったが故の誤魔化しでは断じてない。

 

 道のりは違っても、いずれぶつかり合うとしても、前を向いて果敢に進んでいる。

 遠目に見た隻眼の将ゲイリーも、あのオルソンという若い文官も、今の南方総督府も、そしてそれを治める竜神の国の第四王子も。

 同じだ、自分達と。

 生まれや育ちや信仰が違っていても、敵対していても、同じなのだ。

 飛竜は決して好きになれない。

 だが、同じ人間は違う。

 

 

「……やはり手強そうだな、これからの南方総督府は」

 

 

 ウィルフレッドは微笑みながら、売れ残っている商品の陳列を整えた。

 

 道のりは、遥かに長い。

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