戦神騎士物語   作:神父三号

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第37話 ローランの道・修行の時

 ローランが同朋の古参である魔術剣士ジェラルドと再会して、それなりの日数が経った。

 

「まだ武の気配が強い。もっと抑えろ。もっと低く。昨日掴んだ感覚を思い出せ」

「…………」

 

 探究の国ラガニアから貸し与えられた素朴な宿。

 その二階の一室で、今日もローランは白銀の大剣を背負い、漆黒の胴鎧を着込んで立ち、瞑想していた。

 己の発する、武の気配。それを抑え、抑え、どこまでも抑え込んでいく。

 ジェラルドもまた、椅子に深く腰かけて目を閉じている。

 

「……よし。目を開けて、少し歩き回ってみよ」

「はい」

 

 命じられる通りに、ローランは部屋の中をうろちょろと歩いた。

 ジェラルドはといえば、まだ目を閉じたままだ。

 

「ナツメと何か話せ」

「はい。……ナツメ、氷の魔術の調子はどうだ?」

「だいぶ進歩しました! ちょっと触ってみてください」

 

 ナツメが杖を握った腕で汗を拭い、ローランに笑顔を見せた。

 皿に張られた水が、確かに凍っている。

 しかしローランが指で軽く押すと、氷は簡単に割れて指先が冷たい水に浸かった。

 

「表面だけ、か。やっぱり難しいんだな、ジェラルド殿の氷の魔術は」

「すごく難しいです。説明していただいた理論は分かるんですけど、それを中々魔術として形に出来なくて……」

 

 ローランとナツメが会話している間も、ジェラルドは目を閉じて椅子から動かない。

 

「うーん。ジェラルド様みたく、空中の水気をそのまま氷に変えるなんていうのは、だいぶ先の話になりそうです」

「そうか。"治癒"や"防護"が使えるお前でも、そんなに習得が厳しいなんてな……」

 

 戦神騎士の古参、魔術剣士ジェラルドの得意技としてフォルラザでも広く知られた、氷の魔術。

 しかしそれをまともに使いこなせる魔術士は、かつての戦神騎士団にも数人しかいなかった。

 ローランからすれば、"治癒"と同じく極めて希少な魔術である。

 

 

『んあー、ジェラルド様たちのあれ? 無理無理。いやまあ、あたしも頑張れば出来なくはないけど……バタバタしてる実戦の中でばっちり有効に使うのは無理。"防護"の十倍無理。あ、これあくまで性格とか精神的な話ねー。あたしが素質無いとかじゃなくて。……あたしが素質無いとかじゃなくてね?』

 

 

 ジェラルドが初めにつらつらと語った非常に複雑な理論をナツメが真面目に聞き入っている横で、ローランの頭は理解を完全に拒絶しながら、同朋の魔術士イオの話を思い出していた。

 彼女が言うにはどうやら氷の魔術は、単純な素質の有無だけではなくて性格や精神までもが強く影響するものらしい。

 

 ナツメがそんな氷の魔術に挑戦し始めたのは、ジェラルドと従者の覚悟について話した翌日、何か戦闘で役に立つ魔術を覚えたいと言い出したからだ。

 

 ローランとしては低俗な魔物の死すら悼むような、繊細な従者の少女に戦わせるつもりは毛頭無かった。

 そもそもナツメは攻撃魔術を覚えようとも、戦闘における身のこなしがモノになりそうもなく、何より戦う気迫が発せられないと剣の稽古をつけた時に感じていた。

 また、大剣使いである自分の戦闘を後方から下手に魔術で援護させるのは、誤射の可能性が大いにある。

 先制攻撃を担当させるにしても、まともな戦闘の素質が無い以上はろくに命中もさせられず、敵に殺意を向けられればその分ナツメ自身が危険に晒されるだろう。

 それはつまり、主である自分の負担にもなるということだ。

 現時点でも"防護"の魔術で最低限の自衛がこなせる上、あとは"治癒"や雑用で従者として不足無い働きが充分に出来ているのである。

 

 ナツメはそういうローランの説得を聞いて一旦は引き下がったものの、翌日やはり今以上の何かを身につけたいと主張した。

 攻撃魔術でなくても、自分が出来ることを増やしたい、と。

 自分なりに、戦神騎士ローランの従者として歩んでいくことの覚悟を示したい、と。

 

 控えめな性格のナツメにしては珍しく意固地だったが、結果的にジェラルドが氷の魔術を教えてくれることになった。

 一般的な攻撃魔術よりも遥かに高難度だが、その分応用の幅も広く、単に相手を傷つける以外のことも可能になるという。

 

「難しいですけど、だいぶ掴めてきました。もうちょっと、もうちょっと頑張れば……」

 

 ナツメは真剣な表情で皿の氷を火熾しの魔術で溶かして、また向き合い始める。

 従者の少女はまた、ジェラルドに世間の多くのことを、特に大陸の国々について詳しく学ぼうとしていた。

 それもまた、彼女なりの覚悟の現れなのだろう。

 ローランが自身の従者を激励した直後、ジェラルドが席を立った。

 

「宿の主人と雑談をしに行くぞ。ついてこい」

「分かりました」

 

 二人の戦神騎士は、一階にいる主人と軽く話した。

 どうでもいいやりとりをある程度して、ジェラルドの目配せでまた二階の部屋へと戻る。

 

「……ジェラルド殿、どうでしたか?」

「問題無し。よく出来ておる。あとは」

「ん……」

 

 話の途中で見知らぬ手練れの気配が、宿に近づいてきた。

 魔力を一切感じられないローランですらもう熟知した気配、ラガニアの最精鋭"探究者"だ。

 二人。

 

「ローラン」

「あっ」

 

 ジェラルドに名を呼ばれたのとほぼ同時に、ローランは自ら失敗を悟った。

 意識して制御していた武の気配を手練れの接近によって、僅かに滲ませてしまったのだ。

 

「……失敗ですね」

「そうだな。気づく者は気づく程度に滲み出た。それこそ、有力な国の精鋭ならば」

 

 会話している内に、部屋の扉が叩かれた。

 ジェラルドが入室を促すと、二人の魔術士が杖を背負って入ってくる。

 かつては中々の美女だった面影のある老婆と、二十前後であろう恰幅の良い青年である。

 老婆の方が気安くジェラルドと会話して、青年を新人の探究者だと紹介した。

 

 こういったことはこの戦神騎士の古参と一緒にラガニアに滞在し始めて、幾度となくあった。

 鬱陶しいほど頻繁に、というわけではないが、既にそこそこの人数の探究者がこの宿を訪れてきている。

 訪問者は皆、"闇の廃都"で得た成果物の分析状況を逐一報告して、ジェラルドが依頼してあった物資や書物等を置いて、すごすごと去っていく。

 そんなに細かく報告してもらう必要は無いどころか、こうも国の最精鋭がかわるがわる同じ宿に出入りしていれば流石に竜神の諜報に気づかれるとローランは思ったが、ラガニアはお構いなしだった。

 

 加えてそれとは別に、一際目立つ格好の探究者リファがエルフのスクロールを模写するために毎日昼過ぎにやってくる。

 "闇の廃都"の分析にも携わっているらしく、やはり模写は自宅でおこなった時よりも遥かに時間がかかっており、追加分はまだ一本しか完成していなかった。

 

 また、食事についても、もう代金を払わずとも宿が用意してくれるようになっている。

 宿の主人も"闇の廃都"から戻った翌日には、いかにも手慣れた風情の軍人に代わっていた。

 

「……"闇の廃都"の探索以降、探究者達の訪問が多過ぎます。ナツメの力になる書物をジェラルド様が取り寄せてくださっているのは分かっていますが……リファが毎日模写にやってくるだけでも外部から見れば怪しいでしょうに。そろそろ王に申し上げて、やめさせた方がよろしいのでは?」

「構わぬ。彼らはわざとやっておるのだよ。ラガニアにとって非常に重要な人物がこの宿に宿泊しているのだと、喧伝するようにな」

「私達をオズワルドに売るつもりだと?」

「違う。……ローラン、ナツメ。お前達はこれまで、竜神の諜報が宿へと大きく近寄ってくるような、不穏な気配を感じたか?」

 

 ローラン達は顔を見合わせた後、首を横に振った。

 

「ノーラへの連絡を頼んだ際に、"砂粒"から寄越された情報の通りだ。太陽の国シンガで案の定、急死した王の後継者が中々に決まらずに三人の若い王子王女……いや、二人の王子が派閥を作って争い始めた。五枝水軍とことを構えておる最中というのにな。ラガニアへはシンガからの使者が密かに、それもひっきりなしに来ておることだろうよ」

「シンガからの使者……ですか?」

「加えて大商業都市ヴァルゲンからも大河川の都ク・アリエからも……その他の小国や商業都市からも、あるいは竜神の国オズワルドからもな。東方の強国ラガニアが今後どう動き、誰に味方するのか敵対するのか。大陸東方に関わるあらゆる勢力は今、この国を注視しておる」

「……つまり?」

「そんな情勢にあって探究者がやたらと訪れておる、この宿。そこに長く泊まる私達がどこの何者なのか、竜神の諜報は知りたくて仕方無いはずだ。もちろん、他勢力の諜報だってそうだろう。だが、ラガニアはそれを絶対に外部へ教えられない。言い換えれば、『教えないように動いて当然だ』という口実が持てておるのだ」

「あー……ナツメ?」

「なんとなく分かります。ここが気になってる諜報の人達は多分、都の住民とか商人とか旅人に変装してるんですよね? もう住民として入り込んでるなら、近所の魔術士さん達に見張らせればいい。商人や旅人のフリをしてやってくるなら、検問で探究者さん達が見分けて弾けばいい。特にこの宿の中身は絶対に秘密にしたいから、あからさまに人を遠ざける。ラガニアは今、そういうことを積極的にやっても不自然じゃないし、悪く言われることも無い緊張した状態にある……で合ってるでしょうか?」

「合っておる。はぁ……ローランよ。勤勉でよく出来た従者に感謝することだ」

「……面目ありません。ありがとな、ナツメ」

「えへへ」

 

 古参の厳しい目に恥じ入りながら、ローランはナツメの頭を撫でた。

 

「ナツメの言うように国内の諜報を自然と締め付けつつ、この宿を見張ろうとする怪しい者は、声をかけてさっさと遠ざけられる。東方の情勢が荒れてきているのだから国政に関わる機密は漏らせない、という至極当然な理由を暗に匂わせながらな。そしてこれだけ露骨に怪しい宿に注目を引き付けながら、ラガニアは種々の外交を密かにおこなっておるのだろう」

「ウチらは上手く隠してもらってるのと同時に、他の重要なことから目を逸らさせる役割も自然と引き受けてる、ということですね。リファちゃんを模写に専念させずにあえて時間をかけさせているのも、きっとそのためなんですよね?」

「然様だ」

「はぁ……まあ、二人が分かってるなら俺はいいけど」

 

 ローランは現在の状況を理解しているらしい老騎士と従者に感心しながら、肩を回した。

 "闇の廃都"からこの宿に戻って以降、自分達は外出していない。

 窓際へも出来るだけ近寄らないようにしている。

 ジェラルドが初日にこの国の王や探究者の長老達と、そういう形で話をつけてきたらしいのだ。

 

 なお、王城から伸びた分厚い花びらが何なのか、ローラン達は結局分からないままだった。

 ジェラルドに尋ねたが、「この国と戦争をする事態になれば教える」と返されただけだ。

 おそらくラガニアと繋がりが深いが故の、老騎士なりの義理立てがあるのだろうと考え、ローラン達はそれ以上の詮索はやめた。

 

「……ふしゅー。でも、ずっと宿の中なのはそろそろしんどいな……」

 

 深呼吸した後、ローランは再び自身の状態を整える。

 もう宿で出される食事に若干飽きる程度には、日数が過ぎていた。

 ジェラルドと宿に迷惑をかけないように組手はしているが、それでも流石に身体が鈍る。

 室内では、駆けることも出来ないのだ。

 

「『そろそろしんどい』と言うのならば、とにかく武の気配をしかと抑えられるようになれ、ローラン。今のままでは、お主に旅は続けさせられぬぞ」

「……はい。努めます」

 

 ジェラルドの言葉に、ローランは素直に応じた。

 この戦神騎士の古参と再会した日に言われた、「稽古をつける」という話。

 

 それは剣術や体術の手ほどきではなく、急激に増大した武の気配を制御するというものだった。

 

 

 

 

 武の気配。

 

 それは通常の気配とは若干性質が異なり、熱心に武器を振るい、心身の鍛錬を積んで武力を磨き上げれば、自然と強まっていくものだ。

 命のやり取りや苛烈な調練、あるいは武の競い合いなどを経験すればするほど、気配はより大きく強固なものとなる。

 武の気配は戦神の民特有のものではなく、どんな人間でも亜人でも武力を高めれば纏いうる。

 ローランが感じてきた限りでは、武術と縁が遠い魔術士や魔物でも、強者は武の気配に似たものを纏っている。

 このラガニアの探究者やオズワルドの飛竜が、まさにそうだった。

 

 そして秀でた戦士は戦争や調練の傍らで、武の気配の制御も学んでいくことが多い。

 高めた武の気配は、野戦での正面衝突においては敵の士気を挫くことが出来る一方で、奇襲や伏兵等の搦め手を仕掛ける際にはかえって妨げになるためである。

 かつての戦神の国フォルラザでは特に、戦神騎士やそれに準ずる武力を持つ者達は武の気配を同朋である兵士達以下、半端な傭兵程度にまで抑制することを求められた。

 百人力の人間が気配をそのまま剥き出しにしていれば、軍事行動においては差し障りの方が遥かに大きいのだ。

 戦神騎士団の団長ドルザンや副長グリムロなどはその最たる例で、一切制御していなければ遥か遠方にいる相手にさえ気取られてしまう。

 

 武の気配は上手く制御出来るようになれば大きさを微細に調節することで、素性の偽装に役立てることも出来る。

 戦い慣れていない村人、自衛程度はこなせる旅商人、手練れの傭兵、小国の弱兵、大国の精鋭。

 こういう素性の者ならばこの程度だろうという領域で、武の気配をごく自然に操るのである。

 大陸中に散らばる、フォルラザの旧き同盟者"砂粒"はそういった技術の達人達だ。

 

 さらに制御を極めると、じわじわと武の気配を広げていき、それに敏感に反応する実力者の居所を大雑把に感知するという、離れ業すら出来るようになる。

 しかしそれはかつての戦神騎士団においても、ドルザンとグリムロしか出来なかった芸当だ。

 古参であるジェラルドも、流石にそこまでは出来ないらしい。

 

 ローランは戦神騎士へ叙任されて間もない頃、この武の気配の制御が酷く苦手で、しょっちゅうグリムロや先輩のケイトに怒鳴られ、殴られていたものだ。

 そういうしごきの中で抑制はしっかり出来るようになったし、ある程度の調節もこなせるようになった。

 フォルラザ滅亡後からここまでの道中でも、特に問題が起きることは無かった。

 商業都市サレの前で再会したイオや川の民に混ざっていた"砂粒"には気づかれたが、戦神の民として鍛えられて育てば、戦神騎士の纏う気配など誤魔化しが入っていてもおおよそ分かるのだ。

 だが。

 

『ローランよ。お主はやはり、武の気配が強くなり過ぎだ。上手く隠せておらぬ』

 

 再会の翌朝。

 大欠伸をかまして目を擦っていたローランは、ジェラルドにぴしゃりと言われた。

 

 

 

 

「教え始めにも言ったが……通常、武の気配というものは坂道をゆっくりと歩いて上がるような調子で、戦争や鍛錬の中で強まっていく。だが人間はきっかけさえあれば、一気に成長するものだ。坂道を上がるのではなく、階段を数段飛ばすように」

 

 ローランはジェラルドの言葉を、改めて咀嚼する。

 自分にとってのきっかけは間違いなく、"闇の廃都"での石の戦士達との戦いだろう。

 とりわけ風の翼を纏う石の最精鋭と、大槍を振るう石の英雄。

 武を競う同朋ではない、山岳国家ビードの山騎士のような地の利を活かす戦巧者でもない、飛竜のような人を見下す魔物でもない、かつてない強敵達との真っ向からの戦いが、自分の中で大きな糧となったのだ。

 それで急激に武の気配が増大して、今までの要領では制御しきれなくなった。

 

 ジェラルドによれば、戦士が大きく成長するきっかけは本当に人それぞれであり、何も激戦のみに限らず、精神的な要因によることも多いという。

 確かに史上最年少で叙任された戦神騎士ニコルなどは、フォルラザの世継ぎの王子が劣勢の中で前線に出てきた時、何故か飛躍的に武の気配が増したとローランは感じていた。

 今は大陸南方を攪乱している戦神騎士ウィルフレッドも大戦の最終盤に何があったのか、ただでさえ上澄みだった気配が一夜にしてさらに強くなっていた。

 あれは団長のドルザンが戦死する、少し前のことだったはずだ。

 

「武の気配が一気に増したのは戦神の民として……戦士として誇るべきことだが、それにしてもお主はだいぶ制御が下手な部類だな」

「……申し訳ありません。"闇の廃都"で石の英雄と戦ってすぐに戻って来たので、指摘されるまで自分でも気づきませんでした。確かに彼らと戦っている間、戦神の大剣が今までになく激しく輝いていましたが……」

「うむ。とはいえ、再会した直後でも常に周囲を強く威圧しているわけではなかった。しかしそこそこに鍛え上げた戦士ならば、お主がただ者でないことが容易く察せられる程度にはなっていたのだ。東方は情勢が荒れ出しておるし、小国や商業都市も多い。何度も言うが……ただの流れ者の傭兵で通すにも支障が出てしまうような状態はまずい」

「そんなにですか? ウチはやっぱり、ローランさんが何か変わったようには全く感じませんけど……」

「そりゃ、お前は武術が全然だからだよ。まあ、スクロールの解読もリファの模写もお前の氷の魔術習得も、まだ時間がかかりそうだしな。それまでに何とかするさ」

 

 ローランはナツメの純白の髪を乱暴にわしゃわしゃと撫で、笑った。

 ナツメもまた笑い、張り切った様子で魔術の練習を再開した。

 

「本当は武の気配を単に抑えるだけでなく、細かく調節して様々な素性の者に偽装出来るようになるのが一番なのだが……お主はそういう詐術は到底こなせそうにないな」

「ぅっ……自分でもそう思います」

「気にするな。誰にでも向き不向きはあるものだ。お主にそこまでは求めぬ。かつてやれておったことを再び上手くやれるようになれば、それでよいのだ。今日の時点で既に武の気配を抑えきって他者と接するところまでは出来ておる。であるから、あとは不意にやってくる手練れに引きずられないようにだけ注意せよ。"闇の廃都"を探索するまでは、探究者相手にも上手く隠せておったのだろう?」

「ええ。こうやって知らない探究者達が頻繁にやってきてくれるのは、むしろありがたい状況かもしれませんね。不意打ちとして良い刺激になる」

 

 ローランは武装を解いて、身体を大きく伸ばした。

 もうじき一階の食堂に、宿の主人が昼食を用意してくれる時間だ。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 数日後の昼過ぎ。

 

 探究者リファがスクロールの模写のうち、追加分の二本目をようやく完成させた。

 これでラガニアが得た、エルフの老婆ルルシェのスクロールの模写は計三本となる。

 三本もあれば充分ではないのかとローランは何となしに聞いてみたが、リファ曰くラガニアとしてはあともう一本はどうしても欲しいらしい。

 模写だけでもそれほど有用な物なのだと改めて主張されると、逆に所持しているのが畏れ多いことのように感じてしまう。

 あの茶目っ気たっぷりに笑う老婆は、何というものをひょいと寄越してくれたのだ。

 

「はえー。氷の魔術を? ジェラルドさまが直々に教えてくださるとはいえ、中々しんどいことしてるっすねぇ、ナツメちゃん」

「でも結構出来るようになりましたよ、ほら」

 

 ナツメが皿を裏返したまま、模写を終えて椅子にぐでーっと座っているリファに手渡した。

 氷の魔術の習得については、探究者に教えてもいいとジェラルドの許可を得ている。

 相変わらず短めの茶髪に寝癖を残し、外套のあちこちを切り裂いて肌を露出させている、奇抜な格好のリファ。

 彼女は渡された皿に目を丸くして、爪の先で凍った皿の水をつつき、拳で小突き、最後にブンブンと皿を振り回した。

 

「はえー。はえー! ……はえーー!!」

「他に言うこと無いのかよ」

「でへへ……申し訳ございませんっす。ナツメちゃん、やっぱラガニアで探究者を目指さないっすか? アタシみたいになれるっすよ!」

「ごめんなさい」

「あ、相変わらず即答っすか。ていうかどういう意味の『ごめんなさい』……?」

 

 リファは気まずそうに、眼鏡をクイと指先で押し上げる。

 

「氷の魔術の理論はもうジェラルドさまから聞いてるだろうけど、単純な魔術の素質に加えて精神的な適性も求められるからホント難しいんすよ。ナツメちゃんはまだ子供なのにもう初期段階を通り過ぎてるのは、かなりスゴいことっす」

「"治癒"よりもか?」

「そりゃもう。氷の魔術は天才スゴ腕探究者のアタシも使おうと思えば使えるっすけど、忙しい戦闘の中で有効に駆使するのは難しいっす。"防護"の五倍難しいっす。……あっ、あくまで精神的な適性の話っすよ? アタシが素質無いとかじゃなくて。アタシが素質無いとかじゃなくて!!」

「へえ、そうか」

 

 同朋のイオとほぼ同じことを言うイオの友人に内心呆れながら、ローランは適当に応じた。

 それでも一応、聞くべきことを聞いておく必要はある。

 

「……リファ。氷の魔術を使えると分かったら、ナツメを欲しがる国が出てくると思うか?」

「んー、別にって感じっすね。とにかく珍しい物や人間を集めるのが好きな、お下劣な貴族や大商人は欲しがるかもしれないっすけど。でも国が血眼になって奪いに来るなんてのは無いっすね。"治癒"目当てに狙われる可能性の方がまだ高い程度っす」

 

 ジェラルドと同じ回答に、ナツメがそれとなく安堵のため息を吐く。

 それでもローランは念のために、話を続けた。

 

「何でだ? ラガニアから見ても、"治癒"より難しい術なんだろう?」

「多分オタクらはジェラルドさまから詳しく聞いたお話の答え合わせしてる、って認識でアタシは話すっすけど……国の役に立つ領域まで極めるのが滅茶苦茶難しいからっすね」

「…………」

「ナツメちゃんはお皿の水をガチガチに凍らせられてるから、水溜まりに対して行使する単純な"凍結"はもう今後、範囲・精度・速度を高めていく段階っす。でも"凍結"って、流れる大量の水に対して使うのはすっごく難しいんすよ。例えば兵士が膝まで浸かってちょっと頑張れば渡れる小川すら、人間の魔力量じゃがっつり凍らせるなんて出来ない。一人二人が乗れる足場をこしらえて、それが流されない内にさっさと跳び移っていくくらいっすね。そこそこの幅と勢いがある川で、まとまった人数の渡河に使うなんて無理っす。水をばら撒いた戦場に"凍結"をかけて敵軍の足止め狙うとかも、たった一人じゃ到底無理」

 

 リファは片目を瞑り、腕を組んで朗々と持論を述べる。

 普段は軽薄で幼稚な女だが、流石に魔術について語らせると真剣で聡明な雰囲気を醸し出す。

 ローランの知る戦神の魔術士達も、似通うところが少なからずあった。

 魔術士の性分なのだろう。

 

「じゃあ戦以外の場ではどうなのよって話っすけど、単純な"凍結"で作った氷は氷になった時点で、術士の魔力からは切り離された存在になってるっす。まあ食糧の水気を凍らせて保存に使えるかなくらいっすけど、東方の暖かさじゃ氷なんて絶対半日もたずに水に戻るっすからね。『その都度かけ直すんですか? どれだけの食糧にそんな真似が出来るんですか?』って話になって、ナツメちゃん一人確保したって結局ほぼ無意味っすわ」

「食糧を凍らせるのは……小さな酒場だと便利なんでしょうか。あと変わった料理を作るとか」

「そうかもっすねぇ。でも冴えない宿屋やってる奴が料理のために氷の魔術士攫うなんて、おバカ極まるっすからね。あとラガニアは『屍に水ぶっかけて保存するとかはどうだろう?』って試したことあるっすけど、凍ってても闇の魔物が怨念啜りに沸くことが判明して、これも失敗」

「……そんなこと試すか、普通。何のために屍を保存するんだよ」

「だって凍らせていれば闇の魔物が沸かない可能性だってあったわけで。上手くいけば貴人偉人の遺体を焼却することなく丁重に葬れるわけで。まあ成功しても食糧の保存と同じくすごい労力かかるし、結局失敗したからそこまでの話っすけど」

 

 焼却せず丁重に葬る、か。

 ローランはそう言われると、ラガニアの試みが理解出来る気がした。

 急死した王族や戦死した英雄を灰にせず凍らせて、闇の魔物を寄せ付けず、綺麗な屍のままで立派な墓に安置して維持し続ける。

 もしも人間やエルフの魔術がこの先ずっとずっと進歩していけば、どこかの段階で死んだ人間を蘇らせることも──いや、それは命を弄ぶ行為だ。

 冒涜的な発想をした自分の頬を、ローランは殴った。

 ナツメが若干驚いた一方で、リファはローランの考えを見透かしたように僅かに微笑んだ。

 

「んで、ナツメちゃんが今後教わるのは空気中の水気を凍らせる"氷の霧"や"氷塊"だと思うっすけど。"氷の霧"はお二人が閉所や夜の市街での逃走・攪乱の簡単な補助に使うならまだしも、数十人以上の兵士の視界を奪う規模で広く濃く長く発生させるなんてのは厳しいっすよ」

「"氷塊"は?」

「そっちはもっと厳しいっすね。攻撃に用いるなら"魔力の矢"や"炎の槍"みたいな普通の魔術で充分だから。防御でも魔力の壁作る"防護"より使い勝手が悪いっす。空気中の水気からデカくて分厚い氷作るのは難しいし、相応の魔力も要るし」

 

 つまり、と言ってリファは手をポンと叩いた。

 

「色々な用途に役立てられる可能性は一応あっても、『幼い氷の魔術士を一人手に入れました。これでこの国は大いに発展します』なんてことは絶対ありえないし、まともな魔術士を抱えてる国ならそんなこと当然分かってるっす。まあ、アホバカ間抜け世間知らずの欲張りがもしかしたら狙ってくるかも、くらいじゃないっすか? でもそんなの、ローランくんは瞬殺して終わりっしょ?」

「……なるほど。どうだナツメ、分かったか?」

「はい、すごくよく分かりました。ありがとうございます、リファちゃん」

「けっ。何が『どうだナツメ、分かったか?』じゃ。ローランくん、半分くらい聞き流してたっしょ?」

「う、うるせえ」

「それでどうっすか? ジェラルドさまのお話の答え合わせは出来たっすかね?」

 

 にやにやしながら、ラガニアの最精鋭たる探究者が聞いてくる。

 ローランが目配せするとナツメは正直に「全問正解でした」と答えた。

 

「でっへっへ、流石はアタシ。まあ、さっきのはあくまで一般的なお話っす。本気のジェラルドさまが戦神の加護使ってどこまでやれるかは、アタシらも知らないっすけどね?」

「……それはお互い様だな」

「いやー、でへへ。前々から思ってたっすけど……ホント都合良い時だけ頭が回るお人っすよねぇ、ローランくんって」

「悪かったな、都合が良い人間で。……セリックさんにも似たようなこと言われたよ」

 

 リファは軽口を叩きながら、若干溶けた氷が乗った皿を返してくれた。

 氷の魔術は素質や精神的な適性を強く要求する上、国の役に立つ領域まで極めづらい。

 それは間違いなく事実なのだろう。

 

 だがローランは戦神騎士の古参ジェラルドがどれほど有効に氷の魔術を使っていたか、同じ戦場で何度も見ている。

 ラガニアだってローラン達が二度出くわした"炎の雨"のような、強力な氷の魔術を隠し持っていてもおかしくない。

 この国に集団で行使する類の魔術があることは、同朋の魔術士達からも全裸の"探究者"ヴァッセルからも、何より目の前のリファ自身からも聞き及んでいるのだ。

 その前提の上で、ナツメが氷の魔術を使えても狙ってくる者達はまずいない、という確認をしたかっただけである。

 

 あとはナツメが実際にどれだけ氷の魔術をモノに出来るかだが、そこに関してはローランは心配していなかった。

 ナツメの魔術の素質については、同じ地母神の子であるルルシェも、ラガニアの探究者達も、戦神騎士ジェラルドも大いに認めている。

 色々な用途とやらは、ナツメならば自分自身で考えていけることだろう。

 

「しかしまあ、模写にめっちゃ時間かかってて申し訳ないっすねぇ。こんな素朴な宿に長々と押し込めちゃって。でもあと一本分、どうか我慢してほしいっす」

「分かってるよ。入れ替わりで訪ねてくる探究者達が色々話してくれるおかげで退屈はしてない。"闇の廃都"の考察も色々聞かせて貰ってるし。それに……あれだ。なんか外交に利用してるんだろ?」

「おおっ、ローランくんが難しいこと言ってるっす! ウチ感動ですぅ~! えへへ~!」

「リファちゃん……それウチの真似ですか?」

 

 ナツメがジトっとした目で睨むと、幼稚で軽薄な探究者はけらけらと笑った。

 もうリファのこういう言動にもすっかり慣れた。

 

「……あと一本模写したら、お別れっすね」

「そうだな」

「アタシら、何だかんだで結構仲良しになったっすね」

「まあ、そうだな」

「これだけ仲良しになってもエルフのお友達、紹介してくれないんすね。スクロールの内容も聞いてくれないし。オタクらは簡単にアレの内容知れる癖にアタシらには意地悪して。……アタシがローランくんの足のつま先をペロペロしてお願いしたのに」

「された覚えねえよ」

「うん。でもね……終いにはひれ伏すところまで行ったじゃないっすか。ラガニアの誇り高き最精鋭"探究者"の名誉を投げ捨てて」

「初対面で投げ捨ててひれ伏してたが……」

「ケチ……ドケチ……! ドケチのドケチンボ~~……!!」

 

 今日の分の恨み言と罵倒が、耳に心地良く響く。

 宿での会話はラガニア側も出来るだけ内密にしたいため、リファの罵倒は囁くようにして行われるのが通例だ。

 これを聞くのがこの探究の都に滞在している間の、日課のようなものである。

 

「色々とケチな対応をしてるのは、申し訳無いとは思ってるよ。だけどあんた達ほど賢いなら、ジェラルド殿が王様やベン殿にした説明で充分理解してるだろ? 意地悪してるわけでも、嫌ってるわけでもない。教えられないから、教えないんだ」

「むむむ」

 

 眼鏡の奥にあるリファの灰色の瞳を、ローランはじっと見つめた。

 

「リファ。この国にもあんた個人にも、俺はちゃんと感謝してるよ。石の戦士達と戦えて、彼らの強さや業を知り、丸石が手に入った。それと金や宿の提供。ジェラルド殿とも再会して、ゆっくりと旅の準備が出来た。あんた達探究者にも、面白い話を色々と聞かせてもらった」

「ローランくん……」

「それが助力に対する見返りって形の上でのことだとしても、色々とややこしい外交の偽装のためだとしても、俺はきちんとした恩だと思ってるし、大切な繋がりだと思ってる。……イオはあんたのことを『信用できる相手』って言ってた。俺もそうだと思ってる。あんたは……俺の友だ」

「ローランくん……! ドキドキ……ぽっ」

「はっ倒すぞ」

「そういうのやめてくださいね、リファちゃん」

「ひどっ」

 

 一緒にひと笑いしてから、リファはいつものように帰っていった。

 

 彼女は決して同朋ではない。

 今は協力関係にあるとはいえ、あくまで他国の最精鋭だ。

 考え方も歩む道のりも、自分達戦神の軍とは明確に異なるだろう。

 これから先、ラガニアがオズワルドに与して、敵対する可能性だって無くはない。

 

 だが、道のりの中で出会えてよかった。

 ローランにとってそう思える人物であることは、確かだった。

 言葉にした通り、友だと思っている。

 

 探究の国ラガニアへの訪問。

 それは「巡り廻って、役に立つ」というエルフの老婆ルルシェの言葉を同朋のイオが重く受け取り、ローランもそれに納得したからである。

 

 まさにその通りだ。

 黄金のスクロールは巡り廻って、役に立っていた。

 

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