でも、頑張って書いていきたいと思います。
「……ようやく辿り着いた」
小高い丘の上から遠方を見つめて、ローランはため息を吐いた。
最初の目的と定めていた商業都市、サレである。
それなりの高さと厚みのある外壁に囲まれた街だった。
丘の下に、サレへと続く街道が気休め程度に整備されている。
商人が往来しやすいようにしてあるのだ。
当然、旧フォルラザの方面にも通じている。
この街道を使えば、本来はもっと早く辿り着けた。
そうせずにあえて森や山を進んだのは、獲得した領土を鎮撫し、さらに南方全土に手を伸ばすであろうオズワルドの軍に遭遇しないためだ。
開けた場所で飛竜兵に出くわせば、逃げ延びるのは難しかった。
「とりあえず、食糧か。あとは……」
ローランは思案しながらも丘を下り、街道に出てサレへと歩いていった。
大きな門の前で、商隊と思しき集団が検問を受けているのが見える。
太陽はちょうど、頭の真上から少し西へ傾き始めた程度。
特に問題なく街に出入りできる時間帯だ。
ただ、エルフの老婆に貰った人目を欺く首飾りが、きちんと効くかどうか。
それが気になっていた。
「……ん」
街道沿いの小岩へ腰かけている、小柄な者がいた。
粗末な布に包まれた長い棒と、外套に付いたフードを目深に被り、暇そうに両脚をぱたぱたと動かしている。
それが何者か、ローランはすぐに分かった。
同朋の気配を間違えることなど、ありえない。
肩の力を抜いて、近づいていった。
「よう、生きてたんだな。イオ」
「よーよー、ローラン。そちらさまもお元気そうで」
生き残って散り散りになった、十人の戦神騎士。
その一人、イオがフードを外す。
茶髪の房を側頭で束ねた、緩い雰囲気の女。
軽薄そうな垂れ目をこちらに向け、へにゃっとした笑顔を浮かべた。
だがその笑顔はすぐに、無表情へと変わった。
垂れ目が細められ、冷たい色を帯びる。
「……戦神の武具、捨てたの?」
「は? …………ああ、そうか」
ローランは、エルフに貰った首飾りを外した。
イオがぽかんと口を開け、また笑顔に戻って身を乗り出した。
「すごいじゃん、それ! ドワーフの細工品?」
「エルフの婆さんに貰った」
「えぇっ、老エルフに!? 名前は!?」
「名前? いや、聞いてねえな」
「そこは聞いといてよ~。伝説の"緑賢"や"大草笛"だったかもしれないのに……」
「知るかよ。俺は魔術士じゃないんだ。小難しい話はやめてくれ」
「いいなー、老エルフ羨ましいなー」
大きなため息を何度も吐き、イオは小岩の上でふて腐れたように丸まった。
幼稚な言動だが、ローランよりいくつか年長である。
イオは、魔術士だった。
「首飾りは二個貰ったんだ。一個やるよ」
「ホント? めっちゃ嬉しい。……ふーん、へー、ほー」
ローランが渡した獅子の首飾りを、イオは嬉しそうに色々な角度から観察した。
「戦神の加護を一切邪魔することなく、覆い隠す。そういう魔術かー」
「分かるのか?」
「いんや? 確かな効力は感じるけど、仕組みは全然分からないよ。エルフの魔術はムズすぎるんだもん」
イオはそう言うと、首飾りを身に着ける。
そして手持ちの棒に巻かれていた布をほどいて、ローランに見せてきた。
「どうよ?」
「……ありふれた魔術の杖だな。吼える獅子を象った白銀の装飾は見えないし、戦神の加護の気配も全くない。……俺の剣と鎧は?」
ローランも首飾りを着け直し、白銀の大剣と漆黒の胴鎧をイオに確認させてみる。
「んー、いい具合に傷が入ってる安物ですなー。両方とも、ただのくすんだ鉄製の武具に見えるよ。いかにも戦い慣れてるけど金欠な傭兵、って感じ?」
「そりゃどうも。案外配慮が行き届いてるな、あの婆さん」
「……んで、エルフにどんな恩を売ったの?」
「別に。森に出来た"闇の吹き溜まり"を、一つ潰しただけだ」
「えー、そんな雑用でこれくれたの? いいなー」
それほど大層な品だったのかと、ローランは首をかしげた。
魔術のことは、戦で使われるもの以外分からないのだ。
ただ、これで首飾りはしっかりと効力のあるものだということが判明した。
ローランにとっては、それだけでよかった。
「ところで、ウィルさんはどうした? あんたと一緒に逃げたはずだろ」
「ウィルはまだ、旧フォルラザの領内だよ。オズワルドの統治の邪魔しまくってから、脱出するってさ」
「そうか。……あの人らしい」
ローランは馬上で巧みに槍を振るう先輩の姿を思い浮かべた。
戦神騎士ウィルフレッド。
騎士団随一の槍使いで、人当たりも頭も良い優男である。
戦神騎士が身を潜め、不意を打って暴れ回る。
確かに竜神の国オズワルドの占領統治にとって、この上なく鬱陶しいだろう。
それによって戦を生き延びた村や街は余計に締めつけられるだろうが、ウィルフレッドはそんなこと、百も承知で動いているはずだ。
人当たりの良い男だが、それでいて誰よりも冷徹に、酷薄になれる男でもあった。
「あんたはこんな道端で、何してたんだ?」
「何も? サレに入る前に一息ついてただけ。今朝がた、オズワルドの部隊に声かけられちゃってさー。伝令出される前に全部殺したんだけど、飛び散った血をちゃんと誤魔化して、屍の山も燃やしてって、後始末が超しんどかったんだよね。というか、それで血の匂いがね」
「……匂いは、もう大丈夫だと思うぞ。とりあえず街に入ろうぜ」
「そだね。そうしようか。きみもその外套裏返しといた方がいいよ? 血の染みだらけじゃん」
「ん? ああ、さすがにまずいか」
ローランは外套を裏返した後、フードを被り直したイオと一緒に街道を進み、サレの門前で行われている検問の列の最後尾に並んだ。
遠目には長い列に見えたが、実際は一つの商隊の運んできた品数が多くて、確認に時間がかかっているだけのようだ。
検問はさほど厳しいものではなさそうだが、フォルラザとオズワルドの大戦の結果は、おそらくもう伝わっているだろう。
首飾りをしていても何かしら、面倒なことを聞かれるかもしれない。
やがて、検問を受ける番が来た。後ろには、誰もいない。
「任しといて」
フードを被ったままのイオが前に出て、数人の門兵のうち、一人の男の名を呼んだ。
呼ばれた中年の男は息を呑み、ローランとイオを門から少し離れた場所に誘導して、去っていった。
少しして、門兵の長と思しき白髪の男が、すっ飛んできた。
逆に不審がられないかとローランはイオに耳打ちしたが、こういうことは商業都市ではよくあることだから大丈夫、と返された。
商人達の街である。時に目と耳と口を無くす必要があることは、末端にも徹底されているらしい。
「イオ様、生きておられましたか。御無事で何よりです」
「どうもどうも。サレに何か変わったことは?」
「……数日前にオズワルドの軍が百人ほどで押しかけてきて、強引に駐屯しています。飛竜兵はいませんが」
「そっか。流石に早いね。それで?」
「サレはこれまで通り中立を守って交易すると、領主は話をつけています。検問の役目は譲れぬし、市内での争いは厳禁だとも。これは、北のヴァルゲンもそうでしょう。それが商業都市の、当然の有り様ですから」
「そっかそっか。でも、オズワルドは多分なんだかんだで居座るでしょ?」
「……ええ、おそらくは。ヴァルゲンほどの自衛戦力が、サレにはありませんから。無理やりは追い出せません。それでも、あくまでここは中立地帯であるという姿勢は貫こうと、領主は有力な商人達と方針を決めています」
「分かった。そっちも大変だねー」
「御用件は?」
「買い物と野暮用して、宿で休むだけ。あたしら二人、明日の朝まで滞在させて。中で揉め事は起こさないよ。戦神に誓う」
「……分かりました。明日の朝まで、ですね。確かに朝なら大勢の人間が門を通りますので、目立たないかと思います」
「あ。でもちょっと前に外でやらかしたから、明日辺りオズワルドの連中がばたつくかも。ただあたしらのことは、領主様には話さないでほしいかな。何も知らない方が、お互いのためだしね。そんで、出ていったら全部忘れて。商業都市は中立地帯、だもんね?」
「了解です」
ローランとイオは無事に、商業都市サレの門をくぐった。
「手懐けてあるのか?」
「あの二人には命一つ分、貸しがあるんだよね。まあ、あたしも無駄にうろうろしてたわけじゃないってこと」
イオはどうだとばかりに、にんまり笑った。
フォルラザの戦神騎士は、戦時でなければある程度行動の自由が認められていた。
ローランは都の周辺の野山で動物や魔物を鍛錬として狩る程度だったが、イオのような魔術士達はかなりの広範囲をうろつくことが多かった。
元々、戦神騎士団は騎兵が主力なのだ。
魔術士は多くの戦において、必須の戦力というわけでもない。
大事な戦以外ずっと外に出ていて、ローランがほとんど接したことのない魔術士も、騎士団には何人かいた。
魔術士にとって見識と交友を広げることは、非常に重要らしい。
「んー、やっぱり商業都市は活気があっていいね」
フードを被ったイオが、楽しそうに呟いた。
多くの人が往来する大通りにはそれなりの数の出店が並び、盛んに客引きの声が聞こえてくる。
目立つように武器を携えている傭兵か旅人と思しき者も、ちらほらいる。
これならば、自分達も悪目立ちはしないだろう。
「とりあえず外套と食糧買って、その後は宿かな。きみはお金ある?」
「ある。途中で村に寄って、ひと仕事したからな」
「いいですなー。あたしはオズワルドの兵から奪った、汚いお金しかないよ」
「魔術のスクロールでも書いて売ればどうだ?」
「滞在は明日の朝までだってば。そんな時間ないない」
ローランとイオは出店で適当にフード付きの新しい外套と保存食を買った後、路地裏の小さな宿屋に入った。
椅子に腰かけて暇そうに欠伸をしていた主人がイオを見た途端、慌ててその場に直立した。
そして先ほどの門兵と同じようなやり取りをして、部屋を一つ借りた。
食事も用意してくれるとのことだった。
「……あんた、本当に顔が広いな」
「うんにゃ、広くはないよ。こういう街で繋がりを作るのは、ちゃんと信用できる数人だけにしてるから。大通りであたし見て、反応する人いなかったでしょ?」
「なるほど」
ローランは焼けた豚肉にかじりついた。
あまり上手な焼き方ではない。
ただ岩塩がまぶしてあり、香草で味付けもされている。
この流行っていなさそうな宿屋にしては、十分なもてなしだろう。
宿屋の主人は、自室に引っ込んでいる。
ローラン達が話しやすいように、気を遣ってくれたようだ。
豆の浮いたスープに肉を浸し、もう一度かじった。
イオも鼻歌混じりに同じことをしている。
「寝るにはまだ日が高いな」
「だね。……一か所だけ行きたいところあるんだけど、ついてくる?」
「行く。このまま宿に籠ってても仕方ねえ」
席を立とうとして、ローランはとあることを思い出した。
「そうだ。イオ、これ見てくれ」
「へ?」
「首飾りと一緒に、エルフの婆さんに貰ったんだ」
巾着袋から取り出した黄金の小さな巻物を、イオに渡す。
イオは首飾りの力を見せた時より遥かに驚き、すぐさま結びをほどいて中身を見た。
大きく見開かれた垂れ目が、何度も忙しく上下左右に往復している。
「……すごい。エルフのスクロールなんて、初めて見た」
「やっぱり魔術のスクロールか。どんな魔術だ?」
「ぜんっぜん分かんない。だけど、間違いなくエルフの魔術だよこれ。多分だけど、詩の形式……なのかな。術の効果はともかく内容を読むだけなら、ラガニアの"探究者"が出来ると思う」
「ラガニア……探究の国か」
ローランは頭の中で地図を思い浮かべながら呟いた。
ここから北へ進むと、大陸の南方と東方の境となる大河川があり、それに跨る大商業都市ヴァルゲンがあるはずだ。
だが、頭の中の地図は、そこで途切れていた。
記憶の糸を手繰り寄せ、人伝てに聞いた話を何とか思い出す。
確か探究の国ラガニアは、ヴァルゲンからさらに北東にある国だ。
あと知っているのは、"探究者"と呼ばれる精鋭魔術士を多く抱える、大陸東方では有力な国だということくらいか。
「……老エルフは、なんて言ってこれをきみに?」
「いずれ巡り廻って、俺の役に立つ……とだけ」
「そっか……そっかー……」
イオが悔しそうに眉をひそめ、唇を噛んだ。
魔術士なのだ。老エルフとの出会いを羨ましがったように、この品もまた、大層羨ましい品なのだろう。
「やろうか?」
「それはダメ。齢を重ねたエルフが、きみの役に立つと言って渡した物なんでしょ? きみが持ってなきゃダメだよ。"その時"が来るまで絶対に、手放したりしないように」
「……それほどの物か」
「フォルラザにいたら、ドワーフ以外の亜人なんて魔物の同類くらいにしか思えないだろうけどねー。エルフの魔術は、人間のそれとは何もかも桁違いなんだよ。だから場所によってはそれこそ、神様みたいに敬われるわけで」
返された黄金の巻物を、ローランは巾着袋にしまった。
肩を上下させるほどに、大きなため息をつくイオ。
その視線は、何事かを考えるように天井に向けられていた。
「…………よし。じゃあ、行くところ行こうか」
「結局、どこに行くんだ?」
「サレでもう二人だけ、あたしの信用してる人がいるんだよね。商人の夫婦なんだけど、その人達のところに行く。頼みごとするから、ごめんだけどお金ちょうだい」
「汚い金は渡せない人か」
「うん」
店主に一声かけてから、ローランとイオは新しい外套を纏って宿を出た。
大通りから横道に逸れ、サレの街の西に向かう。
訪ねた先は、そこそこ裕福な商人らしい、大きめの屋敷だった。
「こんにちはー。ご主人はいらっしゃいますか?」
「いいえ、今は留守にしておりますが」
「でしたら、今から言うことをそのまま、ご夫人にお伝えいただきたいです」
出迎えた若い使用人に対して、イオは偽名と、簡単な単語を三つ伝えた。
使用人が引っ込み、代わりに老いた使用人が出てきて、館の中の客間に通された。
少し待っていると白髪交じりの夫人が入ってきて、恭しく頭を下げた。
ローランとイオも席を立ち、同様に頭を下げる。
「イオ様、御身を案じておりましたわ」
「ご心配いただき、ありがとうございます。……オズワルドの兵が来ているというのに押しかけて、申し訳ございません。一応、人目を欺くようには配慮しておりますが」
「構いませんとも。そもそも商業都市は中立地帯。私達商人がどこのどなたと話そうとも、誰にも咎められる謂れはありませんから。……そちらの御方は?」
「……イオの同朋、戦神騎士ローランと申します。ご多忙のところ、お時間を取っていただき、ありがたく存じます」
夫人は再度頭を下げたローランに対して、穏やかな笑顔を浮かべた。
容色はさほどで身なりも質素だが、確かな気品を纏っている。
ローランの抱いていた商人の認識と、かけ離れた女性だった。
少なくともローランが縁を切った、小さな商いをしていた母とは、全く雰囲気が違う。
「主人は領主様のところです。戻るまで、お待ちになりますか?」
「いえ。そこまでの用件ではないのです。よろしければ、紙四枚とインク、あと蝋をいただけますか?」
先ほどの老いた使用人が、すぐにイオの要求したものを持ってきた。
イオは机の上に紙を広げ、懐から取り出した筆で何事かをしたため始める。
ローランは出された茶を飲んで、それを待った。
夫人は椅子に腰かけて笑みを浮かべたまま、特に何も言わない。
紙の上を筆が滑るだけの静かな時間が、しばらく過ぎた。
やがて、イオはこしらえた手紙四通にそれぞれ、蝋で封をした。
「……こちらはラガニアの"探究者"リファという者へ。こちらの三通はいつも通り、大砂漠近くの例の丘へ。どちらも、急ぎの物ではありません。よろしくお願いいたします」
「はい。確かに承りましたわ。出来るだけ速やかに、お届けいたします」
巾着袋から金を取り出そうとしたローランを、夫人は手で制した。
「あれだけの大戦の後です。苦しいお時間が、まだ続くでしょう。お代は結構ですわ。イオ様には、ご恩がいくつもありますので」
「……私の作った恩など、もうとっくに帳消しになっていると思います」
「主人も私も、そうは思っておりません。それだけの話です」
ローランとイオは揃って、もう一度頭を下げた。
その後は何も雑談などせずに、夫人に見送られて屋敷を出た。
大通りに向かって、小道を戻っていく。
「大砂漠近くに出した三通の手紙は、"砂粒"宛てか」
「うん、彼らの長にね。そこ経由で、副長とノーラにも送った。とりあえずあたしらの現状は知らせておかないと、あっちの皆々さまも動きづらいだろうからね」
"砂粒"は大砂漠の下に密かに住まう、諜報に長けた集団だ。
フォルラザ開闢以来の、旧き同盟者である。
彼らはフォルラザとは別の形で戦神を信奉しており、一族としての本来の名が別にあると聞くが、ローランは詳しく知らない。
ただ、大砂漠にじっと潜んでいるというわけでもなく、かなりの数が大陸中に散らばっていることは知っている。
それこそ、道端の砂粒一つのように、目立つことなく。
フォルラザが戦神に捧げる戦の影には、常に彼らの助力があった。
「……あんたら魔術士の放浪なんて、何の役に立つんだと思ってたが」
「ふふーん、見直した?」
「ああ。俺一人でサレに入ったら、買い物してそれで終わりだったな。エルフの巻物も、適当に金の足しにしたかもしれない」
「……んでさ、ラガニアに知り合いの"探究者"がいるんだよねー。その子も、あたしにとっては信用できる相手の一人。……ま、きちんと国に仕えてる魔術士だから、ある程度は信用できる、くらいなんだけど」
「それがさっきの、リファって名前か?」
「そ。そのリファに、さっきのエルフのスクロールを見せてあげるといいよ」
「とりあえず、俺はラガニアを目指せと?」
「他に何か目的あるの?」
「……宿に戻って、話そう」
大通りに出ると、何やら商売の活気とは違うどよめきが起きていた。
人だかりの隙間から様子を覗いてみれば、オズワルドの兵士が数名で、とある出店と揉めている。
すぐにサレの衛兵達がやってきて、仲裁を始めた。
ローランもイオも、無言でそれを見ていた。
オズワルドの兵士は居丈高にまくしたて続け、とうとうサレの衛兵の一人を殴り倒した。
飛竜を呼んでやろうか。
その言葉が、はっきりとローランにも聞こえた。
「……皆殺しにしてやろうかな」
隣でイオが、ぽつりと呟いた。
垂れ目が街道で再会した時のように、冷たい色に染まっている。
ただ、あの時と違って、残酷な笑みを浮かべていた。
ローランはぴくりと動いたイオの杖を、素早く掴み止めた。
「揉め事は起こさない。戦神に誓う。そう言って、この街に入ったはずだぞ」
イオがローランの顔をじっと、見つめてきた。
凍てついた瞳の奥に、激烈な感情が渦巻いている。
この女はまだフォルラザがあった頃から、そういう女だった。
普段は軽薄で幼稚で緩い雰囲気を纏っているのに、心の深い所にとんでもない激情がある。
そしてその激情が、戦場では凄まじい力の源になるのだ。
「あのクソ共を殺し尽くしてやりたいのは、俺も同じだ。当然のことだ。だが、一度口にした戦神への誓いを破ることは、同朋として許すわけにはいかない」
「…………」
イオの目が何かを耐えるように、あるいは訴えるかのように、すっと細められる。
戦神の魔術士が最も得意とするのは、巨大で獰猛な"赤獅子"を生み出す魔術だ。
魔力で形作られた"赤獅子"は、生半可な攻撃などものともせずに暴れ回り、主が敵意を向ける者全てに襲いかかる。
爪牙の鋭さは鉄の鎧をボロ布のように引き裂き、勢いをつけた突進は分厚い城門すら揺るがすほどである。
その圧倒的な暴に、イオ自身が杖から放つ攻撃魔術も加わるのだ。
だから今、ローランが杖から手を放せば、イオは駐屯しているオズワルドの兵百人などあっという間に鏖殺してしまうだろう。
サレの街が受ける被害など、考えもせずに。
「門兵、宿屋、商人。ここで暴れれば、あんたを慕ってくれている人達にも危害が及ぶかもしれないんだぞ、イオ。……フォルラザの戦神騎士、イオ」
ローランとイオは互いに目を逸らさず、長々と見つめ合った。
そうしている内にいつの間にか喧嘩は解決したようで、どよめきは収まり、オズワルドの兵士もサレの衛兵も姿を消していた。
「……ふー。ごめん、ローラン。……ありがと」
「気にするな。俺だってここに一人で来てたら、何をしでかしたか分からない」
「はぁ。最近どうもダメなんだよねー。前よりめちゃくちゃ、カッとなりやすくなっちゃった。……やっぱりまだ、引きずってるのかな」
「とにかく宿に戻ろう。話しておくことがある」
………
……
…
「んあー、さっぱりしたー」
別室で湯を使っていたイオが、部屋に戻ってきた。
身体だけでなく髪も洗ったようで、ほどいた茶髪がしっとりと湿っている。
ローランも借りた部屋で、宿屋の主人が用意してくれた大桶の湯を使って身体を洗った。
川で水を浴びるのとは、やはり違った心地よさがある。
さらに宿屋の主人は、わざわざ寝間着まで貸してくれていた。
これだけ小さな宿としては、破格の配慮の良さである。
イオがどんな恩を売っているのか気になったが、それはあえて聞かなかった。
窓の外はもう、夕焼け空だ。
「よっこらせ。あー、久しぶりのベッドの感触さいこー」
イオは三つある寝台の一番端に、ぼふんと仰向けになった。
そのまま両脚を、パタパタと動かしている。
ローランは、それを黙って見ていた。
「…………フォルラザ、滅んじゃったね」
仰向けのまま、イオが唐突に言った。
「あたしら、敗けちゃったね」
「……ああ」
「飛竜に、手も足も出なかったね」
「そうだな」
「あたしの"赤獅子"が敵わない相手なんて、初めてだった」
「…………」
「……陛下を見捨てて、逃げちゃったね」
「陛下御自身の命令だった。『戦神の名のもとに』とおっしゃって、離脱を命じられた。『生きよ』と、確かに命じられた」
「そんなの分かってるよ。分かってる。でもさ」
「聞いてくれ、イオ」
ローランは共に離脱した同朋、赤髪のノーラのことを話した。
生き残った唯一の旗持ちであるノーラが、戦神の軍の再起とオズワルドへの復讐を誓ったということを。
獅子の赤旗を、果敢に掲げ続けていることを。
どれだけ道のりが険しくても惨めでも、戦い続けよう、生き続けようと言ったことを。
「……そっか。何とか再起を図るべきだとは思ってたけど、ノーラは副長を立てるとかじゃなくて、自分でやり遂げる気なんだね」
「そういう野心のある女だとは、思わなかったがな」
「うーん、あの子に野心……ね」
「?」
「というかローランさんや。普通そんな非常に重要なお話を、ほっと一息ついた後になってようやくしますかね? さっさと話しといてよ。あたしもう、"砂粒"通して副長とノーラにお伺いの手紙出しちゃったんだけど?」
「ぅぐ……それは……大変申し訳ない」
寝台に仰向けのままで詰ってくるイオに、ローランは素直に詫びた。
確かに、真っ先に共有すべき事柄だった。
頼れる同朋と再会した安堵感で、思考がふやけてしまったのだ。
「……いや、今後誰が先頭に立つのかは、どの道しっかりと確認しておくべきだったから、いいんだけどね」
「あんたの考えだと、やっぱり副長かノーラの二択か?」
「うん。立場か旗持ちかってことで考えたらそうなるかな、ってね。……けどまあ、旗槍を賜った者は、やっぱり戦神騎士の中でも特別だよ。武功だけじゃない、もっと重要な何かを見て戦神が託宣を下すんだもん。だから副長じゃなくて、生き残った唯一の旗持ちなノーラが先頭に立つのが、あたしは正解だと思う。副長も多分、同じこと言うでしょ。というかあのおっさん、そういう面倒な立ち回りは絶対無理だし」
イオは勢いよく寝台から起き上がり、ローランに顔を向けた。
いつもの垂れ目と、ふにゃふにゃの笑顔だ。
しかし、再会した時より生気が満ちている。
「これからどうしよっかなーって漠然と色々考えてたけど、おかげで何とか道筋が見えてきたよ。頭の中のモヤモヤも、ずいぶんマシになった」
「……ただ、肝心のノーラや副長の居場所と行動方針が分からない。他の戦神騎士達もだ」
「それはどうにでもなるでしょ。オズワルドの飛竜はフォルラザの軍兵を蹴散らせても、大砂漠を全部掘り起こすなんてできない。村や街に一粒落ちてる砂を、拾い上げるなんてこともね。だから"砂粒"がしっかりと、あたし達を繋げてくれる。大丈夫大丈夫」
「フォルラザは、国としては滅びたんだぞ。あっちはそれでも、俺達の味方をしてくれるのか?」
「してくれますとも。ローランはあんま関わったことないだろうけど、あたしらみたいな魔術士や、団長やノーラみたいな旗持ちは、ちょくちょく個別にやりとりしてたからねー。長の顔も知ってる。彼らは間違いなく、戦神を信仰する同朋だよ」
疑うことなく言い切るイオの目は、あたたかい色を帯びている。
それを見てローランも、同盟者の協力を信じることに決めた。
「よーし。んじゃあ気合入れて、やるべきことを色々やりましょうかね」
「……俺はただの若手の騎兵だ。大局を見る目がない。ここまで何となくやって来たが、この先すべきことが思いつかない」
「それこそ、ノーラがその内"砂粒"を寄越してくると思うけどねー。でもまあ、今はとりあえずラガニアに行ってみたら? あたしが知り合いに、手紙も出しといたからさ」
「エルフの、黄金のスクロールか」
「『巡り廻って、役に立つ』……老エルフはきみにそう言ったんでしょ? 巡り廻ってと言われた以上、当分はそのスクロール前提で行動した方がいいよ」
「そこまでする価値が、あれにあるのか?」
「あるね」
イオはきっぱりと断言した。
「これはねー、あたしの魔術士としての勘。そもそもオズワルドがフォルラザの領土を奪って、このサレにまで兵を寄越してきてる以上、いつまでも南方にはいられないしね。ここまでやって来たらもう、北のヴァルゲンを経由して大陸の東方に入るしかないんだよ」
「……それもそうだな。じゃあラガニアまでは、一緒に旅するか?」
「ううん。個人的に繋がりのある人と会うから、あたしはちょっと寄り道するよ」
「寄り道なら別に、俺も付き合うが」
「あー、一人だと心細いんだ。かわいいー」
「ちげえよ、バカ」
けたけたと笑うイオに、ローランは思わず顔を赤らめた。
しかし、本当は図星だった。
一人だと、何をしていいのか分からなくなると思ったのだ。
ラガニアに辿り着いたとして、そこからどうするか。
そう考えた時、見識と交友に優れた同朋が傍にいてくれた方が安心する。
「……ねえ、ローラン。フォルラザは敗けて滅んで、戦神騎士はたった十人になっちゃったんだよ。たった十人で、再起を図らないといけない。オズワルドに勝たないといけない。でもね、考えたくもないけど、十人の中にはもう飛竜に捕まった者がいるかもしれない。心がぽっきり折れちゃった者もいるかもしれない」
「…………」
「一人一人が、自分に出来る精一杯のことをしないといけないんだよ。それを踏まえた上で、それでも固まって動くべきだっていうならそれも全然あり。だけど、ローランがラガニアに行ってくれるならあたしは……あたしなりの別の道を行きたい。それはノーラの言うように、険しくて惨めな道のりだと思う。だけど、いずれ辿り着く場所は一緒だよ」
「……戦神の、獅子の赤旗の下か」
「そういうこと。よくできました」
イオが手をぱちぱちと叩き、優しく微笑んだ。
この小柄な女が自分より年長だということを、初めて実感した気がした。
気づけば日は落ちて、室内はすっかり暗くなっていた。
イオが部屋を出て、宿の主人に蝋燭を貰ってきた。
小さな灯りだが、揺らめく火を見ていると、心が穏やかになる。
「ローランさんやローランさんや。何か話してくださいな」
「はあ?」
「まだ眠たくないもん。暇潰しにさ」
イオは寝台に横たわり、ローランに無茶振りしてきた。
やっぱり幼稚な女だと思いながら、ローランはエルフの老婆と出会った時のことを話した。
深く刻まれた皺に似つかわしくない、黄金の長髪、青く煌めく瞳、純白の歯、惹き込まれるような笑顔。
粉砕された焚火を元通りにした、尋常ならざる魔術。
山の砦を覆っていた、"闇の吹き溜まり"。
その中に転がっていた、フォルラザの兵士達の屍。
屍の怨念を啜る、おぞましい闇の魔物。
そして、自決した部隊長の書き置き。
イオは横向きに寝転がったままそれを聞いて、涙を一筋流した。
「……あたしらは幸せ者だよ。陛下に賜った戦神の武具が、いつも傍にある。ノーラが旗を掲げ続けてることも知ってる。ちゃんとした拠り所があるんだもん。でも、多くの兵士達はそうじゃないんだよね。心の中の、信仰だけ。篤い信仰は……時に自分を苦しめちゃう」
「まだいくらかの兵士達は、生き延びて潜伏しているかもしれない。だけど、かつてのフォルラザの領土は統治のためにくまなく掃討されるだろうし、村々の戦神の民の信仰も否定されるだろうな」
「だね。でも、それが国を滅ぼされるってことだよ。あたしらが周囲の国々にやってきたのと、何にも変わらない」
そうだな、とローランは返した。
散々滅ぼしてきた側が、ついに滅ぼされる側になっただけ。
冷めた目で見れば、確かにそういうことでしかないのだ。
「フォルラザが併呑しまくってきた国々の住民はそのままで、元々の戦神の民だけ根絶やしにされて、他所から連れてきた奴らと入れ替えられるかもね。戦神への信仰を捨てろなんて言われて、はい捨てますなんてのはいないよ。そうなると大陸の南方は、風に靡く雑草みたいな連中で溢れかえるね」
「竜神の民の入植は、ないとしたものか?」
「うーん。やるにしても、ある程度情勢が落ち着いてからかな。大砂漠を越えて自国の民を入植させるなんて、国の一大事業になるしね。……ただ、南方の併呑は割に合わないと早々に判断されたら、それはそれで厄介かもしれない。ノーラの反攻は、オズワルドが南方を治めるのに苦労して、他の地方の国が動き出す前提でしょ?」
「ああ。……ウィルさんならまあ、その辺は見極めつつ暴れるか。もしかしたら、敗残兵のまとめ上げも」
「そこは大丈夫。ウィルはきみよりずっと頭良いからねー。色々上手くやるよ」
「うるせえ。バカで悪かったな」
「あはは」
イオの笑い声につられて、ローランも笑った。
ひとしきり笑うと、瞼がぐっと重くなってきた。
連日の疲れだけではない。張り詰めていた心が、一気に楽になったのもあるだろう。
頼れる同朋との再会は、それだけローランにとって大きかった。
「……寝るか」
「ふわぁ~、そうですなー。あ、夜這いしてきたら殺すからね」
「しねえよ。そっちこそすり寄ってくるなよ。寝苦しいから」
軽口に軽口で返し、ローランは自分の寝台に寝転がった。
………
……
…
翌朝。
宿屋の主人が、ちょっとした騒ぎが起こっているのを伝えてきた。
サレに追加で派遣されたはずのオズワルドの兵百人が、予定を大幅に過ぎても全くやってこないらしいのだ。
現状を知らせる伝令すら来ていないようで、それによってここに駐屯していたオズワルドの部隊のほぼ全員が、慌ただしく出撃していったという。
イオは素知らぬ顔で、主人に礼を告げて代金を支払った。
結局、ローランはイオと共に、入る時に使った門を使い、大勢の人間に混じってサレの外に出た。
門をくぐる時に門兵の長が、さりげなく槍の石突で地面を打って、見送りの挨拶をしてくれた。
「じゃあね、ローラン。いずれ、戦神の旗の下で」
「ああ。戦神の旗の下で」
サレから少し離れた草原で、二人の戦神騎士は大剣と杖を掲げて、ぶつけ合った。
そして別れ、それぞれの道を進み始める。
ローランが目指すのは、とりあえず北の大商業都市ヴァルゲンだ。
空は雲一つなく、青く澄み渡っていた。