ラガニアでの用事を全て済ませ、明日の夜明け前には出発しようという、長い前夜。
ローラン達はしばしの休息を挟み、"砂粒"から他の地方の情勢も聞くことにした。
自分達の東方での動きを決定する判断材料として、聞いておくべきだからだ。
「次に、旗頭のノーラ様がいらっしゃる西方です。ノア殿も合流し、ニコル殿と合わせて戦神騎士は計三人。マーブリスの遊軍に偽装して、人材を掘り起こすために我ら"砂粒"やマーブリスの月影騎士達と情報を交換しながら、西方中を忙しなく駆け回っております。二十人だった戦神の軍は今、五十人ほどになっております」
「五十、か。厳しく見定めておるな。それでよい。……私が紹介した、魔術士のエリオットは?」
「ノーラ様が二度、山中の住まいを訪問されましたが、助力を断られたそうです」
「そうか。まあ、少年ながらに世間離れしていて、頑固なところもあったからな。だが、二度断られたか」
「そのようです」
「ならば三度目もあるな。ノーラが対面して、これは欲しいと思った人材である証だ」
「魔術士エリオット……ジェラルド殿、彼はそれほどの人物なのですか?」
「今のナツメよりもまだ幼かった頃に、ドルザンと共に少し手ほどきをした少年だ。魔術の素質は、ナツメほどにあった。頭の回転も、およそ子供と思えぬほど。しかし幼いながらにどこか世間離れしておったから、気難しい性格に育って山に入ったのかもしれぬな。今はもう、二十歳をいくらか過ぎたくらいか」
「なるほど……」
大陸西方の覇者である月の国マーブリスは、領内のエルフ達を最精鋭"月影騎士"として遇し、協力を得ている。
その中でもノーラが個人的に親しくなったエルフの友に対して、"闇の廃都"と"大霊峰"の話を聞いたが、あまり芳しい回答は返ってこなかったようだ。
"闇の廃都"はかつて、東風の民と呼ばれる人間達の都であり、何らかの大いなる業を有していたがために、飛竜に滅ぼされた。
エルフの長老達が確かにそういう話を知っていたそうだが、上の世代のエルフからことのあらましを聞いただけらしい。
また、"大霊峰"は聖域とはいえ禁域ではなく、自分達の一族もそれなりに訪れているが、頂きまで登ろうが別に"大いなる何か"の存在を感じた者はいないという。
つまり、今西方で生きているエルフは誰も、東風の民やその業の実態を知らないし、"大霊峰"との関わりも分からないということである。
加えてノーラは先に寄越された一個の丸石をそのエルフの友に見せたものの、何の力の残滓も残っていないと言われたようだ。
もっともエルフ達が何かを隠している可能性もあるため、彼らの言葉の全てを信じきるべきではないと、ジェラルドはローラン達に語った。
「それと"蛮地"と"神聖国家オラトリア"がまたも、同時に大河川を越えてきました。数はそれぞれ三千と二千」
「ほう……これで最初の侵攻を含めて三度目か」
「二度目と同じく、月影騎士と我ら"砂粒"が事前に察知。ノーラ様達の奮戦やグリムロ様の妨害もあって、マーブリス側の城塞都市二つは少ない被害で両勢力をほぼ殲滅。捕虜も得たそうですが……魔物を使役する蛮族の秘儀や、オラトリアの実態については依然分かっておりません」
「一度目と二度目は一千ずつ。それで次は三千と二千。奴ら、随分小出しに攻めるな……マーブリスの力を測ってるのか? それともこれが奴らにとっては全力の攻めなのか?」
「前者だな。この程度の攻め方が限界ならば、元々マーブリス相手に侵略など仕掛けてはおるまい。ノーラ達の加勢無しでも、大陸西方の覇者ならば押し返せたはずだ」
ジェラルドの言う通りだと、ローランにも思えた。
"蛮地"と"神聖国家オラトリア"。
北方の二勢力は全く得体が知れないし、戦力もこんなものではないとマーブリス王家と月影騎士は感じたから、戦神の軍に助力を求めたのだろう。
「二度目はノーラ達が奇襲気味に加勢して瞬殺した、という話だったな。何らかの業でその報せがあやつらの本拠地に届いたならば、戦神の軍も含めたマーブリスの力を再度推し測ろうとしたように思える。だが、両勢力合わせて五千もの攻勢が通用しなかった以上、今後数千単位の派兵を頻繁に繰り返すことはあるまい」
「確かに様子見の代償にしては、出血が多過ぎますね。となれば……この次がもう本命の大侵攻である、と?」
「傍から話を聞いて分析しておる限りでは、私にはそう思えるな。このまま戦力を小出しにして消耗するのは、愚かに過ぎる」
「すいません、"砂粒"さん。戦神騎士さんや探究者さん達みたいな最精鋭は、相手にいなかったんでしょうか?」
「確認されていないそうです。"蛮地"についてもオラトリアについても、捕虜の尋問で有益な情報は無し。しかし、三度目はどちらの勢力も戦神騎士の武力に怯まず士気を保ち、果敢に攻めかかってきたとのことです」
「となればやはり、二度目が一蹴された時点でノーラ達の存在に気づいたな。……二つの城塞都市に入っていた竜神の諜報は? 二度目のどさくさに消して、それからの追加は無しか?」
「ありません。しかし」
"砂粒"が、僅かに息を吸い込んだ。
「東方への飛竜派遣からはだいぶ遅れましたが……三度目の侵攻を撃退して少し経ってから、マーブリス北端の大河川周辺をオズワルドの飛竜が飛び始めたと、現地の同朋から追って報せがありました」
「……やはりか」
「ノーラ様がお聞きするにマーブリスは、正式な抗議の使者をオズワルドの都へ送るようですが」
「確かに今後のことを考えれば抗議はしておくべきだが、それで飛竜による偵察が止まることはあるまい。『"蛮地"がオズワルドに攻め込んでくる可能性もあるから、威嚇しているのだ』と言われればそれまでだ。問題は、"蛮地"の攻めが飛竜の偵察に便乗してくる可能性があることだな」
「飛竜兵が上から見ている状況……つまり戦神騎士が全力を出しづらい状況で攻めてくる可能性、ですか。しかしそれは、蛮族どもが戦神騎士の存在と現状の立場を知っていればの話では? 奴らは低俗な魔物を使役する秘儀があっても、未開の連中なのでしょう?」
「よく考えろ、ローラン。俗に"蛮地"とは言われるが、大河川を渡ってのまとまった規模の軍事行動が複数回取れるほどの、勢力としての地力は既に見せておるのだ。戦神騎士の武力やフォルラザとオズワルドの大戦の結末を予め知っていて、そこから戦神の軍がマーブリスに助力していると予想しても、何らおかしくはない」
戦神騎士の古参は、ローランに対して語る。
"蛮地"という呼び名は、北方の事情を詳しく知らぬ者達による、俗称である。
彼らも実際は正式な国の名を持っており、内部はしっかりとまとまっているのではないか。
ただ外との関わりを今まで持ってこなかったから、知られていないだけではないのか、と。
"砂粒"も"蛮地"の内部には潜り込めていないと、ローランは以前に聞いていた。
どれだけ武の気配や身なりを欺いても、簡単に露見して消されてしまうらしいのだ。
エルフ達月影騎士も同様に潜入出来ていないらしい。
ノーラの友であるエルフ曰く、「あいつらは異常に鼻が利く」という。
「もしもマーブリスが"蛮地"やオラトリア相手の防衛戦をしておる中で、戦神騎士らしき者の助勢が飛竜の騎手の目に留まれば、オズワルドはマーブリスへさらに露骨な圧力をかけてくるだろう」
「あの……ジェラルド様。そうやって発見した戦神騎士の皆さんの存在を理由にして、オズワルドがマーブリスへ攻め込む可能性はあるんでしょうか? もしくは『戦神騎士を差し出せ』と言ってくるとか……」
「ノーラ達は身なりや戦神の加護を欺いていても、武力は欺いておらん。であるから、ありえないとは言えぬな。これもシンガへの飛竜派遣と似た話だ」
「可能性は絶対に無くなりはしない、ですか。そういえばオズワルドの南方の統治は、ゆっくりだけど着々と進んでるんですよね? ウチはまだまだ勉強中ですけど……それで南方に余裕が生まれれば、オズワルドは今以上にはっきりと東西に目を向けてくる、気がします」
「正しい見方だ、ナツメ。だがマーブリスはシンガと違い、大陸西方を統一した上で国内をしっかりと安定させた大国だ。北方との戦乱で殺気立っておるところをオズワルドが下手につつけば、今度は中央と西方の大戦になりかねない」
「フォルラザ相手の二度の大戦で疲弊した国内や獲得した南方がまだ安定していない以上、オズワルドが早々と三度目の大戦を起こすことは無い……ジェラルド殿はそうお考えで?」
ジェラルドは目を閉じてしばし黙し、「ありえないとは言えない」と繰り返した。
「"砂粒"の分析によれば竜神の諜報は使い潰すこと前提に、質が悪い。"蛮地"とオラトリアの情報は、こちらより遥かに少なかろう。……だがマーブリスが防衛戦を複数回したこと自体は、どれだけ諜報を消しても人伝に知れてしまっておることだろう」
「マーブリスが大河川を越えて攻め返そうとしないことも、国力を高めるような動きを見せ始めたことも……ですか?」
「もちろんだ。そういう情報をオズワルドの王や重臣が、どう捉えておるか。いっそ北方と揉めている内に、と考える可能性は無くはない。東方のシンガやラガニアの領内にまで飛竜を飛ばしてこないのは、西方のマーブリスの方を危険視しておるからにも思えるのだ」
「あの、ジェラルド様。オズワルドがそれだけマーブリスを怖がってるなら、シンガへの飛竜送り込みはやっぱりありえないんじゃないでしょうか? 東と西、両方の大国と同時に争うようなことはしないんじゃないかなって、これまでのお話からウチは思います。……あっ、でもやっぱり」
「そうだ、ナツメよ。『ありえないとは言えない』だ。何事もな」
しっかりと頭を回転させる従者の少女を、老騎士は褒めた。
その上で腕を組み、皺だらけの顔にさらに皺を寄せて唸る。
「……同朋よ。北方のグリムロに『"蛮地"の奥へ盛大に突っ込んで暴れろ。暴れたら即離脱を繰り返せ。回数や頻度は任せる』と全速力で伝えてくれ。ノーラへも、その旨の連絡を」
「承知しました」
「えぇっ、グリムロ様がお一人で!? 流石に死んじゃうのでは……」
「あれは殺しても死なん。そもそも、戦ごとでは死なんように巧みに立ち回れる男だ。誇りをかけた決闘ならともかく、戦争の場では攻め際も退き際も決して見誤らぬ」
「でも、"砂粒"の皆さんやエルフさん達でさえ潜り込めないんですよね? そんな場所の奥にどうやって……」
「潜り込めぬのは諜報の話だ、ナツメ。グリムロの凄まじい武力は、お主も"闇の廃都"で見たであろう? 不意に突っ込んで将や精鋭を潰し、混乱の中を離脱する。それを繰り返すだけなら、あの男は大斧一本でどうにでもする」
感心するように息を漏らすナツメ。
ローランも、ジェラルドと同じ見解だった。
グリムロ副長は戦のこと以外頭に入っていないが、それは言い換えれば、戦のことは頭に叩き込まれているということでもある。
そういう側面も含めての"戦神騎士最強"であり、純粋戦士なのだ。
「ジェラルド殿。"蛮地"の大戦の準備を、ひたすら遅延させるということですか?」
「然様。こうして聞いておる限り、あやつらとオラトリアの連携は密接だ。裏を返せば、連合無しではマーブリスに敵わないという想いがあるように思う。だから、片方だけをしつこく妨害する」
「なるほど。そうしちゃえば、結果的にどっちも動きが止まるっていうことですね」
「おそらくはな。……それでもグリムロを半ば使い捨てにするような采配だ。ノーラは戦神の旗頭としてそういう無慈悲な指示は出しづらいだろうから、最年長である私が提案する。……同朋よ。グリムロへの指示はとにかく至急だ。エルフの助力も借りられるならば、そうしてくれ」
「ただちに」
"砂粒"はローラン達に背を向け、取り出した木笛を音も無く吹いた。
戦神騎士達に渡されているものとはまた違った、凝った意匠の笛である。
彼らの間でやり取りに用いている代物だろう。
「……オズワルドの都や王城にも、我ら"砂粒"は潜り込んでおります。"蛮地"の攪乱に際してオズワルドで何か動きがあれば、それもすぐさま伝達いたします」
「そうしてくれるとありがたい。西方はまあ、こんなところか。……北方の"闇の廃都"への偵察はあったか?」
"砂粒"が記憶に残らないような平凡な顔つきを、若干緩めた。
「……ありました。ただ一度だけ」
「何と。一度だけ、だと?」
「"闇の廃都"の一件の直後、グリムロ様に北方の同朋が呼ばれて、詳しい経緯を聞きました。そうしてローラン殿のご助言通りに一人は常にグリムロ様に同行するようにして、それとは別にもう一人を"闇の廃都"の近くに張り付けておりました。北方の"砂粒"のまとめ役が、石の英雄様を飛竜達が撃破しに来るだろうと予測したからです」
「どうなったんだ? 来たのか?」
思わずローランは口を挟んだ。
緑風の旗槍を携えた、石の英雄。
この時代の飛竜達はあの戦士を見て、どう動いたのだろうか。
「十日ほど経って、三騎の飛竜兵が"闇の廃都"へ飛んできました。そして石の英雄様の旗槍が巻き起こした緑風によって二騎が"廃都"の手前で叩き落とされ……しかし起き上がって、三騎とも去っていきました。騎手の屍は放置。落とされた二頭の飛竜は撤退時、かなり不安定に飛んでいたようです。その後は一度も北方に飛竜は来ておりません」
おお、とローラン達は興奮気味に声をあげた。
あの英雄の風の業は、飛竜を討ち取れないまでも空から叩き落として、その後の撤退行動に影響を及ぼしたのだ。
それはつまり、強力無比な魔力の鎧へ明確に有効打を与えたということになる。
大戦中に戦神騎士達がいかなる武器で攻めかかっても揺るがなかった、あの飛竜へ。
そしてもしも格闘戦に持ち込めば、あの緑風を纏う大槍で鱗を貫くことだって。
飛竜はそれを悟ったから、逃げ去って二度と現れなかったのではないだろうか。
「やはりあの石の御方は、英雄と呼ぶに相応しい戦士です」
「うむ。私もお会いしたくなった。しかし風の業でさえ、飛竜には有効なのか。ならば魔力を無効にする業もほぼ間違いなく……やれやれ。『過度な期待はするな』と自分で言っておいて、何とかその業を手に入れられればと思ってしまうな」
「あの、"砂粒"さん。オズワルドのお城ではその件はやっぱり、かなり衝撃が大きかったんでしょうか? お城の中にも、"砂粒"さんはいるんですよね?」
「"闇の廃都"の件は、一切話されていないそうです。生き残った騎手も、帰還後すぐに行方不明になりました。厩で帰還を迎えた衛兵達もです。……極秘裏に処分されたものかと」
「当然の判断だな。絶対の存在であるはずの飛竜が空から叩き落とされるなど、前代未聞の事態だったことだろう。その上でさらに手傷まで負ったとすれば、竜神の国の威信や信仰が揺らぎかねない事件だ。事情を聞いた後はすぐさま口封じをしなければならない。それでも偵察に出ただけの騎手が二人帰ってこなかったことは、少なくとも王城内部では周知されてしまったろうがな」
「ジェラルド殿。石の英雄を、オズワルドが何とかしようとする可能性はありますか?」
「これも結局は『ありえないとは言えない』のだが……私の考えでは現段階で強引に攻めることはまずあるまい。飛竜の絶対性を保つために、今後何らかの策を講じる可能性はある。しかし焦って攻めかかり、それで飛竜が数頭でも死ねば、オズワルドにとっては取り返しがつかないのだ。北方の敵を討ちに行って、厩に帰ってこない飛竜がいる……そのような結果を隠し通せるわけが無いからな。あっという間に知れ渡って、国内は震撼する。石の英雄を討てたとしても、飛竜が無敵だという証を失うのは痛すぎる」
ジェラルドの声は珍しく弾んでいた。
ローランとジェラルドの目が合う。
自分達も、石の英雄に遅れを取ってはいられない。
必ずや飛竜を、討ち取ってみせる。
老騎士の赤茶色の瞳は、そう語っていた。
ローランも同じ気持ちだ。
昂りを静めた後、ジェラルドは最後に南方の情勢を聞いた。
つまりオズワルドの南方総督府がどう動き、戦神騎士ウィルフレッドがそれにどう対処しているか、だ。
「南方総督府は商業都市パルチャーと繋がり始めています。有力な商人達との繋がりを、少しずつ得ているようです。街道を使った人々の往来も、盛んになりつつあります」
「そうか……妾腹の第四王子は上手くやってるんだな。けど、あのウィルさんが本当に商業都市との間を取り持つなんてな。何か狙いがあるんだろうか……」
「いや、あるまい。ウィルフレッドがそうしたのは、王子によって変わった総督府の姿勢に思うところがあったからだろう。大戦中は吸収した亡国の兵士を酷薄に使い潰しておったが、本質的には情義の男だ。利敵行為ではあるが……伝え聞く限りでは、あくまできっかけをくれてやっただけ。商業都市と繋がれたのは、総督府の努力故だろう」
「第四王子さんが凄いんでしょうか? それとも部下の人達が?」
「あるいはその両方。南方総督府は時が経てば、大陸中央より手強くなるかもな。無計画な鎮撫を止めてしっかりと腰を据える方針に切り替えたことで、攪乱も効きづらくなった。今後総督府とどう向き合うのか、ウィルフレッドならばそろそろ考え始めておろうが……」
「しかしながらつい最近、大きな事件が起きております」
声を低めた"砂粒"に、ローラン達は会話を止めた。
「大戦中に猛威を振るっていた、一際巨大な灰色の飛竜……オズワルドで"バルト"と呼ばれる飛竜が、大山脈にある山の民の村を三つ、たった一日の間に破壊しました」
「はっ……!?」
「む、村を三つ……一日でですか!?」
「なんと愚かな……! ウィルフレッド達が未だ南方におるのに、山の民まであからさまに敵に回すとは……」
「本国や総督府の意思ではなく、飛竜が騎手の制止も聞かずに独断で動いたようです。それでも、騎手は帰還直後に投獄。私の聞くところでは、まだそれ以上の処分はされておりませんが……」
「っ。私が南方総督の立場ならば、騎手がどれほど功を積み重ねてきた者だろうが問答無用で処断だ。たとえ飛竜の意思によるものでも、騎手が実質ただの木偶でも……騎手である以上は、御せなかった責任を取らねばならない。一騎の独断専行で許される範疇を、あまりにも逸脱しておる」
穏和で賢明なジェラルドが苛立って舌打ちするところを、ローランは初めて見た。
巨大な灰色の飛竜、バルト。
大戦の最中、グリムロ副長が奥義を叩き込んでも通用しなかった相手だ。
戦神騎士随一の槍使いだったウィルフレッドもあの飛竜の瞳を狙い、しかし貫けなかった。
飛竜の顔など一頭たりとも覚えていたくない。
だが奴の人間を見下しきった切れ長の目と、にやついた口元だけは、ローランも忘れていない。
「ふざけやがって、飛びトカゲが……」
ローランは吐き捨てるように呟いた。
ジェラルドの言う通り、第四王子が着任した後の南方総督府は雑な威圧をやめて、かなり着実に穏便に前進していたはずだ。
飛竜が見下しているのは敵だけでなく、味方の人間もなのか。
人間の積み重ねを、気まぐれに踏みにじって楽しいのか。
あるいは何か、飛竜なりの深い理由でもあるのか。
だとしても味方である、竜神の国の王子の積み重ねだ。
竜神の末裔だろうが、身勝手に踏みにじっていいわけがない。
確かな怒りの感情がローランの中に渦巻いた。
ナツメも、険しい表情を浮かべている。
「ウィルフレッド殿は、山の民と繋がりを持てないか模索中です。アレクシス殿やケイト殿を伴って、よく大山脈に入っております。ノーラ様達がお世話になられた、ビードの山騎士レオン殿とも接触されたようです」
「じゃあもしかして、それの牽制で村を……?」
「ありえねえ。牽制が目的なら、大山脈の上を飛ぶだけで充分だ。そもそも『戦神騎士と山の民が繋がったら不味い』なんて、あの舐め腐った魔物がいちいち考えるはずがない」
「まったくだな。……この件についてはもうよそう。不愉快な気分になる。他に報告すべきことは無いだろうか?」
「現状お話出来ることは、これで全てです。お時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
「構わぬ。大いに参考になった。ありがとう、同朋よ」
「同朋が戦神に捧げる戦の手助けをすること。それこそが我らの戦です。お力になれているのならば、光栄です」
「ふっ……道のりを共に歩んでくれる者がいる。それは何よりも嬉しく、頼もしいことだ」
"砂粒"の男がジェラルドの言葉に、畏まって深く頭を下げた。
ジェラルドが、飲み残していた茶をぐいと煽る。
そして何やらそのままの姿勢で固まった。
「…………」
「……?」
見かねたローランが声をかけようとした寸前。
ダンッ。
茶の器が机に勢いよく置かれた。
「ふー……よし。ローラン! ナツメ! これまでの話を踏まえて、東方における私達の行動方針を決めるぞ!」
「は、はい!」
ジェラルドが勢い良く椅子から立ち上がる。
それに対して、ローランとナツメは慌てて背を正して返事をした。
「ローラン、お主は予定通りにザリアの"霊狼"へ会いに行け。現状を打開する手札が、それで手に入るかもしれぬ」
「承知しました」
「私は最速で太陽の国シンガへ入る。通達は第一王子と太陽騎士三人のみ。それも直接対面せずに、だ。……同朋よ、お主に戦神騎士ジェラルドの身分を証する品を預ける。上手くやれるか?」
「大陸東方における"砂粒"のまとめ役が、シンガにおります。我らの中では上澄みも上澄みです。お任せください」
「うむ。そして大きく広がった戦線で秘密裏に、目立たぬように五枝水軍の数を減らして回る。謎の第三勢力としてな。見返りの話は、あえてしない」
「えっ、いいんですか? どういう見返りを貰うか先にちゃんと決めておかないと、後で揉めるんじゃ……」
ナツメの心配そうな指摘に対して、ジェラルドは皺くちゃながらも吹っ切れたような笑顔を浮かべた。
そして整った白髭を撫でつけながら、朗らかに答える。
「冷めきった美味い茶を飲み干して、ふと思った。そもそも助力すべき第一王子も、国難の最中にあって後継者争いをする程度の器量だ。見返りとしてオズワルドへの牽制を求めても、飛竜の存在に怖気づく可能性が高い」
「……言われてみればそうですが。つまり、単純にシンガがク・アリエと五枝水軍に落とされないようにするためだけに、見返りも約さず助力すると?」
「シンガに対しては、そうなる。五枝川と太陽平野の恵みを取り合ってきた長年の宿敵……そやつらのここぞとばかりの大攻勢に対してさえ一致団結出来ぬならば、そんな勢力の援助は期待しない方がマシだ。仮にシンガを内部でひっかき回しておる者がいようが、それをさっさと排除出来ておらぬ時点で大差無い」
「は、はぁ……まあ、ジェラルド殿ほどの御方がそうおっしゃるのならば……」
「かといって、シンガが滅ぶのは困る。よって第一王子と太陽騎士に最低限存在を認知してもらっておいて、あとは私が勝手に動く」
「ジェラルド様お一人で動かれるんですか!? イオさんも一緒に動いた方が……」
「案ずるな、ナツメ。五枝水軍がくだらぬ小細工で、戦線を細く長く伸ばしきっておる。太陽騎士が腰を据える主戦場以外はおよそどこに行っても、戦闘は数百規模の小競り合いだ。……そうであろう?」
少し呆気に取られてやり取りを見ていた"砂粒"は、急に話を振られて我に返り、ジェラルドの推測を肯定した。
「では、私だけでどうにでもなる。どうせならば、片っ端から潰してやろう」
「し、しかし、ジェラルド殿。それで劣勢を悟ったク・アリエがオズワルドに飛竜を頼んだら……? 太陽騎士に戦況を混乱させる不穏分子として攻撃される恐れだってありますよ? あとそうまでしても、肝心の後継者争いを『オズワルドの属国になろう』と主張する第二王子が制したら……」
「飛竜は飛んでこない。太陽騎士は見て見ぬふりをする。水軍が退いて国難が去れば、順当に第一王子が玉座につく。……私はそう思って動く」
今まで思慮深く考えを巡らせ、理屈を捏ね繰り回していたのは何だったのか。
そう思えるほどに、生き残った戦神騎士の最年長はバシバシと意見を固めていく。
凄まじい自信と勢いと決めつけだ。
これが様々な可能性を考慮して、「ありえないとは言えない」と繰り返していた老賢者の姿か。
ローランは圧倒されていた。
ナツメも、唖然と口を開いている。
「『先ほどの慎重さはどこへ行った?』とでも言いたげだな、ローランよ」
「えっ……いえ、その……はい」
「覚えておくがよい。可能性はどこまでいっても可能性だ。当然、知恵を振り絞って考慮し尽くすべきものではある。だが百の可能性を考え、全てに対応出来るよう立ち回るなど不可能なのだ」
「それは……理解出来ます。とはいえ百の可能性の内の、最も都合の良い一を前提にして動くのはあまりに危険では……?」
「危険だな。むしろ賢者が念頭に置くのは、最悪の一であるべき。……だがな、ローラン。この"最も都合の良い一"は即ち、私が最大の武力と気概を発揮出来る一なのだ」
「っ!」
「この夜の暗闇で唸れば唸るだけ、可能性は増え続ける。だが一方で私達の手札は今、一切増えない。唸っているだけなのだから当然のこと。それでも動かなければならぬ」
ジェラルドが戦神の長杖を手に取り、ローランへ突きつけた。
吼える獅子を象った白銀の装飾が、まばゆく輝いている。
「ならば今の私が選ぶ可能性は、"最も都合の良い一"だ。戦神騎士ジェラルドが長年積み重ねてきた全てを出し尽くせる、最高の可能性。腹を括って、それを選ぶ。もしも大きく外れたらその時は、ジェラルドという男の人生に新たなものが積み重なるだけのこと」
ジェラルドは笑う。
強敵に挑みかかろうとして牙を剥きだす、獅子のように。
これが生き残った戦神騎士の、最年長。
最も長く、戦い続けてきた者。
ローランとナツメの困惑は、いつの間にか笑みに変わっていた。
「そして、待機中のイオはク・アリエへやる」
「な……ク・アリエへですかっ!?」
しかしさらに意表を突く発言に、ローランは思わず声を裏返した。
「大河川の都ク・アリエは現状、オズワルド側です! そして中心部はあくまで湖上ですよ? 大商人や領主だって当然、湖上にいるとのことです! もしもそこでしくじったら、イオでも逃げられないかもしれません!」
「分かっておる。だがイオの同行者が山騎士とノームという面々では、シンガで隠密行動をさせるには目立ち過ぎる。また、彼らを手放させたり別行動させるのも違うと、私の直感が告げておる。多くの人や物が雑多に集まる大商業都市の方が、奇抜な者達にはかえって動きやすかろう」
「な、なるほど……それで、ク・アリエの動きをどうやってイオに止めさせるおつもりで?」
「ふっ。それを考えるのは、イオの役目だな」
「…………」
「心躍るではないか。敵は湖上の大商業都市。仲間は湖に縁の無い、山騎士とノーム。いかなる英雄とて経験したことが無いであろう、前代未聞の"戦"だ。とはいえ攻め滅ぼすのではなく、楔を打ち込む"戦"だ。イオならば必ずや、損得にうるさい商人どもに理解させることだろう。『戦神の軍を敵に回すのは、損だ』とな。それだけでこの"戦"には勝てる」
「……あの、一体何を根拠に?」
「同朋への信頼だ」
ジェラルドの答えは、格好の良いものだった。
いや、格好良く言っているだけで、これは丸投げの無茶振りではないのか。
ローランはそう思ったが、戦神の長杖を強く輝かせたまま堂々としているジェラルドの佇まいに、口を噤んだ。
今さらながら、戦神の魔術士達はおおよそ変わり者ばかりであったことを思い出した。
この老人もまた、例外ではなかったらしい。
とはいえ、ジェラルドが立ち上がって語ったことは、理解できる。
今はどれだけ頭を悩ませても最適解が見つからないのだ。
東方の各勢力に対する接し方も、飛竜が来た場合の対処方法も。
時が流れれば、情勢だってその都度変わっていく。
この暗い夜の中であらゆる可能性を考えれば考えるほど、泥沼に嵌まるだけだ。
ならば、いっそ。
「つまり今は閃きと直感で、とにかく前を向いて行動するしかない……ということですね? それがこの、長く険しい道のりを歩むことだと」
「まさしくその通りだ、ローラン。それでこそ戦神騎士、それでこそ戦神の民だ」
「ウチも頑張ってお伴します!」
ジェラルドは満足そうに頷いて、椅子に座り直す。
そして、"砂粒"に改めて"闇の廃都"で得た丸石の分配と東方における戦神騎士達の行動の共有を頼み、最後に何か望みは無いか尋ねた。
"砂粒"の男は"闇の廃都"で戦った石の戦士達のことを聞きたいと、ローランに頼んできた。
ローランは彼らの戦士としての強さを、有り様を、"戦う意志"を雄弁に語った。
語っている間、"砂粒"は目を輝かせ、笑みを浮かべていた。
そしてローランが話を終えると、礼を述べて部屋から退出し、すぐに気配を消した。
「さあ、明日は早い。寝るぞ。就寝!」
「あ、はい」
さっさと寝台に寝転がり、毛布を被った老騎士。
勢いについていけずに眺めていると、すぐさま寝息が聞こえ始めた。
滞在中に毎晩思っていたが、とんでもない寝つきの良さである。
「ローランさん。ジェラルド様って案外……その……ヴァッセルさんやリファちゃんとは別の方向で変わってる気がします」
「……そうかもな。でも」
魔術士なんてだいたいこんなもんだろ、と言いかけてローランは黙りこくった。
"闇の廃都"で協力したセリックや宿を訪ねてきた探究者達の大半は別に、性格的には変わり者ではなかった。
そもそも当のジェラルドはつい先ほどまで、まさに賢者とはかくあるべきというような、厳かで思慮深い態度を貫いていたのだ。
それが急に捲し立てて急に結論を出し、そしてもう寝息を立てている。
開き直ったと思うべきか。
熟慮の後の果断と思うべきか。
フォルラザ滅亡後にようやくジェラルドと深く関わり始めたローランには、判断がつかない。
だが、先ほど暗闇を照らしていた戦神の長杖の輝きは、蝋燭の灯りなど足元にも及ばぬほどに、力強かった。
いつだってそうだ。
戦神の武具は、自分達に勇気と闘志を与えてくれる。
自分達の勇気と闘志に、応えてくれる。
理屈は、言葉にしなければ語れない。
しかし自信や希望、信頼は言葉以上のもので、語ることが出来る。
あの輝きと、それに照らされた同朋の皺くちゃな笑顔が、そうだった。
「やってやろうじゃねえか。俺だってジェラルド殿にもイオにも、絶対負けねえ」
そうだ。
今はやれることを、全力でやるべきなのだ。
「……俺達も寝よう。次はザリアの"霊狼"だ。頼りにしてるぞ、ナツメ」
「はい、お任せください!」
蝋燭の灯りで照らされる、従者の花のような笑顔。
ローランはいつものように少女の頭を撫でて、蝋燭を消して寝台に横たわった。
ナツメもそうしたが、少しして起き上がり、無言でそっとローランの寝台に上がってきた。
ローランは何も言わずに毛布を一緒に被り、そのまま二人で、眠りに落ちていった。
………
……
…
翌朝。まだ日が昇る前。
ローラン達は外套のフードを目深に被り、予め教えられていた目立たない通用門を使って、都の外に出た。
都近くの暗い森の中で、最後のやり取りを交わす。
「ではな、ローラン。しばしの別れだ。ザリアの件がひと段落したら、また連絡を寄越すこと。……戦神に、勝利を!」
「はい! 戦神に、勝利を!」
ローランは大剣を、ジェラルドは杖をそれぞれ掲げ、ぶつけ合った。
そして老騎士は、北のシンガへ颯爽と駆け去っていく。
自分達は、西のザリアだ。
「……ナツメ。悪いけど、人目の無い場所ではお前を抱えてひたすら走るぞ」
「鍛え直しのため、ですか?」
「そうだ。ラガニアでの滞在が長すぎて、鈍りまくってるからな。"霊狼"にも出来るだけ早く会いたいし、会うまでにきっちり勘を取り戻したい」
「ふふっ。よろしくお願いいたします、ご主人様」
どこか気取ってお淑やかに畏まった礼をする、十三歳の少女。
こういう作法もまた、ジェラルドから教わったものだ。
ローランは背伸びする微笑ましい従者を抱きかかえ、一気に駆け出した。
「きゃーっ! あはは!」
道のりは、まだまだ長い。
だが着実に、前へと進んでいた。
次回から視点が変わります。
なお、戦神騎士十人の簡単な概要と現在の動向をまとめておきます。
大陸地図と合わせてご確認いただければ幸いです。
【挿絵表示】
・ローラン:騎兵、大剣使い → 従者のナツメとザリアの"霊狼"の元へ
・ノーラ:指揮官、旗槍使い → 月の国マーブリスへ協力
・ニコル:双剣使い → ノーラ指揮下
・ノア:騎兵、大剣使い → ノーラ指揮下
・グリムロ:副長、大斧使い → 北方で"蛮地"を攪乱
・ジェラルド:古参、魔術剣士 → 太陽の国シンガへ協力
・イオ:魔術士 → 大河川の都ク・アリエを攻略
・ウィルフレッド:騎兵、槍使い → 南方で竜神の国オズワルドの総督府を攪乱、山の民と接触
・アレクシス:魔術士 → ウィルフレッド指揮下
・ケイト:弓兵 → ウィルフレッド指揮下
お話がかなり広い範囲で展開されるので、時折こういうまとめをする予定です。