戦神騎士物語   作:神父三号

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第43話 ディーンの国・俺達の国

 商人レーンが自ら南方総督府を訪れてきた、数日後の夜。

 

 指がパチンと打ち鳴らされる音と共に、ディーンの居室が一気に明るさを増した。

 滅多に使わない、天井にある照明器具の蝋燭数本に、火が灯ったのだ。

 

「それにしても驚いたわ。大陸中央の覇者オズワルドの王子様が、こんな質素なお部屋で暮らしているだなんて」

「……元々は戦死したフォルラザの世継ぎの王子の居室だったそうだ。城が落ちてもここは無事だったから、特に家具も新調せずにそのまま私が使っている」

「掃除用具まであるけれど、これもその王子様の遺品?」

「そうだ。私は流石に自分で掃除する気にはなれないから、掃除は下女にしてもらっているが」

「ふうん。戦神の寵愛を受けていた国なだけはあるわね。贅沢や放蕩なんて、王族ですら頭に無かったのでしょうね」

 

 エルフの女はそう言うと、腰かけていた寝台へ勝手に仰向けになった。

 世の風評通りの、奔放な振る舞いである。

 ディーンは咎める気も起きず、自分は机の傍の椅子に腰かけた。

 

 種々の対応や議論が落ち着いて、ディーンがちょうど一息ついた頃。

 かつて"竜鱗"に紛れて接触してきたエルフの女ミイメは、その時を見計らっていたかのように再び姿を現した。

 それもディーンの居室へ、夜分に直接である。

 

「ああ、心配しないで? 音や気配は外に漏れないようにしてあるから」

「近衛兵が駆け込んでこない辺り、そうなのだろうな。エルフの黄金の魔術というものか」

「そうよ。面白いでしょう?」

「面白くはない。むしろ不安だ」

「あら。やっぱりわたしはあの乱暴者の飛竜の同類に見えるって?」

「……機嫌を損なえば、即殺される。そういう意味では、失礼ながら飛竜バルトとあなたは私にとって同類だ」

「ふふっ、安心して? エルフは指一本や言葉一つで人間を殺せるほど無法ではないから」

 

 ミイメは寝台の上で仰向けのまま、片手を掲げた。

 すると開いた掌から淡い緑の光球が浮かび上がり、ふよふよとディーンの前まで近づいてくる。

 よく分からずに光を見つめていると、警戒や恐怖がやんわりと薄れていった。

 

「……心を操る魔術か?」

「考え過ぎ。ただ緊張をほぐすだけの光よ、それは」

 

 それでも心に働きかけていることに変わりは無い。

 ディーンは最初そう思ったが、よく考えれば人間も言動や文書で相手の心に働きかけるのだ。

 ミイメはそれを魔術という力でやっているだけ、という認識なのだろう。

 

「早く本題に入ろう。ミイメよ、何の話がしたくて私の元へ?」

「きみはここに来るまで、都でどういう生活を送っていたの?」

「……それは本題か? エルフが好む、からかいとやらか?」

「ちゃんと本題よ。あの時言ったでしょう? 『きみに少し興味が沸いた』って。別にここの政策とか、戦神の使徒や大陸中央との駆け引きとか、わたしはそういうことには興味無いの。興味が沸いたのはあくまで、きみ個人にだけ」

 

 ミイメは身体を起こして、脚を組んだ。

 旅に用いられる外套とは少し違う、長くゆったりとした外衣。

 その薄手の布地の下で、程よく肉のついた太ももが色っぽく重なるのが分かる。

 

 こちらに向けられた鮮やかに煌めく碧眼。

 左目の下には、視線を美貌へ強引に吸い寄せる泣きぼくろ。

 垂れた金色の前髪をそっと耳にかける、誘うような仕草。

 

 毒婦。

 

 エルフのミイメはやはり、腹心の将ゲイリーがそう評した通りの女である。

 深くのめり込めば、全てが台無しになる存在だ。

 ディーンはそう直感し、女から視線を無理やりそらして、緑の光球を見つめた。

 それを見てクスクスと笑う声すら耳に心地良いのだから、ある意味バルトよりたちが悪い。

 

「……私は妾の母から生まれた、四番目の王子だ。妾腹故に軽んじられはしたが、それでも大国の王族らしい裕福な暮らしを送ってきた。こんな部屋でフォルラザの世継ぎが暮らしていたことに、衝撃を受けるほどに」

「そうでしょうね。あの白塗りのお城、内も外も凄く豪華だもの。どうしてあれだけ飾り立てる必要があるのか、わたしでも分からないくらい」

「オズワルドの王城に入ったことがあるのか?」

「あるわよ? あそこの着飾った人間はお友達同士で集まってひそひそ話すことに熱中しているから、わたしが姿を変えて紛れ込んでも、誰も気にしなかった。あの様子だと戦神の諜報くらいの力があれば、調略も暗殺もし放題ね」

「……だろうな。大戦中にフォルラザが手段を選ばずに本気で諜報を活用してきていたら、たとえ飛竜がいても王城の内部は壊滅しただろう」

 

 ディーンが南方総督に着任した日、腹心の将ゲイリーが隻眼から涙をこぼしながら語っていた。

 「手段を選ばずに勝つ」という選択肢が、そもそも戦神の国には存在しなかったのでは、と。

 

「きみの裕福な暮らしって、具体的にどんなものかしら?」

「何をするにも、傍で世話をしてくれる者達がいた。朝起きて、顔を洗うための水を持ってくる者。服を着替えさせてくれる者。部屋から出て廊下を歩けば、常に十人の近衛兵がついてきた。中庭に出る時は、それは二十人に増えた」

「…………」

「食事で苦手な物が出て残しても、何も咎められない。次からそれは出て来なくなる。剣術や学問、政治、軍事の教師達がいたが彼らに怒られたことは一度も無く、何をしても常に褒められた。何か物語が一冊読みたいと言えば、すぐさま十冊が用意される。私の前で失敗した使用人や下女は、私が許しても……姿を消した」

「凄いわね。人間なら誰もが夢に見そうな、この世の理想の生活だわ」

「ああ、まさしくな。……妾腹の私ですら、こういう扱いだったのだ。妃腹の兄妹は、さらに極まった暮らしぶりだっただろう」

「そんな理想の生活なのにそれでもきみは、妾腹故に軽んじられていると感じていたの? 自分は不遇だと思っていたの?」

 

 ミイメは艶然とした微笑みを崩さない。

 僅かに俯き、上目遣い気味にこちらを見つめてくる。

 ディーンはその視線に耐えきれず、再び光球を見入った。

 

「……本気で思っていた。国の大々的な式典や竜神に対する儀式の際は、見物はたまに許されても正式な関与は一切認められなかった。妾である母を遠回しにいじめたり嘲っている者達がいることも、知っていた。今思えばあれだけ裕福に暮らしていてその程度の不遇が何なのだという話だが……子供の私は、それらがとても悔しかった」

「贅沢なお悩みですこと」

「その通りだと思う。それでも幼い私にとっては、大きな苦悩だった。だからだろうな。ある時から竜神の国の王子として与えられていた相方の飛竜……ネリスの元に通うようになった」

「変な子。飛竜の所なんかに行ってどうするの?」

「愚痴だ。母は飛竜の褥に入るのをひどく怖がったし、近衛兵もついてくるなと言えば素直に下がった。だから一人でネリスと向き合って、ひたすら愚痴をこぼした。『昨日、あの式典の見物を許されなかった』『今日、何があったのか母が悔しそうに俯いていた』『兄がそれとなく嫌味を言ってきた』……」

「ふふっ、そんな愚痴をぶつけられる飛竜が可哀想だわ」

 

 目を細めてゆったりとした袖で口元を覆い、ミイメが上品に笑う。

 耳をくすぐる、美しい声音。

 それに煽りたてられるようにディーンの言葉が強く熱を帯びて、溢れ出す。

 

「……ネリスは一度も、俺の愚痴に応えてくれなかった。目を閉じて無視してるか、時折わざとらしく欠伸をかいて、俺に一瞬視線を寄越すだけ」

「当然の反応ね。愚痴の相手が人間でも、そうするのではないかしら」

「よく殺されなかったなと、今さらになって思う。しかもそんなことをしてた癖に、俺はネリスが嫌いだった。いや、飛竜という存在そのものが」

「どうして? その飛竜の力で守られている、竜神の国の王子様なのに」

「虫けらを見るような目。ネリスはいつも、そんな目で俺を見た。ネリスだけじゃない、褥や行事で見かける他の飛竜達の目だって。『自分達は虫けらのままごとに暇潰しで付き合ってやっている』……どいつもこいつも、そういう目をしていた。俺はそれが、気に食わなかった」

 

 語りながら、ディーンは幼少の頃を深く思い出す。

 間違いなく、ネリスを初めとする飛竜達はいつも冷めきった目をしていた。

 

 だが改めて振り返ると、周囲の人間達だって似たようなものだったと感じる。

 妾腹の自分に仕えて笑顔を取り繕う者達の目は一様に、『自分は無駄なことをしている』と物語っていた。

 妃腹の兄妹に至っては、ネリスと同じような目で自分を見ていた。

 あるいはそういう人間達には憚って向けられなかった幼い嫌悪もまとめて、物言わぬ魔物の飛竜達へと向かったのだろうか。

 

 しかし仮にそうだとしても、自分が子供の頃から飛竜を嫌っていたのは確かだ。

 嫌っていたのに、頻繁にネリスの元へ通っていたことも。

 

「気持ちは分かるわ。あいつらはわたしが飛竜の谷を訪ねても、とても偉そうにするもの。まあ、そう出来るだけの力と格を持った魔物ではあるけれど。ほとんどの人間なんて、それこそ虫けら同然なのでしょうね」

「『我々飛竜にすがるしかない癖に』……裁きを下した時、飛竜バルトにそう言われた。自分達飛竜は、一にして全だとも。だからきっと奴のあの言葉は、全ての飛竜が俺達竜神の民に対して感じていることなんだろう」

「……あいつと話を? きみが?」

「ああ。俺が南方総督に着任した夜には、ネリスからも言われた。竜神の国は『くだらない集まり』だとな。……本当にどこまでも、人間を見下した奴らだ」

「飛竜と話したのは、その二回だけ?」

「そうだ。あとはどれだけ語りかけても、口を利いてもらえなかった」

「…………」

 

 ふと、沈黙が流れた。

 ディーンが光球からミイメに視線を移すと、彼女は目を細めてこちらを見つめていた。

 真剣な表情だった。

 美貌から、わざとらしい艶気が消え失せている。

 

 話すべきでなかったことを、話してしまったのかもしれない。

 そう感じたディーンはミイメに対して、「聞かなかったことにしてほしい」と頼んだ。

 彼女はそれで再び穏やかな笑みを形作り、話の続きを促してきた。

 

「そうやって愚痴をこぼす日々が過ぎていったある日……俺はネリスに跨って空を飛んでもらった。近衛兵達の制止も聞かずに」

「まあ。何て無謀な王子様」

「当然大問題になって、父にも母にも厳しく叱られた。飛竜は竜神の末裔であり、至上の存在。選ばれた騎手でもないのに、軽々しく乗っていい存在ではない。馬ならばいずれ与えてやる、と」

「当然の反応ね。飛竜は国家の最高戦力で、竜神信仰の象徴なのだから」

「結局、子供だった俺はまともな反論なんて出来ず、飛竜の褥に近づくことを禁止された。好きに愚痴をこぼせる唯一の相手も、失った」

「可哀想に。でも周囲の人間からすれば、きみは身の程知らずに見えたことでしょうね。自分と母親の立場を、より苦しいものにしただけ」

「……だが、それから俺は馬鹿なことを始めた」

「馬鹿なこと?」

 

 ディーンは自嘲の笑みをこぼしながら、額をかいて言葉を続けた。

 

「部屋に引き篭もって、幼いながらに父である王を説得する理屈を考えたんだ。再びネリスに愚痴をこぼすために……そして一緒に飛ぶために」

「…………」

「『王族として相方の飛竜を与えられているのに、何故その相方に乗ってはいけないのか?』『飛竜ネリスが一度私を乗せて飛んだ以上、私はもうネリスに選ばれた騎手であるはずだ』……高級な紙を何枚も無駄にしながら、そんなことを自分なりの言葉にしようとしていた。父である王に、正式に上奏するために」

「正式に上奏って。うふふ……まだ幼い子供なのに?」

「笑えるよな。だけど、あの頃の俺は本気だった」

「頑張っていたようだけれど、聞いている限りだと『軽々しく乗っていい存在ではない』に対する反論にはなっていないわね」

「子供だった俺に、そんな論理的な思考はなかった。だから思いつく限りの屁理屈を文書にして、父である王の部屋へ行き、オズワルドの第四王子ディーンとして"正式に上奏"した」

「ぷっ、くふふ……本当にどうしようもない子」

 

 ミイメが肩を揺らし、楽しそうに呟く。

 ディーンもまた、恥ずかしい思い出に顔を火照らせながら苦笑した。

 

「それで? 第四王子様の"上奏"は通ったの?」

「通った。王は『好きにしろ』とだけ言った」

「すごいじゃない、大逆転ね。どうして王様はきみのおままごとを認めてくれたのかしら?」

「さあな。すぐにネリスの怒りを買って殺されるとでも思ったんだろうよ。別に、王が俺に特別目をかけてくれてた覚えは無いしな。どこまでも妾腹の第四王子としてしか、見られてなかったはずだ。だから、あの『好きにしろ』は多分『勝手に死ね』という意味だったんだろう。……だけどその時の俺は、"上奏"が通ったことを無邪気に大喜びした」

 

 少し話し疲れたディーンは天井を見上げ、軽く息を吐いた。

 そうして顔を下ろすといつの間にかミイメが椅子に腰かけて、机を挟んで対面していた。

 

「っ」

「うん? どうしたの?」

 

 こちらの動揺を見透かしたように、ミイメが小首をかしげた。

 間近で見ると、やはりあまりにも図抜けた美貌だ。

 左目の下の泣きぼくろが、完全な均整の取れた容貌の調和を僅かに崩しており、それがいっそう美しさと官能を強めている。

 ディーンが何とか緑の光球に視線を逸らそうとすると、エルフの女は指をパチンと鳴らして、それを消した。

 夜の居室を照らすものは、天井から吊るされた照明器具の、数本の蝋燭の灯りだけとなった。

 

「……もういいだろ。蝋燭がもったいない。総督府はまだまだ物が不足してるんだ。夜にあえて話す必要は」

「蝋燭がすり減る火は点けてないわ。お話、続けて?」

 

 机に頬杖をついて、ミイメが微笑む。

 くつろげられた衣の胸元には、深い谷間が覗いている。

 ディーンの顔は燃えるように熱くなった。

 胸が剣の鍛錬を終えた後のように、高鳴っている。

 半ばやけくそで再び口を開いた。

 

「『好きにしろ』と王に言われたんだから、好きに乗ってやろうって俺は考えた。暇さえあれば、ネリスに乗って空を飛んだ。最初は他の飛竜兵が護衛か監視についてきていたが、それもすぐに無くなった」

「空をしょっちゅう飛んで、それで何か楽しかったの?」

「楽しかったさ。『この空の上では色々な面倒ごとから解放されてるんだ』って幼い俺は感じてた。いつも物憂げにしてる母、会う度に嘲ってくる妃腹の兄妹、作り笑いが見え透いた傍仕え達。空の上には、面倒な奴らは誰もいなかった。高級な服を着込んでいても風は冷たくて、空の上から見る竜神の都は整然として美しかった。王城も太陽の光に照らされて、一際白く輝いて見えた」

 

 だけど、と呟いて、ディーンは対面するミイメから机に視線を落とした。

 

「少しして、都の外が気になった。王城で生まれ育った俺は、都の中すら満足に歩き回ったことが無い。外がどうなってるかなんて、全然知らなかった。だからネリスに頼んで、都の外まで飛んでもらった」

「……それで?」

「叡智あるエルフのあなたなら、分かってるだろ? ……俺は竜神の国の"現実"を見た。大陸中央の肥沃な大地で育つ、色とりどりの作物。その間を忙しなく行き交う民。だけど彼らが作物を収穫して戻っていく村は、ひどく寂れてた」

 

 ディーンは俯いたまま、拳を固く握りしめた。

 あの光景を初めて目の当たりにした時の衝撃が、蘇ってくる。

 

「最初はたまたまおかしな村を見ただけなのかと思った。たくさんの作物を育ててるのに、村が寂れてるなんておかしい。村長が悪人なのか、何かに失敗して罰を受けてる村なのかと思った」

「だけれど、違った。どこまで飛んでも、どの村も同じようなものだった。たまにある大きな街は防衛用に整備されているだけで、それ以外は全然」

「……ミイメの言う通りだ。俺は時間をかけて何度も、ネリスと一緒に国中を飛んで回った。許しを出してくれた王がそれでもなお怒るほど頻繁に、ひたすら空へ上がった。そして国の有り様を、空の上から見た。普通の村や街だけじゃなく、賤民の住む僻地も。飛竜を養うための特別な作物や家畜も。富を片っ端から都に集約し、飛竜に媚びへつらい、同じ竜神の民から搾取するオズワルドの有り様を見続けた」

「ご立派ね。竜神の民の"現実"を知る、聡明な王子様」

「ああ、自分でもそう思ってたさ。一切応えない冷めた目の相方にひたすら愚痴を吐いて、時には民や自分の身の上を想って泣いて……だからそうやって悩んでるだけ、他の王族より自分は上等なんだと思ってた。……この南方にやってくるまでは」

 

 舌を回す内に、ミイメの美貌はディーンの心に引っかからなくなっていた。

 澄んだ碧眼にしっかりと向き合い、心の内を曝け出す。

 

「俺は都の外への同情と、飛竜への嫌悪と、それによって芽生えた野心を心の中で積み上げて……やがて成人した。そして大戦で荒れ果てたこの南方に厄介払いで飛ばされてきて、せっかくだからこの好機を活かしてやろうと考えた。大陸南方を"俺の国"にしてやるって。大陸中央みたいな憐れで非力な民から搾取し続ける傲慢な国とは違う……素晴らしい国をこの俺の手で作ってやるって」

 

 ミイメが微笑を浮かべたまま、そっと目を細めた。

 心の奥底まで、見透かすように。

 

「……でも、地に足をつけて見る"現実"は、空の上から見る"現実"とはまた違っていた」

「ああ、そうだ。ここで色々な人や物事に触れて、こうやってあなたと話して頭の中を整理してみて、今ようやく気づいた。俺が子供の頃から見てきたものは、あくまで上辺だけだったんだ」

 

 ディーンは南方総督府に来てからの日々を、思い返す。

 

 初日の腹心達との会話。

 隻眼の将ゲイリーが恥を曝け出すかのように語った、飛竜任せの大戦。

 若き文官オルソンが頬を紅潮させて語った、理想の南方統治。

 

 最初は王子という雲上の存在にひどく遠慮していた、身分の低い将や文官達。

 彼らもいつの間にか、ディーンが玉座に座る大広間で声を張り上げて率直に意見を言うようになった。

 自我を剥き出しにして唾を飛ばし合い、ディーンがまとめに入らなければいつまでも総督府の現状や将来を議論しているようになった。

 

 本国の各集落から強制的に徴兵されてそのまま南方に取り残された、憐れな兵士達。

 彼らは日々大声を出し、総督府周辺の荒れ地を頑張って開墾していった。

 この戦神の都跡に積み上がった瓦礫や木片の山を、使える物と使えない物とにてきぱきと選り分けて、片付けていった。

 汗を拭い、「疲れた」「腹が減った」と愚痴りながらも、逞しく生き生きと働き続けている。

 

 二人の腹心に固く言われた通り、ディーンは戦神騎士達の襲撃を警戒して、滅多に総督府の外へは出ないようにしている。

 それでも時間があれば近衛兵を連れて総督府の中を歩き回って、皆と言葉を交わしてきた。

 そうして、多くの竜神の民の生き様を見た。

 

 飛竜の鱗一枚の価値しか与えられなかった僻地の賤民達の、死に様も。

 

「竜神の民は飛竜にすがりつかなければ何も出来ない、憐れで無様な人間達の集まり。ネリスと一緒に空を飛び続けた俺は気づけば、そういう考え方をするようになってた。バルトに指摘されるまでもなく。だからこのままじゃ駄目だって。この機会に自分が変えてやらないといけないんだって……そう思ってた」

 

 ディーンは語る。

 今までの自分の想いを。

 

「将や文官、そして兵士。南方を任された奴らは、半ば追放された無能ども。俺や腹心達が号令してやらなければ、どいつもこいつも到底役に立たない。ここに来た頃の俺は、そう思ってた。同朋の皆を、見下してた」

 

 だけど。

 

「だけどこうして総督府での日々を思い返せば、竜神の民は決して弱くなかった。確かに心の中では皆、飛竜の存在を拠り所にしてるだろうよ。指示を受けてようやく動き始めることの方が、ずっと多いだろうよ。それでも今の総督府では誰もが、自分に出来ることを精一杯やってる。……敵に回った"竜鱗"達だってそうだ。たとえ竜神の民であることを恥としか感じられなくても、同朋のことを想って頑張ってる」

 

 このままじゃ駄目だ。

 変えないといけないんだ。

 その想いは、今でも変わっていない。

 だが、もうそれは決して自分一人で抱え込むものではない。

 自分一人で、傲慢に背負った気でいる想いではない。

 

 

「竜神の民は俺が思ってたよりも、ずっと強かった。戦神の民のような武力や信仰は無くても、頑張って生きられる強さをちゃんと持ってた。だからきっと、俺達は変わっていける。変えていける。大陸南方は"俺の国"だ。でも、"俺達の国"でもあるんだ」

 

 

 ディーンの独白に対して、ミイメは何の応答もしない。

 ただ頬杖をついたまま、微笑み続けている。

 じっと、見つめ合う時間が過ぎていく。

 絶世の美貌と対峙しているのに、ディーンの心は水面のように穏やかだった。

 ミイメの碧眼の中に、自分自身がいた。

 力強く、微笑んでいる。

 

「……ねえ、ディーン。わたしが最初に言ったこと、覚えている?」

「ああ、覚えてるとも。あなたが興味を持ったのはあくまで、俺個人にだけ」

「なのにどうして、竜神の民について語るの?」

「俺個人のことを語ろうとすれば、自然とそうなってしまうからだ」

「なぜ?」

 

 ディーンは答える。

 

「俺が竜神の国の王子であり、一人の竜神の民だから」

 

 また見つめ合う静寂が、居室に満ちる。

 やがてミイメは頬杖をやめて目を閉じ、背もたれに身体を預けた。

 ディーンもそうして、一旦頭と舌を休めた。

 

「……人間はやっぱり、どこへ行っても面白いわね」

「え?」

「面白さにもいくつか種類があるけれど、ね。でも、きみが持つ面白さ……わたしは好きよ」

「……えー、あー」

「あ、勘違いしないでね。一人前の殿方としては、まだ見ていないから。ふふふっ」

「なっ、何も勘違いなんてしてないっ!」

「あら、そうなの? ぼっと顔が赤くなったから、何か期待しているのかと思ったわ」

 

 わざとらしく衣の胸元をパタパタとするミイメ。

 見え隠れする純白の深い谷間から、ディーンは無理やり顔を背けた。

 エルフの女はそれを見て、喉の奥を鳴らすように小さく笑う。

 耳の中に滑り込んでくる甘い声音に、また胸が高鳴り始めた。

 

 やはり、魔性の女だ。

 自分がどこまでも魅力的であることを、理解し尽くしている。

 

「……夜分に押しかけて、総督閣下の貴重な休息をお邪魔してしまったわ。お詫び申し上げます」

「構わない。人払いをして大広間で会うのも、手間がかかるからな」

「へえ。じゃあこれから毎晩遊びに来ようかしら?」

「そ、それは困る」

「うふふ、冗談よ。わたしもそこまで暇じゃないから」

「……『エルフは時間が有り余っている』と言っていたはずだが」

「まあ。覚えてくださっていたのね。わたしの中でまた少し評価が上がりましたわよ、閣下?」

「もういいから。分かったから。これ以上からかわないでくれ」

 

 ミイメは童女のように無邪気な声をあげ、ころころと笑った。

 妖艶な女性がわざとらしく幼げに振る舞っているというのに、それでも匂い立つような色香が漂ってくる。

 

「っ……」

 

 ディーンは全身を強張らせ、質素な机のシミを睨んだ。

 一度気が緩むと、どうしてもこの"女"を意識してしまう。

 無性に、色々と辛くなり始めた。

 怒鳴って帰らせようかとも思ったが、何故か行動に移せない。

 

「ねえ、ディーン」

「……何だ」

「お姉さんを楽しませてくれたお礼に、一つ。きみの願いごとを聞いてあげるわ」

「!?」

「三つから選ばせてあげる。どれか欲しいものを言いなさい? 一つ目、今植えてある作物が早く立派に育つようにする。二つ目、南方に潜む戦神の軍の居場所。三つ目……わたしとの夜」

「……! これ以上からかうなと言ったはずだが」

「本気よ。きみのお話はそれだけ面白かったもの。あとこれでもわたしは"大草笛"なんて異名でも呼ばれる、凄いエルフなの。どれを選んでも、きっとご満足いただけると思うわ……うふふっ」

 

 ミイメは背もたれに身体を預けたまま、見せつけるように脚を組んだ。

 妖しく輝く碧眼と泣きぼくろが、じっとディーンに向けられている。

 濡れた舌先が、僅かに開かれた唇からちろついた。

 

 このエルフより、バルトの方が遥かにマシだ。

 

 ディーンはそう確信した。

 必死に目を閉じようと試みるも、しかし"男"の本能によって対面の"女"を見つめ続けてしまう。

 だが、敗けられない。

 敗けてなるものか。

 

「……南方総督府は、あなたの特別な助力を必要としない。私個人もそうだ」

「本当にいいの? こんな機会はもう二度と無いかもしれないわよ?」

「飛竜の武力頼みの支配はしないと、私は皆に宣言した。ならば気まぐれにやってきたエルフの強大な魔術を頼むのはいいのかと言えば、それも違う。大陸南方はあくまで人の営みによって統治し、豊かに繁栄させていく。私の……いや、私達自身の力で」

 

 毅然とした表情を作り、ディーンは言い放つ。

 "女"は笑みを崩さず、小さく頷いた。

 

「……そう。分かったわ、総督閣下。私は貴方のご意志を尊重いたします」

 

 ミイメはゆっくりと席を立った。

 そして初対面の時のように、優雅で独特な拝礼をしてみせた。

 

「あ。でも、たまには遊びに来るわね」

「は? 何で?」

「何でって。決まっているじゃない。お姉さんはきみが気に入ったからよ」

「っ……!」

「ふふっ、そうそう。そうやってすぐ真っ赤になるところとか、格好つけなところがね」

「う、うるさいっ! もう帰れ! 俺は疲れてるんだ!」

「ええ、そういたしますとも。じゃあ、おやすみなさい。ディーン」

 

 どこからともなく取り出した木の葉で、ミイメは草笛を吹く。

 居室に反響する音と共に、エルフの女は姿を消した。

 天井の照明器具の灯りが、ゆっくりと、薄れていった。

 

「……はぁ~~」

 

 暗くなった居室の中で、ディーンは深いため息を吐いた。

 まだ強張りが収まらず、椅子から立ち上がれそうにない。

 

「飛竜。戦神騎士。さらにエルフが追加か。……大陸南方は、本当に"戦地"だ」

 

 その上、誰も彼も自分に対して「格好つけだ」と言う。

 別に格好をつけているつもりなど無い。

 南方総督府の長として、相応しい振る舞いをしようとしているだけだ。

 十七歳の小僧が背伸びして見えるというのならば、そんなものは時間が解決してくれる問題でしかない。

 それの何が悪い。

 

「ふん。じゃあ、いくらでも格好つけてやる。どいつもこいつも、見てろよ」

 

 ディーンはようやく気持ちが落ち着き、席を立った。

 そのまま寝台へと寝転ぶ。

 連日の疲れが溜まっていたのか、十七歳の南方総督は瞬く間に眠りの中に落ちていった。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 次の日の朝。

 ディーンは豪奢な飛竜の褥の周辺から人払いをして、相方の飛竜ネリスの室に一人で入った。

 いつも通り、くだらない愚痴をこぼすためだ。

 総督着任の夜のように言葉を交わしてくれないのは、もう分かっていた。

 バルトだってあの裁きの一件以降は、建国者の"秘めた契約"について尋ねに行っても、ひたすら無視してくる。

 だからネリスに対しては昨夜の面倒くさいエルフの女のことを、一方的に愚痴ってやるつもりだった。

 しかし。

 

『……あの牝の匂いだ。この前より強い』

「え?」

『また地母神の子と会ったな、ディーン。それも、今度は二人きりだろう』

「地母神の子? ミイメのことか? 彼女はエルフで……いや、地母神って何だ?」

『"随分と良いご身分だな"。……当分、私の寝床には来るな。反省しろ』

 

 ようやく再び口を利いてくれた、幼い頃からの相方であるネリス。

 彼女はそう言うと一旦立ち上がり、あえてディーンに背を向けて寝転び直した。

 

「……何だよそれ。反省って……お、俺が悪いのか?」

 

 ディーンは呆然と、相方に問いかける。

 しかし彼女はそっぽを向いたまま、さっさと寝息を立て始めた。

 どうしようもなく、立ち去るしかなかった。

 

『ククク……ハハハハッ!!』

 

 巨大な褥の最奥から、バルトが愉快そうに笑う声が聞こえてきた。

 




次回から視点が変わります。
次は大河川の都ク・アリエ攻略を指示された、戦神騎士イオの話になります。

この物語の主役はあくまで十人の戦神騎士達なのですが、復讐相手である竜神の国オズワルド側唯一の視点がこのディーンというキャラクターであるため、どうしても描写が長くなってしまっています。
まだまだ続きそうです。お時間のある時にお付き合いいただければ幸いです。
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