フィンを同行者に迎えたイオが東方の旅を再開して、数日後。
とある小さめの、だがかなり鬱蒼とした山の麓にて。
「……ねえ、イオ。大地が揺れてるよ? この山の向こう……ちょっと離れたところで、大勢の人間とか馬とかが集まって騒いでるみたいだ」
「そっかー。やっぱりね」
落ち葉だらけの地面に片手をつく、ノームの少年フィン。
その横でイオは、戦神の杖をくるりと一回転させた。
杖の頭を飾り立てる白銀の獅子が、きらりと光る。
イオの杖は、戦神騎士の後輩ローランから貰った老エルフの首飾りによって、見た目も戦神の加護も完全に他者には欺かれている。
大商業都市ヴァルゲンにおいて知己のドワーフに見せた段階で亜人にも効き目があることは分かっていたが、ノームのフィンに対してもやはり有効だった。
ドワーフはこの手の道具を用いた誤魔化しにはかなり敏感な種族なのだが、それすら完全に欺けた辺り、この首飾りを作った老エルフが尋常ならざる手練れであることが窺えた。
ならばやはり、あの黄金のスクロールも「巡り廻って、役に立つ」重要な代物なのだろう。
実際にローランはそれを携えてラガニアに行き、大きな成果をあげた。
同盟者の"砂粒"が運んできた情報によれば、ローランは例の老エルフと道中で再会して、彼女の紹介で次は高原地帯ザリアの"霊狼"を訪ねるという。
魔術士として、非常に羨ましい。
何故よりによって、ローランなんかにそんな貴重な出会いが連続して。
旗頭のノーラも西方のエルフ達と強固に連携していると聞くし、何故自分にはそういう出会いが無いのか。
いや、今はそんなことよりも。
「やっぱりねって……イオも大地の声が聞こえるの?」
「いんや? あたしが感じてるのは一人だけ。あちらさん、武の気配剥き出しにしてるからね。多分、戦かな」
山一つ以上離れていても、イオには微かに感じ取れた。
のしかかってくるような、武の気配。
懐かしい感覚だ。
大陸南端を囲む大山脈を巡っての、激闘の日々。
自然と笑みが浮かぶ。心が躍り出しそうだ。
強者との再会に胸が高鳴るのは、戦神の民の性だろう。
「よーし。久しぶりにかっとぼうかな!」
「えっ、何……うひゃぁ!?」
イオが杖を掲げて振り下ろした直後、フィンが悲鳴を上げて腰を抜かした。
『グルルッ……』
魔力で形作られた、"赤獅子"が唸る。
戦神の魔術士達の、最も頼みとする魔術だ。
本来は殺意を全力で注ぎ込み、敵の軍勢や拠点にけしかけて縦横無尽に暴れ回らせる業なのだが、ある程度制御を覚えると、体格や獰猛さを抑えて移動用にも行使出来る。
馬と違うのは、強固な魔力の身体によって障害物を蹴散らしつつ素早く移動出来るところだ。
非常に目立つからあまり使いたくはないが、少しくらいはいいだろう。
早くしなければ、武の気配の持ち主が戦を終わらせてしまうかもしれない。
「な、なな、何これ……!?」
「大丈夫。あたしの敵以外は勝手に襲わないから。よいしょ。ほらフィン、乗った乗った!」
「この感じ、魔術だよね? 乗れるんだ、すごい……」
困惑しつつも器用によじ登ってきたノームの少年を後ろに乗せ、イオは"赤獅子"を動かした。
ゴガッ。バキッ。
動き出した魔力の獅子は木や岩を次々に粉砕し、山の斜面を直進で力強く駆け上がっていく。
「いぃぃっ!?」
「うーむ。もしやこういうことをたまに気分でやるから、あたしはエルフと出会いが持てないのかなー……それともローランやノーラはエルフに気に入られる匂いでも出してたり?」
引きつった声をあげ、しっかりと背にしがみついてくるノームの少年。
一方でイオは、束の間の思索にふけった。
そうこうしている内に"赤獅子"はさっさと頂上目前まで登りきった。
「ぷはぁっ! はぁ、はぁ……! こ、怖かっ……いや、ビックリしたぁ……」
「……いた。よかったー。思った通り、まだ始まってないみたい」
消滅していく"赤獅子"。へたり込んで息を整えるフィン。
それらに構わず、イオは気配を消して山の頂上から前方の野原を眺めた。
やはり戦だ。
戦神の民の本能と経験が、状況を素早く分析する。
おおよそ、五百と七百。
二つの軍が、矢の曲射がぎりぎり届くか届かないか程度の距離で対峙している。
兵士の質も遠目に七百の方が良く、それなりの横陣が組めている。
五百の方はただ漫然と集まっているだけで、まともな陣形になっていない。
騎兵の数だって、倍以上違う。
よほど将に差が無い限り、七百が勝つ戦だ。
五百のだいぶ後方には、小国の都と思しき市街。
大陸全土の乱れに乗じて、隣の小国に攻め込まれたか。
しかし、どちらも動かない。
静かな戦場だった。
合わせて千二百人ほどもいる兵士達は皆、自軍を鼓舞する声も上げずに、息を殺して静まり返っている。
攻める七百は五百の側が、この山に伏兵を潜ませている可能性を考慮しているから。
突っ込んできたところを、冷静に囲んで叩けば勝てるから。
守る五百は七百の側が、単純に怖いから。
どう攻めればいいか守ればいいか、よく分かっていないから。
それらもあるだろうが、本質はおそらく違う。
「フィン。あれが人間の戦だよ。どう思う?」
「どうって……ええと……っ!?」
両手を地面についていたフィンが、弾かれたように顔を上げた。
「一つだけ、全然違う足音がある……魔物?」
「そう。少ない方が勝つよ、この戦は」
戦神騎士イオは、既に主役の所在を見抜いていた。
さっさと出てきなよ。
心の中で、そう呟く。
その直後。
五百の側が、僅かに下がった。
命じられたからではなく、怯えたように下がった。
そして騎兵が一騎だけ、ゆっくりと出てきた。
馬に跨った騎兵ではない。
馬よりも背が高い、魔物の一種である怪鳥に跨っている。
黒い鎧を身に纏い、片手には斧槍。
「やっぱりビードの"山騎士"だ。……懐かしい」
イオは獰猛な笑みを浮かべて、目を見開いた。
今は無き戦神の国フォルラザが大陸南方の覇者となるための、戦いの日々。
覇道の途上において最大の強敵であった、大山脈の山岳国家ビード。
その最精鋭"山騎士"は未熟な一騎でも討ち取れば兵百人を斬る功績に値するとされた、人鳥一体の猛者だ。
この距離でも武の気配が、肩に重たくのしかかるようだ。
あれだけ近くで対峙している兵士達の緊張は、想像するに余りある。
山騎士の男は怪鳥の足を一歩、一歩、また一歩と、焦らすように進めていく。
七百の側が、それだけでじわじわ陣形を崩し始めた。
陣中央の旗の下で将と思しき騎兵が、何やら大きく身振りし始める。
七百の側は、騎兵を前面に押し出した。
さらに両翼にいた騎兵までもが、包囲しようと距離を詰めてきている。
杖を持った魔術士達も、急いで中央に集まってきたようだ。
そして、将は僅かな護衛を連れて陣の後方に下がった。
横陣の形は、そのままだ。
終わった。
イオは確信した。
山騎士の力を、七百の将は分かっていない。
「あっという間だよ、フィン。目を離さないようにね」
「え?」
『クアァァァッッ!!』
怪鳥がイオ達の山へ届くほどに、高く鋭く鳴いた。
青白く羽毛を輝かせ、駆け出す。
騎兵が慌てて数騎突っかかり、斧槍の一振りで全て吹き飛んだ。
他の馬は、怯えて動けない。
乱射される矢と炎の魔術。
手順が悪い。
外れた炎の魔術が爆炎と煙を巻き起こし、矢による射撃を邪魔している。
怪鳥は激しい迎撃に一切動じず、ひたすら一直線だ。
騎手の山騎士も、自分に当たる攻撃は見事に弾いている。
槍を突き出していた兵士達が、大きく隊列を乱した。
我先に逃走を図るも、無様にもたついている。
形だけの挟撃態勢すら取れていない。
横陣の意味が無い。
突っ込まれた。
踏み潰され、撥ね飛ばされ、薙ぎ払われる兵士達。
陣は一瞬で抜かれた。
将が馬首を返す。
遅い。
遅すぎる。
「あっ」
フィンが小さく声を上げる。
将が斬られ、倒れた旗が怪鳥に踏みにじられた。
『クアァァァァァッッ!!!』
戦の決着を宣言するように、怪鳥が空に向かって鳴く。
「お見事」
イオは山上で、小さく呟いた。
上半身だけになった将の屍を、山騎士は戦果の証として拾い上げる。
そして先ほど抜いた陣の間を悠然と通り過ぎて、自陣に戻っていく。
身じろぎすら出来ず、それを許す兵士達。
だが何とか勇気を振り絞った騎兵達が、背後から襲いかかった。
一蹴。
将の屍を、手放すことすらせずに。
山騎士は怪鳥を敵陣に振り返らせ、真っ二つになった騎兵を一人、蹴り飛ばさせた。
それが最後の決め手だった。
七百の兵士は仲間の屍を全て置き去りにし、武器を投げ捨てて潰走した。
「こ、これが戦……!」
「かなり特殊な例だよ。あの怪鳥に乗ってる奴がいなきゃ、蹴散らされた側が本来は勝ってた」
イオは自身の側頭で束ねた茶髪の房を弄りながら、呆然としているフィンに語る。
「でも、あいつは"百人力"の最精鋭だからね。それもかなり上澄み」
"百人力"の戦士とは、まさしくああいう存在だ。
兵百人と同価値である、などという計算の話ではない。
個の持つ戦闘力と存在感が、兵百人分なのだ。
こういった数百対数百の小さな戦場では当然その中心となり、強大な武の気配が敵味方全てに影響する。
「止められない」と相対する兵士達が悟った瞬間、士気は崩壊し、容易く勝敗が決してしまう。
小競り合いしか経験が無い小国の軍勢ならば、なおさらである。
それが、"百人力"というものだ。
ビードの山騎士は「未熟な一騎」でも討ち取れば兵百人分の戦功だと、フォルラザで言われた理由でもある。
裏を返せば、未熟でなければ兵百人では到底つり合わないということなのだ。
当時、戦神騎士として駆け出しだったローランが緒戦で山騎士に怯えて失態を犯したが、ビードの要衝を落とす戦で敵の精兵二百人を斬り捨てて一番乗りを果たし、汚名を雪いだと団長に認められた。
だがイオに言わせれば、それは駆け出しが故の大甘な評価である。
横で山騎士を数騎倒していたノーラの方が、功績は遥かに上だった。
「んー。将が悪いと言えば悪いんだけど……東方じゃ仕方無いかな」
イオは先ほどの戦を頭の中で反芻しながら、独り呟く。
かつてフォルラザがあった頃の大陸南方一帯では、"百人力"の存在を念頭に置いた用兵が広くなされていた。
たとえ小国でも果敢に戦う軍勢を擁しており、戦神騎士が一人二人突っ込めば決着がつくような戦は無かった。
しかし、この大陸東方はそうではない。
大勢力である太陽の国シンガも探究の国ラガニアも、積極的な領土拡大をしない情勢が長く続いている。
つまり、多くの国が経験していないのである。
最精鋭と呼ばれる者達の脅威を。
だから一直線の単騎駆けにすら、将兵はまともに対応出来ないのだろう。
「それで"百人力"の傭兵が急激に名を上げ始めたってわけかー……」
東方で得た仲間達が語っていた。
その人物は、珍しい鳥型の魔物に跨った騎兵らしい。
間違いなく、あの山騎士だ。
「イオ、最精鋭って何?」
「んーとね。分かりやすく言うと、有力な国で特に優秀な人達」
「ってことは、戦神騎士のイオと一緒?」
「そ。あいつは、大陸南方にあった山の民の国の最精鋭だね。"山騎士"っていう山岳戦の達人」
「山岳戦……」
「本当に強かったよ。あの怪鳥がこの山よりもっと状態の悪い斜面を、縦横無尽に駆け回るんだもん。平地でもまあ、通常の騎兵じゃ足元にも及ばないようですなー」
「戦ったことあるの?」
「ある。そんでもって、あたしらフォルラザがあいつらの国を攻め滅ぼした」
フィンの長い前髪に隠れていない左目が、何とも言えない複雑な感情を浮かべた。
普通ならば十三歳の少年にするような話ではないが、フィンはもう一人前の対等な仲間として扱うと、イオは決めていた。
この後は先ほどの戦場にも下りて、飛び散った血や処理された屍もきっちり見せる。
「ええと、じゃあ……仲間にするのは無理なのかな?」
「へっ、仲間にする?」
「だって、イオが嬉しそうな顔してたから」
「あー、まあ……うーん」
イオは額をかいて、しばし考えた。
ビードの山騎士が平地においてもほぼ最上位の機動力と突破力を持つ騎兵であることは、先ほどの一戦でよく分かった。
かつての大陸南方では、フォルラザの戦神騎士の次点に位置付けられていた強者だ。
イオ自身も、まだ三十歳にもならぬ人生の中でオズワルドの飛竜の次に手強かったのはと問われれば、迷わず山騎士を挙げる。
確かに、戦力としては申し分無い。
だが。
「無理だね。いくら今は傭兵でも、自分の故郷を滅ぼした奴らに協力なんて出来ないでしょ。国の最精鋭だったら、なおさらそう」
「……確かに。おいらもノームの集落を潰した相手がいたら、そいつとは仲良く出来ないと思う。ごめん、変なこと言って」
「ううん、謝る必要無いよ。フィンはあたしの表情見て、仲間にしたそうって思ったんだよね? ……懐かしい相手だったからねー。もう」
もう七年近く前になるか。
イオがそう口にしようとした時。
「? ……イオ、どうしたの?」
見られている。
五百の将と思しき騎兵と轡を並べ、戦の後始末を待つ山騎士の男。
彼が突き刺すような視線を、こちらに送ってきていた。
気配は完全に消して戦を観戦していたが、そもそも山の頂上近くまでは"赤獅子"の魔術で一気に駆け上がったのだ。
怪鳥の優れた視力と魔力感知能力、そして"百人力"の戦士の感覚をもってすれば、気づいても不思議ではない。
少しはしゃぎすぎたようだ。
フィンも何となく状況を察したようで、息を殺して戦場に視線を戻した。
眼下では、兵士達が敵兵の屍をかき集めている。
闇の魔物が怨念を啜りに沸いてこないように、焼却するためだ。
一度緊張を解いた兵士は、そう簡単に再び戦が出来る状態には戻らない。
仕掛けてくるとしても、どうせ山騎士一人だ。
来るか。
来るなら早く来い。
久々に、戦神に捧げるに相応しい戦が出来る。
イオはそう思っていたが──
「あ、山騎士が帰っていくよ」
山騎士は視線を切り、ゆっくりと後方にある小国の都に戻っていく。
イオの中で、何かが急激に沸騰した。
「……あいつ」
「イ、イオ?」
"赤獅子"で追いかけて、あの都ごと蹂躙してやろうか。
暴れる理屈はつけられる。
山騎士ほどの実力者が傭兵として東方の雑多な小国や商業都市を渡り歩き続ければ、情勢は混迷を深めていくだろう。
あの山騎士を雇ったもの勝ち、という状態にすらなりえる。
そうやって情勢が乱れに乱れると、東方での活動には支障が出てくる。
だからその前に消す。
理屈はそれで充分通る。
やるか。やってしまえ。
歩き出そうとしたイオの杖先を、小さな手が掴んだ。
「んあ?」
「イオ、すごく怖い顔してるよ。山が怯えるくらいに、残酷な顔になってる」
ノームの少年が頑張って毅然とした表情を作り、諫めるような眼差しでじっと見つめてきた。
この眼差しを、イオは知っている。
フォルラザ滅亡直後。全てを失ったばかりで、まだ何もまともに考えられなかった頃。
南方の商業都市サレでオズワルドの駐屯部隊を皆殺しにしようとした時に、後輩のローランが強く制止してきた。
フィンの目は、あの時のローランと同じだった。
『イオ。……フォルラザの戦神騎士、イオ』
フィンにローランが重なり、彼の時折妙に心に触れてくる瞳と声が思い起こされる。
それで、沸騰する何かは急激に冷めていった。
「……はふー。ごめんね、フィン。……ありがと」
「気にしないで。おいら達、仲間なんだから」
「んんー、なんて健気な仲間。えらいぞー、少年」
「あわわ、髪の毛わしゃわしゃしないでよっ」
「……いや、本当にごめん。実は今の旅始めてから、あたし何だか前よりカッとなりやすくなっちゃったんだよねー。止めてくれる相手がいるの、すごくありがたいんだ」
「そうなんだ。それってやっぱり……」
「うん。故郷も同朋も失くすと、人は色々変わるんだと思う」
イオは自嘲するように、渇いた声で笑った。
変わった者は何も、自分だけではあるまい。
凡庸だった後輩のローランは老エルフやラガニアとの接触によって、戦神の軍にしっかりと貢献している。
彼と同期のノーラは、今や唯一残った旗持ちとして戦神の軍全体の先頭に立つ身だ。
どうせ勝手に暴れるだけだと思っていたグリムロ副長も、ノーラの指示通りに北方で粘り強く活動しているという。
"砂粒"が持ってくる情報を聞いている限り、何だかんだであの大戦を経て良い変化をした者が多いように思う。
しかし自分はおそらく、悪い変化をしたのだろう。
『どうやらお主の心の奥底には、尋常ならざる激情があるな。それは強大な力の源であるが、いつか災いの種にもなりうる諸刃の剣だ。……失くせとは言わぬ。制御の仕方を身に着けよ』
かつて戦神騎士の古参ジェラルドから氷の魔術を教わって皿の水を初めて凍らせた時に、そう言われた。
その激情が故に、氷の魔術を戦場で扱える領域に到達出来ないのだとも。
フォルラザがあった頃は、大して気にしていなかった。
激情はほとんどが戦の中で起こり、その場で発散すればいいだけだったからだ。
だが、この長く険しい再起と復讐の道のりではそうもいかない。
下手に爆発させれば、自分だけでなく同朋の積み重ねも壊しかねないのである。
信仰の在り方や戦神そのものに、泥を塗ってしまう恐れだって。
幸いなことに今はまだ、激情による大きな失態は無い。
サレでローランと再会し、今後の話をして以降は、長いこと心穏やかだった。
しかし、山騎士の戦いぶりを見物した途端にこれだ。
それはつまり、今後強敵や苦難にぶつかれば容易く激情に呑まれかねないということである。
とはいえ、制御は非常に難しいように思う。
事あるごとに瞑想でもしろというのか。
あるいは、ジェラルドのように齢を重ねれば自然と落ち着いていくものなのか。
分からない。
見識と交友をいくら広げても、分からないものは分からない。
出来ないことは、簡単に出来るようにならない。
精神的に未熟な自分が情けなくて、どうしようもなくて、悔しい。
「…………」
「…………」
「あ、あのさ。イオ」
「……え?」
「おいら、あんまり気にしすぎなくていいと思うんだ。この旅始める前の特訓中に、母ちゃんに言われたよ。『出来ないことを後ろめたく思うな。いつか出来るようになるまで、仲間を頼ればいいんだ』って」
「っ!」
「だからさ、頼れる仲間を増やそうよ。イオがカッとなった時に止めてくれたり、代わりにカッとなってくれる仲間を」
「代わりにカッとなってくれる、仲間……」
「そういう相手って、すごく強い人が良いと思う。おいらじゃイオを止められない時でも、無理やり止めてくれるような。イオが冷静になって、しっかり止めないといけないような」
ノームの少年は、イオの背後を小杖で指し示した。
「あの山騎士って人、やっぱり何とかして仲間に出来ないかな?」
イオはいつの間にか頭を抱えていた両手を下ろし、振り返って彼方の小国の都に視線をやった。
相手は、自分達が攻め滅ぼした国の最精鋭だ。
無理。無駄。非現実的。
そうかもしれない。
だが、そもそも既にそういう道のりを歩んできているではないか。
やってみる価値はある。
やってみないと、可能性は生まれない。
「……おっし。じゃあ、いっちょやってみますか!」
イオとフィンは兵士達が撤収していくのを待ってから、山の斜面を下り始めた。
………
……
…
イオは道中、後始末が終わった戦場をフィンに見せた。
フィンは血まみれの大地に顔を強張らせながらも、イオが語る人間の戦争や死についての話を、しっかりと受け止めた。
その後、改めて五百の兵が引き上げていった小国の都へと向かった。
「っ、イオ……」
「分かってる。心配しないで」
小高い丘の上にある都の正門へ近づいていくと、先ほどの山騎士の男が怪鳥に跨ったまま、肩に斧槍を担いだ鎧姿で現れた。
イオは武の気配を完全に抑え込み、戦神の加護だって老エルフの首飾りで覆い隠しているというのに、大した勘の鋭さである。
山騎士は正門を守る門兵達に何やら語りかけて、少し遠ざけてくれた。
話が早くて、ありがたい。
まともに話が出来れば、だが。
イオとフィンは立ち止まることなく、雑に整備された街道を上る。
互いの顔がしっかりと見える距離まで、近づいた。
無造作に跳ねている長めの黒髪に、灰色の瞳。
二十を少し過ぎたくらいの青年の顔が、イオを見て驚愕の色に染まった。
だが、その色はすぐさま激しい憎悪へと変わる。
重苦しい武の気配が周囲に充満し、見守っていた門兵達がざわつき始める。
「うるせえ! 騒ぐな!!」
一喝されただけで小国の弱兵は縛られたように直立不動となり、口を噤む。
相方の怪鳥が鋭い殺気を発してこちらを睨みつけながら、いつでも駆け出せるように身を屈めて歩み寄ってきた。
その有り様にフィンは息を呑むも、しかしイオの後ろに隠れることすらせず、しっかりと隣に立ち続ける。
自分は肩を並べる仲間だと、主張するように。
「……どうも。ちょっとお話出来ないかな? "百人力"の傭兵さん」
踏ん張るフィンのおかげで頭が冷えたままのイオは、理性的な提案をした。
山騎士の青年はノームの少年へ一瞬視線を向けるも、すぐにイオを見つめ直す。
「依頼通りの仕事はした。だが仕官はしない。王様に改めてそう伝えてくれ」
振り返って門兵達に声をかけ、山騎士はイオとフィンを視線と顎で促した。
お前達が先ほど下りてきた山で話す、と。
「……おい、何でお前が東方にいる?」
山の麓で青年が怪鳥の上から、イオに問いかけてきた。
背は高めで足も太く長い。
しかし上半身はよく引き締まっているのが、鎧の上からでも何となく窺える。
山岳国家ビードの山騎士はおおよそ、こういう体格をしている者達だった。
「お前、フォルラザの戦神騎士だろ。諸々を誤魔化しても、そのへらついた顔は覚えてるぜ」
「そっちこそ、ビードの山騎士でしょ? そんなきみがどうして東方にいるのか知らないけど、フォルラザとオズワルドの大戦の勝敗くらいは聞いてるよね? ……フォルラザはもう無い。オズワルドの飛竜に、滅ぼされた」
「……それで?」
「生き残ったあたしら戦神騎士は、再起と復讐を誓った。だから色々な準備をするために、あたしは東方にいるの。今の最優先は仲間集め。このノームの少年も、あたしにとっては一緒に道のりを進む心強い仲間」
青年は目を細め、斧槍を肩から下ろした。
大山脈に住む山の民謹製の、軽く硬い黒鉄の武具だ。
「はっ、そうかよ。だが残念だったな。お前はあいにく、ここで死ぬ」
"百人力"の最精鋭の顔が、酷薄な表情を浮かべた。
主の昂りに呼応して怪鳥の羽毛が青白く、輝き出す。
フィンがそれを見て、震えながら小杖を構えた。
イオの中で、また何かが沸き立ち始める。
「……山騎士ヴィクトルを覚えてるか?」
「忘れられるわけないよ。顔も名前も、戦い方も。彼のせいであたしは、ビードの都攻めに関われなかったんだから。同期の戦神騎士も、二人殺された」
へらへらと薄ら笑いを浮かべたまま、イオは言葉を続ける。
「さっさと逃げたガキの方は、よく覚えてないけど」
イオっ、とフィンが声を裏返し、外套を引っ張って必死に制止してきた。
分かっている。
仲間にするために、この山騎士と接触を図ったのだ。
まさにこういう場面で自分を抑え込んでくれる、頼れる仲間にするために。
分かっているのだ。
だがもう、抑えきれない。
「フィン、ごめんね。結局こうなっちゃった。……山の向こう側で待ってて」
「イオ……!」
「巻き込んで殺しちゃうかもしれないから。こんなあたしで、本当にごめん」
「っ」
フィンは歯を食いしばってもう何も言わず、何度も振り返りながら山を駆け上がっていった。
視線と殺意をぶつけ合うだけの張り詰めた静寂が、しばし流れる。
「……ヴィクトルの横にガキがいたことくらいは、覚えてるらしいな」
「まあね。あたしらのビード侵攻は、もう七年くらい前か。結局生き残ったのかな、あの怯えてた子は」
「俺がその、さっさと逃げたガキだ」
「へぇ、そう。だから?」
ゴッ。
山騎士が斧槍を傍らの大木に叩きつけ、一撃でへし折って弾き飛ばした。
斜面上方の木々がそれに巻き込まれ、受け止めきれずにのけ反る。
斬ったのではない。
刃を立てず、ただ殴りつけただけだ。
「俺はヘクターだ、戦神騎士イオ。兄貴と祖国の仇め。ビードの山騎士の名誉と誇りにかけて、お前を殺す」
山騎士ヘクターは言い放った。
あの時のヴィクトルに勝るとも劣らない、凄まじい武の気配を纏っている。
かつてイオにとっては取るに足りない「未熟な一騎」だった、あの山騎士が。
「あはは」
イオは乾いた声で笑う。
そして手が勝手に、戦神の加護を覆い隠す老エルフの首飾りの紐を引きちぎった。
戦神の民の本能が叫ぶ。
極上の獲物だ。
戦神に、勝利を。
思考が、命のやり取りへと最適化されていく。
「死ぬのはお前だ。身の程知らずが」
戦神の杖を飾り立てる白銀の獅子が、激しく輝く。
雄々しく、猛々しく、しかしどこか諫めるように。
だが激情に憑りつかれたイオは、それに気づかなかった。