戦神騎士物語   作:神父三号

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大陸地図を作成し、あらすじに掲載しました。
すごいシンプルな形状ですが、こういう大陸が舞台なんだなと思っていただければ幸いです。
あらすじにも書きましたが、小規模な村・街・森・山・川などは省略しています。
また、物語の進行に合わせて、随時更新されます。
その場合は、あとがきで触れます。よろしくお願いします。


第5話 ローランの道・純白の花

「結構強く降るな……」

 

 ローランがフードを軽く持ち上げて視線を上げると、森の木々の隙間から覗く空を、灰色の雲がどんより覆っていた。

 雨粒が絶え間なく木の葉と地面を打ち鳴らして、なかなかに騒がしい。

 かなりの枝葉を蓄えた巨木の下にいるというのに、水滴がそこそこ貫通してくる。

 

 朝、目が覚めた時に湿った土の匂いがして、遠くに見えていた雲が薄暗かった。

 そしてその雲に気づけば追いつかれて、そのまま雨を降らされたという格好だった。

 まだ降り始めたばかりだが、雨の勢いは既に激しい。

 

 ローランは商業都市サレを出てからもやはり街道を避け、森や山を北上していた。

 オズワルドの部隊に遭遇する危険性を、少しでも減らすためである。

 結果的に目的地の大商業都市ヴァルゲンまで、かなり遠回りになってしまっている。

 しかしそのおかげでこうして、この大雨をすぐさま適当な木の下に入って凌ぐことが出来たのだ。

 開けた街道で雨に降られれば、どうしようもない。

 

「まあ、止むまで待つしかないか」

 

 戦神に祝福された大剣と胴鎧は、決して錆びることはない。

 外套が濡れて、身体が冷える。

 それだけの話ではあった。

 とはいえ、かなり大きな雨雲のようである。

 サレで新調した外套はフード付きで布地の質も良いが、さほど分厚くはない。

 このまま長々と濡れ続けるのは、あまり好ましくなかった。

 どうしようかと考え出した、その時。

 

「……ん」

 

 後ろから、何かが近づく気配があった。

 ローランが木の太い幹から頭だけを出して振り返ると、木々の間をバタバタと慌ただしく、キョロキョロしながら、子供が走ってくる。

 純白の短髪に、泥で汚れた白い装束。

 衣の裾は異様に短く、華奢でほっそりとした脚が、太ももの中ほどまで見えている。

 外套を纏っていないどころか完全に丸腰で、申し訳程度に頭を両手で覆っていた。

 

 やがて距離が詰まり、しっかりと目が合った。

 鮮血のように赤い瞳。

 十一、二歳くらいの少女、いや少年。違う、やはり少女か。

 遠目にはまるで判別がつかないほどに中性的な容貌だった。

 子供はローランに対して、申し訳なさそうに微笑んできた。

 

「すいませーん! ウチもご一緒していいですかっ!?」

 

 投げかけられた声は高く澄んでいて、雨の中でも耳障り良く響き、やはり性別が分からない。

 ただいずれにせよ、武の気配どころか敵意もなかった。

 ローランは黙って手招きして、子供が巨木の下に駆け込んでくるのを迎えた。

 

「はぁ、はぁ……んんっ、はぁ、ぁ……! あ、ありがとうございますっ! 助かりました!」

「……別に、何も助けてねえよ」

 

 息を切らしながら何度も頭を下げてきた相手に、ローランは適当に返した。

 子供はずぶ濡れで、しかも泥だらけだが、間近で見ると肌は日に焼けたこともなさそうなほどに真っ白だ。

 どこかの貴族か大商人の子息だろうか。

 だとしたら何故こんな森の中で、独りで丸腰なのか。家族や従者からはぐれたか。

 それにしては痩せ細って、若干頬がこけている。

 しかしそれでも、極めて整った容貌をしていた。

 エルフの老婆の笑顔を見た時に、もしこの女が若ければと、ぞっとした感覚を思い出した。

 

「…………」

 

 木にもたれて大きく肩で息をしている子供を観察しながら、ローランは考え続ける。

 赤い瞳の者は、さほど珍しくない。

 だが、このくらいの子供が白髪なのは奇妙だ。

 奇妙だが少なくとも、重たい病や極度の心労による白髪ではない。

 あまりにも純白で、美しさすら感じるからだ。

 人間ではなく、エルフのような亜人なのか。

 

 色々と気になることはあったが、ローランにとって、この子供の素性や事情には何も深入りする理由がない。

 雨宿りする場所が偶然同じになった、というだけのことだ。

 そう思考を整理したローランは、あえて何も聞かずに腕を組み、目を閉じて黙りこくった。

 雨の音に混じって、子供が乱れた呼吸を整える音が聞こえてくる。

 しかしそれもやがて収まり、雨の作る騒々しい静寂が、再び森に満ちた。

 

「……あの~」

「…………」

「あの……すいませーん……」

「…………」

「あ、あのっ!」

「何だよ」

 

 横合いからのしつこい呼びかけに、ローランは思わず目を開けて応じた。

 子供は今さら若干の警戒心が芽生えたらしく、おずおずと探るような上目遣いで見上げてくる。

 こちらの胸元くらいまでしか背丈がない。

 真紅の瞳に引き込まれそうな感覚を覚え、ローランは視線を逸らした。

 

「……お兄さんはどうして、こんな森にいるんですか?」

「旅をしてるからだよ」

「背中の剣、おっきいですね。兵隊さんですか? でも一人でこんな所にいるから、うーん……」

「……俺の素性が、お前に何か関係あるか?」

「あぅ……えっと、その……いいえ……」

「無理に俺と話そうとしなくていい。別に俺は、お前をどうこうする気はない。だから雨が止むまで、黙って身体を休めてろ」

「あっ、はい……」

 

 ローランが告げると、子供は急にその場にへたり込んだ。

 そして短い裾から剥き出しの膝を抱えて、顔を伏せる。

 病的に白い脚は、よく見れば擦り傷だらけだ。

 当然だろう。どう考えても、旅が出来る格好ではないのだから。

 

「……くしゅんっ」

 

 小さなくしゃみと、鼻をすする音。

 それが何度か続き、やがて子供は身体を震わせて嗚咽し始めた。

 

「う、ぐすっ……ぅぅっ……ひぐっ、ぅ……」

 

 震えと嗚咽は、なかなか止まりそうになかった。

 無視だ。無視でいい。無視しよう。

 ただ偶然同じ場所に来ただけの、赤の他人だ。

 そう考えた。考えたが。

 

「…………おい」

「ぐすっ……え?」

「寒いなら、これでも羽織ってろ」

 

 ローランは外套を脱ぎ、子供に向けて放り投げた。

 子供は唖然とした表情で、外套とローランを交互に見比べている。

 ぐしょぐしょに濡れた顔は、雨だけのせいではあるまい。

 その証に、顔が赤くなっていた。

 

「いいから羽織れ。ちょっと濡れてるが、そんな格好でいるよりはずっとマシだ」

「っ……! あ、ありがとうございますっ!!」

 

 子供は無邪気な笑顔を浮かべた。

 まるで、可憐な花が咲いたかのように。

 わたわたと慣れない動きで、渡された外套に身を包む。

 そしてフードを被った直後、慌ててフードを取り、もう一度感謝の言葉を口にした。

 ローランは何故だか頭がむず痒くなり、また腕を組んで目をつぶった。

 

「……あの。ウチ、ナツメって言います」

「なつめ? ……聞いたことない響きだな」

「お父さんが名付けてくれたんです。お母さんが、そう名付けてって言ったらしくて」

「……そうかよ」

「お兄さんのお名前、教えてくれませんか?」

 

 ローランは片目を開けて、ナツメを見下ろした。

 既にこちらを信頼しきったような眼差しをしている。

 なんと単純な子供だろうか。世間知らずなのが、透けて見える。

 あまりにも純粋な笑顔に、ローランは呆れて物も言えなかった。

 

「えへへ……」

 

 ローランの呆れに気づかぬまま、ナツメはこけた頬を緩めている。

 やはり、どこか良い家柄の子か。

 ならばおそらくは、北のヴァルゲンだろう。

 あの大商業都市は古くから大陸の南方と東方を結ぶ要所で、一つの国と言ってもいいほどに栄えている。

 裕福な商人はそれこそ、大国の貴族のような暮らしをしているはずだ。

 

「……ローランだ」

「ローランさんですね! よろしくお願いします!」

「何をよろしくするんだよ。雨が止んだら、お前とはそれでお別れだ」

「うっ……そ、そうですよね……」

 

 ナツメが表情を暗くして、フードを被る。

 気まずい沈黙が流れた。

 ローランはため息をついた。

 

「……なあ。お前まさか、ヴァルゲンへの戻り方が分からないのか?」

「えっ……あの、その……ウチは」

「どうせ外で遊び歩いてて迷った、良いところのガキだろ? 従者は何やってる」

「……違うんです。ヴァルゲンからは、逃げてきたというか……」

 

 ナツメは俯いて、両手首を差し出すようなしぐさをした。

 

 奴隷か。

 

 読み違えて藪の蛇をつついたと、ローランは後悔した。

 珍しい白髪と端正な容貌のせいで攫われ、商品にされたのだ。

 わざわざ人目を引くような裾の短い白装束を着せられているのも、市場で高く売るためだろう。

 こういう子供を買いたがる金持ちは、どこでも珍しくない。

 戦神の国フォルラザにおいては贅沢や放蕩は悪徳とされ、由緒ある家も質素に暮らしていたが、そうでない国や街も当然にあることは、戦の中でローランも見てきた。

 

「ウチはヴァルゲンからもうちょっと北の山の奥で、お父さんと二人で暮らしてました。山から出たこともなくて、家にいっぱいあった本ばかり読んで暮らしてて、たまにお父さんを手伝って小さな動物を狩ったり野草を採ったり、近くの村やヴァルゲンで売るための小物を作ったりはしてましたけど……山の外のことはあんまり知らなくて」

「…………」

「魔物もいない山で、ずっと平和でした。だけどある日、知らない人達が山に来て。お父さんと無理やり引き離されて、連れてかれて……気づいたらこの白い服着せられて、ヴァルゲンで太った怖い人に買われました。それで買われた日の夕方、あの人達が寝る準備してる時に何とか逃げ出して……二日くらいかけて……ここに」

 

 ナツメが再び膝を抱えて、頭を伏せた。

 

 それが本当ならばもう、その辺で野垂れ死ぬか、大人しく奴隷に戻るしかないだろう。

 大陸の南方と東方を隔てる大河川をローランは実際に見たことはないが、少なくとも山育ちの華奢な子供が泳いで渡れる幅ではないはずだ。

 ナツメがここから一人で山へ帰るには、川に跨るヴァルゲンを絶対に通過しなければならない。

 しかし外套のフードで容貌を隠しても、何の伝手もなければ入口の検問で必ず改められる。

 つまり、そこで終わりだ。

 買われたその日に逃げ出したのならば、おそらく商人は門兵に報告を依頼しているだろうからだ。

 

 ヴァルゲンには行かずに、大陸の南方で生きていく。

 それも、やはり難しい。

 動物を仕留めて食べるにしても、何の道具もない丸腰の子供ではやっていけない。

 このまま森を進めば、魔物と出くわす可能性も高い。

 野草と果実と川の水と小さな魚で飢えを凌ぎつつ、奇跡的にどこかの村に辿り着けたとしても、後ろ盾のない見目の抜群な子供など、どんな扱いをされるか分かったものではない。

 それだけではない。もっと考えれば、父親はおそらく既に──

 とにかく、どうあがいてもこの子供の行く末は暗いとしか、ローランには思えなかった。

 

「……ぅくっ、ぅっ……っ……」

 

 ナツメがまた、小さく嗚咽し始めた。

 いくら山奥で育った世間知らずでも、自分が進退窮まった状況にあることは分かるのだろう。

 ローランは気分が悪くなり、湿った頭を掻いた。

 気づけば雨の勢いが、かなり弱くなってきている。

 薄暗い雲が、森から離れようとしていた。

 この巨木の下に留まる理由は、もうじき無くなる。

 ローランの当面の目的地はやはり、北のヴァルゲンだ。

 

「…………」

 

 ローランは次第に薄れていく雨雲を見上げた。

 

 弱い者は、当然死ぬ。

 それも、他人の足を引っ張るか、惨めな姿を晒すかして、死んでいく。

 だから、強くならなければならない。

 強くなって、戦い、殺し、屍の山を築き、戦神に勝利を捧げなければならない。

 死ぬのならば、果敢に戦い抜いて、雄々しく死ぬべきだ。

 ローランは母にも軍にもそう叩き込まれて、今まで生きてきた。

 自分でもその教えは正しいことだと考えていたし、それ故に軍の苛烈な調練で死んでいく弱い者達を悼むこともなかった。

 戦の中で踏みつけにした弱い者達を、憐れむこともなかった。

 

 今、同じ木の下にいるこの子供は間違いなく、そうした"弱い者"の類である。

 

 だが、オズワルドの飛竜に敗れ去り、最後まで戦い抜かずに全てを見捨てて逃げ出した、あの時。

 あの時、ローランは惨めさに耐えきれず、「生きよ」という王命に背いて自ら死を選ぼうとした。

 あろうことか同朋に、介錯まで乞おうとした。

 自分が顧みてこなかった"弱い者"に、確かになってしまっていた。

 そんなローランを立ち上がらせてくれたのは、同朋のノーラと戦神の旗だ。

 

 そして、フォルラザの領土だった場所から離れて、一人の敗残兵が作り上げて老人になるまで保ってきた、小さな村を見た。

 エルフの老婆に導かれた"闇の吹き溜まり"の中で、己の心の弱さに絶望して死んでいった、フォルラザの兵士達を見た。

 

 弱いことは、罪なのか。

 強者に踏みにじられ、生き方を否定され、地に膝をつくことは、罪なのか。

 そうなったらもう、死ぬしかないのか。

 いや、違う。

 弱くても生きているのならば、そこから立ち上がればいい。

 立ち上がって、強くなればいい。

 

 そう考えたから、あの時ノーラは再起と復讐を誓ったのではないか。

 自分だって、その時の誓いを胸に抱いて、今を生きているではないか。

 

 ノーラは、戦神の旗を掲げている。

 オズワルドに敗れた自分達の弱さを、これからの道のりの長さと険しさを、心の底では誰よりも噛みしめているはずだ。

 それでもなお、果敢に旗を掲げ続けている。

 それは、生きているからだ。

 

 生きれば。

 生きてさえいれば。

 生きたいと、本気で思えるのならば。

 

「……ナツメ」

 

 ローランは片膝をつき、蹲る子供に呼びかける。

 

「ここで出会ったのも、何かの縁だ。だから、今から俺が言うことをよく聞いて、よく考えろ」

「…………」

「お前が今からヴァルゲンや大河川を通って一人で自分の山に戻るのは、まず不可能だ。……そして俺は、一本の大剣と食糧を持っている。死にたいなら、この大剣で今すぐ首を刎ねてやる。痛みを感じる瞬間もない。即死だ。はっきり言って、そうした方がお前は無駄に長く苦しむことなく、手っ取り早く楽になれる」

「…………」

「それでも生きたいのなら、食糧をやる。食糧をやった上で、俺がお前を故郷の山まで送り届けてやる。ヴァルゲンは通らずに、だ。俺の目的地は元々、ヴァルゲンの向こう側だからな。そのくらいはしてやれる。……だけど、山に帰ってもその先お前が生きていくのは、おそらく今ここで死ぬよりもずっと辛いだろう。何故だか、分かるか?」

 

 ナツメが顔を上げた。

 フードの奥で真紅の瞳が、濡れている。

 その瞳はローランをじっと見つめて、さらに涙を溢れさせた。

 純粋で世間知らずだが、聡い子だった。

 ローランが言葉に含ませた意味を、正しく理解している。

 

 ナツメの父親はもう、この世にいない可能性の方が高いのだ。

 人攫いを生業にする連中ならば、父親などナツメを攫った時に後腐れが無いように始末するだろう。

 仮に生きていたとしても、自分の子供を守りきれなかった親だ。

 この宝物を一度、俗世に晒してしまった親だ。

 どの道ナツメはしつこく人攫いに狙われ、怯えて逃げ隠れしながら暮らすことになる。

 

 

「楽な死か、辛い生か。今ここで、自分の意思で選べ。選んだのなら、俺はそれを手助けする。……どうしても選べないなら、それでもいい。俺はそのまま立ち去って、お前を忘れる。あとのことは、何も知らない」

 

 

 ナツメの紅潮していた頬が俄かに青ざめ、瞳に恐怖の色が浮かんだ。

 同じ目を、ローランはよく知っている。

 軍の調練に耐え、戦場へ初めて出た時の、新兵の目だ。

 生きるか死ぬかの正真正銘の瀬戸際にいることを、初めて実感した者の目だ。

 おそらく自分も初陣の時は、同じ目をしていたことだろう。

 恐怖を乗り越えたのは、握りしめた剣で初めて敵を斬り殺した時だった。

 

 だが今、ローランの目の前にいる子供には、何もない。

 戦場で暴力を振るって敵を殺せば、それだけで生きられる。称えられる。糧を得られる。

 そんな安易な瀬戸際ではないのだ。

 自分の意思一つで、自分の生死を決めなければならない。

 幼い子供に対して、あまりにも酷なことを強いている自覚はある。

 しかしこれが、ローランが今のナツメのことを心の底から想った上で、してやれる全てだった。

 あえて決めないというならば、それも尊重すべき意思だ。

 

 真紅の瞳は、揺れ続ける。

 カチカチと歯が鳴り始めた。

 唇が僅かに開き、閉じ、また開く。

 

「…………ローランさん。一つだけ、教えてください」

「なんだ」

「あなたはどうして、ウチにそこまでしてくれるんですか? ただこの森で……この雨の中で、偶然出会っただけなのに」

 

 ローランはナツメが被っているフードを、そっと外した。

 完全に露わになった顔は、恐怖と猜疑に満ちて、揺れる瞳だけが異様な光を帯びている。

 

「……俺は物心ついてすぐに、人の死を親に見せられた。そして戦う術をひたすら教え込まれて、十五で成人してからはずっと戦場で生きてきた。戦争しまくって、自分より弱い奴らを殺して、殺して、たくさん殺して……だが結局、自分より強い奴らに敗れて、多くを失って、屈辱と絶望にまみれて……それでも今、生きている」

「…………」

「それは、どれだけ惨めでも苦しくても戦い続けようと……生き続けようと言ってくれた、仲間がいたからだ」

 

 瞳の揺れが、止まった。

 涙で揺らめく赤い輝きの中に、自分自身がいる。

 ローランはそう感じた。

 

「ナツメ。お前にそんな仲間はいないだろう。俺は無責任に、お前に『生きろ』と言える立場じゃない。食糧だけ分け与えて『あとは勝手にしろ』で済ませても、多分それは何の意味もない行為だ。……俺のこれからの旅路に、無力なお前を連れて歩くこともできない。俺は、人を殺すのが生業の男だ。長い旅路の果てには、その極致とも言える目的がある。お前を伴えば、山に帰って隠れ潜むよりもっと凄惨な生き方を、強いることになるだろう」

 

 自分が滅亡した国の騎士であり、仇敵への復讐を目指していることを、ローランはあえてぼかして語った。

 本当は、仄めかすことすらすべきではなかったかもしれない。

 復讐心を胸に抱いて、険しく惨めに生きる。

 そういった生き方があるなどと、この純粋な子供は知るべきではないのだ。

 だが、こんな持ってまわった言い回しでも、きっとナツメは何らかを悟ってしまうだろう。

 それが分かっていても、ローランの口は勝手に動いた。

 ナツメの真紅の瞳に映った自分自身を前にして、全てを包み隠しきるなど到底できなかったからだ。

 

「だから俺は……今の俺が出来る最大限のことをお前に提示して、お前が選んだことをしてやりたい。……もう一度言うが、選べない、選ばないというのならば、それでもいい」

「…………」

「……いや、悪い。これじゃ、お前の質問の答えになってねえな。単純に言うと、お前を放っておけないと思った。膝を抱えて俯いているお前を見て、何か出来ることをしてやりたいと思った。それだけだ」

 

 ローランは無理やり笑みを形作った。

 上手く笑えている気はしない。

 ナツメは笑い返そうとしてきて、結局出来ず、何かをこらえるように目をつぶって歯を食いしばった。

 

 雲の隙間から、日が差してきた。

 雨が、止もうとしている。

 時の感覚が、薄れていく。

 数秒か、数十秒か、数分か、それ以上か。分からない時間が流れた。

 

 

「……生きます。ウチ、生きます。ウチを……私を、故郷の山に連れて行ってください。ローラン様、お願いします」

 

 

 ナツメはそう言って、その場でひれ伏した。

 ローランは何も言わずにナツメの肩を優しく叩き、巾着袋から取り出した干し肉を一枚渡した。

 ナツメはすぐさまそれにかじりつく。

 涙をとめどなく流しながら、かじりつく。

 途中でむせて、肉の破片を吐いた。

 それもしっかりと拾い上げ、口の中に戻して、やがて全部食べきった。

 そして泥だらけの細腕で、涙を拭った。

 

「『ローラン様』も『私』も必要ない。お前はお前のままで、俺についてこい」

「っ……はい、ローランさん!」

 

 純白の花が、再び咲いた。

 雨上がりに差す陽光で輝く、美しい大輪の花だった。

 

 本当はこの花が咲くのを、もう一度見たかっただけなのかもしれない。

 ローランは外套を投げ渡した時を振り返って、思った。

 

 人間は誰だって、最初は弱い。

 強さとは、生き続けて身に着けていくものだ。

 たとえへし折られても踏みにじられても穢されても、必死に生きていけばきっと、いくらでも強くなれる。

 

 ローランは物心ついた時に母が見せてくれた人の死を、握らせてくれた剣の重さを、思い出していた。

 

 

 

 

 

「そういえば、お前って結局男か? 女か?」

「へ? ウチ、普通に女ですけど」

「…………そうか」

「……もしかしてローランさん、ずっと気づかずに話してました?」

 

 なんとなく、複雑な気分になった。

 答えが逆でも、おそらく同じような気分になっただろう。




次回から、ローランの同朋ノーラに視点が移ります。
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