「ふー。はい、到着」
周囲の景色が野原から森林に変わり、エルフのナギッサが軽く息を吐いた。
全身が大きく横に引っ張られて、その後一気に落下する感覚。
そんなエルフ独自の跳ぶ魔術にも、ノーラはすっかり慣れた。
連れのニコルはといえば、最初に体験した時点でよろめきもしなかった。
流石だと言うべきだが、これはこれで可愛げが無い。
「ノーラ先輩、本当にノア先輩に今日の調練任せてよかったんですか? あの三男坊への対応からして、だいぶ凄いことになる気がしますけど」
「マーブリスの将二人も、私の副官にしてた部隊長もいるんだ。『見かねた時は彼らが口を出すから言うことを聞け』とノアに伝えてある。……何事も挑戦しないとな、ふっふっふ」
「うわ、意地悪な笑み。それが戦神の旗頭の面構えですか」
「少しくらいいいだろ。私が普段どれだけ気を張ってることか。ただでさえマーブリスの最精鋭のふりが疲れるのに、あの無愛想な後輩にあれこれと細かく指示を出すのが大変で大変で……」
「何よりローラン先輩といつも一緒にいましたもんね。胸だって先輩じゃ寄せて上げても到底」
「死ね」
「うぎゃぁっ!」
ニコルを蹴飛ばした後、ノーラは大きく身体を伸ばして、前方を見上げた。
木々が立ち並ぶ山の斜面はなだらかで、木漏れ日がいくつも差し込み、鳥や虫の呑気な鳴き声が聞こえてくる。
こうして佇んでいるだけで、穏やかな気分になる。
ナギッサも頬を緩め、傍にあった大木に触れて何やらやり取りをしている。
やはり、清浄で良い山だ。
同朋の戦神騎士ジェラルドが紹介してくれた西方の人材、魔術士エリオットの住む山である。
「いてて……ナギッサさん、前みたくわざと小屋から離れて跳んだでしょ?」
「だってすごく綺麗な山なんだもん。それにいきなり現れたらあっちだってビックリするだろうし。ま、のんびり行こうよ」
「賛成。しかしいざあの口達者な奴にまた会いに行くと思うと、しんどくなってきたな。ふわぁぁ……よいしょ」
ノーラはだらしなく大欠伸をかき、旗槍を木に立てかけて仰向けになった。
葉と土の匂いがする。
指先を、小さな虫が這い上がってきた。
この場にはニコルとナギッサ、腹を割って自分の本性を晒した二人の友しかいないのだ。
少しくらいだらけても、別にいいだろう。
ナギッサが隣に寝転び、ニコルも木陰に座り込む。
他者に対して容姿や戦神の加護を偽装する首飾りも外し、皆でしばし寛いだ。
「……おいニコル、何か美味い木の実取ってこい」
「残念。僕は先輩の下僕じゃありませーん」
「後輩なんて下僕みたいなものだろ」
「ひっど。聞きましたかナギッサさん、これがノーラ先輩の本性です」
「知ってるよ、ぷぷぷ。ねえ、ノーラ。一回その状態で他の人と接してみたら? 案外もっと人気になれるかもよ?」
「嫌だ。私が見せた落差で勘違いした男が寄ってきたら、めんどくさい」
「自意識過剰も良いところですね。お隣のエルフさんと良い勝負ですよ」
「何だとニコルぅ~~!」
「あたしは本当にわらわら寄ってくるんですけど~~?」
女二人が落ち葉の上を這うようにして、木陰の少年に迫る。
少年は逆立ちして、器用に斜面を逃げ回った。
「待てぇニコル!」
「待ちませーん」
「くっ、このおっきな胸が邪魔して……! ノーラは平たいから、あたしの倍は早く動けるでしょ? 頑張れ!」
「ぶっ飛ばすぞクソババァ」
ひとしきり戯れた後、三人は本来の目的のために立ち上がった。
「んーと……あったあった」
ナギッサが少し山を下りてしゃがみ、落ち葉をかき分けた。
地面に明らかに加工された、小さく平たい角石が落ちている。
いや、置いてあるのだ。
パシュッ。
旗槍を肩に担いだノーラが軽く武の気配を発するとその石は青白く輝き、放たれた光の糸が斜面を素早く上がっていった。
山に住むドワーフ達が用いる、侵入者を感知するための道具である。
人間に比較的関わってくる彼らとて、この手の特別な品を提供してくれることは滅多に無い。
よほどの対価を用意するか、強く気に入られるかのどちらかだ。
「やれやれ。少しくらい驚かせてやればいいのに。あの小賢しくて生意気な天才魔術士さんを」
「お前にだけは言われたくないと思うぞ、ニコル」
小賢しくて生意気な天才少年騎士を軽く小突き、ノーラは歩き出す。
魔術士エリオット。
月の国マーブリスと戦神の軍が正式な協力関係となってから、ノーラが最初に接触した人材だ。
まだ彼が幼かった頃、高名な魔術剣士であるジェラルドがその魔術の素質と聡明さを認め、自ら手ほどきした人物だという。
当時は若手だったドルザン団長も放浪に同行しており、ある程度の剣も教えたらしい。
そして、ジェラルド直筆の紹介状を携えたノーラが押し黙っているエリオットに、自分達の再起と復讐の道のりについて語った後。
『復讐を成し遂げた後は、どうするおつもりですか?』
最初に投げかけられた言葉が、それだった。
思わず固まっていると、小屋の扉が眼前でパタンと閉じた。
ノーラは、一切答えられなかった。
何故なら、それまでノーラが応じてきた他者からの問いかけは決まって、「飛竜にどうやって勝つのか」だったからである。
常にそのことを、まず第一に問われ続けてきた。
敗走の道中で拾い集めたフォルラザの敗残兵達も、大山脈で再会した戦神騎士ニコルも、そしてマーブリスの第三王子ヴェントや北辺の城塞都市を守る将軍達も、当然に飛竜への対抗策を問うてきた。
無敵の飛竜の存在を完全に無視するかのように、復讐を成し遂げる前提でいきなり質問をされたことなど、一度も無かった。
長く険しい道のりの先については皆、軽口や願望の類として話す程度だった。
エリオットだけが、違っていたのだ。
そして二度目に訪れた時は、滔々と理屈を説かれた。
この山にノーラ達が来たのは、これで三度目である。
「でもあの人の疑問は、もっともな話ではありますよね」
斜面を上るノーラの背中に、ニコルが声をかけてくる。
「戦い、殺し、屍の山を築き、戦神に勝利を捧げること。それが僕達戦神の民の生き方であり、信仰の在り方。飛竜を倒してオズワルドを滅ぼしました。復讐は達成しました。じゃあその先はどうするのか? 大陸南方を蹂躙してた頃みたく、また大陸中央から周辺諸国に攻め込むのか? ……痛い所を突いてきますよ、あの世捨て人さんは」
「この道のりの果てに辿り着いても、そこから先は同じことを繰り返すだけではないのか? 殺して殺されてを延々と繰り返して、やがて敵も味方もいなくなって荒廃した大陸だけが残る。本当にそれでいいのか……戦神を信仰し続ける以上、確かにエリオットの問題提起は考慮すべきではある」
「うーん。だけどそれって、本当に今考えないといけない問題かな」
ノーラがちらと振り返った先で、ナギッサが腕を組み、形の良い眉をひそめていた。
「……あいつの言うことはまあ、あたしもやっぱり間違ってないと思うよ。こうやって少し時間を置いてもう一回考え直しても、言いたいことはよく理解出来る」
けどさ、と言ってナギッサは掌の上に黄金の光を浮かべた。
それは形状を変えて小さな飛竜となり、羽ばたいて吼えるような仕草をする。
「現状の問題はやっぱり、この飛竜でしょ? 飛竜にどうやって勝つのか、でしょ? ノーラの同期が東風の民の遺産ってことであの丸石を見つけて配分してきたけど……あれにしても力は全然感じられなかった。大昔からすごい業が遺ってたって証拠なだけで、あんたら戦神の使徒が皆して今すぐ使えるものじゃなかった」
「…………」
「明確な勝ち筋が見つかってない現状で、飛竜を倒した先のこと考える必要ある?」
「二度目の訪問の後も、私達は帰り際にこうやって話したな。あの時、結局答えは出なかった」
「当たり前だよ。あいつは暇人だから、遠い未来のことをうだうだ考えてるだけ。特に戦神信仰のせいで大陸から人間がいなくなるって発想。それどれくらい先の話? あたしらエルフでも、そんなこと考えないよ」
「……いえ。ですけど飛竜への対抗策が確立した時点で、僕達は何だかんだ復讐の先にある現実を考えないと駄目だと思いますね」
ニコルはナギッサに視線を向けた。
戦神の軍のお目付け役である、マーブリスの最精鋭"月影騎士"に。
「これも、エリオットさんが前に言ってた通りですよ。『戦神の軍に勝ち目が見えたら、今関わっている大陸の各勢力は決戦後のことを考え始めるでしょう』ってね。共倒れしてくれれば良し、敗れても義理立てはしたから良し。だけど仮に戦神騎士が多く生き残ったままオズワルドを攻め滅ぼせば、今度は自分達の国が危ないかもしれない。戦後の僕達戦神の軍にどう接するかは、考えざるをえない。……でしょ、月影騎士さん?」
「それは……そうだね。けどじゃあ結局、その勝ち目が見えるのはいつなのかって話にならない?」
「ローラン先輩が風の業と魔力を無効化する業を、北方の"闇の廃都"で見つけました。石の英雄様が風の業を振るって飛竜を叩き落としたのも、"砂粒"さん達が確認してます。その御方が、ローラン先輩とグリムロ副長の武器に何かをしてくださったって話も」
「それは今すぐ使える業じゃないじゃん。そもそもそいつが何をしてくれたのか、まだ分かってないんでしょ? それに何かが発現したとして、その二人だけを頼りに飛竜数十頭と戦うわけ? 傍から見てると、あんたらの道のりはまだ夢物語の段階だよ」
「堂々巡りになっているぞ、二人とも。この前していた話と内容がほぼ同じだ」
ノーラは立ち止まり、少し語気が強くなり始めていた連れの二人を仲裁する。
「……すいません。まあ、要は話し合ってもすぐには答えが出せない問題ってことですよね。ノーラ先輩は何か考えがまとまったんですか?」
「まだだ。あいつが捏ね繰り回す理屈をまた聞こうと、不意に思っただけでしかない」
「今さらだけどさ、ちゃんと答えを見つけてから訪ねた方が良かったんじゃないの?」
「そうかもしれない。ただもうここまで来たんだ。せっかくだし、会って帰ろう」
山の中腹、木立の中に隠れるようにして魔術士エリオットの小屋はあった。
いかにも世俗に興味が無いといった風情の、こじんまりとした素朴な住処である。
遠巻きに感じられる中の気配は、一つではない。
「先客ですか」
「独特な気配だ。……ドワーフだな」
「まあドワーフの小道具持ってるくらいだから、知り合いはいるよね。ちょっと時間空ける?」
「声だけでもかけておこう。密談というわけではないだろうしな。それに先ほどの石の報せがもう……」
小屋へ近づこうとしたノーラ。
しかし扉の前に、青白い魔力のもやが発生した。
それはゆっくりと形を為していき、やがて小柄な獅子となる。
「"赤獅子"と同じ業!? 戦神の加護無しで……」
「へぇ、やるじゃん。暇人なだけあるね」
『…………』
ニコルとナギッサが、揃って感嘆の声を漏らす。
出現した青い獅子は威嚇どころか、小屋の前に行儀良く座り込んだだけだ。
どうやら「少し待っていろ」という合図らしい。
ノーラが知る限り、魔力を体外に放出して確固とした形状を維持し続けるのは、単純な壁を作る"防護"の魔術でもかなり難しい部類だとされている。
戦神の魔術士達が駆使する"赤獅子"の魔術だって、戦神の加護を前提とした極めて高度な業だ。
だが眼前の青い獅子には、何らかの加護を授かっているような神聖さは無い。
エリオットは、完全に自前でやってのけているのだろう。
その上。
「……ナギッサ。扉越しに魔術を行使するのは、お前達でも難しいか?」
「エルフなら別に。でも、人間が出来るのは初めて見たよ」
「私もだ。達者なのは口だけではない、か。流石に古参のジェラルド殿が、特別に名を挙げるだけのことはあるな」
三度目の訪問でようやく見られた彼の魔術を、ノーラはじっくりと観察することにした。
見慣れたフォルラザの"赤獅子"と比べて、どこか造形が大雑把だ。
獅子の表情も凛々しさや思慮深さが強く滲んでいるように思う。
対峙している分には、圧力は大したことが無い。
それでも半端な軍勢に突っ込ませれば、充分な働きをするだろうが。
「そろそろ限界かな」
ナギッサが後ろで呟く。
その直後、魔力の獅子は座り込んだまま霧散した。
どうやら持続時間も、"赤獅子"の魔術より短いようだ。
「さて、とりあえず挨拶だけでも先に……」
ノーラはそう言いながら、小屋の扉を軽く叩く。
どうぞ、と短い反応。
入るとドワーフの中年が椅子に腰かけたまま、視線を向けてきた。
「……何でい。気が早ぇ奴らめ。もう少しくらい待っちょればええものを」
「申し訳ありません。お話の続きは、また今度にしましょう。いつもありがとうございます」
エリオットが柔らかい笑みを浮かべ、腰を上げる。
そして椅子からぴょんと跳び下りたドワーフに、スクロールと一枚の紙を差し出した。
ドワーフはそれらを受け取り、もっさりと蓄えた黒髭の上からでも分かるように大きく笑みを返した後、ノーラ達に構わずのそのそと出ていった。
「悪いな、エリオット。話を中断させてしまったか」
「お気になさらず、ノーラ様。ただの雑談でしたので」
そう言いつつもエリオットはこちらへ顔を向けず、机の上に転がっていた石や腕輪を片づけた。
自作の物品とドワーフの工芸品を取引していたのだろう、とノーラは察した。
とはいえ、ドワーフと交わしていた笑顔は単なる取引相手に見せるものではなかった。
冷めた澄まし顔とはまた違った態度で他者と接することも出来る、ということか。
そして、戦神の旗頭ノーラはまだ心を許せる存在ではない、と。
「この前のお話の続きでしょうか?」
続きかと言われれば、その通りだ。
しかし、ノーラはしばし考える。
最初の問いかけに対する答えは、未だ自分の中で形になっていない。
直前になされたニコルとナギッサの問答も、二度目の訪問直後とほぼ変わっていなかった。
そこへさらに理屈を聞いても、きっと何の益も無いだろう。
確かに、いずれ答えを出すべき問題ではある。
とはいえ、なんとなく三度目の訪問を決めたのだ。
ここはなんとなく、あえて方向性を変えてみるか。
「いや、違う。今回はただの雑談をしに来た。先ほどのドワーフと同じだ」
「……この国への助力でお忙しいはずでは?」
「忙しいとも。人材を求めて国中を駆け回り、北方の連中が攻めてきたら即座に急行……忙しいからこそ、たまには身も心も休めないとな」
横柄な言動だと思いながら、ノーラは先ほどドワーフが座っていた椅子に許しも無く腰かけ、旗槍を机に立てかける。
エリオットは僅かに眉根を寄せたが、すぐ冷たい表情に戻った。
黒髪に黒い瞳。
顔立ちは中々に端正で怜悧。
無愛想で無表情気味なのは後輩のノアも同じだが、エリオットの顔は不思議と記憶に残らない。
整っているのに数日経てば印象が薄れるような、異質さがあった。
おそらく何らかの鍛錬で身に着けた業ではない、生来のものだ。
『あたしらエルフにもああいう顔つきの奴はいるよ。気づいたらいなくなってそうな、それでもほとんどの同朋は気にしなさそうな……薄い奴』
『へぇー。"世捨て人"ってそういうものなんですかね』
『そう表現すればかっこいいけど、だいたいは世の営みに上手く混ざれてないだけなんだよね』
『辛辣だな、ナギッサ。本人がそれで生きていけるなら、別に構わないんじゃないか?』
『……そうかも。ちゃんと幸せに生きていけるなら、ね』
最初にここを訪れた直後にニコルやナギッサとした会話を思い出しながら、ノーラは口を開く。
「三度しか来ていないが、心が安らぐ山だ。あなたがここに住みたくなる気持ちも分かる」
「……生まれ育った街から、あまり離れることが出来なかっただけです」
「なるほど。ということは、今でもあの街へ下りていくことがあるのだな?」
「はい。完全な世捨て人になれるほど、器用ではありませんので」
エリオットは立ったまま、視線を逸らして応じてくる。
「そうか。それは良かった」
「……良かった、とは?」
「こちらの話だ。街には、家族や友人がいるのか?」
「っ、貴方に何か関係ありますか?」
顔すら背け、僅かに声を震わせた青年。
一度目も二度目も、こういう反応はしなかった。
関わりの薄い相手に胸を張って理屈を謳い上げることは出来ても、力を抜いて雑談するのは不得意なようだ。
「すまない。踏み込んだ話をしてしまったな」
「……いえ。街に下りるのは筆や紙、インク……あと書物のためです。どれだけあっても足りませんので」
「でしょうね。すごい量だし」
ノーラと同じく勝手に椅子へ座ったニコルが相槌を打ち、部屋の隅に山積みされた紙と書物の山を見やった。
綺麗に整頓され、括られている束も多いが、それにしても凄まじい量だ。
小屋の天井まで積み上がった山が、いくつもある。
エリオットに事情を聞くまでもなく、ノーラは街に住む"砂粒"から彼についてある程度の話を聞いていた。
時折街にやってきては特に取引相手の商人を定めることなく、貴重な魔術のスクロールを無作為に売っている、と。
「ねえ、エリオット。この紙の山、ちょっと見てもいいかな?」
「おやめください。人様に見せびらかせるほど、価値あるものではありません」
「そうなの? さっきのドワーフが受け取ってた紙きれ、何かの図面じゃなかった?」
ナギッサは目を細め、世捨て人の青年を試すように微笑む。
青年は煩わしそうに目を閉じ、無言で返答を拒んだ。
そして椅子へ半端に座り直し、机を指先でトントンと叩く。
幼いながらに、世間離れしていた。
老騎士ジェラルドによる、エリオットの評だ。
今は二十歳を少し過ぎたほどらしいが、どうにも気難しく育ち、人付き合いをそつなくこなすのが苦手なのだろう。
人見知りの傾向があり、限られた相手以外には上手く対応出来ない。
そういう者は、別に珍しくない。
腹を割って打ち解けるまでは、心に蓋をしてしまうような者。
ノーラ自身も、近い性質を持っている。
今はもうニコルとナギッサにしか、本来の砕けた自分を見せられない。
ただ、自分はそれでも体面を取り繕えるし、腹を割らずとも親しく接することだって出来る。
良くも悪くも、だ。
同期のローランとは結局、心に蓋をしたまま一線を引いた付き合いをしてしまっていた。
いや、違う。
あれはローランが悪い。
もう少しあいつの方から歩み寄ってくれていれば、自分だって──
「前置きはもうよろしいでしょう。ノーラ様、本題を」
「……ん、本題?」
「復讐を遂げた先の、戦神の軍の在り方。それをお答えくださるためにいらっしゃったはずです」
「最初に『違う』と言った。本当に単なる息抜きで来ただけだ」
「…………」
「何か面白い話でもしてくれるとありがたいな」
毅然とした表情を不愉快そうに歪ませる、エリオット。
素直な反応だ。からかわれるのに慣れていない。
ろくに他者と関わってこなかったのが、透けて見える。
やり取りを見守る連れの二人が、笑いをこらえるように天井を見上げている。
「……そういう戯れは好みません」
「あのドワーフとは親しく話していたのだろう?」
「幼い頃よりの間柄ですので。ですが、貴方は違います」
「それはそうだな。では私から尋ねようか。あのドワーフや私達の他にも、あなたを訪ねる者はいるのか?」
エリオットは答えない。
「好きな食べ物は? 酒を呑んだりは出来るか?」
答えない。
「まだ晴れているが、少し土に湿り気があった。もう少しすると、雨が降るかもしれないぞ」
応じない。
やがて青年は俯き、唇を内側に巻き込んで身体を強張らせた。
気まずい沈黙が、小屋を支配する。
少年騎士が呆れたように椅子に背をもたれ、エルフが大きなため息を吐いた。
もう帰ろうか。
そして、二度と関わらないようにしようか。
ノーラはそう思ったが久しぶりに、舌が勝手に回った。
「ならばあなたは普段、この山で何をして過ごしているんだ?」
「…………」
「答えてくれ、エリオット」
「…………魔術の研鑽と読書、気が向けば剣の鍛錬です」
「あ、それ僕も興味あります」
ニコルが手を挙げ、横から口を挟んでくる。
「エリオットさんがさっき出してた魔力の獅子って、フォルラザの"赤獅子"の模倣でしょ?」
「……はい。私はあの魔術を"青獅子"と呼んでいます」
「子供の頃にジェラルド様から教わったんですか?」
「いいえ。見せてはいただきましたが、『戦神の加護による特別な魔術だ』とジェラルド様はおっしゃっていました」
「だよね。普通の人間は魔力の壁一枚作るのだって大変なのに。何年かけたの?」
「……"防護"の魔術を獅子の形へ変えるのに三年。命令を与えて動かすのに五年かかりました」
ニコルとナギッサに、エリオットは机の木目を見つめながら答える。
示された数字に、ナギッサは感心して小さく拍手した。
「僕はよく分からないですけど、エルフが拍手するくらいなんですか?」
「滅茶苦茶すごいと思う。もし大陸東方に生まれてたら、探究の国がほっとかなかったね」
「いえ、国仕えをするつもりはありませんので……」
「先ほどは扉越しに"青獅子"を行使していたな。あれも研鑽の成果か?」
「あれは……ある日、ふと思いついただけです。試してみたら、出来ました」
それを聞いたナギッサが再び称賛の言葉を発し、より大きく拍手した。
エリオットは恥ずかしいのかばつが悪いのか分からない表情で、ずっと俯いている。
「こ、このような雑談が、一体何になるのですか?」
「無意味な話をしているわけではない。戦神の軍も月の国マーブリスも、人材を求めているのだから。今日軽く見聞きしただけでも、あなたが極めて優秀な魔術士であることがよく分かった」
「それならば、これはただの雑談でも息抜きでもないということになりませんか?」
「ああ、そうなっているな。あなたが自分から話題を出さず、好まない話題を避け続けた結果だ」
「っ。……国仕えは絶対にしません。街へ下りるのすら、極力避けていますので」
「人嫌いか? あるいは、巨大なしがらみに縛られたくないか?」
「…………ご想像にお任せします」
「ならばもしもあなたの問いかけに私が明確に答えを出し、それに納得がいけば……戦神の軍に加わることは可能か?」
正面のノーラからは表情が窺えないほどに世捨て人の青年は深く俯いて、黙りこくった。
人材、か。
ノーラは心の中でその言葉を転がした。
この青年は指示待ちのノアや粗暴なグリムロ副長とはまた違った、問題児の類だ。
おそらく上手く説得して戦神の軍へ加えても、今の状態では戦力になるかどうか以前に不和の種となる。
何より、彼自身がひどく苦しい想いをするだろう。
才気は光り輝くほどにある。
それでも前向きに歩む気概が無い者を無理に伴えば、かえって邪魔になるだけだ。
魔術士エリオットはこの山で一握りの友を時折相手にして一生を終える方が、性に合っているのかもしれない。
しかし。
ノーラの舌が、回り続ける。
「はっきり言おう。初めてここを訪ねた時の、あなたの問いかけ……『復讐を成し遂げた後は、どうするのか?』……それに対して私はまだ、言葉に出来るような答えを決めていない」
「……それは」
「それはマーブリスとの協働が忙しいから。飛竜への明確な対抗策すら得ていないから。再起と復讐の道のりがまだ、夢物語の段階だから。答えを今決めない理由ならば、容易く言葉に出来る」
だがエリオットに問いかけられた後、ノーラは色々なことを考えた。
「『どうすべきか?』を答えるならば、大きく分けて三つだと思う。一つ、大陸中央に新たな戦神の国を作り、信仰のために戦い続ける。二つ、戦神の軍を解散し、各自は繋がりを作った国で生きる。……三つ、軍の解散に加えて戦神への信仰も捨て、いずこかへ去る」
「……三つ目は不可能でしょう。それが出来るならば、フォルラザが滅亡した時に皆様でそうなさったはずです。二度の大戦に敗れ、あらゆるものを失ったでしょうから」
俯いていたエリオットが顔を上げ、しっかりとした言葉を発する。
理屈について話す時はやはり、こういう反り返った態度が取れるらしい。
極端から極端に振れる男である。
「いや、不可能ではない。戦神への信仰を捨てること自体は別に可能だ。仮にこれからそういう者が出てきても、私は咎めるつもりも無い」
「え……」
「フォルラザが滅亡してからこの大陸西方を目指す前、私は敗残兵を多くかき集めた。そして彼ら一人一人に対して、厳しい現実と未来を語った。『フォルラザは滅んだ。これから先はかつてのような覇道を進む戦は出来ない。再起と復讐のための、険しく惨めな雌伏が続く』とな。その結果、半数以上が去るか自決し、残ったのは二十人だけだった。去っていった者達は私を罵るか、オズワルドに一矢報いて死に花を咲かせると叫んだ。自決した者達は皆、全てを諦めたような表情をしていた」
「……そんなことが」
「かつてのフォルラザにおける戦神への信仰とは果敢に戦い、戦神に勝利を捧げることだった。去った彼らは、自決した彼らは……信仰に殉じたのか? 信仰を捨てたのか? エリオット、あなたはどう思う?」
青年は、また視線を下げた。
ニコルもナギッサも、息を殺してやり取りを注視している。
黒い瞳は、すぐにノーラを見つめ直した。
「分かりません。それはきっと、彼らそれぞれの信仰への向き合い方によるものでしょう」
「その通りだろうな。勝てなくても雄々しく戦い抜けば、それで戦神に胸を張って死ねる者。勝てないのならば、戦神への裏切りだと考える者。こそこそ無様に雌伏するなど、戦神が許さないだろうと考える者」
エリオットが頷き、椅子から若干前のめりになってノーラの話に聞き入る。
「そして大陸南方にはまだ、戦神の民の集落がいくらか残存している。フォルラザに属さず、周辺に戦を仕掛けるでもなく、ただ物心ついた頃から武器を握り、鍛え上げつつも農地を耕す者達だ。私達の頼もしい同盟者とて、同じ戦神の民だが直接的な戦をすることは無い。戦神信仰と一概には言うがその実、戦神の民は生き方も考え方も細かく異なっている。……それは当然のことだ。人間なのだから」
「ではオズワルドに復讐を成し遂げて満足する者がいれば、そこで信仰を捨ててもノーラ様は許容すると?」
「先ほどそう言った。だからこそ、三つ目の選択肢として挙げたのだ」
突如、ガタンと音がした。
ナギッサが大きく後ずさり、小屋にある棚にぶつかったようだ。
虚空を見つめる視線は、かなり緊張していた。
かつてマーブリス南端の街ノックスの船着き場で話した時と同じ、恐怖と畏敬の混ざった目だ。
気配は一切無いがあの時のように、戦神のおでましらしい。
ニコルは急に動揺したナギッサへ、怪訝な視線を向けている。
ノーラは構わず、舌を回し続けた。
戦神の御前であっても、心は安らぎのひと時を過ごす獅子のように穏やかだった。
「話を戻そう。一つ目の選択肢、新たな戦神の国を作った場合だ。これは前回、あなたが粛々と語った通りになるな。フォルラザの興亡の再現だ。また殺して殺されてをひたすら繰り返す。協力してくれた大陸東西の大勢力とも、いずれぶつかり合う。人が大勢死に、その果てには荒れ果てた大陸だけが残る……かもしれない」
「先の大戦で無敵を証明した飛竜を寡兵で大陸中央の覇者ごと打ち倒せば、ノーラ様の声望は極限まで高まります。そうなれば貴方を女王として国を建て、やがては大陸全土の統一を……と考える者達も出てくるかと」
「私にその手の野心は無い。担ぎ上げられるのも御免被る。生き残った他の戦神騎士達も、そういうのはガラじゃない者ばかりだ」
「つまり……二つ目。戦神の軍を解散して、各々が誼を結んだ勢力の麾下に入るのが、最も現実的な選択肢ということですか?」
こうして改めて考えを整理している限りでは、そうなるようにノーラは思う。
現状、マーブリスの最精鋭"月影騎士"を内外に称して動いている自分達が「正式に軍へ属したい」と月の王に奏上すれば、おそらくは受け入れてもらえることだろう。
同期のローランだって、探究の国ラガニアに繋がりを作ったようだ。
そうやって戦神騎士達が大陸各地へ散り、やがて戦か寿命で死ねば、それが最も穏便だ。
戦神の民は残っていても、戦神に選ばれた"百人力"の危うい存在は時の流れによって消え去る。
「しかし、この二つ目にも問題はある。エリオット、あなたならば分かるはずだな?」
「……はい。オズワルドが滅んで統治者がいなくなった、肥沃な大陸中央。それを狙って、多くの国々が相争うことでしょう。そうなれば貴方達戦神騎士も、同朋と殺し合わなければならない」
「まさしく。まあ、私達は戦場で敵対する分には互いに手加減などしないがな。それでも結局、大陸全土の情勢は今以上に荒れ、長い戦争がそこかしこで続く」
再び、沈黙が流れた。
だが今度の沈黙は、各人が考えを巡らせるための沈黙だ。
「……ならばいっそのこと、復讐などおやめになっては?」
「は、ちょっ!?」
エリオットの発言に焦ったのは、ナギッサだった。
姿形を失くした戦神の存在を、感じ取っているからだろう。
確かに、戦神の怒りを買いかねない提言だ。
「ノーラ様達は表向きには現在、マーブリスの最精鋭として扱われているのでしょう? 大陸西方の覇者の懐刀という立場で、何かご不満ですか?」
「特に不満は無いですね。どこの村や街に行っても敬意を払われるし、とても歓待される。居心地は最高ですよ。……戦神の軍だって気軽に名乗れないことを除けば」
ずっと黙っていたニコルが、ノーラの代わりに答える。
「ノーラ先輩の挙げた二つ目の提案を採用すれば多分、決戦の後は現状みたいな生き方をしていくんでしょうね。ヴェント様とも決戦後に月の都でお祭りを観ようって約束してますし。飛竜を討ち取るなんて諦めて、今の恵まれた待遇で生涯を終えたらどうかってエリオットさんは言いたいんでしょ? 僕達がオズワルドを目の敵にして動き続ければ当然その分、関わってる国々にも迷惑がかかりますからね」
「オズワルドの南方統治はガタガタどころか、逆に第四王子が予想以上に盛り立てているせいでこのままいけば独立、という状態にまでなっている。南方を中央の糧にするどころではない。疲弊しきったオズワルドが東西に対して積極的に大戦をしかけることは、当分の間は非現実的だろう」
「はい。ですから、オズワルドは放置なさればいいのです。勝手に弱って分裂して、いずれは自滅する可能性だって少なからずあるでしょう。乱世の激化は結局避けられないかもしれませんが、それでもノーラ様達が飛竜を討ち取ってオズワルドを強引に滅ぼすより、争いは比較的緩やかなものになるはずです」
第四の選択肢を、エリオットは新たに示した。
ニコルは真剣な表情で考え込み、ナギッサはずっと姿無き戦神を見つめてそわそわしている。
思いつく答えは四つ。
そして選ぶべきはその内の一つだ。
どれか一つ。
戦神の旗頭として、一つに決めなければならない。
「……いや、違うな」
「違うとは?」
「私は三つの答えを選択肢として挙げ、あなたはさらにもう一つを追加した。だが、それはあくまで『どうすべきか?』という性質の答えであって、『どうしたいのか?』ではない」
「大陸への影響を考慮するのではなく、自分達の願望を優先するということですか? 貴方がたが矮小な存在であれば、それでいいかもしれません。……ですが実際は違う。貴方がたは戦神騎士、れっきとした神の使徒です。その力と存在感の重さは、自覚して然るべきでしょう」
「もっともな意見だ。それでも今話しているのはどれも所詮、聞こえの良い建前。少なくとも私の本心から来る答えとは異なるものだ」
「本心……」
エリオットがまた、視線を机に落とした。
「先ほども言った。人間はそれぞれ、生き方や考え方が異なる。十人の戦神騎士とて、皆同じ思想や信仰心を持っているわけではない。他の兵士達だってそうだ。私一人が建前の答えを出せば、戦神の軍全員がそれに盲従する……そんな安易な集まりではないのだ」
ノーラはこれまで西方で得た、三十人の人材を思い返す。
独り黙々と武を磨いた末に行き詰まり、ニコルにあっさりと敗北して奮起した者。
いつか国を作ることを夢見て、自身の器の堅さを試したいと抜かした者。
大陸には実在しないとエルフが語る"月の女神"を熱心に信奉し、彼女の矢として北方も大陸中央も射抜いてみせると語った者。
おおよそ変わり種ばかりの彼らに、戦神への信仰は無い。
それでも確かな胆力をもって己を示し、戦神の軍へ自ら同行している。
フォルラザ滅亡直後から連れ歩いている、二十人の兵士達だってそうだ。
復讐が終わった先に何を思うのかは当然、各々違うことだろう。
「私はまだ自身の答えを決めていない。向き合うべき問題であることは確かだ。戦神の軍の旗頭としても、一人の人間としても」
「……はい。とはいえ飛竜に対する術を得た時点で、答えを内外に示さなければならないと思います。この月の国マーブリスだって、貴方の出された結論次第では態度を翻すかもしれません」
「だろうな。……すまない。鬱陶しく押しかけてきたというのに結局、煙に巻いて終わりだ」
エリオットが俯いたまま、首を横に振る。
これで、今日すべき話は終わった。
しかし、まだ回る。
ノーラの舌が、突き動かされるように。
「……魔術士エリオットよ、一つ聞きたい」
「え?」
「そなたの本心は、どこにある?」
「!!」
ニコルが何故か息を呑み、立ち上がった。
ナギッサは直立不動で、ずっと固まっている。
「戦神騎士ノーラに問いかけをするそなたは、好まざる繋がりを全て拒み、無聊を慰める身。そのような者が何故、他者の決戦の先に想いを馳せる?」
「っ……!」
「かつてジェラルドが獅子を見せ、ドルザンが戦神の民の在り方を説いた。それも、所詮は童だった頃の思い出の一つであろう。ひたすら抱えてこじらせた、憧憬の類か? あるいは単なる好奇心か? それとも……」
「私は……ぼ、僕は……」
「そなたが世を捨てるまでどのような人生を歩んできたか、我は知らぬ。だが、この書物と書付の山は何だ。これほどのものを何故、この小屋に積み上げ続ける? 今の生き方では大半が、何の意味も為さぬというのに」
ノーラは最後に言い放つ。
「答えを出さねばならないのは、そなたとて同じだ。その燻りはどれだけ紙切れにぶつけても、決して消えはしない。老いて死ぬまで燻って、悔いを残して死ぬ。そなたの本心は、果たしてそれを許すか?」
戦神の旗頭は、席を立った。
机に立てかけていた旗槍を手に取る。
そして顔を上げずに震える世捨て人の青年から視線を切り、小屋を出た。
静まり返った山の斜面を、ノーラは前を向いて歩く。
立ち並ぶ木々も、地面を覆い隠す落ち葉もツタも、歩む障害になりはしない。
「……あの。ノーラ、先輩?」
「うん? なんだニコル」
「いえ、えーと、その……また来るんですか? エリオットさんのところ」
「来る。問いかけをされた。問いかけをした。だから、来なければならない」
珍しく歯切れが悪く萎縮しているニコルに、ノーラはきっぱりと言い返す。
握りしめた旗槍が、強い熱を持っていた。
自身の身も心もだ。
「少し山を駆けてくる。ここで待っていてくれ」
「へっ? ノーラ先輩!? ちょっと、あっ……」
駆け出した。
獅子のように吼える。
雄々しく、猛々しく。
「ナギッサさん、あれって……」
「そうだよ。前に一回だけ、あたしも話しかけていただいた。本人は気づいてないみたいだけど」
「戦神の旗槍は武功だけじゃなくて、もっと特別な何かを見られて賜る。フォルラザがあった頃に、先輩方から聞いたことがあります」
「はぁ……流石にあんたにも言わないとだね。ニコル、さっきのあれ……あたしはついヴェントくんやメリッサ姉さまに喋っちゃったんだ。だから、多分王さまも知ってる。ごめん」
「……仕方無いことですね。ナギッサさんはお国の最精鋭をやってるんですから」
「でも、話すべきじゃなかった。ノーラのことを想えば」
「いや、それは大丈夫ですよ」
「何でさ」
「ノーラ先輩は、あくまでノーラ先輩だからです。言わされたんじゃない。言いたかったら、言った。あれは多分、その手助けをしていただいただけなんだと思います」
「……どうしてそう思うの?」
「決まってるじゃないですか」
「僕達は自分の意志で、この道を歩んでいるからです」