戦神騎士物語   作:神父三号

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第51話 ノーラの道・夜と朝日

 月が見えないその夜は、異様に長かった。

 

 城塞都市ルネシアを任された将軍ドレヴァンが住まう、戦時のための屋敷。

 その軍議の間に、筆が紙の上を滑る音だけが小さく生じている。

 

「……よし、書き上がりました。メリッサさん、お願いします」

「分かったわ。少し離れていて」

 

 報せを受けて都から跳んできていた月影騎士メリッサが、筆を置いたニコルを下がらせる。

 そして、掌に乗せていたインクの瓶を軽く指で小突いた。

 インクが溢れ出し、机の上に並べられた五枚の紙の上で、それぞれ球体となって制止する。

 

「──、──」

 

 メリッサは何ごとかを唱えながら目を細め、ニコルが書き上げた文書を指でなぞった。

 インクの塊が五枚の紙に落ちて、ニコルの文書をそのまま写した。

 エルフの誇る、黄金の魔術だ。

 

「はい、出来上がり」

「ありがとう、メリッサ姉さま。……ごめん、任せちゃって」

「いいのよ、ナギッサ。気持ちはよく分かるから。模写のついでに軽く読んだけれど……これは」

 

 メリッサが妹の謝罪に微笑み返した直後、形のよい眉をひそめた。

 人間で言えば二十代半ばほどの外見を持つエルフの美貌が、強い不快感に歪んでいる。

 

「ニコル君……嗤い声まで書く必要あった?」

「必要あるか無いか、僕一人で判断することじゃなかったので」

「それはそうだ。そもそも『一言一句余さず』と指示したのは、私だからな。メリッサさん、どうか責めないでやってくれ」

 

 ノーラの言葉に応答せず、メリッサは不機嫌そうに顔を背けた。

 今まで何度もやりとりしてきた間柄だが、いつも穏やかな微笑を崩さない彼女にしては、珍しい態度である。

 

「確かにのう。敵国の女王と思しき輩が吐いた言葉じゃ。不愉快であろうとも、きっちり吟味せねばならんわな」

 

 ドレヴァンがそう言って、皆に着席を促した。

 将や文官のために広く造られた軍議の間には、たったの六人。

 

 将軍ドレヴァン。

 月影騎士メリッサ、ナギッサ。

 戦神騎士ノーラ、ニコル、ノア。

 

 大勢を集めて行う正式な軍議の前に、まず月の国マーブリスと戦神の軍の意見をすり合わせておこうということになったのだ。

 

 城塞都市ルネシアの全将兵は将軍の命により、未だに臨戦態勢を解いていない。

 もう片方の城塞都市セルヴァルドも同様である。

 

 セルヴァルドを守るもう一人の将軍は、あえてこの場には呼ばなかった。

 あの"姫神"を名乗る闇の魔物が本当に去ったのか、予断を許さない状況だからだ。

 何らかの手段で大河川を渡って、夜襲をしかけてくる可能性が捨てきれない。

 せめて三日ほどはこのまま備えていようと、エルフ達月影騎士によってマーブリスの両将軍は連絡し合っている。

 ノーラも同盟者である戦神の諜報"砂粒"に、マーブリス北辺における監視の強化を依頼した。

 

「ふむ……ダグル……闇が帰ってこない……三度目の満月……」

 

 静まり返った広い部屋に響くのは、ドレヴァン将軍の呟きだけ。

 ノーラが視線を巡らせると、メリッサとナギッサは全身を強張らせ、文書を睨みつけている。

 ノアは相変わらず無表情だが、忙しなく碧眼が動いていた。

 

「……馬鹿じゃないの? この"姫神"とかいう奴」

 

 ナギッサが毒づき、紙をくしゃりと握りしめた。

 

「一千で五万を蹴散らして、そのまま大陸西方を呑み込む? 出来るわけないじゃん。"蛮地"……ダグルって連中と組んで五千の軍を出しても、ルネシアとセルヴァルドさえ落とせてないのに」

「私もナギッサと同じ感想ね。たった一千じゃ、姫神一匹がどれだけ強くても無理に決まっているわ。飛竜ならともかく、所詮は闇の魔物なわけだし。それにオラトリアの兵士の練度はこれまでの戦で、大したことないのが分かっているんだもの」

 

 メリッサが妹に同調し、もう一度文字の並びに視線を落とした。

 

「こいつの言葉は、全て嘘だって考えた方が賢明よ。最精鋭が不要、ダグルを使わない、三度目の満月の夜に一千で攻める……全部でたらめを言っただけ。真に受けたマーブリスが慌ただしく兵を集め出して統制が取れなくなったところを、ダグルと結託して数万で攻めてくる。少しは頭が回るようだから、その可能性の方がずっと高いでしょう」

 

 叡智で知られる長命の種族の姉妹が、苛立ちを隠しきれずに言い放つ。

 彼女達の発言には闇の魔物への嫌悪と侮蔑の意識が強く滲んでいると、ノーラは感じた。

 

「……じゃが、仮にもし」

 

 老将ドレヴァンが、机をトントンと指先で小突きながら切り出す。

 

「もしも本当にオラトリアの姫神が一千で五万を破ってくるとすれば、どのような手が考えられる? フォルラザの戦神騎士達よ」

「一千全部を、僕達と同じ"百人力"で構成することですね」

 

 即答したニコルに、マーブリスの将軍と最精鋭達の視線が注がれた。

 

「極端な仮定をすれば、そうなります。単純に数字の話をしても、"百人力"が一千人いれば十万の軍勢と同じ。そしてそんな軍が実際に戦場へ出てくると、十万以上の威圧感と戦闘力ですよ」

「流石に極端すぎるわね、ニコル君。君達の戦神騎士団でも、全盛期は百人強だったはず。一千の"百人力"なんて、ありえないわ」

「そうですか? 今まで攻めてきたオラトリアの兵士達は確かに弱かったですけど士気は旺盛で、片っ端から"治癒"の魔術が常時かかってたんですよ? それに今夜、姫神は馬の屍を凄まじい速度で走らせてきました。底上げの小細工を色々すれば、ありえないとは言えないんじゃないですか?」

「あのね、ニコル。その馬は結局、脚が千切れたんでしょ? 人間だって同じだよ。無理やり底上げしてあんたらと同格にしたって、そんな無茶させて軍が保つわけ無いじゃん」

「人間の屍さえ操れるとするなら、殺したマーブリスの兵士をそのまま使えばいいだけです」

 

 あまりに冷徹な少年騎士の意見に、エルフ達の碧眼が燃え上がった。

 

「諸々の補給だって、略奪でどうにでもなります。闇の魔物には、他者を尊重する気持ちなんて無いでしょうから」

「……見損なったわ、ニコル君。君、それでも戦神の使徒なの?」

「僕だって、言いたくてこんなことを言ってるわけじゃありません。戦神の民は『戦神に胸を張れるような戦い方をしろ』と教わって育ちますから。ですけど、"神"を自称する闇の魔物が何を誇りとしてるかなんて、エルフのお二人だって分からないでしょ?」

「それはっ……でもさ!」

「戦い方なんてどうでもいい。あらゆるものを冒涜しても、勝てば自分の全てが満たされる。あの化物がそう考えてるとしたら、僕の仮定は充分ありえます」

 

 バンッ。

 

 ノーラの掌が机を叩き、漂い始めた殺気を追い払った。

 

「そこまでだ、ニコル。メリッサさんもナギッサも、落ち着け」

「ノーラ殿の言う通りじゃ。最悪の想定から入るのが悪いとは言わんが、それで言い争うでない」

 

 ノーラとドレヴァンの仲裁によって、熱くなっていた三人は互いに謝り、神妙に俯いた。

 

「ふー。まあ、頭に入れておくべき戦法であることは間違いないわな。……ノーラ殿の意見は?」

「ニコルと別の仮定をするならば、軍勢を全て闇の魔物で構成することでしょう。奴らは小さな"闇の吹き溜まり"に潜むような個体でさえ、魔術や祝福された武器以外は通用しませんから」

「なるほどのぅ。こちらのほとんどの兵力を無視して、魔術士や精鋭部隊とだけぶつかって押し勝てば、後はどうにでもなると」

「ええ。補充の利きづらい、最小限の要のみを手早く撃破する。その後は闇の魔物の特性を活かして力押し。これならば、五万を蹴散らしてみせるという奴の自信もある程度理解出来ます」

「ちょっと待って。それは無理」

 

 ノーラの意見を、ナギッサが否定する。

 

「闇の魔物は人間の真似ごとが出来るくらいに育つと、逆に"吹き溜まり"の外へは出て来れなくなるよ。外に沸いてうろちょろ出来るのは、幼い奴らだけ。ノーラならフォルラザで"吹き溜まり"の処理くらいやってただろうから、知ってるでしょ?」

「ああ、知っているとも。屍の怨念を啜って成長し、三本腕で闇の武器を振るう奴らだろう? ……知っている上での仮定だ。現に姫神自身が大河川の向こう岸で闇を広げたのを、私は先ほど見てきたからな」

「っ……」

「"吹き溜まり"に潜む連中は、"要"を破壊しない限りはしつこく沸き続ける。奴が闇を即座に発生させる業を持っているならば、闇の魔物を軍勢として連れ回すのは不可能ではないように思う」

「出来るわけないじゃんっ、そんな滅茶苦茶なこと!!」

「そうよ! だいたい闇を自ら生んだって、餌として啜る怨念が……!」

「ニコルが言った通りだ。こちらの兵士の屍を糧とすれば、補給は成立する。しかも姫神には、闇を分離させるという詳細不明の業もある」

 

 また強く苛立ち始めた、色鮮やかな碧眼。

 

 エルフとはここまで闇を嫌うのかと、ノーラは内心驚いていた。

 人間も、闇を好む者などそうそういない。

 それでも、図抜けた存在が見せた力を分析して、種々の想定を巡らせることは出来る。

 ドレヴァンも聞き役に徹してはいるものの、ニコルや自分の過激な意見を聞かされても、ずっと冷静なままだ。

 一方でメリッサとナギッサの姉妹は、明らかに普段の余裕と思慮を失っている。

 

「ふむ、ふむ。こうしてワシが聞いとる限りでは、ニコル殿もノーラ殿もかなり極端な仮定をしとるように思う。……対峙した姫神は、それほど凄まじかったということか?」

「全開じゃなかったとはいえ、僕と先輩の二人分の武の気配を押し返してきました。最悪の想定はしておくべきだと思います」

 

 重たい沈黙が、軍議の間にのしかかる。

 

 "闇の吹き溜まり"による、国家全土の隠蔽。

 幼い闇の魔物を船底に張りつけての、大河川越え。

 今まで散々に、神聖国家オラトリアが何らかの闇の業を有している気配は匂わせていたのだ。

 とはいえ、知性を持つ強大な闇の魔物が統べる国だとは、流石に誰も想定していなかった。

 

 姫神がどういう戦法を取ってくるのか、一切予想出来ない。

 最初にメリッサが言ったように、彼女の言葉は全て虚偽という可能性だって大いにある。

 この状況で最適な対応を考えるのは、ほぼ不可能だ。

 

「……ノア殿はどう考えとる?」

 

 ドレヴァンが、ずっと黙って文書を眺めていた金髪碧眼の戦神騎士に問いかけた。

 

「敵の戦法は分かりません。ですが」

 

 ノアは文字の並びを見つめたまま、呟く。

 

 

「姫神は予告通り、一千の軍で三度目の満月の夜に来ます」

 

 

 思わぬ断言に、皆が顔を見合わせた。

 

「……ノアさん、そう言いきる根拠は何かしら?」

「根拠はありません」

「はい? 何それ……このふざけた文面から、戦神の使徒として何かを感じ取ったってこと?」

「いいえ。私が戦神騎士かどうかは無関係です」

 

 ノアは顔を上げ、真っ直ぐな眼差しをメリッサとナギッサに向けた。

 

「この道を歩んでいる一個人の、直感です」

 

 困惑の空気が場に満ちる。

 やがてノアの発言はなんとなしに流され、軍議は具体的な対策の話へと進んだ。

 

 直感。

 道のりを歩む者の、直感か。

 そういえば自分も、火傷しそうなほどに熱い戦神の旗槍を握りしめていたあの時、姫神の宣言を疑わなかった。

 何故だろう。

 「気まぐれは一切無い」と、自分で奴の最後の言葉を両断したはずなのに。

 

 ノーラはドレヴァン達に意見を述べながら、無愛想な後輩の言葉を心の中で転がし、頭を回す。

 ふと、隣のニコルと目が合った。

 

 

『今のわらわなラば、一千で充分じゃ!』

 

 

 姫神の言葉のひと切れが、強く思い起こされた。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

「ナギッサさん達、結局ずっと不機嫌でしたね」

「仕方が無い。今までもオラトリアの話をしている時は大抵、彼女達エルフは顔をしかめていた。そこへ"姫神"なんていう存在が出てきたんだ。平静でいられるものか」

 

 宿へ戻った三人の戦神騎士は、そのまま食堂の椅子に座った。

 夜の暗闇は、だいぶ薄まってきている。

 もうじき、日の出の時間だ。

 

 早起きしてきた戦神の軍の兵士が一人、ノーラ達に声をかけて夜間の見張り番と交代する。

 休息に入る見張り番曰く、ルネシアの街には特に異状無し。

 何度かマーブリスの兵士が状況確認に来ただけのようだった。

 

「はぁ~……やっぱり"月影騎士"を演じ続けるのも中々大変ですね」

 

 ニコルが肩を落として、大きくため息を吐く。

 いつもの生意気な少年らしからぬ姿だ。

 とはいえ、そうなるのも無理はない。

 

 ノーラ達戦神騎士はドレヴァン将軍やエルフの姉妹と話し合った後も、為すべきことがあった。

 ルネシアへ派遣されている主だった将や文官達が将軍の屋敷で行う、正式な軍議。

 その場にも、表向きの肩書である"月影騎士"として参加したのである。

 

 本来の月影騎士であるエルフ達は、様々な手助けはしても国家間の戦争には直接関わらない。

 王家とそういう約束を結んだ上で、月の国マーブリスに協力してくれている。

 城塞都市を巡る防衛戦においては、将軍に報告や助言をする程度の関わりが、彼らの中での線引きらしいのだ。

 

 だからこのルネシアでは必然的に、ノーラ達が西方の覇者の最精鋭として、軍議の中で大量の問答をする羽目になる。

 

「ナギッサさんはこれまで一応、姿を隠して端っこで軍議を眺めてましたけど、今回はそれも無し。戦神の軍のお目付け役なのに、宿にも帰ってこない。……僕が惨い話したせいですかね?」

「姫神と対峙した私達の率直な意見は、将軍に伝えておくべきものだった。気にするな、ニコル」

「『エルフは奔放、気まぐれ、からかい癖あり』……やらかしちゃったかな、僕」

 

 エルフに対する人の世の風評を口にし、俯くニコル。

 自前の最精鋭を擁さないマーブリスという国家にとって、エルフに見限られるのは最悪の事態である。

 ニコルは自身の才気走った発言がそれを引き起こしてしまったのでは、と憂いているのだろう。

 

 ノーラも、友であるナギッサがあそこまで嫌悪や苛立ちを表に出しているところを初めて見た。

 ニコルがここまで素直に落ち込んでいるところもだ。

 

「ままならないな。マーブリスの手札が少ないわけではないが……エルフと戦神の軍。こういう時の切り札が外付けの力しかないのは、どうにも厳しい」

「ですね。しかも戦場には僕達しか出られない。それに、僕がエルフのお二人を怒らせちゃったし」

「あれは軍議として必要な話だった。私だって彼女達の前で過激な仮定をしたんだ。お前が気に病むことは無い」

 

 ノーラはニコルを慰めつつも腕を組み、天井を睨みつける。

 

 正式な軍議も結局、揉めに揉めた。

 姫神という未知の大敵による宣戦布告に、誰もが激しく動揺したためである。

 

 城塞都市の片割れであるルネシアの意見として何とか決まったのは、最精鋭扱いのノーラ達が先鋒となること。

 そして西方各地のドワーフと取引して、闇の魔物に対抗できる武具を可能な限り造ってもらうことくらいだ。

 実際に今後どうするのかは、今の臨戦態勢を解いた後でルネシアとセルヴァルドの両将軍が都に帰還し、話し合う手筈となっている。

 

 それはともかく──

 

「……はぁ」

「ええい、さっきからウジウジと鬱陶しい。戦神に勝利を誓ったばかりだろうが」

「それとこれとは話が別ですよ……」

「おい、ノア。ニコルをしばけ」

「はい」

 

 ノアが椅子から腰を上げ、俯くニコルの頭に手刀を優しく入れた。

 そういう気遣いは出来るのかとノーラが感心して見ていると、ノアは身じろぎしたニコルに対して今度は拳骨を叩き込んだ。

 

「痛いっ!! 今頭上げるところだったでしょ!? そのくらい察してくださいよノア先輩!」

「察していました。ニコル君が再びため息を吐くことも」

「っ、そうですか。ありがとうございます、まったく。……ローラン先輩と再会したら、言いつけてやりますからね」

「それはやめてください」

 

 年下二人のやり取りに、ノーラは声をあげて笑った。

 疲れと緊張が若干和らいだ気がする。

 ニコルもノアも、ここに来て珍しい一面を見せた。

 それが何とも嬉しかった。

 

「……ノーラ様」

 

 突如、食堂の隅の暗がりからありふれた格好の男が現れて跪く。

 マーブリス北辺を広く動き回っている、手練れの"砂粒"だ。

 

「すまないな、夜通し働かせてしまって」

「いえ。皆様こそ、他国の最精鋭を装うのは骨が折れるでしょう」

「本当ですよ。ルネシアの人達は皆、僕達がこの国のことを知り尽くしてる前提で接してくるんですから。所詮は見返り前提の協力者な以上、無責任なことを公の場で言うわけにもいきませんしね」

「それでも私達は月影騎士の名に恥じない程度の意見は言ったし、鼓舞もした。お前はよくやっていたよ、ニコル」

「……哨戒に出るとか適当言って、途中で抜け出せばよかった」

「ノア、気合を入れてやれ」

「はい」

 

 いつまでも後ろ向きなニコルを、ノアの回し蹴りが襲う。

 跳んで躱した少年騎士は砕け散った椅子に構わず、無表情な先輩に反撃した。

 容易く防がれた拳。

 二人の戦神騎士はそのまま、格闘を始めた。

 

「よし。報告を頼む」

 

 ノーラが促すと、"砂粒"は一枚の手紙を差し出してきた。

 大陸南方でオズワルドの総督府に目を光らせている、戦神騎士ウィルフレッドからのものだ。

 相変わらず非の打ち所が無い先輩らしい、明朗な筆致である。

 

「……ほう。南方総督府がパルチャーだけでなく、サレやヴァルゲンとまで?」

 

 総督である第四王子ディーンが大山脈で暴れた最大最強の飛竜バルトに裁きを下して生き残ったことは、ノーラの耳にも既に入っている。

 それをオズワルド本国が重く捉え、食糧の輸送を大きく減らした話もだ。

 

 ウィルフレッドの手紙によれば、総督府は南方における主要な商業都市全てと繋がりを持ち始めたらしい。

 特にヴァルゲンは南方と東方を繋ぐ、大陸有数の大商業都市だ。

 しっかりと結ぶことが出来れば、人も物も一気に集まってくる。

 点在する小さな集落だって、総督府と交流を持とうと自ら動き出すだろう。

 

「なるほど。世情を鑑みると、武力による攪乱はもう不可能な段階。しかし、ウィルさんはそれでも南方から目が離せなくなったか」

 

 手紙にはウィルフレッドによる総督府についての分析が、しっかりと書かれていた。

 

 開墾のみならず、街道の整備にまで着手し始めた兵士達。

 王城も城壁も修復しないまま、様々な施設が建てられていく府の内部。

 そしてそこへ露骨に投入され続ける、鱗持ちの竜神の諜報。

 

「王子のみならず有力な臣下や好意的な商人の暗殺を狙ったり、府の兵を装って狼藉を働こうとしたり、南方一帯で悪評を流したり……輸送や交易に紛れて送り込まれる鱗持ちは手段を選ばず、総督府の影響力を落とそうとし始めました」

「ウィルさんのことだ。南方のあなた達にはむしろ、第四王子を密かに援護させようとしているのだろう?」

「まさしく。ただ、今まで南方の鱗持ちは戦神の軍を探ろうとする者が多かったために『見つけ次第消す』という方針でしたが……大幅に数が増えた上で露骨に総督府ばかりを睨み始めたので、まとめ役がウィルフレッド様と相談して、方針を大きく変えたとのことです」

「今はどうしている?」

「総督府やその取引相手に暗殺を狙う鱗持ちのみを、消す対象としました」

 

 なるほど、とノーラは呟いた。

 つまり狼藉や流言については、総督府自体に何とかさせるということだ。

 

 ウィルフレッドの下した判断は、旗頭のノーラから見ても正しい。

 南方総督府はもはやオズワルドにとって、将来独立もありえる不穏分子である。

 各商業都市もそうした実情を踏まえてなお、総督府と交易しているだろう。

 だから現状は総督府の人材や繋がりを失わせない程度の動きで、充分に大陸中央を動揺させることが出来る。

 

 要は東西だけでなく、いっそ南からも大陸中央を牽制しようという話である。

 回りくどく、その上仇敵の一派閥を利するような行いだが、これもまた再起と復讐を成し遂げるためだ。

 

「……ややこしい役回りをさせてしまっているな。あなた達には申し訳が無い」

「そうでもありません。竜神の民の良くも悪くも力強い"戦いぶり"に、南方の同朋は皆感心しているそうですよ。飛竜頼みでびくびく大戦をしていた頃よりも、ずっと張り合いがあるとね」

 

 "砂粒"の男は、個性の無い顔立ちを綻ばせた。

 その顔を見つめながら、ノーラは考える。

 

 南方の情勢がどう転ぶにしろ、今後は総督府を巡って繊細な折衝が多く発生するだろう。

 種々の機微を見極めて素早く動くためにも、ウィルフレッドは南方に留まった方がいい。

 生き残った戦神騎士の中で大局的な視点が持てる者は、限られているのだから。

 

「それにしても、総督府はこの短期間でよくここまで積み上げたものだな。竜神の民は意外と、こういう生き方の方が得意なのか?」

「竜神の王城では、『今は何よりも南方だ』という話になってきております。潜入している同朋によれば、第四王子の処遇についてひたすら議論が交わされているそうです」

「だろうな。飛竜兵が北方の大河川周辺を飛び回る頻度も、随分減ったと聞く。しかし……奴らはまだ揉めているのか。砂漠越しに中央がやれることなど、そこまで多くは無いだろうに」

 

 ノーラは手紙を読み進め、ウィルフレッドが書き記している今後の展望に頷いた。

 

 最大最強の飛竜が認めた第四王子を、明確に独立狙いの反逆者として扱うことは出来ない。

 それで飛竜達や竜神に見限られれば、オズワルドという国家は終わりだからだ。

 同じ理由で、総督府の飛竜を全て引き上げて王子を孤立させようとするのも危うい。

 近いうちに、兵士達への食糧輸送を完全に止めはするだろう。

 だがもうさほど効果は無いだろうし、飛竜へ捧げる供物の輸送はおそらく止められない。

 

 となればオズワルド本国が第四王子に仕掛ける次の一手は、戦神の民を装った暗殺、適当な理由をつけての召還、あるいは──

 

「……新しい総督を送り込んで王子はただのお飾りにする、か」

「ウィルフレッド様は、その可能性が最も高いと読んでいます。確かにオズワルドの王城内でも主流になりつつある意見なようです」

「そうか。大山脈に住む山の民は……まあ、手紙の限りでは案の定だな」

「はい。山騎士レオン殿を介してある程度の誼は結んだそうですが、どうしても山岳国家ビードを滅ぼした遺恨が差し障りになるとのこと」

「構わないさ。戦神騎士とて、山の民からすれば飛竜と大差無い。レオンも自分達なりの戦い方で大山脈を守りたいはずだ。尊重しよう」

 

 ノーラは手紙を読みつつ、"砂粒"から情報を聞く。

 ウィルフレッドは当然ながら、南方で出来る限りのことを精力的にやっているようだった。

 総督府と同じように、各商業都市へも独自の繋がりを作っているという。

 優れた商人達ならば、その手の両天秤は当たり前にやってのけるらしい。

 

「うん、やはり今後も南方はウィルさんに任せるべきだな。さて、あとは……」

「っつぅ……どうなりましたか、先輩。どっちが西方入りですか?」

 

 最後の一文を読んだ直後、ボロボロのニコルがふらふらと話に加わってくる。

 殴り合いですっかり立ち直ったらしく、腫れ上がった顔にはいつもの憎たらしさが戻っていた。

 その後ろではノアが、椅子や机の残骸に埋もれている。

 

「随分と暴れたな。後で宿の主人に謝って、片付けと弁償しておけよ」

「ノア先輩をけしかけたのはノーラ先輩でしょ? 全員同罪ですよ。……それで、どっちです?」

 

 ノーラは以前より、ウィルフレッドに依頼を出していた。

 大陸南方での攪乱がこれ以上難しくなるようならば、また戦神騎士を西方に寄越してほしい、と。

 

 現在、南方にいる戦神騎士はウィルフレッドを含めて、三人。

 来るのは。

 

「ニコル、どちらだと嬉しい?」

「……僅差でケイト先輩」

「そうか。残念だったな」

 

 ノーラはにやにやしながら、手紙をニコルに見せる。

 それを一瞥した少年は無礼にも、心底面倒くさそうな表情を浮かべた。

 

 

「喜べ。アレクシスさんが来るぞ」

 

 

 手紙の端には、二足で立って盾杖を握る獅子。

 戦神騎士アレクシスが好む、下手くそな落書きだ。

 

「やれやれ、僕の負担がまた増えますね……」

「私の台詞だ、馬鹿たれが」

 

 ノーラとニコルは揃って盛大なため息を吐く。

 だが直後、思わず笑い合った。

 

 "百人力"の同朋が、加勢に来てくれる。

 

「……ふぁ」

 

 ノアが身を起こし、小さな欠伸をこぼす。

 

 眩しい朝日が、食堂に差し込んできた。

 

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