戦神騎士物語   作:神父三号

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第52話 ノーラの道・戦神騎士アレクシス

 早朝。

 城塞都市ルネシアの宿。

 

「ふわぁぁ~~……はぁ」

 

 目覚めの直後、戦神の旗頭ノーラは大欠伸をかまし、ため息を吐いた。

 ニコルと腹を割り、ナギッサという友を得て以来、久しぶりのことだった。

 

 しかし溢れ出た息は、独りで重圧や後悔に苦しんでいた頃のものとは違う。

 

「アレクシスさんは、今日到着か……」

 

 今の自分達は表向き、月の国マーブリスの最精鋭"月影騎士"として振る舞っている。

 この北辺の城塞都市で防衛戦をこなしつつ、エルフの跳ぶ魔術に助けられながら人材を求めて大陸西方中を駆け巡ってきた。

 それ故にドレヴァン将軍を通して、月の王から要請されたのだ。

 

 新たな戦神騎士の合流を、軍の士気高揚に役立てたい、と。

 

 王の想いは理解できる。

 神聖国家オラトリアから突如現れ、出陣を予告してきた強大な闇の魔物"姫神"。

 その存在は、あの夜の軍議によってもうルネシアにもセルヴァルドにも知れ渡っている。

 未知の脅威に将兵達がどこか怯えているのは、調練を重ねる中でノーラもよく分かっていた。

 だからノアの時のように密かに合流させるのではなく、軍政として大々的に行いたいのだろう。

 

 しかし、しかしだ。

 

「やめておいた方がいいと思うんだがなぁ……」

 

 ノーラは身を起こして目を擦り、はねた赤髪を撫でつける。

 アレクシスの人となりは、しっかり説明した。

 それでも、と月の王は新たな最精鋭の喧伝を主張した。

 

 合流してくるのが弓兵のケイトだったならば、自分も比較的素直に頷いただろう。

 気性の荒い先輩だが、こういう状況では毅然として兵士達の尻を叩くような、頼もしい女傑でもある。

 だが、あの痩せぎすの魔術士は──

 

「……まったく。お前は気楽でいいな、ローラン」

 

 枕元に置いてあった平たい丸石を手に取り、ノーラは呟く。

 同期のローランが北方の"闇の廃都"で入手してきた、東風の民の遺産だ。

 これを体内に宿す石の戦士達は、風の業と魔力を無効化する業を振るったという。

 二つの業が飛竜にすら通用するのは、ローランと一度合流した古参の戦神騎士ジェラルドから報告を受けている。

 そしてそれらが、簡単に再現できるものでないことも。

 いや、そんなことより。

 

「十三、四歳くらいの女従者……か」

 

 ローランがいつの間にか伴っていた従者の少女は、探究の国ラガニアでも認められるほどの魔術の素質を持つらしい。

 "砂粒"の報告によれば従者としてよく出来た娘らしいが、容姿はいたって平凡。

 ナギッサにも以前こっそり確認へ跳んでもらったものの、姿形を欺く業の気配も無かったとのことだ。

 フォルラザで後輩のノアを連れ回していた頃のように鼻の下を伸ばしているわけではないだろうが、少し面白くない。

 

 こちらは生意気なクソガキに、無愛想な指示待ち。

 さらに面倒な年長者が追加だというのに。

 

「……はぁ。"霊狼"やシンガの件が無ければ、西方へ呼びつけてやったのに」

 

 ノーラは沈む気分を晴らすために両頬を叩き、服を着替えてローランの丸石を懐に忍ばせた。

 それだけで東風の民の業が都合良く使えるようになるなどとは、一切思っていない。

 ただこの丸石は、かけがえのない同期が道のりを歩む中で得た、確かな"戦果"だった。

 

 自分も、負けてはいられない。

 必ず打ち勝ってみせる。

 たとえ相手が闇の魔物だろうが、奇天烈な同朋だろうが。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

「"百人力"の魔術士アルヴィン様、か……どんな魔術を使うお人なんだろうな?」

「月から女神の矢を降らせるって聞いたぞ」

「ははは、まさか。けど、ネリス様達と同じ"月影騎士"なんだろ? 頼もしいぜ、やっぱり……」

 

 旗槍を担ぎ、部下と馬を連れてルネシアの大通りを行進するノーラの耳に、そんな民の声が聞こえてきた。

 

「……ノーラ先輩。僕、緊張してきました。軍議の三倍くらい」

「随分余裕があるな、ニコル。私は十倍緊張している」

 

 分厚い門をくぐって街の外に出ると、城塞都市の全軍が一斉に拝礼する。

 彼らの眼差しの、なんと眩しげで信頼と尊敬に満ち溢れていることか。

 これも、このマーブリス北辺で戦神の軍が防衛と調練に尽力してきたが故だ。

 

 今日でこういう視線とはお別れかもしれないが。

 

「……随分と仰々しい迎え方をされますね、ドレヴァン将軍」

「うむ。まあ、アレクシス殿……いや月影騎士アルヴィンが聞きしに勝る変わり者でも、これだけの数に畏まられれば流石に背筋を伸ばすじゃろ? 月影騎士ネリスよ」

 

 馬上から向けられる老将の笑顔にいたたまれず、ノーラはちらと後ろのニコルとノアを見た。

 少年は俯き、少女は目を逸らしている。

 

「ええ、きっと。ははは」

 

 やけくそで笑い、ノーラは騎乗してドレヴァンが率いる軍の並びに加わった。

 大陸西方の覇者が誇る、最精鋭及び都からの援軍を出迎えるための整列だ。

 

「ノーラ」

 

 そっと後ろから、澄んだ声がかけられた。

 目をやると、成人したてに見える十五歳ほどの少年兵。

 見慣れぬ平凡な顔立ちがこちらを見上げ、舌をちろっと出してころころと笑った。

 

 エルフだ。

 月の国の真の最精鋭にして協力者である、月影騎士のエルフ。

 

 彼らは人目がある場所で接触してくる時は決まって、騒ぎにならないように容姿を欺いている。

 ノーラ達戦神の軍も皆、エルフの首飾りで本来の容姿を晒していない。

 共に戦場に立つマーブリスの兵士達には不義理だが、この国で月の民以外が大いに動き回るためには仕方ないことなのだ。

 

「頼まれた通り、あのおっさんはギリギリでマーブリスの増援に合流させといたからな」

「……助かる。で、どうだった?」

「いやー、どうもこうも。人間って百年も生きないのに、本当に見てて飽きないねぇ」

 

 エルフの少年が、声を押し殺して笑う。

 

「笑いごとじゃないですよ……ところで、メリッサさんとナギッサさんはまだ?」

「そう、まだ森のババさま達のところ。けどニコル、あの二人のことは心配しなくていいよ。メリ姉達はもう怒ってないし、ちゃんと前も後ろも……横も見えてるからさ」

「……ありがとうございます」

 

 エルフは少年騎士が跨る馬の腹をぽんと叩き、そのまま姿を消した。

 直後に、どよめき。

 

 遥か南の山陰から、騎馬の軍勢が現れたのだ。

 ノーラが遠目に見ても、相当に洗練された動きである。

 ドレヴァン将軍によれば、都とその周辺都市で調練を重ね続けてきた精兵達だという。

 それはいい。

 問題は。

 

「……いるな、ニコル」

「いますね、先輩」

「よりにもよって先頭だぞ」

「初っ端からかますんですか。どうやってマーブリスの将と話をつけたんでしょうね」

「知らん。いざという時は止めるぞ。良い感じに舌を回せよ」

「そっちこそ頑張ってくださいね、戦神の旗頭様」

 

 ノーラとニコルは肘で小突き合った後、深刻な表情で馬の手綱を握りしめる。

 

 おおよそ千歩の距離まで来た。

 九百、八百、七百。

 

 武の気配が、大きく放たれた。

 これまでの調練で"百人力"の威圧にも慣れたルネシアの兵士達は、怯みはしない。

 代わりに、感嘆の息がそこかしこで漏れる。

 

 魔術士は基本的に軍人であっても、これほど強大な武の気配を発せられないのだ。

 戦場で杖を千回振ろうが、己の腕力で剣や槍を千回振る経験には到底及ばないからである。

 それを熟知しているが故だろう。

 

 あと四百歩の距離。

 ノーラは緊張で、息が出来なくなった。

 

 三百。二百。百。

 何も起きない。

 よし。よかっ──

 

 

《止まれぇぇぇぇい!!!》

 

 

 先頭を走っていた外套姿の男が異様に響く甲高い大声をあげ、馬を止めた。

 武の気配が消え去り、無数の困惑が野原に充満する。

 

 まずい。

 

 ノーラの直感と同時に、痩せた長身の男が細長い形の盾を携え、下馬した。

 そのまま、地面を弄り始める。

 そして。

 

《おお、見ろ諸君! "満月花"だぞっ!! 我らが"月の女神"のお恵みだ! なんとめでたいことか! ふははははっ!!》

 

「ま、満月花?」

「初めて聞いたぞ、そんな花」

「けど何故今それを……というか、このやたらデカい声は?」

 

 ざわつく兵士達。

 

「いけません、ネリス先輩! アルヴィンさんの悪い癖がっ!!」

「そうだな、あの人は生粋の魔術士!! どこでだろうと探究心と知識欲を抑えられんのだっ!!!」

 

 大声で適当な弁明をしつつ、ノーラとニコルは慌てて馬を駆けさせる。

 

《案ずるな、我が同朋よ! 私はいつも通りだ!!》

 

 しかし何らかの魔術によって増幅された大声が、制止してきた。

 

 いつも通りだから、焦っているんだろうが。

 そう心の中で毒づいたノーラに構わず、前方で男が立ち上がる。

 

《会いたかったぞ、ルネシアを守る勇士達よ! 私は月影騎士アルヴィン!!》

 

 空に突き上げられる、戦神の盾杖と満月花。

 

 

《だが、月影騎士とはまさしく月の影! 本来知られてはならぬ、秘密の存在だ! よって私のことは、どうか秘密にしておいてくれたまえ!! ふはは、はーっはははははっっ!!!》

 

 

 痩せた中年が心底楽しそうに、声を裏返して笑った。

 轟く大音声に、彼の背後で兵士達が耳を塞ぐ。

 

 戦神騎士アレクシス。

 

 飛竜を相手に大戦を生き延びた、"百人力"の魔術士である。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 アレクシスと月の都からの増援が到着してすぐに、城塞都市ルネシアの周辺はいっそう慌ただしくなった。

 

 元々の守備兵と併せて、二万。

 当然、闇の魔物を相手取ることを想定し、増援によって魔術士が多く増やされている。

 もう片方の城塞都市セルヴァルドにも、それなりの数が補充されるという。

 

 "姫神"の予告を受けたマーブリスは、もはや"大戦"と呼ぶべき規模の備えを始めていた。

 

「まだ二万全てが揃いきってはいませんが……この短期間によくこれほどの戦力を集められましたね。流石は西方の覇者です」

「うむ、領内の街道をしっかりと整備し続けてきたからの。とはいえ、この北辺にこれ以上の数は寄越せん。……色々な意味でな」

 

 馬上のドレヴァン将軍が声を低めて背筋を伸ばし、ぐるりと視線を巡らせた。

 広い野原には城塞内で寝床を確保しきれない兵士達の営舎が既にある程度建てられ、さらにそれを囲むように土塁や木柵が順次増設されている。

 そしてその外周では、将兵が塊となって動き回っていた。

 今まで最前線で戦ってきた守備兵と増援との、意識のすり合わせをしているのだ。

 合流の初日だというのに、月の民の溌剌とした声は止むことが無い。

 

「いつまでこの数が駐屯せねばならんのか、まるで分からんのだ。大河川を渡って攻め込めればと、どうしても思うてしまうわい。水中の魔物さえいなければのう……」

「そうですね。流石のエルフ達も、大軍を安全に向こう岸へ渡す術は用意出来ない。今の臨戦態勢は、費やされる物が多過ぎます」

「セルヴァルドの方も増強しとる分、余計にな。いっそ南方総督府がやっとるように、兵士達に開墾でもさせるか。城塞の南側になら、あるいは……」

 

 唸るドレヴァンの隣で、ノーラは自身の馬を旋回させた。

 そうして、忙しなく働き続けるマーブリスの将兵を改めて観察する。

 皆、気が満ちた良い顔つきをしている。

 

 二万という数は、姫神が「一千で蹴散らす」と豪語した五万の半分にも満たない。

 しかし、ノーラには分かっていた。

 

 この二万は、月の国マーブリスの限界を示すものではない。

 相手は通常の武器を寄せ付けない、強大な闇の魔物が率いる軍勢だ。

 性質も数も全く予想出来ない。

 

 ならば重要なのは、量より質。

 つまり、不測の事態にも柔軟に対応出来る精兵である。

 だが、国内の精兵全てを二つの城塞都市に集結させるような無理はすべきではない。

 そういった事情を踏まえてなお、マーブリスはこのルネシアに二万もの大軍を集めているのだ。

 月の民の底力は、未だにノーラの想像を超えてくる。

 

「それにしてもアレクシス殿は……中々の人物じゃな。貴公の話は、謙遜か誇張と思うとった」

「……お恥ずかしい限りです」

「いや、ノーラ殿が悪いわけではなかろう。まあ、何というか。東方の探究の国などには、個性的な魔術士が多いと聞くぞ」

「フォルラザの戦神騎士団では、戦いに真摯であればそれ以上の人品はさほど問われませんでしたので……はぁ」

 

 轡を並べて肩を落とすノーラとドレヴァンの前でも、調練が行われていた。

 五百ほどの歩兵が槍を前の味方の背に突きつけ、ひたすら走り続けている。

 一本の槍のような隊列は、遠方の旗まで辿り着くと上手く並びを維持したまま反転して、今度は逆方向の旗まで駆けていく。

 先頭を走るのは、戦神騎士ノアだ。

 白銀の大剣を正中に構えたまま姿勢を全く崩さずに走る様は、傍から見ていて少し奇妙だ。

 

「……随分と危うい調練だの」

「ええ、ノアが自分で考えたものです。念のため、限界を感じる前に列から離れるよう、私から兵士達に言ってあります。誤って深手を負えば、アレクシスに治させますので」

 

 戦神の軍の皆が言うに、ノーラ達が魔術士エリオットの山へ行っている間にノアが編み出したのだという。

 

 歩調を乱せば、後ろの同朋に傷つけられる。

 あるいは自分が、前の同朋を傷つける。

 肉体を鍛えつつ、軍人としての責任感と連帯感を直感的に養うためのもの。

 あえて説明するならば、そういう趣旨の調練だろう。

 肝心のノア自身は、意図を言葉に出来ていなかったが。

 

「……流石に無茶だな。頃合いを見てやめさせるか」

 

 ノーラは肩に担いだ旗槍を揺らし、独り呟く。

 ルネシアの守備兵の中でも選りすぐりの者達に受けさせているものの、やはり危険だ。

 彼らは勇敢でも、戦神の軍ではないのだから。

 

「なるほどなるほど。ノアも進歩していて、何より!」

 

 戦神騎士アレクシスが瓶に挿した満月花を手に持ったまま、ノーラ達へ馬を近づけてくる。

 

「……アレクシスさん、声を抑えてください。この国では、私達は偽名を使っているのですから」

「分かっているとも、月影騎士ネリス」

「ニコルと一緒だったはずでは?」

「『増援との打ち合わせで忙しいから、ノーラの元へ行け』と言われてな」

 

 あのクソガキ、上手く押し付けやがった。

 ノーラは密かに歯噛みして、隣に並んだアレクシスへ視線をやった。

 痩せぎすの中年騎士は鼻歌を歌いながら、ノアの調練に目を細めている。

 

「ふはは。ノアめ、中々面白いことをしているではないか」

「自分で考えて行動するようにと、これまで何度も話してきましたから。その結果です」

「素晴らしい。ひたすら往復するだけの動きに、ノアという軍人の実直さと厳しさ……そして優しさが表れている」

 

 アレクシスが満月花にも調練を見せるかのように、花びらの向きを優しく変えた。

 

「弱い者は死ぬ。ただ死ぬだけではない。同朋の足を引っ張って死んでいく。だから、強くならなければならない。あれはまさしく、戦神の民の伝統的な教えを体現した調練だ」

「……確かにそうですね。しかし当の本人は、何故ああいうことをするのか上手く説明出来なかった。何事も経験だと私は考えたのですが……自分で理屈を説明出来ない調練など、許すべきではなかったように思います」

「いや、結構。説明が無くとも、兵士達は何をさせられているのかよく分かっている。だから彼らは黙々と駆けているのだよ」

 

 ノーラは、ノアが率いる隊列を見つめ直した。

 彼らの表情は皆、必死だ。

 同朋を傷つけまい、同朋に傷つけられまいと、息を乱しながらも歯を食いしばり、槍を構え続けている。

 ともすれば"百人力"の武の気配を叩きつけられる調練よりも、苦しそうだった。

 

「そう。さながら人の心とは、月や太陽と同じ。どれだけ光り輝こうが、その影が大地に現れることはない。しかし人はその輝きに、必ずや何かを感じ取るものだ」

 

 アレクシスが小難しい喩えを語る。

 理解出来なくはないが、迂遠な物言いだ。

 ノーラは嫌な汗が浮いた額を手で拭い、気づかれぬように息を吐く。

 同期のローランほどではないが、ノーラも魔術士の高説は苦手だった。

 

「……ところでアレクシス殿。その丸く黄色い花は"満月花"というのか? この国で長く生きてきたワシでさえ、知らぬ花じゃ」

「そうでしょう、将軍閣下。何故なら、私が先ほど名付けたのですから」

 

 ドレヴァンが口を半開きにして固まった。

 

「軍を止めた時、私は後ろの将に聞いたのです。『馬の足元の花はなんというのだ?』と。しかし『分かりません。ただの野花では』と返された。だから私が摘んで、名付けました」

「ほ、ほぉ……」

「ありふれた花に名を付ける。するとそれは、ありふれた存在ではなくなる。剣とて同じです。支給された剣だろうとも鍔を軽く兵士が削れば、その剣はもう唯一無二のひと振りでしょう?」

「う、うむ……」

「特別なものが特別であるのは、きっとそういう行動や意志に依るのですよ。だからこの花は、"満月花"というのです。私がそう名付けたから、これは特別な花となった。……いかがですかな、ドレヴァン将軍?」

「えー、よう分かった。勉強させてもろうたわい」

「ふはは、閣下の知見が少しでも広がったのならば幸いです! しからば!」

 

 アレクシスはドレヴァンに会釈し、そのまま馬を歩かせて調練中の兵士達に近づいていった。

 老将の貼り付けたような笑みが崩れ、若干の疲労を漂わせる。

 

「……かなり煮詰まった類の魔術士じゃな」

「申し訳ありません。聞き流していただいて結構です」

「いやまあ、面白いことを言うとるとは思ったぞ。それに、あの手の魔術士はマーブリスにも多少はおるからな。……おおよそ出世とは程遠い者達じゃが」

「でしょうね。フォルラザでも魔術士達は大概……ん?」

 

 アレクシスが走るノアの前に躍り出て、盾杖を持ち上げる。

 

《ご苦労、諸君! いかがかな、月影騎士直々の指導は!》

 

 ただでさえやたら甲高くうるさい中年の声が、魔術で増幅されて撒き散らされる。

 ドレヴァンが視線を向けてくるが、ノーラは目を逸らすほかなかった。

 そもそもアレクシスがあんな魔術を使えることすら、今日初めて知ったのである。

 フォルラザ時代の彼は空気を読まない言動と"治癒"の魔術以外、凡庸な部類だったはずだ。

 

《ノエリアよ、"一本槍"の調練は確かに良い。だが、そればかりでは兵士達も飽きるぞ? 飽きは余計な疲れを生んでしまう! よろしくないっ! もっと同じ月の民を信じてあげなければ!!》

 

 "一本槍"の調練。

 まるでそういうものが練兵手段として確立されているかのように、アレクシスは平然と名を口にした。

 

《"三本槍"にしたまえ。その方が皆、気を張れるだろう》

 

 ノアが馬に跨るアレクシスを見上げる。

 ざわめく兵士達。

 

「あの人は何を言って……」

 

 ノーラは思わず呻いた。

 あの中年の言葉の含みは、自分にはおおよそ分かる。

 しかし、自ら考えることにまだ慣れていないノアは、いきなり"三本槍"などと遠回しに言われてもどうしようもあるまい。

 

「…………」

《"三本槍"だ、ノエリア》

「…………」

《月影騎士の……いいや、"百人力"ならではの調練を披露しなさい。神や同朋に恥じぬように……なっ!!!》

 

 突然の大声に兵士達がのけ反る。

 はらはらと見守っているノーラの前で、ノアが戦神の大剣を掲げた。

 

「…………皆さん、集合してください」

《声が小さいっ!!》

「皆さん! 集合してください!」

 

 アレクシスが離れ、五百の兵がノアを取り囲んで跪く。

 口を動かしつつ大剣を使って、何やら身振りをし始めたノア。

 

「はてさて、彼女は何をし始めるかな」

「アレクシス殿……無茶振りが過ぎんか?」

「将軍のおっしゃる通りですよ。ノアはまだ……」

「名も無きものに名を付けて、意義を生む。しかし、その逆もまたありえるのだよ、ノーラ」

 

 ふははと笑うアレクシス。

 ノーラは目を瞑った。

 

 魔術士が語る高説は大概、現実が追いつかない。

 机の上か、本人の頭の中でしか成立しえないものばかり。

 かつてフォルラザの戦神騎士団で、ノーラが嫌というほど実感したことだ。

 だから雑談ならともかく、この手の話は好きになれなかった。

 今までまともに聞く価値があると思えたのは、古参のジェラルドと世捨て人のエリオットの話くらいである。

 

「えい、えい、おおーっ!!」

 

 兵士達があげた声に、ノーラは目を開く。

 

 一本槍だった隊列が、三本槍になっていた。

 ノアが中央の槍にいる。

 そして先ほどのように武器を前へ突き出し、一斉に駆け始めた。

 ノアの槍は東へ、残る二本が西へ。

 目印の旗で折り返し、互いに駆け寄っていく。

 

「行きます!」

 

 ノアが声を張り、武の気配を尖らせて大剣を振り上げる。

 殺す気か。

 いや、殺気はない。

 しかし。

 

「おおおぉぉぉっ!!!」

 

 雄叫ぶ二本の槍が、ノアの槍とギリギリにすれ違う。

 足並みを乱した百人以上が、列から跳び退いて地面に転がった。

 だが皆すぐに立ち上がり、槍の最後尾へ追いつこうと必死に疾走していく。

 数度の交差の後、ノアは一人だけ別の槍の先頭に移った。

 

「……なるほどのう。これは面白い」

「全くですな、閣下。どうかね、戦神の旗頭? 後輩の成長は」

 

 アレクシスが満月花を挿した瓶を指で弾く。

 

 

「空っぽの名から、意義あるものが生じることだってあるのだ。その名に相応しいものが、な。戦神の軍とて、初めはそうだったろう?」

 

 

 痩せこけた頬に浮かんだえくぼ。

 ノーラは苦手だった歳上の同朋に対して、ぎこちなく笑みを返した。

 

 この魔術士の高説も案外、意義あるものだったらしい。

 "三本槍"から転がり出る兵士は、交差の度に減っていった。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 夕暮れ時。

 

「へぇー、"三本槍"の調練ですか。ノア先輩、今度僕にもやらせてくださいよ」

「はい」

「調子良いこと言うな、ニコル。そもそもアレクシスさんはお前に任せると言っただろうが」

「でも結果的にノア先輩の成長に繋がったじゃないですか。僕の神算を褒めてほしいですね」

「だそうだ。褒めてやれ、ノア」

「はい」

「痛ぁっ!? 『褒めてやれ』って命令でどうして殴るんですか!?」

「これくらいの意図は分かります」

「……姫神が来た夜も思いましたけど。ノア先輩って意外と」

《諸君、今日は大変ご苦労であった!!》

 

 戦神騎士達の雑談が、大音声によってかき消される。

 

《合流当日からひたすら調練! 調練! 陽が傾くまで調練!! 月の民のなんと勤勉で精励なことか! 私はこの国の最精鋭として、諸君を誇りに思うぞ!!》

 

 いつの間にかドレヴァン将軍の隣に陣取っていたアレクシスが、魔術を使ってルネシアの軍勢に呼びかける。

 ニコルが額に手をやり、ノアが夕焼け空を見上げた。

 調練の終わりは例によって、ルネシアを任された老将の訓示で終わる予定だったのだ。

 当のドレヴァンは既にアレクシスの制御を諦めたようで、腕を組んで苦笑している。

 

《さて、お待ちかねの時間がやってきた! 輝き出した満月の下で、"百人力"の魔術士の業をお見せしよう!!》

「ちょっ!?」

 

 ニコルが泡を食って馬上で身を乗り出した。

 戦神の魔術士がその力を最大に発揮するのは、魔力の獅子を編む魔術"赤獅子"との連携である。

 大山脈で隔てられていても、大陸南方を蹂躙したフォルラザ独自の魔術を知っている者は少なくないはずだ。

 ここで披露すれば、即座に正体が知られてしまう。

 止めなければ、まずい。

 

《落ち着けぇぇぇいっ!!!》

 

 またしてもアレクシスが声を張り上げ、ノーラ達の馬の脚を食い止めてきた。

 

《承知しておるわネリス、ニコラス! 我らは月の影! その業は本来、秘すべきものだ! しかし国のために全身全霊で戦う同朋の隣で、手加減など出来ようか!!》

 

 もっともだ。

 神聖国家オラトリアやダグル相手の防衛戦においては、"赤獅子"の魔術を使わざるをえない場面も出てくるだろう。

 それでも、今明かすのは早過ぎる。

 

《先の大戦で滅びた南方のフォルラザには、魔力の獅子を暴れさせる魔術があったそうだ! 東方のラガニアは、集団で行使する魔術を有すると聞く!》

「……あれ? "赤獅子"使わない流れですか?」

「そのようだが、アレクシスさんは他に"治癒"の術くらいしか際立つものが……」

《では、西方の最精鋭はどういう魔術を振るうのか!? そこの若者よ! 予想してみたまえ!》

 

 アレクシスが軍の最前列で怪訝な顔をしていた青年兵に馬を近づけ、盾杖を差し出す。

 

《え、ええと……俺は……じゃなくて私は、魔術のことはあまり分かりませんが……月から閃光を撃ち下ろすとか?》

《おおっ、それは興味深い発想だな! だが残念ながら私の魔術は、もっとささやかなものだ》

 

 ドレヴァンの隣に戻ったアレクシスが満月花を預け、耳打ちする。

 大きく下がった将軍の命令で、五百の歩兵と一人の将が前に出された。

 兵士達が、どよめき始める。

 

《元々のルネシア兵達はもう聞き飽きた話だろうが、"百人力"とは単純に兵百人分の戦力だという数字の話ではない! 相手が五百でも、私はいっこうに構わん!》

 

 そう宣言したアレクシスは、馬の腹にくくりつけていた剣を逆手に持った。

 調練の最中に折れた物らしく、刀身が半ばまでしかない。

 加えて、何故かボロ布が根元に分厚く巻かれている。

 

 

《これより私は、魔術と剣を一度ずつしか使わない。諸君ら五百を一切傷つけない。だが、殺す》

 

 

 放たれた鋭い武の気配と殺気。

 どよめきが、一気に膨れ上がった。

 

《私に何をしても、咎は一切無い。そちらも殺す気で来なさい。では、準備を》

 

 五百の将がしばし逡巡し、兵士を大きく散開させ始めた。

 正面には弓兵を配置し、槍を持った兵はアレクシスを取り囲むように遠巻きに動いている。

 普通の魔術士ならば、手も足も出ない包囲だ。

 

《そうかそうか、ははは。それでよいのだな?》

 

 アレクシスが不敵に笑い、盾杖を構えて悠然と馬を前進させる。

 矢の射程に、入った。

 

「っ、放て!」

《"踊れ"》

 

 リィンッ。

 

 奇妙な音が鳴る。

 何かがそれに応えた──ようにノーラは感じた。

 "戦場"を素早く見渡す。

 

 槍を持った兵士達が、穂先の外れた柄を呆然と見つめている。

 矢は全て、見当違いの方向に逸れていた。

 

 そしてアレクシスが逆手に持った剣を、ゆっくりと振りかぶる。

 

 ズドッ。

 

「……っ!!」

 

 折れた剣が弓兵の間を縫い、将の足元へ深々と突き刺さった。

 

 

《これで諸君は、軍として死んだ。何故なら、本来の私は同朋の将兵を伴っているからだ。皆まで言わずとも、分かるな?》

 

 

 アレクシスの冷徹な声音が、それでも野原に響き渡る。

 ルネシアの守備軍が、静まり返っているためだ。

 

「……ノーラ先輩。何ですか、あの魔術」

「分からん。初めて見た。だが……」

 

 だが、はっきりと言えることがあった。

 再起と復讐の道のりの中で成長しているのは、皆同じということだ。

 

《さあさあ、秘密の余興はこれにて終わり! 将軍閣下のお言葉を聞き、後は大いに休みたまえよ!! ふははは、はーはっはっはっは!!!》

 

 陽が落ちて、一度目の満月が輝きを強める。

 

 「……ふふっ。やはり苦手だな、あの人は。今日のところは、私の"完敗"だ」

 

 月に届けと言わんばかりの、兵士達の大歓声。

 それに合わせ、ノーラは戦神の旗槍を振るった。

 

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