戦神騎士物語   作:神父三号

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第53話 ノーラの道・バカ達の前哨戦・2

 戦神騎士アレクシスが城塞都市ルネシアに到着した、翌朝。

 将軍の屋敷の一室。

 

「武器の"耳"?」

 

 ニコルがノーラの隣で、首をかしげた。

 

「そうとも。武具は……いや、万物は"耳"を持っている。生きていなくともな」

 

 椅子に腰かけたアレクシスは直剣の刃を指先で小突きつつ、語る。

 

「……?? ノーラ先輩、解説お願いします」

「どうして私に振る。アレクシスさん、私達は魔術士ではないのです。もう少し分かりやすく説明してください」

「ふはは、お前までそのような無粋を言うのか? 戦神の旗頭よ」

 

 痩せぎすの中年魔術士の前には、大量の武具が散乱していた。

 剣、槍、弓、矢、そして盾に鎧。

 保管庫から持ち出してきた、神聖国家オラトリアと"蛮地"ダグルの物だ。

 

「よっ、ほっ、はっ」

 

 アレクシスが席を立ち、剣を大きく三度振り回した。

 灰色の長髪が靡いた後、大きなため息が溢れ出る。

 

「どうにも質が良くないな、オラトリアの品は」

「……知っての通り、あの国の支配者は闇の魔物です。奴は……"姫神"は、人間の武具など粗悪で充分だと考えているのでしょう」

「装備というものは存外、人の在り方に影響を与えるものだ。信仰とは別の力だって育みうる。実に勿体無い」

 

 放り投げられ、宙を舞う直剣。

 刃こぼれした切っ先は、アレクシスが差し出した鞘にすとんと納まった。

 

「さて、あの五百を無力化した魔術についてだったな。話せば長くなるぞ? まずは閃きのきっかけ、次に基礎理論。三日は徹夜だ」

「……簡潔にまとめてください。昼からもう片方の城塞都市セルヴァルドへ跳びますので」

「なんと忙しない。分かった分かった」

 

 アレクシスは肩を落として剣を手放し、次は歪な形状の曲剣を拾った。

 ダグルの兵士が使っていた武器である。

 

「南方での潜伏中に私は、とある山の民と競争をした」

「はい?」

 

 予想外の始まり方をしたアレクシスの話に、ノーラとニコルは揃って声を上げた。

 

「"砂粒"から報告は入っているだろう? ウィルフレッドが持ち前の人当たりの良さで、大山脈にいくらかの繋がりを作ったと」

「聞いていますが、それと昨日の魔術に何の関係が?」

「その際に戯れでやったのが、山の岩肌に横穴を掘る競争だ。私と山の民の一対一で、使った道具は同じ。ニコルよ、どちらが勝ったと思う?」

「……流れからして、山の民さんの方でしょ?」

「はっはっは。まさしく」

 

 再びアレクシスは、剣を指先で小突き始める。

 

「私は魔術士とはいえ、戦神に加護された肉体を持つ。しかし山の民は……あの女性は大声で歌いながら、私の倍の速さで穴を掘った」

「戦神騎士の倍の速さで……!?」

「うむ。『馬鹿な! 何故そんな早業が出来る!?』……私の質問に、彼女は笑って答えたよ。『私の歌で、岩が踊ってくれたの』とな」

 

 ニコルが腕を組んで俯き、何事かを思案する。

 やがて、少年は顔を上げた。

 

「物が壊れやすくなる音がある、ってことですか? アレクシスさんはそれを指して、万物は"耳"を持つと」

「ふはっ! 流石だな、史上最年少騎士。簡単に言えばそういうことだ。私が編み出した音の魔術は、それを利用している」

 

 椅子に立てかけていた、戦神の盾杖を手に取るアレクシス。

 戦神の魔術士はあーあーあーと何度か繰り返して声の高さを調節し、そして。

 

《踊れ》

 

 リィン、パパパンッ。

 

 床に散乱していた武具が一斉に震え、いくつか破裂音が生じた。

 

「特定の物体の"耳"を震わせる魔術だ。結果、昨日のように槍の穂先が取れたり、矢が逸れたりするというわけだな」

「へぇー。つまり"耳"が反応する音を探るために、こうして敵から奪った武器を引っ張り出してきたってわけですね」

「その通り。"赤獅子"の魔術同様に、戦神の加護無くしては成しえない業だ。大山脈で山の民を付き合わせ、ひたすら共に歌って編み出した」

 

 アレクシスは白銀の盾杖を輝かせ、歌か奇声か分からない言葉を発し始める。

 再び武具が震え、次第にガタガタと激しく踊り出し、しばらくして無数の破裂音が響き渡った。

 

「……ふむ。やはりオラトリアの武具は粗悪だな。軒並み砕けてしまった」

「逆にダグルが使っていた奇形の武器は震えも少なく、ほぼ無傷に見えます。それと、革鎧も」

「良いところに気づいたな、ノーラ」

 

 アレクシスは握ったままのダグルの曲剣を、じっと見つめた。

 

「刃の中に、何かを混ぜている。おそらくは魔物の爪や牙だろう」

「へぇー。生き物を素材にした武具には、効き目が薄い魔術なんですか?」

「正確に言えば『混ざり物相手には』だ。特に生き物にはまるで効かん。皮、肉、骨、血の混ざり物だからな」

「……ですけど、すごい魔術だと僕は思いますよ。あ、でも味方の武具まで駄目にしちゃうとかあるんです?」

「事前の対策は可能だ。昨日、私が折れた剣の根元に布を巻きつけていたろう? ああすれば、震えはそこそこに抑えられる」

 

 なるほど、とノーラはアレクシスの言葉に頷く。

 乱戦や連戦向きではないが、敵の出鼻を挫くには極めて心強い魔術だ。

 

「この魔術、僕達戦神騎士が突っ込む時に使えば、普通の戦ではほぼ無敵じゃないですか?」

「然様。だからこそ、これは我らにとってさして価値が無い」

 

 ノーラ達を振り返った年長者が、肩をすくめて自嘲する。

 

「強大な闇の魔物が治める国。低俗な魔物を使役する蛮族達。そして、この道のりの果てで待つ飛竜。いずれも本気で相対すれば、小細工一つで打ち破れる敵ではあるまい」

「…………」

「そもそも尋常の戦における"無敵"など、生き残りの戦神騎士十人を全て集めればよいだけ。いや、このマーブリスと共にある限り、我ら四人だけでも充分。しかしそれでは飛竜に歯が立たないから、戦神の軍は大陸中に散っているのだ」

 

 その通りだとノーラも思った。

 アレクシスの音の魔術は、確かに強力無比だ。

 しかしそれは、戦神騎士の自前の武力を多少水増しする範疇でしかない。

 飛竜にも"姫神"にも、おそらく届かない。

 

「……今分かっている"姫神"の業は、昨日お話した通りです。"治癒"の常時付与に、闇の発生と屍の操作。アレクシスさんは、奴の攻めをどう読みますか?」

「"姫神"が何をどこまで出来るかなど、読めるはずもない。国を作る闇の魔物の前例を、長命のエルフ達すら知らなかったのだろう?」

「ですよね。メリッサさんとナギッサさんも、まだ森から帰ってこないままだし」

「私が魔術士として純粋に興味をそそられるのは、闇の魔物が"治癒"を大量に、長時間ばら撒けることだな。生命を修復する業と屍の怨念を啜る奴らの在り方は、どうにも真逆に思う」

 

 アレクシスの疑問は、月影騎士として協力してくれているエルフも皆して呈したものだった。

 とはいえ、この疑問もどれだけ頭を回そうが、結局答えは見つかっていない。

 

「しかし、ニコルが文字に起こした"姫神"の言葉を読むに、一つだけ確かに言えることがある」

「確かに言えること?」

「ああ、そうだ」

 

 アレクシスは、輝く盾杖を口元に添えた。

 

 

《姫神は予告を違えない。一千の軍で、三度目の満月の夜に来る》

 

 

 部屋に反響する己が声に、一人の戦神騎士が破顔する。

 その根拠を、ノーラはあえて聞かなかった。

 自分達も既に、そのつもりで動いていたからだ。

 

 

『今のわらわなラば、一千で充分じゃ!』

 

 

 何度も思い起こされる、あの闇の魔物の言葉。

 そうさせる感覚の正体が何なのか、ノーラには分からない。

 しかし時が経つにつれて、予感は確信になりつつあった。

 

「だがそれよりも。私は今、魔術士として一つの重大な問題を抱えている」

「何ですか急に。僕達は魔術のことなんてからっきしですよ?」

 

 今まで笑みを絶やさなかった中年魔術士が、真剣な表情を形作る。

 

「私はこの音の魔術に、まだ相応しい名前を付けていない」

「……はあ。それで?」

「"震動"、"舞踏"、"呼びかけ"……私の発想は、名付けとなるといまいちなのだ。ウィルフレッドやケイトも、こういうことは苦手だった」

「そんなの"舞踏"でいいと思いますけど。『踊れ』ってアレクシスさん言ってたし」

「独創性が無い。ニコルよ、思いつくままに何か挙げてみたまえ」

「じゃあ"ノーラの欠伸"で」

「それだっ!!」

 

 ノーラはクソガキを蹴り飛ばした。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 オラトリアの"姫神"に備える忙しい日々は、あっという間に過ぎていった。

 

 ルネシアに二万の軍勢が滞りなく揃い、ノーラ達が厳しい調練を主導した。

 ドレヴァン将軍の意向で有望な軍人が預けられ、戦神の軍は五十から八十に膨れ上がった。

 加えて、闇の魔物と渡り合える祝福が施された武器も、続々と集まってきた。

 

 朝早く、宿の食堂に戦神の軍皆で集まり、支給された武器を確かめる。

 月の国マーブリスがエルフと"砂粒"の力を借り、西方中のドワーフに声をかけて得た物だ。

 将軍曰く、その総数は二千五百に上るという。

 

「ノーラ先輩。二千五百って……充分多い、んですよね?」

「ああ、とてつもない量だ。三度目の満月まで、まだ増えるだろうしな」

「ふはは。素晴らしきは月の民の積み重ねよ。正念場に集まる数とは、即ち信頼と繋がりの証。……フォルラザ存亡の瀬戸際で飛竜に立ち向かったのは、戦神の民だけだった」

 

 アレクシスのどこか寂しげな呟きを耳で汲みつつ、ノーラは軽く直剣を振るった。

 素晴らしい出来栄えだ。

 飾り気は無いが、確かに神聖な気配を感じる。

 ドワーフがこの手の特別な武器をどう作り上げるのか、ノーラは知らない。

 しかし、何の誼も無い者でも金品だけ積めば手に入る、という代物でないことは察しがつく。

 

「マーブリスはもう、為すべきことを十全に為している。あとは、"姫神"を待つのみだな」

「あいつをさっさと討ち取れたら、それが一番なんですけどね。東方も今まで以上にバタバタし始めたみたいですし」

 

 ニコルの言葉にノアが関心を示し、短剣を片手に顔を向けてきた。

 

 "砂粒"から少し前に、報告があったのだ。

 ザリアの"霊狼"を訪ねるはずだった戦神騎士ローランが、予定を変更。

 太陽の国シンガ南端の太陽川を突如下ってきた、傭兵達の迎撃に回った、と。

 その動きは、大河川の都ク・アリエへ潜入している戦神騎士イオの要請によるものだという。

 

「……東方は東方だ。ジェラルド殿、イオさん、そしてローランを信じるしかない。私達は、この西方でやれることをやろう」

「その意気だ、戦神の旗頭。では、私から一つ"やれること"の提案があるのだがね」

 

 ノーラは視線を剣から床へ落とした。

 ニコルがそっと寄ってきて、横から肘で小突いてくる。

 新しく摘んできた"満月花"の瓶をチン、チンと鳴らすアレクシス。

 

 ちらと見上げると、痩せぎすの顔がにんまりと笑っていた。

 嫌な予感がする。

 

 昨日も戦神の軍が調練を終えた後、疲れきった兵士達に謎の高説を長々と垂れて、夕食を大幅に遅らせた。

 戦神騎士アレクシスは智者として頼もしい時と、奇人として煩わしい時が入り混じっている男なのだ。

 そして、今はおそらく後者──

 

「戦神の軍で、"一対一"をしようではないか」

「は?」

 

 予想外の提案に、ノーラは固まった。

 

「…………腕試し、という意味ではありませんよね?」

「もちろん。もっと本質的な"一対一"だ」

 

 ノーラが許可を出すより先に、アレクシスが魔術で「全員集合っ」と大声を張った。

 全員、とっくに食堂にいる。

 

《皆の者。あまり腹を割って話したことが無い、しかし対等だと思っている相手と組みたまえ》

「えっ、え? アレクシスさん、何で僕を……」

 

 首根っこを捕まえられたニコルが顔をひくつかせる中、兵士達が困惑しつつも二人一組となっていく。

 何故かノーラは最後まで残った。

 ノアと一緒に。

 

「…………」

「…………」

《どのような形でも構わん。組んだ相手と"戦う"こと。『負けた』と思ったならば、一度離れてよい。しかし必ず戻ってきて、自分の相手に"勝つ"こと。では、始めよう》

 

 始めようと言われても。

 何とも言えない空気が漂う中、ニコルがアレクシスに引きずられて、二階へと連れていかれる。

 ノーラは生意気な後輩の、助けを乞うような視線を初めて見た。

 しかし、助けを乞いたいのは自分の方だった。

 

 やがて戦神の軍が、めいめいに行動し始める。

 部屋に行く者達、食堂で組手や食事を始める者達、外出する者達。

 

「……まあ、何だ」

 

 顔すら向けずに立っている後輩に、ノーラは声をかけた。

 

「ノア、話でもするか」

「はい」

 

 しまった。

 組手にしておけばよかった。

 

 ノーラは階段を上がりながら、顔をしかめた。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 二階。

 ノーラの部屋。

 

「…………」

「…………」

 

 窓の外から、ルネシアの街の活気が伝わってくる。

 

「…………」

「…………」

 

 ノーラは椅子に座り、同じく姿勢良く座っている後輩のノアと向かい合っていた。

 

 "一対一で戦う"、か。

 やはりあの中年の発想は理解に苦しむが、良い機会だと考えることにした。

 自分がノアと話してきたのはいつも、命令や考えて動けという指導ばかり。

 ニコルのようにそろそろ、きっちり腹を割ってもいいかもしれない。

 

「…………」

 

 ノーラは口を開け、しかしそのまま閉じた。

 言葉が出てこない。

 こういう"戦い"の場で、本当の戦の話をするのは違うように思う。

 かといって、他に共通の話題など中々思いつかない。

 そもそも自分はノアのことを、ほぼ軍人としてしか知らないのである。

 

 しかしこうして顔を突き合わせていると、やはりとても美しい女性だ。

 調練の際には纏められている長い金髪が、窓から差す陽で輝いている。

 碧眼は深みのある色合いながら透き通っていて、睫毛も長い。

 流石にエルフには及ばないが、人間としては極めて秀でた美貌である。

 ほぼ表情を緩めないが故に、余計に顔立ちが整って見えるのかもしれない。

 そして少し視線を落とせば、衣の中で窮屈そうな膨らみ。

 

「ローランの奴は……あ」

 

 口から滑り出た男の名に、ノアが目を細める。

 この後輩は、以前からずっとそうだった。

 ローランの名前を出した時だけ、少し違う反応をするのだ。

 

「……ローランさんが何か?」

「あ、いや。あいつは相変わらず、うろちょろしていると思ってな。ザリアに行くはずが、太陽川へ大きく寄り道だ。ラガニアの前も妙な寄り道をしたと聞く」

 

 ノーラは後輩から目を逸らし、誤魔化すように笑った。

 だが、今回のローランの寄り道は仕方の無いことだ。

 大河川の都ク・アリエが軍勢を太陽川に送り込んできた動きは、現地の"砂粒"ですら直前まで察知出来なかったらしい。

 

「おそらくはク・アリエの中枢だけで練られていた戦略だろう。金で集められた無数の傭兵達には、略奪の自由さえ与えられたという。奴らが南岸に上陸すれば東方諸勢力は震え上がる。ク・アリエの背後には竜神の国オズワルドが……いや、飛竜がいるからな」

「…………」

「イオさんがローランを太陽川へやった判断は、正しかったと思う。最近はこのルネシアの近くにまで飛竜が飛んでくるようになったのだ。東方はなおさらのはず。やはりアレクシスさんの読み通り、オズワルドはク・アリエを利用して間接的に威信の回復を……」

「そんなことより」

 

 大いに回っていた戦神の旗頭の舌を、ノアがばっさりと切った。

 

「そ、そんなことより……?」

「そんなことより、重要な問題があります」

 

 ひたすら真剣に見つめてくる碧眼。

 ノーラは息を呑み、言葉の続きを待つ。

 

「ローランさんの従者です」

「は?」

「十三、四歳の少女らしいですね」

「あ、ああ」

「魔術の素質に恵まれていると、"砂粒"の方々が言っていました。賢く、色々と器用だとも」

「えー。まあ、従者としては適任だろうな。ローランは馬鹿だし、魔術関係も全然……」

「ただ、容姿が平凡だとか」

 

 だから何だ。

 そんなこと自分だって密かにナギッサに頼んで、わざわざ確かめに跳んでもらった。

 かなり遠巻きの偵察でも察知されたらしいが、計三回も行ってもらってとっくに知っている。

 

「彼女は怪しいと思います」

「な、なんで」

 

 ノアは言い放った。

 

 

「ローランさんは、まず顔で女性を見る人ですから」

 

 

 何だこいつ。

 

 ノーラは西方に入って以来の衝撃を受けた。

 ひと様の話を「そんなことより」と両断しておいて、する話がこれか。

 しかも、今までで一番口数が多い。

 こういう女だったのか。

 いや、思い返せばローランの後ろにいつもくっついていた奴だ。

 それに、ノアの言うことには一理ある。

 

「……ぅ、確かに。あいつはお前相手にもやたらデレデレしていた馬鹿野郎だ。しかし、エルフのナギッサから見ても……」

「エルフは万能ではありません。闇の魔物や蛮族の国の有り様も知りませんでした。何らかの特別な業で、容姿を欺いている可能性はあります」

「た、確かに……。しかし、十三、四歳の娘だぞ? ローランは私と同じで、二十半ばを過ぎている。あいつがそれほど年下を囲うような男とは、私には」

「三、四年待てば、フォルラザがあった頃の私と同じになります」

「ぅぐ……」

 

 口下手だと思っていた後輩による、矢継ぎ早の理詰め。

 ノーラは圧倒されて呻いた。

 

 やはりあの馬鹿を西方に呼びつけておいた方が良かった気がしてきた。

 今からでも呼ぶか。

 件の従者が気になっていたのは、自分だって同じだ。

 いや、しかしそんなことをすれば東方での戦神の軍の連携が乱れる。

 いや、違う。そうじゃない。

 そもそも自分はどうしてこんな話をこいつとしているのか。

 

「こ、この話はやめよう! やめだ、やめ! 命令だ!」

「…………」

 

 ノーラは咳払いをして、後輩と再び向かい合う。

 少しジトっとした目つきになった、気がする。

 

「あー、ノア。そこまで舌が回るのなら、お前から何か別の話題を出せ」

「……はい。では」

 

 まずい。判断を誤った。

 戦神の民の本能が叫ぶ。

 これは"戦い"なのだ。

 主導権を自ら──

 

「ノーラ様はお酒を呑みますよね」

「ひ、人並みには呑むかな……」

「ローランさんと呑んだことは?」

「……戦の後の宴でしょっちゅう呑んでいたが」

 

 碧眼が、そんなことは聞いていないと暗に突き刺してくる。

 ニコルが相手だったら、拳骨で終わらせているのに。

 また命令して話を変えさせるか。

 だが、ここで退いたら負けを認めたも同然だ。

 

「……ふっ。同期だから当然呑むに決まっているだろう?」

「…………」

「あいつは格好つけの見栄っ張りの負けず嫌いだからな。宴で吐くほど呑んだ後でも、二人で一緒に呑んだものだ」

 

 山岳国家ビードを攻め滅ぼした時に、一回だけ。

 嘘は言っていない。

 思い出したら、腹が立ってきた。

 あの意気地なしは二人で宿に入ったというのに、だらだらチビチビと酒を呑むだけで。

 

「何回ですか?」

「……えー、んー」

「私は三回です」

「!!?」

 

 ノーラは椅子ごと後ろに倒れた。

 何とか座り直し、乱れた赤髪を整える。

 ノアは姿勢良く座ったまま、微動だにしていない。

 

「何もありませんでした」

「……ふっ。だろうな、あいつは」

「だろうな、ですか」

 

 こ、こいつ。

 無表情なのに、眼差しだけが鋭く追い詰めてくる。

 何とか流れを変えなければ、やられる。

 

「ごほんごほんっ! ろろ、ローランのことはもういいだろ。もっと別の話を」

「ローランさんはイオ先輩と何度も呑んでいました」

「何ィッ!?」

「付き合わされていただけで、面倒だとよく言っていましたが」

「そ、そうか……そうだろうな。良かっ」

 

 咄嗟に口を噤んだ。

 相手と向き合えない。

 俯いてしまう。

 肩が震えた。

 

「……知らなかったのですか?」

「…………」

「お二人は、唯一の同期のはずでは?」

 

 長い沈黙。

 

 

「何回ですか、ノーラ様は」

 

 

 負けた。

 これ以上は無理。

 

 ノーラは窓から飛び降りた。

 そのまま駆け出し、人混みをすり抜けながら疾走する。

 有り金をはたいてやけ食いし、広場で演説している壊れたニコルを叩いて直し、ひた走った。

 街の外、マーブリスの軍勢が駐屯する中も走り回った。

 

 全部、ローランのせいだ。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 夕暮れ時。

 

 ルネシアの高く分厚い城壁の上に、ノーラはしょんぼりと座り込んでいた。

 遥か西の彼方、うっすら見える"海"へともうすぐ夕陽が落ちる。

 

《だーれだ?》

 

 背後から男の大声。

 魔術で増幅され、しわがれている。

 

「私のかけがえのない友達」

《……む、むぅ。そういうこと、さらっと言っちゃいます?》

「言うさ。私とお前の仲なんだから」

「はいはい、負けました。あたしの完敗でございます」

 

 少女が現れ、ノーラの隣に座る。

 馬の尾のように束ねられた長い金髪。

 ノアの深みのある色とは違う、鮮やかな碧眼。

 そして、どこかいたたまれなさを帯びた絶世の美貌。

 月影騎士のエルフ、ナギッサだ。

 

「よく私の居場所が分かったな」

「そりゃまあ、エルフですから?」

「関係無いだろ」

「……うん。何となくだよ。ノックスであたしを見つけてくれた時の、あんたと一緒」

「そうか。……ありがとう」

「何しんみりしちゃってるんだか。あんたらしくないよ、ノーラ」

 

 ノーラは夕陽の暖かさに感じ入りながら、友と肩を並べる。

 

「ごめん。戦神の軍のお目付け役なのに、長い間留守にして。……ほんとにごめん」

「謝る必要なんて無い。今回の戦の相手は、異常な力を持つ闇の魔物なんだ」

「だけど……」

「それより、ちょっと膝貸してくれ」

「へ?」

「お察しの通りだ。私は今日深く傷ついた。ノアにボコボコにされた。だから癒しが欲しい」

「……ノアにボコボコ? まあ、いいけどさ」

 

 柔らかな膝枕に、ノーラは頭を乗せた。

 見下ろしてくる友の顔、を半分くらい遮っている大きな膨らみ。

 

「ちっ」

「こらこら。膝枕させといて舌打ちするんじゃありません、平坦おバカ」

「バカはお前だろ。アレクシスさんの魔術を真似たくらいで、私が騙されると思ってたか?」

「思ってませんよーだ。久々に宿へ戻ってみたら変なおっさん増えててニコルは床にへばりついてるし、他の皆も半分くらい落ち込んでたりボロボロで何があったのかと思っちゃった」

「あのイカれた中年魔術士の思いつきだ。そのせいで酷い目にあった」

 

 ノーラは視線を西に戻した。

 "海"に沈む直前の太陽は、いつ見ても美しい。

 じんわりと眩しいのに、見入ってしまう。

 

「ノアよりあんたの方がずっと強いでしょ。何してボコボコにされたわけ?」

「どっちがローランと、一対一で多く呑んだか。同期の私は一回だけなのに、あいつは三回。……あのバカ野郎、合流したら旗槍でぶっ飛ばしてやる」

「ちっこい女従者も連れてたしねぇ。彼、年下好きなんじゃないの?」

「いや、私より年上のイオさんとも呑んでやがった。何故私は気づかなかったんだ……」

 

 理由は分かっている。

 格好をつけていたからだ。

 心のどこかで、壁を作っていたからだ。

 肩を並べて戦神騎士となった唯一の同期として、一人の異性として。

 肝心な時に深く踏み込めなかったから、そういう周りの人間関係にも気づけなかった。

 そしてそのまま、大陸の東西に分かれてしまった。

 

「……でも、元はといえばローランが鈍感でヘタレでバカなのが悪いよな?」

「気になる同期のこと全然知らなかったノーラも、鈍感でヘタレでバカじゃん」

「うるさいうるさいうるさい」

 

 ノーラは頭上の膨らみをつねろうとして防がれた。

 しかし戦神騎士の技量を活かし、さっさと突破。

 柔らかく、ずっしりとしている。

 

「けっ。やっぱりこの大きさが自信にも比例するのか?」

「なわけないでしょ。イオって先輩は自分よりちっちゃいって、嬉しそうに言ってたの忘れた?」

「うぐっ、ちくしょう。お前まで私を追い詰めやがって……ずずっ」

 

 鼻を啜ったノーラは、滑らかで肌触りのよいエルフの衣に顔を埋めた。

 赤髪が、細い指先で優しく撫でられる。

 そのまま、しばしの静寂が流れた。

 

「……ババさま達とずっと言い合ってた。メリッサ姉さまや他の月影騎士やってる同朋も一緒に」

 

 ナギッサが、ぽつりと呟く。

 

「相手は闇の魔物なんだから、もっと手伝ってあげようよって。このままじゃ月の国が危ないかもしれないって。この国が滅んだらあたしらの森も"姫神"に狙われるって、説得しようとしたの」

「…………」

「でも、ババさま達は絶対にダメだって言い張ったの。エルフは戦争の尖兵にはならない約束だから。お互いのことをよく考えろ、だってさ」

「……長老様達のおっしゃる通りだ。以前に私とヴェント王子の模擬戦で、お前が王子を助けたのとは訳が違う。『今回は特別だから』と集団としての前例を作れば、月の民とエルフの関係性は崩れてしまうだろう」

「分かってるよ。それに"姫神"相手じゃ、あたしらエルフは何も出来ない。あいつが出て来た夜には近寄ることだって無理だったし、魔術も"闇の吹き溜まり"の中じゃほどけちゃう」

 

 でも、でもさ、とナギッサは繰り返した。

 ノーラが見上げると、夕陽を眺める少女の顔が悔しさに歪んでいる。

 

 

『奔放や気まぐれと言われようとも、実際にそうであっても、他者と関わっていく中で越えてはならない一線は、エルフにだってあります』

 

 

 マーブリス南端の港街ノックスで、ナギッサが口にした言葉だ。

 互いが苦しまないためのはずの"越えてはならない一線"が、時には翻って互いを苦しめる。

 手を取り合えなくしてしまう。

 

 ナギッサはこの国の最精鋭である上に、第三王子のヴェントと特に親しい。

 他の協力的なエルフ達にだって、特別な思い入れがある人間は当然いるだろう。

 だからなおさら、悔しいのだ。

 しかし。

 

「闇の魔物に通じる武器を、ドワーフが大量に寄越してきた。この調子なら、まだまだ増える」

「……知ってる。滅茶苦茶な闇の魔物が攻めてくるって聞いたら、あいつらだって手を貸すよ。闇は何もかも腐らせちゃうんだから。ノーム達だって、もしかしたら」

「なら、心配するな」

「え?」

 

 ノーラは膝枕から身を起こした。

 そして、涙を溜めている友の目元を拭う。

 

「この国では誰もが、やれることをやっている。お前達エルフだってそうじゃないか」

「!!」

「付き合う義務は無いのに、皆で大陸の反対側に逃げたっていいはずなのに、踏みとどまって日々力を貸してくれている。もっと協力すべきだと、同朋に訴えてもくれた」

「……ノーラ」

「それで充分だ。戦いは、私達人間に任せろ」

 

 さらに溢れた涙が、沈む夕陽で輝く。

 

「ぐすっ。あはは……相変わらず格好つけですなー、戦神の旗頭さまは」

「そうかもな。だが今は、マーブリスの最精鋭"月影騎士"ネリスでもある。だから、国難には格好だってつけるさ」

「まったくもう。そんな調子だから、同期とだってあと一歩寄り添えなかったんじゃないの?」

「いいや。あれはやっぱりローランのバカが悪い。私はちゃんとその気だった」

「でも呑んだのは一回だけだったんでしょ? ノアは三回も呑んだのに」

「回数が全てならローランの本命はイオさんになるだろうがバカたれ!!」

「バカはあんたでしょこのヘタレバカ! あたしにベタベタ甘える度胸あるなら彼にも素直に甘えればいいじゃん!!」

「何だと!?」

「何よ!?」

 

 城壁の上で頬をつねり、髪を引っ張り、もつれ合う。

 ノーラとナギッサは子供のように笑い合い、戯れ続けた。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

「ぜぇぜぇ……アレクシスさん、僕はまだ諦めてませんよ……口先でもあなたくらい、軽く捻ってみせますからね……がはっ」

「はっはっは! その意気だ、天才少年!」

「ほらほら、ノーラ! 今度は勝ちなよ?」

「分かっている。ノア、もう一度"一対一"だ。お前の澄まし顔を引っぺがしてやるぞ」

「……望むところです」

 

 差し込む力強い月光がいつもは無愛想な後輩を、その得意げな微笑を照らしている。

 二度目の満月の夜だ。

 

 "姫神"の襲来は、すぐそこだった。

 




大陸地図に、太陽の国シンガ北端の川「五枝川」、南端の川「太陽川」を記入しました。

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