『……ようやく進める。これでようやく、また一歩。あは、あははははっ!!!』
"姫神"の狂笑を聞きながら、ノーラは懐の丸石を取り出した。
山に吹く一陣の風の紋章が、淡い緑光を帯びている。
何故、今なのだ。
戦神の民が死んだからか。
「ノーラ様、どうなさいました!?」
『オヒヒッ、どうやら動きを止めタな? 諦めが早イ奴じゃ!』
闇の魔物達の猛攻を凌ぐ同朋が、そして尋常ならざる大敵が、ノーラの様子に反応する。
だが、"姫神"は石の輝きに気づいていない。
つまりこの"吹き溜まり"はそのまま、奴の目になっているわけではないということ。
大柄な闇の魔物が三本の大剣を振りかぶり、大上段から斬りかかってきた。
それをノーラは旗槍の柄であえて受け止め、相手の巨体に丸石を押し付ける。
何も起きない。
ならば、武器の方は。
『オォッ……!?』
魔力で編まれた大剣が石に触れた瞬間、かき消えた。
やはり復活している。
ジェラルドの手紙にあった、魔力を無効にする業だ。
「皆、時間を稼いでくれ! ほんの少しでいい!」
「どうするおつもりで!?」
「私を信じろ!!」
敵を打ち払い、そのまま後ろに駆け出すノーラ。
"闇の吹き溜まり"をさらに覆っている、正体不明の力。
ノーラ自身の魔力感知には引っかからない。
それでも、試す価値はある。
試さなければ、可能性すら生まれない。
「行けっ!」
『っ!? 何じゃ、今の綻びハ……?』
闇を抜けた。
丸石を握った、腕だけが。
しかし、これでは脱出出来ない。
どうする。
"姫神"も異変を感じ取ったようだ。
このままでは、魔物達の攻勢がさらに激化する。
背後で、また同朋が一人倒れた。
さらにもう二人。
息切れの気配が伝わってくる。
どうする。どうする。
「……っ、どうにかなれぇ!!」
戦士の勘。
ノーラは声を裏返し、地面に落とした丸石を旗槍の石突で貫いた。
ブワッ。
緑風が石から吹き出し、小さな嵐となる。
戦神の旗頭の、想いを汲み取ったかのように。
ノーラは直感した。
風が闇の外側の力を、剥ぎ取ってくれた。
『わ、わラわの"聖壁"が!?』
「今だ! 闇を抜けろぉぉ!!」
戦神の軍は窮地を脱した。
満月が照らす、マーブリス北辺の平野。
そこには大小いくつもの"闇の吹き溜まり"が生じていた。
ドレヴァン将軍がいるはずの、本陣の傍にさえ。
「将軍……!」
ノーラは"砂粒"を呼ぶ木笛を吹き、改めて戦場を見渡す。
味方の部隊がそこかしこに、細かく散らばっている。
だが混乱の気配は多少あるものの、崩れてはいない。
これは──意図的な散開だ。
互いを援護し合える配置になっている。
「だ、誰だお前ら!?」
「ネリス様達はどうした!?」
一番近くにいた数百ほどの部隊がノーラ達に近づき、一斉に武器を突きつけてくる。
当然だ。
容姿も戦神の武具も全て、エルフの偽装が解けているのだから。
しかし。
『おノれぇ……! 何をしタのか知らぬが、逃がさんぞ!』
「貴様、その軍装はどこの……」
「うるさい! 私は"月影騎士"ネリスだ!!」
「は、ネリス様!?」
ノーラは"姫神"と誰何してきた兵を怒鳴りつける。
「おい、何だその赤髪の……」
「将だな! 部隊ごと私について来い!」
「え?」
「いいから来い! お前達が一緒にいる方が、友軍だと伝わりやすい!」
「え、えっ!?」
「ネリス様!」
いつの間にか平凡な兵士が一人、ノーラの傍へ寄ってきていた。
微かに漂う同朋の気配。
戦神の諜報"砂粒"だ。
「話は後だ。私に続けぇっ!!」
「ええぇっ!?」
"姫神"に再度捕まらぬよう、ノーラは中年の将を馬ごと引きずって南の本陣へと駆ける。
四十ほどに減った戦神の軍の後ろを、月の兵士達も慌てて追ってきた。
戦場の困惑の視線が、こちらへ向き始める。
まだだ。まだ注目を集める。
生還の報せは、その後だ。
『待てネリス! この腰抜ケめ!』
"姫神"の罵倒に合わせ、先ほどの"闇の吹き溜まり"から追撃が躍り出てくる。
戦神の軍が乗り捨てた馬の屍に跨った、オラトリア兵達だ。
しかし騎兵は追いつく前に、散開していたマーブリス軍から矢と魔術の集中攻撃を浴びた。
発生した闇は、ノーラ達には届かない。
『くっ、雑魚ドもが! わらわの邪魔をしオって……!』
「同朋よ、状況は!」
「ドレヴァン将軍はドワーフの武器持ち一千及び魔術士二百を引き連れ、大きく東から"姫神"の背後へ! 加えて同じ構成の一千二百が西から! 残る全軍は戦場全体へ散開! 『"姫神"本陣への攻撃及び"闇の吹き溜まり"への侵入は禁止』との厳命あり!」
「"姫神"の注意は、私達四人だけに向いていると読まれたか。自分達が仕掛けるのは良くも悪くも、月影騎士の後だと」
「そのようです! 伝令はやはり、我らに一任なさっております!」
流石だ、将軍は。
ノーラは並走している中年の将の呻きを聞きつつ、微笑んだ。
「アレク……アルヴィンさんはどうした!」
「"闇の吹き溜まり"から出てきません! 先ほどのネリス様達と同じ状況かと!」
「そこら中にある"吹き溜まり"は? やはりどれも脱出不可能か?」
「初めの内は! その上、内部で闇の魔物が急成長したそうですが、少しして多くの将兵が脱け出してきました!」
「つまり闇を堅く覆う業には、限界がある。だから早々と私達だけに狙いを絞ったな。将軍が今の散開状態を作る前に、"要"を破壊出来た闇はあったか?」
「複数の同朋と連絡を密にしていますが、ありません!」
"姫神"の舌打ちが耳に入った。
分かりやすい奴だ。
ノーラは最後にもう一つ、"砂粒"に尋ねる。
「初めは脱出不可能だった"吹き溜まり"……その状態の闇に、外から攻撃か侵入は出来たか?」
「いいえ! 将軍が両方試されております!」
「"姫神"の分け与えた闇を持たなければ……というところか。充分だ! うおおぉぉっ!!!」
報告を聞き終えたノーラは、武の気配を全開にした。
戦神騎士が居場所と無事を周囲に知らせるには、これが一番手っ取り早い。
数拍の間を置き、方々から歓声が沸き上がる。
ルネシアの調練で何度か全力を披露していたため、マーブリス軍は最精鋭"月影騎士"の生還を察したようだ。
月の民によって震える戦場のど真ん中で、ノーラは足を止めた。
そして武の気配を剥き出したまま、脱出してきた"闇の吹き溜まり"を見やる。
「…………出てきた!」
呼応した強大な武の気配が、"闇の吹き溜まり"の東側に一つ。
独特な一方向への尖らせ方からして、ノアだ。
自分と同じ機転で、あの"吹き溜まり"から抜け出したのだろう。
圧力がじわじわ強まり出した。
こちらへ全速力で向かってきている。
だが、ニコルとアレクシスの反応が無い。
自分とノアが思いつく脱出方法ならば、あの二人もすぐさま実行するはずなのに。
もしや。
ノーラが閃いた直後、数度目のオラトリア騎兵の特攻がマーブリス軍に阻まれた。
『グゥ……ふん、構ワぬわ! 孤立した奴らが消しやすクなっただけじゃ! ほれ、どウする月影騎士ネリス!? 替えの利かぬ仲間が死ヌぞ! もウ虫の息じゃ!!』
「どうかな……皆、見せろ!」
差し出された、残る六個の丸石。
上澄みの兵士達に持たせていたから、戦神騎士の手持ち以外は全て手元にある。
どれも緑の光を帯びたままだ。
だが、若干輝きが弱い。
時が経てば、力を失うかもしれない。
「同朋よ、将軍へ報告だ! 月影騎士ネリスとノエリアは脱出成功! ニコラスとアルヴィンはまだ闇の中! ……だが対抗策あり! 私達は、"姫神"本陣へ再度突撃する!!」
「ただちに!」
「"姫神"! 聞いての通りだ! 首を洗って待ってろ!!」
『オヒヒヒッ! 行ったり来たりト、忙しない奴じゃな! 良かロう! わらわが直々に、小細工もろとも貴様を潰シてやる!!』
敵の応答に、ノーラは獰猛な笑みを浮かべた。
何故か互いに言葉が筒抜けなのは、こういう時にありがたい。
相手の方針を、こちらの都合で誘導出来る。
理屈など、今は二の次だ。
「あんたら、馬を寄越せ! 月影騎士が敵に反撃するんだ!」
「二十頭だけか……ネリス様、残り二十を持ってきます!」
「ああ、任せたぞ!」
預かっていたマーブリスの将二人が、引きずってきた部隊を連れ、素早く離れていった。
ノーラは戦神の軍四十を励まし、再び"姫神"の元へと走り出す。
傷だらけのノアが輝く大剣を肩に担ぎ、合流してきた。
「よく戻った、ノエリア」
「ネリス様、お二人を助けますか?」
「いいや。"姫神"への攻撃を優先する」
「……はい」
ノーラの目配せにノアは頷き、いつものように短く応じた。
だがその返答は、決して盲従ではない。
"姫神"本陣へ攻めかかった方が、かえってニコルとアレクシスの負担を減らせる。
オラトリア兵があの強固な"吹き溜まり"の中へ追加されるのを、防げる。
ノアの碧眼は、確かにそれを理解していた。
「……成長したな」
「敗けません。"姫神"にも、あなたにも」
ぎこちない笑顔に、ノーラは声をあげて笑った。
戦神へ捧げる戦に酔い痴れ、殺戮を悦ぶな。
そう教わって、これまで戦ってきた。
しかし、強敵を前に心躍るのはどうしようもない。
数十倍の軍勢を討つと宣言した相手を、さらに寡兵でもって打ち砕く。
これほどの昂奮は、抑えきれないのだ。
「ネリス様、馬です!」
「よくやった! ……同朋よ、頼む!」
丸石を二つ"砂粒"に渡し、指を二本上下させる。
それだけで同じ戦神の民は意図を察し、姿を消した。
「今度こそ、終わりにするぞぉっ!!」
新たな石を受け取り、ノーラは馬上で旗槍を掲げた。
喊声が四方八方から、力をくれる。
はためく戦神の赤旗が、月光に敗けじと白銀に輝く。
目指すは、"姫神"の首。
何度も小出しにしたせいか、六百ほどに軍勢が減っている。
『オオ、わらわの下僕ドもよ! 闇を全て返セ! 死ヲもって、わらわに尽くせ!!』
姫神様、万歳。
姫神様、万歳。
闇の狂信者達が叫び、次々に倒れ伏していく。
少女の纏った純白の衣が閃光を発し、しかしすぐさまどす黒く染まった。
ゴアッ。
噴き出した暗黒が、戦神の軍を包み込む。
それに触れた丸石が、光を強めた。
「あれは!」
"姫神"本陣の闇へ突入したノーラ達。
その眼前に闇よりも暗い黒色が生じて、形を成す。
「飛竜……!?」
「よく見ろ、ノア! ただの化物だ!」
『化物でハない! "神"じゃ!!』
人間の十倍近い体格を持つ、巨大な魔物。
歪な翼が生え、極太の三本腕が生え。
地に膝を折って、飛竜に似た頭と尾を垂れ。
しかし、丸めた背に黒衣の少女の上半身が据えられている。
『死ねエえぇぇっっ!!』
「誰がぁっ!!」
闇の息吹と白銀の衝撃波がせめぎ合う。
ノアの大剣も振るわれ、白銀が倍増。
相殺の凄まじい余波で馬も兵士ももんどり打ち、ノーラとノアだけが上手く着地した。
『そコじゃ!!』
三本腕が闇の矢束を握り、投げつけてくる。
二人は打ち落とし、あるいは掻い潜って接近。
腕や尾の迎撃を避けつつ、胴体に一撃を入れた。
闇が突き破れない。硬すぎる。
「いや、違う。これは……!」
「何かに阻まれた」というべき感触。
最初の"闇の吹き溜まり"を抜けようとした時と同じ。
飛竜の魔力の鎧や"防護"の魔術とは、明らかに違う手応えだ。
『効かぬわ、そンな攻撃など!!』
「怯むな、攻めたてろ!!」
敵の業に何らかの限界があるのは、"砂粒"の報告で分かっている。
ならば、攻め続けるのみ。
取り囲んだ兵士達がノーラに鼓舞され、隙を見つけては果敢に仕掛ける。
『ええい、うろちょロと鬱陶しい……こノっ、寄るでない!』
"姫神"の攻撃はどれも大振りだ。
明らかに、戦闘慣れしていない動きである。
鍛えに鍛えた戦神の軍を捉えるなど、容易く出来はしない。
「はっ! 大量の屍を啜って、その程度か!」
『たわケ! わらわが何故"吹き溜まり"をばラ撒いたと思う!?』
跳び退ったノーラの足元で闇が波打ち、"姫神"の元へと集まっていく。
『オヒヒッ、ここにいる数十が特別なダけじゃ! 戦を始めた直後、どレほどの虫けらが闇の内で倒れたか!』
"姫神"が、ぐんと一回り大きくなった。
マーブリス兵の怨念だ。
別の"吹き溜まり"からも、力を得られるのか。
『ここで貴様らさえ片付けレば、もうこの国に先は無い! オヒッ、オヒッ、グオオォォォ!!』
トカゲの大口が再び開く。
直後、飛来した白銀の剣が黒衣の少女を狙った。
さらに追撃の"火球"が三発。
『!?』
「弾かれましたか。まあ、ひ弱そうな本体を剥き出しにするわけないですよね」
《ふはは、"吹き溜まり"を覆っていた業と同じと見た! "聖壁"だったかな、女王陛下?》
ニコルとアレクシス。
長く孤立していた、二人の戦神騎士。
ノーラが寄越した丸石を使って、この闇の中へ入ってきたのだ。
『馬鹿な、"吹き溜まり"の中で逃ゲ惑っていたはず……!?』
「差し出す情報は考えた方がいいって、僕は初対面で言いましたよ。先輩達に夢中で、こっちの状況も掴めてませんでしたか?」
《ネリス一行が脱出した以上、残る二人も闇を抜けられるだろう。にもかかわらず、何故踏みとどまっているのか……そのくらいの頭は回さねばならんぞ!》
ズタボロの双剣使いと魔術士が、力強く笑う。
"姫神"の声は、全て戦神騎士に筒抜けなのだ。
舌を回せば回すだけ、何をやっているかは伝わってくる。
闇の魔物の糧になるオラトリア兵が、本陣で自ら全滅した。
ならば"闇の吹き溜まり"の中で耐え忍び、敵の軍勢を消耗させる必要も無い。
あとは大将を討ち取って、終わらせるだけ。
ノーラの読み通り、ニコルとアレクシスはこの好機をずっと待っていたのである。
『ウウ、グギギ……!』
「"神"が聞いて呆れる戦下手だ。たった一千の死兵だけで、どうにでもなると思ったか?」
ノーラは旗槍を一振りし、赤旗を広げた。
「挫折を恐れ、全力を尽くさなかったな。大いなる業に溺れ、我が騎士達を甘く見たな」
吼える獅子、輝ける戦神の旗が雄々しくはためく。
「そなたの敗けだ、闇の少女よ」
『っっっ!!!』
ノーラの発した言葉に、"姫神"は目を見開く。
だが、すぐに少女は顔を歪めた。
『うるさい……うるさいうるさいうるさいっ!! あんたらなんかに……何もかも持ってる奴らなんかに、敗けるもんかぁっ!!!』
闇の化物が咆哮した。
"吹き溜まり"が溶けていく。
違う。"姫神"に吸収されているのだ。
満月の下、戦場に散らばっていた闇が全て集結する。
マーブリスの軍勢が、どよめいた。
『死ねっ、死ね死ネ、死ねぇっ!! オヒヒ、オヒヒヒヒヒィッッ!!!』
さらに肥大化した"姫神"が、翼を広げる。
どす黒い竜巻が、いくつも生じた。
巻き込まれた同朋が数名、紙切れのようにぐしゃぐしゃになって圧し潰れる。
「ノーラ様!!」
「皆、よく戦った! あとは私達に任せろ!」
「し、しかし!」
《"聖壁"とやらは、丸石が無ければ抜けないようだ。いや、そもそもここは道半ば! 行く末をしかと見据え、あえて後ろに前進すべし!!》
ノーラとアレクシスの説得で、戦神の軍も退がった。
四人の戦神騎士だけが、大敵に対峙する。
三本腕が荒れ狂わせる大剣や矢雨を躱し、振り回される尾を跳び越え、闇の息吹を戦神の武器や丸石で凌ぐ。
「くっ……一発入れるのもめんどくさい! 何だかんだほざくだけありますね、こいつ!」
「どうしたニコル、もう限界か!?」
「まさか! これは称賛って奴ですよ、ノーラ先輩!」
「ニコル君に同意します。丸石を使う隙も……」
『黙れ、くたバれっ、砕け散れぇっ!! グオォォオッッ!!!』
歯を食いしばる戦神騎士達を、絶え間無い猛攻が襲う。
歪な全身を活かした、圧倒的手数。
そうしている内にも、漆黒の竜巻は次々に増えていく。
《ふはは、私の魔術がどこに当たっても効き目無し! "聖壁"は隙間無く全身を覆っている。まるで飛竜だな!!》
「アレクシスさん、今その声を張る魔術要ります!? 僕、耳がキンキンして……」
『ワらわも耳障りじゃ! ゥグ、さっサと……死ねぇえぇっっ!!!』
降り注ぐ闇の矢を薙ぎ払い、ノーラは目を細めた。
暴れ回る"姫神"の巨体は、月光に照らされて綻び始めている。
少女の依代以外の部分は、"闇の吹き溜まり"の外では長く維持出来ないらしい。
このまま乱雑な攻撃を凌ぎ続ければ、それだけで勝てる。
だがそんな勝利は、勝利ではない。
「たとえ戦神が認めても……ですよね、先輩。"姫神"にだって、失礼だし」
「お前の察しの良さもそこまで来るとムカつくな、クソガキ」
攻撃を回避した先で、旗頭と少年騎士が肩を並べる。
「ちょっと前に十五になりましたよ、僕は。成人です」
「知るか。クソガキはクソガキだ。最初に投げた剣を拾わないのも、何か考えがあるんだろ?」
「バレてましたか。あいつはそろそろ忘れちゃったかな」
何とか接近したノアが必死の形相で、化物の膝へ斬りかかっている。
反対側から"魔術の矢"を乱射し、援護するアレクシス。
"姫神"は視線を左右させ、滅茶苦茶に腕や尾をぶん回す。
「じゃあ、ちょっとクソガキから男になりますか!」
「!」
「ノーラ先輩、きっちり決めてくださいよ!」
ニコルは剣一本と丸石を構え、武の気配を東の方角へ尖らせた。
ノアとは違い、これまでは出来なかったはず。
史上最年少騎士、その天賦の才が戦の中で進化している。
呼応した鬨の声。
多数の気配が遠方に生じ。
矢と魔術の雨が押し寄せた。
『何じャ一体……!?』
ドレヴァン将軍の伏兵、効き目の無い奇襲だ。
だが"姫神"はそれに気を取られ、動きを止める。
ニコルが駆け出した。
戦神に加護された脚力が、一瞬で騎士を敵の懐に運ぶ。
闇の巨体をよじ登り、跳んだ。
あっという間に、少女の眼前。
「くらえっ!!」
剣に貫かれた丸石が緑風を生み、"聖壁"を剥がす。
そのまま少女の胴へと切っ先が──
『舐めるなバカ!!』
細身から生えた三本腕。
二本が突きを受け止め、残る一本が剣を握る左腕を手刀で斬り落とす。
『あはっ』
「バカはお前だ。バーカ」
ザンッ。
『え』
飛んできた片割れの剣が、少女の首を刎ねた。
戦神の双剣が隠し持つ、互いに引き合う力だ。
「僕、"双剣"使いなんですよ。無意味に二本持ってたと思いましたか?」
『っ……!!』
「終わりです。ノーラ先輩、トドメを」
勝ち誇り、首級と共に落下していく戦神騎士。
「おおおおぉおおぉっっっ!!!!」
戦神の旗頭が吼え、全身全霊で旗槍を薙ぎ払う。
白銀の大嵐が、闇の魔物を丸ごと呑み込んだ。
大歓声が、月夜に響き渡った。
『よくも、よくもあたしを……!』
「何言ってるんですか。僕の片腕落としたんですから、胸張って惨めに帰れよ」
「先ほどノーラ様が言った通りです。あなたは全力を尽くさなかった。ろくに情報も無い私達を倒せる、最大の好機を逃しました」
一欠片だけ月の国に残った、"姫神"の闇。
それを、四人の戦神騎士が囲んで見下ろす。
「また戦力を小出しにしても、私達相手ではもうどうにもなりません」
「というか僕達四人倒せば勝ちだなんてのも、大間違いですよ? 月影騎士は、まだ他にもいますからね」
「ふはは、やめろ若人達! 一国の女王陛下を責めてはならん。敗戦直後であらせられるぞ」
『う、うぅ……!』
立て続けの煽りに、闇が呻く。
挑発はこのくらいでいいだろう。
あれだけ傲慢さを見せていた以上、これで次は意地でも全力で来る。
そう判断したノーラは、口を開いた。
「……別に私達は、お前が何度ちょっかいを出してきても構わない。何度でも叩き潰すだけだ。お前の歩みは、永遠に進まない」
『そんなことないっ! あたしは、あたしは諦めない……!』
霧散していく。
"神"を自称する、闇の魔物の欠片が。
『この世の全てを、本当にあたしの物にしてやる……あの時そう決めたの! だから、絶対に諦めない……!!』
次こそ。
次こそは。
次こそは、絶対に。
何度も叫びながら、闇は消え去った。
「…………ふー。最後の一撃で死ぬかと思いましたよ、ノーラ先輩」
「死なせるわけないだろ。男になったばかりの同朋を」
「倒すべきのみを倒す力……ふむ、ノーラよ。今は亡きドルザン団長に追いついたな」
「足元に手が届いただけです、アレクシスさん。私はまだまだ、強くならなければ」
「……イオ先輩も、ノーラ様と同じ力を得たと聞きます。私にも出来るでしょうか?」
馬の蹄の音が多数近づいてくる。
ドレヴァン将軍の部隊だ。
老将のやり遂げた笑顔は、隻腕となったニコルを見て凍りついた。
他の兵士達も、引きつった声を漏らす。
「ニコ……月影騎士ニコラス! 貴公、左腕を!?」
「"姫神"にくれてやりました。大丈夫です。アルヴィンさんの"治癒"で止血してますから」
「なんと、なんということじゃ……!」
「死んでいった同朋が大勢います、将軍。僕は片腕だけ。まずは兵士達の弔いを」
朗らかに笑う戦神騎士に月の将軍は息を呑み、部下と共に拝礼した。
後退していた戦神の軍も合流してくる。
ノーラ達には馬が与えられ、そのまま本陣へと向かっていく。
道中、"月影騎士"が姿を欺いていたことについて、アレクシスが適当に弁明した。
こういう時に、高説が得意な魔術士は頼りになる。
"闇の吹き溜まり"は"姫神"に吸収され尽くし、一つも残っていなかった。
しかしマーブリス兵が少なからず、戦場に横たわっている。
「一千以上がやられましたか、ドレヴァン将軍」
「おおよそな、月影騎士ネリス。殆どが脱出不可能の"闇の吹き溜まり"によって、開戦直後に生じた犠牲じゃ。屍を数えれば、もっと増えるじゃろうが」
「でしょうね。私達も、危うかった」
「……もしも」
落ち始めた満月へ顔を逸らすように視線をやり、老将が呟く。
「もしも貴公らがおらんかったら……あるいは"姫神"がすぐさま貴公らに狙いを絞らんかったらと思うと、ぞっとするわ」
「お互い様です。将軍が軍勢を散開させていたのも、最後の奇襲も、勝敗を左右する一手でした」
太鼓が打ち鳴らされ、戦の後始末が始まった。
屍はかき集めて、焼却しなければならないのだ。
怨念を啜る、闇の魔物が沸かぬように。
夜が白む頃。
ドレヴァンが本陣指揮所の人払いをして、同朋の弔いを終えたノーラ達戦神騎士を招き入れた。
「……ノーラ殿。ニコル殿はどうする気なのじゃ? 隻腕となっては戦神騎士といえど……」
「無論、戦い続けます」
「じゃが、貴公らの仇敵は飛竜であろう? ただでさえ厳しい相手に」
「将軍、僕達は戦争やってるんですよ。手足が飛ぶなんて当然です。"治癒"の魔術が都合よく、それを治せるわけじゃないのも」
「……むぅ」
「大丈夫ですよ。フォルラザには隻腕で戦う術くらい、いくらでもありましたので。僕の村にも何人かいたし」
ニコルは気にした様子も無く、からりと応答する。
"姫神"に斬られた左腕は、もう燃やしていた。
「あっ。でも王子殿下から賜った双剣が片方使えないのは、だいぶ困るかな……」
「ふはっ、案ずるなニコル。良い手がある。大陸南方の大山脈に行き、その後、北方で潜伏中のグリムロ副長の元へ行くがよい」
「はい? どういうことです、アレクシスさん」
「山の民に黒鉄を分けてもらうよう、ウィルフレッドに連絡する」
それだけの物言いでニコルは何かを察したらしく、明るい表情で頷いた。
「エルフさん達が戻ってきたら、すぐに発ちます。もっと強くなって帰ってきますから。いいですよね、ノーラ先輩?」
「ああ、行ってこい。さて、"砂粒"を呼んで、今回の件で色々と情報共有をしよう」
「では私も一筆書くか。ノアよ、筆とインクを持ってきてくれたまえ」
「はい」
バタバタと次の行動を始める戦神騎士達。
その様子に、ドレヴァン将軍は呆れたように口を開け、だがやがて苦笑した。
「やれやれ。戦神の民、恐るべし」
月の民の老人の言葉に、ノーラは笑みを返した。
敗けるもんか。
絶対に諦めない。
次こそは。
そう語った"姫神"はやはり、ただ強大なだけの闇の魔物ではない。
"聖壁"と呼んでいた業の正体は何なのか。
何故、あれほどの知性を有する闇の魔物が生じたのか。
何故、この世の全てを欲するのか。
戦っても、確かな答えを得られたわけではなかった。
だが、自分達の道のりと彼女の道のりは、はっきりと交わっている。
それは決して、手を取り合うことの出来ない交わり方だ。
戦うしかない。
それでも。
「……『敗けるもんか』も『諦めない』も、私達の台詞だ」
異形の好敵手に想いを馳せ、ノーラは独り呟いた。
懐の丸石は、まだ僅かに光を宿している。
じんわりと、あたたかい。
この光は一体、誰のものだろう。
再起と復讐。
その道のりの果ては、まだ見えない。
次回から視点が変わります。
次は大陸東方で、従者ナツメと旅をしている戦神騎士ローランのお話になります。
なお、戦神騎士十人の簡単な概要と現在の動向をまとめておきます。
大陸地図と合わせてご確認いただければ幸いです。
【挿絵表示】
・ローラン:大剣使い → 太陽川南岸でク・アリエの侵攻を妨害、次はザリアの"霊狼"の元へ
・ノーラ:指揮官、旗槍使い → 月の国マーブリスへ協力、神聖国家オラトリアの"姫神"を撃退
・ニコル:双剣使い → ノーラ指揮下、左腕を失う
・ノア:大剣使い → ノーラ指揮下
・アレクシス:魔術士 → ノーラ指揮下
・グリムロ:副長、大斧使い → 大陸北方で潜伏、ダグル("蛮地")を攪乱
・ジェラルド:古参、魔術剣士 → 太陽の国シンガへ協力、五枝川周辺で五枝水軍を襲撃
・イオ:魔術士 → 山騎士ヘクターとノームのフィンを連れ、大河川の都ク・アリエへ潜入
・ウィルフレッド:槍使い → 南方総督府を援護、竜神の国オズワルドの動揺を間接的に狙う
・ケイト:弓兵 → ウィルフレッド指揮下
お話がかなり広い範囲で展開されるので、時折こういうまとめをする予定です。
まだまだ長いですが、時間がある時にお付き合いください。