ローランは現在、同朋の戦神騎士イオの要請を受け、太陽川南岸で大河川の都ク・アリエの南下を迎撃しています。
大陸東方。
太陽川の南岸から、ほど近い場所。
「待てお前ら、逃げるなっ! 敵はたったの」
将の首が、夜空に舞った。
戦場の時が一瞬、止まる。
「吹き飛べ」
戦神騎士ローランは斬り上げた大剣を、今度は振り下ろす。
ゴゥッ。
白銀の衝撃波が発生。
凄まじい奔流が、背を向けていた本陣の敵兵を呑み込んだ。
大河川の都ク・アリエの、川の民である。
「な、何だ今の!? 本当に"戦神騎士"って奴なのか!?」
「噂よりやべぇ……! 戦下手がたった一千で勝てるかよ、クソったれ!」
「じゃあな商人サマ、あとは頑張りな!」
散り散りに逃げ始める、雇われの傭兵達。
「……ん?」
夜襲で一気に本陣を潰したローラン。
その左方で敵兵達が必死に声を張り上げ、互いを奮い立たせている。
この本陣同様に、傭兵よりもク・アリエ直属の兵士が多いらしい。
「おおっ! おおっ!! おおぉぉーっ!!!」
今さらな鬨の声。
やがて軍勢の中に青白い魔力の壁が生じ、夜の闇を明からせた。
おそらく戦神の諜報"砂粒"の報告にあった、副将だろう。
自ら居場所を教えるようなものだ。
「踏みとどまってどうすんだ……きっちり損得考えるのが、商人の仕事じゃねえのか?」
飛来した矢と魔術を適当に打ち払い、ローランは呟く。
これまで蹴散らしてきたク・アリエの将の中で、最も愚かしい。
本陣を失ったのだから、粘らず退けばいいものを。
「ローランの旦那! 右は俺らがもう一回散らしてくる! その次は船だ!」
「頼んだ。悪いけど、副将の首も貰うぞ」
「どうぞご自由に、戦神騎士殿!」
戦神の民に勝るとも劣らない、数十の武の気配。
ローランの同朋イオの選りすぐった人材が、自ら集めて鍛えた精鋭部隊──東方における"戦神の軍"と呼ぶべき集団だ。
心強い味方は右の軍勢へ向けて、素早く攻めかかっていった。
「…………」
ローランは再度の一斉射撃を捌き、目を細める。
本陣の将兵は死んだ。
傭兵達は逃げ出した。
射撃の密度も精度も貧弱。
副将の軍勢はもう、二百もいないだろう。
「……馬鹿野郎が」
その辺の剣を拾い、逆手に持つ。
投擲。
戦神騎士の膂力で撃ち込まれた刃が、数枚の薄っぺらな"防護"をぶち抜いた。
兵士達が慄き、何とか保っていた陣形が大きく乱れる。
ローランは戦神の大剣を構えて、駆け出した。
「うおおおぉぉぉおぉっっ!!!」
武の気配を全開にし、獅子のごとく雄叫ぶ。
敵は完全に崩れた。
悲鳴をあげ、武器を捨て、必死に北の太陽川へ逃げようとする。
ローランは追いかけ、斬った。
ひたすらに斬った。
斬って、斬って、斬り殺した。
「ひっ、卑怯だぞ! あんた、やっぱりフォルラザの戦神騎士だろ!? そそ、そんな大物が、夜襲だなんて……!」
何とか川岸に辿り着き、しかし腰を抜かした川の民が呻く。
最後の一人だ。
ローランの後ろにはもう、屍しかない。
「夜襲程度で卑怯になるか。他所の旗掲げて威張ってる奴らが、どうこう言うんじゃねえ」
「っ。あ、あれがただの脅しだと思ったか!? 俺らク・アリエにはもう、ビードの山騎士だって何人も」
「山騎士が自ら出てこずに、祖国の旗だけ貸すわけが無い。彼らを侮辱するな」
「ぅっ……オズワルドの飛竜が黙ってな」
最後の首が落ちる。
ローランが視線を横へ向けると、炎の塊が水上にいくつも生じている。
アリエ湖から下ってきた船団が、戦神の軍によって燃やされているのだ。
「よう。こっちも片付いたぜ、ローランの旦那。殲滅はしてねえけど、指揮が取れそうな奴らはきっちり仕留めといた。いいだろ?」
「ああ、充分だ。……今回も助かった。流石に独りで一千相手はキツかったからな」
「そうでもなかったんじゃねえか? 所詮傭兵で水増しした一千だしよ」
馬から下りた中年の男が、短槍を片手に肩をすくめる。
戦神騎士イオに認められた胆力と軍才を持つ、小国出身の同朋だ。
「上陸せずにいた数隻が、旦那が本陣を潰した直後に逃げやがった。衝撃波見せたから、ク・アリエの中枢に報告が行くぜ。『やはり太陽川にも、戦神騎士がいる』ってよ」
「……いいさ。今まであんた以外の同朋とも組んで、何度か敵軍を蹴散らしてるんだ。それに、潜入中のイオが『もう無理に隠す必要も無い』って言ってきた」
「そうかもな。五枝川の戦線で動いてるジェラルド老も、既に勘付かれてるみたいだし」
「仕方ない。いくら容姿や戦神の加護を欺いても、単独で暴れ回ってればな」
ローランはそう言って、落ちていた敵の旗を拾った。
ク・アリエの旗ではない。
今は亡き山岳国家ビードの旗である。
大陸南端の大山脈を領土としていたが、七年ほど前に戦神の国フォルラザによって滅ぼされた国。
そのビードの最精鋭"山騎士"の生き残りがつい最近まで、この大陸東方で"百人力"の傭兵として暴れ回っていたらしい。
彼は今、どういうわけかイオの同行者となり、ク・アリエに滞在している。
だからその名声を利用してやろう、という魂胆だろう。
「俺達への牽制が目的でも、これは一線を越えてる。ヘクター殿……だったか。彼に話が伝わらないといいが」
ローランは旗の土埃を丁寧に払い、面識も無い山騎士を慮った。
あの湖上の大商業都市の様子は、"砂粒"から逐一報告が入っている。
『北の五枝川にも、南の太陽川にも、戦神騎士らしき"百人力"の影あり』
そんな噂が既に、中枢どころか市民や傭兵の間にも広まっているという。
それでク・アリエは徐々に傭兵が集めづらくなり、何とか山騎士ヘクターを引き入れようとしているようだ。
イオが彼の従者に扮して、ク・アリエに楔を打ち込む術を探している、とも。
「……俺は頭悪いから、イオの読みが未だによく分かんねえ。あいつの言う通り、本当にク・アリエはそろそろ出兵を一旦止めるのか?」
「止めるだろうよ。五枝水軍への支援は続けるだろうが……この太陽川に関しては、な。多分、今回で一区切りじゃねえか? あのへにゃへにゃ魔術士の予測は、正しいと思うぜ」
さっきの質の悪い、形だけの雑魚一千がその証拠だ、と中年の同朋は言う。
「"砂粒"さんが昨日、報告にすっとんできたろ? 南方総督府に新しく着任するはずだった、オズワルドのお偉い貴族が飛竜に殺された話」
「…………」
「竜神の都から出てすぐの場所での事件だ。到底隠しきれねえ。その内大陸中に知れ渡って、皆思うだろうさ。『飛竜達は色々上手くいってる総督府に、靡き始めてるんじゃねえか』ってな」
ローランは、だいぶ前に"砂粒"から聞いた別の話を思い出す。
暴走して大山脈を荒らした最大最強の飛竜及びその騎手が、南方総督によって裁かれた。
妾腹でしかない、オズワルドの第四王子の独断によって、である。
木偶の騎手はともかく、飛竜が裁きを甘んじて受けたという話は、結果的に南方総督府の求心力を大きく高めている。
「今まで大商業都市ク・アリエは、実質オズワルドの属国って立場だった。この東方では周知の事実だったし、それで長いことふんぞり返ってた。だが、竜神の国の威信は目に見えて落ちていく。湖上の商人どもにとっては危機……なのと同時に、この上ない稼ぎ時でもある」
「……えー、つまり?」
「ローランの旦那、今日は頭回らねえ日かい? 簡単に言うと『威信回復の手伝いしてやるから、看板貸して見返りも寄越せ』って交渉を奴らは始めるんだよ。だから太陽川への出兵は最初だけ大いにやる気を見せて、俺らが妨害した途端におざなりになった」
「最初のやる気ってのも、だいぶシンガの方に向いてたがな。この南岸へ上がってきたのは、二千程度だったし」
ローランは月明かりで淡く輝く、太陽川を眺めた。
イオからの連絡を受け、彼女が東方で集めていた仲間達と合流して迎え撃った二千。
長年シンガと小競り合いしてきた五枝水軍の粘り強さは聞いていたが、ク・アリエの戦力は全く大したことが無かった。
"百人力"の相手を想定せず、かつ傭兵が多くを占める、数だけを揃えた軍勢だった。
士気も略奪欲に支えられた薄っぺらなもので、鍛え上げた戦神の軍が数度奇襲すれば自壊した。
「ったく。商人なんだから、金と物資だけ川に流してりゃいいものを」
「五枝水軍への支援が、ジェラルド老のせいで上手くいかなくなったからだろうよ。だから太陽川へ、自前の戦力を出した」
「"砂粒"が言ってたけど、シンガの"太陽騎士"が察知して、すぐに一人駆けつけてきたんだろ? それで結局、シンガへの攻撃も断念して引き返したっていうじゃねえか」
「らしいなぁ。ということで奴さんのここからの動きはやっぱ、オズワルドの態度次第だろう」
ローランはビードの旗を地面に突き立て、鼻を鳴らした。
「……結局、オズワルドの威光が前提の攻勢に思える。ここまで色々躓いてる以上、俺が商人ならさっさと諦めるけどな。金と人材の無駄遣いだ」
「甘いな、旦那。今諦めたら、それこそ大損こいて信用失っただけで終わりなんだよ。せめてシンガの領土……太陽平野は取らないと割に合わねえ。ま、シンガの意識を南にも向けられたってだけで、意味有る出兵だったろう」
「…………分かんねえ。そういうもんか?」
「そういうもんだ。太陽騎士には効かねえ揺さぶりでも、未だに後継者争いやってる馬鹿どもには効くだろうから」
やっぱりあの従者ちゃんがくっついてないと駄目だな、と笑われたローラン。
少し情けなくなりながらも、凡庸な戦神騎士は腕を組む。
王が急死した太陽の都は今でも、二人の王子がク・アリエと五枝水軍への対応を巡って、王城を真っ二つにしているという。
だから太陽川を下る動きを見せたのは確かに、それなりに効き目があったかもしれない。
それにオズワルドが公然とク・アリエを尖兵として扱えば、シンガを含む東方諸勢力はこれまでとは比べものにならない危機感を覚えるだろう。
戦わずして従属を申し出る勢力だって、いくつも出てくるに違いない。
いや、しかし。
「一騎当千の飛竜どもを飼ってる親玉に、商人がそんな上から目線の……綱渡りな交渉を出来るのか?」
「飛竜は今後、言うことを聞かなくなるかもしれない。総督府の第四王子の下へ、去っていくかもしれない。竜神の王城は今、それが怖くて仕方無いはずだ。『俺らもそうしちまおうか』ってク・アリエが匂わせるだけでも、かなり効くのさ」
「……うーん。相手に見放されるのが怖いのは、商人だって同じだろ? オズワルドもそれが分からないほど、馬鹿じゃないと思うが」
「おっ、急に鋭いじゃねえか旦那。そう、結局オズワルドとク・アリエ……この時勢での確かな結託はどっちにも大きな旨みがある話というか、もうそれしかない状況。あとは、どういう取引内容に着地するかなんだわ」
軍才のみならず大局を見る目も有する同朋が得物の短槍を掲げ、大きく左右に振った。
船を潰し終えた仲間達が、こちらへと向かってくる。
「取引、か」
「口の上手い商人どもにとっては、今の動揺してるオズワルドは言いくるめやすいだろうよ。飛竜は戦場で無敵でも、人間の代わりに交渉なんてしてくれないからな」
「商人がどれだけ机挟んで偉そうにしてこようが、アリエ湖の中枢に飛竜一匹下ろせば終わりじゃないのか?」
「下ろしてそのままじっとさせていられるなら、な。そこで竜神の王の頭を過るのが、南方総督府を巡った暴走事件ってわけだ」
「あれはあくまで第四王子絡みだろ?」
「そう言いきれる確証が無い。脅しのつもりが暴走したら、属国状態の大河川の都はぶっ壊れて、オズワルドは自分の首をさらに絞めちまう」
「…………」
「そもそも飛竜がそこまで上手く制御出来る存在なら、有力な国の都全てに突っ込ませて脅せばいい。それだけで竜神の国はあっという間に、大陸全土の覇者になれる。今までそうしてないってことは」
「……ままならねえな」
何がだろう、と自身でも思いつつ、ローランは西へ視線を向けた。
大陸中央の覇者、竜神の国オズワルド。
二度の大戦を経て、祖国フォルラザを滅ぼした仇敵。
唯一の同期ノーラと共に、復讐を誓った相手。
それが未だに大戦の疲弊を引きずり、獲得した南方は半ば独立の動きを見せ、湖上の商人達に上手く利用されようとしている。
竜神の国そのものへの怨恨は、自分の中で半ば薄れているように思う。
特に南方総督府の隆盛は、飛竜に依らない竜神の民の底力の証であり、称賛に値するものだ。
だから今自分を突き動かしているのは、飛竜への純粋な挑戦心が大きいのではないか。
しかし、それでも衰えていくオズワルドに対して、どうでもいい、そのまま勝手に滅びてしまえ、とは思えない。
自分達戦神騎士はかつてのフォルラザのような己の武力に全てを賭ける戦い方を見直し、様々な手段を模索している。
この東方だけではない。
西方のノーラ達。南方のウィルフレッド達。北方のグリムロ副長。
全ては、来たるべき決戦を見据えてのこと。
飛竜もろともオズワルドを攻め滅ぼして、復讐を果たすためだ。
だからこそ大陸中央の覇者は決戦のその時まで、覇者であってほしい。
覇者らしく、道のりの果てで待ち構えていてほしい。
「……身勝手なもんだな、俺は」
「へ?」
「いや、何でもない。……来たか」
遠方に待機させていた従者の少女が、"砂粒"に連れられて向かってくる。
一つ束ねにくくられた、少し伸びた純白の髪。
夜の暗闇に浮かぶような、真紅の瞳。
「ローランさん……お怪我はありませんか?」
「かすり傷程度だ。負傷した同朋に、"治癒"を頼む。とりあえず傷が深そうな奴だけでも」
「はい、ウチに任せてください」
安堵した少女は抜群の容貌を綻ばせ、魔術の杖を握り直す。
だが、その微笑はどこか硬い。
当然だろう。
それでもローランは、言うべきことを言った。
「それとナツメ、戦の後始末を手伝ってくれ」
「……はい」
ナツメは悲しそうに頷いた。
返り血まみれの主から、顔を背けずに。
………
……
…
命の終わりである、死。
人間も亜人も、動物も魔物も、死ぬ時は死ぬ。
しかし、人間の死だけは特別だった。
人間の屍には、怨念が残る。
そしてその怨念を啜ろうと、どこからともなく闇の魔物が沸く。
闇の魔物はしつこく沸き続け、やがて全てを腐らせる暗黒の巣"闇の吹き溜まり"を作り出す。
だから、屍は敵味方問わず拾い集めて、燃やさなければならない。
それは人間がこの大陸で生きてきた中で広く共有されてきた、習わしである。
「っ……ぅ……」
ローランが三つの屍を担いで歩く後ろを、ナツメが袋を抱え、時折呻きながらついてくる。
袋の中身は、ローランが斬り飛ばした敵兵の首。
ナツメが自ら拾い、袋に入れたものだ。
「……あと何度か往復しないとな」
「……っ、はい」
ローランはあえて、ナツメを気遣わなかった。
この旅路の目的は、再起と復讐である。
その道のりは血塗られており、死を避けて通ることは決して出来ない。
ナツメは探究の国ラガニアで、ローランの従者として歩む覚悟を改めて示した。
その証として氷の魔術を、戦神騎士ジェラルドから学んだ。
だからローランも、少女の覚悟に応じると決めた。
自分は、人殺しを生業とする軍人。
その従者を務める以上、多くの人の死にしっかりと向き合わせる。
最初に処理したのは、道中で襲いかかってきた下劣な賊徒だった。
ナツメは何度も吐き、涙を流しながらも、ローランと一緒に屍を拾い集めて、燃やした。
故郷の山での父の死が思い起こされたろうに、弱音の一つも吐かず、従者の役目を全うした。
「これで全部か?」
「みたいだな。ローランの旦那、手早く片付けて退散しよう。近くの小国以外からも、物見がやってきちまう」
「……始めますね」
魔術の心得がある同朋と一緒に、ナツメが火熾しの魔術を使う。
数百の屍は、一度に燃やせる量ではない。
小分けにした山それぞれに、火をつけていく。
「…………」
ナツメは燃え上がる炎の前に膝をつき、目を閉じて俯いた。
ローランにとっては、敬意を払うほどの敵ではなかった。
しかし、それでもナツメは彼らの死を悼む。
もう何度もこういう戦の、いや、人殺しの後始末を手伝わせている。
ナツメは顔を歪めて歯を食いしばりながらも、決して逃げなかった。
だが、いっこうに慣れることも無い。
それでいいと、ローランは思っていた。
自分の命を狙ってきた賊徒や魔物の死すらも、悲しんでいた少女だ。
それはきっと、死を恐れず果敢に戦うこととはまた異なる、尊ぶべき心根だろう。
だからナツメは、慣れなくていい。
他者に「甘い」と言われようともこの優しさこそが、ナツメなのだから。
やがて、日が昇ってきた。
灰を野に撒き、一つの戦が終結した。
「……よし。ローランの旦那、そろそろ先に進んでくれ」
「いいのか? もう少しク・アリエの動向を見た方が……」
「さっきも言ったけど、俺もイオと同意見だ。ク・アリエは攻勢を緩めて、オズワルド相手に商談を始めるだろう。当分、大した規模では来ねえよ。ま、いざとなったら"砂粒"さん通して知らせるから」
「……分かった。後は任せるぞ、同朋」
「おう。任された」
得物を軽くぶつけ合い、ローランはナツメを連れて出発した。
本来の目的地、"霊狼"の住まうザリア高原へと。
………
……
…
数日後。
とある森の中でローランは樹の根元に座り込み、星空を見つめていた。
この森を抜ければ、ザリアはもう目と鼻の先のはずだ。
エルフの老婆ルルシェが旧き魔物"霊狼"を紹介してくれてから、だいぶ時が経ってしまった。
「ん……」
ナツメが鼻を啜り、外套を纏った細身を、肩にすり寄せてくる。
寝息は穏やかな響きを、久しぶりに取り戻していた。
美しい純白の髪を、ローランは優しく撫でる。
太陽川を巡るク・アリエと戦神の軍の攻防は、思ったよりも長引いた。
その分多くの人間が死に、ナツメはそれを目の当たりにしてしまった。
彼女が悪夢にうなされていたことは、一度や二度ではない。
仕方無いことだ。
物心ついた頃から武器を握る戦神の民でさえ、初陣で平然としている者は稀なのだ。
命のやり取りに関わるというのは、それほどに重たい。
「……悪いな、ナツメ。けど、頑張ってくれよ」
ローランは眠る従者を起こさないよう、静かに謝罪の言葉をかけた。
殺生に決して慣れない少女を、苦しませている自覚はある。
労いはする。
しかし戦神騎士の従者として、為すべきことは為してもらわねばならない。
それはナツメが望み、自分も望んだからだ。
この道のりの果てまで、一緒に生きていこう、と。
「…………」
ふと、ローランは視線を東に向けた。
何かがこの森に、一瞬で跳んできた。
知っている気配である。
約束通り、"結果"を教えに来てくれたらしい。
「ごめん、ローラン。夜遅くに」
消えた気配が即座に、ローランの前へ現れた。
細い指先が焚火の跡を差すと、薪が勝手に組み直されて火がともる。
「……気にするな。大事な話なんだからな」
ナツメが慌てて目を覚ました。
外套のフードを脱いだ相手が、金髪碧眼と長く尖った耳による美貌を露わにする。
「ノーラ達はどうなった? ナギッサ」
月の国マーブリスの最精鋭、月影騎士ナギッサ。
少し前に"姫神"の出陣を伝えに来てくれた、ノーラの友のエルフである。
「……ノーラ達は、"姫神"に勝ったよ。でも、マーブリス側の被害は一千以上、戦神の軍も十五人くらい死んだ。あと……」
エルフの少女は美貌を苦々しそうに歪め、唇を噛む。
「ニコルが……ニコルが、左腕を失くしちゃった」
ナツメが息を呑み、自身の腕を握りしめる。
ローランは立ち上がり、戦神の大剣を顔の前に掲げて、目を閉じた。
「ごめんっ! "姫神"の残していった闇の気配が強すぎて、あたしらエルフは"砂粒"が報せてくれても、数日ルネシアに戻れなかったの!」
「…………」
「だからその間にニコルの腕はもう燃やされてて! や、闇に穢されてても腕さえ残ってれば、もしかしたら……! もしかしたら、治せたかもしれないのにっ!」
ごめん、ごめんと何度も頭を下げながら早口で経緯を説明するエルフの前で、ローランは黙祷を続けた。
「……ニコルの片腕より、死んでいった同朋やマーブリスの将兵だ」
「なっ……」
「死んですぐに、闇の魔物の糧にされたんだろ? 惨い話だ。"姫神"って奴はあんたや"砂粒"から聞いてた通り、本当に図抜けた存在だったんだな」
ローランが目を開けて視線を向けると、見開かれた碧眼が大きく揺れていた。
「あんたがそんなに謝る必要は無い。ニコルは、あの生意気なクソガキは言ったんじゃねえか? 『自分は腕一本失っただけです。こんなのどうってことありません』って」
「そ、それは……」
「ノーラもノアもアレクシスさんも、闇に貪られた同朋や月の民を悼んだはずだ。腕一本なんかより、ずっと」
「腕一本なんかって……あんたまでそんな……!」
碧眼が焚火の輝きを映して、燃える。
ローランはナツメを目で促し、簡単な夜食の準備を始めさせた。
そして焚火の傍へ座り直し、ナギッサにもそうするように告げる。
エルフの少女は納得できないというように、どこか乱暴に腰を下ろした。
「確かに"百人力"の片腕が落ちるのは、あんた達やマーブリスから見れば一大事かもしれない。だけど"百人力"だからって……戦神騎士だからって、他の同朋の死より片腕一本が重たいとは、俺達は思わない」
「っ……!」
「ナギッサはノーラと仲良いんだろ? さっきの言い方からして、ノーラも同じこと言ったんじゃねえか?」
「……言った。あんたと全く同じ。ニコルも、あんたの言う通り。ノアもあのうるさいおっさんも……そうだった」
膝を抱え込み、ナギッサは俯く。
「やっぱり皆、それが当たり前みたいに言うんだね。信じられない」
「ノーラと喧嘩でもして、こっちに跳んできたか」
「……うん。あたし……あんたら戦神の民が分からないよ。おかしいよ。月の民は、ニコルが腕を失くしたことばっかり騒いでたのに」
「そうか。自国の最精鋭って扱いをしてくれてるんだもんな。ましてや誰が見ても分かる、天賦の才持ちだ。騒ぎもするだろうな」
「当然の反応だよ。むしろあんたらが一番深刻になるべきでしょ? ただでさえ戦神の使徒はもう残り少なくて、飛竜に勝ち目薄いのに……それなのにっ……!」
顔を膝に埋めたまま、声を荒げるエルフ。
「どいつもこいつも……バカじゃないの? 到底つり合わないしょっぱい見返り目当てに、他所の連中のためにそこら中走り回ったり命賭けたり。あんただってそう。アリエ湖から来る奴らをコソコソ追い払っても、誰も感謝してくれないでしょ。それどころか、ありがた迷惑だって思われてるかもしれないのに。それで仲間が死んだり、腕を失くしたり……っ、そんなの、そんなのっ!」
バカだ、バカだと少女は繰り返した。
ナツメが沈痛な表情で、調理器具を焚火で炙る。
パチパチと薪が鳴る音に混じって、鼻を啜る音が聞こえてきた。
「……難しいな」
ローランは想いを上手く言葉に出来ず、頭をかく。
このエルフとは最近知り合い、マーブリスを攻めている"姫神"を巡った会話しかしていない。
しかし、ルルシェと比べても人の世の風評と比べても、とても真面目で律儀な少女に思えた。
誼を結んだ相手に、とにかく強く入れ込んでしまう性格なのだろう。
そう考えると先ほどは、少し乱暴な物言いをしてしまった。
良い匂いが漂ってくる。
ナツメが夕食の残りで作っている、香草と木の実のスープだ。
「ナギッサ。戦神の軍が大陸中に散らばって色々な勢力に関わってるのは、あくまで自分達のためだ。見返りなんて貰えなくても、前に進むために必要だと思ったなら……いや、ちょっと違うか。『やるべきだ。やりたい』と思った以上は、やるだけの話だ」
「…………」
「それに、命の重さは皆同じだとか、多くの人を救いたいとか、俺達はそんな大それたことを考えてるわけじゃない。ニコルのことを軽んじてもいない」
「……分かってるよ、そんなこと」
「あいつが片腕を失ったのは、確かに勿体無いことだ。隻腕になったらどうしても、色々と苦労することが増えちまう」
それでも、とローランは揺らめく焚火を見つめ、言葉を続ける。
「死んだわけじゃない。人間としても、戦士としても。戦神の民には隻腕で戦う術なんて、いくらでもあるんだ」
「それも聞いた……けどさっ!」
「ありがとうな、ナギッサ」
「!!」
こちらを向いたぐしょぐしょの美貌に、ローランは笑みを返す。
「こうして話すのはまだ二度目だけど……あんたが信頼と尊敬に足る相手だってことはよく分かった。ノーラみたいな真面目で背負い込みがちな奴が、あんたと友達になった訳も」
「え……」
「なんていうかな……あんたに『おかしい』とか『バカだ』って真剣に言われると、少し嬉しくなる」
濡れた瞳の中にいるのは、自分だけではない気がした。
ノーラ。かけがえのない、唯一の同期。
「多分、俺達戦神の民は"死"っていうものに、すごく近いんだろう。大陸南方の蹂躙に、オズワルドとの二度の大戦。生きるか死ぬかの場に、慣れ過ぎた。あまりにも殺し続けて、殺され続けた。だからこそ、死ななければ安いと思ってるのかもしれない。生きてさえいれば……って」
ローランは思い返す。
ナツメを雨が降る森で拾った時も、そうだった。
生きてさえいれば、きっと。
そう考えて、逃げ出してきた奴隷のナツメに手を差し伸べた。
その結果、ナツメは故郷の山で、父親が隠し持っていた妄執を目の当たりにしてしまった。
特別なエルフであるルルシェが救ってくれなければ、どうなっていたことか。
「けど、そういう俺達の生き方や考え方はやっぱり、危ういんだと思う。一歩間違えれば、周りを巻き込んで簡単に破滅しちまうくらいに」
「ローラン……」
「だからあんたや月の民みたいに、腕一本で大騒ぎしてくれる友が必要なんだろうな。『たかが腕一本じゃない。もっと自分を大事にしろ』って、俺達の危うさを心配してくれる友が」
碧眼の揺れが、薄らぐ。
目の前の少女が発し続けている感情は、種族や考え方の違いなんて関係無いものだ。
どこまでも真摯な、思いやり。
ローランは、それが嬉しかった。
「俺達だって、あんた達に伝えたい。『"百人力"の腕一本より、死んでいった多くの仲間をこそ悼みたい。彼らの分まで、強く生きるんだ』って。……そうだよ。きっと、こういう想いの伝え合いとかぶつけ合いが……友達になるってことなんじゃねえかな」
ナツメが畏まって、そっと器を差し出してきた。
軽く啜る。
やはり美味い。
心身が包み込まれるように温かくなり、生きる力が沸き上がる、ルルシェ直伝のスープだ。
「ナギッサさんも、どうぞ」
「……うん」
ナギッサは外套の袖で目元を拭い、スープに口をつけた。
焚火が弾けるだけの、静かな時間が流れる。
「ぐすっ……はぁ。なんかさ」
エルフの少女が、ため息混じりに呟く。
「あたしって、あんたら戦神の使徒の何倍も長く生きてるんだよね。それなのに、こうして話してるとしょっちゅう……『ああ、敗けた』って気分になっちゃうんだ」
「別に、俺とあんたが何か勝負してたわけじゃないだろ」
「はぁ~、またノーラと同じこと言ってるし。……ぷっ、あはは」
絶世の美貌が、黄金のような笑顔を浮かべる。
ローランにとって、若いエルフの笑顔を見るのは初めてだった。
やはり同じ地母神の血を引くナツメにどこか近しく、慕わしい。
ぎゅむっ。
「うあっ」
そのナツメが、何故か満面の笑みで頬をつねってくる。
わけも分からずされるがままになっていると、エルフはさらに明るく笑った。
「ナツメちゃん、だっけ。このスープ、エルフに教わったでしょ?」
「え、えっ!? えーと、あの……その……」
「……そうだ。道中で色々と助けてもらった、ついでにな」
「ふーん、そっかそっか。だから、畏れ多くもザリアのガドさまにさえお会いできるってわけね」
鮮やかな碧眼が、何かを察したようだった。
ナツメを見つめ、意味深な微笑みを浮かべるナギッサ。
黄金の叡智を誇る種族相手に、迂闊なことをしてしまった。
ルルシェの助力を、勘付かれたかもしれない。
あるいはナツメの容姿を欺き、地母神由来の力を封じている業の存在さえも。
自分もナツメも、隠しごとが得意な人間ではないのに。
とはいえ、ナツメが命じられずともこのスープを振る舞った気持ちは、よく分かる。
ずっと俯いていたノーラの友が、そして自分達の友が、笑顔を取り戻した。
今はそれで、いいではないか。
「……好きに解釈してくれていい。あんたが笑ってくれたんだから」
「ちょっと、さっきから何なの? その口説き文句の連発。もしかして……あたしに惚れちゃった感じ?」
「へっ? あーいや、そういうつもりは無くてだな。まあ、その……確かにエルフらしく、すごい美人だとは……いてて」
「ローランさん、まだウチのスープが残ってますよ。ちゃんと全部飲んでください、ね?」
二人の少女が、大笑いした。
「ま、いいや。忘れちゃおっと。『エルフは奔放、気まぐれ、からかい癖あり』ですから」
「自分で言うのかよ、その風評」
「ふふん、言いますとも。この言い回し、あたしらエルフは結構気に入ってるんだよね」
ふわっと立ち上がったナギッサは、どこからともなく木の葉を取り出す。
「……ねぇ、ローラン」
「ん?」
「あたし、もう西方へ帰るよ。大事な同期のノーラに何か伝えること、ある?」
急に問われても、思いつきはしない。
太陽川を巡る攻防が一区切りついた。
これからようやく、次の目的地のザリアへ向かう。
そういうことを共通の友を通じて同期に伝えるのも、少し違う気がする。
「……俺達はまだまだ、道半ばだ。いずれ必ず、戦神の旗の下で」
ナギッサがあんぐりと口を開いた。
「ひどいオトコ」
「はぁ!? 何で……」
「さっきあれだけあたしにカッコつけたから、余計ひっどいわ。サイテー」
あまりの物言いに思わずナツメを見やると、従者の少女は気まずそうに顔を背けた。
「はぁぁ~~。ま、あたしが良い感じに伝えてあげる。感謝してね?」
「……そうかよ。どうも」
「はい、どういたしまして。…………ローラン、ナツメちゃん」
ナギッサが一際美しい声で、耳をくすぐってくる。
夜風に金髪がそよぎ、碧眼が優しく細められた。
「ありがとう」
唇に当てられた木の葉。
ピューッと草笛が鳴り響き。
エルフの友は、去っていった。
しばしの間、ローランとナツメは静かにスープを啜った。
「……素敵な方ですね、ナギッサさんは。ルルシェ様みたいに親しみやすくて、でも少し真面目な感じで」
「そうだな。あいつになら、ノーラを任せられる。ノーラはきっちり、西方で戦果を上げてくるはずだ。"姫神"って奴を、今度こそぶっ倒してな」
ローランは器を置き、口元を拭った。
ナギッサによれば"姫神"との戦いの最中、"闇の廃都"で入手した丸石が突如一時的に力を取り戻し、勝敗に関わったという。
復活の理由は結局、誰も分かっていない、とも。
あの"廃都"で自分とグリムロ副長は最後に、緑風を操る石の英雄から武器に何かを施された。
古参の戦神騎士ジェラルドは何らかの祝福ではと予想していたが、結局あれから何も起きないままだ。
だが少なくともあの丸石は──東風の民の遺産は、やはり大いなる敵への対抗策になりうるのだ。
その情報もまた、ノーラが得た戦果。
「……よし。俺達だって敗けてられないぞ、ナツメ。ザリアで絶対、何か手に入れてやろうぜ」
「はい!」
ナツメと笑みを交わしたローランは、自身の得物に手を伸ばす。
戦神に祝福された、白銀の大剣。
それが雄々しく、光と熱を帯びている。
再び、夜空に掲げた。
今度は哀悼ではなく、決意のために。
刃先をかすめるように、緑の星が流れた。