「それにしてもひどいな~、ノーラ先輩。普通、同朋との感動の再会直後にぶちますか?」
「人の顔見た瞬間に、嫌そうにしたほうが悪い」
ノーラは温かいスープを啜りながら、対面して座っている茶髪の少年、ニコルに応える。
だがニコルは態度を悪びれることなく適当に笑い飛ばして、昼食の付け合わせとして出されていた、小さく赤い果実を一粒口に含んだ。
その声は高いながらも、少しだけかすれている。
ちょうど、声変わりの時期に入ったのだろう。
まだ十五歳にもなっていないはずだ。
成人すらしていない同朋。
戦神騎士ニコル。
戦神の国フォルラザは竜神の国オズワルドへの侵攻戦で大敗し、数えきれぬほどの兵士を失い、そしてその傷を癒す間もなく、オズワルドから反撃の侵攻を受けた。
ニコルはそんな時勢でフォルラザの強引な徴兵によって十二歳で軍に入れられ、調練もろくに受けずに最前線に送り込まれた、新兵の一人である。
あまりにも苛烈な戦場を初陣としたにもかかわらず、ニコルは虚しく死んでいく他の幼い新兵達とは違っていた。
飛竜兵の猛攻を掻い潜りながら敵陣に突入し、双剣で多数の兵を斬って生還したのだ。
そして戦神の託宣によって、異例である陣中での戦神騎士叙任を史上最年少で受け、その後はずっと、一人前の戦神騎士として激戦に投入され続けた。
ニコルの元へ戦神の武具が正式に届けられたのは叙任からしばらく後、世継ぎの王子が劣勢の軍を鼓舞するために前線へ出てきた時である。
フォルラザの歴史でも稀に見る、天賦の才を謳われた少年剣士だった。
「……ん」
ノーラが耳を澄ますと、この小さな小屋の外で、兵士達の笑う声が微かに聞こえてくる。
村で一番大きな村長の屋敷に通されて、そこで村人達を巻き込んだ宴のような騒ぎになっているらしい。
長く苦しい雌伏を強いているのだ。
たまにはそういうのも、良いだろう。
「良い村でしょ? 皆さん、とても優しくて親切なんですよ」
「ああ、ありがたいことだ。我々フォルラザが、ほんの少し前に滅ぼした国の民だろうにな」
ノーラはそう呟いて、もう一度スープを啜った。
鳥の骨を煮込み、香草を入れたスープだ。
口に含めば香ばしく、喉を通れば胸の内側を温めてくれる。
川魚も、しっかりと肉の引き締まったものが岩塩で味付けされていた。
心のこもった、もてなしだった。
「山岳国家ビード……フォルラザがだいぶ激しく戦ってたのは知ってます。強かったんですか?」
「強かったとも。フォルラザが大陸南方の覇者となるための、最大最強の敵だった。そして、生粋の山の民の国だ。攻め入るためにわざわざ、山岳戦に適応するための特別な調練を長く課せられた」
「へぇー」
「特にあのレオンのような、怪鳥に跨る山騎士達。未熟な山騎士であろうとも一騎討ち取れば、それだけで兵百人を斬る功績に値する、とされたほどだ」
「そうですか。未熟な山騎士で、兵百人。まあ、確かにそんなもんですかね」
ノーラの昔語りに特に感慨もなさそうに応答して、ニコルはまた赤い果実を一粒食べた。
別に、軽んじているわけではないのだろう。
山騎士の生き残りであるレオンが実際にこの村にいて、ニコルと接しているのだ。
彼我の力を正確に把握した上で、この少年はこういう反応をしている。
ノーラにはそう感じられた。
オズワルド相手の長く苦しい防衛戦で、与えられた馬にあえて一度も乗らずに、常に歩兵として先鋒をやっていた子である。
ノーラはかつて、馬に乗らない理由を尋ねたことがあった。
『飛竜相手には、邪魔なだけですから』
ニコルは、きっぱりとそう答えた。
そんな問答をした後、フォルラザが敗北を重ねる中で、ウィルフレッドを含めた数人の騎兵がニコルと同じように、戦場で馬に乗らなくなっていった。
そういうところも含めての、天賦の才なのだろう。
そんな少年がこの村に居候して、レオンや村人とうち解けていた。
それはノーラにとって、ここは安全であると判断できる根拠になっている。
「……しかしニコル。お前何でこんな山奥の村にポツリといたんだ? 副長がお前に『西へ行け』と言ったのは知っているが」
「いやー。確かにあの夜、グリムロ副長に『お前は西へでも行っとけ』って言われましたけど。そもそも僕ずっと都近くの村育ちで、軍に入ったら前線でオズワルドの兵を斬るだけで、軍議で見せられた地図でしか大陸の形を知らなかったんですよ? 『いやいや、西って具体的にどこ?とりあえず大山脈かな?』って考えながら駆け抜けて」
「…………」
「でも、山での調練なんて受けたことないから、途中で方角がよく分からなくなって。まあ、動物がいっぱいいたから別に食べるには困らなかったんですけど、迷いに迷ったんですよね。そしたらいつの間にかレオンさんに拾われて、この村で居候してました」
「……そうか。まあ、無事で何よりだ」
「ノーラ先輩こそ。他の先輩たちは?」
「ウィルさんは旧フォルラザ領内でアレクシスさんと一緒に暴れるつもりだ。イオさんとローランは大陸の東方に入る。ジェラルド殿は東伝いに北方へ。今私が掴んでいる戦神騎士の動きは、そのくらいだ。…………いや、あとグリムロ副長が」
「あ、知ってます。副長はオズワルドに突っ込むんでしょ? なんかあの夜、僕と二人一組になった後ですっごく吼えてましたからね。『ちょっと冷静になりましょうよ』って言ったらぶん殴られました」
「……どう思う?」
「どうって?」
素直に首をかしげるニコルにノーラはため息をついて、問い直した。
「ウィルさん、イオさん、ジェラルド殿は特に心配していない。自分でどうとでも考えて動ける人達だ。アレクシスさんは正直私にはよく分からないお人だが、ウィルさんが一緒なら問題はないだろう。ローランは……まあいいとして。一番問題なのは、副長の動きだ」
「うーん。それは……僕達フォルラザの生き残りの、今後の目的次第……ですかね」
ニコルに言われて、ノーラははっとした。
確かにまず、そこから話をするべきなのだ。
ニコルはあのフォルラザ滅亡の夜に生き残った、十人の戦神騎士の一人。
今はまだ幼くても、これからは軍の中心になっていく存在だ。
今後についてしっかりと、意見を交わしておかなければならない。
同朋と再会した安堵感で、少し思考がふやけてしまっていた。
「すまなかったな。最初に説明すべきだった。……戦神の軍の再起。そしてオズワルドを討ち滅ぼす。私が目指そうとしているのは、そこだ。グリムロ副長からは"砂粒"を通したやり取りで『全てお前に任せる』と言われた。だから正式に、今後戦神騎士の先頭に立つのは私、ということになる」
ノーラとニコルの間に、沈黙が流れた。
ニコルは何の表情も浮かべずに目を閉じて、また果実を一粒口に含んだ。
そして、もごもごと口の中で転がして、やがてそのまま呑み込んだ。
「……飛竜にどうやって勝つんですか?」
ニコルは目を開き、姿勢を正して問うてきた。
しごく当然の疑問だった。
竜神の国オズワルドを倒すとは即ち、飛竜兵を打ち破るということなのだから。
かき集めた敗残兵達も、今ついてきてくれている二十人の兵士達も、誰もが皆、必ずそれをノーラに問いかけてきたのである。
「戦神騎士の弓兵や魔術士が飛竜に跨る騎手を上手く撃ち殺せたことは、何度かありましたよね? 十人の生き残りの中でも、ジェラルド様とケイト先輩がそれをやってのけてたはずです。それでも、飛竜は止まらなかった。戦神の武具も魔術も受けつけずに暴れ回って、敵陣に戻っていって、次来た時は別の騎手が跨っている。そんな光景を、僕は何度も見ました」
「…………」
「僕は防衛戦からしかオズワルド相手の戦に参加してませんけど、フォルラザの軍が飛竜そのものを仕留めたところを、見たことがありません。ノーラ先輩はあるんですか?」
「……いや、ないな。こちらが砂漠を越えて仕掛けた時も、逆にあちらに仕掛けられた時も、フォルラザが飛竜の首を取ったことは、一度もない」
またも沈黙。
今度は、先ほどよりも長い。
ノーラが口を開こうとした直前に、ニコルが話し出した。
「先輩。ちょっと頭でっかちなこと、言ってもいいですか?」
「構わん。遠慮なく言ってくれ」
「じゃあ言いますけど。もしも練度が全く同じ一千人の軍同士が野戦で正面衝突するとして、片方に戦神騎士が十人いれば、それは間違いなく戦神騎士のいる側が勝ちます。それも、相手を一方的に殲滅するような戦になって、かつ戦神騎士は誰も死にません。相手の一千が小国の出してきた精一杯の数なら、それだけでもう相手は再起不能で滅亡です。そうでしょう?」
「……ああ、お前の言う通りだろうな。仮に敵を三千人で想定しても、殲滅は出来ないまでも戦神騎士側が敵陣を容易く崩して打ち勝つだろうと、私は思う。敵が五千でも、おそらくは勝てる」
「ですよね。ただ、この想定の相手側が数万の軍と数十騎の飛竜兵を持つ竜神の国オズワルドだとしたら、話はまるで変わります。相手側に飛竜兵が三騎いればそれだけで、同じ千人同士で衝突しても勝ちきれなくなると思うんです」
「……勝ちきれない、か。勝てない、ではなく」
「はい。自陣の将の傍に飛竜兵を一騎置いて、残る二騎を敵陣に突っ込ませる。そうされるだけで、千人対千人の戦でも戦神騎士の側は勝ちきれません。雑兵を数百人殺して潰走させて、飛竜の騎手の首と敵将の首に上手く手が届いても、多分その時こちらの被害は敵と同等かそれ以上です。特に、兵士の被害はともかく戦神騎士が一人でもやられた場合は、実質敗けだと思います。戦神の託宣を受けてた陛下がいらっしゃらない以上、僕ら戦神騎士はもう補充できないんですから。そうやって、戦の度になけなしの戦神騎士を犠牲にしつつ、何とか飛竜を使ってくるオズワルド軍を破っていったとします。でも、そんな戦を数回繰り返せばもう到底、僕達がオズワルドという大国を討ち滅ぼすなんてのは不可能になりますよね?」
ニコルが語っているのは、あくまで数字の上で戦を考えた場合の、まさしく頭でっかちな話だった。
しかし、常に最前線で飛竜兵の攻撃を躱しながら戦い続けてきた戦神騎士の、確かな実体験を踏まえての話である。
生き残った戦神騎士の同朋は、たった十人。
それは戦神の軍の主力を担うべき存在であり、浪費などもってのほかだ。
フォルラザ滅亡の夜、都の上で舞っていた飛竜兵は、十数騎だった。
フォルラザが砂漠を越えてオズワルドに攻め入った時、数万の軍同士の対峙に動員された飛竜兵は、およそ三十騎ほどだったか。
それはオズワルドが外に対して素早く仕向けられる数で、国内で動かせる軍兵は、おそらくもっと多いだろう。
つまり、今の戦神騎士は質の上でも数の上でも、飛竜兵に大きく劣っているのである。
そしてもう、戦神騎士の数は増やせない。個々の質を高めるのも、限界があるだろう。
オズワルドの持つ兵数を大きく上回る兵数を確保して、物量で無理やり揉み潰すというのも、なかなかに無茶な話だ。
大陸南方の覇者となったフォルラザ全盛期の侵攻戦ですら、単純な数字の上ではオズワルドと互角が精一杯だったのだから。
そう考えるとニコルの話は、厳しい現実をしっかりと直視したものだった。
あの夜、阿呆を見るような目をした同期のローランに「現実を見ろ」と言われたのを、ノーラは思い出していた。
「オズワルドへの復讐。それをやるには結局、飛竜にどう対応するかを絶対に考えないといけないんだって、僕は思います。ノーラ先輩は今、何か考えてるんですか?」
ニコルに問われるまでもなく、ノーラ自身もこの大山脈まで落ち延びてくる途中、頭の中で何度も飛竜兵を相手に戦をしていた。
兵が二十人いて、戦神騎士が自分一人。相手が同じく兵二十人に飛竜兵一騎として、どう戦うか。
兵百人同士ならば。千人同士ならば。一万人同士ならば。
飛竜兵を、あえて無視する。
空からの強襲に備えて陣を大きく広げ、隙間だらけにして、特別な合図を決めて上手く連携できるようにするのだ。
そういうやり方は実際に試されてそれなり以上の戦果を上げたし、犠牲も減らせたが、結果的に手薄い本陣を狙い撃ちしてきた飛竜によって、世継ぎの王子が殺されてしまった。
ひたすら、飛竜の騎手だけを狙う。
飛竜は大陸最強の魔物である竜族の一種であり、竜神の末裔であるとされている。
魔物とはいえ格式高い存在であり、必然的に騎手がどこの誰でも構わないなどということはあるまい。
馬ですら、優れた馬は自らの乗り手を厳しく選ぶのだ。
飛竜を操る騎手が枯渇するまで、徹底的に矢か魔術で狙って殺せばいい。
それも、実際に試されたことだ。しかし成功したのは、数度だけだった。
飛竜の魔力を纏った羽ばたきと炎の息吹が迎撃してくる中でそれをやってのけるのは、戦神騎士といえども困難極まるのだ。
ニコルが例に挙げた生き残りの魔術剣士ジェラルドと弓兵ケイトも、確かに騎手の射殺を成功させはしたが、二人とも「あれは運が良かっただけだ」と語っていた。
いや、そもそも騎手を運良く射殺できた後でも、飛竜は構わずに暴れ続けていた。
騎手がいなくとも飛竜は暴れに暴れ尽くし、戦神の軍はそれを止められず、やがて騎手を"補充"しに悠然と飛び去っていくのを見ているしかなかった。
つまり。
「……すまないが現状、オズワルドの飛竜をどうにかする方法は、何も思い浮かばない。兵士達にも同じことを聞かれたし、同じように答えた」
ノーラはニコルの質問に、率直に回答した。
ニコルは、表情を動かさない。
少年の童顔には、落胆も失望も怒りもなかった。
ノーラは飲みかけていたスープに口をつけた。
すっかり、冷めてしまっている。
それでも充分に美味しい。
「……ニコル。お前は託宣によって特別に選ばれた、戦神騎士だ。王命で『生きよ』と言われて、生き残った十人の内の一人だ。それでも私は、兵士達にそうしたように、お前にも語るべきことを同じようにして語ろうと思う」
ノーラはスープの器を床に置き、居住まいを正した。
「フォルラザは確かに敗けて、滅んだ。しかしそれでも……重ねて言うが、いずれ戦神の軍は再起を果たす。そして、仇敵オズワルドを討ち滅ぼす。赤髪のノーラが、戦神にそう誓う」
茶髪の少年の、鏡のように澄んだ瞳と向かい合う。
「だがさっきの問答の通り、今の私は飛竜に対抗する術すら思いつかない。とりあえず考えているのは、この大山脈を抜けて大陸の西方に入ることだけだ。そうしても、華々しく戦神の旗を掲げての戦は当分できないだろう。大山脈を抜ければそこは西方の大国、月の国マーブリスの支配地域だからだ」
同朋の少年の瞳は、茶色とも灰色とも言えない、何とも微妙な色合いをしていた。
そしてその中に、ノーラ自身がいる。
「目的を果たすまで、惨めな雌伏の時が続く。どれだけかかるかも分からないほどに、長く続く。そして来たるべき決戦の時を迎えたとしても、その戦は、かつてのフォルラザのような……覇者の如き雄々しい戦ではないかもしれない」
「…………」
「それを理解してなお、あらゆる恥辱に耐える覚悟があるのならば、私と道を共にしてほしい。これは、戦神騎士としてのお前に言っているわけではない。ニコルという、一人の同朋に対して言っている。そう思ってくれ」
見つめ合う時間が、長く過ぎた。
この小さな小屋の外からは、兵士や村人の楽しげな笑い声が聞こえてくる。
だが、それは遠い。
あまりにも遠かった。
ここにいるのは、ノーラとニコルという、二人の人間だけだ。
「……山の中でレオンさんと出会って、この村に連れて来られた日の夜」
ニコルが語り出した。
「レオンさんが僕と勝負したいって、言ってきたんです。剣じゃなくて、木の棒を使っての模擬戦だったんですけど」
「……ほう」
「まあ、僕が勝ちました。そしたら次の日の夜にまた呼ばれて、今度は怪鳥に跨った状態で勝負させてほしいって」
「それで、また勝ったか」
「はい。その翌朝から、レオンさんは変わってました。ただの年下の子供を見る目で、僕を見るようになった。最初に出会った時、あの人は仇を見るような怖い目で僕を見てたんですよ。当然ですよね。レオンさんにとって僕は、祖国を滅ぼした敵国の騎士なんですから」
「…………」
「それでもあの人は迷って困っていた僕をこの村に招いてくれて、食事も寝床もくれました。二回勝負した時も、国を滅ぼされた恨みの話なんて一切しませんでした。他の人達もそうです。レオンさんが二回負けたのを知った後で、男の人達は皆僕と勝負したがりました。何かを抱え込んで僕に向かってきた人は何人かいたけど、皆敗けた後は何故か清々しい顔をしていました。……僕に対して、皆さん優しく接してしてくださいました」
確かに、ノーラがレオンと初めて相対した時もそうだった。
威圧こそしてきたものの、近づき接してみれば、そこには仇敵に対する負の感情はなかった。
しかし、それでもあの時──
ノーラ先輩、とニコルが言った。
「そういう生き方は、間違っていますか?」
「……いいや。何も間違ってなどいない。私がレオンと出会った時、あの男は言っていた。『大山脈が枯れ果てない限り、ビードには敗けも滅びもない』……自分達の王が最後にそう言った、と」
「『敗けも滅びもない』……そうですか。そういうものですか」
「山岳国家ビードの……いや山の民の拠り所は、この大山脈そのものなのだろう。だから、そういう生き方が出来る。あまりにも雄大で、超然として、決して崩れることのない絶対的な心の拠り所があるから……穏やかに、他人に優しく、時には深い恨みすら呑み込んで強く生きていける……のかもしれん」
「僕達戦神の民には、そういう生き方はできませんか? 竜神の国への復讐のために苦しい道のりを進む以外に、道はないんでしょうか?」
ノーラはニコルの真剣な表情をじっと見つめた。
この少年は、戦に倦んでいるわけではない。
飛竜に怯えているわけでもない。
ただ、視野が広がったのだ。
山の民の心の有り様に触れて、戦神にひたすら勝利を捧げるのとは別な生き方を知った。
だから、ノーラの語る生き方が正しいものなのか、自分もそれに倣うべきなのか、そうするしかないのか、問いかけてきているのだ。
まだ、十五歳にも達していない少年である。
戦神の民が皆そうであるように、生まれた村では物心ついた頃から、剣技と戦神への信仰だけを叩き込まれて育ったことだろう。
だから今、急激に広がった視野をもってして、色々なことを考えようとしている。
数字の上での戦の話をあえてしたのも、おそらくはそれが理由だ。
成人する前にいきなり戦場に叩き込まれ、数多の敵を殺して生き残り、祖国の滅亡を目の当たりにし、そして全く違う生き方をする山の民と出会い、彼らと打ち解けた。
そういう経験を経てニコルという少年は、大人になろうとしている。
生意気なガキが。戦神への信仰を捨てる気か。
そう頭ごなしに詰ることはできる。
だがそれは、同朋の真摯な問いかけから、ただ逃げるだけだ。
「……私の歩む道以外にも、当然道はある。それも、いくつもの道が。今、私の元には兵が二十人しかいないが、大山脈に入る前には五十人以上いて、お前にしたのと同じ話を全員とした。私を罵っていずこかへ去った者、最後にオズワルドにひと泡吹かせて死ぬと言った者、そして目の前で自決した者。彼らは皆、私と別の道を、自分の意思で選んだ者達だ」
ノーラもまた、戦の中で攻め滅ぼしてきた多くの国々の、フォルラザとは違った人の有り様を見てきた。
信じる神を持たない国があった。
蓄えた財こそが全てだ、という国もあった。
王の尊い血さえ続けば他はどうなってもいい、という国もあった。
恥も誇りもなく、常により強い力に靡くことで生き延びようとする国もあった。
神への信仰を貫き、それに殉じることがこの世の絶対的な道理であるとは、ノーラ自身も思っていない。
「ニコル。お前は確かにまだ幼いが、決して無力な存在ではない。お前は戦神の武具を持たずとも常人など足元にも及ばぬほどに強く、それでいて賢さも持ち合わせている。そしてその強さも賢さも、これからさらに研ぎ澄ませていける。それは戦神に認められたように、あらゆる他者に認められるであろう、お前自身の確かな価値だ。だから選ぼうと思えば、お前の前には無数の道がある。先ほど挙げた兵士達が選んだような、戦神の民としての道以外の道も、お前にはある」
「…………」
「その天賦の才をもって、どこか別の国に仕える。適当な商業都市や街で、目立たぬように兵士をやる。商人の傍らで、商いを学ぶ。農村に身を寄せて、畑を耕してもいい。レオンに頼めば、この大山脈で生きていくことも出来るかもしれん。……賊をやって、欲望のままに生きることも出来よう。あるいは、オズワルドに寝返ることも」
「……それは、そんなこと」
「そうして自分で選んだ道を歩む時に、もしも戦神の武具が重荷になるというのならば、谷底にでも投げ捨てて過去と決別すればいいだけだ。新たな心の拠り所は、時間をかけて見つければいい」
ノーラの物言いにニコルの瞳が、獰猛な色を帯びた。
静かに怒りを燃やす、獅子のような眼差しだ。
戦神に選ばれた同朋に対して、酷く無礼で挑発的なことを言っている自覚はあった。
それでも、ノーラは言うべきことを言った。
「改めて言おう。ニコル、お前にはあらゆる生き方を自由に選べるだけの力が、既にその身一つに備わっている。私と同じ道を歩むことが、全てではない。私が今提示した以外の道だって、お前ならばいくらでも見つけて、生き抜いていけるはずだ」
ノーラは立ち上がった。
そして戦神の旗槍を手に取り、旗を広げ、石突で軽く小屋の床を突いた。
「それでもなお、最も険しく惨めな道のりをあえて選ぶ覚悟があるのならば、私と共に来てほしい。……私はお前に同朋として、共に歩んでほしいと思っている。それはお前の強さと賢さを、そして明るさと優しさを、知っているからだ」
ノーラは、ニコルの元へ戦神の武具が届けられた時のことを思い出しながら、語っていた。
劣勢の最中で士気を高めようと前線に出てきた王子が、王に代わって白銀の双剣と漆黒の胴鎧を、陣中でニコルに下賜したのだ。
あの時、王子の顔は酷く強張っていた。
だが、ニコルと一晩語らった後、王子は力強く柔らかな笑顔を見せるようになっていた。
結局その直後の戦で王子は飛竜の爪の餌食となってしまったが、最後まで胸を張り、果敢に戦い抜いた。
そして、原型をとどめないほどに潰された王子の屍を弔ったのは、開戦前の遺言通り、ニコルだった。
既に一端の戦神騎士であった少年が幼い声を上げて泣きじゃくるのを、ノーラはその時初めて目の当たりにした。
「…………」
ニコルが見上げてくる。
何も言わずに、じっと見上げてくる。
瞳にはまだ、獰猛な色がある。
「……一晩、考える時間を下さい。レオンさんと村長さんに、ノーラ先輩達を泊めてもらうようにお願いしてきます」
ニコルはそう言うと立ち上がり、自身の戦神の武具である双剣と胴鎧を抱えて、小屋から出ていった。
気配が遠のいたのを確かめた後、ノーラはその場に座り込み、旗槍を肩に預けて、膝を抱えた。
「はぁ……」
あのフォルラザ滅亡の夜から、こういう問答を、もう何十回と生き残った同朋相手に繰り返してきた。
その度に、戦神の旗の重さが増していく。
そんな気がしていた。
「全部、お前のせいだぞ……ローラン」
ノーラはあの夜、自分に先んじて無様に取り乱し、自決しようとした同期を罵った。
あの時、もしも立場が逆だったならば。
自分の舌が勝手に回って、あまりにも困難な目標を掲げたりはしなかったかもしれない。
あの時、もしも駆け去る方向が逆だったならば。
自分は頼れる先輩のイオと合流して、もっと有効な立ち回りが出来たかもしれない。
ローランは本当に、初めて軍で知り合った頃から、無神経で、察しが悪くて、鈍感な男だった。
時折、こちらをただの同朋ではなく女として見ていた癖に、言動は粗野で、少しからかえば照れて機嫌を悪くする。
戦神騎士としても、別に強くもなければ弱くもない。
戦時以外では最も武を競った相手だが、木の棒や拳を使って十回やり合えば七回は自分が勝っていた。
戦場でも際立つ才覚などはあまり見せず、オズワルドとの戦では最後までただの一人の騎兵として働く以上のことはできなかった。
百人以上いた戦神騎士が十人まで減って、ようやくその存在感が少しだけ浮き出てくる。
ローランとは、その程度の凡庸な男だった。
だが、稀に。
本当にごく稀に、あの男は人の心へ、繊細に触れてくるのだ。
『重くはないのか?』
ビードをついに討ち滅ぼした時、フォルラザは国を挙げて盛大な宴をした。
王から民まで、皆して吐くまで呑んで、吐いたら呑み直して。
そんな宴が続き、やがて散会した後で、ノーラはローランと初めて一対一で呑んだ。
あまりに酔っていてうろ覚えだが、夜が明ける寸前に二人でどこかの宿に入ったはずだ。
それなのに何もしてこない同期の男に、このヘタレがと苛立ち始めた、その時だった。
『旗槍が、重くはないのか?』
ローランがぽつりと言った。
これ以上なく酔っていたが、そう問われたのは、はっきりと覚えている。
そんなことを問うてきた者は、他にいなかった。
『重くなどない。戦神の旗槍はこの上ない、名誉の証だからだ』
自分がそう答えたのも、はっきりと覚えている。
そして、そう答えた私の顔を、あの男はじっと見つめていた。
心の奥底まで潜ってくるような、だが決して不快ではない、優しい色の瞳に、吸い込まれそうになった。
あの男はそれ以前にも時折、そういう瞳で私を見つめてくることがあった。
だが見つめるだけで、何も言わなかった。
それはきっと鈍感や不愛想によるものではなく、私の心の機微を推し量ったが故なのだろう。
結局、私は一度もあの男に、自分の心の弱さをさらけ出さなかった。
さらけ出してもいいと思える、唯一の相手だったかもしれないのに。
肩を並べて戦神騎士の叙任を受けた、唯一の同期だったのに。
だからもしあの時、「重い」と素直に言えていれば、私とあの男の、何かが変わっていたかもしれない。
そうであれば、ニコルと語らったような他の道を選ぶことも、すんなりと出来たのかもしれない。
私とローラン。
悪いのは、どっちなのだろう。
馬鹿なのは、どっちなのだろう。
ノーラはそんな詮無きことを考えながら、ニコルが戻ってくるまでじっと、膝を抱えて頭を伏せていた。