戦神騎士物語   作:神父三号

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重たいお話が続きます。こういう物語です。


第8話 ノーラの道・山騎士レオン

 山中の村にやってきた夜。

 

「すまないな。最初は『昼飯くらいは』という話だったのに、無理を言って一晩滞在することになってしまった」

「別に構わん。村の皆も、あのガキと別れる前にひと騒ぎしたいと言っていたからな。そもそも、滞在を認めたのは俺じゃなくて村長だ」

 

 ノーラは村長の屋敷での大宴会から抜け出して、山騎士レオンと共に村の端の厩に来ていた。

 厩ではレオンの相方の怪鳥が横たわり、自身の翼を嘴で毛づくろいしている。

 山の開けた場所に作られた村に吹き込んでくる風はやはり寒く、しかし心地よい。

 酒でほんのりと火照った頬を、冷やしてくれる。

 

 当のニコルはといえば、まだ宴会の場でふざけ倒している。

 あの少年は昼間のノーラとの問答などなかったかのように、宴で盛り上がる村人や兵士の輪の中心で、けらけらと大笑いしながら転がっていた。

 そして、四本の木の棒を両手両足で宙に跳ね上げ、くるくる回転させて自在に操り踊るという、何やら器用な芸を披露していた。

 生まれ持った天賦の才を、くだらない座興にすら簡単に応用できる。

 それもまた、ニコルという少年の持つ力なのだろう。

 

「……実はまだ、ニコルが私と共に来るかは決まっていない。私の目的は、戦神の軍の再起とオズワルドへの復讐だ。それに対してあの子は、一晩考える時間が欲しいと言っていた。もしかしたら、この村でお前達と共に静かに暮らしたい、と言うかもしれない」

「村人達は歓迎するだろうよ。生意気で小賢しいところがあるが、よく人に好かれる奴だ。だが……」

 

 レオンは厩の柵にもたれかかった。

 くつろいでいた怪鳥がそっと長い首を伸ばしてきて、主人の手に甘える。

 歴戦の騎士らしい、無骨な手だ。

 しかし、おそらくは武器だけを振るってきた手ではないと、ノーラは思った。

 もっと、様々なものを握ってきた手である。

 

「山の民の生き方と、戦神の民の生き方は違う。あのガキは……ニコルは、生粋の戦神の民だと俺には思える」

「そうかな。確かに武の才能は、余人をもって代えがたいほどにある。しかし私から見ればあいつは、どういう生き方もしていける……強くて賢い子だ」

「……ニコルは俺と二回勝負した。その話は聞いたか?」

「ああ、聞いたとも。怪鳥に跨ったお前相手にも、勝ったとな」

「ならば、俺とあいつが山の中で出会った時の話は?」

「それも聞いた。食うには困らずとも山中で迷いに迷っていた自分を、山騎士レオンは仇を見るような目で見た。それでも村に招いて、食事も寝床もくれた。そうニコルは言っていた」

 

 レオンはそれを聞いて、小さく鼻で笑った。

 怪鳥の長い首を、手が優しく撫でさすった。

 

「やっぱり、あいつはガキだな。同朋にすら見栄を張る、小賢しいガキだ」

「……何?」

「俺がニコルを見つけた時、あいつは飢え死ぬ寸前だった。戦神の双剣と胴鎧を大事そうに抱え込んで、身体を丸めて横たわっていた」

「っ……!?」

「それで俺が剣を突きつけたら、奴は死人のような目で『殺してくれ』と言ってきた。『早く殿下の元へ行かせてほしい』と、そう言ってきた」

 

 ノーラは、頭を殴りつけられたような衝撃を受けていた。

 ニコルがそんなことを。あの強かで明るい少年が、そんなことを。

 

「首を刎ねようと思えば、簡単に出来た。だが俺の中で、ビードの都を滅ぼして陛下を殺した仇敵への……お前達フォルラザへの感情が、そうさせなかった。潔く自決する度胸もなく、ひっそりと飢え死にしようとするようなガキでも、俺にとっては憎むべき戦神騎士だ。だから殺す前に少しでも苦しめてやろうと、その時は心の底から思った」

 

 六年だ、とレオンは低く呟いた。

 

「お前達にビードが滅ぼされて、まだたったの六年。この村の連中はそもそも、あの戦に一切関わらなかった奴らだ。『山の民』と平地の者達は言うが、俺達は本来、そんな容易く一纏めで語れる存在ではない。俺と数人の兵士だけが落ち延びて、この村に後からやってきた。ここの連中はそんな俺達を同朋として受け入れてくれたが……あの屈辱と憎悪を簡単に忘れて生きていけるほど、俺は穏やかな人間ではなかった」

「……それは当たり前のことだ。たった六年で国と主君の仇を忘れるなど、出来ようはずもない。少なくとも、私ならば無理だ」

「ああ。だから俺は、あのガキに無理やり飯を食わせた。村に連れてきてあの小屋にぶち込み、もう半分死んでるような顔面を殴りつけ、口をこじ開けて、無理やり肉を突っ込んでやった。『夜になれば、望み通りぶち殺してやる。だからその前に、出来るだけ苦しめ』と罵ってな」

 

 怪鳥の首から山騎士の無骨な手が離れ、拳を握りしめる。

 

「……そうして、夜になった。『殺してやるから剣を抜け』と、俺は双剣を構えてあのガキに言った。そしたらあいつは……鞘に納めたままの剣をひと振りだけ、地面に垂らすようにだらしなく構えやがったんだ」

 

 ノーラの眼前でレオンが、苦々しげに、あるいは恥を晒したかのように、口の端を吊り上げた。

 強く食いしばった歯が、その果し合いの結果を既に物語っている。

 

「一合の打ち合いすらできなかったよ。舐め腐ったガキに斬りかかった瞬間、両手から剣が弾かれて、俺はひっくり返っていた。死人のようだったニコルの目は、俺が六年前に何度も戦場で見た……お前達戦神騎士の目になっていた」

 

 レオンが俯いて呻き、拳で厩の柵を何度も叩いた。

 呼応するように怪鳥が、唸り声をあげる。

 そして怪鳥はノーラを睨みつけ、山の斜面で出会った時のような、鋭い殺気を放ち始めた。

 それでもノーラは、何もせずにレオンの言葉の続きを待った。

 

「到底納得できなかった。俺はこの六年ずっと、雪辱を晴らそうと鍛え続けてきたんだ。竜神の国にお前達の国が滅ぼされたことは、すぐに山の民の間で知れ渡った。だから、ついにその時が来たと思った。この大山脈に落ち延びてくるフォルラザの奴らを一人残らず見つけ出して、皆殺しにしてやると誓っていた。なのに、あんな死にかけの、肉を一切れ食わせてやっただけの子供に」

 

 ノーラは、うなだれるレオンには目もくれず、怪鳥とだけ見つめ合っていた。

 この魔物が今放っている殺気は、狩りの獲物に向けるような、単純なものではない。

 強者に対して己が身を奮い立たせるように発する、虚勢に似た性質のものだ。

 

「それで、こいつに跨って挑み直したお前に、ニコルはようやく双剣を抜いた、か」

「……ああ。無理やり食わさずともあのガキは出された飯をちゃんと食って、その上で俺と再び相対した。今度は最初から、戦神騎士の目つきでな」

「何合打ち合った?」

「数えきれないほどに。……だが、最初の三合でもう決着はついていた。それでもあいつは……弾き落とした剣を俺が拾うのを、何度も待った。俺の両手がもう剣を握れなくなるまで、何度も打ち合ってくれた」

 

 レオンの手が再び、怪鳥の首を撫でた。

 それで怪鳥は、どこか安堵したように殺気を消した。

 

「『大山脈が枯れ果てない限り、ビードには敗けも滅びもない』……その陛下の最後のお言葉を胸に、俺はこの六年を生きてきた。だがあの夜、山騎士レオンは戦神騎士ニコルに敗けた。完膚なきまでに、敗けた」

「…………」

「それで、俺の中で何かが一区切りついたんだろうな。ニコルもそれを察したんだろう。次の朝からはもう、あいつはただの生意気なガキとして俺に笑いかけてきた。共に落ち延びてきた兵士達も皆、ニコルに挑んであっさり敗けて、何かから解放されたような顔つきになった」

 

 自嘲の笑い声を、レオンが歯の隙間から漏らした。

 

「……ニコルは私に、お前とは木の棒を使った模擬戦をしただけだと語った。山騎士レオンという男は、国を滅ぼされた恨みなど一切言わなかったとも」

「はっ。どこまでも小賢しい奴だ。どうせ本当のことをお前に話せば、俺の自尊心に傷がつくとでも思ったんだろう。恨みは言葉にせずとも、剣に乗せて何度も叩きつけてやったというのにな。あいつが、それに気づかなかったはずがない。……戦神騎士ニコルにとって俺は、そうやって慮られる程度の男だったということか。まあ確かに、そんなものだろうよ。今となっては、もう仕方のないことだ」

 

 ノーラは夜空を見上げた。満天の星々が、色鮮やかに煌めいている。

 酒気で火照っていた頬は、すっかり冷えきっていた。

 

「……どうにも、嘘ばかりついているな。自分にとって都合の良いことばかりを、語りたいように語っている。そんな気がする」

「かもな。そうやって小賢しく取り繕おうとするところが、あいつはガキなのさ。そんなことをしても……」

「違う。ニコルだけじゃない」

「あ?」

 

 顔を上げたレオンに、ノーラは視線を向けた。

 

「お前も、嘘をついている。それは私にだけではない。自分自身にも」

「っ……!」

「自分の中で何かが一区切りついた、だと? もう仕方のないことだ、だと? ……ならば、その硬く握りしめた拳は何だ。屈辱に歪んだ顔は何だ。言葉に滲む悔しさは、何だ」

 

 レオンの顔が、夜の暗闇でもはっきりと分かるほどに紅潮した。

 

「初めて山中で出会った時、確かにお前の表情は何の色も帯びていなかった。怒りも憎しみも恨みもない、もう全ては終わったことだと、そういう顔だった。しかし、お前が跨る相方は、私に殺気を剥き出しにしていた」

「……だったら、何だってんだ? 今からお前と、お前の兵を殺して回れってか?」

「本当はそうしたいのではないか? だが、ニコルに力の差を見せつけられて、お前は卑屈になってしまった。誉れある山騎士だというのに、子供一人に弄ばれた自分を恥じて、心に蓋をかぶせてしまった。薄っぺらい蓋をな」

 

 握り拳が、厩の柵を粉砕した。

 荒く吐かれた、燃え盛るような息。

 

「ふざけるなよ、えらそうにっ……! そんな指摘を俺にして、何様のつもりだ!? お前らだって、竜神の国の飛竜に手も足も出なかった負け犬だろうが!! 散々ひと様の国を手前勝手な信仰のために滅ぼし続けて、挙句の果てに滅ぼされた、迷惑な負け犬だろうがよっ!!!」

「そうだとも。私達は飛竜の首一つ取れずに国を滅ぼされ、王や都を見捨てて敗走し、今や僅かな生き残りであがいているだけの、ただの負け犬だ。……それでも、必ずや再起と復讐を果たすと、私は戦神に誓いを立てた」

「戦神の旗持ちの癖に、目の前の現実も見えないようだな? お前らがここから竜神の国に勝つなんてのは、俺がニコルに勝つよりもよっぽど無理な話だ! 獣以下の脳みそでも分かることだ!!」

「分かっているさ。全盛の時を迎えていたフォルラザすら、オズワルドに敗けて滅んだ。冷静に考えれば、どうしようもない。どうしてまだあがいているのかと問われれば、少なくとも私個人は……もう止まるに止まれなくなったが故の、半分やけくそだ」

 

 レオンが酷薄な声をあげて嘲笑した。

 怪鳥がそんな主の顔を、無感情に見つめている。

 

「だったらどうする? 『殺してくれ』と、あの時のクソガキのように無様に俺にすがるか? 俺をここまで侮辱しておいて、楽に死ねると思うなよ」

「それもいいかもしれない。ニコルに気遣われるお前ごときが、私を殺せるのならばな」

 

 山騎士の目が、凶暴な魔物のように輝いた。

 

 

「槍と鎧を持ってこい、戦神騎士ノーラ。殺してやる。ビードの山騎士の名誉と誇りにかけて、絶対にお前を殺してやる」

 

 

 ノーラは小屋に戻り、漆黒の胴鎧を身に纏い、戦神の旗槍を肩に担いで、村の外に出た。

 山の斜面。

 山騎士レオンが鎧を着込んで怪鳥に跨り、黒鉄の双剣を構えて、怒りと憎悪に満ちた眼差しで、戦神騎士ノーラを見下ろしている。

 宴の喧騒は、聞こえてこない。

 山の全てが息を押し殺したかのように、静まり返っていた。

 

『クアァァァッッ!!』

 

 怪鳥が鋭く鳴き、全身の羽毛に青白い魔力を纏わせて、一直線に駆け降りてきた。

 ノーラは、力強く旗槍を振るった。

 尋常ならざる膂力で振り回された獅子の赤旗が凄まじい衝撃を生み、木々を薙ぎ倒して、山騎士の坂落としを押しとどめる。

 雑兵ならば枯れ葉のように吹き飛び、そのまま全身を砕かれて絶命するほどの衝撃波だ。

 だが、山騎士は恐ろしい形相で歯を食いしばり、交差した双剣に力を込めて耐え抜く。

 怪鳥もまた主に応え、吹き荒れる衝撃の中をじりじりと歩み寄ってくる。

 やがて旗槍の巻き起こした暴の嵐が消え失せ、山騎士はまた駆け出した。

 

「俺達ビードの……陛下の仇めっ!!」

 

 双剣が月光に煌めく。

 ノーラは獅子のように吼えた。

 熱い。血が燃えている。

 旗槍をさらに強く、薙ぎ払った。

 

『ッッ……ァァッ!!』

 

 怪鳥の分厚い鉤爪が地面から剥がれ、巨体が宙を舞う。

 だが。

 

「おおぉおぉっっ!!!」

 

 山騎士は金属鎧すらズタズタに斬り裂く衝撃波の中を立ち上がり、双剣を盾にして突き進んできた。

 一歩、一歩、また一歩と。

 血走った目。途絶えぬ雄叫び。

 ついに剣がへし折れ、拳が握られた。

 ノーラもまた、拳を振りかぶった。

 

 ゴッ。

 

 山に、静けさが戻った。

 

 

「…………殺せ」

 

 

 山騎士が仰向けに倒れたまま、搾り出すように呟いた。

 片っ端から折れ吹き飛んだ木々の彼方で怪鳥が蹲り、僅かに震えている。

 

「俺はこれ以上、自分の弱さに耐えられない。惨めな自分が許せない。殺してくれ」

「……ニコルにも、同じことを言ったか?」

「言った。それでもあいつは、俺を殺さなかった。だが、もう俺は」

「お前には恩がある。同朋のニコルを救ってもらった恩。飯と宿の恩。それで、貸し借りは無しだ」

「……何なんだよ。あのガキも、お前もっ……!」

 

 山騎士レオンは、血まみれの拳で顔面を覆った。

 

「……弱いなら、死ぬしかないのか? 惨めに倒れたら、死ぬしかないのか? かつて勝ち戦ばかりを経験していた頃の私ならば、『そうだ』と言ったかもしれない」

「…………」

「だが、今の私はそうは思わない。弱いなら、強くなればいい。倒れたら、立ち上がればいい。それが、生きるということではないのか。生きてさえいればきっと、いくらでも強くなれる」

「それはお前がそうできるほどに強いから、言えることだ。俺にはもう到底……」

「お前にだって、できる。いや、既にできているだろう。自分が今硬く握りしめている、その拳を見ろ」

「……っ、く、ぅぅ……!!」

 

 レオンが、大山脈の夜空に向かって慟哭した。

 怪鳥もまた、主と共に鳴いた。

 

 ノーラはビードの戦士達をその場に残し、村へと戻っていった。

 肩に担いだ旗槍が、まだ戦の熱を帯びている。

 

「……はぁ」

 

 山の斜面を上がる道中、ため息が漏れた。

 同朋を救ってくれた恩人を無益に挑発し、叩きのめし、その誇りを傷つけるようなことをした。

 するべきではないことを、してしまったと思う。

 

 どうもフォルラザが滅んだあの夜以来、時折自分が抑えられなくなっていた。

 舌が勝手に回るのだ。

 そして、漠然と感じていることや、心の底で密かに思っていること、時には考えていること全てが、言葉として溢れ出す。

 思い返せば昼間のニコルとの問答でも、そういう節があったかもしれない。

 独りの時にふと呟く、ローランへの罵倒もそうだ。

 かつての自分は、こんな人間ではなかったはずだ。

 旗槍の重たさすら同期の男に打ち明けられない、行儀の良い、どこか閉じた人間だったように思う。

 

 極端から極端に、振れ過ぎているのではないか。

 こんな自分が、本当に戦神騎士の先頭に立ってことを為すのか。

 そうするに相応しい存在なのだろうか。

 戦神はそれを、お許しになるだろうか。

 

「ノーラ先輩」

 

 声をかけられてようやく、ノーラは同朋の気配に気づいた。

 ニコルが、村の入り口に立っていた。

 

「なんだニコル、宴はもういいのか? お前は主役みたいなものだろう」

「レオンさんを、殺さなかったんですね」

「……あいつが強くて、殺せなかっただけだ。ちゃんと本気で戦ったよ。私はお前ほど器用じゃないからな」

「ありがとうございます。あの人は、僕の命の恩人なので」

 

 ニコルが頭を下げた。

 

「……レオンに聞いたぞ。お前、昼間は嘘ばかりついていたな」

「はい、ついてました。すいません」

 

 ニコルはもう一度、頭を下げた。

 言い訳すれば一発くれてやろうと思っていたところを、この素直さだ。

 小賢しい、小賢しいと何度も言っていたレオンの気持ちが、分かるような気がした。

 

「……ニコル。どうして山での飢え死になんて選ぼうとした? レオンに『殺してくれ』と願った? 私達戦神騎士はあの夜、王命で『生きよ』と言われたはずだぞ」

「確かに言われました。でも、もう充分に生きたと僕は思ってました。自決しなかったのは、王子殿下に『自決だけはするな』と言われてたからです」

「自ら飢え死にするのも他人に死を乞うのも、本質的には自決と同じことだ。殿下はお前に無駄死にしてほしくなかったから、そうおっしゃったんじゃないのか?」

「分かってます。それでも僕は……殿下とまたお話したかった」

 

 顔を上げたニコルの瞳は、星空よりも遠くを見つめていた。

 

「僕は国王陛下と、一度もお話したことがありません。戦神騎士の叙任も戦神の武具の下賜もずっと陣中でされて、フォルラザ滅亡の直前までは城どころか都に入ったこともなかったんです。結局、陛下のお顔だって拝見できなくて。最後の王命も、副長から口伝いに聞いただけでした。だから、僕にとっての主君は……王子殿下だったんです」

 

 ニコルがそう言って、胸元から指輪を取り出した。

 紐を通して首飾りに仕立てた、簡素な装飾の、白銀の指輪。

 ノーラには見覚えがあった。

 確か世継ぎの王子が、指にはめていたものだ。

 別に、フォルラザという国家にとって何か重要な品ではない。

 王子個人の、趣味の装飾品である。

 

 陣中でニコルに戦神の武具を下賜したのは、軍を鼓舞しようと前線に出てきた王子だった。

 そして王子は一晩ニコルと語らった後、次の戦で飛竜に潰されて、戦死した。

 王が老い始めてようやく授かった、ただ一人の子。

 そんな王子が、十七歳で死んだ。

 次代のフォルラザの王たるべき者として、あまりにも早い死だった。

 遺言に従って無惨な屍を焼いて弔ったニコルの泣きじゃくる声が、今でもノーラの耳に焼きついている。

 

「……どんな話を、殿下としたんだ?」

「本当に色々です。僕が生まれ育った村のこと。殿下が生まれ育った城のこと。僕が、村であっという間に一番剣が上手くなったこと。殿下が、全然剣が上手くならなくて陛下や教師にいつも怒られていたこと。僕が、実は馬が苦手だったこと。殿下が、馬で遠駆けするのが大好きだったこと」

「…………」

「フォルラザが滅ぼしてきた多くの国々のことも、殿下は一つ一つ名前を挙げて、僕に教えてくれました。その中で散っていった、敵味方の英雄達のことも。……国と信仰のために積み重ねてきた犠牲の多さを知り、その身一つに背負う。それは戦神の託宣を受ける王となるためにとても大切なことだと、殿下はおっしゃってました」

 

 ニコルは懐かしむような微笑を浮かべ、手のひらの上で王子の指輪を傾けた。

 

「戦に出るのが怖くないのかって、殿下に聞かれました。自分は怖いって、殿下はおっしゃいました。それに、勝ち戦でも負け戦でも兵や民が死んでいくのが、身を引き裂かれるように辛いとも。だから僕も素直に、戦が怖いですって答えました。人殺しなんて本当はしたくないですって、素直に言いました。どうして皆、僕と殿下みたいに仲良くできないんでしょうかって」

「……そんなことを」

「はい。二人して目の前の現実から逃げてるだけだなって、笑い合いました。でも殿下も僕も、お話するのをやめられなかった。暇な時に何をしてるかとか、好きな食べ物とか、どんな女性と夫婦になりたいかとか、くだらない話もいっぱいしました。そうして気づけば夜が明けていて……殿下はこの指輪を僕にくれて『自決だけはするな』と」

 

 ニコルが目を閉じ、大粒の涙を溢れさせた。

 

「僕の人生で、一番幸せな時間でした。こうやって殿下とお話するために僕は生まれてきたんだって、本気で思えるくらいに。だからもう、それで充分だったんです。再起とか復讐とか、そんなの全然頭に無かった。あの幸せな時間を生きられたからもういいんだって、そう思ってた。だから駆けに駆けて、駆け疲れて倒れた山の中で……そのまま横になったんです」

「……そこまで思って、何故」

「自分でも分かりません。レオンさんにこの村まで引きずられて、肉を無理やり食わされて、『剣を抜け』と言われて……気づけばあの人に勝っていました。力が、どうしようもなく沸き上がってきたんです」

 

 ニコルは、生粋の戦神の民だ。

 レオンがそう語っていた理由が、ノーラにも理解できた。

 戦神に授けられた天賦の才が、戦いの中でわざと死を選ぶことを許さないのだ。

 

「二回目の果し合いで、レオンが自ら死を乞うまで弄んだのは?」

「弄んだつもりはありません。ただ、あの人の必死に食い下がってくる姿勢と眼差しが、眩しかったんです。ずっと向き合っていたかったほどに。それはどこか、殿下とお話していた時間に似てました。これが『生きる』ということなんだって、そう感じました」

「……そうだな。私の旗槍に対しても、あのレオンという男は歯を食いしばって正面から立ち向かってきた。自分を弱者だと卑下し、恥辱に俯いて話す癖に、薄皮一枚めくれば、激烈な雄々しさを隠し持っている。……確かに、とても眩しい男だ」

「ええ。僕の心に生きる気力が沸いてきたのは、レオンさんのおかげです。だから、命の恩人なんです」

 

 ノーラとニコルはしばらく黙って、夜空を見上げていた。

 もう、話すべきことは全て話し終えた。

 これ以上意味のある言葉を交わすのは、日が昇ってからだ。

 

「村長さんが、屋敷にノーラ先輩の寝床を用意してくださってますよ」

「分かった。……おやすみ、ニコル」

「はい。おやすみなさい、ノーラ先輩」

 

 ノーラは村長の屋敷へと歩き出した。

 途中で振り返ると、ニコルは村の入り口に立ったまま、王子から賜った指輪を見つめていた。

 

 風が吹く。

 心地よい、冷たさだった。

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