ノーラ達が山中の村を訪れた、翌日の昼。
二本の木の間にかけられた、天幕の中。
「……なるほど」
ニコルはウィルフレッド、イオ、グリムロが寄越してきた三通の手紙の内容を改めてノーラから詳細に聞き、納得したように頷いた。
外では二十人の兵士達が、昼食の準備のために絶えず動き回っている。
「ジェラルド様、ウィル先輩とアレクシスさん、イオ先輩は確かに何の問題もないと思います。逐一こちらの動きを連絡すれば、あとはいい感じに動いてくれるんじゃないですか? ローラン先輩は……僕はエルフと探究の国ラガニアのことが全然分からないので、何とも。それで、やっぱり最大の問題はグリムロ副長ですね」
ニコルはノーラが把握している他の戦神騎士達の動きについて、よどみなく意見を述べていく。
この少年は結局、ノーラと同じ道を歩むことを選んでいた。
別れを惜しむ村人達に見送られ、やたらと餞別の品をどかどか渡されながら、明るい笑顔で村をあとにした。
目指すは大山脈を抜けた先、大陸西方の覇者。
月の国マーブリスの支配地域だ。
「副長は止めましょう。やろうとしてることは分かりますけど、絶対に長続きしません。フォルラザとの大戦で疲れたオズワルド本国が副長の大暴れでさらに不安定になって荒れたとしても、あの人じゃそれを利用しきれないですよ」
「私もそう思う。だが……さっき教えた手紙の通りだ。『指図は要らん』と予め断ってきている。厄介この上ない」
「山の中で飢え死にしようとしてた僕が言うのも何ですけど、副長もだいぶ心を乱してたと思います。あの滅亡の夜……二人で一緒に逃げてる時に、なんか吼えに吼えてましたし。だから極端に走って、『オズワルドに突撃して、飛竜相手に渾身の一撃でもぶち込んでかっこよく死んでやる』みたいな考えで動いてるんでしょうね」
「武人の極致みたいなお人だ。おそらくお前の読みは合っているだろうよ。……私としてはもう、止めようがない気がしている。お前がそう思っていたように、王命で『生きよ』と言われても、副長自身はもう充分に生きたと思っているのかもしれん」
頷くニコルの澄んだ瞳を見つめて話しながら、ノーラはグリムロ副長のことを考えた。
おそらく自分は元々、あのグリムロという男があまり得意ではないのだ。
戦場での強さと勇猛さは尊敬に値するが、頭の中身は空っぽだとさえ思っていた。
目の前の戦に対しては常に全力を注ぎ、戦神騎士団副長という地位に相応しい冴えた指揮も出来るが、とにかくその場で勝てばそれで良しとして、その先を考えない。
グリムロとはそういう人間だと、ノーラは度重なる戦の中で感じていた。
今までは、それで充分にフォルラザに必要な人材として機能していたかもしれない。
だが、これからノーラが辿ろうとしている長い道のりを思えば、根本的な部分で適合しない人間だという気さえしてくる。
「……いっそ、副長が望む通りにさせるべきじゃないか? 無理に合流しても結局、私と副長は考え方の違いでぶつかるように思う。それは出来れば避けた方がいいだろう。というか、今から止めようとしても副長はもう大砂漠の下の隠れ里だ。こちらが連絡するより先にオズワルドに入ってしまう」
ニコルが目を閉じ、腕を組んで唸る。
しかし、その目はすぐに開いた。
「……いえ。それでもやっぱり止めるべきですよ。生き残った戦神騎士は、僕達含めてたった十人。これから本気で再起と復讐を果たそうとするなら、戦神騎士最強の副長を無駄死にさせるのはあまりにも痛すぎます」
「うむ……それはそうだが」
「確かに、ノーラ先輩と副長の考え方の違いはあると思います。副長は『今が全てなんだよ俺は』って人ですしね。じっくり戦神の軍を立て直すために上手いこと立ち回って……みたいなのは苦手でしょう。でもそれならそれで、適当に言いくるめて、オズワルドの外で派手に別行動させて使えばいいんです。あの人は飛竜以外が相手なら、まあよほどの大軍に素っ裸で突っ込まない限りは死なないでしょ」
「ニコル、お前……割とはっきり言うな……」
「そうですか? 『全てお前に任せる』って言ってきたのはあっちなんですから、じゃあお望み通りノーラ先輩が先頭に立って、上から指示を出してあげればいいじゃないですか」
「そうかな……まあ、そうかもな。しかし……どうやって?」
まだ十五歳にも達していない同朋の知恵を借りるのは若干情けないと思いながらも、ノーラはその方法を尋ねた。
「とりあえず一度、素直に諭して止める手紙を出しましょう。内容は……『顔を上げろ、前を向け』、あの夜ご自身がそう言ってたのを忘れたんですか。副長がオズワルドに単身で突っ込んでもそれは、結局無駄死にするだけで前を向いてることにはなってませんよ。言動が矛盾してます。最後の王命にも背いてます。それが誉れある戦神騎士として、本当に正しい在り方ですか? ……みたいな感じで」
「怒り狂うな、確実に……」
「いや、案外冷静になる可能性もありますよ。フォルラザが滅びたのは現実で、僕達が苦境にあるのもオズワルドが強大なのも現実なんですから」
ニコルの言葉に、ノーラは首をひねった。
そもそもグリムロ副長に現実が見えているなら、今の時点で大陸中央のオズワルド領には入ろうとはしないはずなのだ。
だが、ノーラから見たグリムロと、ニコルから見たグリムロは違うのかもしれない。
あるいは、時間の経過や手紙の内容によって頭を冷やすということもあるかもしれない。
「分かった。とりあえずお前の言った趣旨で返事を書こう」
「はい。……あ。"砂粒"さん、副長への手紙って最短どのくらいで送れますか?」
ニコルがずっと息を殺して跪いていた、"砂粒"の男に尋ねた。
昨日手紙を持ってきた、何の変哲もない旅装の男だ。
諜報を得意とするフォルラザの旧き同盟者"砂粒"は、こういう目立たない者を大陸中に散らばらせている。
「……おおよそ五日、いただければ」
「ここから五日でオズワルド領まで!? すごいですね、どうやって……」
思わず声をあげたニコルに対して、"砂粒"は黙して答えなかった。
おそらく特殊な道具か魔術かあるいは魔物を使う、秘匿された連絡手段があるのだと、ノーラは感じた。
ただ、それは"砂粒"が立ち回っていくための業であり、同盟者である自分達がその実態を知る必要はない。
副長への手紙は五日で届く。それだけが重要なことだ。
ニコルもそれを察したようで、それ以上は突っ込まずにノーラに視線を戻した。
「分かりました。五日で届くとしても、こちらの居場所はあえて教えない方がいいです。手紙が届く頃にはもう、オズワルドでひと暴れしてる可能性があります」
「……もしも手紙の内容に怒り狂って、あるいは冷静になって私達の方に向かってきた場合に、オズワルドとマーブリスの外交問題になりかねないからか」
「ええ。自分のところで暴れていたフォルラザの戦神騎士がそっちに逃げ込んだから、という理由でオズワルドがマーブリスに何か働きかけたら面倒です。まあ、僕達がマーブリスに入れば結局、遅かれ早かれオズワルドに知れるでしょうけどね。"砂粒"に似た組織くらい、あっちだって持ってるでしょうから。ただ、副長の行動であまりにも早く大国の間に直接的な揉め事を生んで、マーブリス領内で僕達が動きづらくなるのは避けた方がいいですよ。マーブリスとは同盟とまではいかなくても、味方寄りの中立くらいに持っていけたら嬉しいですし。……ですよね?」
ノーラは頷きながら、ニコルの頭の回転に舌を巻いていた。
大陸の情勢どころか地図を見たことも数えるほどしかないはずの少年が、一丁前に様々なことを考えている。
いささか才気走りすぎている気がしないでもないが、言っていることは尤もだ。
標的はあくまでオズワルドのみに絞り、他の国は敵に回さない。
可能であれば、味方につける。
それは確かに、現実的に復讐を果たそうとすれば考えておくべき重要なことなのだ。
ただノーラは戦神の旗持ちとして先頭に立つ手前、他国の力を借りてことを為し遂げようとは言い出しづらかったし、当然兵士達にもそんなことは言っていない。
遠回しに、かつてのフォルラザとは違う形の戦をすることになるかもしれないと言っているだけだ。
そういう意味でも、ニコルがノーラの思惑に近いことを代わりに口に出してくれるのはありがたかった。
「……よし。副長に関しては手紙への反応を見て、次の一手を考えることにする」
「はい。他にやるべきは……残りのお二人の動きを把握することですかね。それも出来るだけ早く」
「そうだな」
十人の戦神騎士の内、あと動向が分からないのは、弓兵のケイトと大剣使いのノアだけだ。
この女騎士達はあのフォルラザ滅亡の夜、二人一組で逃げている。
ケイトはウィルフレッドと同期で、ノーラから見れば年上の手練れだ。
ノアはフォルラザがオズワルドへ侵攻する直前に叙任された、二十歳にも満たない若手である。
「……ノアが単独行動を取っているとは思えん。人に指示を受けて、それを遂行することに全力を尽くす。あれはそういう娘だ」
「じゃあやっぱり、そのままケイト先輩と一緒に行動を?」
「私の予想ではな。ケイトさんもノアの性質を分かっているだろうから、手元に置いておくはずだ。ただ、ケイトさん自身の考えが私にはどうもな……」
ノーラは、女性としては長身で大柄な弓兵の姿を頭に思い描いた。
ケイトは聡明なウィルフレッドとは違い、猛々しい女傑だった。
失礼ながら、頭が切れると感じたことはない。
とはいえ決して愚鈍ではなく、こと戦場における眼力は凄まじいものがあった。
敵陣の中の急所を素早く見抜き、強弓の一矢で射貫く。感覚で生きる戦士である。
だから良くも悪くも、こういう状況下での行動の予測がつかないのだ。
それと、ノア。
ローランが同じ大剣使いの騎兵の先輩として、あの後輩をよく鍛えたり、色々と面倒を見ていた。
無口で無愛想この上なく、感情が無いのではと思えるほど他者に冷たく接する娘だったが、ローランに対してだけは若干心を開いているように見えた。
そして人間としては非常に珍しい金髪碧眼を持ち、容色も抜群で、エルフの血が混じっているのではとも噂されていた。
何より、戦でも戦の外でもやたらとローランの後ろをついて回っていたのが、強く印象に残っている。
なんとなく、好きになれない後輩だった。特に具体的な理由など無い。特に理由など無いが。
「"砂粒"の皆さんが見つけてくれることを祈るしかないですかね」
「……だな。とにかく、今は書くべきことを書こう」
ノーラは天幕の中に置いてあった荷袋を広げて、紙と筆とインクを取り出した。
そして予め適当な形に切っておいた木の板を机代わりにして、動向を掴んでいる戦神騎士達にそれぞれ手紙をしたためた。
まず副長には、無謀を諫める内容の手紙を書いた。
傍に座らせたニコルにも口出しをさせながら、出来るだけ冷静に現状を分析して、道理をもって説き伏せるような内容に仕上げた。
続いて、ジェラルドとウィルフレッドとイオとローラン宛だ。
今後は、戦神騎士唯一の旗持ちである赤髪のノーラが生き残りの先頭に立ち、戦神の軍の再起と竜神の国オズワルドへの復讐を目指すということ。
そのための初めの一手として、自分はニコルと共に大山脈を抜けてマーブリス領に入ること。
魔術士達は、大陸西方に関する有用な知識を持っているならば、速やかにこちらへ伝達すること。
各自の動向は逐一、"砂粒"を通じてこちらに共有すること。
何か連携が必要な場合、危機に陥った場合はすぐに連絡すること。
そういった基本的なことを、しっかりと自分の言葉で書き記した。
その上で、四者それぞれに対して書くべきことを書いた。
ウィルフレッドに対しては、旧フォルラザ領内での潜伏に限界を感じたら合流してくるように。
ジェラルドとイオに対しては、それぞれ大陸の北方と東方の情勢を可能な限り把握し、自分の意見を交えて共有するように。
ローランに対しては──
「……むぅ」
「どうしたんですか? ノーラ先輩」
「いや……別に」
ローランに対して、書くべきことが思い浮かばない。
ローランの当面の目的地は、探究の国ラガニアになる。
それは一度合流したイオの魔術士としての直感に基づく行動であり、そこから先あの男をどう動かすべきかはノーラも頭が回らないのだ。
大陸の東方には、イオも入る。
古参であるジェラルドも、東方を通過する。
あちら側における影響力と情勢把握能力はこの二人の方が確実に優れているし、そもそもローランのような凡庸な騎兵に何か大仕事をさせられるとはあまり思えなかった。
いっそあのフォルラザ滅亡の夜の一件に関して、嫌味の一つでも書いてやろうか。
いや、唯一の同期として激励でも書くべきか。
「…………」
「…………」
「……むむむ」
「そういえば、ノーラ先輩とローラン先輩って同期なんですっけ」
「……そ、そうだ」
「へぇー」
何故かニヤニヤし始めたニコルの頭に拳骨を落とそうとして、ひらりと躱された。
やはり、生意気で小賢しいガキである。
ノーラは頬が熱くなり、半ばやけくそで中身のない激励を長々と書いた。
「ぷっ。く、ふふ……っく」
文字も読めない癖に傍で笑いを堪えるクソガキの頭へ、ノーラは今度こそしっかり拳骨を見舞った。
「これらの手紙をグリムロ副長、ジェラルド殿、ウィルさん、イオさん、ローランへそれぞれ届けてくれ。グリムロ副長が一番急ぎだ。他は別に遅れても構わない」
「承知しました」
「それと"砂粒"には当面、大陸南方を細かく見ていてほしい。ウィルさんの動きと別な形でオズワルドの占領統治に何か問題が起きれば、そこにはケイトさん達が絡んでいる可能性が高い。……あとはマーブリスの国内情勢だ。フォルラザとオズワルドの大戦をどう受け止めているのか、その上でどう動こうとしているのかが分かればありがたい」
「はい」
「いたた……あ、すいません。僕からもお願いが。各商業都市の動向も、注意しててほしいんです。僕は商売のことよく分からないですけど、多分世の中が乱れた時にその流れを一番敏感に察知して動くのは、商人達な気がするので」
「……中々に、やるべきことが多いですな」
"砂粒"の男の頬が初めて動き、苦笑を形作った。
それでようやく、ノーラは気づいた。
案外、歳を取っている男だ。
「すまない。既に滅んだ国の生き残りが未だに同盟者面をして、苦労のかかることばかりを偉そうに依頼してしまっている」
「いいえ、構いません。戦神の託宣によって選ばれた方々が、前を向いて果敢に戦い続けようとしている。素晴らしいことです。我々もあなた方の戦いに劣らぬよう、戦神の信奉者として自分達の戦いをいたします」
「"砂粒"の手厚い協力には、何らかの形で報いるべきだと私は思っている。長でも、あなた達個人でもいい。何か望みがあれば、遠慮せずに言ってきてほしい」
「……私自身は、旅そのものが好きでしてね。こうして様々な場所を巡っているだけでも、充実しております」
"砂粒"の男はそう言って、微笑を浮かべた。
「ノーラ様のおっしゃったことは、長を通して皆に伝えておきます。……ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがたい。……以上だ」
ノーラが話を終えると、"砂粒"は一礼して天幕を出て、すぐに気配を消した。
「おい、飯だぞ」
入れ替わりで天幕の外から声がかけられる。
山騎士レオンである。
出発した村から大山脈を抜けるまでの案内役を、引き受けてくれたのだ。
レオンの同朋である旧ビードの兵士達も、同行している。
村へ辿り着いた時がそうであったように村から出た後も、山の民を伴っていなければ分からぬような難解な道筋を、ノーラ達は進んでいた。
「んぐ……村でもそうだったが、やはりいつもより肉が美味い気がするな。さすがは山の民、というところか」
「お前達は狩りの腕は中々だが、血の抜き方も焼き方も下手くそだ。木の実だって、食えるものを全然知らない」
ノーラの称賛に、レオンはこともなげに応える。
レオンは、昨夜の決闘で全身に大量の切り傷を作っていた。
尋常ならば血止め薬を塗っても、寝床からまず起き上がれないほどの重傷である。
それにも関わらず、この山騎士は怪鳥共々まるで何事もなかったかのように平然とした表情で焼いた肉にかじりついている。
ニコルや兵士達も、レオンの傷について何も尋ねなかった。
村人達に貰った餞別の品はほとんどが食べ物だったため、皆で山分けして腹に収めた。
「レオン。あとどのくらいで大山脈を抜けられそうだ?」
「今の速さだと三日はかかるな」
「二日……いやもう少し縮めたい。駆けよう。調練の代わりにもなる」
「いいだろう」
昼食を終えた後、ノーラ達は先導する怪鳥の後を追うように山を駆けた。
日が沈み、夜になっても月が大きく傾くまで駆けた。
兵士達にとっては中々に厳しい行軍だが、それでもノーラは足を止めなかった。
そもそも食糧を確保するために狩りを続ける程度では到底、フォルラザ時代の苛烈な調練の代わりとはならず、鍛えた身体は鈍っていくのだ。
マーブリスに入って情勢を把握した後は、しっかりとした調練をやる時間を設けようとも思っていた。
ノーラは時折後ろを振り返りながら、部下の兵士達の様子を見た。
二十人の兵士達は皆、息を荒げたり歯を食いしばりながらも、懸命についてきていた。
一方でレオンの同朋の兵士達は流石に山の行軍に慣れており、疲労もさほどではなさそうだ。
ニコルは、息も乱さずにノーラと並走している。
「ノーラ先輩、僕に文字の読み書きを教えてくれませんか?」
「そうだな。お前は知っておいた方がいいだろう。いずれ、私とは別行動を取ることが出てくるかもしれないしな」
都の外ではあまり読み書きを教えず、軍に入って戦功を積みながら学ぶ者が多いことは、ノーラも知っている。
他の生き残りでも確かノアは村育ちで、まだあまり読み書きが上手く出来なかったはずだ。
とはいえ、賢いニコルのことだ。
すぐに覚えて、自分よりも気の利いた文章を書くようになるだろう。
「しかし……良かったのか?」
ノーラは駆けながら、隣のニコルに尋ねた。
「色々な道が選べる。確かに先輩の言う通りだと思います。この道がその中で一番厳しいものだってことも、分かってます」
「なら……」
「ズタボロのレオンさんが村に戻ってきた時、あの人の目は輝いてました。僕と二度戦った時よりも、ずっと輝いてました」
ニコルの眼差しが、怪鳥に跨る山騎士の背を見据えている。
「本当に何の手加減もせずボコボコにしたんですね、ノーラ先輩は」
「昨日も言っただろ? 私はお前ほど器用じゃないんだ」
「剣も鎧も打ち砕かれて、祖国を滅ぼした仇に命の貸しを作って。それでも、レオンさんの目は輝いてました」
「……あの男は、お前に何か言ったか?」
「何も。怪鳥の背に肩を預けて、脚を引きずりながら、黙って目の前を通り過ぎていきました」
ニコルが、ノーラに明るく笑いかけた。
月の光に照らされた少年の笑顔は、とても力強い。
「僕よりずっと弱い人が、僕よりずっと強く生きようとしている。負けていられないじゃないですか。僕は殿下に武具と指輪を賜った……戦神騎士なんですから」
………
……
…
大山脈の出口たる、最後の高い山の頂に立ったノーラ達。
その眼下には大陸西方の広い野原や森や山、彼方にはかなり大きそうな街、そして夕陽を受けて輝く湖が見えた。
いや、あれは本当に湖か。
視線を大きく左右に走らせても、輝く湖には果てがない。
あまりにも、雄大すぎる。
「"海"だ」
「"海"……あれがそうなのか。本で読んだことはあったが」
「すごい……大陸中の川から水が流れ込んでこうなるんですかね? それとも雨が溜まって?」
「仕組みなんて俺も知らん。ただ"海"は渇くことがない。そしてある程度遠くまで行くと、底無しの深さになる。それに何故か塩辛い……らしい」
そう語るレオン自身、ノーラ達と同じく"海"の雄大さに頬を緩めて見惚れていた。
この巨大な水溜まりは、一体どこまで続いているのだろうか。
果てがあるのだろうか。
底無しの水の奥深くには、何が潜んでいるのだろうか。
考えても詮無きことを、ノーラはどうしても考えてしまう。
そうさせるほどの輝きを、夕暮れ時の"海"は放っていた。
「……山騎士レオン。村での歓待と道中の案内に、心から礼を言う。ありがとう」
「僕からも。レオンさんには、生きるための力をいただきました。命の恩人です。本当にありがとうございます」
「ふん。二人して俺を叩きのめした癖に、何調子の良いこと言ってやがる」
頭を下げたノーラとニコルから顔を背け、レオンは不機嫌そうに呟いた。
代わりに相方の怪鳥が、コココと目を細めて笑う。
「俺達は村に戻らない。村人達には、しばしの別れを告げてきた」
「……そうか」
「この六年、俺は前に進んでいなかった。陛下の最後のお言葉にすがって、ただ漠然と生きているだけだった」
レオンは怪鳥から下りて、ノーラと視線を合わせた。
「……ノーラ。竜神の国は、そんなに強大か。ビードすら打ち破ったお前達が、敵わないほどか」
「ああ。我々は敗れ、フォルラザは滅んだ。大陸南方はオズワルドの領土となり、戦神の民は根絶やしにされるだろう」
「この大山脈も、いずれそうなるか? 奴らの飛竜が我が物顔で飛び回り、山の民はその影に怯えて、隠れ潜むだけになるか?」
それはノーラが答えるまでもないことだ。
大陸南端をぐるりと囲む雄大な大山脈には木々や野草や動物のみならず、鉱物や岩塩を確保できる山も多数ある。
その上、山の民の長きに渡る努力もあって積極的に害を為すような魔物もほぼ駆逐されており、まさに穏やかな恵みの宝庫なのだ。
かつてのフォルラザはその恵みが欲しくて、山岳国家ビードを攻め滅ぼした。
オズワルドも当然、大山脈を積極的に漁ろうとすることだろう。
「いや、そんなことはさせない。ビードはもう敗けない。ビードはもう滅びない。大山脈に守られて、そうなるのではない。大山脈を守って、そうするんだ。陛下はきっと、それを願って俺達山騎士を生かしてくださった。……気づくのに、六年もかかってしまった」
レオンは噛みしめるようにそう言いながら、鞘から双剣を抜いた。
ノーラが決闘でへし折った剣だ。
しかし黒鉄のそれらは、夕陽を受けて鈍く輝いている。
「戦神の国を打ち破った竜神の国に、俺達ビードは勝つ。飛竜にだって、必ず。それをもって、陛下への手向けと戦神の国への復讐とする。お前達は指を咥えて、俺達の勝利を見てろ」
「そうはいかないな。オズワルドに勝つのは、我々戦神騎士の使命だ」
「はい。ビードの皆さんには悪いですけど、オズワルドは僕達の獲物ですからね」
ノーラは旗槍を振るって戦神の旗を、吼える獅子の赤旗を広げた。
ニコルもまた、白銀の双剣を抜く。
三人の騎士は己の得物を掲げて、ぶつけ合った。
「戦神騎士ノーラよ。戦神騎士ニコルよ。さらばだ」
怪鳥の鋭い鳴き声が、大山脈に響き渡った。
兵士達も皆、武器を掲げて吼え猛る。
これからだ。
これからようやく、私達は歩み出すのだ。
ノーラはそう思った。
道のりは、遥かに長い。
次回から、またローランに視点が戻ります。
また、今回でお話の主軸となる、戦神騎士十人の名前を全員出しきりました。
なので、下に簡単な概要と動向をまとめておきます。
大陸地図と合わせてご確認いただければ幸いです。
・ローラン:騎兵、大剣使い → 大陸東方、探究の国ラガニアへ
・ノーラ:指揮官、旗槍使い → 大陸西方、月の国マーブリスへ
・ニコル:双剣使い → 大陸西方、月の国マーブリスへ
・グリムロ:副長、大斧使い → 大陸中央、竜神の国オズワルドへ
・ジェラルド:古参、魔術剣士 → 大山脈を伝って大陸東方から北方へ
・イオ:魔術士 → 大陸東方へ
・ウィルフレッド:騎兵、槍使い → 大陸南方に残って竜神の国オズワルドの妨害
・アレクシス:魔術士 → 大陸南方に残って竜神の国オズワルドの統治の妨害
・ケイト:弓兵 → 動向不明
・ノア:騎兵、大剣使い → 動向不明
お話がかなり広い範囲で展開されるので、時折こういうまとめをする予定です。