外はもう暗く、照明もつけていないので窓から差し込む月明かりだけが室内を薄暗く照らしている。
大分酔いはマシになってきたみたいだがまだ頭がくらくらする。
横になっていた体勢からふらふらと身体を起こし、月明かりを背にほぼ全裸で立つ男を睨みつけた。
「……なにをしている」
「こんな夜中に密室で男女二人。そんなんやること決まってんだろ」
言いながら、男は近づいてくる。
「俺脱いでんのにさ、ちょっと平等じゃなくねぇか?そっちも脱げよ。俺の目は誤魔化せないぜ?
「近づくな」
男が目前までやって来るが怯まず睨み続ける。
「わかった。脱がして欲しいんだろ」
返事を待つ気もない男の手が胸に伸びてきたので振り払い、更に目に力を込めて睨みつけた。
「また動いたら今度はご自慢の顔が凹むぞ」
「おぉ怖いねぇ」
お構いなく再び伸びてくる男の手。
忠告した通り、その手が胸へ届く前に男の顔面へ拳を見舞った。
「!」
が、放った拳は男の掌に容易く捕らえられた。
酔いが回っていて思うように力が出せていないのかもしれないが、この男……強い。
「危ねぇな。ったく、
「……ぇ」
男の言葉が脳内に木霊する。
すると勝手に身体の力が抜け、無防備にベッドへ背中を預けてしまった。
「いい子だ」
男の手が勝手にシャツのボタンを外していく。
なぜ……なぜ動かない!!
抗おうにも身体がまるで人形にでもなったかのように動かず、無抵抗を晒していた。
「なにこれ、さらし?こんないいもん隠しとくなんてもったいねぇよ」
シャツをはだけさせられ、守るものがさらしのみとなった胸へ男の両手が伸びる。
声を上げることさえできず、虚ろな目で眺めることしかできない。
今男の手がその肌に触れる……というとき、窓を叩く音が鳴り響く。
「あ?……うそやろ」
窓の方を見てみれば、なにやら紙切れを咥えた鳥――伝書鳩だろうか――が嘴で窓を叩いていた。
それを見た男はげんなりと表情を変え、渋々といった様子で窓を開け鳥から紙切れを受け取った。
「はぁ!?間が悪いにも程があんだろうが!!」
折りたたまれていた紙切れを開き、内容を確認した男は声を荒らげた。
「ッチ……はぁ。まぁ死にたくねぇし、仕方ねぇか……あ、
独り言ちる男の目がこちらを向き、一言言うと途端に身体に力が入り始めた。
露出した胸を隠しながら身体を起こす。
強制的に命令に従わせる力か。
なんて能力だ……タネはどうなってる。
「嬢ちゃん、名前は?」
「答える義理はない」
「あっそう。俺はアドルフ。また会おうな」
そう言い残し、アドルフと名乗った男はドアを通り出ていった。
やけに静かな薄暗さが室内を支配する。
気づけば酔いは冷めていた。
昨日は酔いつぶれてしまったせいでなんの収穫も得られなかった。
長期休暇が明けるまで時間は長くない。
今日からは無駄な時間を使わないよう徹底しなければ。
智の都市、サピエンティア。
この地へ来たのには理由がある。
この都市の誇る聖ソフィア大書庫が収納している本の数々は、読んだ者に革命的な知見を与えるという。
もう肉体における武の追求には限界が見えている。
となれば、更なる高みへ至るための鍵はこの肉体の内にある聖女の力への理解だ。
この力の効率を高めることで、
だが大書庫への入場には二級冒険者としての身分が必要だ。
少々手間だが、それはそれで冒険者として魔物の相手ができるので実戦形式の修行にもなると考えていた。
それなのに……なんだ、この無益な作業は。
薬草採取という名の、草原の中ただただ草を毟るだけの作業。
下っ端の冒険者はこんな雑務しか熟すことができないらしい。
「はぁ……こんなものか」
規定の量はこれでもう十分だろう。
立ち上がり、帰路に着こうとしたときだった。
奥の林の方から金属音……恐らく戦闘の音が聞こえた。
急いで音のしたところへ向かうと、そこには革鎧に身を包み、刃こぼれの酷い剣を構える満身創痍の若い女性が。
周囲には狼型の魔物の死骸がいくつも転がっている。
そして息を切らす女性の前には生き残りであろう狼型の魔物が十匹ほど。
牙を剥き、獰猛に喉を鳴らしている。
その中の一匹が、とうに身体の限界を迎えていそうな女性へ無慈悲に襲いかかった。
「っ!……え?」
恐れに目を瞑っていた女性が目を開くと、その瞳には狼の頭を踵で潰しているヴィリアの姿が映った。
「さぁ、やるか!」
単純作業で飽き飽きしていた気持ちが昂り始める。
雑魚共だが、なまり始めていた身体にちょうどいい。
と思ったのだが……
「ん?お、おい」
残った十匹ほどの狼はヴィリアを前にすると逃げるように去って行ってしまった。
がくんと肩を落とすが、落胆に暮れるのは置いておいて今重要なのは女性の様態だ。
「じっとしていてくれ」
「え……すごい……」
この姿……冒険者だろうか。
栗毛をボブカットにした女冒険者の肩に手を置くと、みるみる身体中の傷が癒えていった。
「サピエンティアはいい街ですよー」
ヴィリアは女冒険者――リーンというらしい――を助けた後、一緒に街を歩いていた。
どうも、魔物の討伐依頼に向かったのだが報告よりもずっと頭数が多く、苦戦していたとのこと。
助けて貰ったお礼と言って、今は街案内をして貰っている。
「いい人達ばっかりだし、ご飯は美味しいし、なにより治安が良い!」
正直、街案内をして貰う時間があるなら一つでも多く依頼を熟して二級に上がりたいのだが……リーンの輝く目を見ると断れなかった。
「世界に誇る文化財もありますし……あ!レディシュさん!!」
リーンはある女性を目にすると顔を明るくして駆け寄って行った。
「お疲れ様です!」
「リーンか。相変わらず元気だな……そちらは?」
「この方はヴィリアさんです。回復魔法の練度がすごくて、討伐依頼でピンチなところ助けてもらったんです。この街は初めてらしいので案内してるんですよ」
上等な鎧を纏った、燃え盛るように赤く腰まで長い髪を一つ結びにした女性だった。
腰には金の模様が施された、これまた上等そうな剣を携えている。
「ヴィリア=ローゼンだ」
「来訪者か。この街はいいぞ。是非堪能してってくれ」
紅蓮の髪が優雅に揺れながら横を過ぎる。
「彼女はレディシュ=エーデルワイスさんで、聖ラメール教会に所属する使徒様なんですよ」
聖ラメール教会……聖エルデ教会、聖シエロ教会に続く大陸三教会の一つだ。
佇まいだけであれだけの完成された力を感じ取れたわけがわかった。
「そんな大物がなんでここに?」
「レディシュさんは聖ソフィア大書庫の守護を任されている使徒様の一人なんですよ。他にも複数の使徒様がこの街を巡回して下さってるんです。サピエンティアの治安がいい一番の理由はそれなんです!」
正直、たかが書庫に戦力を割きすぎな気もするんだが……
「今たかが書庫になんて思いませんでしたか?」
「……」
「聖ソフィア大書庫はすごいんですよ!国の最重要遺産に登録されていますし、常に凄腕の結界師さんが結界を張っていて更にその結界師さんを使徒様が護ることで超頑強なセキュリティを保っているんです!!」
ちょっと、リーンの熱量に疲れてきたな……そろそろ適当な言い訳をつけて逃げるか……
「あそうだ。この街を案内するってなったら外せないスイーツ店があるんですよ。お口に合うかわかりませんが……」
「仕方ない付き合おう」
真鍮の照明やクラシックなタイル装飾など、全体的にアンティーク調の内装は清潔感に包まれている。
メニューにあるスイーツの数々がとてつもなく輝いて見えた。
迷いに迷った末、ソフトクリームの乗ったホットケーキを頼んだ。
「命の恩人なのでお金は私に出させてください」
「いや、流石にそれは気が引ける」
「私のプライドです。出させてください」
「いや困る」
こんな面倒なやり取りでも、スイーツが待っていると思うとなんだか心地よく思えてくる。
これからやって来る至極の時間を思えば、待ち時間でさえも楽園のようだ。
今なら何が起きても怒らない自信がある。
「ヴィリアさんがなんと言おうと私が――」
――緊急招集、緊急招集、至急冒険者の皆さんは東門へ向かって下さい
街に設置されたスピーカーから突如アナウンスが流れた。
「こんなアナウンス初めて聞きましたよ。かなり緊急事態みたいですね。急ぎましょう」
「……スイーツは」
「今はお預けにする他ありませんね……さ、行きましょう!」
……くだらないことだったら百回は殺す。
くだらなくなくても殺す。