サピエンティアは他の都市とは隔離されており、堅固な城壁に囲まれた城塞都市でもある。
東西南北に城門が設けられ、その内の東門をヴィリアとリーンは通り、都市の外へ出ていた。
周囲に集められた屈強な冒険者達は重苦しい面持ちで地平線の向こうを睨んでいる。
「一体何が……あ、バロックさん!」
屈強な冒険者達の中でも特に身体の大きい大男を見つけると、リーンは声を上げた。
あの男は昨日飲み比べを持ちかけてきた……
「おうリーンか。それとそっちは……昨日の下戸」
「なんなんですか、この集まり」
「まぁ……今に分かる」
覚悟の決まったような顔でバロックは言う。
すると突如、地が揺れた。
揺れはどんどん激しさを増していき……遠くを見てみれば、そこには地響きと共に押し寄せる地平線を埋め尽くさんばかりの魔物の群れが。
「スタンピード!?どうして……なんて数……」
スタンピード……大暴走した魔物が大量発生する大厄災。
狼や猪型の魔物を筆頭に、大小様々な魔物が狂乱状態でこちらに向かってきている。
激しい地鳴りが内臓を揺らす。
「リーン、この街は好きか」
「え?もちろんです」
「俺も大好きだ。だが俺達の愛したこの街の命運は今、俺達にかかってる。死力を尽くせ!」
腰の剣を抜き、言い残すとバロックは先陣を切って魔物の大群の中へ駆け出して行った。
その後ろ姿に続くように、冒険者達は雄叫びを上げて走り出す。
冒険者と魔物、双方の波が今……ぶつかった。
英雄譚に聞くような快進撃……そんなものはどこにもない。
最前線の冒険者達に華々しい剣技を振るう余裕などなく、ただ泥臭く、生き汚く迫り来る脅威に抗うのみ。
切り裂かれた魔物の肉が放つ腐敗臭。
倒れ、無慈悲に踏み潰される冒険者。
戦場は瞬く間に、人間と魔物の返り血に染まっていった。
「おおおおおお!!」
バロックの横薙ぎは魔物を五体程一気に切り裂いた。
そして続け様に襲い来る魔物を一体ずつ処分していく。
「キリが、ねぇな……ッ!」
猪型の魔物を切り裂いた直後、間髪入れずに襲い来る狼型の魔物にバロックは反応が遅れた。
防御が間に合わない……というとき、その狼型の魔物の頭部が拳の跡を浮かべて地に埋まり、クレーターが浮かび上がる。
ヴィリアだ。
「昨日の嬢ちゃんか……!助かった」
「嬢ちゃん……?」
なぜ女であることがバレている……?
昨日のことを思い返そうとしてみるが、酒を飲んだ後の記憶が思い出せない。
それに今は、そんなことを考えている暇などなかった。
熱風が運んでくる血や死骸の異臭を鼻に感じながら、押し寄せる魔物の波に立ち向かっていく。
冒険者達はなんとか持ちこたえているようだが、幾千もの魔物の大群は減る兆しを一向に見せない。
このままではジリ貧だということは火を見るよりも明らかだった。
なるべく危なそうな冒険者らを助けて回っているが、全員を守るなど不可能。
流石のヴィリアでもこの数を一人で相手し城壁へ指一本触れさせないというのは困難だ。
彼らが食い止めてくれているうちに一掃しなければ。
「……ふ」
緊迫した状況。
だがしかし、ヴィリアの口元は僅かに綻んでいるのを隠せていなかった。
これだ……!こういう死闘を求めていた……!!
「ん?」
ふと、気づけば目前に壁が迫ってきていた。
壁?いやこれは……
見上げれば、山のように大きな身体をした魔物……タイタンがいた。
これ程デカい相手を殴るのは初めてだな……
ヴィリアは口角を上がらせたまま、拳に力を込める……が。
「レディシュの邪魔だ」
何者かに首根っこを掴まれ、魔物から離れた場所へ一息に移動させられた。
そして魔物の前には白く輝く白刃を上段に構えるレディシュ=エーデルワイスの姿が。
――『
余りに美しく振り下ろされた剣。
それはまるで空から静かな雨粒が落ちたようだった。
天高くまで大きいタイタンの身体はやがて滑らかな断面を見せ、落ちた雨粒は儚いながら凄まじい質量を持っていたようで地面に巨大な波紋を作る。
波紋は一瞬にして広がり、地割れをどこまでも伸ばしていった。
そんな余波により容易く葬られていく周囲の魔物達。
たったの一撃で、今までに冒険者らが必死に倒した魔物の数を優に超えていた。
凄まじい剣技に見蕩れていたせいで忘れていたが、後ろ首を掴まれていた感覚がなくなる。
振り返ると、そこには黒髪の長髪を一つ結びに、傷だらけの顔をした男が。
気迫で分かる……恐らく使徒だ。
男はこちらに興味などないという様子で横を通り前に出ると魔物の大群と対峙する。
「襲う街、間違えてるぜ」
腰のあれは……刀か?
異様に長い大太刀の刀身を鞘から引き抜き、男が魔物の群れの中へ駆け出すと無数の魔物の肉片が一瞬にして飛び散っていき、血の海を作った。
これが使徒か……
この男とレディシュ=エーデルワイス以外にも、複数の実力者……恐らく使徒がこの戦場に現れ、一気に旗色が変わっていた。
夥しい数の魔物はみるみるうちに数を減らし……最後の魔物の首が今、レディシュの剣により落ちる。
「……」
鉛の臭いと死骸の腐敗臭が充満している。
血に塗れた大地は惨たらしい程に赤黒い。
「…………終わったのか……?」
沈黙の中に零れるどこかの冒険者の声。
周囲の冒険者達は暫く呆気に取られたような顔をしていたが、徐々に現実を理解し始めると勝利の雄叫びが広がっていった。
ヴィリアは救世主の如く現れた使徒らの姿を眺める。
流石に彼らの実力は凄まじい。
中でもやはりレディシュ=エーデルワイスの戦いは圧巻だった。
それにあの男……あれほど長い太刀は初めて見た。
「なぁ、そこの使徒。それは刀か?」
「ん?」
刀身についた返り血を振り払い、鞘に戻しながら男はこちらを振り返る。
「話しかけんな。俺は強者としか口を聞かねえ」
「……」
刀を扱う者は話が通じない奴ばかりなのか?
「皆、よく戦った!!この街と民に命を捧げた諸君らに深く敬意を表する。動ける者は命を賭して倒れた勇士達を街へ運んでくれ!」
レディシュが凛々しい声で荒れたこの場を仕切り始める。
抉れた腹から臓器が顔を出している者。
倒れた者の手を握り悲しみに暮れる者。
勝利したものの、広がる光景は凄惨を極めていた。
こういうときのために、聖女の力は存在するのだろう。
助かる者は助けたい。
その思いでヴィリアは息のある者を探す。
「ヴィリアさん!!」
リーンの声にヴィリアは振り返る。
「ヴィリアさん、回復魔法使えましたよね!?クリス……この人友達なんです!なんとかなりませんか……」
リーンに肩を抱えられた男の脇腹には風穴が空いていた。
目に光はなく、正しく虫の息である。
「そこに寝かせてくれ」
「……!はい!!」
絶望に染まっていたリーンの顔が明るくなる。
寝かされた男の隣にしゃがみ込み、腹に手を置いたときだった。
「っ!」
頭上に計り知れないパワーを感じ取り、咄嗟にリーンを連れてその場から離れる。
「ひゃ……ぇ、クリス……?」
元いた場所には巨大な棍棒が振り下ろされていた。
間一髪でリーンとヴィリアは逃れることができたが瀕死の男は棍棒の下敷きとなっている。
でっぷりとした肌色の巨体に棍棒……トロールか……?まだ生き残りがいたとは……
トロールは棍棒を持ち直し、再びヴィリアとリーンに狙いを定める。
迫り来る棍棒にヴィリアは身構えるが、それはこちらに届くことなく、現れた大男の剣によって止められた。
「バロックさん!!」
「く……!!なんつう膂力だ……!」
バロックが棍棒を受け止めている中、ヴィリアはこの魔物の異様さに気づく。
こいつ……顔に布をつけている……これは林間合宿のときの……!!
不気味な一つ目が描かれた面布が、トロールの顔面に貼り付けられていた。
周りを見てみれば、トロールの他にコボルトやスケルトンといった様々な魔物の大群が顔に同じ面布をつけ、疲弊した冒険者達を殺している。
どういうことだ……どこから湧いて出てきた!?
「気をつけろ!!こいつらはただの魔物じゃない!!邪教徒だ!一体一体が漏れなく厄介になっている!!」
そこらの魔物と同じようにかかれば返り討ちに合ってしまう。
警戒するようヴィリアは声を上げた。
邪教徒という単語に冒険者や使徒らは怪訝な表情を浮かべる。
「あそこの青年の言う通りだ!!この顔の布、ギゼル=バークの情報と合致している!!決して油断するな!!」
レディシュが重ねて警戒するよう告げ、更に強力になった魔物の群れを駆け出す。
ヴィリアはバロックが棍棒を受け止めているうちにトロールの顔面へ渾身の力を込めた拳を叩きつける。
するとトロールの頭は爆散し、倒れた。
トロールの死骸を眺めていると、不可解なものが目に入る。
この魔物の死骸……腹部に小さくない穴を空けており腐った臓器が垂れている。
ここへの攻撃はしていないはずだ。
となればこちらを襲ってくる前に冒険者や使徒にやられたのだろうか。
だがこの致命傷であの膂力を以てかかってくるなど不可能では……
そういえば、周りを見渡してみれば先程倒した魔物達の死骸が見当たらないことに気づく。
まさか……こいつらの正体は先程の魔物の屍……?
アレクが薬草採取の依頼を熟しギルドへ成果を持ってきたとき、そこに冒険者は誰一人いなかった。
受付嬢から聞いた話だが、緊急事態により街の全冒険者は東門に招集されているらしい。
大分出遅れてしまったが東門へ向かって足を進める。
人々で賑わうこの街では中々全速力を出すことはできない。
聞けば、かなりの緊急事態らしい。
行き交う人々の笑顔は今身を粉にして奮闘している冒険者の存在故なのだろう。
急がなければ……
そんな時、どこかで見たような顔をした無精髭の男が右手を振って近づいてきているのが見えた。
「おーいたいた」
こいつは昨日の酒場にいた……確か潰れたヴィリアの介抱をしたとかいう……
「探したぜぇ」
「すみません、今急いでるんで」
「待てって。一瞬で終わる」
男の横を通り過ぎ去ろうとしたところ、脇腹に突き刺さるような痛みが広がった。
いや、実際突き刺さっている……ナイフが。
「な?一瞬だったろ」
「……なに、して…………」
刃を引かれないよう、ナイフを握る男の手を強く掴む。
そして剣の柄に手を置き、抜き放った刃を男の首へ振ると男は後ろへ飛び回避した。
味覚を支配する鉛の味。
腹に突き刺さったナイフを引き抜き、地面に捨てる。
賑わいを見せていたはずの街中は突如殺伐たる風景へと変貌し、人々は悲鳴を上げて逃げ惑い始めた。
「流石に不意打ちだけじゃ仕留めきれねぇか。まぁロドスが仕留め損なったくらいだしな」
男はどこからかまたナイフを取り出すと、逃げる市民の背中へ投げつけた。
咄嗟の反応で駆け、矛先が市民へ届くより先にナイフを剣で弾く。
そうやってできた隙は致命的だった。
男はアレクの背後からナイフの切っ先を突き刺しにかかる。
アレクは間一髪で体勢を低くして躱し、距離を取った。
無理に躱したせいで関節が少し痛む。
「……汚い戦い方だな」
「使えるもんは全部使うのが俺のやり方だ」
気づけば男の目に白目はなく、黒く染まっていた。
「……!魔人だったのか」
今この街に実力者はいない。
この侵入者の相手ができるのはアレクただ一人だった。