脈打つ心臓の鼓動を強く感じる。
次は、そこから全身へ巡る血液や細胞、至る神経の数々に意識を向ける。
そしてその全てに余すことなく治癒能力を使用していく。
この身体を構成する原子レベルの
身体の底から活力が際限なく溢れていくのを感じる。
だが少し気を抜けばすぐに全身への意識が疎かになってしまう。
満遍なく能力を使い、その状態を維持することは一秒を途方もない時間に思わせてくる。
「……ッはァッ……!!」
糸が切れたように身体中を駆け巡っていた活力がなくなる。
聖女の力を使い果たしたらしい。
「はぁ……はァ…………」
岩の上で胡座をかきながら、激しく脈打つ心臓が静かになるのを待つ。
瞑っていた目を開けると、瑞々しい緑に満ちた光景が目に飛び込んできた。
青々と茂る木々が空を覆い、木漏れ日が森を優しく照らしている。
奥では巨大な滝が轟音を響かせながら岩壁を流れ落ち、白い水しぶきが霧となって辺りを包んでいる。
「はぁ……は……」
鼓動が治まってきた。
サピエンティアで聖女の力について何か得られないだろうかと思っていたが、頼みの大書庫は燃やされてしまった。
結局、自力で探し出すしかなかったらしい。
最初からこうしていればよかった。
やはり山修行は素晴らしい。
自然の伊吹をこの身で感じながら更なる高みへ臨むこの感覚は何物にも代えがたい。
身体を構成する限りない全てに意識を向け、その一つ一つに能力を使用することでパフォーマンスが遥かに向上することがわかった。
だがこれには途轍もない集中力を要する。
戦闘時に発揮するのは至難の業。
だからまずは治癒能力だけに意識を向けることを目的とした訓練を行っている。
それが中々に難しく、残り少ない長期休暇の間でこれを完璧にすることが目先の目標だ。
だが力を使い果たした今できる修行は特にない。
肉体の研磨はとうに行き詰まっており、これ以上したところで大した見込みはないのも理解している。
となれば……せっかくの山だ。
休憩がてら自然を堪能するとしよう。
木漏れ日が差し込む山道を一歩ずつ歩く。
澄んだ空気がおいしい。
聖女の力を使うときとも違う浄化が身体の中でされていく気がする。
ふと、森の中を舞う小鳥が目に入る。
吸い込まれるように、何の気なしにその白く優美な鳥の後を追った。
「ここは……」
そして導かれた場所……そこでは、一面に咲き誇る白い花々が、まるで雪原のように大地を埋め尽くしていた。
風が吹くたびに花々は穏やかに揺れ、純白の花びらが波のように広がる。
甘く優しい香りが辺りを包み込み、その光景はどこか神聖で、現実離れした美しさを漂わせていた。
「カーネーションの群生地か?こんな山にこんな場所が……」
優雅に舞う純白の鳥は幻想的なこの風景と見事に調和している。
そして鳥はとある一輪の花へ足を着く。
いや待て、あれは……花じゃない?
違和感のままに羽を休ませる鳥の傍へ寄る。
近づいたことで小鳥は驚いたように再び羽ばたき、どこかへ去って行ってしまった。
だが小鳥が足を離したその場所……そこにいたのは……
「女の子……?」
花々に抱かれながら、白髪の幼女がそこで安らかに眠っていた。
五歳程だろうか。
可愛いというよりも、御伽噺にでも出てきそうな美しさだ。
こんな子がどうしてここに……?
今広がる風景は余りに幻想的で忘れそうになるが、ここは魔物が跋扈する山だ。
捨て子なのかなんなのか、この子の正体はわからないがとりあえずこの場所から避難させる必要がある。
もう数日間はこの山に籠る予定だったが、仕方ない。
そうだな、山を降りてセルシアさんの教会へ預けることにしよう。
女の子を背中に乗せ、下山していく。
いつもなら駆け下りるのだが、背中に子供がいる状態でそんなことはできない。
だから大分長いこと歩いたはずだ。
道が見え始めるのももうすぐのはず……
だがそこで、突然ヴィリアの足が止まる。
「……今じゃなかったら大歓迎なんだが」
木々の陰からぞろぞろと現れたのは獰猛に涎を垂らす狼の数々。
その数に終わりは見えない。
一斉に、雪崩のように襲いかかってきた。
背中の幼女のためにも激しい動きをなるべく抑えながら、おんぶをしているため腕が使えないので脚のみで狼の群れを捌いていく。
「終わりが見えないな……!」
そうだ、少しだけ修行の成果を試してみるか。
少しだが聖女の力は回復した。
戦いながらあの感覚を引き出すのは困難を極めるが、試してみなければ始まらない。
——『
今までの運用には粗があった。
これまでのように目の前の敵にばかり集中するのではなく、自身の身体へ意識を集中させることを念頭に入れながら嬲り蹴っていく。
やはり難しいな……だが、間違いなく前よりも出力が上がっている。
完璧とは程遠いが、確かに練磨されているのを感じた。
そして集中していた余り今分かったが、気づけば終わりの見えなかった狼の群れは壊滅状態となっていた。
するとまた重大なことに気づく。
背中にいるはずの幼女の重みがないことに。
「どこに……!!」
辺りを見渡すと、遠くに地面に寝転がる幼女の姿が見えた。
そして三体程の狼の生き残りが彼女へ迫っている。
まずい……!!間に合わないッ!!
今、狼の牙が幼女の柔肌を喰らう……かに思われたが、三匹の狼は飼い主へ媚びる犬のように、ベロベロと幼女の顔を舐め始めた。
「……は?」
目を覚ましたのか、ひょい、と幼女は起き上がる。
「むぅ〜!臭い!!帰るのじゃ!!」
甲高い声で言い放つと、幼女の指差した森の方へ狼達は去って行った。
「……魅了能力?」
あの狼達の目は魅了魔法にかかった者のそれだった。
まさかあの幼女の力か?
「そこの黒髪、何を見ておる」
「……」
こちらへ無愛想な目線を送る幼女。
幼女にしては変わった口調だな……
「なぁ、自分の名前分かるか?」
「妾の名か、良いだろう。教えてやる…………ん?…………わからん」
「ここにいる理由は?」
「わからん!!」
これは教会行き確定かもな。
しかし、名前がないとなると少々面倒だ。
そうだな、カーネーションの中で眠ってたから……
「とりあえずカーネって呼ぶけどいいか?」
「カーネ……うむ!良い名前じゃ!!して、お主は?」
「俺はヴィリア。よろしくな」
「……」
急にカーネはこちらの顔をじーっと見始める。
「……なんだ?」
「ちと屈んで
「?」
言われた通り屈み、カーネと同じ目線になった。
すると突然ヴィリアの顔半分を覆い隠す襟を掴み、下げられる。
普段隠されたその美貌が露になった。
「……気に入った!!妾の眷属にしてやる!!」
「急に何を……とりあえず、危険だから早くここを出るぞ」
聖都エストレヤ。
サピエンティアに行って、山に籠って、思えば久々に帰ってきた。
相変わらず人々で賑わっている。
「おぉ……美しい街じゃな!悪くない!!」
口調が邪魔をしているが、街に目を輝かせるカーネの様子は年相応だ。
確かセルシアさんの教会はこっち方面だったか……はぐれないようカーネとは手を繋いで……
「……」
いない。
はぐれるにも早すぎるだろ!!
街中を見渡すが人でごった返しているためあんな小さな子供を目視で見つけるのは不可能だろう。
東奔西走街を回り、カーネを探す。
かれこれもう30分は経っていそうだ。
「はぁ……ん?」
ふと視界の端に特徴的な白髪が目に入る。
やはりあれは……カーネだ。
「ヴィリア!どこへ行っておった!!」
「……カーネ、こう見えて街は危険だ。一人で出歩かないように」
またはぐれることのないよう手を繋ごうとカーネの手に目を落とす。
するとその小さな手に握られているあるものに気づく。
「それは……ダイヤモンドか?」
「ふふふ、美しかろう?」
掌に収まる透明な宝石は、陽光を受けて無数の面から七色の光を散らし、小さな星を閉じ込めたかのように眩く輝いていた。
「どこでそれを?」
「あそこから貰った」
カーネの指差す先にはある店……ジュエリーショップがあった。
店内はなにやら慌ただしい様子である。
「恐らく妾のために置いてあった故望み通り頂戴してやったのじゃ」
「……カーネ」
言い聞かせるように、両手をカーネの肩に乗せる。
「それは窃盗だ」
「……」
カーネの顔がドヤ顔のまま時が止まったように動かなくなってしまった。
そして暫く、カーネはジュエルを手にこちらへ背を向け走り出す。
「違う!!妾のじゃ!!」
「こら待て!」
没収されるのを察したのだろう。
逃げ出すカーネの背中を追うが人混みのせいで満足に走れない。
周囲からは奇異の目で見られているが今はそれどころじゃないのだ。
今度は絶対に見失ってたまるか!
そこの角をカーネが曲がったのが見えた。
人混みを掻き分け、ヴィリアもまた角を曲がる。
カーネの姿を探すが、走ってはいなかった。
ある男の背後に隠れ、こちらを睨んでいた。
その男とは……
「アレク!?」
「ヴィリア!?」
アレク=ウルスラグナ……奴だった。
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