「へへへ、近所の中古ビデオ屋に売られてたのを思い出してな。
売り切れる前に急いで買ってきた。
昨日自宅のテレビでも確認したから、問題なく映ると思うぜ」
次の日の放課後。
場所はたまちんの家のリビング。
面子は俺とたまちんと歩、それに加えて、いつもの舎弟三人組。
全員でテレビの前に座り、画面を食い入るように見つめる。
太志がDVDプレイヤーにディスクを入れると、画面に映されたのはとあるタイドラの大会映像だった。
タイドラには幾つかの大会が存在するが、これはその中でも特に有名な大会の一つである格ゲー甲子園。
今年や去年も地区予選が行われたらしいが、俺はまだ小学生なので他県に遠征するのは難しいと考え、出場は見送っていた。
対戦形式は二人対二人のタッグマッチ。
一人が敗れればを後ろに控えている相方に交代する。
自陣が倒しきられる前に、敵陣を倒しきれば勝利となる。
どうやら序盤は対戦映像しか流れないようで、プレイヤーの姿が画面に映るのはインタビューが行われる準決勝かららしい。
相変わらずアギトの実力は凄まじく、怒涛の勢いで勝ち上がっていった。
当然のように準決勝に行きつき、インタビューを受けるアギトもまた相変わらずで、短い映像ではあったもの見る者に忘れ難い衝撃を残してくれた。
そして最後の試合となる決勝戦では、たった一人で二人の対戦相手を下してしまうほど凄まじい活躍をしてしまう。
更に驚くことに、決勝戦の対戦相手のうち一人は、言わずと知れた伝説の格ゲーマー、ハラダだったにもかかわらず。
つまりアギトは、あのハラダから勝利を勝ち取れるほどの実力を備えていることになる。
文句なしのトップ中のトッププレイヤーだ。
「参考になりそうか?」
「……ちょっと待っててくれ」
たまちんから借りたアケコンを膝の上に置き、ガチャガチャと動かす。
このアケコンの先のコンセントには何も刺さっていない。
俺が今やっているのはイメージトレーニング。
映像に映るアギトの操るキャラクターの動きを見て、アギトにはどんな手癖があるのか、隙はどこにあるのか、俺ならどう対応するかを思索する。
「ごめん……映像で見るのと実際に戦うのとだと、やっぱり感じ方が違う。
あの日戦ったあいつの方が強かった」
「……まあ、この映像が2005年で、今が2007年だからな。
2年前と比べて上達したのもあるんだろうよ」
画面に映るアギトは確かに強い。
対戦相手のレベルが高いだけあって、披露される技術は豊富で、俺との闘いとは比べ物にならないほど高度な動きを見せてくれた。
だが実際に戦ったアギトの方が、もっと強くて迫力があったような気がした。
たまちんの言う通り、現在が2007年で、この大会映像が2005年。
その時間の経過によって、アギトが成長したのもあるだろうが。
やはり実際に体験するのと見るのでは印象が変わってくる。
アギトが出場した大会映像は他にも出回っているらしい。
とはいえ入手できたDVDはこれ一つだけ。
ネットにアギトの対戦動画が掲載されていたが、そちらもまた時代が古かったり、別のゲームタイトルだったり、新しかったとしても参考とするには数が少なかったり。
俺の検索方法が下手だったのもあるだろうが……。
やはり一番参考にすべきは、先日俺が直接アギトと戦ったイメージなのだろう。
「太志、これ借りていいか」
「大河にやるよ、好きに使ってくれ」
「ありがとう。
とりあえず今日一日、これ見つつ色々考えてイメージを固めてくる。
そんで明日の早朝、東京に向かう」
「早いな、いいのか?」
「ああ」
今更地元で鍛え直したところで成長量には限界がある。
ならばあいつと戦った記憶が鮮明なうちにリベンジしたい。
なにより……皆が灯してくれた情熱の炎が途切れる前に。
==
2007年10月17日。
早朝5時。
昨夜早く寝たのが功を奏したのか、始発前に起きられたらしい。
タイマーは鳴らさなかった、家族に気づかれるわけにはいかないから。
物音を立てないようそっと立ち上がり、静かにクローゼットを開く。
幾つかある上着の中から手に取ったのは、スカジャン。
スカジャンの背面にはある刺繍が施されていた。
それは虎。
俺にとって虎とは、特別な思い入れを持つ記号だった。
自分の名前であり、愛するタイガードラゴンの主人公、タイガーの名前。
俺の黄金の青春を象徴しており、ある種の勝利の象徴とすら見なしていた。
となればこの威風堂々と虎の刺繍が施されたスカジャンは、当然子供の頃からのお気に入りの一張羅で。
だからこそ、タイドラを辞めた自分が後ろめたくて。
ゲームを取り上げられたあの日以降、身につけることは避けていた。
だからこれは、決意表明だ。
未来も合わせて十数年ぶりに袖を通す。
どうだろう、似合っているかな。
姿見がないから分からないけど、馴染みはする。
それは身体だけではなく精神的にも。
これを身にまとうと気が引き締まる。
絶対に勝つという決意を抱かせる。
そして気負いも重くのしかかる。
絶対に負けなられない責任感に苛まれる。
だけどいい。
そのぐらいが丁度いい。
何しろ俺は今、天才になろうとしているのだから。
俺はかつて天才について定義した。
天才になるために重要なのは発想よりも、己の発想を実現するために行った努力の方だと。
どれほど天才的な閃きがあっても、それを実現し証明する努力が足りなければ、天才とは認められず歴史に名は遺せない。
歴史に名を遺す天才達が自己の才能を証明するために行った努力の中には、常人には理解し難いものも多くあった。
彼らは常識の轍から抜け出すために、敢えて他の人間が避ける選択を選び、その中から特別な何かを手に入れようと藻掻いていたのだろう。
そして俺は今、学生であるにもかかわらず、全くの平日の早朝に、東京に行こうとしている。
格闘ゲームで敗れた屈辱を晴らすためだけに。
当然親に黙っての出発だ。
こんな真似をできる輩がいったいどれほどいるのやら。
思いつきはしても行動には移せないだろう。
少なくとも逆行前の俺では絶対にできなかった。
すなわち、俺は今から常識の轍から抜け出し、天才になろうとしている。
ワクワクした。
胸が躍り、浮足立つ。
不安はあるが、それ以上の興奮の中にいることを自覚していた。
一応両親に心配をかけないよう書置きは残しているものの、それで許してくれるなら保護者という立場はこの世界に必要ないだろう。
今日という日を境にして、これまで以上に親の監視が厳しくなり、ゲームを遊ぶのが困難になるかもしれない。
そうなれば本末転倒。
格ゲーの上達ために東京へ向かったというのに、これでは練習時間が取れなくなる。
それは困る。
だけど、それでも仕方がないと思う自分もいた。
今はとにかく、明日のことなんて考えず、目の前の目標に全力で取り組みたかった。
ドアを開けると、朝日は未だに上っておらず、空は真っ暗だった。
玄関から少し離れた場所に、バイクに跨るたまちんがいる。
流石に子供の一人旅は危険だろうということで、東京遠征にはたまちんが付き添ってくれる予定になっていた。
しかし加えてもう一人、予定になかった人物が佇んでいた。
「歩、見送りに来てくれたのか」
「うん……ごめん、私も応援に行ければよかったんだけど、お金がなくて」
「気にすんな、元々一人で行くつもりだったし」
「やっぱり大河はご両親に黙って?」
「まあ説得なんてしようもねえからな」
「怒られそう?」
「家に帰ったら大目玉間違いなしだろうよ」
「そっか、それじゃあ……と、ごめんなさい。
ここで時間取らせてたら本末転倒よね。
私の言いたいことははっきりしてるわ。
大河なら絶対できる! 自分を信じなさい!」
「……おう!」
バイクに跨るたまちんの手を取り、後ろに乗る。
当然だが高いな、まだ子供の背丈だから地面に足が届かない。
落ちないようにしっかり捕まっておこう。
「そのスカジャン、似合ってんな」
「そうか?」
「ああ、今まで着ていたどの服装よりも、お前らしい」
「……へへへ」
「そんじゃ出発だ。
今ならまだ始発に間に合う、親やセンコーに捕まる前に広島を出るぞ」
そうして俺はたまちんのバイクに乗って駅へと向かった。
たまちんは俺にヘルメットを譲ってくれたが、ヘルメットは一つしかないのでたまちんの頭は丸出し。
交通法なんて当然の如くガン無視だ。
まあ、今更だろう、ルールの一つや二つ、破ったところで。
まだ日の上らない暗い早朝、誰もいない住宅街をバイクが切り裂いてゆく。
夜風が気持ちいい。
人のいない街並みは異界にでも入り込んだようでワクワクした。
思い出すのは高校生時代、あの頃は深夜徘徊が趣味だった。
色々と悩むことがあって、人の視線を感じることが苦痛だった。
そんな中、誰もいない深夜の街並みは居心地が良くて、孤独に癒しを求めていた。
大人になってバイトを始めてからは、慣れたのか、それとも感受性が衰えたのか、深夜に出歩いてもかつてほどの感情は抱けなくなってしまったけど。
だけどこうして若い身体に戻ると、感性まで若返ったのか、とても新鮮に感じられた。
親や社会、大人たちの決めたルールに逆らい、自由に振舞うことに、妙な清々しさを感じていたのもあるかもしれない。
「なあたまちん、叫んでもいい?」
「ん? おう! かましてやれ!」
「うおおおおお!! 地元最強!!! ぶんぶんぶーん!!!」
「だっはっはっはっはっは! 地元最強!!! ぶんぶーん!!!」
確実にIQが溶けていた。
まだ人々が寝静まる時間帯であるにもかかわらず、俺は周囲のことなど一切気にせず大声で叫び、たまちんにいたってはバイクのエンジンまでもかき鳴らす。
ああ……すっかり忘れていた。
自由ってのは、こんなにも心地良いものだったんだな。
「ええと、こっちの駅か……?」
「分かんねぇー」
広島駅に到達した俺たちは、バイクを駅の駐車場に停めた後、駅の中を彷徨いながら、東京へ向かう新幹線口を探した。
俺は未来含めて広島駅を利用した回数はほどんどなく、たまちんもまた中学の卒業前旅行に利用したぐらいで、広島駅の使い方はてんで分からず困惑した。
数十分かけてようやく目的の駅を発見し、やってきた新幹線に乗車する。
現在の時刻は6時丁度、これから4時間後の10時に東京へ到着する予定だ。
運賃は一人1万5千円ほど、二人合わせてだいたい3万円。
学生割引が二割ほど利いたが、小学生の俺にとっては途方もない金額だった。
皆から遠征費を貰っていなければ、東京に行けるようになるまで、いったいどれほど月日がかかっていたことやら。
美味しそうな駅弁を食べる乗客を横目で眺めつつ、たまちんの持ってきてくれたコンビニのおむすびで軽く朝食を済ませて到着を待つ。
「……たまちん、ごめん、眠くなってきた」
「寝とけ、東京に着いたら俺が起こしてやる」
それから4時間後、俺は生まれて初めて東京へ降り立った。
==
東京駅はやはり凄かった。
テレビやネットで噂には聞いていたが、ここまで複雑な構造の建物は今まで利用したことがなく、電車を乗り換えるべく駅のホームを探すだけでも数十分かかった。
アギトと闘う前に無駄に疲れてちまったぜ……。
それでもどうにか秋葉原駅に辿り着き、やっとのことで地上に出れた。
秋葉原に来て最初に抱いた感想は、アニメやゲームの中で見た景色と同じものだという感動。
聞くところによると令和になる頃には、秋葉原のメイド喫茶はキャバクラ商法に乗っ取られて高額化し、それ以外のアングラ文化もまた観光地化によって奥へと追いやられ、かつてのヲタク文化は見る影もなく衰退してしまったらしい。
大人になれば一度は秋葉原に足を運んでみたいと思っていた身としては残念に思っていたが、こうして奇跡的にも全盛期の秋葉原にやってこれたと思うと、一介のヲタクとして期待に胸を膨らませざるをえない。
とはいえ残念ながら、今回の俺の目的はアギトへのリベンジだ。
時間とお金を無駄にするわけいはいかないので、泣く泣く秋葉原観光はまた別の機会に託すことにした。
誘惑を振り切り向かったのは、日本でも、いいや世界でも有数の強者が集うとされる秋葉原のゲームセンター。
雑誌にも取り上げられており、あのハラダすらも通っていたという場所だ。
ここならきっとアギトも通っているだろう。
今日いなかったとしても、目撃情報の一つぐらいは得られる筈だ。
そう考え、俺達はさっそく店の前から出てきた客の一人に話を伺ってみた。
「アギト……? ああ、よく勘違いされるけどあの人東京住みじゃないよ」
「え……!? じゃ、じゃあどこに」
「確か神奈川だった筈」
神奈川だと……?
あいつ……東京県民面してたくせに神奈川在住かよ。
神奈川っていうと確か東京の隣にある県だよな。
となるとまた電車に乗らないといけないのか……。
俺達は仕方なく秋葉原駅に戻り、神奈川へと向かう電車に乗った。
東京秋葉原と神奈川県は、1時間もあれば到着できる距離にあり、代金もまた一人数百円とそれほどかかりはしなかった。
とはいえ二回も乗り換えをせなねばならず、またしても駅の中で迷ってしまい、結構な時間を無駄にしてしまう。
神奈川駅に辿り着いたのは昼過ぎだった。
近くのコンビニでおにぎりを買って空腹を満たした後、すぐさま聞き込みを続ける。
元々東京にアギトがいると想定し、ネットから東京の地図を印刷して東京各地のゲームセンターに印を書いて準備していたが、神奈川の情報は一切手元に存在していなかった。
まだ令和のようにオンラインマップアプリが利用できないことも足を引っ張り、調査は難航してしまう。
それでも道行く人々に話を聞き、やっとの思いで辿り着いたのは、大型のアミューズメントパーク。
店の看板には、例の全国大会映像に紹介文として記されていたアギトの代表店舗と同じ名前が記されていた。
この店こそアギトが拠点にしているゲームセンターで間違いないだろう。
日は落ちてすっかり夕方、今度こそアギトに会える──
「あー、アギトさんが拠点にしてる店はここじゃないね」
「どこだっけ、今は移転してるからええっと」
また違うのかよ……!
盥回しにされて、すっかり夜間。
何度も何度も道を間違え、店を間違え、神奈川を彷徨い続けた。
それでも根気よく探し続け、ようやく一つのゲームセンターに辿り着く。
「……ここか」
「ああ、その筈だ」
……よかった、まだ明かりはついている。
聞いていた情報と店の外観は一致している。
間違いない、こここそがアギトが拠点にしているゲームセンターだ。
歩き疲れて棒のようになった足を動かし、店の中に入る。
──圧倒された。
この時代に、こんなゲームセンターが存在したのか……。
「……活気が違いすぎる」
そうぽつりと呟いたのはたまちん。
思わず、口をついて出たとでも言うように。
それも仕方がないだろう。
大会が開かれているわけでもない。
社会人なら仕事を終えている時間帯とはいえ、それでも平日の水曜日。
加えて言うなら現在2007年は格ゲー暗黒期真っ只中だ。
にもかかわらず設置されている筐体の殆どが格闘ゲームで、数も種類も豊富にあるというのに、そのほぼ全てが埋まっていた。
画面の内容も異様だ。
どの席を覗き込んでも一流の実力者同士が凄まじい激戦を繰り広げいる。
人口、実力、熱量、全てが俺達の地元とは段違いだった。
こんなゲームセンターが地元にあれば、アギトのようなトッププレイヤーが生まれるのも当然だと思えてしまった。
周囲を見渡すがアギトは……いないか。
「おや! 珍しい組み合わせのお客様ですね!
大変申し訳ありませんが、現在殆どの席が埋まっていまして……!
幾つかの席は順番待ちとなりますが、本日はどちらのアーケードにご用件が?」
出迎えてくれたのは、箒と塵取りとを両手に掃除をしていた、ふくよかっで愛想のいい笑みを浮かべる黒人男性の店員。
……見た目は丸っきり外国人なのに、えらく流暢な日本語だな。
「あ、あー、ええっとだな」
「待ってくれたまちん……俺が言う」
店員の言葉に返答しようとするたまちんを手で制し、一度深呼吸をして呼吸を整える。
……まだ終電まで時間はある。
ビビんな……俺は全国大会優勝者に挑みに来たんだ。
このぐらい啖呵を切れねえとお話にもならねえ。
「──自分が強いと勘違いしている奴らを、全員跪かせに来た」
「……それはそれは、お客様が普段遊んでいらっしゃるタイトルは?」
「タイガードラゴン」
「さようでございますか。
現在タイガードラゴンには二席ほど空きがありますが、残念ながら手が空いているお客様は他にいらっしゃらないようで。
僭越ではありますが、代わりにわたしが対戦相手を務めさせていただきましょう」
店員の誘導に従い、向かったのは店の奥にあるタイガードラゴンの筐体。
二つあるうち片方の席に俺が座り、もう片方の席に店員が座る。
「──舐めんじゃねえよクソガキ、身の程を弁えさせてやる。
宣言するぜ、てめえじゃあ俺からは1ラウンドも取れねえってな!」
席に着くと同時に態度を豹変させ、啖呵を切り返した店員。
相手はたかがゲーセンの店員。
そして俺がこれから挑むのは全国王者。
これは試運転だ、有象無象を乗り越えて、アギトに挑めるかどうかの。
この程度の試練は当たり前に乗り越えなければならない。
アギトの情報を聞き出すのは、こいつらを倒した後でいい。
選出画面はタイガーVSカンガルー。
俺がタイガーで、対戦相手がカンガルーだ。
そして始まった戦い。
勝負の行く末は──
──完膚なきまでの敗北だった。
==
「弱すぎなんだけどマジ!
誰こいつを強いって言った奴は!
誰だよこいつを強いって言った奴は出てこいよ!
ぶっころしてやるよ俺が!
よーえーなまじ強い強いとか言ってまじで!
逃げてるだけじゃねえか!
そういうゲームじゃねえからこれ!」
勝負の形式は三先……惨敗だった。
1セットどころか1ラウンドすら取れず、ストレート負け。
今いる場所は格ゲーの本場、東京ではなく隣にある神奈川県。
しかも対戦相手はアギトですらない単なるゲームセンターの店員だというのに。
ここまで、ここまで地域差は存在するのか……。
ぐにゃりと、視界が歪む。
これが俺一人の闘いならまだ許容できた。
だけど、俺は地元にいる皆のプライドを背負ってここにいる。
たまちんには付き添いまでさせてしまった。
期待に応えると、約束したのに。
悔しくて、恥ずかしくて、穴があったら埋まりたい気分だった。
今すぐこの場から逃げ出したい気分だった。
だけど、もう歩き疲れて立ち上がる気力もない。
このまま泥のように眠ってしまいたい。
「まあ、予想通りの結果っちゃあ結果だけど……小学生にしては結構いい線いってたと思うぜ。
ジョーも最後のラウンドはびびって落としかけてたし」
「びびってないびびってない!」
「あんま落ち込むなよ。
うちのゲーセンの店員には大会上位入賞者も多くてな。
ここにいるジョーも、巷じゃあカンガルー全一なんて言われているし」
観客から教わった驚愕の事実。
カンガルー全一。
それすなわち全プレイヤーの中でカンガルーの一番の使い手ということ。
そんな強者と戦っていたのか……。
相手が全一プレイヤーなら、負けてしまうのも仕方がない──とはならない。
全一プレイヤーは格ゲーに出てくるキャラクターの数だけいるが、俺がこれから挑もうと考えていたアギトは2005年の全国大会優勝者だ。
全てのタイドラプレイヤーを押しのけ、二席しかない王座に君臨した最強の一人。
そんなアギトを倒すためには、俺もまた全一プレイヤーを倒せる実力がなければならかった筈だ。
にもかかわらず、前哨戦と見なしていたジョーに負けてしまった。
しかも1ラウンドすら奪えないまま。
俺はアギトから2セット奪えはしたので、もしかすれば通用するのではないかと期待していた。
だがそれは全くの思い違いだった。
あの2セットはやはり、アギトが様子見をしていたから勝ち取れたものなのだろう。
おそらく本気を出したアギトはジョーよりも強い。
これではアギトにリベンジを挑んだところで1ラウンドすら取れるわけもない。
遠い、あまりにも遠い。
俺はいったい、どれだけ努力すれば、アギトの背中に追いつける……?
「なあ君、どうしてこの店に来たんだい?
それだけの腕前があるなら、ゲーセンに通ってないってことはないだろうし。
だけど周辺のゲーセンで君の姿を見た覚えはない。
多分だけど二人とも、この街の住民じゃあないだろう?」
「アギトにリベンジするために……広島から」
「アギト!?」
ぽつりぽつりと言葉にする。
俺達がどうして神奈川のこの街にやってきたのかを。
「俺、広島に住んでてさ……。
本通りって場所にあるゲーセンを拠点にしてたんだけど、ある日突然アギトって奴がやってきて、こう言ったんだ、この店で一番強いゲーマーと戦いたいって。
一応俺、地元のゲーセンだと一番強かったから、勝負を受けてみたんだけど、手も足も出せずに負けちまって……。
しかも『やっぱり地方にゃ俺の敵はいなかったみてえだな』なんて捨て台詞も吐かれちまって。
だから地元の面子を取り戻すために、皆からお金を借りて、学校を休んで、たまちんと一緒にアギトにリベンジするためにここに来たんだけど……」
「……あー、確かにアギトならやりそー」
「あの珍獣、またやらかしやがったのか、今度会ったら説教してやる」
「何が悪いんだよ、悪いのは勝てなかったこいつらだろ」
「無暗に敵を作るなって話だよ──」
議論が巻き起こる。
広島でも神奈川でも、格ゲーマーが話す内容は大して変わらないんだな。
その実力には大きな開きがあるけれど。
なんにせよ、俺がアギトと闘うに足る実力がないことは証明されてしまった。
ここにアギトはいない。
ならば俺にはもうできることは何もない、帰るしか──
「──おもしれえ!」
……え?
見上げると、ジョーという名前の店員が立ち上がっていた。
そして彼の表情は満面の笑みで彩られている。
「態々広島から神奈川まで!?
アギトにリベンジするために!?
しかも小学生が地元の面子を背負って、こんな平日に!?
あーたまんねーなおい!」
「お、おう」
「アギトと戦いたいんだって?
いいぜ分かった! 俺が呼び出してやるからちょっと待ってろ!」
アギトを呼び出す!?
今の俺にあいつと戦える自信は……いいや。
目の前にチャンスがあるんだ。
一戦も交えず逃げ帰るわけにはいかない。
負けるとしても全力で挑んで、せめて1ラウンドは奪ってやる。
それがどれほど困難なのかは、ここに来てから痛いほどに理解できたけど、それでも。
「……ん? 繋がんねえなあ。
じゃあこっちは……あ、どうもどうも、お久しぶりです。
今、ご自宅にいます? ……あ、いない?
そうですか、夜分遅くにすいません、ありがとうございました」
……あれ、雲行きが怪しいぞ。
電話を切ったジョーは、眉を八の字にして申し訳なさそうな表情を浮かべた。
ってことは……。
「あー、すまねえ。
携帯に連絡したが繋がらなくて。
あいつの実家にもかけてみたが、まだ旅行から帰ってきてはいないらしい。
だ、だが安心しろ! あいつもここで働いていてな。
さっきシフトを確認したんだが、明日の昼間には出勤してくる予定でな」
「明日……」
無理だ、宿に泊まる金がねえ。
どうにか安宿を見つけて泊まれたとしても、それじゃあ帰りの新幹線に乗れなくなっちまう。
そうなりゃ明日から神奈川でホームレスだ。
……ホームレス。
「……たまちん、野宿ってどう思う?」
「え、野宿? ……もう10月だぞ。
俺はともかくとしても、小学生のお前に耐えられるとは思えねえんだが」
「……だよな」
……ほっとしてんじゃねえよ馬鹿野郎。
ちくしょう、ちくしょう、なんでこうなんだ。
せっかく皆に背中を押してもらったのに。
勇気を出して神奈川まで来たってのに……!
「二人ともうちに泊まれ」
「!」
「安心しろ、金は取らねえし、暖房完備で、ゲームも置いてある。
そのうえ、この俺っつう最高のスパーリングトレーナーまでついてくるんだ。
タイドラプレイヤーにとって、これ以上サービスの良い宿は他にないぜ?」
……ジョーがスパーリングトレーナーに。
なら……できるのか?
可能性はあると、そう信じたい。
こんな俺でも、アギトに一矢報いる力が手に入るのだと。
「「あ、ありがとうございます……!」」
ほんの僅かにだが光明が見えてきた。
自分の才能を信じろ、やれるだけのことをやりきるんだ。
==
アパートに泊まらてもらった後、俺はジョーから指導を受けた。
「そこはそうじゃなくてこう! こうやんの!
あーもう! 手癖が抜けねえなぁおい!」
「い、今やってるから! ちょっと待ってろ!」
連敗に続く連敗。
指導は容赦なく的確で、耳に痛い内容ばかり。
俺が地元で築き上げたプライドは、アギトに木っ端みじんに打ち砕かれてしまったが、今度はジョーによって念入りに摺り潰されていく。
「リスクが少ないからって同じ手に頼りすぎ!
さっきからそこ突かれてばっかりじゃねえか!」
「んなこと言われても、こうも試合展開が速いと操作が追い付かねえよ!」
「甘えんな! 同じセリフをアギトとの勝負で言うつもりか!?」
「……言わない!」
だけど、この充実感は決して地元では得られなかっただろう。
皆には悪いが、やはり対戦ゲームは同格以上の相手と戦ってこそ上達できる。
ジョーの的確で容赦のない指導が、肌に合っていたのもあるだろう。
未だかつてないほど成長しているのを実感していた。
こんな伸びしろが隠れていたのかと、自分でも驚いてしまうぐらいに。
「何回同じ手に引っかかってんだよ! お前本当に癖読みできねえなぁ!」
「ぐぬぬぬぬぬ……!」
特訓は日が昇る朝6時まで続いた。
子供に戻ってから夜更かしの経験はなかったので体がついてくるか心配だったが、昼前に新幹線で寝ていたお陰もあってか、妙に目が冴えており集中力が続いた。
1セットも取れなかったものの最後の方はラウンドを取れるようになったし、やれるだけのことはやりきったと思う。
しっかりと仮眠を取って、それから目が覚めたのは昼の12時。
昼飯にカップラーメンを食べた後、俺は再び足を運んだ。
アギトの待ち構えるゲームセンターに。