貞操逆転世界で占い師(軍師)を務めていたら、貴族令嬢方に包囲され逃げられなくなった件について   作:ですわお嬢様

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第32話 イスペル山脈の攻防

 

 丘陵に展開するイスペリア軍を見上げながら、ファイカは自信ありげな参謀から献策を受けていた。

 

「ファイカ様、山岳人共にこれ以上の後退を許せば、我々は追撃のしようがなくなります。補給線の問題があり、略奪で賄える量も高が知れているからです」

 

「分かってるさ、だからここで決着をつけるつもりだよ」

 

「ご賢察、痛み入ります。幸い、山岳人共は我が軍の半数程度。ここは一挙に強襲し、敵軍の崩壊を誘いましょう」

 

「阿呆、無茶言うんじゃないよ。この丘陵を必死に登り切ったところで、足腰に疲弊を強いられ、足が鈍る。そこへ坂落としを喰らえば、逆に崩壊するのはこっちの方さね」

 

 だが、賢しらぶって献策してくる割に、根本的にイスペリア軍を舐め腐っている参謀の言に辟易しつつ、提案を却下するファイカ。

 

 勝ち慣れすぎた弊害で、イスペリア軍を低く見積もる悪癖がクルアン教軍には広がっていた。

 

 尤も、ファイカの言い草に、参謀は些か自尊心を傷つけられた顔を隠しもしない。そして、自らの考えるという職務を放棄し、逆にファイカへと問い糺した。

 

「なれば、このまま黙って包囲し、敵の自壊を待つと? そのような事をすれば、我々の食糧の方が先に無くなります!」

 

「五月蝿い奴だねぇ、誰がそんな悠長なことするって言ったさ」

 

「なれば、如何に?」

 

 問い掛けに、ファイカはぐるりを辺りを見渡してから、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

 イスペリア軍が布陣していない無人の丘陵周辺に、草木が生い茂っているのを確認してだ。

 

「──風の方向を読んで、火を付けるよ」

 

 

 

「これは……」

 

 丘陵地帯の頂上から、メンドースはクルアン教軍が複数の部隊に分かれたのを確認した。

 

 正面突撃ではなく、各個に進軍する時間差攻撃の画策を目論んでいるのかと推察したメンドースに対して、クルアン教軍が取った行動は予想の範囲外のものであった。

 

 それは──イスペリア軍が居ない、別の丘陵への放火。

 

 一見、それは無意味な行為だった。

 イスペリア軍まで、その火は届きようがない。

 

 第一、メンドースが布陣する丘陵には、あらかじめ火攻めを警戒して、あらかたの木々は伐採してある。

 

 火を使った攻めは、その時点で対策済み──その筈であった。

 

「しょ、将軍、メンドース将軍! 風で煙が流れてきて、辺りが全く見えません!!」

 

 だが、ここはファイカの荒っぽいやり方が、メンドースの秩序だったやり方の上をいった。

 

 火は直接的で無くとも、間接的にも利用できる。

 この様に──視界を奪い去る様なことも。

 

「……これでは、敵が捕捉できないっ」

 

 イスペリア軍が布陣する丘陵頂上付近は、濃霧に包まれたかの様な様相を呈していた。

 

 更には、煙により咽せる兵が続出している。

 敵が見えないことも相まって、イスペリア軍全体に急速に動揺が広まりつつあった。

 

「燻し出すつもりか、或いは仕掛けてくる気でしょうか……」

 

 メンドースは、判断を迫られていた。

 ここで防御を固めるか、それとも見えない敵相手に打って出るか。

 

 敵が何処にいて、どうする気なのかを読み取る必要がある。いや、読み取れなくても、早めに決断する必要があった。

 

 何故ならば……。

 

「うっ、ぐわ!?」

 

「ど、どうしたの!?」

 

「敵からの攻撃だ、味方がやられているぞーっ!」

 

 イスペリア軍の混乱に拍車をかけるために、イスペリア軍がいる頂上付近へと、四方から弓を射掛けるようファイカが命じたから。

 

 その射の精度自体、大したものはなかった。

 

 イスペリア軍は頂上にいると分かっていても、クルアン教軍側も相手が見えてない。なので、当て推量で弓引かねばならない上に、頂上まで届いた矢は数十本のみ。

 

 多少の負傷者が出たくらいで、死者までは出ていない。イスペリア軍各員の肝が太ければ、失笑したであろう程度の傷でしかなかった。

 

 ……だが、イスペリア兵は弱兵と謗られる兵質をしている。

 

 極度の不安と緊張状態にあったイスペリア軍に対して、そのくすぐる程度のちょっかいが、瞬く間に混乱へと拍車を掛け始めたのだ。

 

「敵は何処、何処なの!?」

 

「背中を攻撃された!?」

 

「切り込まれたのか!」

 

 パニックを起こした一部の部隊が、同士討ちまで始める。

 混乱は、極点まで達しようとしていた。

 

 このままでは、戦わずしてイスペリア軍は自壊しかねない。

 

 そう判断したメンドースは、煙で誰にも見られない中で唇を噛み、普段の彼女からは想像できない大声を出して事態の収拾を図った。

 

「イスペリアが将、メンドースです! 敵の狙いは我が軍を混乱させ、その隙に本命の攻撃を仕掛けること。その策を破るため、我が方から攻撃を仕掛けます」

 

 ここで留まることに、兵達は耐えられない。

 自軍の醜態に歯噛みしながらも、メンドースは混乱を振り切るための攻撃を仕掛けざるを得なかった。

 

「総員、叫びながら突貫します。我に続け!!」

 

 メンドースは自ら剣を抜くと、先陣を切って駆け出した。ブチギレながら出した、叫びと共に。

 

 その声の方向へと、イスペリア軍は引き摺られるようにして続いた。煙で何も見えない中でも、逸れまいと必死さを滲ませながら。

 

 

 

 メンドースが駆けた先は、クルアン教軍本隊が布陣していた場所で、その方角からも多数の弓矢が飛んできていた。

 

 故に、敵の本隊がそこにあると断定し(他に当てがなかったとも言う)、剣を抜きながら勢いのままに駆け下っていったのだ。

 

 そして事実として、そこにはファイカ率いるクルアン教軍の本隊が座していた。

 

 ──V字型に陣形を整えながら、万全状態で統制された20000の軍勢が。

 

「異教徒の軍勢です、粉砕なさい!!」

 

 但し、秩序だったクルアン教軍とは別に、イスペリア軍は凶猛な勢いに身を任せていた。

 

 高所からの駆け降りも合わさって、イスペリア軍は僅かな抵抗を感じながらも、いとも簡単にクルアン教軍本隊の突破に成功した。

 

 ──全て、ファイカの計算通りに。

 

 

 V字型陣形の中央部には、唯一ファイカの元に残った本国兵で構成された精鋭部隊5000を配置していた。

 

 その部隊に、接敵したら抵抗せずに大人しく分断されろと、あらかじめ指示を出していた。

 

 煙幕で辺りが見えない中の無茶振りだが……10年も戦い続けてきた精鋭部隊は、統制された動きで所定の行動を取ってみせた。

 

 なので、イスペリア軍の決死の突撃も、大した損害もなしにいなせてしまったのだ。

 

「奴ら、自分から下に降った。なら、今度はこちらが高所から攻撃する番さね。煩く叫んでいる方向に突撃しな!」

 

 ならば、次は自分たちの番だ。

 

 別方面で網を張ってた部隊に伝令を出しつつ、今度はクルアン教軍が敵への突撃を開始した。

 

 イスペリア軍が行いたかった逆落としを逆用し、ファイカは完全に体勢を入れ替えることに成功したのだ。

 

 

 

 煙が晴れた平地に出た瞬間、イスペリア兵達は青い顔をした。

 

 凄まじい勢いで、異教徒の軍勢が突撃を敢行しているのを確認したから。敵と立場が入れ替わってしまったことを、完全に理解したのだ。

 

「しょ、将軍、反転を……」

 

「ここで足を止めては、敵の勢いと数に呑まれて壊滅します。……このまま、逃げ続けるしかありません!」

 

「逃げるって、何処までですか!?」

 

 このまま逃げ続けても、足はいつか止まる。

 

 敵もそうであろうが、狩る側から狩られる側への精神的転落は、著しく士気に関わってくる。

 

 両軍共に疲弊し切っていても、敵のやる気が自軍を凌駕して、殲滅されることは想像に難くない。

 

 だから、どうしようもないじゃないかと言わんばかりの配下の悲痛な叫びに、メンドースはブチギレながら叫び返した。

 

「ドエロ川以外、何処に何があると言うおつもりですか!!」

 

 

 

 イスペリア軍は、ドエロ川の川沿いを必死に逃走する。そして、川沿いにある林へと、容赦なく押し入った。

 

 少しでも遮蔽物のある場所に隠れて、やり過ごすために。

 

 火計については、風の向き的にイスペリア軍に牙を向くことはまだないだろう。

 故に、クルアン教軍はようやくその足を止めた。

 

 木々などの遮蔽物で混沌とした林の中に押し入る愚を避け、風向きが変わり次第火を付けるために。

 

 そして一息つけたとはいえ、自ら袋の鼠と化したイスペリア軍。

 

 ボロボロで疲弊したまま、彼女らは自身の行く先を予測し、その表情に暗い影を落とさずにはいられなかった。

 

 このまま、林を包囲されて殲滅する未来しか見えなくて。

 

「将軍、私たちは……」

 

 メンドースの近くの者は、不安気に彼女へと話しかけた。

 

 一連の戦闘で同士討ちや落伍者が発生し、少なくない損害を出した。

 それ故に、既に決戦には敗れた気分で。

 

 そんな彼女達に、ようやく切れ痔の様にブチギレていた血管の再建に成功したメンドースは、いつもの変わらぬ微笑みを浮かべながら答えた。

 

「大丈夫です、我々は未だ負けたわけではありません。それに、助かる術はあるのですよ」

 

「……と、仰いますと?」

 

「それは──」

 

 メンドースが何かを口にしようとした時、己の視界──ドエロ川を降る船団が見えた。

 

 それを見た瞬間、メンドースはいつものコピペ笑顔を捨て、本来の笑みを浮かべながら叫んだ。

 

「あちらの後詰め──バルゴ伯の船団が、私達の方舟だからです!」

 

 

 

 イスペリア軍に、遊兵を作る余裕などなかった。

 そんな中でも、唯一控えていることを許されたのが、イメルダ・バルゴ伯とその領兵達であった。

 

 宰相オクタヴィアとの開城交渉の結果、北西部方面の補給線の多くを負担する代わりに、兵役の免除を許されたのだ。

 

 バルゴ伯はその任を、大過なくこなしていた。

 エーラ川の戦いでも、それ以後の北西部で活動するイスペリア軍に対しての補給も。

 

 だから、今回も留守番する気が満々だったバルゴ伯であったのだが……。

 

 事情が変わったのは、メンドースが決戦に挑む前に、面会を申し出てからのことであった。

 

 

 

「我らに戦場に出ろと、そうおっしゃるか?」

 

「いいえ、そうではありません」

 

 あまりに胡乱な笑みを浮かべているメンドースを前に、七面倒くささを感じながらバルゴ伯は取引を持ちかけられていたのだ。

 

 彼女は、こんな提案をバルゴ伯に行った。

 

「ただ、決戦に際してイスペル山脈の頂上、ドエロ川の水源地点で私達イスペリア軍の戦いを見守っていて欲しいのです」

 

 一聞しても、意味のない提案である。

 決戦に参加しないなら、終わった後に結果だけ聞けば良い。

 

 なのに、わざわざ来いというのは、事実上の参戦要請であるとバルゴ伯は受け取った。

 

「……言われた通り、大規模な船団は用意した。それだけでは不足だったであろうか?」

 

「いいえ、バルゴ伯は本当に良くやってくれております。ですので……」

 

 自らの仕事の成果を盾に、戦場を逃れようとするバルゴ伯へと、メンドースは変わらぬ笑顔で告げた。

 

「功労者であるバルゴ伯に、是非我らが勇姿を観戦していただきたいのです。──イスペリア王国の一員として、これからも喜びを分かち合うためにも」

 

 その言いようは、口調のまろやかさと異なって、分かりやすいほどに毒が含まれていた。

 

 親の裏切り、その禊を済ませろと婉曲表現で言っていたのだから。

 

「…………っ」

 

 バルゴ伯の表情が歪む、それは自尊心や誇りに対しての侮蔑も含まれていたから。

 

 宰相オクタヴィアのパワー系カス言動と違う、本物の陰湿さを孕んだ言葉の数々。

 

 それでいて、"いつまでも甘えるな、国難なんだぞ"という叱咤が、バルゴ伯の罪悪感を刺激したのだ。

 

「それに──本当に見ているだけで良いのです」

 

「は?」

 

 最後に、トドメと言わんばかりにバルゴ伯に視線を合わせて、メンドースは囁いた。

 

「山の頂上から、イスペリアの趨勢を眺める。私はあなたに、歴史の生き証人になって頂きたいだけです。ただ……」

 

 ただ、と口にした後、そっとバルゴ伯の耳元に唇を近づけて。

 この場で唯一、忌憚なく本心を口にした。

 

「もし、我々が負けそうになった時、手を差し伸べて貰えるのならば……私も、兵達も、その恩は生涯忘れないことでしょう。くだらないわだかまりなんて、川へと投げ捨てて」

 

 もしもの時の予備兵力になれ。

 負けそうな時に助けてくれれば、裏切り者から英雄に成り上がれる。

 

 そう諭されて……バルゴ伯はイスペル山脈、その中にあるドエロ川の水源で待機していたのだ。

 

 もしもの時、とメンドースは言っていたが、バルゴ伯はそれがもしも、なんて形容する程度のものでは無いと思っていた。

 

 勇将として讃えられたこともあった母が、クルアン教軍との戦いを語る時に、無念と恐怖を顔に滲ませていたことを明確に覚えているから。

 

 幾ら名将メンドースと言えども、快勝とは行くまい。むしろ、負ける可能性だって、十分にあり得る。

 

 そう考え、バルゴ伯は十二分に準備を整えていた。いつでも動ける様にしながら、偵察を入念に行って。

 

 ──そうして、引く勢いで敗走していくイスペリア軍を確認して、バルゴ伯は慌ててバルゴ領民兵が中心となった船団を出立させたのだ。

 

 唯一、即座に救援に迎えるドエロ川を降る方法で。

 

 

 

 斯くして、バルゴ伯は来援した。

 心の底から、メンドースはホッとできた。

 

 正直、五分五分の賭けであったから。

 バルゴ伯が意地を張って来ない可能性だって、十分にあり得た。

 

 ……まあ、だからと言ってクルアン教側に寝返ることも出来ないが。

 

 二重の裏切りを重ねれば、どこの陣営でも処置なしとして、処す他に遇し方が存在しないだろう。

 

 そういった意味で、バルゴ伯はイスペリア軍を救援する他になかったとも言える。

 

「よく来てくださいましたね、バルゴ伯! 心の底から、満腔の謝意で溢れております」

 

「世辞は良いから、早く対岸へ!」

 

 林の川沿いに乗り付けてきたバルゴ伯に、メンドースはその手をよく握って感謝を伝えた。

 

 尤も、敵に囲まれつつある林の中に飛び込んだバルゴ伯は、感謝よりも迅速な行動の方を欲していたが。

 

「あれは?」

 

「船をネックレス状に繋げて、臨時の橋を幾つか作った。敵の攻撃が集中する前に、早く渡り切った方が良い」

 

「なるほど、流石の手並みです」

 

 迅速に、対岸への離脱準備を整えるバルゴ伯に感心しながら、メンドースは号令を掛けた。

 

「各隊、バルゴ伯が準備した舟橋を用いて渡河します。秩序を持って、殺到せずに渡ってください。あと、それから──」

 

 ただ、この舟橋は迅速に渡河出来る反面、敵の集中砲火を浴びる欠点もある。

 

 だから、敵の意識を逸らすために、メンドースは一工夫加えることにした。

 

「──林へ火を放ってください」

 

 目には目を、歯には歯を──火には火を。

 

 風向きは敵側に吹いている、やり返すなら今しかないと思っての火計であった。

 

 

 

「ファイカ様、奴ら自ら火を!?」

 

「風向きがこっちに吹いて……クソ、近付けんっ」

 

「矢だ、矢を放て!」

 

 完全に追い込み、仕掛ける側だと思っていたクルアン教軍は、心理的な油断を増大させていた。

 

 そこへ予期し得ない反撃を受け、クルアン教軍兵士達は些か動揺を禁じ得なかった。

 

 メンドースが文字通りに火を付け、虚を突き混乱を誘ったのだ。

 

「はん、意趣返しって訳かい」

 

 その醜態は、先のイスペリア軍と大差なく、まんまとやり返された形になる。

 

 ファイカはその様に呆れつつも、至って冷静なままであった。

 

「各隊、短弓で手前の敵に矢を馳走してやりな。遠くの敵は狙わなくていい、近くのだけを狙うんだよ。それから直営部隊──水を被りな、仕掛けるよ」

 

 ファイカの言に目を剥いたのは、すぐ隣にいた幕僚であった。

 

「な、何をお考えですかっ。この火の中を、突っ切るおつもりで!?」

 

「それは無茶だねぇ、したら流石に死ぬだろうさ」

 

「では、迂回して林の中に仕掛けると?」

 

「ああ、そうさ。幸いなことに、騎馬隊を割いて2000ばかりの予備を作ってたからね。騎馬で迂回して、敵の背後を襲うのさ」

 

 堂々と語るファイカに、参謀は少し思案して。

 

「延焼に巻き込まれる危険がありますし、そもそも数が少ないのでは?」

 

「風の向きが変わればそうだが、しばらくは変わらないよ。それに森林での戦闘は大部隊なんて使えない、統制が取れないからね。短い手足の方が有利ってもんさ」

 

「……左様で」

 

 ファイカか言うのならば、と渋々引き下がった参謀に苦笑しつつ、ファイカ誰にも聞こえない程度の声でボヤいた。

 

 

「メンドースは意地っ張りだからね、こういう時は最後まで残っている。──殺すなら、今が一番出来そうなタイミングなんだよ」

 

 

 

 イスペリア軍そのものを撃滅するより、メンドースの命を奪うことを選択した。

 

 そのためにも、ファイカは自ら危険地帯に足を踏み入れることを決意したのだ。

 

 死ぬ気なんて微塵もないが、自分とメンドース、将来的には命の釣り合いは十分取れていると判断して。

 

 

 

 舟橋に次々に矢が射掛けられる中でも、イスペリア兵達は怯むことなく対岸への離脱を図っていた。

 

 身を守るカーテンとなっている火が、風向き次第でいつ自分たちに牙を剥くか分かったものではないから。

 

 そんな中でも、秩序を持って退却行に勤しめているのは大したものというべきか。

 

「誰が横入りを許した、愚か者が!」

 

 ……秩序を乱し、われ先にと舟橋を渡ろうとした者を、バルゴ伯が川へと蹴り落としていたからこその秩序なのかもしれなかったが。

 

 ともかく、イスペリア軍は統制が取れていた。

 

 少なくない数のものが舟橋の上で矢を受け絶命し、川へと転落して行ったが、それでも数多くのイスペリア兵達は対岸へと辿り着いていた。

 

 全ては秩序の崩壊を防ぎ、軍としての体裁を守っていたからこそのこと。

 

 後はメンドースの直営部隊が脱出するのみ。

 バルゴ伯は、対岸で統制を取るために既に川向こうにいた。

 

 なので、後は彼女が神に嫌われて矢に当たりさえしなければ、イスペリア軍は当面の危機を脱したと言えるのだが……。

 

 

「──このタイミングしかないね、仕掛けるよ!」

 

「──ファイカ・ビント・ハミダ!?」

 

 

 機を窺い、木々の中で我慢を続けていたファイカは、ついに躍り出た。

 

 ここしかないという時に、自らの手勢と共にメンドースの部隊へと切り込むことに成功したのだ。

 

「クッ、防戦しながら順次、舟橋へと──」

 

「させると思うかい!」

 

 迅雷とも思える踏み込み、鋭すぎる切先。

 アマルに似ているが、より熟練さを感じさせる襲撃戦法。

 

 メンドース自身もファイカに斬りかかられ、咄嗟にその切先を何とかいなせたが、他のイスペリア兵はそうもいかなかった。

 

 ようやく自分達が脱出できる番だと喜びに溢れていたイスペリア兵達にとって、その攻撃はあまりにも絶望的であったから。

 

 天から地へと叩き落とされた気分である……が、それでも剣を取り、泣きそうな顔ながら抵抗した辺りは、メンドースが直営として置いていただけあるか。

 

 尤も、その健気な抵抗は報われることなく、その多くが気迫で勝る敵に切り伏せられることとなったのだが。

 

 そうして、周囲にいたイスペリア兵を排除して、クルアン教兵達はメンドースを取り囲んだ。

 

 己の生殺与奪を敵に握られたことを、メンドースは嫌でも自覚する他になかった。

 

「ここまでだね、メンドース」

 

 一瞬の隙が、全てを決した。

 それに感慨を覚える間もなく、ファイカは一方的に語りかける。

 

「あんたには見るものがあった、だから死んでもらうつもりさ。……けど、ま、一応無駄だと思うが聞いておくよ」

 

 目の前で、自身に単なる困り顔を向けているメンドースのツラの厚さに感心しつつ、ファイカは無意味だと思うが、メンドースが惜しくてこんな提案をした。

 

「──投降する気、ないかい?」

 

 それは、ある種の儀式だった。

 勝者の自己満足、惜しい才を納得と共に葬るための。

 

 それにメンドースは、目を丸くした後に、軽く微笑んで。

 

 

「──生きている者、敵の退路に火を放ちなさい」

 

「チッ、大した命乞いだよ!」

 

 

 ファイカは即座に、その首へと剣を振り下ろす。

 だが、メンドースはたたらを踏みながら、何とかその剣筋を受け流して。

 

「ふふっ、来た道に火、着きましたよ。お帰りにならなくて、よろしいのですか?」

 

 自分が絶体絶命ならば、相手も窮地に陥れる。

 

 明らかな開き直りだが、それができるだけの肝の太さがメンドースをイスペリア軍総司令官為らしめていた。

 

 ファイカ達の通り道にして帰り道、無事だった木々に火がつき、回り始める。

 

 これで条件は互角だと、メンドースは狐みたいな笑みを浮かべた。

 

「ここまで来たんだ、あんたを殺さなきゃ採算が合わないよ」

 

「まあ。でしたら、代価はあなた方の命になりますね」

 

「よく喋る奴だねっ」

 

 クルアン教軍の兵士達が、一斉にメンドースへと斬りかかる。

 

 それを──舞うように兵士達の剣筋を弾きながら、自らの安全地帯を作り出す。

 

 歴戦の剣技、今まで生き残っているのは伊達ではないと、その剣技が証明していた。

 

 それでも、時間があれば疲弊を誘い、メンドースを打ち取れるだろう。

 当の時間は、全然足りていないのだが。

 

「……ま、心中する相手としては、悪くないかね」

 

 故にファイカは、半分ブラフで……半分本気に、そんなことを口にした。戦場に立つ以上、それも習わしだと覚悟を垣間見せて。

 

「…………正気ですか?」

 

 一方のメンドースは、その気配を感じ取ってしまって、顔から笑みが消え失せた。

 

 メンドースは無茶苦茶負けず嫌いではあるが、同じくらい生き汚いから。

 

 故に生き残れたし、負けた分だけ経験が積めた。

 刺し違えようとする考え自体が、彼女に取って想像の慮外にあるロジックであったのだ。

 

 ましてや、相手は自身よりも格上、名将ファイカなのだから。

 

「まだ未熟だが、後任はいる。あんたが成熟する前に殺せるのなら、悪くない取引さね」

 

「……随分と、買い被って頂けているのですね」

 

「それだけ、今回はそれだけの戦略だったと感心したのさ。イスペリアを股に掛けた挟撃態勢の構築、川を縦横無尽に使った援兵策での戦線の構築……実際、大したものさ。適正な値札だよ、釣り銭は要らないからここで死にな」

 

 ここで、ファイカが本気で自分の命を天秤に掛けているのだと理解した。

 

 自分の命までベットして、メンドースが死ぬまで、ここで火遊びチキンレースを開催するつもりなのだと。

 

 "冗談じゃないっ、ふざけるな!"

 

 メンドースの内心はその気持ちでいっぱいになり、目の前で不敵な笑みを浮かべているファイカ相手に、必死に思考を巡らせて。

 

 そうして、メンドースは──。

 

「ふふ、ふふふふふっ」

 

「何だい、何か思いついたのかい?」

 

「──いいえ。ですが、少し滑稽で」

 

 己が内心を殺し切って、生き延びるための演技を始めたのだ。

 別名、命乞いとも言う。

 

「で、あんたは私の何を嗤ってるんだい?」

 

「ファイカ・ビント・ハミダ、あなたは勘違いをしているのです」

 

「へぇ、あたしも耄碌したもんだねぇ」

 

 微塵も信じていない口調で、ファイカは語調を合わせた。それに舌打ちしそうになりながらも、メンドースは言ったのだ。

 

「今回の戦略要綱を考えたのは、私ではありません。他の、もっと別の人物ですよ」

 

 自らの懐から一枚の手紙を取り出しつつ、メンドースは微笑を浮かべた。この手紙に、全てが書いてあるのだと嘯きながら。

 

「不思議に思われませんでしたか? 私は所詮小物です、そんな身の上の人物が、この様な壮大な絵図を描いたのだと、本当で思われたのですか?」

 

「御託を並べるのが下手だねぇ、あんた以外に誰がいるって言うんだい」

 

 その言葉に、待ってましたと言わんばかりに、メンドースはその名を口にした。

 

「──王国宰相、オクタヴィア・カルロス」

 

 メンドースは、容赦なく政敵を売り払った。

 その名を聞いた瞬間、ファイカは鼻で笑っただけであったが。

 

「軍を知らない小娘が、稚児の妄想でこの絵図を描いたって? 嘘つきには向いてないね、あんた」

 

 勿論、ファイカは聞くに値しないと斬り捨てた。

 けれども、メンドースはゆっくり首を振りながら微笑んで。

 

「天才とは、そういうものですから。あなたがここで死ぬのならば、幼い才がイスペリアを羽ばたかせる。未来は安泰と言っても良いでしょう」

 

 意味深な言葉を添えた。宰相が主ではない、後ろにもっと大きな者が控えているのだと。

 

 そして、宰相のさらに上位者と言えば、唯一……。

 

「──あんた、とんだ不忠者だね」

 

「私は宰相閣下の才を論評したまで、言い掛かりですね」

 

 そう、メンドースはイスペリア王国の女王、イザベラがオクタヴィアやメンドースを操縦し、ファイカを圧迫したのだとほざいたのだ。

 

 ここにイザベラが居れば苦笑し、オクタヴィアが居たら、"そいつ、殺していいぞ"とファイカに語り掛けたことだろう。

 

 とにかく、メンドースは死にたくなかった。

 それ故の言葉だったし、その言は嘘まみれでもあった。

 

 だが、嘘の中にも真実はある。

 それも、割と核心の部分で。

 

 この策の全容は、確かにメンドース以外が描いていたのだ。

 

「…………演技が上手いじゃないかい、メンドース」

 

 故に、目の前のメンドースのあまりの情けなさも相まって、ファイカは段々と自信が無くなってきた。

 

 これ、本当に他の奴かもしれない、と。

 これと刺し違えるのは、ファイカとしても些か気が引けてきたのだ。

 

「演技ではありませんよ、ふふふ……」

 

 まあ、それはそれとして、メンドースを殺さない理由にはならない。

 

 立案が別人でも、策を現実的に落とし込み、ギリギリを通し切って実行したメンドース自身も妖物であるのだから。

 

 ここで殺せるのなら、殺しておいた方が良いのは確かである。

 

「……嫌になってくるね、全く」

 

 だが、急速に釣り合わなくなった。

 メンドースの命の価値が、変動し始めた。

 

 一連の流れで、メンドースが成長したわけではないと、嫌々ながらファイカも理解できてしまったのだ。

 

「──退くよ、全速力でね!」

 

 故に、踵を返した。

 図面を引いたのがメンドースでないのだとしたら、まだ死んでやるわけにはいかないから。

 

 

 辺りが燃え盛る中、取り残されたメンドースは深いふかい溜息を吐いた。

 心の底から、安堵した類の溜息であった。

 

「生きているものは、私に続きなさい。脱出します」

 

 こうして、生き汚なさを存分に発露して、メンドースは此度も生き残った。

 

 渡河最中、舟橋の上に降り注ぐ弓の雨に掠りすらもしなかったのは、彼女の守護天使が強力だからというよりは、神様に嫌われているが故に天の国へと招待されていないからかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 そうして、9日目が過ぎ去った。

 両軍共に疲弊が祟って、その日はこれ以上の軍事行動を取ることがなかった為だ。

 

 兵だけでなく、両軍の指揮官も共にそうであった。

 

 翌日、10日目のこと。

 両軍は、再びドエロ川上流付近で対峙していた。

 

 両者、互いに撤退の素振りを見せれば、追撃する姿勢をとっていたのだ。

 

 両軍揃って携帯糧食が尽きつつあるため、ある種の我慢比べだったとも言える。

 

 だが、一連の戦闘を経て、不利が明らかになっているのはイスペリア軍であった。

 

 何故ならば……クルアン教軍の別働隊が、上流で既に渡河を成功させていたから。

 

 そのまま、イスペリア軍を圧迫する様に、ゆっくりと南下していた。

 

 別働隊の数は一万、正面のファイカの主力と合わせれば三万の兵力。

 

 対してイスペリア軍は、バルゴ伯の兵力を糾合しても一万五千程しかなかった。それも、大きく疲弊した兵ばかり。

 

 下手に動こうものなら、クルアン教軍の本隊か別働隊のどちらかが呼応して、挟撃体制をとることだろう。

 

 最早、趨勢は決まりつつある。

 イスペリア陣地では、バルゴ伯が積極的に撤退を主張していた。

 

「メンドース殿、命があれば再戦の機会は必ず訪れる。私が殿軍しても……いや、やっぱりそれはメンドース殿にして頂きたいが、とにかく撤退するべきだ。挟撃される前に、今すぐ!」

 

 その論は正しく、理を持って聞こえた。

 だが、メンドースは微笑んだまま、首を横に振る。

 

「まだです、まだ留まる必要があります」

 

「何故!?」

 

「──私たちが、勝つためにです」

 

 メンドースは勝つため、と口にした。

 追い詰められつつある、この最中で。

 

 それにバルゴ伯は、状況が見えていないのかと罵りたくなった。

 

 だが、メンドースが算段もなく、その様なことを言わないことも承知している。

 

 だから、真意を問い糺そうとしたところで──異変に、気がついた。

 

「ぬ、敵陣が騒がしくなっている、か?」

 

 バルゴ伯は、敵本陣がバタついていることに気がついた。

 

 はや攻撃の準備かとも思ったが、何やら様子が違う。どちらかと言うと、引腰になっている気がして……。

 

「──ようやく、ですか。いえ、予定よりも早く動いてくれたのですね」

 

「……一体何のことだ?」

 

 その様子を確認して、メンドースは活力を漲らせながら立ち上がった。

 喜色を満面に浮かべて、喜びを露わにしながら。

 

「バルゴ伯、敵は混乱しています。疲弊してないあなたの領兵を軸に、敵別働隊へ攻撃を仕掛けてください!」

 

「待て待て待て、一体何が起こっていると言うんだ!」

 

 敵に大きな隙が生じたのを理解しつつも、バルゴ伯は未だに理解が追いついていない様子で、目を白黒させて。

 

 そんな彼女に、メンドースはニンマリとした笑みのまま告げたのだ。

 

 

「この戦い、我々が勝ったと言うことですよ!」

 

 

 

 

 

 他方、10分前のクルアン教軍本隊の陣にて。

 

 慌てふためきながら陣へと駆け込んできたボロボロの伝令に、ファイカはメセラ高原の自軍が敗北したことを察した。

 

 そして今、敵だけでなく自軍も挟撃される可能性がある状態に陥ったのだろうと、そう推察して。

 

 マルドルから増援を送ったのに負けたってことは、アマルの言ってた奴らはあっちにいたか、と正しい洞察もしてみせた。

 

「落ち着きな、怒りゃしないよ。……負けたんだろう?」

 

 その問い掛けに、伝令の少女は泣きそうな目でコクコクと頷いて。

 

「安心しな、こっちのが先に敵主力を殲滅できる。そしたら、次は敵の別働隊さね」

 

 興奮と不安をないまぜにしている年若い伝令に、不敵な笑みを浮かべながら、余裕を装って落ち着きを与えようとした。

 

 敵主力に最精鋭騎士団が居ないのならば、強引に攻め立てても問題ないと計算もしながら。

 

「……あの、でもっ、それどころじゃ、ないんです!」

 

 けれども、その言葉は安心を与えるどころか、余計に伝令の少女を混乱させてしまった様で。

 

 何か妙だと感じながら、ファイカは怪訝な顔で問い掛けた。

 

「報告は明瞭に、正確にしな。……で、それどころじゃないって?」

 

 それに伝令の少女は、息を吸ってから、思いの丈を吐き出すかの様な大声で報告したのだ。

 

 

「敵別働隊、メセラ高原の我が軍を撃破した後、そのまま──マルドルに殺到したんですっ。既に城壁は陥落寸前、至急来援を要請します!!!」

 

「──何、だって?」

 

 

 この時、一連の戦闘で初めて、ファイカの声がヒビ割れた瞬間であった。

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