貞操逆転世界で占い師(軍師)を務めていたら、貴族令嬢方に包囲され逃げられなくなった件について   作:ですわお嬢様

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第37話 女王の幕間

 

 ベラと一緒に、人混みの中を歩く。

 二人でぶらり、あてどもなく。

 

 いつもよりも強く、ベラが要望してきたから。

 一緒にお祭り騒ぎをしようって、上目遣いで。

 

 それを断れる程、俺は強い兄ではなかった。

 

 歩き始めてから気が付いたけど、もしかするとこれは兄妹デートかもしれない。

 

 因みに、デートって名付けたけど、兄妹だから気恥ずかしさは皆無だった。

 

 ……クローデットさんが相手なら、かなりテンパっちゃったんだろうなぁ。

 

 

 

 

「ベラ、離しちゃダメだよ」

 

「承知しているのじゃ、にぃや」

 

 ベラ、イザベラ。イスペリアの王女にして、才気を感じさせる幼き君主。

 

 けど、その内面には、まだまだ甘えたがりな12歳の女の子を抱えていた。

 

 今も俺の手を握りながら、ピトっとくっ付いてきている。

 にぃや、と猫みたいな声を出しながら。

 

 傍目から見たら、仲良しの兄妹に見えるだろう。

 

 ベラの立場を聞いて間もない頃は頭がおかしくなりそうだったけど、困ったことに最近はこの兄妹ごっこにも慣れつつあった。

 

 ベラもサラ同様、可愛い妹なんだって思えて。

 自然と、ポンポンと頭を撫でてしまう。

 

「良き心掛けじゃ、ジルにぃや。そのまま、余の頭がイスペリア一高くなるまで撫で続けるんじゃぞ?」

 

「頭撫でられると、背が伸びるの?」

 

「げにその通り。にぃやから注がれた愛情が、妹を大きくするのじゃ」

 

 絶対嘘な適当を言いながらも、ベラはとても楽しそうだった。

 

 ルンルンとして、浮かれているのが伝わってくる。お祭りの雰囲気、それだけでも良いのだと言わんばかりに。

 

 人混みに揉まれて苦しみながらも、繋いだ手をギュッと握り直して。

 

「折角じゃから何か食べたいのぅ。にぃや、選んでくれたもれ」

 

「はいはい、分かりましたよお姫様」

 

「……うむ、今の余はお姫様なのじゃ!」

 

 じゃれながらくっ付いてくるベラは、まんま甘える家猫だ。チュールとか持ってたら、我慢できずにあげちゃうだろう。

 

「ほら、熱いから気をつけてね?」

 

「ふーふーしてくれても良いんじゃぞ?」

 

「そこまではしません」

 

「ちぇ、ケチなにぃやなのじゃ」

 

 でも、チュールはある筈ないので、代わりに屋台で買った豚の串焼きを渡す。

 

 俺にくっつきながらも器用に串を受け取ると、塩だけで焼かれたそれを、ベラはとても美味しそうに頬張り始めた。

 

「あっつ、熱いのじゃあ〜っ」

 

「急いで食べるからでしょ」

 

「ケチなジルにぃやが、ふーふーしてくれなかったから熱いのじゃ!」

 

「んな無茶な」

 

「にぃやの可愛いお姫様の妹が苦しんでるんじゃぞ!」

 

 んべ、と舌を出して、"ここが熱いのじゃ!"なんて指さしながら主張してくる。

 

 ベラのピンク色の小さな舌が、彼女の髪色同様にほんのりと腫れたみたいに赤くなっていた。

 

 ……ちょっと痛々しい。

 

「お水、買おっか」

 

「急ぎでの!」

 

 おどけてるけど、痛いのは痛いらしい。

 特に反抗することもなく、水を売っている店まで着いてきてくれた。

 

 そして、買った水をゴクゴクと飲み始める。

 勢いよく飲み過ぎていたせいで、少し口元から水が溢してしまっていた。

 

「ベラ、急ぎすぎ」

 

「舌がヒリヒリしてたのじゃ、しょーがないじゃろ?」

 

「お転婆お姫様なんだから」

 

 持ってた布で口元を拭ってあげると、ベラはスリスリと体を擦り付けてきた。

 

「そう言うジルにぃやは、世話焼きお兄ちゃん……いや、世話焼き王子様お兄ちゃんじゃな」

 

「王子様かお兄ちゃんの片方で良くない、語呂的に」

 

「分かってないの、にぃやは。両方必要なのじゃあ〜!」

 

 盛ればいいというものでもない気はする。

 ただ、それを言うとベラが早口で反論してくるので、敢えて口にする愚は犯さなかった。

 

「……そっか!」

 

「そうなのじゃ!」

 

 取り敢えず肯定するとと、ベラは"のじゃ"っと嬉しげに頷く。

 

 ベラにとって、否定されなきゃ肯定されなくても良い案件なのかもしれなかった。

 

 まあ、押し付けがましくないのは良いことだね。

 俺はお兄ちゃんをやらされてるけど、最近はそれも悪くないって気になってるし。

 

 妹なベラは、天真爛漫に俺の手を引く。

 目一杯に今を楽しもうとしているのが伝わってきて、一生懸命な姿に応えてあげたくなった。

 

「……ベラ、肩車してあげよっか?」

 

「にぃや、唐突にどしたのじゃ?」

 

「そっちの方が、周りがよく見えるかなって」

 

 だから、兄妹っぽい様なこと(俺に妹がいたことはないので、それが正しいのかは分からないけど)を提案すると、ベラはパチパチって目を瞬かせてから。

 

「……今は、良い。手、繋いでおるからの」

 

 大切そうに、繋いでいた手を少し持ち上げた。

 ずっと繋いでいたせいで、少し汗ばんでしまっている手を。

 

「手汗、拭こっか?」

 

「無粋なことを言うでない」

 

 俺の汗がベラにつくのが申し訳ないが故の申し出を、ベラはツンと突っぱねて。

 

 

「目一杯はしゃぐのに、お行儀良くしたくないのじゃ。少なくとも今はの……にぃや、ダメかぇ?」

 

 

 次の瞬間には、上目遣いでお願いをしてきた。

 

 愛らしさに満ちている年下仕草、護らなければと思わされる庇護欲、そして"にぃや"と呼びかけてくる少女の声音。

 

 それらを前にして、俺は……。

 

「ダメじゃないよ、お姫様!」

 

 考える暇もなく、快諾してしまっていた。

 

 だって、今のベラは妹なのだ。

 単なるお願いではない、可愛い妹としてのお願い!

 

 内なる兄の俺が、謎のサムズアップをして、行けとゴーサインを出したのだ。

 

 兄とは、妹に逆らえない生き物なのかもしれなかった。

 

 

 

 そうして、俺達はあちこちへ彷徨った。

 人並みに呑まれながら、繋いだ手は離さずに。

 

 ……こうしていると、何だか懐かしい気持ちになる。

 

 

 例えば、前世の夏祭り。

 父さんに手を引かれながら、祭りの渦中を歩いた記憶。

 

 迷子にならないよう、しっかりと繋がれた手に安心感を覚えていた。

 

 今は、俺が手を引いている。

 ベラを、迷子にさせないために。

 

 

 例えば、亡命した時。

 ばぁやに手を引かれて、身も心も凍る山を踏破した記憶。

 

 絶望の中で、あの皺くちゃの手に、唯一の寄る辺を感じていた。

 

 今は、俺がそうなりたい。

 誰かに寄り掛かってもらえる様な、そんな人間に。

 

 ……立派になりたいって、そう思う。

 

 

 例えば、10年前のガリティア王宮。

 母に連れられ、城に来た貴族達に挨拶回りをした後のこと。

 

 城内でつまらない顔をしていた女の子がいたから、遊ぼうと声を掛け、その手を引いた時の記憶。

 

 あの子、今はどうしてるかな。

 無事だと良いけど……。

 

 まあ、いま考えても詮なきことだ。

 どうしたって、分かりっこないんだから。

 

 

「──ぃや、ジルにぃや!」

 

「……ベラ?」

 

「やっと気がつきおったか。このお姫様な妹を前に、急にぼぉっとしおって!」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 どうやら、人波に酔ってぼんやりとしてしまっていたみたいだ。

 

 気が付けば、行政府の近くまで戻ってきていた。人が少ないから、俺の様子を見て、ベラがここまで引っ張って来てくれたみたいだった。

 

「……すまなんだな、少しはしゃぎ過ぎたみたいじゃ」

 

「ううん、こっちこそごめん。水差しちゃったね」

 

「いやいや、無茶させたのは余じゃ」

 

「いやいやいや、ヘタレたのは俺だから」

 

 思うことを口にしてから、顔を見合わせた。

 まだ謝り足りない、そんな気持ちが相互に伝わって。

 

「……これ以上は不毛になるかの」

 

「多分、そうかも……」

 

 だからこそ、永遠に繰り返されそうな気配のあった謝罪劇を打ち切った。

 

 これ以上は、どちらが悪かったか主張し合うことになりそうだから。それも、相手じゃなく自身が悪かったことを証明するために。

 

 ベラの言う通り、そんなの不毛なことこの上ない。

 

「ま、そんなことよりもじゃ」

 

 雲越しにも分かる程度に空の明度が落ち、夜が足音を立てている。

 

 夜が近いと店じまいを始める屋台が現れる中、薄暗くなる世界の中でベラは淡い笑みを浮かべて。

 

「ジルベール、話したいことがあるんじゃ。……いいかの?」

 

 さりげない様子で、大事な話があるのだと切り出した。

 その横顔は、少し大人びたものになっていた。

 

 

 

 

 

「初めて出会ったのって、この部屋だったよね」

 

「そうじゃな。汝が空きっ腹に肉を匂いを漂わせて、隠れていた余を引き摺り出したのじゃ」

 

「ベラが勝手に出て来ただけでしょ」

 

「汚い年上お兄さん系軍師の罠じゃった」

 

「ベラが勝手に釣られただけだよ……」

 

 さっきのベラの表情は、何かの見間違いだったかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、俺達は行政府内の客室に足を運んでいた。

 

 初めて訪れた冬の日、俺が待ちぼうけをして、ベラが埃まみれになりながら箱から現れた部屋に。

 

「それで、話って思い出話?」

 

「……うむ、それも良いかもしれぬな。ジルベールのにぃや振りを振り返るのも」

 

「ベラの様子のおかしさを振り返ることにもなるよ」

 

「オクタヴィアの様子の方がおかしかったじゃろ」

 

「別種の方向にね」

 

 話をしたいと言ってここに来たベラだが、その内容をなかなかに切り出そうとしない。どこか二の足を踏んでいる様に見えた。

 

 話が逸れて戯けている様子は、話したいことから逃げようとしている様に見えた。

 

 それを口にしてしまうと、何かの魔法が解けてしまうと感じているみたいに。

 

「……今回のこと? それとも、今後のこと?」

 

 だから、俺の方から問い掛けた。

 

 踏ん切りが付くのを待とうか迷ったけど、逃げ腰の姿勢が思い悩んでいる風にも見えたから。

 

 こちらの問い掛けに、ベラは困り眉で笑みを浮かべた。

 

「汝は話が早いの、それにも良し悪しはあるが」

 

「ダメな方だった?」

 

「心情的には、少し準備する時間が欲しくもあった」

 

「そっか、ごめんね」

 

 小さな手が伸び、袖口を握られる。

 俺を見上げる顔は、どこか寂しそうでもあって。

 

 袖口を握る力が増したところで、ベラは話を始めた。

 

「ジルベールは、余の戯言を間に受けたのじゃな」

 

「戯言?」

 

「……王都奪回のことじゃ」

 

 何を逡巡して話し出すのを躊躇していたのか、そこまで言われてようやく理解する。

 

 今、イスペリアの情勢が変化しつつある。

 それによって、いろいろ諸々が動き出そうとしているのだ。

 

 政治的な部分に伴い──ベラの境遇も。

 

「見事じゃ、夢見事を現実にしてのけた。汝は本物じゃ、ジルベール」

 

「俺じゃなくて、マリーナ騎士団のみんなの力だよ」

 

 やんわりと訂正するが、ベラは小さくかぶりを振って。

 好奇心に満ちた理知的な瞳が俺を射抜いた。

 

「それでも、余が夢を語ったのは汝だけじゃ。それで汝が絵図を引いて、その様に導いた」

 

 "だから、汝なのじゃ"と、真摯に語り掛けてくる。

 否定しようにもベラの瞳は純粋で、謙遜すらし難い魔力がそこにはあった。

 

 ……一面においては、そういう見方もできなくもないし。

 

「汝は魔法使いじゃな、御伽話の」

 

「ベラ、俺は何でもはできないよ」

 

「そうじゃろうな。だが、何でもできる必要などない」

 

 瞳が揺れている、キラキラとした青い瞳が。

 子供と大人の合間を漂っているみたいに。

 

「──不可能だと思われていたことを可能にする、御伽話足る条件はそれだけなのじゃ」

 

 ここまで一気に話すと、ベラはそっと握っていた袖口を離した。

 

 そうして、一歩下がってからそっぽを向く。

 ベラの瞳が見えなくなり、それが少し寂しく感じた。

 

「……じゃが、御伽話はいずれ終わる。すると、現実が始まるのじゃ」

 

 でも、その声音は尻すぼみに小さくなり、彼女の白色な肌と相まって、元気を無くしているのは一目瞭然であった。

 

 前後の言葉を勘案すると、成程と思った。

 ベラの考えていること、その一端が掴めたから。

 

「正式にイスペリアの女王として、執務を始めるつもりなんだ」

 

「うむ」

 

 まだ幼い身空で、時が来たのだと感じたのだ。

 イスペリアの頂点に立って、王権を手にする時が来たと。

 

 ……でも、まだ早い気がする。

 

「宰相は頼り甲斐があるかは別として、仕事はこなせると思う。ベラが背伸びする必要、なくないかな?」

 

 だって、ベラはまだ子供だ。

 中学生になりたての年齢で、まだまだ学ぶべきことはたくさんある。

 

 大人になるのは、まだであるべきだ。

 

 だから、責任取れる大人にもう暫く国を任せようって提案をしたが、ベラは苦笑しながら首を振った。

 

「そのオクタヴィアが問題なのじゃ、彼奴は権力を非常事態に託けて手にしたからの。非常時が過ぎ去れば、手にした権力は手に余るものに早変わりじゃ」

 

 返ってきたのは、あまりに正しい指摘。

 お陰で、咄嗟に言葉が出なくなる。

 

 確か、宰相は王族がカルロス地方に退去する条件として、宰相位を要求して今の地位についた。

 

 非常事態だったが故に認められた悪行だったが、多くの怒りや憎悪を買ったことだろう。その権力を、もし平時になっても手放さなかったとしたら……。

 

「……今度こそ、確実に暗殺されるってことか」

 

「如何にも、簡単に死体になる彼奴の姿が目に浮かぶ様じゃ」

 

 頭が痛くなるけど、間違いなくそうなるだろう。

 宰相は自ら策士を気取っているけど、小心な上に迂闊で直ぐに窮鼠と化す人だから。

 

 それに、平時になった時に宰相の政敵になり得るのは……。

 

「……メンドース将軍に、宰相が勝つ姿が予想できない」

 

「奇遇じゃな、余も同意見じゃ」

 

 イスペリア解放の英雄にして、貴族達からも支持が厚いメンドース将軍。今回の戦いでも、俺の無理難題を針の穴に通してくれた名将でもある。

 

 間違いなく、役者が違うと言わざるを得なかった。

 

 故に、納得できてしまう。

 戦後が訪れた時、宰相は宰相でいられない、と。

 

 でも、そうだとしたら……。

 

「メンドース将軍は、ベラを子供でいさせてくれないの?」

 

「さて、の」

 

 暗く沈む部屋、雲に隠れて星明かりすら見えない中でベラは諦めた様な声音で呟いた。

 

「メンドースは、そうではないかも知れぬ」

 

「っ、だったら!」

 

「じゃが、彼奴に影響を及ぼし得る貴族達はそうではない。好き勝手、暴れさせるわけにはいかんからの」

 

 分かる筈だと、暗闇の中で視線を向けられる。

 暗い中でも、宝石みたいなベラの瞳はハッキリと知覚できる。

 

 ──寂しげな目をしていた。

 

「本格的に玉座に座るとなれば、遊んでも居られなくなる。取り返しつつあるとはいえ、イスペリアはこの有様じゃからな。……兄妹で居られるのももうすぐ終わる」

 

 その言葉に、チクリと胸が痛くなる。

 ベラのこと、妹扱いできる様になったから。

 

「幼年期が終わり、お姫様で居られなくなるのじゃ。だからの、思い出が欲しかったのじゃ。にぃやとの……最後の思い出が」

 

 切なさの乗った吐息と共に、兄と呼んでくれた俺を思い出にしようとしている。

 

 そう語ったベラは、そのまま俺の背後へと、とっとっとと足音を立てながら回り込んで……。

 

「わっ!?」

 

 そのまま、勢い任せに抱きついてきた。

 そして、小さな声でそっと告げた。

 

「だからの、そんな可哀想な妹を、ジルにぃやは最後の日まで精一杯可愛がらねばならんのじゃぞ?」

 

 耳元で囁かれた声音は、愛らしい妹のものになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クルアン教軍はマルドルでの敗戦後、イスペリア南部のアルメント州の海沿いまで退いていた。

 

 マルドルから距離を置いたこの場所まで後退したのは、各地に展開していたクルアン教軍の地域守備隊を再編するためだ。

 

 各個の地域守備隊は小規模ではあるが、総計するとその総兵力は一万ほどになる。

 

 マルドル失陥後に川へのアクセスを著しく悪くしたとはいえ、座して各個撃破されるのを決して許せる兵力ではなかった。

 

 故に、北部や陸の孤島と化した地域に対して、海まで来たファイカは船舶を掻き集めた。

 海を経由して、各部隊の回収を図ったのだ。

 

 その目論見は、大まかには成功した。

 イスペリア軍には、それを阻止するだけの海軍が存在しなかったから。

 

 閣下、ファイカは統制に苦労してクマをこさえながらも、何とか部隊の再編に成功する。

 

 全軍でおよそ3万と少々。弱体化したとはいえ、イスペリア南部を掌握するには十分な兵力であった。

 

「……婆、休め」

 

 ただ、その作業は神経を張り詰めざるを得ないものだった。

 

 襲われることはなかったが、常に警戒を絶やせずに神経を擦り減らす撤退戦を完遂したファイカへ、孫娘のアマルは労りを持って声を掛けた。

 

 マルドルでの敗戦からここまで、ファイカは僅かな休息以外はずっとこの業務に掛かりきっていたから。

 

 アマルも出来うる限り手伝っていたが、戦場でならともかく軍政の面はファイカには遠く及ばない。猫の手程度の助けにしかなれず、無表情ながらに悔しい思いを滲ませていた。

 

 だから、せめて敗戦処理を終えたファイカに暫しの休息を取ってもらうつもりで、アマルは声を掛けたのだ。

 

 ただ、当のファイカ本人は、その気遣いを鼻で笑って無視したのだが。

 

「アマル、博打で負けたババアを一々気にかけていたら、あっという間にあんたも素寒貧になるよ」

 

「別に、婆が婆だから、助けてるだけ。知らないババアは、そのまま見捨てる」

 

「そうかい。律儀な保証人だね、あんたは」

 

 皮肉そのものなボヤキを交えながら、ファイカは小さく息を吐いた。それと同時に、張っていた肩が僅かに下がる。

 

 何だかんだ言いつつも、一段落ついたことには異論がないようであった。

 

「そんな律儀者な我が孫には、積もった負債の話をしようかねぇ」

 

 だが、それは休むという意思表明にはならない。

 話があると、アマルに切り出したのだ。

 

「負債……婆、借金持ち?」

 

 無邪気に無表情で問い掛けてくるアマルに、ファイカは悠然と首を振った。

 

 

「私個人の話じゃないよ。もっと大きいところ──クルアン教の負債の話さね」

 

 

 そして、唐突に切り出したのは……あまりにも重い、人前では口にすることを憚られる内容の事柄だった。

 

「婆、それは……」

 

「誰も聞いちゃいないよ、人払いは済んでいるさ。あんたも、密偵の気配は感じないだろう?」

 

 事前に、今のタイミングでこの話をするつもりだった。それを了解して、アマルは緊張しながら耳を傾けた。

 

 多分、今回の戦いで負けたから、このタイミングで話すんだと理解して。

 

 ぼんやりと、今ファイカがしている敗戦処理は、もしかするとイスペリア方面のクルアン教全体に向けてのものなのではないか、とも予感しながら。

 

「まず、ここイスペリアまでクルアン教が遠征した経緯から話をしようかね」

 

 そうして始まった種明かしで、アマルは多くのことを知ることとなる。

 

 クルアン教の過去と今、そして陽炎の中にある未来への道筋についてを。

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