貞操逆転世界で占い師(軍師)を務めていたら、貴族令嬢方に包囲され逃げられなくなった件について   作:ですわお嬢様

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第45話 挑発

 

「あなた方が盟友──マリーナ騎士団、ただいま推参致しましたわ!」

 

 クローデットの口上は、辺りにどよめきを生み出した。

 主に、イスペリア軍の兵士側に。

 

 マリーナ騎士団、ガリティアからやって来た同盟相手。

 イスペリアの矛、常勝不敗の無敵の騎士団。

 

 敵の包囲下に置かれて絶望していた兵士たちにとって、その名は特別な意味を持った。

 

 

「マリーナ騎士団!? た、助けに来てくれたんだ!」

 

「私たち、生きて帰れるの?」

 

「知らないけど、生きて帰る努力は出来そうだよ!」

 

 

 もしかすると、私たちは助かるのではないか?

 

 その意識が瞬く間に、周囲へと伝播していく。

 ──萎えていた戦意に、火が灯り始めた。

 

「一撃離脱で退きますの! 皆様、我に続けですわー!!」

 

 クローデットの一撃は、あまりに鮮やかだった。

 

 クルアン教軍の包囲に一瞬で穴を開けると、そのまま合流するのではなく突入口とは別方向に穴を開けて颯爽と退き始めた。

 

 クルアン教軍側は、あまりに一瞬の出来事だったが故に対処が追いついていない。

 呆然と、その馬蹄の音を聞いているしかなくて。

 

「っ、敵陣の裂けた箇所を突破する!」

 

 降伏しなかったイスペリア貴族の一人が、咄嗟に意識の空白を縫いながら叫んだ。

 

 今しかない、ここを逃せばもう終わる。

 戦術に詳しくなくても、状況がそうであると理解していたから。

 

 自ら先陣を切り、率先して駆け始めた貴族に、自分達も続けと言わんばかりにイスペリアの兵士達もその背を追った。

 

 

「……やっぱり、出た」

 

「やっぱりってなんすか!?」

 

「エブラ川の、あの敵。来ないと、思った?」

 

「〜っ。各隊、下手に包囲下に閉じ込めようとしなくて良い。敵の背に向けてありったけの矢を放て!」

 

 エブラ川と聞いてラービアの脳裏に浮かんだのは、敵に良いようにやられて、自らも川をどんぶらことしたもの。

 

 頭が痛くなりそうな、惨敗の記憶。

 それを思い出し、無理な攻撃は避けるべきだと判断した。

 

 リスクを避け、敵に僅かでも失血を強いる方を選んだのだ。

 

「……行かないんですか」

 

 ただ、無表情な癖にかなり好戦的なアマルが、いま動こうとしないこと対して、ラービアはやや意外な感を覚えた。

 

 こういう時、真っ先に追撃しにいくのがお嬢なのに、と。

 

「……こいつら、逃がさないため」

 

 アマルは、返事と共に剣を抜いた。

 ──剣を、投降して来たイスペリア貴族に向ける。

 

 その姿を見て、ラービアは納得する。

 投降したイスペリア貴族達の挙動は、明らかに露骨だったから。

 

「待て、我々は投降して来たのだぞ!? 何故剣を向ける、無礼であろうが!」

 

「……逃げたら、殺す」

 

「ぬ、ぅ」

 

 目の前で起こったことに驚愕して、ついでに何故もう少し早く来なかったと怒りを覚え、あわよくば便乗して脱走しようとしていた。

 

 それを阻止するために、アマルはここに留まっていた。

 

 ファイカからの注文である、敵貴族の捕縛。

 それを達成できたのだから、あまり欲張ろうとしなかったとも言える。

 

「……ラービア、長弓、貸して」

 

 ただ、それでも思うところはあった。

 ──新手の敵は、あまりに格好が良かったから。

 

 味方の危機に風のように現れ、それを救う。

 年頃の軍人になった少女ならば、一度は考えたことがあるシチュエーション。

 

 それを眼前で成されたことに、羨ましさを覚えたのだ。

 

 あと、これは無意識ではあるが、そういう人物がマリーナ騎士団の指揮官であるのが、少し気に食わなかった。

 

 こう……格好良い相手の近くに、あの子が侍っているのかとかぁ、とアマルは無意識で思い、微かに胸を痛めたのだ。

 

「やられっぱなしは、嫌ですからねぇ」

 

 長弓を手渡してきたラービアの言葉に頷きながら、アマルは裂けるのではないかと言わんばかりに、弓を大きく引いて。

 

「一番目立つ、奴。金髪の、クルクル──」

 

 狙いを定めて、矢を放った。

 目標は勿論、クローデットの頭蓋──。

 

「? ……で、ですのぉ!?」

 

 ではなく、右腕。

 放たれた矢は、正確無比にその腕に噛みつこうとして。

 

「ごめん被り、ますのぉーーっ!!」

 

 咄嗟に剣を翳して、クローデットは矢の軌道を逸らさせた。

 

 剣に矢が掠めた途端、脱臼しそうな衝撃に襲われたことに"ですわですわっ"と戦慄しながら。

 

「……やる」

 

 それを、遠く山の頂上まで見渡せるであろう目で確認して、アマルは小さく呟いた。

 

 あれは度胸だけじゃない、実力も伴った戦士なのだと実感して。

 

「うわ、お嬢の矢で射貫けないとか化け物ですね……。もう一発、行っときます?」

 

「もう、良い。どうせ、同じ結果になる」

 

 長弓をラービアに手渡しつつ、アマルはそれ以上の弓射を行おうとはしなかった。

 

 一度仕損じたのだから、この戦場では討てない相手だと認識して。

 

「強いなら、仕方ない……」

 

 ボソリと呟いた言葉は、自らの射を防いだ敵を讃えたものか。

 或いは、別の意味合いを持っていたのか。

 

 アマル本人ですら、分からない呟きであった。

 

 

 

 以上をもって、コルドラを巡る攻防は一旦の落ち着きを見せた。

 

 両軍はおよそ5000ずつの兵力同士であったが、市街地に頼って交戦できたクルアン教側が圧倒的に有利な戦闘であったといえよう。

 

 コルドラを防衛するクルアン教軍側は、死者が158人、負傷者が553人の計711名の死傷者を出した。

 

 死者の殆どは、マリーナ騎士団と切り込みと脱出を図るイスペリア軍によって生じた損害である。

 

 対して貴族軍側は、死者1233名に負傷者が1156名、捕虜となった者が貴族19名に兵士が8名である。

 

 総計で2389名もの死傷者を出した貴族軍は、文字通りの壊滅を喫した。

 

 その中において、マリーナ騎士団の令嬢達だけが負傷者が8名のみと死者を出さなかったのは、正に鮮やかの一語に尽きた。

 

 包囲に穴を開け、貴族軍将兵が脱出する道筋を作ることのみに徹し、一撃離脱で戦場を後にしたこと。

 

 アマルとラービアが、回復能力で著しく劣るようになった自軍の損耗を避け、包囲殲滅戦に固執しなかったこと。

 

 投降した貴族達が、不審な挙動で両指揮官の注意を引き続けたこと。

 

 生きるが目的となった貴族軍将兵が意外と果敢で、逃げるマリーナ騎士団に拘う余裕をクルアン教軍側が持ち得なかったこと。

 

 様々な要因はあれど、俯瞰して見れば"持っている"としか言えない天の加護が、マリーナ騎士団には存在していた。

 

 

 実際に剣を執ったのは、10分に満たない時間。

 その僅かな間隙で、マリーナ騎士団はまたも武名を高めることに成功したのであった。

 

 

 

 コルドラ離脱後、追撃がないのを確認してから、街道外れの回り道にて、貴族軍とマリーナ騎士団は顔合わせを果たした。

 

「っ、救援、感謝する……」

 

 真っ先にそう述べたのは、大口を叩いて果たせなかったイスペリア貴族の側であった。

 

 出来ると思っていたのに失敗した羞恥、ライバル意識を燃やしていた相手に助けられた屈辱、同族のイスペリア貴族が戯けたことに異教徒の下へと降った嫌悪。

 

 様々入り混じりながら、辛うじて震え声で感謝を述べられたのは、イスペリア貴族達の高々と伸びていた鼻が複雑骨折してしまったからだろう。

 

 でなければ、ジルベールの予想通りに憎まれ口を叩いたであろうことは想像に難くない。

 

「……貴殿らの噂、真実だったようだ」

 

 ただ、それが全てではなかった様だ。

 

「誠、艶やかな戦い振りであった」

 

 小さいながらも、イスペリア貴族達の胸に、マリーナ騎士団への感謝が芽生えていたのだ。

 

 危機的状況の中で、一部の同胞が敵に走るのとは正反対に、マリーナ騎士団は僅かな手勢で自分達を助けてのけた。

 

 愚かな同胞と対比した時、マリーナ騎士団が輝いて見えたのだ。

 

 そんな貴族達を前にして、マリーナ騎士団団長であるクローデットは……。

 

 

「──よく、ご無事でいてくださりましたね」

 

 

 戦前、マリーナ騎士団に向けられていた罵詈雑言など聞こえていなかったかの如く、彼女らの手を握って心から嬉しそうに微笑んだのだ。

 

「なに、を……」

 

「元より、ワタクシ達はガリティアより逃れてきた身。受け入れてくださった皆様方は、ワタクシ達に取って恩人ですの。その恩人でイスペリアの要たる皆様がご無事で、本当に良かったですわ」

 

 あまりにも邪気のない笑みを前に、イスペリア貴族達は"嘘だ"という言葉を飲み込んだ。

 

 この笑顔は本物であると、宮廷に住まう者だからこそ理解できてしまう。

 

 本気で、あれだけ邪険にしていた自分達の心配してくれていて、生きていることに喜んでくれているのだ。

 

 その事実を前にして、イスペリア貴族達の情緒は滅茶苦茶になった。

 

 実際のところは、クローデットのこの温かな笑みは、

 

 "あー、皆様が生きてるお陰で、ジルベールさんがクソ雑魚ウジウジ虫にならずに済みました。要感謝なのですわ〜!"

 

 といった類のものであった。

 

 まあ、イスペリア貴族達が生きていたことを喜んでいるのは間違いないのだがら、内実のズレなど実際問題誤差に過ぎないのかもしれない。

 

 口からペラペラと2割くらいしか思ってない言葉が飛び出ているのは、

 

 "ジルベールさんは、エレーヌさんをよくお頼りになりますわね。…………べ、別にワタクシだけを頼れなんて思ってなどいませんですわよ!!"

 

 という複雑な乙女心から生じた、エレーヌをジーッと見つめ続けていた期間の産物とも言えた。

 

 ひっそりと頭の悪い理由で腹芸が上手くなっていたクローデットではあるが、その完成度はかなりのもの。

 

 本音と建前を混ぜることで、その言が心からのものだと信じたいと相手に思わせるのだから。

 

 あれである、クラスの女の子に"す、好きです!"と真っ赤な顔で告白されて、罰ゲームかな? なんて疑うことなんてなく、本気なんだと信じさせるだけの力がクローデットの笑顔には備わっていた。

 

 そんなアイドルみたいな笑みを前にして、イスペリア貴族達は──涙を流した。

 

「わ、私達は、本気で貴殿らのことを見誤っていた、ようだっ。本当に、すまなかった……っ」

 

「いいのですわ、そのような些事は。今度は、ワタクシ達が皆様を助ける番だっただけですの」

 

 地獄に神が舞い降りた状況だったこともあり、イスペリア貴族達はクローデットのことが徳高き神婦(神父の女性版)のように見えていた(実際のところは破門者であるが)。

 

「さっきは大変だったもんねー」

 

「リーダー居ないと上手くいかないの、わかる。クローデットいないと、あたしらも丸太ブンブンしかできないしさ」

 

 オイオイと泣くイスペリア貴族達に、フワッと脳筋の令嬢達が寄り添い始めた。

 

 なんか色々悪口言われてたけど、さっきの戦いでの退き方はまあまあ様になっていたと認めていたので、ちょっとだけ森の賢者ゴリラ程度には優しくなっていたのだ。

 

「すまぬ、すまぬっ……」

 

「謝る! 謝る! 謝る!」

 

「大丈夫だよ、今度敵来たら一緒にドタマかち割ろうね?」

 

 そうして令嬢達に慰められる中で、イスペリア貴族達は思った。

 

 ──ガリティア人は蛮族ではあるが、いや、蛮族であるからこそ、スレていない純真な優しさを持ち続けられているのだろうと。

 

 助けられた癖に、まだひっそりガリティア人を見下しているイスペリア貴族ではあるが、令嬢達の慰め方を見るにやむを得ないところはあったのかもしれない。

 

 何にしろ、マリーナ騎士団は一つの諾を結ぶことに成功した。

 

 今後もイスペリアで活動するのならば必要になる、支配階層からの許容という諾を。

 

 

「……ジルベールさん、こっちは上手くやりましたわよ」

 

 すっかり弛緩した空気の中で、クローデットは小さく呟いた。

 

 ロマンタ平原に置いてきてしまった彼と、マリーナ騎士団の将兵。

 

 あの剣戟の音一つない奇妙な戦場の行く末について、クローデットは思いを巡らせた。

 

 

『多分、タイミングを見て敵は退きます。最初から、決戦なんてするつもりはない。別働隊を編成したことと言い、一連の動きを見ていたら、そうとしか取れません』

 

 離れ際に、彼はそんなことを言っていた。

 

『問題は、敵の目的がまた曖昧になったこと。貴族の私兵を殲滅して満足しても、それは戦術的勝利で戦略的には大した意味はないんです』

 

『戦略的な目的……』

 

『その目的は分かりませんが、敵はイスペリア軍主力を領地の奥まで引き摺り込もうとしているように見えます』

 

 イスペリア軍を、自軍の勢力圏に引き摺り込もうとしている。

 ジルベールの見立てでは、その可能性が大であった。

 

 戦術的には、伏兵による強襲や地の利を得ることによって戦いを優位に運ぼうとしているなど、おおよそやりたいことの想像は付く。

 

 だが、そんなことはメンドースも承知している。

 

 敵の罠にかかりに行くような過ちなど、彼の百戦錬磨の将軍が犯すはずがない。

 

 ただ、ジルベールは空の雲が落ちてくるのを懸念するみたいに、もしもを口にする。

 

『ただ、イスペリア軍が何らかの手段で敵に乗せられた時、何が待ち受けているのか、それが分からないんです』

 

 分からないと言いつつも、考えることをやめるわけにはいかない。

 

 考えることをやめてしまえば、それは彼自身が戦場にいる意義を失うも同然だから。

 

 だから、きっと今もジルベールは考え続けているだろう。

 

 

「上手くやってくださいましね、ジルベールさん」

 

 そんな彼を思って、クローデットは宙へと声を投げる。

 返事はない、よく通る声は空へと溶けた。

 

 風に乗って、エールが彼に届けば良いのに。

 空を覆う雲を見遣りながら、クローデットはそんなことを思った。

 

 

 

 

 

 ロマンタ平原では、遂にアコーディオンの様な軍の押し引きさえ無くなっていた。

 

 両軍共に、平原の中心部分で一定の距離を持ち、遠巻きに相手をするばかり。

 戦う素振りなど、両軍の指揮官共に見せようとしていなかった。

 

「おままごとで用兵するには、両軍共に中々達者だったのに、もうそれすらしなくなったか」

 

 緊張と緩和の連続で兵士達はすっかり弛緩し、退屈に耐えかねたマリーナ騎士団の歩兵を統括していたベルタも、現状に対して思わず皮肉を零していた。

 

「で、坊や。占いの結果はでたか?」

 

 そんな中で、フード越しにブツブツ何かを呟いて、危ない人っぽくなっていたジルベールにベルタは問いを投げた。

 

「……掴めそうで、掴み損なっている感じです」

 

 返ってきたのは、あまり頼りに出来なさそうなものであったが、ベルタはそれでも良いと思えた。

 

 少なくとも、取っ掛かりすら掴めていない状況ではないらしいから。

 

「話してみろ、口に出すと案外考えが纏まるからな」

 

 ベルタに促されて、ジルベールは困り顔で頷いきながら話し始めた。

 

「最初、敵が出てきた理由は、囮なんだって思いました」

 

「囮? あれだけ負けた異教徒共に、予備兵力があるっていうのか?」

 

「あるにはあるでしょう──海の向こう側に」

 

 指摘されて、ベルタはハッとした。

 

 己の視野はイスペリアのみしか映し出せていなかったが、よくよく考えれば異教徒は海を越えてやってきている。

 

 敵の増援が、そのまま北部へと上陸する可能性もある。

 

 いま現在、イスペリア軍はマルドルを中心に展開しており、北部の兵力密度は極めて薄くなっている。

 

 敵が一万もの軍を揚陸させることが出来るのならば──仮の王都で、イスペリアの女王であるイザベラが座するバローラが危険にさらされることになるだろう。

 

 仮にもイスペリア人として、ベルタは背筋が凍る思いがした。

 

 あの幼き女王が没すれば、誰がイスペリアの王冠を手にするのか。

 

 異教徒を排除できても、権力争いが始まり国は乱れて争いは収まらぬのではないか。

 

 あまりにそれは不味いと、イスペリアの貴族であった観点からそう思ったのだ。

 

 だけど、その懸念は直ぐにジルベールが首を振って否定した。

 

「でも、それはないなって」

 

「……何故?」

 

「今まで何度も、それをする機会があった筈だからです」

 

 例えば、先のクルアン教が大敗した戦い。

 

 あの時、敵別働隊にバローラ近辺へ上陸されていれば、女王を守らねばならぬ兼ね合いでイスペリア軍主力は撤廃せざる得ず、せっかく奪回した北西部は再度陥落したであろう。

 

「今みたいな博打と違って、効果的で堅実に勢力を広げることができた筈。なのにしなかったということは、事実上イスペリアに向ける兵力がなかったと結論付けても良い筈です」

 

 ジルベールが力強く言い切ったことで、ベルタの感じた戦慄が波の様に引いていった。

 

「……中々脅かしてくれるじゃないか、坊や。お陰で退屈が吹き飛んだ」

 

「脅かしてごめんなさい。でも、この話には続きがあるんです」

 

「続き?」

 

 今度は何だ、異教徒が墓から蘇ってくる感じかと身構えたベルタであったが、ジルベールが話したのはファンタジーではなく現実と地続きのことであった。

 

「敵の兵力は、徐々に低下してきています。戦えば戦うほど、弱っていく。大陸を股にかける大帝国なのに、どうしてかイスペリア一国を脅かす増援を送ってこない」

 

 言われてから、その奇妙さにベルタも気がつく。

 異教徒が本気になれば、早期にイスペリアを潰すことも出来たであろうと。

 

「何故だって考えて、ふと気がついたんです。根本的な部分で、勘違いしていたのかもしれないって」

 

「何だ、それは?」

 

 どうにも、面白くない答えが返ってきそうだと予測するベルタへ、ジルベールはその予想に寸分違わぬ解答をした。

 

「イスペリアにとっては総力戦でも、クルアン教にとってこの戦争は──地方の小競り合い程度、そんな認識なんじゃないかって」

 

 だから、負けても増援を出さない。

 単に、地方軍閥がしくじっただけだから。

 

「…………あり得えて良いのか、そんなこと」

 

 ベルタが零したのは、"あり得ない"ではなく、"あり得て良いのか"という言葉。

 やるせなさと憤りが混じった、嘆きの類型だった。

 

 それに対して、ジルベールは地面に雑な何かを描き始めた。

 

 ヘニャヘニャと曲がって、何だか見るからに下手くそなそれは……全て描き終わったら、辛うじて何なのかが理解できるものであった。

 

「地図、か?」

 

「なんで疑問系なんですか、見て分かる通りに世界地図です」

 

 そう、世界地図。

 正確には、古代ロマーナが支配した最大領域までを描いた地図だ。

 

「ここが、一年前までのイスペリア王国の支配地域です」

 

 その地図の左端っこ、ふにゃふにゃのイスペリア半島の北東部、ほんの一欠片に丸をつけた。

 

「で、こっちがクルアン教の勢力圏です」

 

 次にジルベールは、南方大陸沿岸部全体に大きな丸を描いた。

 

 クルアン教の本土は更に奥のオリエント地方ではあるが、そこまでの地図はないし、この沿岸部だけでもどれだけの土地を彼女らが支配しているのかは一目瞭然であるから、問題ないと割り切った丸だった。

 

「これ、見比べたらどう思います?」

 

「……小さい」

 

「そうです、彼女達にとってイスペリアは猫の額みたいな土地なんです」

 

 ジルベールの物言いに、ベルタは"私にとっては祖国だぞ、猫の額とか言うな"と内心で思ったが、実際見比べると自分達がいるイスペリアが本当にちっぽけに感じて、非常に微妙な気分になった。

 

「俺たちはこの地で息をして、ご飯を食べて、必死に戦って、ここで生きてるって実感があります」

 

 自分が描いたド下手くそな地図、思い出を振り返る様にジルベールは猫の額とか称した土地を指でなぞって。

 

「でも、こんな風に地図だけ見た相手の為政者からしたら、イスペリアはこだわる必要のない土地なのかもしれません」

 

 現地のイスペリア王国は、しぶとくて手強いですしと告げると、ベルタは思いを巡らせる様にジッと地図を眺めて。

 

「……それにしたって、この地図下手すぎないか?」

 

「なんでそんなこと、言うんですか!?」

 

「いや、感傷に浸ろうにも、ド下手な地図のせいで全くそうもいかなくてな」

 

「ひ、酷い……」

 

 にべもない一言で、ジルベールの絵心のなさを一刀両断にしたのだった。

 

 それでも、二人の間の空気は明るい。

 これまでの説明で、一つはっきりしたことがあるから。

 

「だが、とにかくだ……敵の増援は来ない、今いる奴らを叩けばこの戦いは終わる。そうだな?」

 

「纏めれば、そういうことになります」

 

 本当に、目の前の相手だけなのだ。

 これさえ叩き潰せれば、戦いは終わる。

 

「それで、最初に戻るんです。今この目の前の敵の狙いは、本国に捨て置かれて窮しているはずの敵は、一体何を企んでいるんだろうって」

 

 ただ、その目の前の敵を倒すということが、中々の難題だった。

 

 何か目的があるから出撃してきたはずなのに、その意図が汲み取れない。

 

 ジルベールを悩ませ続けている問題がそれだ。

 あらためて前提条件を共有されたベルタも、その問題に上唇に指を添えながら考え始めて。

 

「うーむ、一見すると破れかぶれに見えるが」

 

「破れかぶれでも、狙いは何かしらあるはずなんです。自滅するほど、クルアン教は弱くないですよね?」

 

「それはそうだが……」

 

「もしかしたら、敵の狙いはイスペリアに勝つことじゃなくて──」

 

 そんな話をしていたところで、周囲が騒めき始めた。

 何かが動いたことを示唆する騒めきだ。

 

「何事だ!」

 

「ベルタ隊長、敵に動きがありました!」

 

「ほぅ、今度は前身か後退か、どちらの方だ?」

 

 その問い掛けに、近くにいた兵士は困った顔で回答した。

 

「──そのどちらもです!」

 

「……何?」

 

 眼前の、遮蔽物のない平原を見渡す。

 すると、敵の主力の大半が後退をはじめていた。

 

 それも、今までの様な整然として隊列を維持したものではなく、慌ただしく退く時の様な、背を向けながらのもの。

 

 ──だが、その中で唯一、敵軍のほんの一部、目視で概算して1000名程の部隊が、悠然とイスペリア側に前進を仕掛けてきていた。

 

「何のつもりだ、あれは……」

 

「何にしろ、迎撃と前進をしなくちゃダメです」

 

「それはそうだ。……ふむ、見た目だけなら、殿軍の様に見えるな」

 

「或いは、自領に引っ張り込むための囮部隊、生き餌を用意したのか」

 

「なるほど、罠か?」

 

「十中八九は」

 

 ジルベールの意見に、ベルタは頷いた。

 罠ならば、無理に食いつく必要はない。

 

 別に、今は無理しなくても良い戦況。

 この戦場での引き分けは、実質的にイスペリアの勝ちとも言えるのだから。

 

 メンドース将軍も、それへ重々承知している。

 だから、軽々に乗るようなことは無いと思うが……。

 

「さて、奴らが用意した餌は、どんな味がするのかな?」

 

 だが、だからこそ、敵の用意した囮、餌が何なのかがベルタは気になった。

 

 将軍が食いつくであろうと敵が想定した、そんな餌の中身が。

 

 

 

 

 

 接近してきた1000名程のクルアン教軍は、イスペリア軍の100mの位置まで接近していた。

 

 お互いに踏み込め合えば、1分の間に戦闘が開始できる距離だ。

 

 イスペリア軍の数は、マリーナ騎士団を含み12000。

 

 十二倍もの物量差が存在するにも関わらず、クルアン教軍はよく統制され、微塵も怯む様子を見せなかった。

 

 眼前の敵を前にして、両軍に緊張が走る。

 ここに来て、遂に戦闘が始まるのかと兵士達は予感する。

 

「──メンドースはいるかい」

 

 動悸が響きそうな空気の中、クルアン教軍の隊列、その最前列に歩み出てきた人物がいた。

 

「ファイカ・ビント・ハミダ、何の真似です。死ににでもきましたか?」

 

 メンドースは、その人物を視認した途端、自らも前に出て応答した。

 

 別の相手ならば、メンドースは配慮なく矢を射掛けるよう指示を出したであろう。

 

 だが、彼女にとって、ファイカはある意味で特別だった。

 大敵で怨敵、無視し得ない怪人であったのだ。

 

 問い掛けに、ファイカは呵呵と笑い、そうして首を振る。どこか意地の悪い笑みを浮かべながら、それでいて楽しげに。

 

「試しに来たんだよ、お前さんを」

 

「試す? 異教徒のあなたが、何を異なことを」

 

 人を試すことができるのは、神やその代理人たる王達のみ。

 

 なのに、この目の前の人物は耄碌したのか、何やらおかしなことを口走っている。

 

 何をと警戒するメンドースに、ファイカは口ずさむように言い放った。

 

 

「ババアの皺首一つ取りに来ないからね。取りやすいよう、配慮してやったのさ」

 

 

 ──空気が、ひび割れた。

 

 それは、明らかな挑発で侮蔑である。

 意気地なしと罵っている、あからさまな罵声であった。

 

 殺せる物なら殺してみろ。

 そう言い放ち、ファイカは己が死にやすい戦場を構築したのだ。

 

「……遂に奇術の種が尽きましたか。残念です、非常に」

 

 ただ、こんなのは見え透いた挑発だ。

 わざわざ、その手に乗る必要はない。

 

 メンドースは露骨に失望したため息を吐いたが、ファイカは飄々としたままで。

 

「別働隊を編成したよ。あんたらが頼みにしている、後方を襲撃しに来た部隊を殲滅するためにね」

 

 先程の挑発と、種を変えた話を始めた。

 それも、メンドースだけではなく、イスペリアの将兵に聞こえるような声量で。

 

「助けなくていいのかい? 私を討ちさえすれば、こっちに降伏勧告だって出来るよ」

 

「……我らイスペリア貴族は誇り高く、強靭です。その程度の策など、看破してあなたの軍ごと大破するでしょう」

 

「ふん、正直に言ったらどうだい? イスペリアの山岳人共は劣っているから、手も脚も出ないし見捨てるしかないってさ」

 

 メンドースの言い分に、ファイカは被せながら侮蔑を重ねた。

 今度は、イスペリア兵全体に対して。

 

 陣中が殺気立つ、苛立ちが辺りに満ちた。

 イスペリア兵達は好き放題に言う敵と、戦う意思を示さない己の指揮官に対して、怒りを覚えて。

 

 そんな中で、ファイカは最後にとっておきの毒を流し込んだ。

 

「それとも──男にケツを拭いてもらわなきゃ、ハンデがあっても勝てる気がしないのかい?」

 

 ただ、その言葉だけは、メンドースの心を軋ませた。

 

 表情は変わらない、無味乾燥な笑みが張り付いたメンドースの顔。

 

 ただ、爪を立てたまま、軽く自分の手を握って。

 

「……お詳しいのですね」

 

「偶々ね、知る条件が揃っただけさ」

 

 飄々としているファイカは、面白げなまま再び同じ問いを放った。

 

「だから、試してやるって言ったんだよ。あんたの実力だけだと、本当に私を殺すことができないかどうか。最初で最後の機会さ、乗るのか乗らないのか、ハッキリ言いな!」

 

 全将兵に聞こえるように、わざとファイカは声を張り上げた。

 

 イスペリア全軍から、メンドースへと視線が突き刺さる。

 期待を乗せて、失望させるなと言う視線が。

 

 イスペリア兵達は、メンドースがファイカを討つことを期待したのだ。

 

 イスペリア随一の将帥が、コケにされたまま終わってほしくないと願った。

 

 ここで乗らねば女が廃る、メンドースの将軍としての威は著しく毀損されるだろう。

 現状、仕掛ければ有利なのは明らかなのだから。

 

「……最後、か」

 

 誰にも聞こえることのない声で、メンドースは呟いた。

 

 最後、そう、最後だ。

 ファイカも、この戦役がもうじき終わると確信している。

 

 さっきの言葉から、ファイカが己の敗北する未来を受け入れているのだと、メンドースは理解した。

 

 ならば、今この敵将は一体何をしている?

 敗北を受け入れながら、何を成そうとしている?

 

 ゆっくり考えたかったが、考える暇がない。

 状況は時は一秒ごとに加速している。

 今は是が非か、決断を下さねばならない。

 

 メンドースは無言で片手を上げた。

 瞬間、多数の矢がファイカに向けて殺到した。

 

 メンドース子飼いの部隊が、下知に従い行動を起こしたのだ。

 

 

「ずっと思ってました、ファイカ・ビント・ハミダ──早く死ねと」

 

「ククッ、そう来なくっちゃねぇ!」

 

 

 今ならば、ファイカを殺せる確率が高い。

 今後二度と、こんな機会は訪れないというレベルで。

 

 故に、メンドースは決断した。

 ここで無様に殺してやる、と。

 

 何人か矢を防ぎきれず倒れるクルアン教の兵士達が出る中、ファイカは自らに迫る矢を剣で叩き伏せ、大喝の如く宣告した。

 

「狩りの始まりだ! 獲物は私らで、狩人はあんた達さ。さあさあ、急がないと逃げ切っちまうよ!!」

 

 狩られる側が楽しげに煽りながら、その追撃戦は始まった。

 

 逃げるクルアン教軍と、追うイスペリア軍。

 無様でバカみたいなごっこ遊びが一変、命を賭けた逃走撃の幕が開けた瞬間だった。

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