貞操逆転世界で占い師(軍師)を務めていたら、貴族令嬢方に包囲され逃げられなくなった件について   作:ですわお嬢様

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第46話 内実

 

 クルアン教軍総司令官、ファイカ・ビント・ハミダからの挑発……半ば挑戦状の様な蛮勇を前にして、イスペリア軍総司令官のメンドース将軍は敵軍の捕捉撃滅を目的として前進を開始した。

 

 クルアン教軍は主力の大半をロマンタ平原より後退させ、ファイカ麾下の歩兵1000のみが現在ロマンタ平原に展開している。

 

 彼女らは降り注ぐ矢を小型の盾で防ぎながら、一目散に退避を始めた。

 

 正面からイスペリア軍に突っ込めば、兵力差を前にすり潰されるだけと理解した行動である。

 

 自らの首まで賭けの対象にし、ファイカがこの様な愚行に及んだのは、イスペリア軍をロマンタ平原の外側、クルアン教の支配地域にイスペリア軍を誘引することが目的であろう。

 

「……罠なのでしょうが、仕掛けはロマンタ平原の外にあるのでしょう。ならば、平原で敵を撃滅するまでです」

 

 明白な敵の目的を前にし、メンドースはこれを罠だと断定。

 

 引き摺り込まれる前に、クルアン教軍をロマンタ平原で討つと決意した。

 

「騎馬隊に伝達。敵の後背に回り込み、敵の後退を阻止するようにと」

 

 故に、イスペリア軍は騎馬隊を放ち、退路の遮断を試みた。

 

 数は1000、ファイカ麾下の部隊と同数である。

 幾らイスペリア兵が弱卒とはいえ、数分で粉砕できる数でもない。

 

 このままではファイカは自らの手勢諸共、包囲殲滅されるのは想像に難くなかった。

 

「──お前達、先に天へと逝きな」

 

 だから、その結末を打破する為に、ファイカは自らの手勢の小部隊に命を与えた。

 

 ……死んでこい、死んで騎馬隊を足止めしてこいと。

 

「ファイカ様、何で自らも天に行ける前提なのでしょうか?」

 

「私は地獄行きだってかい? 言うじゃないか、お前」

 

「いえ、最後なので」

 

「……ふん」

 

 そして、死を命じられた兵達も、それを拒否することなく受け入れていた。

 

 ファイカ・ビント・ハミダは、無駄に死を命じたりなどしない。

 自らの死にも、意味が生じるのだと確信して。

 

 教義に則り、クルアン教の兵達は天へと登れると信じてもいる。

 

 だから、自分達は殉教者として天へと昇り、ファイカが地獄に堕ちる様を嘲笑ってやろうと決意しながら。

 

 ファイカの手勢から、古参の100名程が部隊を離れた。

 そうして、そのまま十倍もの騎馬隊の進路に割って入ったのだ。

 

 

「何だこいつらは!?」

 

「死ぬ気か!?」

 

 歩兵、それもたかが100程度の小部隊。

 イスペリアの騎馬隊は、小癪な馬蹄の錆として踏み砕かんとそのまま全速力での前進を続けた。

 

「おう、そうよ。お前らも一緒にね!」

 

「おら、点火!」

 

「奴ら、火をつけたぞ!?」

 

「ボヤだが……クソ、馬達が怯んでる!」

 

 だが、その前進は草原に火をつけられたところで、思わぬ足止めを喰らってしまった。

 

 イスペリア軍の騎馬隊は、創設されてまだ間もない。

 馬の育成も不足しており、戦場に連れてくるにはやや臆病な気質が目立っていた。

 

 そのため、僅かな火を見ただけで馬達は飛び上がらんばかりに急停止を掛け、足を止めてしまったのだ。

 

「よし、掛れぇ!」

 

 その騎馬隊に、100名のクルアン教の兵士達が殺到した。

 馬達が冷静になる前に、混乱を拡大する為に。

 

 

 結局、騎馬隊は貴重な時間、絶好の一撃を与える時間を浪費してしまった。

 

 ファイカの手勢どころか、イスペリアの本隊までもが騎馬隊より先行していた。

 

 後を追うように、慌ただしく騎馬隊はイスペリア軍本隊へと歩を向けた。

 

 後に残されたのは、イスペリア兵と馬50、そして100名ばかりのクルアン教軍兵士の死体だけであった。

 

 

 

 ファイカは敵に追いつかれそうになる度に、50〜100名の程の部隊を切り離して決死隊を編成。

 

 そのまま、玉砕するまで殿軍を務めさせるという、あまりにも苛烈な戦法を披露した。

 

「……気狂いの異教徒どもめ」

 

 イスペリアの将軍は、その有り様を見て狂信者がと毒づき。

 

「そこまで、するんだ……」

 

 マリーナ騎士団の軍中占い師は、平然とそんな命令を出す敵将やそれに従う兵士に対して、愕然とした眼差しを向けていた。

 

 ファイカの手勢は、既に500を割り込もうとしている。もう数回も同じことを行えば、擦り切れて全滅することだろう。

 

 ただ、その数回は訪れるのか。

 ──ロマンタ平原の端、クルアン教の支配域付近へと、両軍は差し掛かろうとしていたのだ。

 

 

 

「……ここまで、ですね。全軍、進軍を停止してください」

 

 そこまでの苛烈な追撃指令とは一転して、メンドースはふと正気に返ったかの様に、前進を止める様に指示を出した。

 

 これ以上は、敵領域内へと踏み込んでしまう。

 ここから先は、罠が待ち受けていることだろう。

 

 第一、敵主力はまだ健在なのだから、その部隊が伏兵として潜んでいることなどは、火を見るよりも明らかだ。

 

 だから、ファイカを討てなかったのは本意でないが、ここで一度矛を収めるべきである。メンドースはそう判断して、これ以上の前進を止めたのだ。

 

 あれほどの侮蔑を受けても、芯の部分で冷静に判断ができる。

 

 その熱しきれない部分こそが、メンドースをここまで生き残らせてきたと言っても過言ではないだろう。

 

 …………ただ、メンドースがそうであるからといって、他者がその様に物事を見れるとは限らなかった。

 

 

「追撃を停止? こ、ここまで来てなの!?」

 

「敵は壊滅しかけで、風前の灯だぞ!!」

 

「将軍を侮蔑した輩に、何故わざわざ手心を加えて、逃がしてやらねばならんのだ!」

 

 

 イスペリア軍全体に、どこか穏やかでない気配が漂う。

 総司令官の声でさえ、聞き流してしまうくらいに。

 

 辺りが、激していた。

 

「…………討たない理由は無い、討つべきだ!」

 

「将軍の名誉を守る為にも、思い知らさねばならない!!」

 

 何故、こうもイスペリア軍自体が、熱狂と興奮に飲まれているのか。

 勿論、理由は様々ある。

 

 先の干戈を交えることのない前後軌道、ファイカによるイスペリア軍やメンドース将軍への侮蔑、数を恃んだ油断。

 

 分析すればもっと理由は出てくるだろうが、その中でも最大のものは──イスペリア軍は勝っている状況であることだ。

 

 今まで、イスペリア将兵は負け戦が続いてきた。

 最近になって、ようやく勝利を多少味わえる様になったが、まだ慣れていない味である。

 

 要するに……勝利という名の美酒に、メンドースを除くイスペリア軍全体が悪酔いしていたと言える。

 

 それが生き餌か毒餌なのか、判別が付かないくらいの酔い方をしていた。

 

「……っ、前進を停止してください、しろ!!」

 

 何かがおかしいと思ったメンドースであったが、時すでに遅し。

 

 

「将軍の名誉のためだよ、怯むな!」

 

「前進、前進だ!」

 

 

 熱に浮かされた様に、イスペリア兵達はトドメを刺せそうなファイカの背中へ向けて、駆け足を止めようとしなかった。

 

 その様子を見て、ファイカは口元に弧を描かせた。

 

「メンドースは、駒の扱いは上手さ。言われた通りに、正しく動く駒の扱いは。兵達も、従うしかない危機的戦況だったら、あんたに諾々と従うだろう。ただ……」

 

 後方より、矢が飛び蹄の足跡が聞こえる中で、多少息を切らせながら呟いた。

 

「──あんたが扱ってるのは、単なる駒じゃない。自律して勝手に動く、我儘な人間さね」

 

 

 

 

 

 続々と、イスペリア軍はロマンタ平原を超えて、敵司令官の追撃に乗り出していた。

 

 明らかに罠である、でも追撃する兵達はそれを気にも掛けていない。

 

「……乗せられてる」

 

 完全に、敵司令官を討てそうな今の状況のことしか、頭から追い出されてしまっている様だった。

 

 それもこれも、全部……。

 

「メンドース将軍じゃなくて、兵士の心を調略したんだ……」

 

 老練な、敵司令官の手腕によるもの。

 

 これまでの戦闘で、敵司令官はイスペリア兵達のフラストレーションを極限まで高めることに専念していたのだ。

 

 見事なまでの、戦場心理学ともいえる戦い方だ。

 ……恐ろしい相手だ。

 

「坊やがやったことの亜種だな、これは」

 

「え?」

 

 そんな敵司令官の怪腕に慄いていると、ベルタさんが奇妙なことを言い始めた。

 相手がしているのは、俺の真似だと。

 

 俺の亜種ってなんだろう、こんなこと出来た試しなんてないけど……。

 

「イスペル山脈で、異教徒共に飯を振る舞ってやって、足を止めただろう?」

 

 ただ、言わんとしていることは、それで伝わった。

 

「確かに、あの時は敵司令官をまともに相手なんかできないから、兵士の心に訴えかけました」

 

 そう、司令官でなく敵の兵士の心を攻める。

 あの時の俺は、そういう策をとった、事実である。

 

「でも、あの一発芸みたいな策を応用して、こんなことをしてくるなんて……」

 

 あの時と同じこと、敵兵士達の心を攻めてみろと言われたら、かなり難しい。

 相当悩んで、策を捻り出さなきゃいけない。

 

 でも、敵司令官は骨子が同じ策を、食べ物などの利を使わずにやってのけた。

 

 本当に恐ろしい、この敵が相当に油断ならない人物であることを思い知らされた。

 

 兵士の命を使い捨てたのも、策の一部として組み込んでいるのが本当に苛烈で、だからこそ戦慄させられる。

 

「……格上の相手と見て、間違いありません」

 

「さてね、坊やが相手に劣っているかは議論の余地があるが……これ、どうするべきだと思う?」

 

 ベルタさんの問い掛けは、非常に単純だった。

 

 暴走するイスペリア軍を救援する為に追従するか、ここで足を止めて自軍だけでも罠を避けるべきかというもの。

 

 マリーナ騎士団としては、火中の栗を拾いに行くのもバカバカしい。

 ここで待機するのが、多分正解だ。

 

 でも、今は状況が良くなかった、

 

「クローデットさん達が、どうなってるのか分からない……」

 

 多分、貴族達の救援には成功したと思う。

 退却路も、遠回りして敵に捕捉されない道を通っている筈。

 

 けど、それは全部予定通りに事が運んだ時の話。

 貴族達に足を引っ張られて、諸々遅延している可能性だってある。

 

 ……そうなってた時、退却して来た敵主力と、鉢合わせしないとも限らない。

 

「なら、どうする。迂回路から団長を救援しに行くか?」

 

「それは遠回りのルートなので、足が速くないと間に合いません」

 

「足がないと、か」

 

「はい」

 

 俺が次に何を言うかを察したように、ベルタさんは今残っているマリーナ騎士団の偵騎を見遣る。

 

 俺は頷いて、そうして言った。

 

「……馬を一頭、お借りしてもいいですか?」

 

「メイド隊から20、残っている馬共々連れてけ」

 

 だから、その心遣いには心から頭が下がった。

 俺の胸の内にある、落ち着かない気持ちを見通したかの様な差配だったから。

 

「ベルタさんはイスペリア軍の後方で構えて、索敵と警戒に全力を注いでください。伏兵を発見したら、イスペリア軍に警告。それでもイスペリア軍が前進を続けるようなら、自分達だけでも後退してください」

 

「心得た。お前さんは自分の姫様探しに、全力を注ぐと良い」

 

「一言余計です!」

 

 本当にありがたいのに、揶揄われると素直に感謝できない。

 

 ベルタさんは頼りになるお姉さんなのに、どうしてだか余計な老婆心が有り余っているタイプのお姉さんだった。

 

「無垢に恥ずかしがるお前が悪い」

 

「そんなこと言ってると、ちょっとしたおまじないを預けませんよ?」

 

「ん、まじない……?」

 

「はい、まじないです。敵の目的が、伏兵での殲滅策ではなく、コルドラへと誘引する時、どうするかって類の」

 

「聞かせろ」

 

 ベルタさんは、意地悪なお姉さんの顔から一転、真面目な指揮官としての顔にすぐ変貌する。

 

 オンオフが切り替えられるタイプのお姉さんでもあった。

 

 

 

 

 

「やれやれ、自分で煽って何だが、元気が有り余ってるじゃないか、山岳人共も」

 

 ロマンタ平原を超え、追撃を繰り返してくるイスペリア軍を前にして、ファイカが率いていた兵達の大半は土へと還ることとなった。

 

 1000を数えたファイカの兵は、既に数十人に過ぎない。

 

 この状況でもファイカが未だに生き延びているのは、本当に幸運によるものに過ぎない。

 

 イスペリアに来る前、こうした戦場でファイカは度々命を拾い続けていた。

 

 唯一、この老将が神の加護を感じ、信じるに値すると思う瞬間である。

 

 だが、その命脈は長くないように見えた。

 

 必死にイスペリア軍の秩序を回復しようと躍起なっていたメンドースすら、もしかするのかもしれないと瞠目する程の危機の只中。

 

 あと一歩──皆がそう思った時のこと。

 

 

「前方に異教徒の軍勢、およそ3000です!」

 

 

 追撃に躍起になっていたイスペリアの兵士が、驚きながら声を上げた。

 

 開けた街道で、クルアン教軍3000の姿を確認したから。

 

 伏兵でも何でもなく、正面に堂々と布陣していた軍勢。

 イスペリア軍の追撃が緩んだ瞬間に、ファイカは息も絶え絶えにその軍勢の中へと駆け込んだ。

 

「ぜー、はー……ふぅ、どうやら今回も生き延びられたみたいだね」

 

 一息ついたこの言葉は、イスペリア軍将兵達には届いてないが、察するに余りあるものがあった。

 敵集団を前にして、ようやく理性が戻って来たためだ。

 

 

「敵の一団、我々より少数ではあるが……」

 

「……もしや、罠か?」

 

「将軍の命令を無視した挙句、敵将を討ち損じるとはっ」

 

 

 全員が、悔しさと共に冷や汗が全身に回ったかの如き様相を呈している。

 各々が、恐る恐るメンドースの顔色を窺った。

 

「…………生きて帰れれば、厳格な軍規を敷くことも考えなくてはなりませんね」

 

 淡々と、されどもいつもの笑顔ではない、無表情でメンドースは呟いていた。

 

 皆が、背筋を凍らせた。

 心胆寒からしめるだけの気配が、そこにはあった。

 

「……マリーナ騎士団からの報告は?」

 

「ふ、 伏兵なし、との報が入っています!」

 

「そうですか」

 

 メンドースの一言一言に怯え、怒りを買わないか震える将兵達であったが、当の本人はファイカの意図を探る方に意識を向けていた。

 

 領内に誘い出し、多方面からの伏兵で包囲殲滅を図ることがファイカの目的だと思っていたから。

 

 でも、マリーナ騎士団が索敵する範囲では、帰り道に伏兵は存在していないとのこと。

 

 ならば、何を目論んでここまでイスペリア軍を誘い出したのか、その目的は何なのか。

 

 不気味で読めない敵の動きに、メンドースは眉を顰めた。

 

「全軍、秩序を保って後退を──」

 

 だから、敵の策に乗らないためにも、退くことを選択しようとした。

 

 ……しかし、物事をややこしくしようとする者がいる。

 無論、ファイカ・ビント・ハミダその人である。

 

「敵は引け腰さね、突撃!」

 

「──いえ、後退はなしです。応戦します、総員構え!」

 

 一息ついたといえ寡兵にも関わらず、ファイカは3000の兵で10000以上のイスペリア軍に襲い掛かった。

 

 イスペリア軍は虚を突かれかけたが、メンドースの冷ややかな叱咤が飛び出し、慌てふためきながらも心理的恐慌から立ち直ることに成功した。

 

 敵に襲われるのだから、応戦しなくてはという、兵士として生理的な反応をしたとも言える。

 

 だから、一瞬の動揺を飲み込んで、イスペリア軍はクルアン教軍の迎撃に成功した。

 

 目の前の敵より、後方の将軍に怯えをなしたというのもあった。

 

「はん、反応が良いじゃないかい」

 

「ファイカ様、如何なさいますか?」

 

「斬り合いに拘ることはないさ、引くよ!」

 

 それに対してファイカは、イスペリアが数の優位を確保して攻撃の衝撃力を緩和するように兵列に厚みを作ったのを確認して、深追い禁物とばかりに即座に退き始めた。

 

「逃げるのか!?」

 

「追うか?」

 

「いや、それは将軍が……」

 

 その俊敏な反応に、前線の兵士達は困惑したように、後方へと目を向けた。

 

 自らの指揮官が何をどう指示するのかを、身を固めながら待とうとしたのだ。

 

「……戦術的には、あり得ない行動ばかり」

 

 その将軍は、怪訝さを隠そうともしていなかった。

 

 敵の狙いは、イスペリア軍をもっと領内奥地へと誘い出そうとしていることは、最早明白だ。

 

 このまま進めば、南部の要の都市であるコルドラへと辿り着くことだろう。

 

 明らかに、コルドラへと誘い込んでいる。

 そこで何が待ち受けているのか、メンドースには掴めない。

 

 敵の行動に、軍事的な合理性が微塵も感じられないのだ。伏兵を用いるのなら、イスペリア軍の通り道に伏せておくべきだった。

 

 そうすれば、マリーナ騎士団が索敵していたとはいえ、イスペリアの前衛部隊は踏み込み過ぎていて退却できず、瞬く間に壊滅させられただろう。

 

 コルドラまで誘い出す理由が、微塵もないのだ。

 

「軍事的合理性はない。なら、軍事的ものではない、何か別の合理性は存在している……?」

 

 そこまで考え、何かを掴めそうになった瞬間、誰かがメンドースの元を訪ねて来た。

 

「しょ、将軍、マリーナ騎士団のベルタ・デ・ロペ殿が訪ねて参られました!」

 

「ん?」

 

 顔を上げると、イスペリアの元帯剣貴族にして、現在はマリーナ騎士団で相応の地位が与えられた人物が目の前に立っていた。

 

「ベルタ殿、でしたね。初めましてと言うべきでしょうか」

 

「四方に名が轟くメンドース将軍に名を覚えて頂けているのは、光栄の極みですね」

 

「……ご用件を伺いましょう、ご挨拶というわけでもないのでしょう?」

 

「占いを一つ、預かっています」

 

「……お聞かせ願いましょうか」

 

 問い掛けると彼女、ベルタは頷いて、預かっていた言伝をメンドースへと伝えた。

 

「コルドラへと招待されているのならば、乗ってみるのも一考に値する。──異教徒は、敵の司令官は、将軍個人と交渉をしたがっている、と」

 

 そんな占いです。

 そう告げたベルタに、メンドースはようやく腑に落ちた気がした。

 

 コルドラまで誘い出そうとしていたのは、宰相と自分を分断して、独自に外交交渉を成そうと目論んでいたのだと、ようやく敵の目的を理解して。

 

「交渉を望みながら敢えて交戦したのは、イスペリアの兵達にも交渉を見せたかったから。だから、私ごと兵を領内へと引き摺り込んだ。交渉内容を反故にしないよう、兵を公の証人に仕立て上げたいということですね」

 

「敵に、そんな意図があったのですか」

 

「でなければ、ここまでする意味がありません。兵を起こす必要などなく、私に秘密交渉を持ち掛ければ良いことですから」

 

 淡々と語るメンドースに、ベルタは静かに頭を下げた。

 この人物の見識は、どうやら軍事だけに留まるものではないのだろうと理解して。

 

「ところで、ベルタ殿。あなた方の占い師さんと、団長方の姿が見受けられないのは、どうしてでしょうか?」

 

 

「……隠れて睦み合っておられます」

 

 

 一瞬、静寂が二人の間を覆った。

 

 

「……今現在、敵領域内でですか?」

 

「……ガリティア軍の伝統として、軍中占い師は毎日ジョッキ一杯分の吐精を行い、荒れ狂うガリティアの令嬢方を鎮める役目を担っているのです」

 

「ジョッキ一杯分も……」

 

 もしかすると、疑り探るメンドースの視線を躱すために、ベルタは頭を下げたのかもしれなかった。

 

 団を率いる団長達が、独自の判断で持ち場を離れて、好き勝手していますと悟られないために。

 

 対してメンドースは、そんなカスみたいな伝統があって堪るかと思いつつも、脳が先のオクタヴィアと会談した時のことに、勝手に結びつけてしまっていた。

 

 オクタヴィアとジルベール、二人の子供を養子にすると嘯いていたことに。

 

「……私が母になる日も、近いのでしょうか?」

 

「は?」

 

「いえ、豪胆なる所業。ベルタ殿も含めて、流石はマリーナ騎士団だと思っただけです」

 

「えぇ……」

 

 一緒にしないでほしいと、カスの嘘を吐いた側のベルタがすごく嫌そうな顔をしている中で、メンドースは自分の乳を見下ろした。

 

 困ったことに、ロマンタ平原の如き風通しの良さが、そこにはあって。

 

「どの道、孕まねば乳は出ないのですから、詮なきことでしたね……」

 

「……将軍も、坊やを狙っておいでで?」

 

「いえ、別口です」

 

 別口は存在するのかと、何ともいえなくなるベルタを前にメンドースは、ようやくいつもの胡乱な笑みを浮かべて。

 

「何にせよ、これ以上戦う必要性はないでしょう」

 

 そう言い、メンドースは幕僚を呼び付けて。

 

「──異教徒と一時休戦を提案します。白旗を持って、コルドラへの招待を受けると、ファイカ・ビント・ハミダに伝えて来てください」

 

「い、異教徒相手にですか!?」

 

「えぇ、仰りたいことは分かります。異教徒への反感は、無論私にも存在していますから。ですが……」

 

 メンドースは、声を張り上げた訳ではない。

 だけど、その声は静まり返った軍中に響き渡った。

 

 

「──異教徒が気に入らないからと、私の指示に逆らわないで下さい。でなければ……困りますよ、あなた方が。もしや、ご家族に不幸が訪れるかもしれません」

 

 

 だから、今度は逆らわないで下さいねと、言い含めた。

 

 指示を受けた幕僚は、顔を青ざめさせながら頷いて、そのまますっ飛んでいく。

 

 言葉を聞き届けた兵達も、顔面を蒼白にしながら震え上がるばかりで。

 

 笑顔の裏に怒りを滲ませながら、メンドースは軍の統制の完全な回復に成功した。

 それにより、兵が暴発する危険性も取り除いた。

 

 これで、メンドースは煩わされることなく、ファイカが望む交渉とやらに挑めるだろう。

 

 この戦役において初めて、イスペリア側からクルアン教に歩み寄りを見せた瞬間であった。

 

 

 

 

 

「クローデットさん、ご無事ですか!」

 

「何故ここに、ジルベールさんがいるのですわ!?」

 

「様子を見にきたんです!」

 

 分離行動を取った俺は、着いてきてくれてるメイドのみんなと一緒に、一路外れ道からクローデットさん達の元へと急行した。

 

 本当に急いでの強行軍だったし、辺りを警戒している暇がない。

 

 伏兵がいたら、多分やられてたと思う。

 それくらい、無謀な行軍を行って。

 

 幸運にも恵まれたのか、何事もないままにクローデットさん達と合流を果たせた。

 

 予測地点よりも早く合流できたのは、かなりの手際で令嬢方が活躍したからだろう。

 

 辺りを見回すと、誰一人として欠けた令嬢はいないみたいで、心の底からホッとした。

 

 クローデットさんは、俺の心配なんか軽く吹き飛ばしてしまうくらいの人なんだって、そんな嬉しさも湧いてくる。

 

「もう、任せてくだされば良いですのに……無茶しますわね」

 

「クローデットさん達には、きっと負けちゃいます」

 

 互いに歩み寄って、ごく自然に、無事を確かめ合うように手を握り合う。

 ……温かい、ちゃんと血が通っている証拠だ。

 

「クローデット殿、その……こちらのフードの男性は?」

 

 そんな中で、ふと声を掛けられて正気に戻る。

 あれ、俺、いま勝手に体が動いて恥ずかしいこと、してなかったかって。

 

「クローデットさん、ごめんなさい! その、つい嬉しくなっちゃって!」

 

「あっ」

 

 顔が赤くなるのを自覚しながら、慌てて手を離す。

 ちょっと残念そうな声がクローデットさんから漏れていたが、俺も実は同じ気持ちだった。

 

「ん"っ"ん、こほん。こちらは我がマリーナ騎士団の軍中占い師である、ジルベール・ネイさんですわ!」

 

 問い掛けてきたのは、どうやら助けられたイスペリア貴族の人達みたいだった。

 

 会議場などで見た時と違い、今はクローデットさんに憚っているような感じがする。

 

 助けるだけじゃなくて、心服させてしまったみたいだ。

 ……クローデットさんは、本当に凄い。

 

 人の心を動かすなら、俺やクルアン教の指揮官みたいなのじゃなくて、クローデットさんの様なやり方が一番だし、何より憧れてしまう性根がそこにはあった。

 

「因みにですが、皆様の危機を予見し、救援に向かうよう仰ったのもジルベールさんの占いによるものでしたわ!」

 

「なんと!」

 

 ただ、人の心を良い方向に動かせるクローデットさんは、何故か俺のことを話し始めていた。

 

 "この人が、あなた方を助ける切っ掛けになったのですわ"、という言葉と共に。

 辺りが騒めいた、どこか明るい方向へ。

 

 

「驚きました、男性がその様な預言者の如き理を司れるとは……」

 

「神の加護が厚いのでしょう、本物であらせられますな」

 

「あんなに不躾だった私達に、神の慈悲を分け与えてくださった恩義、忘れません」

 

 

 ただ、何でか占いと紹介された筈なのに、神様の神託を俺が受け取って助けたことになっていた。

 

 心理的には、ガリティアの怪しい奴に助けられたってよりは、神様のお指図で生き延びられたって方が、この人達的には納得できることなんだろうけど。

 

「み、皆様がご無事で、本当に良かったです」

 

 取り敢えず否定せず、出来るだけ明るい声を作って話し掛けた。

 

 信じられないくらいマリーナ騎士団に好意的になってるし、わざわざ株を落とす真似をする必要はないと判断して。

 

 

「おお、なんと楚々とした言葉だ!」

 

「ありがたや、ありがたや……」

 

「もしや、聖者(元の世界の聖女)の資質をお持ちなのでは?」

 

 

 ただ、クローデットさんはどれだけこの人達の脳を焼いたのか。俺の何でもない一言でさえ、馬鹿みたいに持ち上げられる。

 

 慣れない激賞の嵐に、一周回って阿諛追従ってこんなのかなって気分になってくる。

 

 会議の時と違って邪気とか感じないから、本気で言ってくれてるんだとは思うけど。

 ……正気なのかは、ちょっと怪しかった。

 

「そうですわ、ジルベールさんはとっても素敵で凄いお方なのですわ〜!」

 

 そして、同様にクローデットさんも、様子がおかしかった。

 俺のことで、何故か鼻高々になってしまっている。

 

「……いえ、クローデットさんの方が凄い人です。みんなから、もっと讃えられて然るべきの」

 

「な、何を仰っているのですわ!? ジルベールさんは影に隠れがちなのですから、こんな時こそ褒められてしかるべきですの!」

 

「いやいやいや」

 

「ノンノンノンですの!」

 

「いやいやいやいやいや」

 

「ですわですわですわですわ〜!!」

 

 いつの間にか、互いに相手の方がすごいと主張する合戦が始まっていた。

 

「何やってるんでしょうね、俺たち」

 

「ジルベールさんが、素直に皆からの称賛を受け取らないのが悪いのですわ。素直に反省してくださいまし」

 

「俺が悪かったんだ……」

 

 いつの間にか、周囲の視線が生暖かくなってる。

 気恥ずかしさに満ちた、そんな空気の中での出来事だった。

 

「クローデット様、あれを!」

 

 一人のメイドが、何かに気がついたみたいに指を指した。

 

 指差された方向を見ると、コルドラ方面から誰かが単騎で近づいて来ていた。

 

 十中八九、クルアン教軍の人物だろう。

 それも、単なる兵士が来たというわけじゃない。

 

 ──白旗を振りながら、接近してきていたのだから。

 

 そうして現れた人物を見て、俺は目が丸くなるのを自覚した。

 

「君は……」

 

「ん、また会った」

 

 見覚えのある、暖かな褐色の肌とそれに反する怜悧な無表情。

 

 あの時、エーラ川で俺を負かした子が、目の前にまでやって来て。

 

「…………停戦と交渉、したい」

 

 そんな申し入れを、行ってきたのだ。

 対して、申し込まれたクローデットさんと言えば……。

 

「で、ですのぉ?」

 

 予想外の展開に、俺とは別ベクトルで、目を丸くしているみたいだった。 

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