貞操逆転世界で占い師(軍師)を務めていたら、貴族令嬢方に包囲され逃げられなくなった件について 作:ですわお嬢様
小雨が降り、強い風が吹き荒ぶ。
暴風と言うにはか細くて、軟風と言うには激しい風雨の日。
「──これより、厳粛なる決闘を執り行います」
「……両者、前へ」
不機嫌な天候を前にしても、一騎打ち、決闘は挙行される運びとなった。
決闘に際して、両軍は立会人を立てた。
見届ける義務を負ったのは、両軍の指揮権を有するメンドースとアマルである。
二人からの宣言を受けて、クローデットとファイカが前へ出た。
「決闘の勝利者は、相手の陣営に命令を強制する権利を得ます」
「敗者は、諾諾と、勝者の命に、従うべし」
それは、先日の内にメンドースとアマルで決めた規定。
規定と称するには、単純すぎるものがあるが。
「勝敗については、相手を屈服させる──敗北したことを認めさせ、降伏させるか」
「……命を絶つ。殺すことが条件に、なる」
歓声が降り注ぐ、決闘に赴く両者を応援する声援……ではなく、敵を斬れという嗜虐と血の気が乗った黄色い声が。
両軍の兵士達から、怒号の如く浴びせられるそれに、両者は飄々として。
「アマルの嫁入りに邪魔だからね、腕の一本は貰っていこうかね」
「ジルさんは、断じて渡しませんの! 第一、そんな略奪婚のような婚約、断じて認められるものではございませんですわーーーっ!」
……いや、飄々ではなく、汲々だったかもしれない。
戦士の憧れである一騎打ちをなんだと思っているのか、アマルは問い質したい気分であった。
ただ、向かい合い、剣を執った両者に油断は無い。
互いに、合図を今か今かと待っていた。
戦いの合図が下されるのを。
強い風が、両者を撫でた。
それが、合図となった。
「両者、己の誇りに掛けて──」
「──尋常に、始め!」
合図を受け、最初に動いたのはクローデットであった。
「シッ──」
厚みのあるロングソードを両手で握り、15m程の間合いを一瞬で踏み込み、肉薄したのだ。
「チィ!」
爆発的な踏み込み、軽々ロングロードを扱う筋力、バカみたいな魔力だ。おいぼれの片手剣で、マトモに打ち合える筈がない。
即座に判断したファイカは、体を投げ出す形で攻撃の勢いを受け流した。
事実、クローデットの振るう剣を受け流したにも関わらず、ファイカは地面を転がることになった。
しかし、衝撃は最低限に抑えられている、ダメージは軽い痺れだけ。片手で地面を叩き、ファイカは勢いよく体を起こした。
「力と速さを両立しているタイプかい」
「どんどん行きますわ、受け止めてくださいまし!」
「しかも遠慮がないと来てる!」
クローデットの軽やかな剣捌きに、必死に老体は動きながら衝撃を分散させる。
止まった瞬間、捉えられる。
重い一撃をマトモに受け止めれば、一瞬で自らの剣ごとミンチにされる。
それをよく理解して、何歩も、何十歩も後退を重ねた。
しかし、ただ受け止めるだけではない。
四方へと駆け巡り、ファイカは必死の撹乱を試みていた。
「労りがないと、人から嫌われるよ!」
「降伏してくださるのならば、考えて差し上げますわ」
「老人虐めを行う絵面を鑑みたことがあるのかい!」
「口先だけお忙しいので?」
「手足はご覧の通り、あんたに劣っているんでね!」
「なるほど、道理ですわね」
ひっそりと砂を握ったファイカは、接近を試みたクローデットにそれをぶち撒けた。
それを避けるでもなく突っ込んでしまったクローデットは、目を閉じさせられることを強要された。
ただ、だからといって前進は止めない。
下手に足を止めることこそ、ファイカの思惑に嵌るが故に。
「だから、若さを手管で補うのですわね!」
「少しは怯んでみせたらどうだい!」
目を閉じたまま勢い良く剣を振り下ろすクローデットから、ファイカは三歩後退した。
ここから、目を閉じ生じた虚に対して、つけ入ろうとしたがための僅かな後退であった。
しかし……。
「どうぞ、いらしてくださいまし」
クローデットは、既に体勢を立て直していた。
目も開いており、仕掛ければ相応の報いがあるであろう。
そして、恐らくは同じ手段は食わない。
砂を握ろうとした瞬間、クローデットはそれを咎めるであろうことは想像に難くない。
隙を誘わねばならない。
しかし、罠に掛けようとすれば、罠ごと噛み砕かれる。
それを理解し、ファイカは嘆息した。
耐えるしかない、ないのだが……。
「ババア相手に本気になって、恥ずかしくないのかい!」
「決闘の最中に、恥ずかしい物言いですの!」
もう暫く、ファイカの我慢は続きそうであった。
クローデットにファイカが追い立てられる戦況を確認しながら、ジルベールは先ほど託された言葉について考えていた。
『何の因果か分からないがね──ジルベール、それはクルアン教の開祖ムスタファを助けた天使の名だよ』
『アマルのためにも、上手くやりな』
クルアン教の成立に関わった天使の名、ジルベール。
上手くやれという、焚きつける言葉。
この状況で、何をしろと言われたのか。
考えれば、それは明白だ。
──状況を上手く利用しろ。
──ジルベールという名は、クルアン教徒にとって特別である。
──アマルをよろしく。
言いたいことは、大体そういうことである。
察するに、ファイカは彼に期待を掛けた。
或いは、アマルのために利用を画策した。
この条件を使って、クルアン教徒達を上手く調伏しろと、そういうことが言いたかったに違いない。
何故、そんなことを告げたのか?
……自分が負けると思っている。
負けてしまったら、クルアン教徒達が大人しく降伏すると思っていない。
今はお祭りに興じているが、いざ自分が当事者になったと自覚した時に、彼女らは暴れるだろうとファイカは思ったのだろう。
その時、負けた身では統制する資格を失っている。
アマルも、必死に約束事を守ろうとするだろうが、経験が足りていない。
抑えきれない、暴動は起こるとファイカは見ているのだ。
だから、ジルベールに託した。
孫を唆したのなら、きっちり責任は取ってもらわねば。
孫が欲しいと言うなら、これくらいはなんとかしてみせろということなのかもしれない。
だから、彼は考えていた。
事態が動いた時に、どう収拾するのかを。
元は、もし暴動が起きたとしても、ファイカが居ないクルアン教軍は、メンドース将軍が制圧できると踏んでいた。
クルアン教徒内でも、ガルガン人と本国人で対立があるはず。
だから、最悪アマルを起点に、離間の計を仕掛けることも視野に入れていた。
元より、成功すれば御の字といった策である。
アマルの意図を汲みつつも、前後のことはもちろん彼は考えていた。
けど、もっと良い方法があるかも知れない。
ファイカにそう示唆されて、彼は今もそのことについて考え続けていた。
ジルベール、自らの名の意味に想いを巡らせながら。
戦いは一方的に見えた。
若さに任せ、体力と魔力で圧倒するクローデット。
技で凌ぎながら、何とか機会を伺うファイカ。
息を切らせるクルアン教の老将とは対照的に、軽やかに剣を振るい、乱れ一つないガリティアの騎士。
イスペリアの陣地からは、"殺せ!""八つ裂きにして!"と有利な展開を見て、血の気の上った声援が送られる。
コルドラからは、"負けるな陰湿ババア!""気張ってくださいファイカ様!"と不利を認めた上での檄を飛ばす声援が送られていた。
ただ、当事者の二人は、そんな他者からの言葉を耳に入れる余裕がなかった。
目の前の敵相手に、全ての神経を集中させていたが故に。
「ゲホッ、ゲホッ……ふぅ。全く、ふざけた話だよ」
「何がですわ?」
「大した茶番じゃないかいっ」
クローデットの攻撃を受け流しながら、ファイカは息も絶え絶えに喋り続けていた。
激しく動き回り、喋ることですら体力を使う。
戦うだけならば、喋らない方が賢明である。
しかし、ファイカは口を噤まなかった。
戦闘力で劣っているのだから、他の部分で活路を見出すしかない。
よく喋る口を閉じてしまえば、何かが起こる余地すら無くなるためだ。
「分かってるんだよ、こっちは!」
「何が、ですの!」
「──あんた、あの坊やに、尻に敷かれてるんだろう!」
「ですわ!?」
そして、相手を揺さぶる方法に、ファイカはプライベートを持ち出した。
取っ掛かりとなる話題が、それだったというのもある。
「だからこうして、坊やの策を唯々諾々と受け入れている!」
「そ、それが何だと言いますの!」
「ナンセンスだよ!」
クローデットの手が緩む。
そこでファイカは、初めて自ら踏み込みを入れる権利を得た。
「恥ずかしいと思わないのかい、おんぶに抱っこで!」
「べ、別にワタクシ、全部を任せきりにしている訳ではありませんわ!」
気が付けば、クローデットは守勢に回っていた。
危なげはない、片手剣で軽快な剣捌きを見せるファイカの攻撃を、ロングソードで見事に弾き返し続けている。
しかし、ファイカの言い分にどこかに、自我の底で思っていたことを言い当てられて。
その後ろめたさが、クローデットに言い分を聞いてしまうという選択を与えてしまっていた。
側から見れば、攻守逆転したように見えたであろう。
「そうかい? だけどね、幾ら坊やが特別だとしても、策に瑕疵があったら指摘してやるのが主人の役割じゃないのかい!」
「ワタクシがジルさんのご主人様!?」
「どこに反応してるんだい!」
口も手も、少しも緩めない。
剣を握り、ひたすらに打ち込み続ける。
ファイカの猛攻に、悲喜交々な野次の様な声援が降り注ぐ。
「兵達の感情を利用して煽っても、鎮静させる手段を坊やは有していたのかい? 全部上手くいくことを前提に、対応を疎かにしていたとは言えないのかい!」
「よく動く口ですわね!」
「黙らせてみな、手じゃなく口でね!」
「ご都合がよろしいのですわ!」
ファイカの能弁を前にして、クローデットはやや押し込まれ気味になっていた。
一歩、また一歩と、剣戟を交えながら後退を余儀なくされる。
"ワタクシはジルさんを信じています"
事実である一語が、どうにも言い訳のように感じられて。
「丸く収まるモノを無茶苦茶にして、どの口が言うんだい!」
どの口が言う、とはファイカにも言えた。
正論に見せかけている言葉の裏側は、全部自分の思惑通りに動かしておけばよかったものを、になるのだから。
こんな言い分、一顧だにする必要はない。
ジルベールの策が全部上手くいくとは限らないのと同じで、ファイカの思惑も全て上手くいくとは限らないのだから。
事後策を、ジルベールが考えていない訳もなし。
所詮、言い掛かりに過ぎないのだ。
ただ、クローデットは真面目であった。
ジルベールに背負わせ過ぎているという思いを、いつも裡に隠していたから。
どうしても、ファイカの言葉を振り払えない。
耳が、脳が、マトモに言葉を聞き続けてしまう。
「……あなたの、理屈ですわ」
こちらにも事情があった。
そう返すだけで、クローデットは精一杯であった。
クロエさんが守勢に回った。
ファイカさんと、何かしらの口論を交えながら。
周りの歓声やヤジが酷くて、その内容は聞こえてこない。
けど、どこかクローデットさんが窮屈そうにしているのは、さっきまでの勢いと比較したら、よく見て取れて。
「ジルベールくん、考え事をしてたの?」
「エレーヌさん……」
そんな中でも、俺は自分の考え事に耽ってしまっていた。
声を掛けられたタイミングがそんな時だったので、若干後ろめたい。
「ごめんなさい、クロエさんが戦っている最中なのに」
「いや、それが正しいよ。君はクローデットさんを助けるために、色々と考えているんだから」
そう言ってもらえると、ちょっと落ち着く。
是非はさて置き、考えていたこと自体は、決して無為なものではなかったから。
「それで、何を考えてたんだい?」
「……俺の名前が、クルアン教の天使と一緒らしいことについて、ですね」
多分、それだけ聞いても、意味が分からないと思われるだろう。
でも、エレーヌさんは、だからどうした、と掘り下げることもなく、そうだねと頷いて。
「天使ジルベール、クルアン教の始まりの天使。開祖ムスタファに神託を伝えた、神の代弁者である天使。聖教圏では、ガブラエルという名で呼ばれているね」
そして、そっと自分の知っている情報を提供してくれた。
考えるのに必要な情報を出して、それでどうするのかな、と言わんばかりに。
「そういう属性の天使、なんですね」
「聖教圏でもクルアン教でも、重要な立ち位置にいる天使だよ」
補足を入れてから、エレーヌさんは、ふと納得した様な顔を見せた。
何だと思っていると、半ば独り言みたいに彼女は呟いて。
「でも、そっか。……確かに、ジルベールくんと似てるね」
「似て、ますか?」
「うん、だって彼の天使は、啓示の天使だから」
啓示の天使、天からの意思を伝えるメッセンジャーということ。
……確かに、部分的に見ればそう見えなくもない。
占いという体で物事を伝達している俺は、令嬢達にとって摩訶不思議な生き物であるには違いないだろうから。
占いと神託(予言)は全くの別物だから、錯覚でしかないんだけれど。
「博識です、初めて知りました……」
「クルアン教と交渉するなら、相手が尊重しているモノを知らないといけないからね」
暗に、クルアン教の聖典を読んだことがあると、エレーヌさんは仄めかした。
聖教の聖職者が知れば、破戒的であると激怒しそうなことだ。
だから、エレーヌさんも明言はしなかったのであろう。
ウインクするこの人は、本当はお茶目さんなのかもしれなかった。
「けど、それなら……」
エレーヌさんの話を聞いて、何かが脳裏で形を成そうとしていた。
ジルベールという天使の属性。
人を導くという、予言の天使について。
「何か思いついた?」
「お陰様で」
エレーヌさんは、俺とこの天使が似ていると言った。
実際はそうでなくても、胡乱な在り方は勘違いされる要素があるのだろう。
それに……。
「予言と占い。当たる当たらないは置いておいて、人を恣意的に動かそうとするのは、確かに似てるかも」
告げられた側が気にせざるを得ない、という点においては。
予言や占いは、告げられた事と全く別のことが起こっても、関連性を見出してしまう。
もしかして、と定義してしまう。
人間には、知性があるから。
謎が解けた時、脳内麻薬が頭を巡り、快感を覚えてしまう生き物だから。
例え錯覚であったとしても、繋がっていると感じてしまえば、後は幾らでも錯視してしまえる。
例え、それが一時の気の迷いだとしても……。
「要は、クルアン教徒達が海の向こう側に帰るまで、騙せることができれば良いんだ」
「……何か悪いこと、考えてる?」
「さて、どうでしょう」
悪いかどうかでいえば、多分悪いことだ。
単純に、いま俺が思いついたのは詐欺的なことだから。
でも、結果として丸く納められるならば、優しい嘘と嘯いても許される……かもしれない。
「けど、信じてもらうなら、劇的じゃないと多分ダメだよなぁ」
「何のこと?」
「いえ、ちょっとした狂言というか、子供騙しというか……」
愛想笑いをしながら、俺はエレーヌさんの追求をやんわりと躱した。
これ、失敗したらクルアン教徒側だけじゃなくて、イスペリア側からも指弾されそうだったから。
偽の預言者なんて、広間に吊るされるのがお約束だから。
……もしやるとしたら、マリーナ騎士団に塁が及ばない様にしないとね。
ファイカは一息つく間もなく、クローデットを攻め立てていた。
剣では軽く、口では重く。
本心からの言葉ではないが、利用できるモノを利用する感覚で。
「アマルが欲しいと、あの坊やは言ったね。あんたの意思は、そこに幾らあったんだい!」
「無論、半分ですわ!」
「そうかい、甲斐性なしだね。女なら、全部と言ってやるところだよ!」
「む、ぅ……」
その誹謗は、論理ではなくこの時代の道理であった。
クローデットはジルベールを大切な相方、二人で一つの翼と思っている。
対等の相手と、そう見なしているのだ。
しかし、それはどうにも時勢にあってない。
男は所有物で、守られるべきモノ。
それが、世のルールである。
何なら、昨今(聖教暦700年代)の聖書の注釈書にだって、男は物であるとまで記された代物まで存在している。
クルアン教でも、男性は保護すべき存在であると定義している。
クローデットの方が、世の価値観に合っていない。
まあ、クローデットの周りにいたのが、彼女を補佐し、助けられる人材であったのならば、そちらの価値観に染まっていたことだろう。
しかし、彼女の周りに跋扈していたのは、アホアホ脳筋令嬢ばかりであった。
偶にエレーヌの様に話のできる令嬢もいるが、そういう人物に限って些か事情が込み入っている。
素直にクローデットをもたれさせてくれる人物が、ジルベールしか居なかったのだ。
だから、クローデットは彼を尊重した。
必死に自分を扶けようと奔走してくれる彼に対して、信用と信頼、それ以上の何かを抱いたのだ。
なので、ファイカの言うことに反感を覚えつつも、クローデットは反論を控えた。
自身がジルベールにもたれすぎていると、そういう自覚もあったから。
男性は護られて然るべきものという価値観が、クローデットを後ろめたくしたのだ。
「…………余計な、お世話ですのっ」
ただ、それはそれとして、一方的な物言いにムカつきもする。
何で自分と彼との関係を、敵にとやかく言われなければならないのか、と不愉快に思う気持ちもあった。
「人の事情にとやかく言うのは、幾ら人生の先達といえども許せませんの! 恥をお知りなさい!!」
言うや否や、クローデットはファイカの軽い剣筋を受け止めた。
そのまま、踏ん張りを効かせて老将を押し返そうとしたのだ。
……しかし、場が悪かった。
踏ん張った場所は雨でぬかるんでおり、土が泥と化していた。
「ですわ!?」
「ぬかったね!」
泥に足を取られて体勢を崩したクローデットに、ファイカは追撃の剣を振り上げた。
咄嗟に身を捩って交わしたクローデットではあるが、そのまま強かに背を強打した。
地面へと突っ込んでしまい、泥に塗れた。
イスペリアの陣地から悲鳴が、コルドラからは歓声が其々響いた。
形勢が傾いた。
有利不利が明確になりつつあると、見ている者は感じたのかも知れない。
「チッ、仕留め損なったかい」
「ぺっぺっ……ふぅ、危なかったのですわ」
ただ、当事者同士の反応は真逆であった。
ファイカは不機嫌に、クローデットは安堵と共にため息を漏らした。
これで決められないのならば、勝負の行方は見えてしまう。
「不覚でしたわ、戦いの最中に意識を乱されるなんて」
「不覚なのはこっちだよ、勝ち筋が無くなっちまった」
悠然と立ち上がるクローデットに対して、ファイカは一歩も動かない。否、動けない。
己の口で散漫にさせていた敵の意識が、しっかりと自らのみに固定されているのを察したからだ。
「……一応聞くんだけどね、坊やに諸々を丸投げして、いいと思うかい? いつか失敗した時、誰のせいだと坊やに言ってやれるのかい?」
もう効かないと分かっていても、ファイカは呪の様な言葉を吐いた。
「丸投げ、ではありませんわ」
対して、クローデットはロングソードを握りしめ、走り始めた。
「精査した上で、認めていますの。誰よりも、ワタクシが、彼のことを!」
そのまま、クローデットは大上段に剣を振り上げた。
大振りだ、隙がある。
その土手っ腹を、ファイカは片手剣で切り付けようとした。
「ワタクシとあの人は、二人で一対の翼ですわ! 捥ごうとしても、無駄でしかありませんの!!」
「……やれやれ、吹っ切れちまったか」
ファイカの腕を、クローデットは強かに蹴り飛ばした。
体勢的に、とんでもない無茶である。
事実、クローデットはたたらを踏んで、よろめいた。
しかし、ファイカは追撃ができない。
クローデットのヤクザキックで、腕の関節が外れてしまっていたからだ。
「秘技、淑女キックですの!」
「バカみたいだね」
外れた関節をゴキリと嵌め直しながら、ファイカは目の前の少女を睨みつけた。
関節が外れただけでない、腕が炎症したかの様に痛みを発している。
多分、ヒビが入っていた。
大上段の構えは誘いであり、本命はさっきの蹴りだったと考えられる。
敵が不利になったところで、隙を見せる。
軍略なら単純な計略だ、乗せられた自分を嘲笑するしかない。
戦士としての衰えを、まざまざと実感させられた。
脳に酸素が足りていない、思考する力が弱くなる。
いや、さっき仕留め損なったところで、既に集中力は落ちていたのだろう。
単純に、若者と老人の肉体スペックの差が、如実に現れ始めていたのだ。
「彼は護られるだけの人ではないし、それでいて護って差し上げたい人ですの」
「うちのバカ孫以外も、しっかり誑かしていた訳だね」
「ふふ、違いますわ」
泥に塗れながらも、クローデットは雨雲の下で、どこか煌めいて見えた。
堂々とした立ち居振る舞いが、彼女をそう見せた。滴る雨の水滴さえ、彼女を飾るアクセサリーと化している。
惑いは全て落ちた。
立ち姿だけで、それが伝わってくる。
「誑かされたのではなく、勝手に嵌まり込んでしまっただけなのですわ!」
「更に重症じゃないかい、そりゃ」
呆れながら、ファイカは剣を構えた。
翼が生えた気持ちで、クローデットは駆け出していた。
「でも、それで良いのですの。ワタクシ達は、互いに手を差し伸べ合るのですから!」
「情けなくないのかい、それで!」
「情けないとは思いますわ!」
「ぬ!?」
たわんだ土を飛び越え、固い地面を踏みしめながら、ジグザグに突貫してくる。
老将は、剣を構えた。
退避しようとも考えたが、その場で踏み止まった。
段々と、周囲の地面が緩んできている。
下手に良ければ、泥濘に嵌らざるを得ない。
「ですから、情けないワタクシには、ジルさんが必要ですの! アマルさんだって、だから欲しいと思ったのですわ!!」
「そんな理由かい!」
「正直者で、ごめんあそばせ!」
なら、ならばと考えて……。
ファイカは、自らも踏み込んだ。
避けようにも避けられず、受けて立てばへし折られるから。
「やれると思うのかい、そんな理由で!」
「貰い受けたいのですわ、是非に!」
ならば、相手の攻撃が受ける前に、防御に回らせるしかない。
そうする他は、全て敗北の道筋へと繋がっている。
だからファイカは、迎撃ではなく先手を取ろうとした。
「情けないワタクシには、どうしたって必要ですの!」
「それが異民族の輩でもか!」
二人は、互いが触れ合える距離にあった。
ファイカの目に、クローデットの相貌がハッキリと映し出される。
「えぇ、だって──」
真っ直ぐな目、意思を押し通せる力が宿った瞳をしていた。
「──祖国を失った同志、ですもの。外れ者同士、仲間になれる自信がありますわ!」
その言葉に、ファイカの動きは緩やかになった。
明確な隙、そこにクローデットは剣を一点狙いで突き出した。
武具を狙い、武器の破壊、或いはファイカの腕ごと粉砕せんとして。
その一閃を前にして、ファイカは……。
「そうかい──」
刺し違えるようにしながら、クローデットへと踏み込む。
二人の体が重なる。
傍から見れば、相打ったかのように見えただろう。
「──それなら、仕方ないね」
ただ、老将の刃が届いていない。
上手く、器用に避けられていたから。
逆に、クローデットの刃は……。
「……どうして」
「役者が、違う、の、さ……」
クローデットが目を見開く、ファイカは口元に血を垂らしながら笑っていた。
見事に、クローデットの剣が、ファイカの腹部を貫いていた。
自ら、その剣筋に躍り出たのだ。
勘の良い実力ある戦士ならば、それはファイカが望んで行ったことだと一目で見抜いてしまったであろう。
「…………勝負、あり」
瞳に悲しげな光を湛えながら、アマルが宣言する。
「……クローデット・ジラール団長の勝利です」
裡に何かを押し込みながら、メンドースが宣告した。
一瞬の静寂の後、周囲から歓声と悲鳴、怒号そのものな悲喜交々が飛び交いあった瞬間である。
一陣の風が、諌めるように強く吹いた。
勝負あり。
その言葉を発した後、アマルはフラフラとファイカへと近付いた。
ファイカは未だ、クローデットと交錯している。
腹から剣を抜けずに、まるで一つの彫刻みたいに固まっていた。
「わた、ワタクシ、そんなつもりでは……」
アマルが近づいて来たのを確認して、クローデットは譫言を口走った。
それに、アマルは小さく頷く。
「あなたは、強かった。婆の相手に、不足、なかった。最後のは、婆のせい、だから」
分かっていると、アマルはそっとクローデットを引き剥がした。
ごめんなさいと口走ろうとしたが、クローデットは必死に口を噤んだ。その謝罪は、罪悪感から逃れるためのものであるから。
せめて、責任は背負わなくては。
アマルにクローデットを恨む権利くらい、残さなくては。
そう思って、何事も言うまいと口を閉ざした。
けど、それを許してくれない人物が一人、ここには居て……。
「あん、た、クロー、デット。アマルを、よろしく、ねぇ」
「ファイカさん……」
孫をやる、しっかり面倒を見ろ。
それが、ファイカがクローデットに掛けた言葉(呪い)だった。
何かを言い募ろうとしたが、それを振り切るようにしてクローデットは黙った。
ファイカの刻は、刻一刻とこぼれ落ちていっている。
これ以上、自分に使う時間はないと判断したが故に。
アマルはファイカを抱き抱えながら、問うた。
「……どうして?」
「都合が、良いのさ。こっち、のが、ね」
初めから、死ぬつもりだったのだ。
自分が死ぬのは既定事項。
そう伝えられて、アマルは遣る瀬なくなるしかなかった。
色んな人を巻き込んで、無茶苦茶をして、我を通そうとしたのに、それすら許されなかったから。
結局、アマルはファイカを最後まで超えられなかった。思惑を打ち破って、共に明日を過ごす権利をついぞ手にできなかったのだ。
「……それ、でも。婆に、生きて、欲しかった」
アマルは普段、あまり口を利かない。
ファイカに対しても、少しだけ話す程度で。
幼い頃からそうで、イスペリアに来てからはもっとだ。
だからこれは、この地に来てから初めての泣き言だった。
祖母に対して、幼年期振りの甘えたのだ。
「かわいい、孫、を、甘やかし、たかった、のさ……」
軋む腕を上げ、そっと孫の髪を撫でた。
孫の思い遣りに、応えたいと思ったから。
末期に際して、ファイカは自分の立場を忘れた。
今の彼女は、単なる一人の祖母でしかなかった。
「あんたは、バカ、だから、ね。面倒、見て、くれる奴が、いない、といけない、んだよ」
「うる、さい……。バカなのは、婆。一人で、決めて、勝手に──死ぬ、な!」
雨が降っている。
これは自分の涙だと、アマルは恥じた。
アマルは泣いていた。
俯いて、情けない自分を隠す。
雨と涙が混じって、水滴の一粒一粒が血が通っているような熱を感じた。
夏の雨だと、そう思った。
「婆、私、は……」
祖母に何かを言おうとした。
感謝か悲嘆か、それとも憎まれ口か。
それは、彼女自身にも分かっていない。
ただ、何かを言わなきゃと思っていた。
そんな時の、ことであった。
「アマ、ル、顔を、あげて、上を、見な……」
「婆……」
声を掛けられ、アマルはファイカの白くなっていく、命が零れ落ちていくかんばせを見遣った。
けど、ファイカは小さく首を振って。
「違う、よ、バカ孫──空を、見上げ、な」
急な祖母の言葉に困惑しながら、アマルは空へと視線をやった。
天が泣いている以外に、一体何があるのだろうか、と。
──そうして、アマルは目を見開いた。
「空、が──」
決闘が終わり、決着がついた。
これにて落着というのならば、話は早い。
しかし、どうやらそれで収まりそうにない。
イスペリアの陣地からは、祝宴を開こうと言わんばかりの歓喜が飛び交っている。
しかし、コルドラ方面からは、不穏な気配が漂いつつあった。
古参の兵士達が、ファイカとアマルを見守っている。
……見守りながら、準備を始めた。
いつ声を掛けられても良いように、アマルが臨むのならばいつでも動けるように。
先の決闘は見事であったが、置いていかれたという感情も強かったが故に。
そんな古参の様子を見て、ガルガン人達も蠢動し始めた。
ファイカは死んだ、メンドースに勝てる訳もない。
……ただ、いま目の前にいるイスペリアの兵士達は、勝った勝ったとはしゃぎ、完全に腑抜けていた。
こんな奴らを率いるのであれば、幾らメンドースでも手を焼くだろう。
むしろ、メンドースに勝てる機会は、ここを置いて他にないとすら感じていたのだ。
欲が出た、負けたという烙印を押されるの自体が不快でもある。
それぞれが、無言で帯剣した。
どのタイミングで仕掛けるか、誰を臨時の指揮官にするか。
それを決められないから、動けないだけだ。
もし古参達が動き出せば、追従することは想像に難くない。
イスペリア側でクルアン教徒達の不穏な動きを察知したのは、ほんの僅かのみ。
警戒を促そうにも、兵士達は勝利という美酒に酔っている。
酔いどれ達に、マトモな言葉は通じない。
もし一戦起これば、イスペリアはバカみたいな敗走をする目算が大であった。
自軍の統制の取れなさに、メンドース将軍は思わず天を仰ぐ。
そこで、あることに気が付いた。
「光、が──」
メンドースは、目を見開いた。
強風で掻き乱された雲が裂け、その隙間から幾つもの光が降り注いでいたから。
この一年、閉ざされていた天蓋に、穴が穿たれていたのだ。
「──天使の梯子」
思わず呟いてしまう。
神々しく、後光そのものが顕現したかのような光景に。
聖教の聖書にも、クルアン教の聖典にも記載がある。
天から梯子が降りる、遠い未来では薄明光線と呼ばれる大気光学現象。
兵士たちが、気付き始めた。
両軍の動きが止まる、意識に空白ができる。
突如とした神秘の顕現を前にして、声すら出なくなる。
信仰の違いに関係なく、皆が空を見上げて呆然とするしかなくて。
その中で動けたのは、ただ一人だけであった。
「──我が名はジルベール、天よりの御言葉を託された者なり!」
颯爽と躍り出た彼を、混乱と共に皆が見つめた。
何万もの視線の数に、思わず怯みそうになる。
しかし、手を握り、堪えながら彼はフードを取った。
逃げも隠れもしない。騙りと断じるのなら、処されるのもやぶさかではないと、決意を示すために。
「此度の儀、戦いの結末を見届け、遥か彼方におわす御方は裁定を下された!」
普段の彼とは違い、全てを言い切っている。
傲慢に、視座が高いと言わんばかりに。
「──召し上げると、そう仰った!」
ジルベールは、タイミングを見計らっていた。
ファイカに与えられた宿題、その回答をいつ提示するのかと。
「汚れも罪も、この神聖なる戦いにより祓われた!」
待っていたら、訪れた。
天からの日差し、偶然の神秘体験が。
「ファイカ・ビント・ハミダは、敗れたのではない。偉大な方の御元へと赴く、新たな門出を迎えたのだ!」
ここしかないと、彼は思った。
千載一遇だとも感じていた。
故に、この偶然を、必然の如く騙ることにしたのだ。
「憐れむ必要はなし、救いを望む必要もなし!」
雨に濡れ、日差しを浴びた彼は、キラキラと輝いて見えた。
凛とした横顔が、見るものを虜にした。
「彼の女傑に祝福を! それこそが、彼のお方の御心である!!」
言葉が、自然と耳に入ってくる。
事実だと、何故か刷り込まれてしまう。
それは、彼の言葉に力があるから、というだけではない。
ファイカ・ビント・ハミダの最後は、斯くあるべきだと皆が信じたかったからだ。
彼の虚言は、この瞬間に神託と化したのであった。
「……く、ククッ、クククッ」
そんな彼を見て、血反吐を吐きながらファイカは笑った。
笑いを堪えられなかった。
「婆?」
「アマ、ル、あいつは、持ってる、ね。……天が、味方、してるん、だよ」
まるで劇の主役、彼が中心に世界は回っている。
そう思わせられる魔力を、彼はこの場で誰よりも発している。
その様子を見て、ファイカは愉快な気持ちになった。
安堵した、心より。
アマルの男を見る目は確かだったと、そう確信して。
「アマル、あんた、の、旦那は、ムスタファじゃなく、天使、だったのさ……。良かった、ね……なかよく、しな……いつま、でも──」
「ん、そう、する……」
アマルが返事を返して、ファイカは薄ぼんやりとした笑みを浮かべた。
まるで慈母の如き微笑み、それがファイカの死に顔だった。
祖母の体から、ロングソードを引き抜く。
ボタボタと溢れながら、血が流れ落ちる。
祖母を横たえたアマルは、高らかに剣を空へと掲げた。
「──主よ、感謝、致します」
ファイカの血で彩られた剣は、この場においては聖遺物であった。
静かに涙を流しながら、アマルは剣を地面へと落とした。
「主の御心であるなら、仕方、ない。──降伏、する」
アマルの言葉は大声ではなかったが、皆は自然とその言葉を耳にできて。
コルドラから、多数の鉄が擦れる音がした。
皆が、武器を手放した後であった。
雲間の光が、神の視線であると皆が信じたのだ。
神の前で、無法は行えない。
嘘も計略も、全ては罪になるのだから。
クルアン教徒達は、本国人やガルガン人関係なく、神の威光を前にこうべを垂れた。
聖教の者もまた、神威の招来に平伏した。
全ての戦意が立ち消える。
十年にも渡り続いた、イスペリア戦役が終結した瞬間であった。
後のイスペリア史書、レコンキスタ記に曰く、
『御光が差し、天使ガフリエルが降臨し、戦を宥め、異教徒すらも平伏させた』とある。
また、イスペリアクルアン教会の聖典にして、クルアン教から偽書と認定されている、天使ジブリールによる予言書に曰く、
『奇跡は起こり、天使ジルベールは降臨した。名将ファイカと共に天へと梯子を登る。しかし、異郷にあって教えを守らんとする我らの態度に感服し、再び地上へ舞い戻った』とあった。
両書共に、天使が降臨したことを肯定している。
これが後年、聖教とクルアン教の神や天使は同一なのではないか、と宗教論争の火種になるのではあるが、この場では語る必要はないだろう。
ただ、天使は信仰に関わらず天使であると認識されることが認められた。
その天使の名については、後年物議を醸しているが諸説語られているとだけ触れておこう。
しかし、この出来事を境に、史書でマリーナ騎士団に触れる際、ジルベールなる名が触れられるようになったのは確かなことである。
彼が、正式に歴史の表舞台に飛び出した瞬間のことであった。
次回、イスペリア戦役編エピローグになります。