貞操逆転世界で占い師(軍師)を務めていたら、貴族令嬢方に包囲され逃げられなくなった件について   作:ですわお嬢様

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間話4 羽のない天使

 

 その子を初めて見たのは、戦場のど真ん中。

 

「……泣いてる、男の、子?」

 

 愛らしい、栗色の髪の男の子。

 まん丸でくりくりとした瞳は、キラキラ涙で濡れていた。

 

 その時だけは、血と汗のにおいを感じなかった。

 

「……なんで、泣いてる?」

 

「みんなの役に、大切な人の役に立てなくなるから……」

 

 まるで場違い、男の弱々しい理屈でこんな場所に来ていた。このしぶとい用兵をしている人物とは、到底思えないくらいに。

 

「……戦場、向いてない」

 

 敵兵の動きは悪くない。

 この子を助けようと、敵の一人一人が懸命になっている。

 

 士卒の心を掴んでいる証拠、放っておいたら厄介な敵になる。

 

 それは分かった。

 分かっていた、けど……。

 

「もう、出てこないで。次は……酷いこと、する」

 

 見逃した、見逃してしまった。

 

 男の子の心は、折れているように見えたから。

 折れていて欲しいと、そう願ったから。

 

 敵の来援もあって、私は戦場を退いた。

 

 戦略的目標であった北西部山岳民の救援、それが失敗に終わった瞬間でもあった。

 

 

 

 戦場を離れた後、自らの剣を見つめた。

 

 付着した、敵の血と油。

 乾いて、こびり付いた鉄のにおい。

 

 戦場で戦った証、自らの剣で敵を斬った残り香。

 戦士としての証明。

 私が女で、戦う資格があるという。

 

 だから、と思った。

 あの子には、これが似合わない。

 

 血と剣と鉄と死体、戦士が往路する道。

 そこにあの子は、どうしたって場違い。

 

 だから、斬らなかった。

 だから、斬れなかった。

 

 自らの剣で、あの子を斬る姿が、上手く想像できない。

 そこまで思いを巡らせて、ふと思った。

 

「私は……言い訳、してるの?」

 

 誰に対して?

 婆? 自分自身? それとも……。

 

「……これは、罪、でしょう、か?」

 

 私の行動は、教えに背いていたのか。

 1人の異教徒を恣意的に助けた私は、不純なのだろうか。

 

 ──天国の扉は、私を拒まないか。

 

 問いかけに対して、答えはなかった。

 己が裡で悩めと、そう言わんばかりに。

 

 その日の夜、ずっとそのことを考えた。

 あの子のことを、ずっと考え続けることになった。

 

 

 

 

 

 もう二度と、あの子と会うことはない。

 そんな願望が打ち砕かれたのは、山岳民を釣り上げる略奪作戦の最中だった。

 

 鉄のにおいの他に、すえた酸っぱいにおいがする。

 女と男が交わる、性のにおい。

 

 ……女が男を略奪する光景が、広がっていた。

 

 略奪は、好かなかった。

 特に、この下卑た女の声と、男の悲鳴が響いているのなんかは、特に。

 

 けど、止められなかった。

 征服地民の略奪は、本国により許されているから。

 

 止めるだけの言葉も、論理も、持ち合わせてなどいない。持っているのは、行き過ぎたら嗜めるくらいの権限だけ。

 

 なぜ、このようなことが許されるのだろう。

 考えてみると、何気なしに答えは分かった。

 

 本国民と征服地の民には、待遇に差がある。

 その待遇の差を補填するために、征服地民には戦場での略奪が許されている。

 

 けれど、聖典に曰く、正当な理由のない殺生も姦淫も禁ずるとある。

 

 目の前の光景は、正当な理由があるとはとても思えない。

 

 そして、クルアン教には本国人に略奪を禁ずる軍法がある。破った者は、場合によっては処刑される。

 まるで、天罰を恐れているように。

 

 ここまで考えると、自然と見えてくる。

 本国は、こういった略奪を正当なものと見做していないのだと。

 

 正当な理由なき殺生と姦淫に当たると、少なくとも本国の神学者達は判断したのだと思う。

 

 なのに、征服地民にはそれが許される。

 何故か? 考えて、不快になった。

 

 本国人は、征服地の民が地獄に堕ちても気にしない。

 そういう結論が、どうしても出てきてしまうから。

 

 本質的な見下しが、そこにはあった。

 本国人は選ばれし者という、優越も揃って。

 

 だから、同じ教えを奉じていても、こうまで好きにさせる。自分たちは野蛮ではなく、高尚であると誇示するみたいに。

 

 バカみたい、理屈が捩くれている。

 

 陵辱を傍観する者に、罪はないのか?

 ……無論、そんなはずがない。

 

 姦淫を許容する者にも、罪過はある。

 傍観者もまた、罪人である。

 

 聖典の下に置いては、私もまた罪人である。

 

 私は己の罪に対して、恥があった。

 クルアン教徒であるのに、軍の統制を優先して素知らぬフリをする自身に。

 

 因果は巡り、いずれ自分に返ってくる。

 そんな思いがあったからこそ──力強い蹄の音が聞こえた時、心が僅かに軽くなった。

 

「敵、来てる! 戦闘準備、入って!!」

 

 合法的に、正当な理由とやらを取り上げられる。

 そう思い、嬉々として指示をした。

 

 敵が来た、戦わねばならない。

 姦淫は合法ではないと、理屈を込めて。

 

 ……ただ、その時の兵達は、微塵ということを聞いてくれなかった。

 

 目の前の果実を貪ることに夢中になり、理性も何もかもを失っていたから。

 

 結果、一方的な奇襲にあった。

 攻撃を受け、死人が出てようやく、状況を理解出来たみたい。

 

 味方の頭が悪くて、不快さが湧く。

 同時に、自業自得だと吐き捨てる気持ちもあった。

 

 天は見ている、天罰覿面。

 姦淫には罰が下された、罪はやはり罪であったのだ。

 

 ……なら、傍観していた私の罪は?

 

 一瞬、頭に過ぎった余分。

 それに応えるように、彼はまた、私の前に現れた。

 

 統制を崩した味方を叱咤しながら、掌握できた者達だけでの退却行。

 

 混乱で混線している中でも、彼の声はしっかりと聞こえた。

 

「向いてないって俺に言ってたのに、君だって向いてないじゃないか。こんなことを、悲しい目をして……」

 

 軍の体裁を保てなくなり、バラバラになっての帰路。戦いにさえならず負かされた中で聞こえた、呟きでしかなかった声。

 

 その言葉が耳に入った瞬間、恥じらいで頭が変になりそうだった。

 

 あの日の言葉を、そのまま返された。

 私は戦士でなかったと、そう評された。

 

 悔しくて、苦しくて、恥ずかしくて。

 退却中、ずっとあの男の子の言葉が頭の中で乱反射していた。

 

 

 そうして、安全圏まで退いた後。

 一人になった時、今日起こったことがどうしようもなさすぎて、ジメっと膝を抱えた。

 

「見られ、た……」

 

 下衆なところを、どうしようもないと傍観していた自分を。

 戦士でなく、何者でもない傍観者だった自分を。

 

「違う、のに……っ」

 

 私はしていない、仲間じゃないという言い訳が浮かんだが、そんな言葉は自分自身すら騙せない自己弁護に過ぎない。

 

 私は、確かに略奪者の仲間だった。

 そうして良いと決めたのは、クルアン教の法学者達だから。

 

 その法に従う私も、略奪者と同じルールで生きている。否定したって、それは真実。

 

 どんな言い訳も、自分だって納得させられないものばかりになる。

 

「……寝る」

 

 結局、考えれば考える程、ドツボに嵌る。

 どうしようもなくて、目を閉じた。

 

 自分を正しい立場に起き続けられる人間は、きっと幸せなんだろうと思いながら。

 

 目を瞑ると、憐れむような、心配するような瞳をした彼が、瞼の裏に浮かんでしまった。

 

 ……結局、その日、私は上手く眠れなかった。

 彼の目を、強烈に意識していると感じた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 出会ったわけじゃない。

 けど、次に彼を感じたのはエーラ川の戦いだった。

 

 私が経験した戦いの中で、屈指の敗北を喫した。

 最初から最後まで、一方的負かされた戦い。

 

 私達の指揮官だったラービアが建てた作戦は極めて単純で、だからこそ成功率は高い。

 

 概要としては、主力がエーラ川の河川を盾に遅滞して、後方より私の騎馬隊で一撃するだけ。

 

 数が少ない敵軍は、兵の一人一人が頑強とはいえ、挟撃をされればタダでは済まない。正面から戦ったら強い相手は、背後から刺すに限る。

 

 それが戦術というもので、有利に戦える条件を引き出すのが目的。

 

 その点を考慮すると、ラービアの策は的外れじゃない。

 凡庸な相手なら、楽に勝てたと思う。

 

 けど、私は知っていた。

 敵は、凡庸とはかけ離れている相手だと。

 

 だから、ラービアに進言した。

 徹底して叩くべきだと、油断せずに踏み潰せと。

 

 でないと、手酷い代価を支払うことになると思って。

 ……ラービアは面倒がって、そうしなかったけど。

 

 無能じゃないけど、臆病だから。

 受け身に回って、やり過ごす選択肢を選んだ。

 

 強い相手には、それで間違いじゃない。

 でも、単に強いだけの相手じゃなかったから、ラービアの選択は結果として間違いにされた。

 

 ──この敵は、川向こうに布陣するラービアを背に、川を遡上し始めた。

 

 やられた、と多分ラービアは思ってた。

 私も、敵の狙いに気付いて、心臓がバクバクした。

 

 エーラ川を遡上すれば、丁度婆と山岳民が決戦を行うであろうと想定されている地点に出る。放置すれば、婆が横槍を受けて酷い被害を出しかねない。

 

 不味い、と思った。

 ラービアも、それは同様。

 

 慌てふためきながら、対岸の敵へ向けて殺到を始めた。防御側が有利な地形で、攻撃側になることを強要されたのだ。

 

 敵は、単に強いだけじゃない。

 知恵がある、本物の強敵。

 

 ふと、あの子の顔が過ぎった。

 知的な、キラキラとしていたエメラルドの瞳が。

 

 確信はない、けど予感はした。

 きっと、あの子なんだと。

 

 力がない男の子が戦場にいる理由なんて、頭が良いからに違いないから。

 

 負けたくない、と思った。

 負けたら、あの子にバカにされる気がして。

 

 前に言われた、向いてないという言葉を払拭するためにも。

 

 そうして、私は奇襲を仕掛けた。

 颯爽と躍り出て、敵を側面から襲おうとし──それを予想した敵の伏兵に合い、酷い目に遭わされた。

 

 そう、全部読まれていた。

 一から十まで、私達の動きを。

 

 結果として、惨敗した。

 私とラービアは、這這の体で敗走することになった。

 

 ……男の子相手に、初めて悔しさを覚えた。

 

 

 

 某日、マリーナ騎士団領地リスボアにて。

 

 

「エーラ川の時、全部、あなたは分かってたの?」

 

「全部分かるなんて、物理的に不可能です」

 

「でも、分かってた。……天使の、力?」

 

「アマルさん、俺は天使なんかじゃないんです。嘘つきなんだって、何回も言いましたよね?」

 

「確かに、今のあなたは、天使じゃない」

 

「ですよね?」

 

「けど、あの時は、間違いなくそうだった」

 

「え?」

 

「あなたは、時々、天使になれる男の子……」

 

「……もう、それで一旦はいいです」

 

「ん」

 

「で、エーラ川でのことですけど」

 

「天使の力じゃ、なくて?」

 

「単に、思考を誘導しただけです」

 

「天使の、洗脳術?」

 

「洗脳してくる天使、もう悪魔なんです」

 

「あなたは、悪魔みたいな、天使」

 

「違います。そうじゃなくて、マリーナ騎士団は精強だと知られてましたよね?」

 

「違わないけど、そう。脳みそまで筋肉だから、危険、とラービアには、伝えてた」

 

「言い方……まあ、良いです。その脳みそまで筋肉の相手とは、平地で戦うのは危険なので、正面決戦は避けてくると思ってました」

 

「だから、こっちが川に陣を敷くって、分かった?」

 

「絶対に、という訳じゃないですけど。マリーナ騎士団の強さが、アマルさん達に行動に制約を加えていたのは、事実だったと思います」

 

「……伏兵が、分かったのは?」

 

「アマルさんを一番上手く活かすなら、馬を使う戦術だろうなと思ったんです」

 

「そう、私のこと、よく分かってる。……あなたは、賢い」

 

「そうでもないです。一度、アマルさんにエブラ川で負けちゃったので、それで学習しただけです」

 

「…………?」

 

「ほら、賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ、って言うじゃなですか?」

 

「知らない、諺」

 

「……あれ、これビスマルクの名言だったっけ?」

 

「ビスマルクという天使が、天界には、いるんだ」

 

「あ、いえ、違います。いません!」

 

「その存在は、人間には秘匿されて、いる。多分、叡智を司る、天使」

 

「……アマルさん、何を書き記しているんですか?」

 

「天使、ジルベールの、言行録」

 

「本当に何を書き記しているんですか!?」

 

「天使、ジルベール、のたまう。エブラ川で、我に瑕疵を負わせしは、アマル・ビント・ディーマ、と。彼の天使にとって、完璧でなければ、勝利も敗北と等しい、らしい」

 

「嘘八百の偽書じゃないですか!!」

 

「嘘じゃ、ない。天使じゃないと、言い張る、ジルベールの方が、嘘つき」

 

「何なんですか、もう!」

 

 謙遜も過ぎれば嫌味。

 この時のアマルの心境は、そんな感じであったとか何とか。

 

 以上、余談終わり。

 

 

 

 婆が、負けた。

 その報告を聞いた時、納得があった。

 

 婆も人間、負ける時は負ける。

 それに、横槍を入れてきたのがあの敵なら、仕方ないところはあった。

 

 ……けど、その負け方がおかしかった。

 

 兵に強かな損害を浴びた上で、マルドルを失うほどの大敗。積み上げてきたもの、その多くをたった一戦で失った。

 

 婆がこんな負け方をするなんて、多分初めて。

 

 大勝はしても、大敗をすることはない。

 それが、婆が酷くても皆から尊敬されてた理由だから。

 

 ある種、伝説的だった婆の不敗神話。

 それが、崩れ落ちていった。

 

 信じられない、と皆が思ったかもしれない。

 ただ、私は多分、誰よりも早く、信じてしまった。

 

 あの敵……それに、あの子は只者じゃない。

 エーラ川で、それを思い知らされたから。

 

 婆が敗北したと報告を受けた晩のこと。

 ふわふわとした場所で、あの子と話をした。

 

 

『こんにちは、アマルさん』

 

『こんばんは、男の子』

 

『ご気分は如何ですか?』

 

『良くない』

 

『お婆様が敗れたから、ですね』

 

『そう、婆が負けたから』

 

『無敵であって欲しい、いえ、無敵じゃないと許されないであろうお婆様が負けたから、傷付かれたのですね』

 

『婆すら手玉に取る。……あなたは、何者?』

 

 問い掛けに対して、男の子は泣き笑いみたいな表情を浮かべる。

 そうして、困ったように告げた。

 

『選ばれし者、です』

 

 

 ……そこで、目が覚めた。

 パチクチパチパチと、目を瞬かせる。

 

 夢の内容は、ぼんやりとしか覚えてない。

 ただ、一つの単語だけは、しっかり記憶していた。

 

「選ばれし、者」

 

 それが、あの子。

 使命を帯びた、特別な男の子。

 

 納得、した。

 出なければ、私も婆も、負ける筈ないから。

 

 単なる夢だけど、この夢はお告げなのだと思った。

 

 

 

 

 

 夢は、やっぱり予言だった。

 

「──貴方はきっと、二人目の、ムスタファ、なんだね」

 

 彼の名は、ジルベール。

 予言の天使と同じ名を持つ、特別な男の子。

 交渉のために訪れた時に、彼の名を知った。

 

 兵に紛れて采を振るう男の子が、そういう名前。

 

 思った通りだった、答えが転がってきた。

 神の思し召しなのだと、素直に信じられた。

 

 そして、彼が身を寄せる部隊、マリーナ騎士団も面白かった。

 

 ですわと鳴く団長に、破天荒な団員達。

 一人一人が、並の戦士を凌駕する力と技を有している。

 

 清廉かと問われれば首を分からない。

 けど、精強かと問われれば頷ける。

 

 強くて逞しい兵団、ムスタファが指揮するに相応しい部隊だ。

 

 あるべき者の下に、あるべき力が備わる。

 これこそ天啓、ジルベール、それから団長のクローデットにはそれがあったのだと思う。

 

 イスペリアでの敗北は、致し方ないことだと認めることができたのだった。

 

 

 

 ただ、神の思し召しを見つけた喜びは、長続きしなかった。

 

「…………婆は、死ぬ、気?」

 

「恐らくは、ですが」

 

 ジルベールから、予言が下されたから。

 それも、最も望んでいない未来を。

 

 ……正直なことを言うと、婆は悪人。

 敵からは、死んだ方が良いと思われている筈。

 

 それだけの悪行を、積み重ねてきたのも間違いない。

 けど、それでも私にとっては、敬愛すべきクソババア。

 

 戦い方や生き方を教わってきた。

 人生の指針を、多く教えてもらった。

 この人こそが、私にとって親だった。

 

 だから、例え運命で定められた死であったとしても、逆らいたかった。

 

「──アマルさんは、どう致したいのですわ?」

 

「恥を掻いてでも、アマルさんは何かしたいですか?」

 

 ジルベールと、クローデットからの問い掛け。

 それに私は、ハッキリ自分の気持ちを伝えた。

 

「婆には、婆らしい死に方、ある。婆に情けない死に方、似合わないっ」

 

 自死も処刑も、婆には似合わない。

 

 婆はどんな死に方でも、多分最後は笑って死ぬ。

 だからこそ、情けないのは嫌だった。

 

 ベッドで老衰も似合わないけど、死に損ねたと笑って死ぬ方が、まだ婆らしいと思ったから。

 

「……教えて、ジルベール」

 

 だから、彼を頼った。

 この前まで敵だったけど、本物の選ばれし者だと思ったから。

 

「はい」

 

 異教を信奉したまま、生まれる聖者もいる。

 真剣な眼差しで頷いた彼を前にして、自然とそう思えた。

 

 本国の神学者に知られたら、タダでは済まない。

 邪念で異端と謗られそうな考えが、私の中で芽生えた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 そうして、一世一代の茶番劇を披露した。

 婆と山岳民を前にして、一騎打ちで決着をつけようと。

 

 婆とメンドースはともかく、周囲は歓呼で涌いた。

 分かりやすくていいと、みんな思ったのだ。

 

 あと、それから……。

 

 

「──アマルさんが欲しいんです」

 

 

 ジルベールから、凄いこと、言われちゃった。

 

 欲しい、欲しいって、そういうこと……?

 

「……ジルベールは、私が……欲しいの?」

 

「えと……はい」

 

 問い掛けに肯定されて、顔が熱くなる。

 

 恥ずかしくて、落ち着かない。

 馬に乗って、何もかも置いて、風と同化したくなった。

 

 けど、その馬に、ジルベールとなら相乗りできる気持ちもあって。

 

 気持ちの整理が、必要だった。

 心が、胸が、敵襲の早鐘みたいに打ち鳴らされてる。

 

 今の私は、マトモじゃないって思ったから。

 

「…………みんな、時間が、欲しい。決闘は、明日でも、良い?」

 

 問いに対して、又も歓声で兵達は応えてくれた。

 それも、両軍から。

 

 いつの間にか、戦う雰囲気が消し飛んでいる。

 敵がいるのに、兵達はそれを認識できなくなっている。

 

 もしかしたら、これが狙い?

 

 ジルベールに視線を向けると、彼は不思議そうに首を傾げていた。

 

 ……もしかしなくても、天然の悪い男の子なのかもしれなかった。

 

 

 

 

 結局、考えれば考えるほど、ジルベールは選ばれし者にして戦才があり策士でもある天然、という結論が出てくる。

 

 よくよく考えれば、あの子が私を好きになる理由、なかったから。

 

 少し落ち込んで、なんで落ち込んでいるのか考える。

 けど、分からなくて不貞腐れてた。

 

 けど、彼が作ってくれた時間で、私は婆と話ができた。

 

 このこと自体は、とても有難い。

 ジルベールの天然に、何だかんだ感謝した。

 

 話した内容自体は、たわいもないこと。

 

 茶番劇に対して、チクチク言葉で刺されたり。

 ジルベールとのことを揶揄われて、ムスりとさせられたり。

 孫がどうだと、適当なことをせっつかれたり。

 

 いつもみたいな、変わらない会話。

 特別なんてない、これからも変わらず続くんだと思える内容。

 

「……孫は、知らない。けど、頑張って」

 

 クローデットが勝つ、それは確実。

 けど、それでも頑張れと伝えられて、ホッとした。

 

 いつだって、婆を応援していた。

 そのことだけは、勘違いされたくなかったから。

 

 

 見上げた空は、変わらず雲で覆われている。

 今日くらいは、月が見たかった。

 

 

 

 

 

 婆とクローデットの一騎打ち、決闘の儀

 両勢力の行く末を決める、神聖なる戦い。

 それは、心惹かれる応酬だった。

 

 若く力のあるクローデットに、経験と機転で踏み止まる婆。

 

 一歩踏み外せば、一刀の下に断ち斬られるであろう綱渡りの攻防。

 

 常に敗北と隣り合わせの防戦、けれども、容易に付け込ませない。

 

 獅子は老いても獅子なんだ。

 奮迅する姿に、自然と身体が熱くなった。

 

 勝て! と陣地から、声が響く。

 気がつけば、私も叫んでた。

 

「婆、頑張れ!」

 

 私の声に、婆の頬がヒクつく。

 ちょっとだけ、反応してくれた気がした。

 

 

 

 そんな攻防が、十数分に渡って続いた。

 ずっと続くかもしれないと、信じられた時間。

 

 けれど、その終わりは唐突にやってきた。

 ──婆が、ワザとクローデットの剣に身を投げたから。

 

 あれだけ煩かった周囲から、音が消えた。

 小雨の音が、しとしとと聞こえてきそう。

 

 視線の先には、呆然とするクローデットと、薄い笑みを浮かべながら血を流す婆の姿。

 

 ……気が付けば、駆け付けていた。

 

「わた、ワタクシ、そんなつもりでは……」

 

「あなたは、強かった。婆の相手に、不足、なかった。最後のは、婆のせい、だから」

 

 クローデットは、婆を生かそうとしてくれていた。

 

 剣先の軌道が、言葉よりも何より雄弁だった。

 だから、分かってる。

 分かっているから、大丈夫。

 

 そう目で伝えると、クローデットは悲しげな目をしながら頷き、婆の身体を私に預けた。

 最後の時を過ごせと、言葉を交わせるように。

 

 婆の身体を受け取った瞬間、鮮明な鉄のにおいがした。

 

「……どうして?」

 

「都合が、良いのさ。こっち、のが、ね」

 

 少しずつ、婆の体が冷たくなっていく。

 血が通わなく、巡らなくなっていく。

 

 こうなるつもりだった。

 そう言う婆は、やっぱり酷い。

 

 いつでも、自分は正しいと思っている。

 だから、相談もなしにこんなことをする。

 

「……それ、でも。婆に、生きて、欲しかった」

 

 混じり気のない本音が、口から出てくる。

 これが最後なんて、信じたくない。

 ……けれども、婆は冷たくなっていく。

 

「あんたは、バカ、だから、ね。面倒、見て、くれる奴が、いない、といけない、んだよ」

 

「うる、さい……。バカなのは、婆。一人で、決めて、勝手に──死ぬ、な!」

 

 視界が曖昧になった、空と一体になった気分。

 しとしと、しとしと、雨が降り止まない。

 

 ……俯いた顔が、上げられなくなる。

 

「アマ、ル、顔を、あげて、上を、見な……」

 

「婆……」

 

 だから、そんな婆の励ましの言葉も物悲しくて。

 血の気が流れていく婆の顔をじっと見つめると、バカだねと首を振った。

 

 励ましの言葉なんかじゃない。

 とにかく、空を見てみな、と。

 

 雨の他に何が……。

 私は空を見上げて、そして──。

 

「空、が──」

 

 人々から奪われ、雲しかない筈の空が──キラキラと輝きながら顔を覗かせていた。

 

「きれ、い、だろう?」

 

「……うん」

 

 奇跡が、起こっていた。

 起こり得ない筈の何かが、この場に降り注いでいる。

 

 婆は、眩しそうに雲間から差す光を見つめていた。

 

 

 

 そうして、誰もが呆然とする奇跡の只中で、一人だけが動いた。

 

「──我が名はジルベール、天よりの御言葉を託された者なり!」

 

 颯爽と、堂々と。

 雲間の光へと身を投じて。

 

「此度の儀、戦いの結末を見届け、遥か彼方におわす御方は裁定を下された!」

 

 フード越しだった素顔を、今は隠していない。

 愛らしい男の子の顔が、今は皆に晒されている。

 

「──召し上げると、そう仰った!」

 

 けれども、今の彼を可愛いとは思えなかった。

 

 光と雨が、眩しいくらいに彼を彩っている。

 真剣な面持ちが、口振りが、彼に意識を集中させられてしまう。

 

「汚れも罪も、この神聖なる戦いにより祓われた!」

 

 光に負けないくらい、キラキラと輝いている。

 空から降りてきたと言われても、信じてしまう。

 

「ファイカ・ビント・ハミダは、敗れたのではない。偉大な方の御元へと赴く、新たな門出を迎えたのだ!」

 

 凛とした面持ちが、他の何者よりも格好良く見えた。

 毅然とした態度が、他の何者よりも偉大に見えた。

 

「憐れむ必要はなし、救いを望む必要もなし!」

 

 彼の言葉は、真実である。

 いや、真実こそが彼の言葉である。

 

 単なる言葉なのに、他の何にも勝る力が宿っていた。

 

「彼の女傑に祝福を! それこそが、彼のお方の御心である!!」

 

 厳然と周囲を振り返りながら告げた言葉に、皆は平伏した。

 空から差す光が、後光だと信じたから。

 

 ──彼の背中に、翼が見えた気がしたから。

 

「アマ、ル、あいつは、持ってる、ね。……天が、味方、してるん、だよ」

 

 そんな最中、婆は出なくなる声を振り絞って、最後の言葉を預けてくれた。

 

「アマル、あんた、の、旦那は、ムスタファじゃなく、天使、だったのさ……。良かった、ね……なかよく、しな……いつま、でも──」

 

「ん、そう、する……」

 

 それは、紛れもなく遺言だった。

 今後の生き方を託してくれた、婆からの最後の贈り物。

 

 ──例え何があっても、彼が天使だと信じ、ついて行け。

 

 不器用な私に、分かりやすい道を示してくれた。

 下手に惑うよりも、バカみたいに前に進めと。

 

 婆の死に顔は、戦士じゃなく、孫を見つめる祖母のもの。

 

 底に堕ちたのではなく、天に昇ったのだと信じられる顔だった。

 

 

 

 

 

 主よ、感謝致します。

 不貞の祖母を、よろしくお願いします。

 

 それからジルベール、貴方にも感謝を。

 不甲斐ない私を、これからよろしくお願いします。

 

 私はきっと、貴方の矛となり、盾となる。

 天使に侍る、敬虔な戦士となって見せますから。

 

 婆にくれた最後の分、これから貴方に、身を捧げさせてください。

 

 天使様、天使ジルベール様、今後ともよろしくお願いします。

 

 

 

「エーラ川、負けたのは私」

 

「アマルさん、俺の負けですって。……結構なトラウマなので、ほじくり返さないでくれませんか?」

 

 それはそれとして、認めるところは認めてほしい。

 結構、私をムッとさせるのが得意。

 

「ごめん……」

 

「分かってくれたなら、それでいいです。あっ、アマルさん、これ詰んでますよ」

 

「……ルール、教えたばかり、なのに。シャトランジ、何でこんなに強い?」

 

「将棋は初段でした」

 

「意味、分かんない」

 

 普段の貴方は、可愛く変な男の子でしかない。

 あの時感じた聖性を、今 普段の貴方からは感じない。

 

 きっと、天使の彼は普段寝ている。

 特別な時じゃないと、起きてくれない。

 

「似たようなゲーム、やったことあるだけです」

 

「本国でも、最新の、この遊戯を?」

 

「そうそう、偶々ですけどね。……あれ、これもしかして、今ならチェスの普及とかしたら、地元の名物に出来る?」

 

 普段のこの子は、ちゃんと人間。

 年相応の、男の子。

 優しいけど、欲も人並みにある。

 

「アマルさん、ちょっと試したいことができたので、今日は失礼します!」

 

「ん、今度こそ、負けない……」

 

「いや、一局しか指してないじゃないですか」

 

 じゃあ、不純なことも、出来ちゃうの?

 ふと、そんなことを考えてしまい、ブンブンと頭を振った。

 

 友達の男の子を、えっちな目で見るなんて、そんなの絶対にダメなことだから。

 

「思いつきが成功したら、アマルさんに色々と手伝ってもらうことになると思います。その時は、協力お願いしますね!」

 

「よく分からない。けど、分かった」

 

 背を向けて、彼は部屋を後にする。

 まじまじと、去り行く彼の背を見つめ続けた。

 

 その背中に、やっぱり羽はなかった。

 

 

 

 天使でもあり、人間でもある不思議な男の子。

 ジルベール、不思議で天然な男の子。

 

 多分、私はその子から目が離せそうになかった。

 これからずっと、彼の軌跡を追い続けるためにも。

 

 婆の遺言だけじゃなくて、ずっと見つめていられればと、そう思ってしまっていたから。

 

 だから、これからもよろしく。

 天使でなくても、私は貴方を見ているから。

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