貞操逆転世界で占い師(軍師)を務めていたら、貴族令嬢方に包囲され逃げられなくなった件について 作:ペンギン3
1.5部的な内政編になります。
これからも、よろしくお願いいたします。
第51話 門出
聖教圏で最西端にある国、イスペリア王国。
四方を海と山脈に囲まれた天然の要害、イスペリア半島全域を領域とする国である。
蛮族の大量流入により崩壊した西ロマーナ帝国から、当時のイスペリア総督であったアントネラが、"ロマーナの意志の灯を残す"という名目で分離独立したのが国としての始まり。
アントネラの分離劇は華麗で、また電撃的であった。
470年代より、情勢が奇怪だったロマーナ半島に動乱の気配を感じ取っていたアントネラは、事前に準備していたのだ。
あらかじめイスペリア駐屯軍の部隊長クラスに自分のシンパを幾人も潜り込ませ、イスペリアの官僚団を厚遇して掌握し、イスペリアの住民に『イスペリア人に対する布告』というアイデンティティを意識させるような勧告を幾度も行い、時折行った地方巡行で度々イスペリア人を称揚した。
正直な話、かなり大胆な犯行であり、この動きは当然西ロマーナの皇帝にまで届く。
常時ならば、造反疑惑で拘禁されるであろう所業である。
ただ、アントネラは時期を見誤らなかった。
西ロマーナ半島が国内問題で足を掬われている内に、着々と地盤を固めていったのだ。
地下で、イスペリア人を中核とした武装組織すら編成していた。
けれども、用意していた札全てを切るまでもない状況であった。
蛮族問題に終始せざるを得ない状況の西ロマーナは、蠢動しつつも表立っては動かないアントネラに拘う余裕はなかった。
結果として、帝国崩壊と同時に、アントネラは悠々と自らに冠に授けることに成功したのだ。
他の西ロマーナ勢力圏では、アントネラの成功に続けとばかりに各地域で独立の動きが巻き起こったのも、むべなることだろう。
尤も、他の地域は単なる便乗犯であり、アントネラの程の準備は行えないまま独立を強行した。
結果として、山向こうのガリティアや海向こうの島国ブリトラは、西ロマーナ帝国の支配から逃れることには成功した。
……が、それは新たな支配者による安定を意味していた訳ではない。
むしろ、誰が王冠を被るかという武力を用いた権力闘争が巻き起こり、西ロマーナ人の支配者層や官僚が流入し、現地民を徴用しての血で血を洗う凄惨な戦いが繰り広げられることとなる。
最終的にガリティアやブリトラからは、戦乱を呼び込んだロマーナの支配者層は排除、族滅されることとなった。
それぞれが、それぞれの地域で、ガリティア人やブリトラ人の女王を立てることに成功したのだ。
尤も、それは両国のロマーナ文化からの乖離も促した。
権力争いの責任を全てロマーナ人に被せた為に、文化だけは継承しますと言い辛くなったのだ。
そのために、ガリティアなどはロマーナに頼らない、新たなアイデンティティを模索し始めた。
結果が、ロマーナ以上の超脳筋主義に辿り着いたのだから、笑えば良いのか呆れれば良いのかという話ではあるが。
そんな迷走したガリティアとは違い、イスペリアにはロマーナ文化を引き継ぐ大義名分があった。
アントネラの、"ロマーナの意志の灯火を残す"という言葉と共に独立したことによって。
少なくとも、ロマーナ文化の継承という点においては、なんら後ろめたさを感じないまま、当時最先端の文明をそのまま享受できた。
時代と共に、ロマーナ的と評されていたモノも段々とイスペリアに芽生えた文化に呑み込まれていく。
けれど、それは排斥ではなく、文化の融合、もしくは適合という形を持って発展していった。
独立時に血を殆ど見なかったことが、イスペリアの受容性を育むことに繋がったとも言える。
そんな国柄だったからこそ、新たな風を受け入れる土壌は耕されていたと言えるのかもしれない。
植える種を、咲かせるか枯らせるかは、管理者の手に委ねられていた……。
クルアン教がイスペリアに侵入し、およそ十年が経った。
イスペリア王国は亡国の危機を迎えながらも、ガリティアからの亡命者、マリーナ騎士団の力を借りて、これを退けることに成功する。
イスペリア半島全域に、喝采が響き渡った。
ガリティアからの亡命者にとっては激動の一年であったが、イスペリア人にとっては多くのモノを奪われた十年に他ならなかったから。
聖教暦722年は、歴史書に明記される年となった。
聖教圏では、異教徒に打ち勝った日として。
クルアン教にとっては、様々な事柄に埋もれた年の瑣末なこととして。
双方に温度差があるのは、ある意味で良かったのかもしれない。
クルアン教が報復の軍を挙げれば、疲弊し切っているイスペリアでは一溜まりもなかったであろう。
クルアン教圏の歴史書が、イスペリアを意識する記載したのは、やや後のこと。
イスペリアはそれまで、国内においては暫くの平和を享受することとなる。
その平和を享受する一歩目を、踏み出すための儀式を始めた。
聖教暦722年9月、熱くもない夏が過ぎ去った時節であった。
その日、マルドル大聖堂には、多くの人物が集まっていた。
──ベラ、イザベラ・イスペリアーナの戴冠式に参列するために。
「汝、イザベラ・イスペリアーナは、主の御手として、このイスペリアの土地を守護することを誓えますか?」
会場に入場できた多くの者は、身分のある者だ。
だが、会場の外にも、多くの民衆が神聖な儀式を見届ける、あるいは儀式を終えて新製した女王の姿を一目見ようと、押し寄せていた。
「誓います」
物珍しいステンドグラスの窓から、陽光が差す。
小さくもしっかり背筋が伸びたベラからは、物怖じしてないことが伝わってくる。
「汝、イザベラ・イスペリアーナは、主の御手として、このイスペリアに住まう人々を守護することを誓えますか?」
陽光を反射し、キラキラとした光が、ベラと宣誓をしている老神官(老女である)を包み込む。
神聖な儀式であると、一目見ただけで感じてしまう。
「誓います」
祭壇の前で問答をしているベラは、緊張しつつも凛としている。
今日のために誂えられた黒のドレスが、何処かベラを大人に感じさせた。
誇らしいのは、"にぃや"と呼び続けてくれていたからか。
立派になって、という気分になる。
「汝、イザベラ・イスペリアーナは、主の御手として、イスペリアに住まう人々の財産を守護することを誓えますか?」
「誓います」
凛然としたベラの宣言を前に、老神官は僅かに顔を綻ばせながら頷いて。
「なれば、イザベラ・イスペリアーナよ。貴女こそが、全イスペリアの支配者にしてイスペリアにおける主の代行者であると──ここに認めます」
こうべを垂れたベラに、女王の証である冠を、そっと頭を被せた。
誰もが息を飲んで、見守った一瞬。
ステンドグラス越しの七色の陽光が、僅かに揺れた。
小さな頭に、やや大きい冠。
アンバランスなそれを頭に乗せながら、ベラは皆へと視線を向けた。
そうして、淡く微笑みながら告げたのだ。
「余は、これからも頑張る。皆が誇れる女王になる、そう約束しよう。じゃから──いつまでも余を、支えてくれたもれ」
幼い主人の、健気な願い。
見守っていた皆が、その言葉に胸を打たれた。
女王陛下万歳、イザベラ女王陛下万歳。
聖堂の内外に関わらずに、響き渡った文言だった。
戴冠式の後、余韻に浸っている暇もなく、別の催しも行われることとなった。
解放戦争で活躍した者に対しての報酬、正式な叙爵式だ。
折角、有力者達が集まったのだから、戴冠式に際して色々としてしまおうということらしい。
戴冠式の後日に集めるのも手間だし、合理的といえば合理的である。
まあ、もうちょっと感慨に耽る時間があっても、バチは当たらないと思うけど。
「ギジェルミーナ・メンドース、前へ」
「はい」
まだ興奮も冷めやまない中で、真っ先に宰相に呼び出されたのはメンドース将軍であった。
救国の英雄が最初に呼ばれたことに対し、周囲の興奮度合いは更に高まったかもしれない。
宰相とベラ、二人に相対する将軍。
ベラは柔和な笑みを、宰相は能面をそれぞれ貼り付けている。
将軍はそんな二人に、いつもの笑みで微笑みかけた。
張り詰めた一瞬の静寂な後、宰相は静かな声で告げた。
「汝、ギジェルミーナ・メンドースをイスペリア宰相に任ずる。……正しく国を運営することを望む」
「無論です、オクタヴィア殿」
本音が溢れる宰相と、内面を微塵も見せることがない将軍。政治家としての二人の差が、表面化しているやりとりだったかもしれない。
宰相……オクタヴィアさんが、身に付けていたマントを外す。
シルクで繕われた、イスペリアの宰相のみが身に纏うことを許されたマントだ。
そっと、壊れ物のように、それをベラへと返還した。
ベラは、マントを優しく受け取った。
「苦労も責任も、全部汝に預けてしまっていたのぅ、オクタヴィアよ」
「その重責こそが、私を奮い立たせておりました」
「そうかぇ……」
とても優しい顔で、ベラはマントを一撫でした。
良く頑張ったと、オクタヴィアさんを労うみたいに。
「大義で、あった」
「勿体無いお言葉です……」
深々と頭を下げたオクタヴィアさんに、皆は一様に息を呑んだ。主従としての絆を、どうしたって感じさせられたから。
オクタヴィアさんが嫌われ者でも、誰もがこの光景は美しいと思えてしまったのだ。
宰相としての力量は、オクタヴィアさんかメンドース将軍か、どちらが上なのかはまだ未知数だ。
だが、ベラとの間に積み上げてきたものに関しては、目の前の光景が何よりも雄弁だったことは間違いなかった。
1分ほどにも満たない時間だった。
皆が感じ入っている中で、一番最初に正気に戻ったのはベラであった。
「面を上げよ、オクタヴィア」
「ハッ」
「下がるのじゃ……また後ほど呼ぶでな」
その言葉に、オクタヴィアさんは静かに下がった。
ベラとメンドース将軍のみが残される。
無感情な微笑みを浮かべる将軍を前にして、ベラは同じような笑みを浮かべた。
「さて、メンドースや」
「はい、陛下」
「汝は良く戦った。敵の攻勢に耐え、機会を待ち、時を掴み取って異教徒を打ち払うことに成功したの。紛れもなく、イスペリアが誇る英雄じゃ」
そうして、訥々と語ったのは、メンドース将軍の功績に関することであった。
「オクタヴィアがイスペリアの盾であったのなら、汝はイスペリアの矛。武の象徴であった」
将軍は喋らない。
主人の言葉を、遮るわけにはいかないから。
ジッと、話の着地点を見極めている。
「将軍としては、汝が一番であった。じゃが……国を治めるのに、矛を用いるのは頂けぬ。汝は、何を以て国を治めんとする?」
ある意味で、その問いは挑戦的であった。
既に宰相に内定している者に対して、あからさまな疑義を呈したと見られる質問であるのだから。
周りが騒つく、動揺が広まろうとする。
オクタヴィアさんを慰留する為に、ベラがこんなことを言っているのではないかという空気が、広まりかける。
しかし、そんな空気の中でも、将軍はにこやかに見える笑みを崩さないままで。
「剣を置き、策を紡ぐ口を閉じて」
穏やかに、けれどもブレを微塵も感じさせない口調で、朗々と。
「他者を労わる手と、神への愛を寿ぐ口を持って、これを治めます」
穏やかであるのに、微塵も揺らがない。
聖者の如き態度で、堂々と将軍は解答をした。
我こそが、イスペリアを導くに相応しいと。
尊大さを見せずに、巧みに示して見せたのだ。
就任前に力量を示して見せた、それにベラは一つ頷いて。
「なれば、余の杖としてイスペリアに尽くすのじゃ。戦乱で荒れたこの国を、汝の手で再建してたもれ」
「御意に御座います」
将軍は膝をつき、頭を下げた。
ベラに、イスペリアに、忠誠を誓うように。
「きっと、汝は上手くやるのじゃ。この国の誰もよりも、の」
そんな将軍に、ベラは宰相の証たるマントを、手ずから掛けた。
新たな国の担い手と、認められた瞬間である。
「立って、そして告げよ。メンドース、汝の番が来たのじゃと」
ベラに促されて、将軍……いや、イスペリア宰相メンドースは立ち上がる。
──顔から、笑みが消えていた。
「本日より、イスペリアは新たな道を歩み始めます」
新たなイスペリアの宰相は、いつもより冷たく聞こえる声音で話しながら、辺りを見回した。
「これまでは、取り戻す戦いでした。無我夢中で、走り続ければ良いと、そういう日々。でも──今後は違います」
一歩、二歩と、観衆へと歩みを進めた。
「一つずつ、積み上げる日々が始まります。この十年で失ったものを取り戻し、そうして新たな先へと進もうと努力する日々が」
一挙手一投足に、皆が注目している。
瀟洒なマントが揺らめいて、目が離せない。
「今までの如き、苦難の道ではないでしょう。揺れ動くことは少なく、いっそ退屈な日々になるやもしれません」
陽光が差し、ステンドグラスが煌めく。
中央で唄うみたいに告げるメンドースさんを、煌びやかに照らし出す。
「それでも、我々は退屈を積み重ねて、新たな治世を構築する必要があるのです」
まるで劇のスターみたいだ。
聖堂の不思議な空気が、新たな宰相を歓迎しているように見えた。
「ですから、どうか平和を噛み締める為にも、私を用いてくださる陛下に続いてください。歴史書に、退屈な時代と記されるような平和を、共に希求いたしましょう」
冷たい表情が、ここで初めて剥がれた。
皆に向けて、いつものメンドースさんらしからぬ、嫋やかな笑みを浮かべて見せたのだ。
……完璧だった、そう断言できる就任演説だった。
『──メンドース将軍、万歳!』
『──メンドース宰相、万歳!!』
『──イスペリア王国、万歳!!!』
高らかな喝采が、長く長く続いたのだから。
皆が、新たな宰相の治世を歓迎した瞬間であった。
長く続く時代、その幕が開いたのかもしれなかった。
そうして、新宰相任命後。
熱気冷めやらぬ中で、他の者に対する叙爵も始まった。
流石にメンドースさんの時の様な熱気はないが、それでも先の戦争で活躍した人物の名が呼ばれると、辺りは楽しげに賑わった。
「オクタヴィア・カルロス、貴殿を陛下の守役に任じます」
「はっ」
ただ、オクタヴィアさんの人事の時だけは、“え、マジ?“という空気がイスペリア貴族たちの間に流れなかったといえば嘘になる。
なんかさっき、宰相を退任する時に感動的な空気が流れていたから。
あれ見たら、暫しの別れと思うじゃん、と。
空気感的に、分かれたはずのカップルが、即座に再度くっついたみたいな感じだった。
「うむうむ、ちこう寄れオクタヴィアよ」
「陛下、式典の最中で、その様な私事を優先してはなりません」
でも、楽しそうなベラを見て、”陛下は楽しそうだし……いっか”みたいな忖度が貴族たちの間で働いていた。
「オクタヴィア殿は、相変わらずお堅いのですね」
「新宰相殿、任せると言った途端に規律を緩めないでいただきたい」
一方で、他人事とでも思っているからか、メンドースさんは楽しそうにオクタヴィアさんを弄っていたが。
もしかすると、玩具か何かと思っているのかもしれない。
ちょっとだけ、油断ならない人の気心が、垣間見えた瞬間にも見えた。
「皆、見たであろう? オクタヴィアは小うるさいでな、教師役にはぴったりなのじゃ」
「陛下、余計な一言です」
「そういう訳で、今後は優しくしてやるのじゃぞ?」
「陛下!」
ある意味で、オクタヴィアさんがベラの寵臣であることを、これでもかと知らしめた瞬間だったかもしれない。
今まで嫌われ者だったから、すぐにそれが変わる訳ではない。
でも、ベラを込みにして考えるのならば、ちょっとは生暖かい目線で見てもらえる余地が生まれた。
親しみ易さが、ちょっぴり見え隠れしていたから。
どこまでベラの狙い通りなのか。
それは分からないが、ニコニコ笑顔なベラはとっても楽しそうであった。
そうして、遂に待っていた瞬間が訪れた。
「クローデット・ジラール、貴殿をリスボア伯に任ずる」
「光栄ですわ」
優雅に一礼し、クロエさんは優雅にベラへ膝をついた。
ちょっとした仕草に気品がある、クロエさんはどんな場面でも映える人だ。
「汝らには、ほんに世話になったのぅ」
「ワタクシ達の方こそ、受け入れてもらった恩がありましたわ、陛下」
「与えたもの以上に、汝らは活躍したでな。きっと、神のご加護が厚かったのじゃろう。な、神官殿や」
急に水を向けられたのは、役割は終わったと端に控えていた老神官だった。
老女は困惑したように見えたが、クロエさんの一族、ジラール家がガリティアの教会に破門されていたことを思い出したのだろう。
「無論です。異教を打ち払った彼女らは、まさに主の代行者。イスペリア教会は、リスボア伯のために祈りを捧げましょう」
老神官の言葉は、清廉で他意がなかった。
事実として述べた、述べて問題ないと判断して口にしたのだろう。
クロエさん、ジラール家はガリティア教会が言うような、悪しき一族などではない、と。
「…………感謝、いたしますわ」
要するに、イスペリアは本気でクロエさんを保護する準備があると示したのだ。
如何なる悪名からも、庇う用意があると。
それに、クロエさんは優雅さをかなぐり捨てて、深々と頭を下げることで応えた。
イスペリアでは、広まっていなかった悪名。
けれども、いずれは広まるかもしれない地雷。
表に出していなかったけれど、不安もあったと思う。クロエさんは真面目で、大体のことに向き合ってしまうから。
「面を上げよ、リスボア伯。その格好では、杖を渡せんでな」
促されて、クロエさんはゆっくりと顔を上げた。
青い瞳が潤んで、海みたいに見えた。
「汝の献身が、神の御元にまで届いただけのことじゃ」
「陛下こそが、イスペリアの主の御手であると、実感いたしましたわ」
「うむ、良き理解を得たところで、そんな余のお手てで手渡す杖を受け取ってたもれ」
「……はい、お手ずから授かる意味、しっかり理解致しますわ」
皆が見守る前で、クロエさんがイスペリア領主に与えられる杖を、ベラから手渡された。
「ワタクシ個人として、イザベラ陛下から受けた御恩は忘れませんわ。お力が必要な時は、お声掛けくださいまし」
「律儀者じゃの」
恐縮しているクロエさんに、皆が暖かな視線を向けていた。
助けられたことがあるイスペリア貴族達は、特にそういった視線を向けていたように思う。
それが、親マリーナ騎士団的空気を生み出していた。
巡り巡って、情けは人のためならずという言葉を実感できる光景であった。
無事にガリティア人のクロエさんが、イスペリア貴族になることを受け入れられ、目立った人物の名前も全て呼ばれた。
そんな、こもごも有りつつも全ての叙爵が終わった……というタイミングでのことだった。
「最後にの、個人的に褒美を与えたい奴が居たのじゃった」
ベラが、急にそんなことを言ったのだ。
え、何事と辺りが騒めくが、メンドースさんは微塵も気にしていない。
多分、ベラが事前に許可を取っていたのだと思う。
そんな用意周到な、小さい女王様の目が……何でか、こっちを向いていた。
まさか、と思った。
同時に、避け難い予感も訪れて。
視線が合って、楽しげな笑みを浮かべられた瞬間、察した。
あ、ダメだこれ、逃げられないって。
「ジルベール・ネイ、ちこうよれ」
明確に俺の名が告げられ、逃げられなくなった。
周囲から視線が集まり、俺を絡め取ったから。
それに縮こまりそうになりながらも、公式の場で女王陛下に呼ばれたからには逆らえない。
できるだけ無表情を装いながら、俺はカクカクと前へと現れた。
「そのように、警戒するでない。寂しかろうが」
「いえ、はい……」
周囲のさざめきが、他人事のように聞こえてくる。
誰だアレはと困惑しているのは、おおよそが文官の人達。
その反応は、当然のものだった。
俺はいわばクロエさんの臣下みたいなもので、イスペリアという国からしたら陪臣(臣下の臣下)に過ぎない。
何こいつ、という目で見られるのは、返って健全ですらある(すごく気まずいけど)。
では、逆に健全でない反応は何か、と問われれば……。
「ジルベール、知らない名前だけど……男の子?」
「知らぬのか、コルドラの天使殿を」
「は、天使?」
「うむ、異教徒達へ、"天意に従え。さすれば、汝らは神の使徒たれる"と説法し、帰順させた紅顔美少年のことを」
「美少年だから、天使って呼んでるの?」
「いや、彼がそう宣言するとともに、あの忌々しき冷寒の雲が裂け、キラキラとした御光が差した。誠に、天意を体現したのだろうな」
「そ、そんなことがあったんだ……」
何も知らない文官達に、あの時コルドラまで出てた武官の貴族達が、嘘八百を撒き散らしているという現状が、正にそうであった。
なんだよ、コルドラの天使って。
確かに、天より御言葉を預かった者とか何とか、あの時に必要だと感じた嘘をついたけどさ……。
自分で吐いた虚言なのに、実像が影に乗っ取られて制御できなくなっている。
このままだと、"ジルベールくんは天使だからオシッコしないし、食べ物だってパピコしか食べないんだよ?"と令嬢達にすら噂されてしまうかもしれない。
クロエさんに言われた、吐いていい嘘は意味のない嘘だけだ、という言葉を今更ながらに実感する。
取り返しのつかない嘘は、もう本当にするしかないという含みも、多分あったと思う。
……人の噂も75日って言うし、あと1、2ヶ月くらいしたら、自然消滅してないかな?
取り返しがつかないなんて、そんなことないはずだし!
「百面相するでない、ジルベール。でなければ、今後公式の場でも"にぃや"と呼ぶからの」
「陛下、失礼いたしました!」
けど、必死に自分に言い聞かせている言い訳さえ、途中でベラに遮られてしまった。
いや、これは呼び出されて対面しているのに、遠い目をしてた俺が悪いんだけども。
「よい、余と汝の間なのじゃから。で、じゃ、ジルベールよ」
ずいっと、ベラが身を乗り出してくる。
そうして、流れるように俺のフードを脱がしたのだ。
ほぅ、という溜息みたいなものが、何処からか漏れていた。
「コルドラでの噂は、余の耳にまで届いておる。派手にやったようじゃの?」
「やったというか、やってしまったと申しますか……」
「どちらでも良い、わざとかわざとでないかなぞ。結果だけ見れば、汝が異教徒を伏させたのじゃ」
本意ではなかった、などというのは言い訳にしかならない。
けだしその通りで、苦笑いするしかない。
結局、クルアン教徒の人たちに嘘八百を仕込んで、降伏に追い込んだという事実は変わらないのだ。
「それに、それ以外にも。汝は予言をした、今日この日、余が戴冠することを」
「それも功績、ですか?」
「あの予言、オクタヴィアが良く民中に広めての。汝は神託の代行者の他に、高名な預言者にもなってしまったのじゃ。勇気付けられた民は、数多くおる。じゃから、まぁ。その功績は汝にある……そうじゃな?」
「……はい」
もはや、退路なんてない。
諦めろという勧告に等しく、俺は溜息混じりに頷いた。
今更、無責任に知らんふりはできない。
それに、功績と語りながら、口ぶりは責任を語っているようにも聞こえる。
それで、ベラが与える褒美の内容が明け透けた。
多分、クルアン教の人達を利用するため、御する人材が欲しいのだ。
尤も、これはベラというよりは……。
チラリとメンドースさんを見遣ると、品よく微笑んでいた。
卒がないというか、相変わらず油断できない人である。
因みに、余計な噂を広めまくっていたオクタヴィアさんは、目が合った瞬間に、何故かドヤ顔でサムズアップをした。
恩に着ても良いのだからな、と言わんばかりの態度である。
親指へし折れれば良いのに……。
「ならば、聞くがよい。汝に与える褒美の中身はじゃな」
ベラは勿体つけてから、想像通り……いや、それ以上のことを口にした。
「イスペリアの異教徒への責任者──クルアン教総括官へと任命するものとする」
「クルアン教、総括官……」
その言葉を聞いて、思い出した。
オクタヴィアさんが、そんな役職を作り、メンドースさんを押し込もうとして失敗していたことを。
総括官、担当する地域に対して、軍事、経済についての裁量権を持つ者。
各諸侯は総括官からの要請に対して努力義務が存在しており、また総括官は担当地域に対して徴兵権及び徴税権を有するものとする。
確か、こんな感じの文言だった筈だけど……。
「土地じゃなくて、集団に対しての裁量権を持つ、ということですか?」
「そうじゃな、後は異教徒が大規模に定住する街、及び村に対して、汝は制定された通りの権限を与えられるのじゃ」
ベラの言葉に、周りは首を傾げていた。
統治できる土地などはなく、厄介者の面倒だけを見ろと命じられたように見えたからだろう。
実際、その見方は間違いでない。
何なら、頭ごなしに命令できる俺に対して、クルアン教徒の人が反感を持つ可能性だってある。
だから、そんなものを褒美と呼ぶのか、と困惑や哀れみの目が向けられるのも、十分に理解できる。
……ただ、それだけじゃない。
権限を行使する名目さえ整えれば、濫用だって出来かねない類のものなのだ。
例えば、どこそこの街に移民攻撃を仕掛けて乗っ取るとか。
尤も、そんなことをすれば、即座に反クルアン教運動どころか、反マリーナ騎士団運動が巻き起こるだろうけれども。
「よいの、でしょうか?」
「良い、好きにせよ」
茶目っけ混じりに語る言葉には、信頼とか誠実よりも、ワクワクが詰まっていた。
ある意味で、理性を推し量られているようでもある。
俺が、否、マリーナ騎士団がどう行動するか。
好きにすれば良い、そう告げたに等しい。
試されている、と言っても過言ではないのかもしれない。
でも、どうせクルアン教徒の面倒を見ることは確定しているのだから、権限はあった方がやりやすいのは確かである。
悪用すれば、相応の報復はあるだろうが。
「……拝命いたします」
「余もメンドースも、期待、しておるからの」
ベラはニコニコと笑い、屈託がなかった。
俺が何かするだろうと、本気で思っているみたいだ。
その後ろで、メンドースさんが小声で呟いた。
こちらに聞こえる、ギリギリの声で。
「成功しても、失敗しても構いませんよ」
その言葉は、明らかに鉤括弧付きだった。
正確に訳すると、こうなる。
『成功しても、失敗しても構いませんよ(上手くやったら国益に、失敗したら人気が高すぎるマリーナ騎士団の傷になりますからね)』
……本当に、油断ならない人だった。
こうして、ドタバタの叙爵式は突然のハプニングを迎えながらも、何とか無事に閉幕したのだった。
なんか唐突に投げつけられた責任に、どうしたものかと頭を抱えそうになったけど。
「大丈夫ですわ、ジルさん。貴方がワタクシを助けてくださった様に、ワタクシも貴方を支えますもの」
クロエさんの優しい言葉で、色々と大変だろうけど、それでも何とかなる気がしたから。
尊敬しているクロエさんからの言葉は、何よりも心強かった。
これから赴く新領地のリスボアでも、きっと上手いことやっていける。クロエさんと一緒なら、どんなことだって!
と、そう思っていたのだけれど……。
自分達で作り上げた愛着あった村から離れ、新領土であるリスボアへとやって来た。
諸々新しく始めようとしている、そんな時のことであった。
「……失礼致しますが、もう一度聞かせていただけますわ?」
「分かりました、何度でも伝えさせていただきます。新たな領主様、それにその仲間である英雄の皆様方。ようこそリスボアへ、歓迎いたします」
リスボアの門の前で、門番が立ち塞がっていた。
険しい顔をした、中年女性の門番である。
彼女は、新領主のクロエさんや仲間のマリーナ騎士団を歓迎しながら、同時にこうも言ったのだ。
「但し──イスペリアの敵であった異教徒は別です。リスボアへの入場を認められません、住民の総意です」
未だ、戦乱の傷が残っている。
心の中だけでなく、目に見える形で。
だから、この拒否反応も想像して然るべきことだったかもしれない。
それに、住民側の反応は、決して否定されることではない。
ついこの間まで侵略者だった者達に対して、こいつら負けたし仲良くしろと言われても、ふざけるなと怒るのは当然のことだろうから。
……ただ、前途は多難である。
それを、ひしひしと実感させられた瞬間であった。