貞操逆転世界で占い師(軍師)を務めていたら、貴族令嬢方に包囲され逃げられなくなった件について   作:ペンギン3

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第55話 海戦

 

 海賊達は、略奪を主な収入源として生活している。

 なので当然、獲物が来ないと飢え死にする。

 

 そんな彼女達は、ただ場当たり的に通り掛かりの船に襲い掛かっている訳ではなかった。

 

 潮の流れで商船などの航路は予測できるとはいえ、ずっと海の上で待機している訳にもいかないからだ。

 

 故に大体の海賊は、自分達が縄張りとしている近隣の街に、耳(スパイ)を潜らせている。

 

 大抵は水婦に混じり酒場に入り浸りながら、港の様子を常に窺っている。

 獲物を取捨選択し、美味しい部分に喰らいつくために。

 

 その耳が、こんな報告をしてきた。

 

 新領主であるガリティア人が、故国との縁を修繕するために贈り物をするらしい、と。

 

 成程、ありそうなことだと、海賊の頭目は思った。

 

 海賊には分からない話だが、土地に根付いて権力を持っているもの達は、どうやっても故郷に未練というものが生まれるらしい。

 

 この新領主も、その類の人物なのだろうと。

 

 ただ、気になったのは、その噂の出所だ。

 何でも、新領主の愛人が酒場にやってきて漏らしたらしい。

 

 愛人、男である。

 何故、権力者に囲われているものが、港のみずぼらしい酒場などに来るのか。

 

 気になって尋ねると、耳はニヤけながら答えた。

 何でも、領主に忠告を聞き入れてもらえなかったことを不満に思い、愚痴を言いふらしにきたのだと。

 

『クローデット団長は、美人で勇猛果敢で世界最高の英雄ですけど、時々急ぎすぎるんです! なんで海賊が跋扈してる中で、ガリティアに贈り物なんてするかなぁ。皆さんも海賊被害に遭われたんですよね、何とか団長を止めていただけませんか?』

 

 クソぬるいミルクをガブ飲みしながら、絡み酒の様にそこらの水婦にウダウダと文句を垂れてたそうな。

 

 普通だったら、何だこいつと冷たい目で見られて終わるだろう。

 

 だが、そのミルクで酔い散らかしたみたいになってる男は……幼いながら、美少年と言って差し支えなかった。

 

 "酷いですよね〜"と見目が良いやつに擦り寄って来られたら、"どしたん、話聞こか?"となる女は多い。

 

 耳も、話聞こか? と返して男性と長々お喋りできた口だったらしい。

 

 頭目は心底冷めた反応をしつつも、報告を真に受けた。

 船を集めて、貢ぎ物を奪い取る準備を始めたのだ。

 

 海賊に対して無警戒な態度が、舐められていると感じたのだ。

 

 舐められては、部下に示しがつかない。

 規模を大きくした海賊団が、たわんで統制が緩くなる。

 

 折角のカモネギを前にして、息を潜めて待つことをよしとしなかったのだ。

 ……危険だと、分かっていても。

 

 カリスマが突出している頭目ならば、領主の船に手を出して恨みを買えば恐ろしいと決断を下せただろう。

 

 だが、いま頭目の彼女は、組織を束ねるのに利害を以て調整するタイプの人間だった。

 

 この海賊団に集まった連中も、理念とか理想とか、そんなものは微塵も持ち合わせていない。

 

 食い扶持がないから、奪ってやろう。

 ただそれだけの集合体で、それ以上の理由を必要としていなかった。

 

 それでも、これまでは上手くいっていたのだ。

 これからもそうだろうと、何気なしに思い続けていた。

 

 ブリトラでも、ガリティアでも、上手くいっていた。

 新たなナワバリとして南下したイスペリア、リスボア周辺も食い物に出来つつある。

 

 上手くいっているなら、やり方を変える必要もない。

 だから今回も、今まで通りのやり方で狩りをする。

 

 そうすれば、いつも通りに成功する……筈だった。

 

 

 

 報告を受けていた領主の船団を補足し、逃げ場のない岩礁付近で戦闘を開始した。

 

 岩陰に潜めていた船も出し、6隻の帆船を包囲下に置いた。

 相手は縮こまるばかりで、暴れようともしない。

 

 いつもよりも、数段楽な仕事にさえ思えていた。

 

 

「なんだ、これは──っ」

 

 

 なのに、いま目の前で起こっている現実は、頭目の如何なる経験をも凌駕していた。

 

 ──岩が飛び交い、海賊船へと容赦なく降り注ぐ。

 ──飛んできた岩に押しつぶされ、味方がミンチになって吹き飛ばされる。

 

 悲鳴と怒号がミックスされて、鉄色の混沌が出現する。

 甲板は、恐慌状態へと陥っていた。

 

「なんなのだ、これは!!」

 

 襲うはずの自分達が、何故か襲われる立場に追いやられている。

 

 しかも、敵は不条理な方法、船に新型の投石機でも持ち込んだかのような破壊力の投射で、一方的な攻撃を受けている。

 

 この時点になってようやく、海賊側も謀られたことを察した。

 

 偽報により誘き出し、一挙に撃滅する。

 見事、してやられたと歯噛みするしかなかった。

 

 リスボアの新領主は陸の戦争で名を馳せたらしいが、どうやら噂に違わぬ人物らしい……と、他人事なら思えたかもしれないが、残念なことに海賊達はその武威に晒されている当事者である。

 

 何が何でも、この窮地を脱しなくてはならなかった。

 

「頭目、どうしやすか!」

 

 泣きそうな部下からの問い掛けに、頭目は舌打ちをしながら吐き捨てた。

 

「今更、背を見せられるか!」

 

 逃げる選択は、既になくなっていた。

 

 投石の矢面に立たされているのは、頭目が率いる4隻の船団である。

 

 ここで背を向ければ、敵は投石を逃げる頭目達に集中させるだろう。

 

 そうなれば、自身の死傷率が非常に高くなる。

 それは受け入れ難いし、何よりも……。

 

「一方的にぶん殴られて、ビビって逃げる海賊なんかいるかよ!」

 

 プライド、アウトローとしての矜持が、殴られたままで済ませるかと判断させた。

 

「後方から、他の奴らも殺到してる。こっちが耐え切ったら、奴らを四方から袋叩きに出来るんだぞ!」

 

 それに、勝ち筋は海賊側にもある。

 敵の奇襲で慌てふためいただけで、冷静になれば海賊が勝つ。

 

 そう鼓舞して、頭目は体勢を立て直そうとした。

 事実として、そういう面も確かにあった。

 

 しかし、それは仕掛けた側も重々承知のことで……。

 

「攻撃が、緩んだ?」

 

 霰みたいに降り注いでいた岩が、ようやく止んだ。

 

 一瞬、頭目は後背の部隊が敵に殺到したのだと、そう理解を得ようとした。

 

 だが、そうではなかった。

 正面の敵が攻撃を中止したのは、単に……。

 

「敵船団、反転します! そのまま、後続の部隊へと接近!!」

 

 攻撃の対象を、別の部隊へと振り替えただけであった。

 

 風を受け、オールを全力で漕ぎながら、必死にアマル率いる船団の後ろを突こうとしていた部隊は、瞬く間に接敵を強いられることとなってしまった。

 

 無論、後続部隊も投石の餌食となり、甲板が大混乱に陥っている最中でのことである。

 

「各個撃破で乗り切るつもりなのかい!?」

 

 全部、掌の上である。

 

 アマルの姿形は知らなくとも、頭目はそんな声が聞こえてきそうな敵の戦術巧者振りに、手に爪を立てて握り締めた。

 

「急ぎなっ、こっちが敵の後ろを襲うんだよ!」

 

「マストが大破してる上に、向かい風ですっ」

 

「オールがあるだろ、いいから全力で漕げ!」

 

「やりますけども!!」

 

 オールがあるから、進むことはできる。

 だが、向かい風なため、その速度は減ぜられる他なかった。

 

「……そこまで考えてたってのかい」

 

 頭目の握り締めていた手から、力が抜けた。

 苛立ちや不快感以上に、困ったという不安が先立ってしまったのだった。

 

 

 

「敵は、混乱してる。各員、梯子、かけて。白兵準備」

 

「総員、梯子用意。白兵戦準備です!」

 

 ドタバタと甲板を其々が甲板を駆け回る足跡が響く中で、アマルさんの指示を俺は大きな声で復唱して伝播していた。

 

 今の俺にできることなんて、それくらいしかない。

 と言っても、情報の伝達は大事なことだから、殊更に卑下することでもないけど。

 

「ジルベール」

 

「はい」

 

「行って、くる」

 

「はい」

 

「……待ってて」

 

「はい!」

 

 混乱に乗じて、一気に敵に息の根を止める。

 そのためにも、アマルさんは自らも敵の船へと接舷し、乗り込んでいくことを決めたみたいだ。

 

 無表情に告げてから、梯子を使うまでもなくアマルさんは敵の船へと飛び乗っていった。

 

 そのまま、事態を収集しようとしてた海賊を切り捨て、混乱に拍車をかけていく。

 

「天狗かな?」

 

 多分、アマルさんは八艘飛びとか出来るタイプの女の子だった。

 言ってる間に、次の船に飛び移ってるし……。

 

 クロエさんが正統派な騎士なのだとしたら、アマルさんはスピードタイプの剣士だった。

 

 そんな杓子に押し込められるような戦い方じゃ、明らかになかったけど。

 

「甲板を制圧次第、船内の出入り口を封鎖、次の船に! アマルさんに続いてください!!」

 

 兎にも角にも、アマルさんを孤立させるわけにはいかない。

 

 アマルさんが広げて回っている混乱の隙に押し入れるように、水婦を無理やりにねじ込んでいく。

 

 海賊達は狩る立場ばかりで、狩られる立場に追いやられたことは少ないのだろう。粘りが効かずに、次々と船内に逃げるか海へと突き落とされていく。

 

「ジルベールくんジルベールくん、石投げていいですか?」

 

「いま乱戦中なんですけど……」

 

「……ダメです?」

 

「あー、アマルさんがいま飛び乗ってない船になら」

 

「わーい!」

 

 そんな最中で、船に乗り込んでた令嬢から投石許可願いをされた。

 

 近づいてくる他の敵への牽制だけで、十分役割は果たしてくれてたのだけど。

 どうにも、それだけじゃ物足りなかったらしい。

 

 許可を出すと、嬉々としてブンブンと砲弾石をぶん回し始めて。

 

「そぉーれっ!」

 

 楽しげに、そのままぶん投げられた石は、まだ誰も白兵戦を仕掛けられてなかった船、その船体の水に面している部分へと直撃して。

 

「…………あ」

 

「わーい、大当たりぃ!」

 

 

 砲弾石が直撃した部分に、見事穴が開く。

 そこから──浸水して、船がゆっくりと傾き始めた。

 

 

「撃沈しちゃった……」

 

「ジルベールくん、褒めてください!」

 

「あー、うん、すごいです凄いです」

 

 この時代のこんな装備で、船って転覆させられるんだ。

 アマルさんも、船は沈められないはずって言ってたのに。

 

「接近して船底狙いなら、何とかなるのかな……」

 

「接近して船底に石投げればいいのです?」

 

「いえ、敵も矢とか放ってきてて危険なので、無理に近づかないでください」

 

「はーい」

 

 まあ、これは運が良かっただけと思っておけばいい。敵に対策されれば、接近自体が中々難しくなるだろうし。

 

 そう俺は判断したのだけれど……。

 こんな光景を初めて見た海賊達は、そうは思わなかったらしい。

 

「あ、ジルベールくん、海賊達が反転して逃げてきます! 追いかけて殺さなきゃ!」

 

 衝角戦でもないのに、転覆撃沈した海賊船。

 その光景を遠くから見ていた海賊達は、慌てふためきながら反転して撤退を開始していた。

 

 このまま戦えば、同じ目に遭わされるだろうと恐怖したのだろう。

 

「……今日は、これくらいで勘弁してもいいかもしれません」

 

「何でです?」

 

「アマルさん達、回収しなきゃ」

 

「そっかー、ちぇー」

 

 それを追いかけるには、俺達は普通に兵力不足だった。ここは一旦、これくらいで矛を収めておくべきだろう。

 

 それに……。

 

「捕虜にできた海賊達も、無数にいます。尋問すれば、敵の本拠地は直ぐに割れますよ」

 

「じゃあ私、今から尋問してきます! 指は何本折っていいかな?」

 

「折ること前提なんだ……」

 

 必要な物は、もう大体手に入っているはず。

 令嬢のごうも……尋問からも情報は手に入るだろうし、敵の船からもある物はあるはず。

 

 制圧した海賊船から、地図や航海図を手に入れれば分かることもかなり多い。

 十分な戦果を上げられたと言っても、過言ではないだろう。

 

 

 

「ジルベール、ただいま」

 

「お帰りなさい、アマルさん」

 

 海賊たちが四散する中で、シュタっと軽やかに、梯子を使わず飛びながら船に戻ってきたアマルさん。

 

 あらかた的な制圧に成功し、既に掃討戦に移行したみたいだ。

 

 仕事が早い、味方になるとこんなに頼もしい人なんだと実感させられる。

 

 その有能な指揮官なアマルさんは、無表情にジッと俺のことを見つめて。

 

「……見てて、くれた?」

 

 何だか、無表情なのに可愛らしい語調で尋ねて来たのだ。

 

「はい、見てました」

 

 見ようとしなくても、一人でワイヤーアクションばりの大活躍されたら、自然と目に止まってしまう。

 

 ある種、アマルさんの舞台でもあった。

 

「大活躍でしたね、流石です」

 

 見たままの事実を告げると、アマルさんは無表情なのに、何だか満足げで。

 

「カッコつけ、成功」

 

 私は強いと言わんばかりにコクコクと頷いて、無表情ながら嬉しそうにしていた。

 

 多分、久しぶりに大暴れできて、嬉しいのかもしれなかった。

 

 そんなアマルさんは、青空を見上げて。

 それから、一言。

 

「──貴方がいると、負ける気、しない」

 

 とってもくすぐったい言葉で、俺を労ってくれたのだった。

 

 

 

 

 

 あれからアマルさんは、捕虜の尋問(令嬢に石を握りつぶさせて、拷問するまでもなく自供させていた)や接収した航海図や日誌から、海賊達の本拠を割り出した。

 

 イスペリア半島近くの無人島、そのが海賊達の拠点だったみたいだ。

 

 間を置かず、敵海賊船から接収した物資を元手に(補給のために寄港せずに済んだ)、即座に強襲を掛けた。

 

 海賊達は逃げる準備をしてる中で襲撃され、陸でも強いアマルさんは一方的に略奪品を抱えて逃げようとする海賊達をボコボコにしていった。

 

 統制が取れない烏合の衆と化した海賊と、アマルさんが指揮する歴戦のクルアン教徒達。

 

 戦いになるはずもなく、一方的な虐殺になりかけた辺りで、敵の頭目が降伏を申し出て来た。

 

 完璧なワンサイドゲーム、大勝となった戦いである。

 

「確保した物資は、全部、リスボアに、返す」

 

「格好つける戦いって言ってましたし、悪名を払拭する意味でもそれが良いと思います」

 

「……格好つけたかったの、リスボアに、対してじゃ、ない」

 

「? あー、クロエさんに対してってことですね。安心してください、クルアン教徒の献身的な戦いぶりは、ちゃんとクロエさんに全部報告しますから。クロエさんは吝嗇じゃないですし、恩賞だってきっと貰えますよ!」

 

「……ジルベールは、不能」

 

「何で!?」

 

 ただ、一緒に過ごして知れたと思ってたアマルさんの心については、まだまだわからないことだらけだった。

 

 確かに転生してから大っきくなる頻度はかなり減ったけど、いざとなったらちゃんと出来るはずだし……。

 

 …………大丈夫だよな、俺の相棒?

 

 

 

 

 

 その後についてだが、残りの事情を知らず参集してなかった海賊達を、アマルさん達は本拠地で待ち構え、上陸して油断していたところを次々と急襲していった。

 

 これによって、少なくともこの近辺を縄張りにしてたら大規模な海賊団は、丸ごと壊滅させることができただろう。

 

 リスボアの制海権は、完全に確立された。

 今からしばらくは、自由な海が広がることだろう。

 

 そして、海賊を壊滅させ、略奪された品(おおよそは金品に変えられてしまっていたが)を取り戻したアマルさん達クルアン教徒の評判も、また……。

 

 

「リスボアの皆さんは、ひどく複雑そうにしておられますわ」

 

「ですよね……」

 

 

 直ぐに上がる訳はなかった。

 

 クロエさんに、事の次第を報告してから、伝えられた通信簿の結果である。

 

 これまでのことがある、直ぐに"見直したぞ!"と歓迎されることはない。

 

 仕方がないことではあるが、悩ましくもある。

 先は長い、俺が生きている内に解決できることなのかも怪しかった。

 

「ですが、商業的な取引だけはしても良いと、皆様仰ってますわ」

 

「本当ですか!?」

 

「郊外の港で、出来るだけ目立たないようにするのならば、と」

 

 十分に、ありがたい譲歩だった。

 商業取引ができるだけで、何とか生きていけるのだから。

 

「街の反応や雰囲気的に、そこについてはまだ厳しいかなって思っていたので……本当に助かります!」

 

 精一杯の感謝を込めて、クロエさんの手を握り、ブンブンとしてしまった。

 

 女の子の手を簡単に握るのはどうかと思うけど、それでも俺とクロエさんの仲だから。

 

 ……俺だって、クロエさんと離れ離れは寂しいのだ。

 

 これくらいなら、許してもらえるかなって、姑息な目算も存在していた。

 

「じ、ジルさんがワタクシの手を!? 一生手を洗うなと、そういうことですの?」

 

「いえ、しっかり手洗いうがいはしてください。病気の元ですので」

 

「よく分かりませんが、ジルさんの仰ることなら信じますわ」

 

「はい、そうしてください」

 

 そのまま、何となく互いに互いの手を、むぎゅむぎゅと握り合う。

 

 なんか、照れくさいのにやめられない。

 謎の中毒性が、クロエさんの手にはあった。

 

 

 

 そのあと、お互いに正気に戻った俺達だが、ちょっとやりすぎた感があったかも、と妙に恥ずかしくなって。

 

 ムズムズするような空気が、ほんのりと広がった。

 

 クロエさんの顔は赤い、多分俺もおんなじ色になってると思う。

 

「じ、ジルさんっ、リスボアの人達が許可をくれたのには、相応の理由があるのですわ!」

 

「そ、そうなんですね!」

 

 そんな空気を吹き飛ばそうと、クロエさんが妙に裏返った声で話し始めた。

 

 俺も、呂律がこんがらがりそうになりながら、クロエさんの気遣いに追随した。

 

「事情って、何かあったんですか?」

 

「コホン、コホン……えぇ、リスボアの教会から、布告があったのですわ」

 

「教会、から?」

 

 教会、という言葉を前にして、二人の間に広がってた空気が正常化される。

 

 それは俺たちが敬虔な聖教徒だから、という訳ではなく、単に政治的な匂いを感じたからにすぎないが。

 

「はい。安息日に、リスボア教会のルシア司祭が、ミサの時にこう仰ったのです。"──汝の敵を愛せよ"、と」

 

 聖書の言葉である。

 相手を無理に好きになる必要はないか、憎しみで答える必要もない、という意味合いの。

 

 ミサの説法の時に、民衆の前でわざわざそう言ってくれた。

 明らかに、こちら側に対する援護射撃である。

 

 結果として、リスボアの民衆は不承不承ながら、門戸を僅かだが開けてくれたのだ。

 非常にありがたいし、感謝すべきことなのだろう。

 

「……何が目的なのでしょうか?」

 

 ただ、善意だけと受け取るには、アピールが大仰である。

 

 恩に切るしかない状況、何かお願いされれば無碍には出来ない。

 

 道義的にもだが、民衆にこんなにも影響力を持っている教会の意向を無視することが難しいという、リスボアに属する上での力関係的な意味合いが強い。

 

「ルシア司祭から、伺っておりますわ」

 

 その問いに対する答えを、クロエさんは渡されていた。

 

「聞かせてください」

 

 厄介ごとだったら、どうしようか。

 

 そう思いつつも、避けられないであろう要件を尋ねると、クロエさんはいつもと変わらないトーンで、それを告げてくれた。

 

「コルドラの天使様、それから異教の代表者にお会いしたい、とのことでしたわ」

 

 それは案外素朴で、だからこそ何だか怪しく感じる招待状であった。

 

 ……あと、その呼び名広まってるんだ。

 

 切実にやめて欲しいんだけど、どうしたら良いのかなぁ。

 

 

 

 

 

 同時刻、リスボアの教会。

 

 一人の少女に見える白髪の女性が、長い髪を地面に引き摺りながら、ステンドグラス越しの陽光を浴びていた。

 

「主は如何様に差配し、御使い様を地に降ろしたもうたのでしょうか」

 

 問い掛けに、答えはない。

 だが、それで良い。

 所詮は自問自答と、彼女自身が理解していた故に。

 

 彼女は瞳を閉じたまま、瞼の裏側に何かを見出そうとする。

 

 だが、その閉じられた網膜には、淡いステンドグラスのグラデーションしか映し出されない。

 

 彼女は一人、静謐な教会で、キラキラと照らされながら物思いに耽っていた。

 

 きっと今日は、晴れなのでしょうねと思いながら。

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