アルトリアは現在、林の中を進んでいた。
雑草が生い茂る中、踏み固まれた小道を歩んでいる中、彼女は只々自身の先を行く彼の背中を見ているだけだった。
彼等が何故、そんな小道を歩いているのか、それは偏に彼の頼みだからである。
あれから数分歩いた先で彼はアルトリアに尋ねたのだ。
『すまないが、少し寄り道をして行きたい。
俺も、言わなくてはいけないことがあるのでな。』
それを彼等は何も聞かずに承諾したのだ。
アルトリアは彼への信頼から必要な事なのだろうと判断し、マーリンは彼との付き合いから何をしたいのかを理解していた。
そうして林の入り口にまで着いた所で、マーリンは彼等に促した。
『私はここで待機しておくとしよう。
その方が君も都合がいいだろう?』
ルシウスは彼からの気遣いに感謝を述べた後、アルトリアを連れて林の中を進む。
『……別れを言える者がいるっていうのは、少し、羨ましいね。』
彼の寂寥感と小さな嫉妬が混じったぼやきは誰にも届かずに、ただ空を舞うだけだった。
(この道を通るのも、これで最後だな。)
踏みならされた道を歩きながら、彼は感傷に浸る。
数十年、彼は一度たりとも欠かさず、彼は現代の西暦にした月の初めと終わりには必ず帰省しては、こうして林を抜けた先の彼等に思い出を語っていたのだ。
「もうすぐだ。」
彼の知らせと同時に彼女の目は遠くにある墓標を捉える。
「あそこですか?」
彼女も驚きだったのだろう。彼女の予想では何かしらの武器や道具を取りに行くものだと思っていた事もあり、まさか、予想外に墓標へと赴く事になろうとは。
「ああ……約束したんだ、彼等にお前を紹介するとな。
着いたぞ。……久しぶりだな、父さん、母さん。」
彼が立ち止まった先には二つの墓標が立っていた。
職人達が見れば粗雑な一言に尽きるであるその造詣の浅い墓石は、けれど
その墓石は不細工ながらも愛情と慈しみ、未練と執着が如実に表された無垢の悲哀だった。
アルトリアは何も言わかなかった。
否、言えなかったのである。
彼女にとってその墓標から感じとれた膨大な家族愛と重厚な執着、そしてそれらが折り重なった絶望に彼女はただ、黙する事しかできなかった。
「今日は伝えたい事があって、来たんだ。
………もう、俺はここには来れない。
さようならなんだ、父さん、母さん。」
彼女からは彼の顔は見えなかった。
だが彼の声は震え、強く握られた拳は静かに深い溝を作っていた。
「俺は、幸せだった。
確かに、俺達が過ごした時間は短かった。
もっと父さんの話が聞きたかった。
もっと母さんに料理を教えてもらいたかった。
………けれど、時間は巻き戻らない、
けど!それでも、俺は幸せだった
……父さんが俺を撫でる手が好きだった。
母さんが作ってくれた料理が好きだった。
二人の幸せそうな顔が好きだった。
だけど、俺は、ダメなんだ。
ここにいると、いつまでも二人に縋り付いてしまう…だから…もう…お別れをしなくちゃいけない。
……ありがとう父さん、俺に愛を教えてくれて、
ありがとう母さん、俺に優しさを教えてくれて、
二人がくれた思い出と、温もりは今も俺の中で生きているから。
だから……行ってきます父さん、母さん。」
彼がその墓標を背に歩み出す。
私もまた、彼の背を追うように歩き出した。
ふと、先まで吹いていなかった風が穏やかに鳴いていた。
『いってらっしゃい。』
彼が一瞬立ち止まるも、迷いを振り払うように再び歩き出す。
「………今のは」
思わず、独り言を呟いてしまう。
「……亡霊の甘言だ。」
彼は冷酷にも、そう切って捨てた。
彼なりの決意なのだろう、彼にとってその一言を吐き出すのに一体どれ程の苦痛と躊躇い、覚悟を要しただろうか、わからない、本当の意味での家族を知らない私には上辺でしか語れないのだから。
……けれど、もし
(家族同然でもあるルシウス、エスター、ケイ兄さんが死んだ時……私は彼のように前を歩けるでしょうか。)
その問いに私は、回を出せなかった。
「俺とお前は違う。お前なら別の方法で乗り越えれるだろうさ。
少なくとも、俺を手本にはするな。」
「こんなものは子供が取る手段なのだからな。」と付け足した。
そう言う彼の顔は、いつもと変わらずの仏頂面だった。
しかし、私だからわかる事もある。
彼はもう、泣けず、縋れず、逃げれない、そんな一人の大人になってしまったのだと。
私は無性に涙が出そうになった。
同情は彼への侮辱だ。理解は彼への冒涜だ。共感は彼への貶めだ。
だからこそ、私は彼を慰めれない自分が只管に恨めしい。
「ありがとうアルトリア。
お前にそう思って貰えるだけで俺は幸せだ。」
そう言って彼は横に立つ私の頭を軽く撫でた。
彼は全体的に細身だ。彼曰く、『俺は肉付きが頗る悪い。寧ろここまで肉量を増やせた事が奇跡だろうさ』との事だ。
そんな彼が華奢な腕で私を撫でる。
一体、そのか細い体でどれ程の重積を抱えているのか、私には検討もつかない。
けれど、私はブリテン島の王であり、人民の王でもあり、彼の王でもあるのだ。
「私はあなたを置いては行きませんよ。」
今の私にはそれしか言えなかった。
だけど、いつの日か、私もあなたの重荷を半分くらいは持てるようになりたいです。
彼が目を見開いた後、穏やかな微笑を私に向ける。
「……君と出会えて良かった。
これは因果でも運命論でも無い、きっと、俺と君は出会うべくして出会ったんだ。
これからは、君の剣となって君の行手を遮る暗雲を切り払う事を誓おう
マイ・ロード。」
彼は私の手の甲に口付けを落とす。
今時、過剰とも言える所作だと思われるかもしれないが、それ以上に彼女の心は満たされていた。
初めての忠誠、初めての部下、初めての心通。
そのどれもが彼女の脳天を貫く程の喜びを溢れさせていた。
「……もう、離しませんからね。」
彼は意地悪そうに噛み殺した笑いを溢しながら私の耳元で囁く
「俺が離れるとなったら、それはマイ・ロードが退位する時だろうさ。」
私は咄嗟に彼と距離を取る。……彼は本当に騎士だったのだろうか?
もしかしたら先代を籠絡していた書物に書く傾国だったのではなかろうか。
「俺が傾国なら当にこのブリテンは終わっているだろうさ。
さて雑談は林を抜けてからでもいいだろう。」
彼は「行くぞ」と私を促して先へと進む。
彼の足取りは未だ変わらずだ。
それに、頭が冷えてから気付いたが、彼は一度たりとて『振り返って』はいないのだ。
私は彼の覚悟を再認識して着いていく。
そうして、林を抜けた先ではマーリンが手慰めに魔力で絵を描いていた。
「おや、おかえり……それにしても」
そう言って彼は私達を舐め付けるように見る。
彼のこう言う悪癖は直させるのも一人の王としての課題だろう。
「…一皮剥けたじゃないか。
君も、アルトリアも、先程までとは大分見違えて見えるよ。
それでだ……しっかり言えたかいルシウス?」
「確認は不要だ。あれは当に亡霊に過ぎない。」
彼の無慈悲な言葉にアルトリアは驚愕し、マーリンは深くを目を瞑り、深い熟考の末、「そうか。」と溢すだけだった。
彼女は幾ら彼の覚悟を感じ取ったとは言え、言葉の不適格な選択に異議を唱えようとした所をマーリンに遮られる。
「あれも、彼なりの覚悟なんだろうさ。
……彼、不器用だからね。」
そんな事は自身も知っていると言う風にマーリンを睨み付ける。
彼が不器用な事は今に始まった事じゃない。
彼は割り切りが上手い、だが、そこからが悪癖になってしまうのだ。
彼は一度割り切ってしまえば最後、これまでの経験や思いが無かったかのように無慈悲で冷え切ったものになってしまうのだ。
「あれはきっと、彼の処世術でもあるのだろうさ。
彼はどこまで行っても真面目だからね。
簡単には過去を捨てれない。
だからこそ、これ以上縋らない為に割り切らないと行けないんだ、思い出ではなく、自身の心とね。」
マーリンは慈愛の籠った眼差しを私に向けながら語る。
「君達の間でどのような関係性の変化があったかは聞かないさ。
だけどね、彼の事をどうか否定してあげないで欲しい。
これは彼の友人としての頼みさ。」
そう言って彼は頭を下げた。
きっと、初めだろう。
マーリンが人の為に頭を下げてまで頼み込むのは。
それは羨望から来るものか、はたまた友情からか、それとも愛を超越した何かなのか。
それは誰にもわからない。
だが、アルトリアは彼の頼みを一蹴する。
「私は誰かの頼みでなく己が意思を持って彼を受容します。
…ですから貴方もあなたの意思で彼を受け止めてはどうですか?」
「まぁ、一番彼を理解出来ているのは私ですけどね。」そう言って彼女は足早に進む。
私は無意識に下げていた頭を上げる。
いつからだろうか、こんなにも奥手になっていたのは、
いつぶりだろうか、自身から能動的に動こうとするのは。
だけど、彼女は少し見誤っている。
「僕達は伊達に長い付き合いをしていないのさ。」
僕は魔術を行使し、彼の隣へと飛ぶ。
それと同時に彼女もまた彼の隣へと追いつく。
「?なんだ、競争でもしていたのか?」
彼の気の抜けた問いかけに彼等は偶然にも揃って答えてしまう。
「「なんでもない(さ)(です!)」
彼は数回の瞬きの後、「そうか」と軽く返すだけだった。
「俺は少し諸事情があり離れるが、お前達はここで待機だ。
すぐに戻る。」
言いたい事だけ言った彼は彼等が話を飲み込んだ時には既にその場から消えていた。
アルトリアが呆然としてしまう中、マーリンは呆れのため息を吐きながらも、心の中で彼に感謝を伝える。
(ありがとうルシウス、君が作ってくれた機会は無駄にはしないとも。)
マーリンは心の中で深く、深く、決意を凝固させる。
大きく息を吸い、静かに吐き出す。
震える拳を力強く握り、躊躇いを置き去りにするように大きな声で、己を鼓舞するように力強く、彼女を『見る』。
「アルトリア!私は……僕は、君に伝えなきゃいけない事があるんだ。
………すまなかった。僕は、君に対して、人道に反する愚かな事をしてしまった。許してくれとは…言わない。だが、どうか、僕に償いの機会をくれないだろうか。」
彼は頭を深く、深く下げて、私に贖罪の機会を懇願する。
その姿からはいつもの軽薄さは無く、自己満足でも無い、只管に自身の行いを戒めた先の相手に寄り添った誠実な謝罪だった。
だが、私は現状を飲み込めてはいなかった。
「……あなたは、一体、何について謝罪しているのですか?」
それは彼女にとって純粋な問いかけだった。
だが、彼にとって、その問いかけは己の罪を白日の元に晒す、懺悔と同義だった。彼はゆったりと頭を上げて、乾いた土の上に腰を下ろし、私もそれに倣って隣に座る。彼の重たく閉ざされていた口が開く。
「……始まりの罪は、ウーサーを止めなかった事だろう。
彼は間違いなく王として資質も資格もあった。だが、彼は度を越した現実主義者だった。彼は未来へ思いを馳せるのではなく、時間の流れに乗った自然の改革を選び取った。だけど、晩年にして彼は気付いてしまう、自身は王ではなく、管理者にすぎないのだと。そこで彼は君を作った。
アルトリア、王として必要なものはなんだと思う?」
私は逡巡の末に陳腐な答えを出してしまう。
「………愛国心でしょうか?」
彼は「それも、一つだね」と返しながらも、その眼は何処までも冷え切った現実を見つめていた。
「だが、彼の考えは違った。彼は、〈力・崇拝・恐怖〉こそが、最も王を王たらしめる要素だと語った。しかし、この考えを否定したのもまた、ウーサーという王だった。
ルシウスは彼を臆病者だと評した。彼曰く、『人は誰しも曖昧さだけでは生きていけない。夢は現実の埋め合わせに過ぎないのだから。』
けれど、ウーサー王は割り切れなかった。
例え、夢物語に過ぎなくとも、このブリテンはいつかどの国家より繁栄するのだと。」
彼が私に目線を向ける。
「だからこそ、彼は勇敢で、強靭な、人々に愛される人間として君を設計した。例え、君という一個人の意思を無視し、人生全てが虚飾と欺瞞で彩られようね。
今にして思えば、彼もまた、君に縋ろうとする一人の人間だったと思わされるよ。」
私はそれらの膨大な情報量に圧倒される。
なら、これ迄の全ては、あの儀礼すらも、全てはお膳立てされたものだったのだろうか。
エクターが作ってくれた料理も、ルシウスとの関係、マーリンからの教えすら、全ては、偽物だと言うのか。
「……私が言えた義理じゃない事は重々承知だが、それでも言わせてもらう。
君が築き上げてきたこれまでの経験、関係、記憶。
それら全ては君によって彩られた艶やかで、繊細な、美しい軌跡なのさ。
ウーサーは君をブリテンを照らす王として設計した。
けれどね、彼には君の人格を矯正する事も出来なければ、君の一挙手一投足を徹頭徹尾、把握する事も出来ない。
彼が出来た事は、只管に君の時間を護り、資格を作る事だけだったんだ。
だからこそ改めて言わせてもらう、君の思い出は君だけの本物なんだと。」
私は聖剣に目を向ける。この聖剣は確かに過去のお膳立てで取れたもだろう。
しかし、この聖剣には先代ウーサー王の悔恨と、僅かな未来への期待が重さを宿し私に剣を通じて熱を感じさせる。
(顔も知らぬウーサー王よ。
私は貴方の思想に共感する事も、理解する事も、納得する事も出来ない。
けれど、あなたの剣を通して感じるこの悔恨は決して嘘偽りなどではない。
ならば、変えて見せましょう。私が、私達が、この嘆きばかりのブリテンに変革を齎すと誓います。
それが唯一私ができる貴方への供養だ。)
私は無意識に握っていた聖剣を静かに戻し、マーリンの胸元を勢いよく掴む。彼は傲慢にも私から許しを貰おうと縋りついているのだ。
贖罪とは許し許されでない。
贖罪とは究極的に生きている限り抱え続ける業であり、烙印を皮膚で擦る徒労なのである。
「私は、貴方達の所業を許す事はできない。一人の人間の人生を操り、偽り、焚べようとした貴方達の非人道的な行為を許してはいけない。
…けれど、貴方が私に教えてくれた剣技も、教養も、また真実だ。
私は貴方への憎悪以上に、貴方を師として尊敬し、愛している。
だからこそ、貴方がすべき贖罪は一つ。
その身が枯れ果てるまで、我が王道に従い、ついて来い!
それが貴様に許された唯一無二の贖いだ!」
茫然とする彼を突き放す。
許しとは逃避だ。
懺悔とは祈りだ。
罪とは願いだ。
私は尻餅をついて俯く彼をただ見るだけだ。
彼が顔を上げて迷える幼子のような面持ちで私に問いかける。
「……僕は、君の側にいてもいいのかい?」
私は彼の問いかけを一蹴する。
その問いかけに意味はない。
「愚問ですね。
貴方はもう私の友人なのですから、私達に許し許されは不要だ。」
ウーサーが臆病者であるとするなら、彼もまた、不安を拭えない臆病者なのだ。
彼の静かな泣き声が辺りをこだまする。
私は彼を立たせ、彼の顔をしっかり掴む。
「泣くなら私が見える所で泣きなさい。そうすれば、こうやって…」
私は彼をこちらに寄り掛からせるように抱擁する。
「こうやって、涙を受け止めれますから。」
彼は私の胸元でただ泣くばかり。
ふふっ、彼は随分と泣き虫な事を知れましたね。
時は少し戻り、ルシウスはとある者と対話していた。
彼の眼前には一つの鏡だけが宙に浮いており、その鏡の先には一人の美女が優雅に座っている。
「盗み聞きとは感心しないな『トネリコ嬢』」
鏡の中に映る美女は艶やかな微笑みを溢しながらもその姿からは反省の色など微塵もなかった。
「ごめんなさい。ただ、貴方に伝えたい事があったの。
例の天火の刃の足取りを掴んだわ。」
ルシウスは驚愕に包まれる。
御伽話の類いだと踏んでいた剣が実在していたのだから。
彼の神秘が臓器の裏を撫でるように這い回る。
「……場所は?」
彼女は深く深呼吸しながらも胸元を抑えてゆっくりと、その重たい口を開いた。
「聖ミカエルが降り立った地にして、このブリテンにて唯一天使と縁が濃く結びついた山。
……セント・マイケルズ・マウントよ。」
彼はその地の名前を聞き、己の中で蠢く神秘の反応がより増した事に強い確信を抱いた。
彼は無意識に口元を歪める。
「くくくくっ、感謝する『トネリコ嬢』」
彼女は先程までの重圧から解放された事により椅子に大きく背中を預けながら、彼が犯してしまった失言を諌める。
「貴方と私の二人きりと言うのに他の女の名前を出すなんて、貴方こそ感心しませんよ。」
その指摘にルシウスは軽く頭を抱えながらも、持ち前の切り替えの上手さから、すぐに「すまない。」と謝罪をして「感謝するモルガン嬢」と訂正した。
「ふふっ、構いません。
夫を支えるのも妻の役目ですから。
それでは、私はこれにて失礼します。
お仕事頑張ってくださいね。」
そう言い切り先程まで浮いていた鏡も普通の鏡にもどる。
彼はその鏡を回収した後、口元を抑えながら噛み殺した深く、厚く、重い笑声を溢す。
「かつてのイカロスが今、再び羽を得る機会を得るとは
………『運命』かもしれないな。」
そんな彼の独り言は空気と共に消えていくだけだった。
これより世界は動き出す。
一人の少女は王になり、
かたや一人の夢魔は王を得る。
はたまた一人の天使は世界を回す。
ブリテンを制する者が誰となるか、世界は未だ空白である。
されど、早朝は既に登った。