そのまた翌朝。
アンペアと自分とアビドスの3人は宿で朝食を食べていた。
今日も黒くて固いパン...と、思いきや、今回出てきたのは白くて柔らかい。
「ふふん、直したかいがあったわね」
アンペアが、得意げにそのパンを持ち上げて自慢げに浸っていた。
「一体、何をしたの?」
「製粉所ってところを直したのよ。昨日あの人に聞いたら、そこもやれって言ってきてね」
「それで、そこを直してたの?」
「機構はね。でも、建物自体は壊れちゃったままだから、雨風に晒されちゃうけど」
いつ直したんだろう。アンペアはCreate社の機械に詳しいだけじゃなくて、見慣れない機構でも触れば分かるのか——そんなことを思いながら、白いパンを一口かじった。
「柔らかくなってる!」
「ん、おいしい」
シロコもセリカも喜んでいる。ノノミは静かに、だけど笑顔で食べていた。
「途中、作業してたら外から怒鳴り声が聞こえてね。確かめてみたら、あんな感じだったのよ」
腕に巻かれた布に視線が行く。
なるほど。あの時、ガレスの近くに居たのはそういうことだったのか。
その時、宿のベルの音が鳴った。誰かが来店してきた。
入ってきたのは背丈の高い男の人だった。
入り口で少し、ためらうように立ち止まってからカウンターに近づいた。ここの店主に「ちょっといいか?」と、呼んでいる。
「....なぁ、この宿にCreate社の機械が直せるやつがいるって聞いたが、本当か?」
「あぁ、そこにいる黄色の髪の子がそうだが....」
短い会話があったあと、その男はこっちに近づいてくる。
アンペアの前で止まり、見上げるような形で視線を合わせた。
「君が、この街で機械を直しているエンジニアか?」
「そうだけど」
「頼みがある。俺の店は織物屋なんだがな、もう結構前にCreate社の蒸気エンジンが壊れちゃってな....」
その男は申し訳なさそうに、頭をかきながら続けた。
「それで、ずっと前から手作業で服を作っていたんだが、注文が多すぎて捌ききれなかったんだ。直してくれないか?」
アンペアはそれを聞いて一瞬悩んだ顔をしたけど、すぐに男の顔を見上げた。
「いいよ」
と、機嫌良くそう言った。
「よかった....。昼頃に頼めるか?」
「わかった、その時間ね」
アンペアは食べ終わるなり、道具を持って「じゃ、また後で」と言って先に出かけた。残った四人で食器を片付けながら、しばらく他愛のない話をしていた。気がつけば、窓から差し込む日差しが正面から横へと傾き始めている。
「そろそろアンペア、どうしてるかな」
誰かが言って、みんなで向かうことになった。
――――――
昼頃、アンペアの仕事を見にみんなで向かった。
大きな塀の向かい先。煙突がいくつか伸びるレンガの塀を見ながら歩いていた。
歴史の教科書で見た、大きなレンガ造りの工場っぽい場所。かなり大きい。だけど、長い間工場が稼働していないのか、こけが生えていたり、ツタが伸び放題になっていた。
「あれ、みんな来たの?」
アンペアが工具箱を持って門の前に立っていた。
「ちょっと、アンペアの様子を見たくって」
「まぁ、いいけど邪魔はしないでね」
レンガの隙間から生えている草を揺らしながら、塀の中に入った。
「よく来てくれた。案内するよ」
朝に会った人が、塀の前で立っていた。
「ここはこの街の発展の象徴だったんだがな....。少し前からこんな感じでな」
ツタは柱に巻き付き、地面から屋根までこけが生えているところもあったりしている。けど、窓は不思議なことにどこも割れてない。
むしろ綺麗だ。動いてない様子なのに、どこか大切そうに整備されている。
「動力が壊れた時、なんとかしてこの工場の代わりの方法を見つけたんだが、それでもここで働いていた大多数のやつらの首を切らなくちゃいけなくてな....」
「直せる人はいなかったの?」
「この街に君みたいなエンジニアはいたんだが、ネザー戦争の時にみんな死んじまってな....」
男は一度、言葉を止めた。どこか遠くを見るような目をしていた。
「直せる人が来るとは思っていなかったから、半分諦めていたんだが....それでも、捨てきれなかったんだ」
塀のそばの地面には、草が生え放題になっている場所がある。けど、工場につながるこの道の上だけは草が綺麗に刈られていた。
「直してくれるのなら、何よりもありがたい。この命でも喜んで差し出すよ」
男は重い扉に手をかけて、一度こちらを振り返った。
「工場が稼働できれば、また街に活気が戻るはずだ。....あとは、任せるよ」
そう言って、扉を開けたまま戻っていった。
扉の先、炉が大きく部屋の中央に鎮座していた。壁に煤や焼けた後が残っている。この工場の心臓が動いていた時は、灼熱の部屋だったのが見て取れるが、今は肌寒いくらい冷え込んでいる。
機織り機の動力。詳しい機構は分からないけど、どこか偉大な感じがする。
「なるほどね....」
だが、アンペアの顔色はそこまでよくはなかった。朝はあれだけ得意げに話していたのに、今ではあまり威勢が見られない。
アンペアが、炉の背面フタを開けて中を確認した。
「....これ、別の直せる人を探した方がいいと思う」
思わず、アンペアの顔を見た。製粉所も、ガレージの機械も、迷わずに手をつけて直したはず。
それなのに今は、目の前の機構を前にしゃがんだまま、工具を持った手が宙ぶらりんになっている。
こんな顔、初めて見た。
「なんで?できそうじゃないの?」
「できるかどうかの問題じゃなくて....」
それ以上は、言わなかった。
「ちょっと、この機構は苦手で....」
工具を持った手が一度だけ動きかけた。でも、すぐに止まった。
誰も何も言わなかった。外から、風が壁を叩く音だけが聞こえてくる。
横からのぞき込んだ。一つの大きな機械の棒みたいなやつが、ぽっきりと真っ二つに折れている。
「あそこを直せばいいんじゃないの?」
そこを指しながら、アンペアに聞いてみた。
「そこもなんだけど、違う場所も壊れているの」
折れたシャフトを一度見た。それから、その右下にある部品が絡み合った場所に視線を移して、また戻した。
「制御機構....」
アンペアが、ため息をつきながらそう零した。
工具を持ったまま、また動かなくなった。さっきより長い間だった。
「できるんでしょ?やればいいんじゃない?」
セリカが、アンペアの隣に腰を下ろした。
「なにかできることがあれば、手伝うよ」
シロコも加わって、二人がアンペアの周りに集まった。
「....分かった。やってみる」
工具が、ゆっくりと複雑に絡み合った場所に向かって伸びた。
カチャカチャと、機械を弄る音が聞こえてくる。
「アレックス、この形の部品、作れる?」
アンペアが、折れたシャフトの欠片を手に取って見せた。
頭の中で、形が浮かんだ。
「たぶん、いける」
作業台の前に立つ。折れた断面をもう一度確かめてから、手を動かした。形を合わせるように削っていくと、近い形のものができた。
「はい、これ」
「ありがとう」
「これで合う?」
「....うん、なんとかなる」
シロコには工具箱の中から必要な物を取り出してもらって、ノノミには部品を押さえてもらった。セリカは何をすれば良いか分からないまま、アンペアの手元を黙って見ていた。
カチャカチャと、金属が擦れる音が続いた。
「できた....」
窓の外を見ると、正午の真上にあった太陽が、だいぶ西に傾いていた。けど、まだ夕焼け空にはなっていない。
腰が痛い。ずっとしゃがんでいたせいだ。
「これで、問題なく動くはず....」
バタンと、フタを閉めてアンペアは手を払った。
蒸気が溜まり、シューとボイラーから音が聞こえてくる。
「....よし、動かすわよ」
アンペアはレバーを引いて、機械を動かし始めた。ウォンウォンと大きな音を鳴らしながらシャフトが回り、歯車が動力を伝えていく。
低い振動が、床を通して足の裏に伝わってきた。
だが――
「....あれ」
回る音が、どんどん高くなっていく。
止まるところを知らない。低音だった回転は、どんどん自分でもまずいと思えるくらいの音へと変化していく。
「ちょっと、まずいんじゃない....?」
アンペアがレバーを戻した。
回転は、速くなった。
もう一度、引いた。
さらに速くなった。
「止まらない....!」
シャフトが唸りを上げ始めた。歯車が噛み合う音が、どんどん高く、荒くなっていく。天井を這うシャフトがぶれていく。このままだと——
アンペアがまたレバーを戻した。けど、回転はもっと速くなっていく。
シャフトがきしむ音。何かが、限界に近づいていた。
何かしなきゃ、と思った。でも、何をすればいいか分からない。ただ、その場に立ち尽くすしかなかった。
「ボイラーの上を壊して!」
アンペアが叫んだ。それを聞いて、素早くシロコとセリカが持っていた木のツルハシを振りかぶった。
自分は気がつけば、アンペアの腕を引いた。
――ボンッ!っと、内部に貯まった蒸気が外に飛び出す。
視界はたちまち真っ白になった。熱された蒸気で、ものすごく熱い。
たまらず、全員外に出た。
扉の方を振り返ると、蒸気がまだ白く立ち上っていた。
誰も、何も言わなかった。
セリカが口を開きかけて、閉じた。シロコは工場の扉を見たまま動かない。ノノミだけが、そっとアンペアの方を見ていた。
アンペアは、レンガの壁に背中を預けてその場に座り込んでいた。
膝の上に肘をついて、おでこに右手を当てていた。左手には、まだ工具が握られている。
さっきまで動き続けていた手が、今は止まっていた。
声をかけようとして、できなかった。
なんて言えばいい。「大丈夫」は違う。「仕方ない」も違う。
ただ、工具を握ったまま動かないアンペアの手だけが、見えていた。
風が吹いた。蒸気の白が、ゆっくりと空に溶けていく。
工場の中から、冷えた空気が漏れてきた。さっきまであれだけの熱を持っていたのに、もう静かだった。
――――――
あの後、自分がアンペアの代わりにあの男の人に事情を説明しようとしたけど、上手く言えなかった。
「ちょっと、部品が欠けている部分があって....」と、誤魔化してしまった。
「....そうか」と、男はそれだけ言った。怒りも、落胆も、表には出なかった。
ただ、一度だけ工場の姿に目をやって、またこっちに戻して「教えてくれてありがとう」....とだけ。
その時の、あの顔が、どうも忘れられない。
宿に戻ってから、アンペアは塞ぎ込んでいた。
ベッドの上で、壁にもたれかかりながら膝を抱えてうずくまっている。
すごく、気まずい。声をかけるにも、言葉が見当たらない。部屋の中が、静かだった。
外は真っ暗。遠くに灯りがひとつ、揺れていた。
最初に動いたのはセリカだった。
何か言おうとして、口を開いた。でも、何も出てこなかった。
「その....まぁ、次があるじゃない」
自分でも分かっているのか、言ってからすぐに視線を逸らした。薄い言葉だと、本人が一番知っているような顔だった。
シロコは何も言わなかった。ただ、アンペアの隣に座った。それだけだった。
ノノミは少しの間アンペアを見てから、静かに口を開いた。
「....お腹、空いていませんか?」
誰も予想していなかった言葉だった。
「なんかあったかいもの、持ってきますね」
返事を待たずに、ノノミは部屋を出て行った。
ノノミが戻ってきた。木のボウルに入った、温かいスープだった。
宿の厨房で作ってもらったのか、湯気が立っている。
「はい、どうぞ」
アンペアは少しの間、それを見て、それから黙って受け取った。
誰も喋らなかった。スープを飲む音だけが、部屋に響いていた。
「....先生なら、どう声をかけるのかな」
シロコが、そう小さな声で呟いた。
アンペアが飲み終わる頃には、外が完全に暗くなっていた。
「夜も遅くなっているし、もう寝ようか」
ランタンの火を消した。
「....おやすみ」
誰かが言った。誰だったか分からなかった。
布団に入る音が、順番に聞こえた。
どのくらい経ったか。なにかが動いている気配で目が覚めた。
ギーッと鳴る音。部屋の扉が、静かに開いていた。
顔を起こす。暗闇の廊下に、 工具箱を手に持ってたアンペアの後ろ姿が見えた。
声をかけようとして——やめた。そのまま、扉が静かに閉まった。
アンペアの寝床を確認する。
毛布が半分だけめくれていた。まるで、すぐ戻るつもりでいるみたいに。
自分も布団を出て、他のみんなを起こさないよう、静かに後を追った。
宿を出る。虫たちの声が聞こえた。
外の空気は涼しい。肌が寒いこともあるけど、雰囲気は悪くなかった。
見渡しても、アンペアの姿は見えない。けど、どこに向かったか自分には分かる。
昼間のあの工場。そこに向かっていった。月明かりだけが壁を白く照らしている。
足を踏み入れた。レンガの道を、コツコツと音を聞きながら進んで行く。
昼間も思ったことだけど、改めて見るとやっぱり、この道だけ草が一本もない。
工場が止まっても、誰かがここを歩き続けていた。アンペアも、それを知っていたはずだ。
歩いていると、カチャカチャと音が聞こえてきた。
あの、扉の先からだ。
ゆっくりと、重苦しいとびらを開ける。
中では、月明かりに照らされながら、アンペアがクランクを回していた。
「アンペア?」
「....アレックス?」
アンペアがこっちを見た。そして、また手元の装置に戻した。
謝るわけでも、言い訳をするわけでもない。ただ、手元の機械に集中していた。
「ちょっとね、やりきれなくて」
そう言いながら、歯車を回していた。
穴を開けたはずのボイラーは、綺麗に修復されていた。
「....なんで、来たの?」
「なんとなく」
アンペアの近くに寄って、作業の様子を見ていた。
でも、気がつけばアンペアを手伝っていた。
叩いて、外して、締めて、そして新しい部品に変えて。
暗闇の工場に、少しの音が鳴っていた。
作業に集中していると、ふと外から足音が近づいてくる気配があった。
「やっぱり、ここにいた」
扉が開いた。顔を上げると、あの3人がいた。
「なにか手伝えることある?」
シロコがそう言って、近づいてきた。ノノミは入り口のそばで、月明かりの中をそっと見渡していた。
誰も、なんで来たかは言わなかった。言わなくても、分かる気がした。
作って、壊して、また入れ替えて。明かりが欲しいとアンペアが言ったら、ノノミがランタンを持って照らしたり。
5人で、もう一回組み立て始めた。
「....できた」
誰も、すぐには動かなかった。
昼間も、同じ言葉を聞いた。あの時と同じ場所に、同じ5人がいる。でも、今は誰も笑っていなかった。
アンペアが、レバーに手をかけた。一度だけ、深く息を吸った。
「今度こそ」
蒸気がボイラーから登る中、もう一回アンペアはそう言ってレバーを引いた。
ゆっくりと、回り出す。昼間のあの音じゃない。低く、落ち着いた回転だった。
シャフトが動く。歯車が、順番に噛み合っていく。天井を這うシャフトが、ぶれない。
どんどん速く——いや、ならなかった。
一定の速さで、ただ回り続けていた。この工場の機械が、静かに、再び鼓動を始めた。
アンペアがようやく立ち上がった。膝の煤を手で払って、工具箱を拾い上げた。そして、そっとレバーを戻した。
「やったじゃない」
セリカが、そう言った。
「....そうだね」
アンペアの顔が、少し笑顔になった気がした。
「....みんな、ありがとね」
それだけ言って、扉に向かった。誰かがくすりと笑った気がした。
工場から出ると、空が少しだけ白くなっていた。
今日、アンペアが伝えに行くとだけ。そう言った。