深夜明けの朝。
工場から帰ってきた時にはもう空が白くなっていた。
虫の声は聞こえない。けど、鳥のさえずりもまだ聞こえない。ただ、風に揺れる木々のざわめきだけが響いている。
まだ誰も起きていない時間。寝るには、ちょっと遅すぎる。
まだ道は暗く、相手の姿かたちは影の黒で一色。
みんなが起きる時間まで、宿の前の石畳に腰を下ろしながらシロコたちの三人と話していた。
「昨日みたいな機械、また出てきたらどうするの?」
「正直、機械に詳しい人がもう一人いると助かるんだけど....」
アンペアは工具を回しながら、そう答えた。
「アヤネなら、もしかしたら....」
シロコがそう呟いた。
こうしている間にも、空が少しずつ白んでくる。
その時、カラン、カランと揺れるランタンの音と、石畳を踏む足音が、闇の奥から近づいてきた。
「そこに、誰かいるのか?」
道に視線を戻すと、特徴的な紋章が縫われた外套の姿があった。
一昨日の夜、宿に来たあのコバットだった。
「こんな朝早くに、なにかあったのか?」
「いや、ちょっと気になることがあって....」
「気になること?」
昨日の、工場であった出来事を話した。
「....そうか。それは大変だったな」
少し間があった。
「コバットさんこそ、こんな朝早くにどうしたの?」
「見回りだ。ヴォルクス・リベレーターや、 敵対的なモンスターがいないかを確認している」
「ヴォルクス・リベレーターって、前にここを襲ってきた人たちのこと?」
「あぁ、あの時は本当に助かった。改めて、君たちに礼を言いたい」
律儀な人だ、と思った。偉そうな素振りも、恩着せがましさもない。
ただ、礼儀として伝えるべきことを伝えている——そんな感じがした。
「あいつらって一体なに者なの?」
セリカが身を乗り出した。
「あぁ、ヴォルクス・リベレーターは....」
「隊長!」
言いかけた言葉は、最後まで聞けなかった。
コバットが言いかけたその時、後ろから隊員らしき人物が駆け寄ってきた。
「新しい情報です。伐採された東の森の近くで、見慣れない格好をした人物を見かけたと情報が入りました!」
「分かった、すぐに向かう」
コバットの表情が、少しだけ変わった。さっきまでの穏やかさが消えて、隊長としての顔になっていた。
「すまないが、またこの街をしばらく空けなくてはいけなくなった。もし、何かあればすぐに駆けつける」
敬礼を済まし、コバットは隊員に案内される形で来た道を引き返していた。
「....大変そうだね」
シロコがそう零した。
「....ねぇ」
セリカが、石畳の先をぼんやりと見渡した。崩れかけた壁、草が生えた路地。それでもどこかに灯りがある。
少し考えるように口を閉じてから、また開いた。
「この街、なんだかんだあるけど、なんか似てるのよね。私たちの学園に」
誰に言うわけでもない、独り言みたいな声だった。
「ん」
シロコが小さく頷いた。ノノミも、頷いた。
「昨日の工場もさ」
セリカがぽつりと呟いた。
「あの人、ずっとあそこを諦めてなかったじゃない」
「ん」
「なんか、ああ言うの見ちゃうと....放っておけないのよね」
どこか、砂に埋もれた学園のよう。明日があるのかも分からないまま、この街の人たちは生きている。
けど、それでも息をしている。家からは煙が立ち、誰かが家を直し、パンを焼いている。
瓦礫の山で遊んでいた子供も、建物を直していた老人だって。
みんな、明日を今日よりマシにしようと動いていた。
「この街、私たちも守ってみない?」
その言葉に、誰も否定しなかった。頼まれたわけでもない。誰かに言われたわけでもない。
ただ、なんとなく——この街が、自分たちの場所みたいに感じ始めていた。
「でも....アビドスの借金はどうしましょう?」
ノノミの言葉で、シロコとセリカは思い出したかのようにノノミの顔を見た。
「....そうだった」
セリカが頭を抱えた。
「こんなところでのんびりしてる場合じゃないのよ、本当は。帰ったら利子とか増えてたらどうするのよ....」
「でも、帰る方法が分からない....」
シロコが静かに言った。
「....まぁ、どの道、この街でしばらくは生活しないといけないだろうし」
「アビドスの借金になら、多分先生がなんとかしてくれていると思う」
シロコがそう言うと、セリカは半信半疑といった顔で腕を組んだ。
「先生なら、なんとかしてくれてる....わよね?」
「多分」
「多分って!」
そんなやり取りをしていると——。
――パパパンッ!
「銃声!?」
三人が、ほぼ同時に動いた。
セリカが腰の銃を引き抜き、シロコが立ち上がり、ノノミがミニガンを展開した。一連の動作に、迷いがなかった。
見慣れてきたはずなのに、この速さには毎回驚く。
「いくわよ!」
セリカが先頭に走り出した。シロコがその隣に並ぶ。ノノミとアンペアが続いて、自分も後を追った。
石畳を蹴る音が、朝の静けさを割っていく。
最初は、パンッ、パンッ、と間延びした音だった。それが、走るたびに近づいてくる。
——パパパンッ。パンパンッ。
いつの間にか、音と音の間が詰まっていた。怒声が混じる。何かが倒れる音。ガラスが割れる音。
角を曲がった瞬間、音が一気に膨れ上がった。
広間。バラの花壇の合間から、息を潜めて覗き込む。
「ゲヘナの分際で!」
「トリニティの連中のくせに!」
どこかデジャブを感じる服装。....というより、学生という雰囲気が似たような感じの子供たち。
一方は白、一方は黒の学生服を着て、階段が広がる噴水の広場で乱闘していた。
「なんか、めちゃくちゃ喧嘩しているけど....」
「ゲヘナとトリニティね....。噂だと、私らの世界じゃ毎日、そこらかしこでやり合ってたらしいわよ」
「君たちの世界は、毎日銃撃戦してるって訳....?」
「これが普通なのよ」
普通って、なんだ。こんなの、普通でいいわけがない。
「前、私たちの学園の敷地内にゲヘナの風紀委員が攻め込んできた時は、大変でしたね....」
「シバ大将のラーメン屋だって....いや、それは便利屋の方だったわね」
「ヒフミに覆面水着団の格好で向かった時も、なかなかだった」
「聞いてる感じ、そこ学園じゃなくて戦場じゃないの?」
アンペアからツッコミが入った。
自分も深くそう思った。
「キヴォトスなら割とよくあることなのよ」
セリカは、朝ごはんの話みたいな気軽さで言った。
「よくあっちゃ駄目でしょ....」
「まぁ、銃声くらいなら、みんなあんまり気にしないわね」
「毎朝のブリーフィングで、『体育館での発砲は周囲に気を付けましょう』って言われることもありましたし」
「その注意の仕方がおかしいって!」
思わず声が大きくなった。
「でも、今日はちょっと多い」
シロコが広場を見つめたまま、小さく呟いた。
改めて目の前を見る。
噴水広場を埋める白と黒の制服。あちこちで怒鳴り声が飛び交い、乾いた銃声が途切れることなく響いていた。
見渡す限り、あまりにも数が多い。
ノノミちゃんのミニガンでも、あの人数を一度に止めるのは難しそうだ。
——パパパン。
別の方角から銃声。
「グハッ!」
目の前にいた黒い制服の子が倒れた。続々と、鳴る銃声に耳を傾ける。
草の間から覗く。道ばたに立っていた子、水が出てない噴水に隠れていた子、どんどんと倒れ込んでいく。
——ガッ、ガッ、ガッ。
革靴の音。
何者かが、走ってこちらに向かってきている。
花壇の向かい側に、外套を羽織った人が来た。身を潜める。
『Cブロック、制圧』
「了解、前進してこちらも制圧していく」
「向かい側に一人居る。そっちの警戒を頼む」
もう一人、外套の人物が現れた。二人で、何も言わずに連携している。
倒れている子供たちの手から銃を取り上げ、まとめて遠くへ放り投げる。動けなくなった者は、足だけで脇に転がす。
優しくはない。でも、無駄もない。
あっという間に、広場が静かになった。
「暴動の無力化を確認」
無線に向けて、淡々と報告する。
それから、二人は初めて肩の力を抜いた。片方が銃を下げて、ヘルメットの位置を直す。
「....おい」
無線機に話しかけていた人が、こちらに気づいた。
花壇の陰から、慌てて立ち上がる。
「いつからそこにいた?」
「えっと....さっきから?」
誤魔化せる空気じゃなかった。外套の人物が、ヘルメットを外した。
短く整えられた髪、鋭い目つき。それでも、思ったより若い顔だった。
「見ての通りだ。物騒な街で悪いな」
「いつもこんな感じなの?」
「まぁ、部分的にそうとは言っておこう」
彼は倒れている子供たちを一瞥した。
うんざりしたような、でもどこか慣れた表情だった。
「俺はハルク。コバット隊長の下で
「けいら....?」
「あぁ....。まぁ、子供には交番の一番偉い人って言った方が分かりやすいか」
「へぇ、隊長さんなんだ」
セリカが、銃をしまいながら言った。
「偉いってほどじゃない。雑用係みたいなもんだ」
ハルクが、肩をすくめた。
そのハルクの後ろで、倒れている子供たちがゆっくりと担架に乗せられて運ばれていく。
誰も、目を覚ます様子はなかった。
血は....出てない。呼吸もできているみたいだ。
「気絶させてるだけだ。ゴム弾だから痛みはあるだろうけどな」
セリカが少し意外そうな顔をした。シロコとノノミも、口には出さないが似たようなことを思っているようだった。
——別にゴム弾じゃなくても、平気だけど。
三人が顔を見合わせた。
口には出さないけれど、そうとでも言いたげな顔をしている。
「なんで、そこまでして守るの?」
ハルクは少しだけ考えて、それから肩をすくめた。
「俺たちは、"ワールド・ディフェンダー"だからな」
ハルクは苦笑しながら、肩に掛けた銃を指先で軽く叩いた。
「世界を守る、なんて大層な名前だよ。実際は、子供の喧嘩を止めたり、迷子を家に送り届けたり、壊れた柵を直したりだ。でもまぁ、それが俺たちの仕事だ」
『報告。路地裏に、数名の逃走者を確認』
「はぁ....っち、またかよ。あまり追い詰めるな、報告書をこれ以上書きたくない」
ハルクは頭を掻きながら、肩に提げた無線機に視線を向けた。
「すまんが、急用がまたできた。全く、これで今日だけでも三件目だ」
「そんなに多いの?」
「最近はお前らみたいな放浪者も増えてな。仕事が減る気配がねぇよ」
そう鼻で笑いながら、銃を手元に抱えて走り去っていった。
「お前らも、あんまり危ないところには近づくなよ」
隊員たちが担架を押し、倒れていた子たちを運びながら広場を離れていく。
さっきまで騒がしかった噴水広場には、散らばった薬莢と、朝の風だけが残った。
「あの人達、大変そうだね」
セリカが、担架を押していく隊員たちの背中を見送りながらぽつりと呟いた。
「ん。毎日あんなことしてたら、休む暇なさそう」
「ワールド・ディフェンダー、か....」
ハルクの言葉を思い返しながら、静かになった広場を後にした。
「朝に、街を守るって決めたけど、結局何をすればいいんだろう」
「とりあえず街を歩いてみれば、なにかあるんじゃない?」
「で、具体的には?」
「う~ん....」
広場を出ても、街はまだ少し騒がしかった。さっきの銃撃戦で逃げ散った人たちが、あちこちの路地を走っているのが見える。
怪我をしていたり、別のことで困っている人もいるかもしれない。
まずは宿に戻って、みんなにも話そう。そう言いかけて振り返った、その瞬間——
——ドサッ!
一瞬なにが起きたか分からなかった。
地面に叩きつけられ、腰のあたりでグキッと嫌な音がした。その時になってようやく気づいた。
建物の角から、人が現れて、自分にぶつかったんだ。
「いった....」
慌てて起き上がろうとすると、自分に覆い被さるように倒れた相手も、同じようにあたふたと身を起こしていた。
「あわわわわ、すいません!」
「アレックス、大丈夫!?」
アンペアが声を掛けてきた。
「だ、大丈夫....」
体を起こしながら、ぶつかってきた相手を見る。
黄金色に輝くセリカとは違う結び方のツインテール。さっきの、銃撃戦をしていた白い制服を着た子達とどこか似ている。
それと、どこかペンギンが変顔をしたような奇妙な白い鞄を携えていた。
「ヒフミ?」
「あ、アビドスの皆さん!ようやく見つけました!」
そのヒフミという子は、シロコたちを見て目を輝かせた。
「そんなに急いでなにがあったの?」
「あの、先ほどの銃撃戦を見ていたんですけど....。怖くなって、路地裏を通って帰ろうとしたら——」
ヒフミは、両手をぶんぶん振りながら言葉を続けた。
「薄暗い路地の奥から、ぶわって! 顔が緑色で、赤い服を着た人が出てきたんです!」
ヒフミという子は手で大げさに表現した。
「しかも、こっちをじーっと見てて....目が合ったと思ったら、急に奥に走っていって....!」
「それ、ゾンビじゃない?」
アンペアがそう言った。
あまりにも普通に言うから、一瞬聞き間違えたかと思った。
「....まさか、あの時の?」
「うん。多分、シロコちゃんを襲ってたやつ」
「じゃ、じゃあ大変じゃない!」
「ん。でも、この辺りにいたなら、また街の人を襲うかもしれない」
「さっきのハルクって人にでも....」
「でも、ハルクさん、忙しそうでしたし....」
ノノミが困ったように言った。
「さっきの人たちを探す?」
「でも、今どこにいるか分からないし....」
「その間に、本当にゾンビだったら誰か襲われるかもしれない」
「....探す?」
シロコの一言に、みんなが顔を見合わせた。
「危ないからやめよう」という顔つきではなかった。
さっきまで見ていた、ハルクたちの姿が頭をよぎる。
子供の喧嘩を止めて、街を歩き回って、誰かを守る。
——あんな風にはできなくても、自分たちにも、なにかできることはあるかもしれない。
正直、あの時みたいに襲われたら怖いけど....。
「....やってみよう」
ひとりでに、声が出ていた。
そして、立ち上がろうとした、その時だった。
路地裏の奥、崩れた石壁の陰で、緑色の何かが、物音一つ立てずに石壁の陰へと消えた。
「....?」
目を凝らした時には、もう何もいない。ただ、風が草を揺らしているだけだった。
四本足だったような気もしたけど、きっと見間違いだろう。
「もし本当にゾンビなら、放っておけないわね」
「私も協力します!遭遇した場所、案内できますから!」
ヒフミの言葉に、みんなの視線が自然と集まった。
さっきまで何をすればいいのか分からなかったのに、今はみんな自然と同じ方向を向いている。
危ないことに代わりはない。ゾンビ探しなんて、普通なら願い下げだ。
それでも、このみんなと一緒なら、少しだけ先が楽しみに思える。
空を見上げた。すっかり白くなっていた。
今日も、長い一日になりそうな予感がする。