紫の渦が揺れている。
アレックスの姿は、その中に吸い込まれるように消えていった。
「大丈夫かな....」
ウチは、ぽつりと呟いた。
——行ってくる。
アレックスの最後の返事は短かった。
いつもの不安な感じがない。だから、不安になる。
普段、手に触れていた工場で扱っていた機械なら分かる。壊れた部品も、直し方も。
けど、この門は明らかに違う。
どう動いてるのかも、仕組みも、原理も——何も分からない。
帰ってくるまで、何もできない。
ただ、待つしかなかった。
——そんな時だった。
——ドォン。
低い音が、遠くで鳴った。
「....え?」
遅れて、地面が揺れる。
石畳が軋み、空気が震えた。
——ドォォン!!
二回目。
「な、なに!?」
「きゃっ!」
ヒフミがよろめく。
どこかで悲鳴が上がった。
——爆発。
そう理解した時には、目の前に三発目が落ちた。
「危ない!」
反射的にシロコがウチの前へ飛び出した。
——ドカァァァン!!!
耳をつんざく音と、衝撃波が路地を吹き抜ける。
——パリンッ。
耳に、嫌な音が届く。
ガラスが割れるような、何かが砕けるような——そんな音だった。
「....大丈夫?」
「....ウチは大丈夫だよ」
シロコの目が緩んだ。「ありがとう」それだけ伝えて、体を起こす。
ただ、ホッとしたのも束の間だった。
なにかが、おかしい。
ネザーゲートの紫色の渦が——まるで水面へ石を投げ込んだような不自然な感じに揺れていた。
「な、なにが起きているの....?」
渦の揺らぎが大きくなって、紫の光が明滅している。
一瞬。そして——消えた。
「ネザーゲートが....!」
煙が晴れる。
そこにあったのは、紫の輝きを失った黒曜石の枠だけ。
その向こうには何もない、ただの空間が広がっているだけだった。
頭が真っ白になる。
ほんの数分前、アレックスはあの向こうへ行ったばかりなのに。
消えたはずの場所に、近づいて、無意識に手を伸ばしていた。指先が空を切る。
——ヴォ、ヴォオオオオオオン。
その瞬間、警報が街を切り裂いた。
現実に、無理やり引き戻される。
「な、なにが起きているんでしょうか....」
大通りの方から男の叫び声が聞こえてくる。
「ヴォルクス・リベレーターが来やがった!」
「避難しろ!」
「まだ砲撃が来るぞ!」
路地の壁が、振動で細かい砂埃を吐き出し、通りの先では人影が次々と駆け抜けていく。
足を動かさなきゃ。
わかっているのに、視線だけが黒曜石の枠に縫い付けられたまま離れない。
「とりあえず、様子を見に行きましょう」
ノノミが、そう言った。
みんな、走りながら武器を取り出して弾倉を装填していた。
何度見ても、この子達は戦い慣れている気がする。
一度、振り返った。
「アレックス....」
口にしてから、自分の声に驚いた。
——今は、それどころじゃない。
踵を返し、路地を抜ける。
影が、唐突に途切れた。
一気に視界が開け、目に光が差し込んだ。眩しさに一瞬、目を細める。
肌を焼くような熱風。焦げた匂いが鼻を突く。
それと同時に、立ち昇る黒煙、抉れた石畳、崩れた建物——。
気がつけば、戦場に立っていた。
「おい、そこのやつら!」
道の左から、腕章を付けた隊員が叫んだ。
「すぐに逃げろ!ここ北側にヴォルクスの攻撃が集中している!」
隊員の声は、ところどころ掠れていた。怒鳴り続けて、喉が限界に近いのかもしれない。
「わ、私たちも手伝います!」
ヒフミがそう言った。
「子供は危ない!死ぬかも知れないんだぞ!」
「でも!」
「ダメだ!今は避難が先だ!」
協力したいヒフミと、避難を優先する隊員。どっちが正しいかは、正直分からなかった。
ただ....——そう言い争っていると。
ヒュゥゥゥ——。
「....?」
その音に、隊員が顔を上げた。
何かが飛んでくる音。砲弾?——いや、違う。
「まずい、伏せ——」
ドォォォン!!
言う間もなく、辺り一面は爆風と煙の嵐。
爆炎が弾けた。
「ぐあぁっ!」
隊員たちが壁へとたたきつけられている。
「なっ!」
石畳の破片が雨のように降り注ぐ。
衝撃波に思わず身を縮めた。
「な、何が....」
今までの砲弾とは比べものにならない爆発。こんな威力の、ウチで製造してない....。
クレーターの底を見ていた。
「はーっはっはっはっは!」
向かって右の、黒煙の向こうから聞き覚えのない高笑いが響いた。
煙が晴れる。建物の瓦礫の上に立っていたのは——
「ッ!あんた....!」
セリカの顔つきが、一層厳しくなる。
背中まで伸びた紅い髪。黄金色と赤が目を引く長い銃。そして、頭の後部から角が生えている。
「ふふふ、どう?見たかしら?」
「便利屋!」
瓦礫の上に立っている少女が、セリカたちに気付いたように目を丸くする。
「あら、あんた達じゃない」
「なんであんたがここにいるのよ!」
「仕事だからに決まってるでしょ?」
彼女は、胸を張った。
吹き飛ばされた隊員たちの周りに、人が集まっていた。
誰かが必死に呼びかけているけど、返事はない。
ウチは、思わず目を逸らした。
「....仕事ですって?」
セリカが睨み付ける。
「それでこの街を攻撃してるっていうの!?」
「依頼なんだから仕方ないでしょ?」
彼女は肩を竦めた。当たり前かのような、そんな感じで。
「第一、そっちだって武器持ってるじゃない」
「そういう問題じゃないわよ!」
と、そこに。
「社長」
「お~、アルちゃ~ん」
瓦礫の奥から、階段を上るように姿を現した。
「カヨコ!ムツキ!ここにいたのね!」
知らない子。いや、街の中でどこかで見かけたことある....。
けれど、シロコたちの反応は明らかだった。
「都合良く出てきやがって....」
セリカの声は明らかに苛立っていた。
「社長」
「なにかしら?係長」
「"本当に、そっち側?"」
その言葉に、アルと言う子は少しだけ首を傾げた。
カヨコの声は静かだった。でも、その意味だけは妙にはっきり伝わってくる。
「え?」
けど、社長って言われた子は、何を確認されているのか分からないっぽい。
「....まぁ、そうね。仕事だし」
深く考えずに答えているように見えた。
いや、本当に分かっているんだろうか。
さっきからカヨコという子が聞いていることと、答えが噛み合っていない気がする。
——あの子、本当に社長なの?
「はぁ....分かった」
そう言って、カヨコとムツキは瓦礫の上に登ってこちらを見下ろした。
あの二人の反応からして、どうやらあながち社長という肩書きは正しいのかもしれない。
「じゃあ、今日から敵だね~」
ムツキが楽しそうに笑う。
「....」
シロコがライフルを構える。セリカも銃を持ち上げた。
ノノミは、撃つ姿勢に入る。
空気が張り詰める。
でも、その時、アルたちの後ろから緑色の頭がぴょこっと——。
「あっ」
ウチは、つい言葉を漏らした。
「?なによ?」
「いや、特に。それより、後ろ大丈夫?」
ウチはそう忠告した。
「へ?後ろ?」
腑抜けな声を出して、アルは振り返る。
すると、そこには——。
——シュー....。
クリーパーの姿があった。
「ほえ?」
——ドオォォォォォーーン
爆発した。多分、ウチが気づいた時には手遅れだったと思う。
「な、なにすんのよあの化け物ぉっ!」
煙の中から、アルが飛び出した。
その時だった。
「....ん?」
シロコが上を見上げる。
「まだいる」
つられて視線を向ける。
建物の屋上。そこに、緑色の影が並んでいた。
「ゲッ」
「あ~これは面白くなりそう~」
「うわぁ」
ぽとり。
一匹が落ちる。続いて二匹、三匹。
まるで雨みたいに。
「社長」
「なによこんな時に!」
「逃げた方が良い」
「言われなくてもそうするわよ!」
アルがそう言った。
その直後。
連鎖する爆発が、空気を叩き続ける。
煙の中、惨めに逃げていく様子が見て取れた。
「それより....!」
ウチは振り返る。
まだ、ワールドディフェンダーの人たちが手当てをしていた。
「ウチはこの人達を手当をしてる!ヒフミ、手伝って!」
「わ、分かりました」
遠くで、また爆発音が響く。
「まだ戦ってる」
シロコが煙の向こうを見つめた。
「北側、行ってくる」
その瞳には、迷いはなかった。
「わかった。でも、くれぐれも怪我をしないようにね」
そう言って、見送る。
「私も行ってくる」
「私も行ってきます」
セリカも、ノノミもシロコに続いて大通りを駆けていった。
「大丈夫ですか!?」
ヒフミの鞄から、包帯を受け取る。
「すまない....」
「喋らないで」
倒れている隊員の腕に包帯を巻いていく。
「すぐに手当しますからね」
「ありがとう....」
ヒフミの指先が、ほんの一瞬だけ震えていた。
それでも、包帯を巻く手つきに迷いはない。
「何がおきているの?」
「戦車だ」
隊員が苦しそうに答える。
「ヴォルクスの奴ら、戦車を持ってきやがった」
「戦車....」
「こっちは対戦車兵器が足りねぇから、クリーパーを向かわせてたんだが....」
そこで別の隊員が顔をしかめた。
「近付く前に撃たれる」
「数も足りねぇ」
「それに、今ほとんど爆発しやがった....」
なるほど。
だからあんなにクリーパーが集まっていたんだ。
——あの子、相当運が悪かったのね....。
....いや、違う。本当に運が悪いのは——!
——ドォォォン!!
地面が震えた。
「っ!?」
交差点の向こうで黒煙が噴き上がる。
飛んでいく砲弾。えぐり取られる石畳。崩れ落ちる建物。
「戦車だ!」
誰かが、叫んだ。
ゆっくりと、その砲身が出てくる。
ウチにとっては、見覚えのある形。黒く塗られた鋼鉄の塊。履帯が瓦礫を踏みしだく音が、腹の底まで響く。
砲塔に刻まれたクリエイト社の紋章——忘れるはずがない。
——パパパン!
戦車の後ろから銃声が走る。
けど、弾は砲塔に当たって弾かれた。
「そっちには行かせないわよ!」
セリカの声が飛ぶ。
ノノミの重い連射が空気を震わせた。
戦車の砲が、向こうを向く。
まずい——セリカ達が撃たれる。
直後、爆音。
瓦礫が崩れる音。
....けど。
「あっぶな!今のギリギリ!」
セリカの声が返ってきた。
あっちは、あっちで任せても大丈夫そう。自然と、肩の力が抜けた。
「ヒフミ!今のうちに路地裏に!」
「わ、分かりました!」
一人を担ぎ、他にまだ動ける人を使い、路地裏になんとか持っていかせる。
「....くそ....でも、助かるよ.....」
兵隊の一人がそう言ってきた。
「感謝は後でして。今は安全な場所に行くわよ」
一人、一人と路地裏に避難させる。
そうして、どうにか路上に居る人を全員持ってくることができた。
「っで、あの戦車どうするのよ....」
「コバット小隊が、この街にいち早く駆けつけていることくらいか....」
外では戦車が闊歩している。
唯一の打開策だったクリーパーも、全滅。
まずい事に、変わりはない状況。一体、どうしたら....。
「....古い、対戦車陣地が、2つ戻った先にある」
頭に包帯を負った兵士が、そう言った。
「今は錆付いてあんま動かないが、上手いこと誘導できれば撃退できるはずだ....」
「それって、クリエイト社製?」
「あぁ、そうだが....」
「なら、直せるかも」
ゴーグルを取り出して、頭にはめた。
ウチは、これがないとやる気が出ない。
「もしかして、お前、この街で噂になってる....」
「対抗できる唯一の方法なんでしょ?早く案内しなさい」
兵士は一瞬だけ言葉を飲み込んで、慌てて頷いた。
「わ、分かった。この裏路地を使えば、安全に行けるはずだ」
そう言って、その兵士は走り出した。
ウチは、その背中を追う。
足元は最悪だった。
瓦礫に空薬莢、割れた瓶。転がる工具で、一歩でも踏み外せば確実に転ぶ。
足を取られないように、神経を張り詰めて飛び越えていく。
乾いた銃声、爆発音、どこかで戦車が動くエンジン音。
後ろを振り返ると、ヒフミも追ってきていた。
「急げ!」
角を二つ曲がり、視界が開けた。
「あれだ!」
案内していた兵士が、指で指し示した。
半ば崩れた土嚢。コンクリートで固められた円形の基部。
その中心に、据えられた長い砲身。
——対戦車砲。
防盾は煤け、塗装は剥がれ落ちている。
砲身には赤茶けた錆が浮き、ところどころに白い腐食跡が走っていた。
だが——
照準器はまだ形を保っている。
旋回ハンドルも、完全には固着していないように見えた。
周囲には木箱がいくつも転がっており、蓋の外れた一つからは"長い薬莢"が覗いている。
動かせれば、まだ——
「あれ、直せるのか?」
「直す」
即答。考える余裕なんてない。
レンチを当ててみると、意外にもわずかに動いた。
「....かみ合わせ」
嫌な予感がして、下に潜り込む。
案の定、小さな歯車が一つ欠けていた。
「やっぱり!」
「原因分かったか!?」
「えぇ!ギアが一枚死んでる!」
視線を走らせる。周囲の箱。工具。外れた部品。
——代わりになるものは。
「どれくらいで直る!?」
——その時。
遠くから、低いエンジン音が——。
瓦礫を踏み潰す重い振動が地面越しに伝わってきた。
ウチは顔を上げずに答える。
「一分!ヒフミも、なるべくその時間を稼いで!」
「わ、分かりました!」
油と鉄の匂いが鼻を突く。
外れた歯車を抜き取り、代わりになりそうな部品を漁る。
——大きさが、合わない。
油にまみれた指で、部品を探す。
合わない。
これも違う。
——早く。
——早く。
「あぁもう!あいつの構造、ここがダメなんだから!」
つい、そう叫んだ。
頭上で銃声が連続する。
シロコ達の声も、兵士達の叫ぶ声も、くぐもって聞こえた。
「急いでくれ!」
「分かってる!」
頭の奥で、誰かの声がする。
——行ってくる。
手が、わずかに止まる。
アレックス。
帰れないかもしれない、ネザーの奥にいる。
——だから。
「....こんなところで止まってられないの!」
力強く、歯車を押し込んだ。
遠くで何かがひしゃげる音。
戦車のキャタピラが、瓦礫を踏み砕く振動が伝わってくる。
近い。もう、すぐそこまで。
最後のボルトを締める。
手のひらに、汗が滲んでいた。
——パパパパンッ!
頭上で銃声が連続する。
——ガキンッ!
「できた!!!」
叫ぶよりも先に、体が動いていた。
もう一回、対戦車砲をレンチで動かす。
なめらかな動き。
「よくやってくれた!!!」
ウチはすぐに対戦車砲から離れる。
兵士たちが砲弾を押し込み、閉鎖を叩き閉めた。
その瞬間、戦車が姿を現す。
「なに!?対戦車砲!?」
「撃てぇぇ!!」
——轟音。
砲が跳ね上がる。
視界が白く弾け、遅れて衝撃が腹に叩き込まれた。
——次の瞬間、静寂。
砲弾だけが見える。
真っ直ぐに。
戦車の側面へ。
——鈍い音。
内側から弾けた。
火が噴き出す。
鉄板が吹き飛ぶ。
爆音が遅れて世界を満たした。
戦車は、動きを止める。
ハッチが弾けるように開いた。
中から兵士たちが転げ落ちる。
誰も振り返らない。瓦礫の向こうへと走り去っていく。
「コバットだ!コバット小隊が戻ってきたぞ!!!」
誰かが叫んだ。
その声に、一気にざわめきが広がった。
「なに!?」
「くっそ!皆の者撤退だ!」
敵陣から響いた声と共に、ヴォルクスの兵士たちが一斉に動き出す。
武器を放り出す者、瓦礫を乗り越えて逃げる者。
怒号も悲鳴も、潮が引くように遠ざかっていった。
銃声が、止んだ。
誰も撃っていないのに、しばらく耳の奥で音だけが鳴り続けている。
「....終わった、のか?」
誰かが、ぽつりと呟いた。
返事はない。ただ、誰も動かなかった。
気づけば、手が震えていた。
レンチを握ったまま、力が抜けない。
さっきまで動いていたものが、全部止まっている。
煙だけが、ゆっくりと空に昇っていっていた。
その煙に釣られて、視線が自然と空へ向く。
黒曜石の枠。何もない、あの空間。
アレックスが、向かっていったネザー。
「....街は、この手で守るから」
そう言って、レンチを握り込んだ。
「アンペアさん!」
セリカたちだ。
煤と汗で汚れた顔。それでも、口元には抑えきれない笑みが浮かんでいた。
「みんなも無事で良かった」
みんなの服の上に、みんな黒焦げの部分がある。
「あとで、洗濯しないといけませんね」
ノノミがそう言った後、小さな笑いが起きた。
——でも
まだ、ウチの手は震えていた。