イオリは自分の隣で黒い石の枠を見上げていた。
何が起きているのか、半分も理解できないようだった。
それでも、帰れなくなるかもしれないということだけは、理解したらしい。
虚無になったネザーゲート。
自分もただ、眺めるしか無かった。
「な、なにが起きたの!?」
そう言ってあの渦があった場所に手を触れたけど、手は熱い空気に触れたままだった。
遠くで、何かのうめき声が聞こえてくる。
「これは、街の方でなにかあったな....」
オストーはそう言いながら、頭を抱えた。
「ど、どうすればいいの....これ?」
「....このままネザーを彷徨うか、他のゲートを見つけ出すか」
「他のゲートってあるの?」
「あぁ、メカニズム社が管理している物なら....」
だが、ロッテンは暗い顔をした。
「ただ、最近ゲート関係の爆発事故が続いて帰れなくなる事案が多発している」
「再開通した話もないから....閉じこもったままだね」
オストーのその言葉に、誰も返事をしなかった。
風が吹く。赤い砂が足元を転がっていく。
「....戻れないのか?」
イオリの問いかけに、ロッテンは答えない。オストーも、ただ目を逸らした。
誰も答えない。それが答えだった。
「——音が聞こえたからこっちに来ようとしたのはお前だろうが!」
「はぁ?私は提言をしただけで、従ったのはあなたじゃないんですか?」
「へんな屁理屈ばっか言うなこいつはほんとに.....!く——れ!」
「く——れってなんですか!?死ねってことなんですか!?」
「そんなことより後ろです!」
突如、怒号が静寂を切り裂いた。
やまびこの様に響いてきた声に、全員が顔を上げる。
それと同時に、遠くから豚のような唸り声が聞こえきた。
「この声....アコ?」
イオリはなにかを確かめるように、駆け出した。
自分たちも慌ててその背中を追う。
「だからこの地帯の廃坑は崩落してるって言っただろ!」
「その地図には採掘拠点とネザーゲートが書かれているじゃないですか!」
「ここ、封鎖区画みたいですよ....」
「そんな重要なことを先に言いなさい!」
「何度も言ってるだろ!」
赤い木の陰から、列を作って歩く集団が見えた。
先頭では、鉱夫のように黒のヘルメットを被った男が顔を真っ赤にして怒鳴っている。
赤いネザーの景色の中でも、その男の顔だけは妙に浮いて見えた。
「アコ!チナツ!」
イオリが思わず声を上げた。
「「イオリ!?」」
言い争っていた青髪の子が振り返った。その隣では、眼鏡を掛けた子も目を丸くしている。
さらに後方には、黒い制服を着た短髪の少女たちが銃を手に抱えている。
その周囲を護衛するように、オストーたちと似た外套を羽織った人影が数人続いていた。
ざっと、十人。
「あなたまで、なんでこんな所にいるんですか!?」
「それは、こっちも聞きたい」
イオリが駆け寄って行く。
「イオリも無事でなによりです。お怪我はありませんか?」
「いや、大丈夫だ」
「それより、早めに移動した方が....」
チナツという子が顔を濁して、後ろを気にしている。
「なんだ、知り合いなのか?」
ヘルメットの男のが顔を見合わせてきた。
「あぁ、アコとは一緒に仕事をしている」
言い争っていた少女を見る。
あの子がアコか。
「イオリちゃん、その子は?」
「あぁ、アコは——」
「私ですか?」
アコと言う子が一歩前に出た。
「私は天雨アコ、風紀委員の行政官です」
一瞬、その言葉にロッテンもオストーも固まった。
風紀委員とか行政官とか、そんなことじゃない。
——その服はなんだ?
カクカクの姿は見慣れているとして、白い上着に黒くて短いスパッツ。
ここまではいい。問題はその上着だった。
脇腹の部分が妙に大きく開いている。戦闘用なのか、いや、閉まらないのか、ただ単に設計ミスか....?
その服装して風紀委員....とは、ちょっと分からない。
みんな思っていそうな事だけど、あえて口にしないように飲み込んだ。
「....」
男が振り回していた羊皮紙が目に入った。
端は擦り切れ、折り癖が何重にも重なっていた。煤の汚れが、やけに古さを強調している。
「....なんだよ」
「いや、その地図」
「これか?」
男は鼻を鳴らした。
「クソ会社が置いていった地図だ」
「クソ会社?」
「メカニズム社だよ」
「地図なの?」
男は紙の端を指で弾いた。
何度も折り畳まれたのか、地図の角は擦り切れている。
「あぁ、だが、第五ゲートも潰れてる。第三もダメだったし、第七なんて跡形もねぇ。おかげで二週間歩き回る羽目になった」
思わずロッテンたちと顔を見合わせた。
こんな場所を二週間も彷徨うなんて想像もしたくない。
「後ろにいる子達は?」
「同じく、ネザーに取り残された連中よ」
男は肩越しに後ろを見た。
外套姿の者、鉱夫らしい格好の者、小柄な子供たちまでいる。
「ワールドディフェンダーのガードナーだ」
「同じく」
男はそう名乗った。だが、時々視線を後ろに外している。
その後ろにいた外套姿の人たちも軽く会釈した。
「わ、我々はアコ行政官に付いてきたまでだ」
背丈が小さい子達も、そういった。
ガードナーはそれを一度だけ見渡し、しばらく黙っていた。
「....その外套....プラメイセンか」
低く落ちるような声だった。ロッテンたちを見つめている。
「ん?なんだ」
「珍しいな、モンスターがその派閥の制服を着てるなんて」
「元だ、今は違う」
「ヴォルクスじゃねえと、いいが」
「あいつらと一緒にしないでもらえるかな?」
プラメイセン。
初めて聞く名前だった。
だけど、空気だけは妙に重い。
触れてはいけない話題を踏んでいるような感覚。
——今は聞かない方が良さそうだ。
「話をしているところ悪いんだけど、水色の服の人をみかけなかった?」
自分の言葉に、ヘルメットの男がゆっくり顔を上げる。
「水色かどうかは知らんが......」
そう言うと、顎でネザーの奥を指した。
「数時間前に、あっちで丸いしを積んでる変なやつなら見たぞ」
じゃあ、さっきの跡は道を間違えていただけなのか。
「どうしてだ?知り合いか?」
「いや、そうじゃない。ただ、今はそれしか手掛かりがないから」
自分は続けた。
「もしかしたら、帰る方法を知っているかもしれない」
ヘルメットの男を始めとした人たちの間に、わずかなざわめきが走った。
「ほら、手がかりが掴めましたよ?」
「いや、お前は黙れ」
アコがほっぺを膨らませる。
——本当に、この子が行政官?
「だが、その水色のやつを追うなら、急いだ方がいい」
「どういうこと?」
男は後ろを振り返った。うめき声が、大きくなっていく。
その時、遠くで金属がぶつかるような音が響いた。
「くそ、まだ追ってきてやがる」
右側から、地面ごと覆うような影が押し寄せて、地面を揺らすような音が響いてきた。
ドドドド、と低く重い足音が連なり、視界の端を埋めていく。
豚のような姿をした二足歩行の群れが、剣を構えたまま怒りのままに津波のような圧で迫ってきていた。
——なんか、怒ってない!?
「なに!?あの大軍!?」
「ゾンビピグリンだ!下手にコイツが刺激したせいで追われる身になってんだよ!」
「あいつらがぶつかって来たんですよ!?」
「こっちは忠告しただろぉがよ!!!」
「と、とにかく今は逃げましょう!」
「水色の男はあっちだ!そっちに向かうぞ!」
気づいたときには走っていた。
足元の感覚が曖昧で、何度かバランスを崩す。
それでも背後の音だけが、やけに近いまま離れない。
止まるな、止まるな、と頭のどこかが繰り返していた。
「アコ!お前一体なにをした!?」
「知りませんよ!勝手に怒ってきたのあいつらですよ!?」
「お前、肩ぶつけただろ!このあんぽんたんが!」
「はぁ!?誰があんぽんたんですか!」
「二人とも!前見て走ってください!」
後ろを見ると、さっきのの隊列は完全に崩壊していた。
誰も隊列を維持していない。
というか、全員我先に逃げている。
「なんでこんな目に....!」
「文字通り骨が折れそうだよ....!」
「人探しってこんな命がけだったか?」
「私はこんな感じですよ!?」
「「お前は黙ってろ!!」」
——————
「け、けが人は....いませんか?」
誰もすぐには口を開かなかった。
荒い呼吸だけが坑道に響く。
ロッテンが塞いだ、苔の丸いしの壁から、怒号だけが微かに聞こえていた。
床に座り込む者、壁にもたれかかる者、そのまま前に倒れ込む者。
....もう帰りたい。
「ふふ、私が見つけたおかげで....命拾いしましたね....」
「見つけたの....僕なんだけど....」
「....お前は....まず謝れ」
「なにをです....?」
「全部だよ....」
「もう....いやぁ....」
反論する者はいなかった。
「....おい、あれ!」
誰かが指差した先に、丸いしが一つ置かれていた。
「待て」
その先にもあった。
一つ。また一つ。
視線で追うたびに、松明が坑道の奥へ伸びていく。
「この辺りに坑道なんてなかったはずだがな....」
ヘルメットの男は眉をひそめ、手元の地図に目を落とした。
やっぱり、この先に....。
丸いしと松明を目印に坑道を進む。
道は妙に整っていた。崩落した跡もないし、放棄された荒れ方もない。
「最近まで使われてたみたいだな」
「それなら好都合だ」
少なくとも、目印を残した誰かがいる。
その予感は外れなかった。
坑道が途切れた。
その先で、誰かが息を呑む。
目の前に広がっていたのは、今まで見てきたどの景色よりも巨大なネザーだった。
遥か下では溶岩が川のように流れ、青い森が霞の向こうまで続いている。
「....おい」
「どうした?」
「....なんだ、あれ」
誰かが呟いた。
視線の先。
マグマの海の上を跨ぐように、赤黒い煉瓦の回廊がどこまでも伸びている。
柱、アーチ、崩れかけた塔。
巨大な建造物が、ネザーそのものを見下ろすように広がっていた。
その建造物は崖から崖へ伸び、崩れた先は霞の向こうに消えている。
どこまで続いているのか分からない。
足元には、その黒い回廊へと続きそうな道が丸いしで整備されていた。
「おい、なにか見えないか?」
ロッテンが指を指した先には——
「どこ?」
「あそこだ」
回廊の一つ。
崩れた橋の近くで、水色の服の人物が何かと戦っている。
剣の音が、かすかにここまで届く。
人影は何かに追い立てられるように身を翻し、ときおり火花のようなものが散った。
「戦ってる....?」
目を凝らす。
水色の服に、見覚えのある後ろ姿。
そして、あの妙に目立つ格好。
「あっ——」
思わず声が漏れた。
——街で見た、あの男だった。